WIJC160515Risen Lord & Peter(3)

1
年 月 日 聖書:ヨハネ
聖書:ヨハネ 1章 - 節
タイトル:復活の主とペテロ
タイトル:復活の主とペテロとの
復活の主とペテロとの対話
との対話 その :主の働き人になるための最後の資質
2016 5 15
2
17 23
May 15, 2016 Bible Text: John 21:17-23
(
3)
Totle: Conversation between the Resurrected Lord and Peter (#3): The Final Qualification for
Becoming the Lord’s Worker
序 論
Introduction
●同じキリスト教信仰でも、カソリックには様々な特別な記念日が設けられている。プロテスタントで
同じキリスト教信仰でも、カソリックには様々な特別な記念日が設けられている。プロテスタントで
は、その数はズ~ッと少ない。その主なものは、イエス様の誕生を祝うクリスマスであり、イエス様
が十字架に掛かられたことを記念するグッド・フライデーであり、イエス様が死人の中から甦られた
ことを記念するイースターであり、それらの結果として、ご聖霊なる神様が、弟子たちの上に下った
ことを記念する。ペンテコステなど
ことを記念する。ペンテコステなどである。
などである。
●Though their belief is in same Christianity, Catholics have various special memorial days.
For
protestants, the number is a lot less. The main ones are Christmas to celebrate the birth of
Christ, Good Friday which commemorates the day Jesus was crucified, Easter to commemorate
the resurrection of Jesus from death, and as a result of these, Pentecost which marks God the
Holy Spirit coming down on the disciples.
●
40
実は、今年は、今日がそのペンテコステの日である。イエス様は、復活されて 日間、地上に残ら
日間、地上に残ら
れ、幾度も弟子たちに現れ、様々なことを語られ、教えられ、
れ、幾度も弟子たちに現れ、様々なことを語られ、教えられ、その後、弟子たちの見ている目の前で、
天に昇られた。それから 10 日後に、即ち復活後 50 日目の日曜日、ペンテコステと呼ばれる日に、ご
聖霊が弟子たちに上に注がれたのである。
聖霊が弟子たちに上に注がれたのである。
●In fact, this year, today is the day of Pentecost.
Jesus stayed on the earth, appeared many
times to His disciples, spoke of and taught any things for 40 days following His resurrection,
and ascended to heaven before the disciples’ eyes. Ten days later, that is, on Sunday 50 days
after resurrection, the Holy Spirit was poured onto the disciples on the day called Pentecost.
●聖書が記しているように、この日に、教会が誕生し、その内外に向けた活動が始まり、やがて、世界
へとキリスト教が広がって行くのである。
●As it is written in the Bible, that was the day when the church was born and its internal and
external activities commenced, and over time, Christianity spread throughout the world.
●本来なら、そのペンテコステについて、本日はメッセージを取り次ぐべきであるが、その準備として、
本来なら、そのペンテコステについて、本日はメッセージを取り次ぐべきであるが、その準備として、
始めた、ヨハネの福音書21章が記す、復活後のイエス様とペテロの対話の学びが予定より一回延び
たので、今日はそれを済ませ、来週ペンテコステのメッセージを取り次ぎたい。
●Under normal circumstances, I should be giving a message on the Pentecost today, but the
lessons on the conversation between Jesus and Peter (as written in John 21) which was to
prepare for the Pentecost turned out to be a bit longer than expected. So today I would like to
finish it and give the message on the Pentecost next week.
●イエス様がペテロとのこの対話を通して目指されたこと、即ち対話の目的は、言うまでもなく、ペテ
イエス様がペテロとのこの対話を通して目指されたこと、即ち対話の目的は、言うまでもなく、ペテ
ロを代表として、弟子たちに、これからの彼らの生涯を、何のために、どのように生きるかについて
ロを代表として、弟子たちに、これからの彼らの生涯を、何のために、どのように生きるかについて
明確に教示するためであった。
●What Jesus set out to do through His conversation with Peter (or the purpose of the
conversation) was, needless to say, to clearly enlighten Peter and His disciples on how and for
what they should live the rest of their lives.
●
(
11 26 )
私たちクリスチャンは、皆キリストの弟子である 使徒 章 節 。即ちこのペテロとイエス様の対
。即ちこのペテロとイエス様の対
話は、唯にそこにいた弟子たち全員へのメッセージであっただけでなく、私たちを含めて、その後、
彼らの言葉と宣教によってクリスチャン、キリストの弟子となった者たち全員へのメッセージである。
●We Christians are all disciples of Christ (Acts 11:26).
This conversation between Jesus and
Peter was not only a message for all the disciples who were there, but also everyone (including
us) who became Christ’s disciples later through their words and evangelism.
2
●もし、それを信じないなら、今日、皆様がここに座ってメッセージを聞くことは、時間の無駄である
だけでなく、皆様は、その部分の聖書を、私には関係の無い所として破り捨てるべきである。
だけでなく、皆様は、その部分の聖書を、私には関係の無い所として破り捨てるべきである。
●If you do not believe that, sitting here and listening to the message would be a waste of your
time, and further, you should tear away the passage of the Bible as something that has nothing
to do with you.
●しかし、私は信じる。そして皆様にも信じて頂きたいことは、そこには、イエス様からあなたへの愛
しかし、私は信じる。そして皆様にも信じて頂きたいことは、そこには、イエス様からあなたへの愛
と信頼の私信と祝福の約束が秘められていることである。
と信頼の私信と祝福の約束が秘められていることである。
●But I do believe.
