ハイドン:交響曲第 102 番変ロ⻑調 Hob.Ⅰ:102 ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は 30 年近くにわたってエステルハージ侯爵家 の楽⻑をつとめたが、1790 年に⻑年仕えてきたニコラウス侯が世を去ると、音楽に関 心が薄かった息子のアントン侯は音楽家の大半を解雇してしまい、ハイドンも名目上は 楽⻑のままだったものの、自由な活動を許されることになった。 60 歳を間近にしたハイドンに白羽の矢をたてたのが、当時ロンドンで演奏会を企画 していたヴァイオリニスト、ペーター・ザロモンだった。ハイドンが新作を含めた自身 の交響曲をみずから指揮するというザロモンの企画にのったハイドンは、1791 年から 95 年までの間に2期にわたってロンドンに滞在し、 計 12 曲の新作交響曲を作曲した。 ザロモンの演奏会では、プログラムの第1部では様々な作曲家のオーケストラ曲やアリ ア、室内楽などが演奏され、目玉となるハイドンの新作交響曲は、遅れて来た聴衆も間 に合うよう、休憩後の第2部で演奏されるのが習わしだった。 ザロモンの演奏会は、フランス革命後のヨーロッパの混乱を受けて⼀流の歌手を呼べ なくなったことなどから、ハイドンのロンドン滞在第2期の 1795 年には中止に追い込 まれてしまう。たが、その代わりに開かれたのが、オペラ劇場での定期演奏会だった。 ここで《交響曲第 102 番》から《第 104 番「ロンドン」 》までの最後の3つの交響曲 が初演された。 《第 102 番》は特別な愛称をもたないが、楽想、構成ともにハイドンの 円熟した作曲技法がすみずみまで⾏き渡った傑作である。 第1楽章:ラルゴ(ゆったりと)〜ヴィヴァーチェ(快速に)変ロ⻑調 神秘的な美しさをもつ序奏にみちびかれて、快活な主部が始まる。 第2楽章:アダージョ(緩やかに)ヘ⻑調 低音を受け持つチェロとは別に、独奏チェロが独自の旋律を奏でる。 第3楽章:メヌエット、アレグロ、変ロ⻑調 中間部(トリオ)ではフルート、オーボエ、ファゴットの独奏に弦が加わる。 第4楽章:フィナーレ、プレスト、変ロ⻑調 機知に富んだ音楽が疾走する。 遠山菜穂美 ※掲載された曲目解説の無断転載、転写、複写を禁じます。
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