ろうを生きる難聴を生きる2016年5月

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ろうを生きる難聴を生きる
放送(土)20:45-21:00 ETV
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2016 年5月提案
再放送(金曜日)12:45-13:00 Eテレ
まだまだ輝きたい!
(担当:文化福祉/山岡 PD) ※新規
瀬戸内海を望む広島県尾道市に、去年12月にオープンしたペンション&カフ
ェがある。築100年の古民家をフランス風の洋館に作り替えた。手がけたのは、
聴覚に障害があるお年寄りたち5人。建築会社や車の部品製造工場などで働いて
いた人たちで、障害を持つ人に就労支援をしているNPOが後押した。床が抜け
落ちていたり、屋根に穴が開いていたり・・・、はじめは誰も完成のイメージを
持つことができないほど、ボロボロだったという。しかし、お年寄りたちは、大
工仕事や溶接技術など、これまでに磨いた技を生かして、天井、階段、床張り・・・
とひとつひとつ再生させていった。
リーダーの中川俊明さん(87)は、元大工。建設会社に定年まで勤めて、そ
の後は老後を奥さんと静かに暮らしていた。数年前に奥さんがなくなり、老人ホ
ームに入居する予定だったが、この古民家再生に関わるようになり、断ることに
した。月の収入(月額5~6万)も増え、生活にはりが出たという。
尾道には築100年近くの古い建物がたくさんある。しかしそのほとんどが空
き家で、壊すには多額の費用がかかってしまう。時間はかかるものの、低料金で
再生できれば、新たな観光資源にもなると、期待が寄せられている。
現在は、2軒目の再生にとりかかっている中川さんたち。その挑戦を追う。
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アンコール・心あたたまる味を
(担当:文化福祉/田中 PD)
「私に経験を積ませてください」という紙が貼られたラーメン店が高崎にある。
ろうの土岐沢忠良さんが 2014 年 11 月に開業。魚介と鶏の出汁が入った優しい味
が評判だ。土岐沢さんは、自動車部品を製造する会社に勤めていたが脱サラを決
意。独学で研究を重ね、開業した。しかしオープン当初は、思うような味が出せ
なかった。言葉が通じないことに戸惑う客も多く、閑古鳥が鳴いていたという。
そこで土岐沢さんはスープの味を3回も改良。地元の新聞に掲載されるようにな
った。すると変化がおきた。チャーシューの隠し味を教えてくれる客、注文をと
るのを助けてくれる客など、様々な人が土岐沢さんをフォローするようになった
のだ。こうして店は、ようやく軌道に乗った。
番組では、ラーメン作りに励む土岐沢さんと、店主を支える常連客の姿を描く。
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「夕陽に込めた思い」 ─陶芸家・福嶋伸彦さん─
(担当:生活食料/馬場 PD) ※新規
ろうの陶芸家、福嶋伸彦さん(59)
。国内外で数々の賞を受賞。パリやニューヨ
ークでも個展を開く越前焼の第一人者だ。福嶋さんは「掻き落とし」という伝統
技法を使い、夕陽をモチーフにした色鮮やかな作品を数々製作している。掻き落
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としは陶器の表面に単色の釉薬を塗り乾かした後、金串を使って掻き削り模様を
描く技法。福嶋さんはそれを進化させた。複数の釉薬を使い、また掻く深さを変
える事で色彩の濃淡も表現する。遠近感豊かな夕陽の情景はまるで絵画のようだ。
夕陽には福嶋さんの強い思いが込められている。2歳の時、薬の副作用で聴力
を失った福嶋さんは、その9年後更に不幸に襲われる。実家の町工場が倒産し、
家族離散の憂き目にあったのだ。出稼ぎのため東京に向かう事になった両親は耳
の聞こえない子どもに新天地での生活は無理と判断。福嶋さんは親戚に預けられ
る事になった。一人親戚の家に向かう車中、窓から見えたのが越前海岸に沈む真
っ赤な夕陽だった。福嶋さんはその夕陽に「もう涙は流さない。聞こえない事で
これから数多く訪れる不幸にも絶対に負けない」と誓ったという。
今年4月、福嶋さんは2年ぶりに個展を開き、掻き落としの技を駆使した新たな大作
に挑むという。福嶋さんの新作づくりを追う。
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手話が認められるまで
(担当:文化福祉/長嶋 PD)
※新規
かつて手話が否定された時代があった。そのことを物語る膨大な資料が、今、
全国各地から京都市に集められている。今年 3 月、全国手話研修センターが開所
した「手話総合資料室」
。ここには、明治時代のろう学校が使用した指導教本など、
ろう教育に関する文献を中心とした 281 点の資料が保管されている。
明治時代、手話はろう学校で広く使われていた。しかし大正になると、大きく
変わる。手話には「文法がない」「単語の羅列」
「語彙が少ない」と批判されるよ
うになったのだ。その結果、手話は言語として認められない、日本語の獲得の妨
げになると言われるようになった。
『聾者を人間の言葉の世界に引きいれねばならぬ』
(1940 年「聾教育学精説」)
学校では、ろう児の手を縛ったり、体罰を強化するなどして、手話の使用を禁止。
口の動きを読み取る「口話」での指導が行われるようになった。
しかし「口話」だけでは、
「たばこ」と「たまご」の違いが読み取れないなど、
限界がある。授業内容がわからないまま、卒業していく子どもたちが目立つよう
になった。
1970 年代になると、欧米で手話の研究が進み、言語として体系づけられること
がわかってきた。そして極端な口話教育を反省する空気が生まれる。1990 年代後
半になると、3 校のろう学校が、幼稚部から積極的に手話を導入。2006 年には、
国連が手話を言語として認めたのを機に、日本各地で手話言語条例が生まれるよ
うになり、手話を尊重する社会がようやく実現した。
番組では、資料室の文献から、苦難に満ちた手話とろう者の歴史をひもといて
いく。