And what I would like you to believe is that Jesus’ private communication of
His love and trust towards you and the promise of blessings are hidden in this passage.
●さて、ここまでのこの対話の学びから、イエス様は、ペテロを代表とする弟子たちに、ひ
さて、ここまでのこの対話の学びから、イエス様は、ペテロを代表とする弟子たちに、ひいては、私
弟子たちに、ひいては、私
たちに、次の3つのことを確認しておられることを学んだ
●From our past lesson on this conversation, we have learned that Jesus was confirming the
following 3 things with Peter, the disciples, and also us.
1.第一は、
1.第一は、私たちの罪が「完璧に」赦されていることを確信すること
第一は、私たちの罪が「完璧に」赦されていることを確信すること。
私たちの罪が「完璧に」赦されていることを確信すること。
1. First, it is to be convinced that our sins are “completely” forgiven.
(1)ここに出て来る「3 回」という質問の回数が、3 回イエス様を拒絶すると言う罪を犯したペテ
ロの罪の完全な赦しを示唆していることを思い出して戴きたい。
ロの罪の完全な赦しを示唆していることを思い出して戴きたい。
(1) Please remember that the number of questions here is 3, which implies the complete
forgiveness of Peter’s sin of denying Jesus 3 times.
(2)
クリスチャン生涯、キリストの弟子に取って大切なことは、「私の罪が赦されてい
クリスチャン生涯、キリストの弟子に取って大切なことは、「私の罪が赦されている
生涯、キリストの弟子に取って大切なことは、「私の罪が赦されている」と言う
」と言う
ことが、単なる漠然とした
ことが、単なる漠然とした希望
漠然とした希望や期待ではなく、
希望や期待ではなく、「
や期待ではなく、「確信」
確信」となることが必
となることが必要
が必要である。
(2) It is necessary for the disciples of Christ and for Christian life to be convinced that our
sins are forgiven, rather than understanding it vaguely as something to hope or expect.
(3)
その確かさは、あなたの心
その確かさは、あなたの心の持ち方から来るのではなく、
から来るのではなく、「イエス様の
ではなく、「イエス様の十字架
「イエス様の十字架」への信仰から
十字架」への信仰から
来るのである
来るのである。
のである。
(3) Such certainty does not come from the condition of your heart, but it comes from our
faith in “Jesus’ cross”.
2.第
2.第二は、私たちの愛を、
は、私たちの愛を、妻
私たちの愛を、妻が夫を愛するように、
を愛するように、イエス様に向けることである。
2. Second, it is to direct our love towards Jesus, just like how a wife loves her husband.
(1)イエス様は、ペテロに尋ね
イエス様は、ペテロに尋ねられた。「あなたはこれらのものに
尋ねられた。「あなたはこれらのものに勝
られた。「あなたはこれらのものに勝って私を愛するか?
って私を愛するか?」と。
(1) Jesus asked Peter, “Do you love me more than these?”
(2) これが、イエス様が私たちとイエス様との間に期待しておられる関係である。愛の関係である。
(2) This is the relationship that Jesus expects in our relationship with Him…the relationship
of love.
(3)
Jesus, I
love you
(3) It is said that the last words of the famous sait, Mother Theresa, was, “Jesus, I love you.”
(4)
あの著名
あの著名な聖徒マ
著名な聖徒マザ
な聖徒マザーテレサ
ーテレサの最後の言葉は、「イエス様、私はあなたを愛します
レサの最後の言葉は、「イエス様、私はあなたを愛します/
の最後の言葉は、「イエス様、私はあなたを愛します/
」だったそうである。
私たちも、私たちのためにすべてを投げ
私たちも、私たちのためにすべてを投げ捨て、
投げ捨て、命
捨て、命までも捧げ
までも捧げて私たちを愛してくださったイエ
捧げて私たちを愛してくださったイエ
ス様を
ス様をまず、何にも勝
、何にも勝って愛したい。そのとき、本当
って愛したい。そのとき、本当の意味で人々を愛することができる。
意味で人々を愛することができる。
(4) Let us love Jesus more than anything, who threw away everything for us and loved us so
much so that He sacrified His own life. At that point, we can love people in a true sense.
3.第
3.第三は、私たちの人生の使
は、私たちの人生の使命
私たちの人生の使命が、イエス様
が、イエス様の
イエス様の羊である全世界の
である全世界の人間
全世界の人間の
人間の「羊飼い
羊飼い」となることを認
となることを認
識することである。
することである。
3. Third, it is to recognize that the mission of our life is to become “shepherds” of people in the
world, who are Jesus’ sheep.
(1)
人々の「羊飼
人々の「羊飼い」になるとは、
羊飼い」になるとは、羊飼
い」になるとは、羊飼い
羊飼いが羊にするように、人々を愛し、
にするように、人々を愛し、その霊的、
愛し、その霊的、肉体
その霊的、肉体的必
肉体的必要
的必要
に関心
に関心を持ち、気
ち、気にかけ、必要
にかけ、必要な助け、守
け、守り、導
り、導きを与
きを与えることである。
えることである。
3
(1) To be a shepherd of people is to love people, take interest in their spiritual and physical
needs, think about them and give them needed help, protection and guidance, just like
how a shepherds would do for his sheep.
(2)
(2) In fact, the one who can do it perfectly is our true shepherd, Jesus the ultimate shepherd
only.
(3)
(
5
)
(3) The Bible calls Jesus the “Chief Shepherd”. (I Peter 5:4)
(4)
(4) As “small shepherds”, we are called to help Him.
