名古屋城検定 平成 27 年度問題例 〔上級問題例〕 設問 1 徳川家康は、慶長 14(1609)年清須の町をまるごと名古屋に引越すいわゆる「清 須越し」を命令しました。そして名古屋台地に新しい城下町をつくりました。城 下の形は逆三角形で、各頂点はちょうど主要な街道の入口になっていました。そ こは、枇杷島口、大曽根口、熱田口と称され、大木戸がつくられていました。三 つの大木戸で囲まれた範囲は、木戸内または城下と呼ばれていました。 ⑴ 城下からはいろいろな街道が出ています。 「下街道」と呼ばれた街道は、①から④の中のどれでしょう。 ⑵ 図の中に示した矢印の交差点は何と呼ばれていたでしょう。 設問 2 下の写真は、現在の堀川にかかる納屋橋の欄干の一部です。 江戸時代の納屋橋は、城下町名古屋の最も南にあった堀切筋の橋で、東に進めば 広小路となりました。 橋の欄干には、写真のようにある大名の家紋が付けられています。 その大名の姓名と家紋が付けられた理由を答えましょう。 設問 3 下の写真は、江戸時代の中頃に尾張徳川家 7 代当主徳川宗春が政治方針を著し て尾張藩の藩士に配付した本の巻頭です。 宗春は、8 代将軍徳川吉宗から「宗」の一字を授与されながらも、享保の改革を 批判した存在感がある大名として知られ、かつてNHKの大河ドラマ「八代将軍 吉宗」でも、吉宗最大のライバルとして取り上げられました。 (1)この本の題名を書きましょう。 (徳川美術館所蔵(C)徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom) (2)この本と著者徳川宗春に関わる文の中で、正しいものを次から一つ選び ましょう。 ① この本の題名は、論語の言葉と唐の皇帝太宗の言行録を記述した本から付け られた。 ② この本の巻末は「愛」という字で締めくくられ、慈愛の精神で貫かれている。 ③ 徳川宗春は、幕府から隠居謹慎を命ぜられ、生涯江戸の下屋敷に幽閉された。 ④ 徳川宗春の謹慎が解かれたのは死後 100 年を経過した天保 10(1839)年の ことだった。 〔上級 解答と解説〕 設問 1 正解 ③/札の辻 解説 上級問題では、 「名古屋城」だけではなく、尾張城下町に関する問題も 出題されます。また答えを記述する問題も登場します。 街道名や城下町の要所は、押さえておく必要があります。 設問 2 正解 堀川を造成した福島正則の業績を記念するため 等 解説 堀川は、名古屋城築城や名古屋開府には欠かせない存在です。実際に堀川 沿いを歩き、史跡を訪ねながら、名古屋城とのかかわりを考えるのも大切 です。 設問 3 正解 温知政要/① 解説 尾張藩主の問題は必ず出題されます。中でも、徳川宗春は、初級、中級、 上級を通して必ず出題される最重要人物です。 上級であれば、詳細に調べておく必要があります。
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