実は、それを完璧にできるのは、私たちの真
実は、それを完璧にできるのは、私たちの真の牧者、究極
者、究極の
究極の牧者イエスさまだけである。
聖書は、そのイエス様を、「大牧
聖書は、そのイエス様を、「大牧者」と呼んでいる Ⅰペテロ 章4節 。
私たちは、「小牧
私たちは、「小牧者」としてそのお
小牧者」としてそのお手伝
者」としてそのお手伝いをする使
手伝いをする使命
いをする使命を頂いているのである。
●さて、今日は、イエス様が、このように、
さて、今日は、イエス様が、このように、ペテロに
このように、ペテロに、
ペテロに、「あなたは、人間の「
「あなたは、人間の「牧
の「牧者」になるんだ」
者」になるんだ」と
になるんだ」と言
う使命を与えられた後、牧
えられた後、牧者に必要
者に必要な二つの資質について語られたことからメッセージを頂きたい。
つの資質について語られたことからメッセージを頂きたい。
● Today, let us receive a message from what Jesus said about 2 qualifications for shepherds,
after He gave Peter a mission to be a “shepherd of men”.
本 論
Main Message
Ⅰ.第一の資質は、自分の生涯を全部神様に任せること、捧げることである。
I. First qualification is to devote one’s life to God completely.
A,イエス様は、ペテロのこれからの生涯についてこのように言われた。
A. Jesus said the following regarding Peter’s life from then on.
1.「あなたは、若
1.「あなたは、若かったときには、自
かったときには、自分で帯
分で帯を締めて、自
めて、自分の歩
分の歩きたいところ
たいところを歩きました。
しかし、年をとると、あなたは自
しかし、年をとると、あなたは自分の手
分の手を伸ばし、他
ばし、他の人があなたに帯
の人があなたに帯をさせて、あなた
の行きたくない所に連
の行きたくない所に連れて行きます。」(18)
1. “Very truly I tell you, when you were younger you dressed yourself and went where you
wanted; but when you are old you will stretch out your hands, and someone else will
dress you and lead you where you do not want to go.”” (v. 18)
2.聖書は続
2.聖書は続ける。「これは、ペテロがどんな死に方
ける。「これは、ペテロがどんな死に方をして、神の栄光
して、神の栄光を現すかを示して言
栄光を現すかを示して言わ
を現すかを示して言われ
たことであった。」(19)と。
2. The bible continues, “Jesus said this to indicate the kind of death by which Peter would
glorify God.” (v. 19)
B.「神様に自分の生涯を捧げる」と一言で言うが、実は、「二種類」のタイプの捧げ方がある。そのことが、こ
のイエス様の言葉に表されている。
B. We say “devoteing one’s life” but there are 2 types. Jesus’ words show that.
1.一つは、
1.一つは、イエス様がペテロに言
一つは、イエス様がペテロに言わ
イエス様がペテロに言われた「あなたは、若
れた「あなたは、若かったときには、自
かったときには、自分で帯
分で帯を締めて、
自分の歩
分の歩きたいところ
きたいところを歩きました。」と言う言葉に表されている
きました。」と言う言葉に表されている。
表されている。
1. Oneis shown in what Jesus said to Peter, “when you were younger you dressed
yourself and went where you wanted.”
(1)
これも「神様に捧げ
これも「神様に捧げ、神様のために生きる」生涯であるが、
捧げ、神様のために生きる」生涯であるが、自
、神様のために生きる」生涯であるが、自分のやりたい方法
分のやりたい方法、
方法、自分
の考え、自
え、自分のプラン、自
分のプラン、自分の得意
分の得意とする
得意とする方法
とする方法で
方法で、それをする道
それをする道を象徴している
象徴している。
している。
(1) This is also a life to devote and live for Jesus, but it symbolizes a path of doing so
according to one’s ideas, plans and in the way one is good at.
(2)
これは大
これは大事なことである。神様は、それぞ
なことである。神様は、それぞれに得意
れに得意の分
得意の分野
の分野と才能を下さっている。私た
才能を下さっている。私た
ちが、それを用
ちが、それを用いて神の栄光
いて神の栄光を現すことは
栄光を現すことは、神様の
を現すことは、神様の御心
、神様の御心であり、ご
御心であり、ご計画
であり、ご計画である。
計画である。
(2) This is important. God gave each one an area of specialty and talent. It is God’s
will and plan for us to use them and show God’s glory.
(3)
私たちは、「牧
私たちは、「牧者となれ」と言う
者となれ」と言うイエス様の
と言うイエス様の命
イエス様の命に従い、神様のために
い、神様のために生きるべく、もっ
ために生きるべく、もっ
と積極的に
積極的に自
的に自分の得意
分の得意とする分
得意とする分野
とする分野、才能をもってプランを
才能をもってプランを立
をもってプランを立てて生きるべきである。
4
(3) We should proactively plan according to our area of strength and talent and live
our lives in order to follow Jesus’ mission to “be shepherds” and live for God.
(4)
(4) Here are some familiar examples:
具体的には、
具体的には、卑
的には、卑近な例を挙げるなら、
挙げるなら、
●音楽が得意、
得意、或いはできる人は、歌
いはできる人は、歌なり、楽器演奏
なり、楽器演奏の
楽器演奏の賜物を
賜物を用いるべきである。
●If you are good at or can play music, you should use your talent to sing or play
an instrument.
●コンピュ
コンピューター
ピューター等
ーター等の技術や
技術や知識を
知識を用いることもできる。
● You can use your computer skills or knowledge.
●子どもの好
子どもの好きな人々、得意
きな人々、得意な人々はチャイルド
得意な人々はチャイルドケア
な人々はチャイルドケア―をすることもできる
をすることもできる。
こともできる。
● If you like children and are good with them, you can provide child care.
●皆さまが持
皆さまが持っている社
っている社会的立場
会的立場・地
立場・地位
・地位、人間関係、人脈
、人間関係、人脈を用いることもできる。
神様に仕
神様に仕え、ることもできる。
●You can use your social position, relationships and connections to serve God.
(5)これらが、周囲
これらが、周囲の人々、また世界の果てにいる人々に、
周囲の人々、また世界の果てにいる人々に、牧
の人々、また世界の果てにいる人々に、牧者としての働きに直接
者としての働きに直接的に
直接的に役
的に役
に立つことも、また、間接
つことも、また、間接的に、即ち牧
的に、即ち牧者としての働きをしている人々を助
者としての働きをしている人々を助ける意味
ける意味で、
意味で、
貢献することもある。チー
貢献することもある。チームワ
することもある。チームワークである。チー
ムワークである。チーム伝道
ークである。チーム伝道、チー
ム伝道、チーム牧
、チーム牧会である。
ム牧会である。
(5) These things can directly contribute to the work of shepherds for people around
you or in the furthest corners of the world, or indirectly help those who are
working as shepherds. It is teamwork. Team evangelism, and team ministry.
(6)
あるア
あるアメリカの大教会の牧師
メリカの大教会の牧師が、ある時、その教会の日曜
牧師が、ある時、その教会の日曜礼拝
が、ある時、その教会の日曜礼拝中のチャイルド
礼拝中のチャイルドケア
中のチャイルドケアの
ケアの奉
仕者たちに言った。「あなたがたがいるから、あなたがたの奉仕
者たちに言った。「あなたがたがいるから、あなたがたの奉仕があるから、私が
奉仕があるから、私が牧
があるから、私が牧者
として皆さんにみ
として皆さんにみ言葉のご奉仕
言葉のご奉仕を十分にすることができる。それなくして、私は私の
奉仕を十分にすることができる。それなくして、私は私の牧
を十分にすることができる。それなくして、私は私の牧
者としての務
者としての務めを果たすことはできない」と。
(6) The pastor of a huge church in the US once said to the child care workers during
the Sunday service, “Because of you, because of your work, I can fulfill my work
as a shepherd. Without your work, I cannot complete my duties.”
2.しかし、もう一つの
2.しかし、もう一つの道
しかし、もう一つの道がある。それは、
がある。それは、「年をとると、あなたは
それは、「年をとると、あなたは自
「年をとると、あなたは自分の手
分の手を伸ばし、他
ばし、他の人
があなたに帯
があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連
をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます」
れて行きます」と言うイエス様の言
葉に表されている。
葉に表されている。
2. But there is another path. It is shown in Jesus’ words, “when you are old you will
stretch out your hands, and someone else will dress you and lead you where you do
not want to go.”
(1)
それは、同様に、神様に仕
それは、同様に、神様に仕える道
える道であるが、自
であるが、自分では好
では好まない、好
まない、好きじゃ
きじゃない、できれ
ば、やりたくない、いやな方法
ば、やりたくない、いやな方法と
方法と状態で、それを
状態で、それを果たす
で、それを果たす道
果たす道を象徴している
象徴している。
している。
(1) It is similarly a way to serve God, but it symbolizes a path where we do so in a way
that we do not like and we would rather not choose.
(2)
(19)
(2) And the ultimate end is “death”, the Bible says. Verse 19 says, “Jesus said this to
indicate the kind of death by which Peter would glorify God.”
(3)
そして、その究極
そして、その究極は「死」であると聖書は言うのである。即ち「これは、ペテロがどん
究極は「死」であると聖書は言うのである。即ち「これは、ペテロがどん
な死に方
な死に方をして、神の栄光
をして、神の栄光を現すかを示して
栄光を現すかを示して言
を現すかを示して言われたことであった」 とある。
「死」と言うと、多
「死」と言うと、多くの人は、ビ
くの人は、ビックリして引
ックリして引くか、ただ一つの極端
くか、ただ一つの極端な表現として、聞
極端な表現として、聞
き流してしまうのではないか?
してしまうのではないか?
(3) When “death” is mentioned, people tend to step back or just let it pass as an
extreme expression?
(4)
しかし、死と言う言葉は、聖書の中で、クリスチャン生涯の何たるかを表す言葉、また
事実として極
実として極めて重要
めて重要な言葉である。
重要な言葉である。例
な言葉である。例を挙げるなら、
挙げるなら、
5
(4) Yet the word death is an extremely important word in the Bible, which shows what
Christian life is all about and as a fact. To name a few example:
●
16 24
マタイ 章 節「誰
節「誰でも、私について来たいと思うなら、自
でも、私について来たいと思うなら、自分を捨て、自
分を捨て、自分の十字
架を追
架を追い、・・・」これは、明らかに死を意味
い、・・・」これは、明らかに死を意味している。
意味している。
●Matthew 16:24. “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and
take up their cross and follow me.” This clearly means death.
●
6
ローマ 章4節「私たちは、キリストの死にあ
節「私たちは、キリストの死にあず
キリストの死にあずかるバ
かるバプテスマによって、キリスト
と共に葬られたのです」
●Romans 6:4 “We were therefore buried with him through baptism into death.”
●同 6 節「私たちの古
節「私たちの古い人がキリストと共
い人がキリストと共に十字架に付
に十字架に付けられた」
●Romans 6:6 “For we know that our old self was crucified with him.”
●ガラテヤ
ラテヤ 2 章(19/20 節「私はキリストとともに十字架に
節「私はキリストとともに十字架に付
ともに十字架に付けられました。もはや私
が生きているのではなく」
●Galathians 2:19-20 “I have been crucified with Christ and I no longer live…”
●使徒の働き 1 章 8 節に「聖霊があなたがたの上に臨む
に「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは
臨むとき、あなたがたは力
とき、あなたがたは力を受けま
す。そしてエルサレム
す。そしてエルサレム、
サレム、ユダヤ全
ユダヤ全土、サマリヤ
マリヤ、地の果てまで私の証
地の果てまで私の証人となる」とあ
る。この「
る。この「証
この「証人」と言う言葉からキリスト教界の
人」と言う言葉からキリスト教界の「
キリスト教界の「殉教者」と言う言葉が生まれた。
●Acts 1:8, “But you will receive power when the Holy Spirit comes on you; and
you will be my witnesses in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the
ends of the earth.” From the word “witness”, the word “martyr” in Chrstianity
was born.
●なぜか?
それは、初
それは、初代キリスト教界において信仰者として証
キリスト教界において信仰者として証人となろ
人となろうとするなら
「死」を覚悟
「死」を覚悟しなければならなかったからである。
覚悟しなければならなかったからである。証
しなければならなかったからである。証人=死を意味
死を意味していたのである。
意味していたのである。
●Why? That is because one had to prepare for “death” if he wanted to be a
witness as a believer in the early church era. Being a witness meant death.
しかし、だからと言って、それはいつでも、肉体
しかし、だからと言って、それはいつでも、肉体的な
肉体的な文
的な文字通りの死、殉
字通りの死、殉教を意味
教を意味しては
意味しては
いなかった。それは、本質的には、象徴
いなかった。それは、本質的には、象徴的、霊的
象徴的、霊的な死を
的、霊的な死を意味
な死を意味していた。
意味していた。
(5)
(5) But even so, it did not always mean physical death or martyrdom. Essentially it
meant symbolic and spiritual death.
●
6
即ち、先
即ち、先に読んだローマ 章6節に「私たちの古
節に「私たちの古い人がキリストとともに十字架につ
けられた」とあるように、
●As we have read in Romans 6:6, “For we know that our old self was crucified
with him”…
●私たちの「古
私たちの「古い自分」に死ぬ
分」に死ぬこと。即ち、まだイエス様を受
こと。即ち、まだイエス様を受け入れ、信じ、従
れ、信じ、従がう前
の「私」「自
の「私」「自分」に対して死ぬ
分」に対して死ぬことである。それは、どんな人であったか?
ことである。それは、どんな人であったか?
●It is about dying to our old self.
That is, dying to our old “self” before accepting,
believing and obeying Jesus. What kind of a person was it?
●それは:自
それは:自分が好
分が好きなことはやる、自
きなことはやる、自分のやりたいことはやる、自
分のやりたいことはやる、自分の良
分の良かれとおも
うことをやる、それ以
うことをやる、それ以外はやらない。
●That is: I will do what I like, I will do what I want to do, and what I think are good.
I will not do other things.
●あるいは、人が進
あるいは、人が進めたこと、事情
めたこと、事情が
事情が許すことをする、人が反
すことをする、人が反対すること、事情
対すること、事情が
事情が許さ
ないことはやらない。これが私たちの古
ないことはやらない。これが私たちの古い人の生き方
い人の生き方である。
●Or, it is to do what people recommend or what the conditions allow; not do what
people oppose or what is not possible. This is the way of our old self.
●しかし、イエス様を信じて始まった新
しかし、イエス様を信じて始まった新しい人生、新
しい人生、新しい人の生き方
しい人の生き方は、神様の御心
は、神様の御心で
御心で
あればする、御心
あればする、御心でなければしない。
御心でなければしない。
6
●But the life started anew believing Jesus would do things if it is God’s will, and
would no do if it is not.
●たといそれが自
たといそれが自分の嫌
分の嫌いで、好
いで、好まない、不安
まない、不安定な人生を
不安定な人生を意味
定な人生を意味していたとしてもである。
意味していたとしてもである。
●Even if it means an unstable life that we do not like.
これがもう一つの道
これがもう一つの道である。自
である。自分の好
分の好きな、思い通りの道
きな、思い通りの道と方法で神様に
方法で神様に仕
で神様に仕えられる時
もある。しかし、それが許
もある。しかし、それが許されない時が来る。そのときにも、自
されない時が来る。そのときにも、自分に死んで、神様のご
分に死んで、神様のご
計画に
計画に委ねて、
委ねて、神様
て、神様の
神様の栄光を現すようにとイエス様は、ペテロに
栄光を現すようにとイエス様は、ペテロに求
を現すようにとイエス様は、ペテロに求められたのである。
(6)
(6) This is another path. Sometimes we serve God in a way we like. But the time
comes when that is not possible. Even at such a time, Jesus asked Peter to die to
his self, leave it to God’s plan and show God’s glory.
C.これが、人間の牧者として生きる者の持つべき最初の資質、「神様に、すべてを捧げ、任せる生涯」である。
C. This is the first qualification for the ones who should live as shepherds – “a life where everything is
devoted and left to God.”
1.人生が、
1.人生が、順境
人生が、順境であれ、
順境であれ、逆境
であれ、逆境であれ、うまく行っているときでも、うまく行かないときでも、
逆境であれ、うまく行っているときでも、うまく行かないときでも、
自分に死んで、いつでも、それにこだ
分に死んで、いつでも、それにこだわ
それにこだわらず、それを言い訳
、それを言い訳にせず
にせず、イエス様にすべてを
捧げ、
捧げ、任せて、イエス様に仕
せて、イエス様に仕えるのである。
1. In life, under favorable or unfavorable circumstances, one is to die to self, devote and
leave everything to Jesus and serve Him, without complaining or giving excuses.
2.自
2.自分の好
分の好きな方法
きな方法で、
方法で、自
で、自分のやり方
分のやり方で、神様に仕
で、神様に仕えるだけでなく、自
えるだけでなく、自分の苦手
分の苦手な
苦手な道であれ、
自分の嫌
分の嫌いな道
いな道で、神様に仕
で、神様に仕えることが神様の御心
えることが神様の御心であることもある。
御心であることもある。しかし、
であることもある。しかし、
2. It may be God’s will for us to serve Him not only in the ways we want to but also in ways
we hate to or want to avoid. And yet,
3.それは、ペテロがそうであったように、私たちが
3.それは、ペテロがそうであったように、私たちが「死」を
私たちが「死」を経験
「死」を経験するべきことを
経験するべきことを意味
するべきことを意味している。
意味している。
3. As was the case with Peter, it means we need to experience “death”.
4.しかし、その死とは、必ず
.しかし、その死とは、必ずしも肉体
しも肉体の死を
肉体の死を意味
の死を意味しない。現に、使徒たち全員が
意味しない。現に、使徒たち全員が殉
しない。現に、使徒たち全員が殉教した訳
教した訳で
はない。ヨハネもその一人である。ましてやクリスチャン全員が殉
はない。ヨハネもその一人である。ましてやクリスチャン全員が殉教したのではない。
4. But this death does not necessarily mean physical death. Not all the disciples were
martyrs – John was not. Not all Christians were martyrs.
5.私たちクリスチャン全員が経験
.私たちクリスチャン全員が経験すべき死は、霊的死である。
経験すべき死は、霊的死である。古
すべき死は、霊的死である。古い自分に死ぬ
分に死ぬことである。
Ⅱ.人間の「牧者」として生きるクリスチャンの持つべき第二の資質は、「自分の生涯を人と比べない」ことである。
II. The second qualification people should have in order to live as “shepherds” is to not compare our
lives with others.
A,ペテロは、自分の生涯をヨハネの生涯と比べた。
A. Peter compared his life with John’s.
1.「ペテロを
1.「ペテロを振
ペテロを振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあ
り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあ
の晩餐の時、イエス様の
晩餐の時、イエス様の右側
の時、イエス様の右側にいて、
右側にいて、『
にいて、『主よ。あなたを裏
主よ。あなたを裏切る者は誰
切る者は誰ですか』
ですか』と言った者
である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。『
である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。『主よ。この人はどうですか』
主よ。この人はどうですか』」(20,21)。
5. The death we Christians need to experience is spiritual death, dying to our old selves.
1. “Peter turned and saw that the disciple whom Jesus loved was following them. (This
was the one who had leaned back against Jesus at the supper and had said, “Lord,
who is going to betray you?”) When Peter saw him, he asked, “Lord, what about
him?”” (verses 20, 21)
2.ペテロは、
2.ペテロは、自
ペテロは、自分の殉
分の殉教の運命
教の運命をイエス様から
運命をイエス様から告げ
をイエス様から告げられた。それは、まるで
告げられた。それは、まるで癌
られた。それは、まるで癌で死の宣告
で死の宣告を受
けたようなショ
けたようなショックであったであ
ショックであったであろ
ックであったであろう。
2. Peter was told by Jesus his fate as a martyr. He must have been shocked as if he was
told about his imminent death due to cancer.
3.その衝撃
3.その衝撃と動
衝撃と動揺
と動揺を克服しようとする中で、彼は
克服しようとする中で、彼はヨハネ
しようとする中で、彼はヨハネの人生と
ヨハネの人生と自
の人生と自分のそれを比
分のそれを比べた。
べた。
3. As he tried to overcome the shock and distress, he compared John’s life and his.
7
ペテロは、前からヨハネが気
ペテロは、前からヨハネが気になっていた。彼より若
になっていた。彼より若く、いつもイエス様に愛されてい
ると自負
ると自負している
自負している男
している男であり、あの晩餐
であり、あの晩餐のときも、イエス様に一
晩餐のときも、イエス様に一番近
のときも、イエス様に一番近く座っていた。
番近く座っていた。
(1)
(1) Peter was always curious about John. He was young and always said Jesus loved
him very much. At the last summer, he was sitting the closest to Jesus.
(2)
当然のこととしてペテロは、殉
然のこととしてペテロは、殉教、『
教、『死ぬ』ということを聞いて動
ぬ』ということを聞いて動揺
ということを聞いて動揺した。『
した。『でも、イ
エス様のため、信仰のためなら、それも仕方
エス様のため、信仰のためなら、それも仕方がないか
仕方がないか』
がないか』と自分に言いきかせたであろ
分に言いきかせたであろう。
(2) Naturally, Peter was upset to hear about martyrdom, “death”. But he probably said
to himself, “It is how it is, if I want to live for Jesus, for this faith.”
(3)
「しかし、それにしても
しかし、それにしても他
し、それにしても他の人はどうなのか?
の人はどうなのか? 死ぬのは私だけか?
のは私だけか? もし皆
もし皆が死ぬ
が死ぬな
ら、私も納得
ら、私も納得できる。特に
納得できる。特に、
できる。特に、いつも何かイエス様に
いつも何かイエス様にえこひいきされているように見える
イエス様にえこひいきされているように見える
あのヨハネ
あのヨハネはどうなのか」とペテロは思ったのである。
ヨハネはどうなのか」とペテロは思ったのである。
(3) Peter must have thought, “But how about others? Is it jus tme who will die? If
others will die prematurely also, I can understand. How about that John who looks
like he is treated differently?”
(4)
22
それで、彼はイエスさまに尋ね
それで、彼はイエスさまに尋ねた。
尋ねた。『
た。『主よ。この人はどうですか』
主よ。この人はどうですか』と。イエス様の答
と。イエス様の答え
は、 節あるように「私の来るまで、彼が生きながらえるのを私が望む
節あるように「私の来るまで、彼が生きながらえるのを私が望むとしても、それ
があなたに何のかかわ
があなたに何のかかわりがありますか。あなたは私に従
りがありますか。あなたは私に従いなさい」であった。
(4) That is why Peter asked Jesus, “Lord, how about him?” Jesus answered, as we
see in verse 22, “If I want him to remain alive until I return, what is that to you? You
must follow me.”
B.ここで明らかなことは、イエス様が、ペテロが自分の人生を他人のそれと比べることを嫌われたことである。
なぜ、イエス様は、私たちが人と比べることを嫌われるのか?
B. What is clear here is that Jesus did not like Peter comparing his life with others. Why does Jesus
hate it when we compare ourselves against others?
1.第一
1.第一の
第一の理由は
理由は、人と自
、人と自分を比
分を比べることは、ネ
べることは、ネガティブな結果こそあれ、そこから何のプラス
ィブな結果こそあれ、そこから何のプラス
も生まれないからである。
も生まれないからである。
1. The first reason is that nothing positive comes out of comparisons, in addition to
negative results.
(1)
(1) Comparing with others is different from learning something from others’ life.
人と比
人と比べることは、人の人生を見て、そこから何かを
べることは、人の人生を見て、そこから何かを学
何かを学ぶこととは違
こととは違う。
●私は、最近
私は、最近、ある人の強烈
、ある人の強烈な
強烈な奨めもあってTV
めもあってTVジャ
TVジャパ
ジャパンを入
ンを入れた。以
た。以来、そのドキュ
、そのドキュ
メンタリー的番組
メンタリー的番組で
番組で沢山の人の人生について見るようになった。
沢山の人の人生について見るようになった。
●I recently started subscribing to TV Japan, as recommended strongly by
someone. I have since watched and learned about many people through a
documentary program.
●そして、そこから沢山
そして、そこから沢山のことを学び、チャ
沢山のことを学び、チャレ
のことを学び、チャレンジを受
ンジを受け、励
け、励まされて来た。
それは、私の人生とその人の人生とを
それは、私の人生とその人の人生とを比
私の人生とその人の人生とを比べているのではない。
●I have learned many things, have been challenged and encouraged.
しかし、
But I am not
comparing my life with others’.
●他の人生を見ながら、学んでいるのである。これは大いなる
の人生を見ながら、学んでいるのである。これは大いなる益
これは大いなる益である。
●I am learning by watching others’ life. This is a great benefit.
しかし、他
しかし、他人と比
人と比べることは、比
べることは、比べることによって、変
べることによって、変に安心して
安心して成長
して成長や
成長や努力を
努力を怠るよ
うになったり、傲慢
うになったり、傲慢になったり、
傲慢になったり、逆
になったり、逆に僻んだりするというネ
んだりするというネガティブな結果を
ィブな結果を産み
な結果を産みだす
産みだす。
だす。
(2)
(2) But to compare with others often produces negative results such as failing to grow
or make efforts, thinking that we are better off than others, or being proud or
jealous.
(3)
(3) That is why Jesus does not like it when we (servants of God) compare with others.
だから、イエス様は、神様のしもべである私たちが人と比
だから、イエス様は、神様のしもべである私たちが人と比べることを嫌わ
べることを嫌われるのである。
嫌われるのである。
8
2.第
2.第二の理由は、神様は、それ
理由は、神様は、それぞ
は、神様は、それぞれ一人一人に最善
れ一人一人に最善・最高
・最高の人生を備えておられるからである。
私たちの人生は、それぞ
私たちの人生は、それぞれ皆違
れ皆違う。
世界に 億の人がいるなら、 億の違った人生を神様は備えておられる。一つとし
て同じ人生はない。
2. The second reason is that God has parepared the best life for each one of us.
(1)
(1) Our lives are so diferent.
●
70
70
●If there are 7 billion people, God had prepared 7 different lives.
There is none
that is similar to others.
●現に、同じキリストの使徒でありながら、ペテロは
現に、同じキリストの使徒でありながら、ペテロは殉
同じキリストの使徒でありながら、ペテロは殉教し、ヨハネは 100 才を超える
まで長
まで長生きすると言うような、地上的な運命
生きすると言うような、地上的な運命から言う
運命から言うと
から言うと全く違
全く違っている。
● Actually, though same disciples of Christ’s, Peter was martyred, and John lived
beyond 100 years – very different in terms of earthly fate.
●
25
2 1
この地上には、丁
この地上には、丁度マタイ 章の5
章の5、 、 タラントのしもべたちのように、持
タラントのしもべたちのように、持って
生まれたもの、環境
環境、
生まれたもの、
環境、境遇において、
境遇において、格差
において、格差、
格差、差別、不公平
別、不公平は一
不公平は一杯
は一杯ある。
ある。
● Just like the servants with 5 talents, 2 and 1 in Matthew 25, there is a lot of gap,
discrimination, inequality in terms of what we were born with, the environment,
and the circumstance.
しかし、聖書は、その違
しかし、聖書は、その違いを地上的にだけ見てはならないと強調
いを地上的にだけ見てはならないと強調する。
強調する。な
する。なぜなら人生の
結論と最終
と最終的祝福はこの地上では見られないからである。天
的祝福はこの地上では見られないからである。天国まで待たね
まで待たねばならない。
(2)
(2) But the Bible emphasizes that we should not focus on earthly differences because
our life’s conclusion and final blessings cannot be seen on the earth. We need to
wait till heaven.
●
25
だから、上述
だから、上述のマタイ 章のタラントの譬
章のタラントの譬えでも、地上的には違
えでも、地上的には違う結果を産み
う結果を産み出し
産み出し
たしもべたちに、天国
たしもべたちに、天国に相当する主人からの
相当する主人からの報奨
する主人からの報奨は全く同じであった。
報奨は全く同じであった。また、
は全く同じであった。また、
● Therefore, in the parable of talents in Matthew 25 above, the servants who
produced different results on the earth received the same reward from the
master who symbolizes the heaven.
●
16
● The positions of the rich man and the poor man Lazarus reversed in heaven in
Luke chapter 16.
ルカ
章に記されている金持
章に記されている金持ちと
金持ちと貧乏
ちと貧乏人ラ
貧乏人ラザ
人ラザロの立場
ロの立場は天
立場は天国
は天国で完全に逆転
で完全に逆転している。
逆転している。
イエス様が、ペテロを始め、私たちに、
イエス様が、ペテロを始め、私たちに、「
に、「比べてはならない」言わ
べてはならない」言われる理由
れる理由は、
理由は、
●この地上の不幸
この地上の不幸が
不幸が不幸ではない
不幸ではないからであり、
ではないからであり、この地上の
からであり、この地上の幸
この地上の幸せが幸
せが幸せではないからである。
(3)
(3)The reasons why Jesus tells Peter and us not to “compare” are:
● Earthly misfortune is not true misfortune, and earthly happiness is not true
happiness.
●神様は、天
神様は、天国での私たちの
での私たちの永遠
私たちの永遠の
永遠の幸せのために、一人一人の地上の人生を、「
せのために、一人一人の地上の人生を、「不幸
一人一人の地上の人生を、「不幸」
不幸」
をも含めて、
をも含めて、愛と知
愛と知恵による最善
による最善の計画をもって
計画をもって導
をもって導いておられるからである。
● God is guiding our lives individually with His best plan with love and wisdom,
including misfortune, for our eternal happiness in heaven.
●即ち、イエス様の御
即ち、イエス様の御目の前には、どの人生も同じように最善
目の前には、どの人生も同じように最善、最高
、最高の人生なのである。
● That is, before Jesus’ eyes, all lives are similarly the best.
●だから、比
だから、比べて「どうの、こうの」と言って欲
べて「どうの、こうの」と言って欲しくないのである。
しくないのである。
● Therefore, He does not want us to compare and say this and that.
●殉教するペテロの人生も最高
教するペテロの人生も最高、流刑され、長
され、長生きしたヨハネの人生も最高
生きしたヨハネの人生も最高なのである。
● Peter’s life as a martyr is the best; John’s exiled and long life is also the best.
だから他
だから他人の人生と
人の人生と比べることは、神様への挑戦
べることは、神様への挑戦であり、
挑戦であり、不
であり、不信であり、不服従
信であり、不服従である。
不服従である。
(4)
(4) Thus comparing our life against others is like challenging God as well as mistrust
and disobedience.
9
結 論
Conclusion
●10 才で病気から、瞬
から、瞬きすること以
きすること以外のすべての運
外のすべての運動機能を奪われ、体
れ、体を動かすことは
かすことは勿
ことは勿論、話すこと
もできなくなった水
もできなくなった水野源三さんが、8 歳で全盲
で全盲になろ
になろうとしていた少年に贈
うとしていた少年に贈った励
った励ましの言葉:「他
ましの言葉:「他
人と比
人と比べないで生きて下さい」。「人と
べないで生きて下さい」。「人と比
「人と比べないで、自
べないで、自分の人生を生きる」これが秘訣
分の人生を生きる」これが秘訣である。
である。
● Genzo Mizuno, who at the age of 10 lost all his bodily functions, except for blinking his eyes,
said to a boy who was going to lose his sight at the age of 8, “Please live without comparing
with others.” Living without comparing with others is the secret.
●「人間の牧
人間の牧者」として生きる者
として生きる者が
生きる者が持つべき必
つべき必要な二つの「資質
つの「資質」を復
資質」を復習
」を復習しよう。
● Let us review the 2 qualifications for those who life as “shepherds of men”.
自分の生涯を、
分の生涯を、神様の手に委ね、死ぬ
、死ぬことも含めて、命
ことも含めて、命と人生の全部を神様に捧げ
と人生の全部を神様に捧げること
捧げること
他の人と自分の人生を絶対に比
分の人生を絶対に比べないで、
べないで、自
で、自分は自
分は自分の人生に与
分の人生に与えられた人生を生きること
えられた人生を生きること
ペテロはそれを実行した。それゆ
ペテロはそれを実行した。それゆえ祝福された。あなたも・・・・
え祝福された。あなたも・・・・
①
① to leave one’s life in God’s hand and devote one’s life and everything in it (including death) to God
②
② to live the life that is given to us without ever comparing with others.
‼
Peter carried that out; therefore he was blessed. And you too…..!!