Page 1 59 ミシェル・フーコーによる封印状の歴史 [要 旨] フランス旧体制

59
ミシェル ・フー コーに よる封 印状 の歴 史
田
〔
要
中
寛
一
旨〕 フランス旧体制下における国王の命令書である封印状は,1
8世紀にあって混
発 され,無数の市民を裁判所に送致することもなく監禁 したことで,従来より絶対王政
下における国王の窓意の象徴 と見なされてきたが,実際はその多 くが,家庭内の混乱を
収拾するべ く,家族の一員によって請願 された結果,賜与 されたものであることを 「
考
古学」的に解明 した, ミシェル ・フーコーの論文 「
汚名に塗れた人びとの生活」 とアル
レット・77ルジュとの共同作業により民衆の請願書を編集 した 『
家庭の混乱』に関す
る考察。
〔
キーワ- ド〕 封印状,絶対王政,監禁,警察総監,一般施療院
Ⅰ
お よそフランス史 にあって封印状 (
l
e
t
t
r
e dec
a
c
he
t
) とは,古 く旧体制下 における国王の
命令 書一般 を指 し, これ には王令 の登 記 を要請す る高等 法 院宛 の書状 な ど も含 まれ てい た
が,1
7世紀後半か ら大革命 にいたるまでの絶対王政下 にあっては,た とえば反乱 を企てた貴族
とか不実 を働 いた臣下 といった国事犯の追放 または監禁 を,一切 の司法手続 を経 ることな く,
国王が専横 的に命ず るために認めた書状 を意味す るようになる。国王の署名のみな らず,国務
卿 (
secr
6
t
a
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r
ed'
f
:
t
a
t
)による副署 を要 し,封蝋 に国王印璽が刻 まれていたため この呼称があ
,「国王 印璽 の刻印 に よ り認証 され,国王
る。1
9
84年発行 の 『ラルース大百科事典』 によれば
の署名 した封書で,行政権 によ り一個 人を投獄 ,監禁, または追放せ しめ る君主の命令 を封入
(
1
)
した もの」 とある。多 くの場合 ,書面 は画一的で半 ばは印刷 されてお り,国王は逮捕者の氏名
と投獄先,それ に決定の 日付 を書 き入れるだけで よか った。 た とえば半生 を監禁施設で送 った
と言 って も過言でないあのサ ド侯爵 を,最初 に投獄せ しめた封 印状 は次 の とお りである。 なお
署名者のルイ とは もちろんルイ1
6世の ことであ り, フェリポー とは時の国務卿 である。
ギ ヨネ殿 ,余 は貴殿 にこの書状 を認め,サ ド侯爵 を余が ヴ ァンセ ンヌ城の主塔 に迎 え,
余か らの新 たな命令 ある まで,そこに留め置 くよう命ず る。
余 はギ ヨネ殿 に神 の ご加護のあ らんことを祈 る。
1
7
6
3年1
0月29日, フォンテーヌブローにて作成O
ルイ
(
2
)
フェ リポー
こう して封印状 を執行 された者 は,バスチーユや ヴァンセ ンヌ といった悪名高い国家監獄 に,
理 由 も告知 されぬ まま連行 され,期 間 も指示 され ることな く留置 され,重罪でなければ裁判 に
かけ られることもな く,いつかは秘密裏 に釈放 されていたのであ る。理由は さまざまにせ よ,
60
天 理 大 学 学 報
封印状 によりこれ らの監獄 に投獄 された者 には,バ ソンピェールやブーケ といった家 臣, ミラ
ボー侯爵やブランヴ イリエ侯爵夫人 といった貴族,ヴオルテールやデイ ドロといった哲学者,
ランゲやラチュ- ドといった政治風刺記者 な ど枚挙 に暇がない。 これ らの人物のなかには明 ら
かな犯罪や怪 しげな陰謀 に加担 し,死刑や流刑 に処せ られた者 もいるが,多 くは何 らかの筆禍
事件 により国王の禁忌 に触れたゆえに, したが って犯罪 に対する刑罰 としてではな く監禁 され
たのである。書式が印刷 されていた とい うの も, これが濫発 された証拠であ り,た とえばル イ
1
5世の治世下,1
7
41
年か ら1
775年の35年間で約 2万通が発令 された とい うか ら,民衆の評判 は
す こぶる悪かった。封印状 は 「
バスチーユ」 とともに,絶対君主の窓意の象徴 と見 なされ, フ
ランス革命 を呼んだ一因 とされたのである。
しか しなが ら封印状 に対するこうした見方は一面的に過 ぎず,その濫用は実際の ところ君主
の専横のみの結果ではなかった。 とい うの もその大部分 は,家庭生活を悲嘆の淵へ と追い込ん
だ家族の一員 を,排除することによって事態の収拾 を図るべ く,身内により請願 された結果 に
他 ならなかったか らである。た とえば前述 したサ ド侯爵の投獄 にせ よ,その淫蕩を知 った義母
か らの訴状 による ものであって,国王 自身の 自発的な判断ではない。 ミラボー侯爵 は女性問題
により息子の ミラボー伯爵の投獄 を願い出て, またヴオルテールは自分 を誹誘 中傷 した女家主
を監禁するよう訴 え出て,それぞれ封印状 の発行に成功 している。 これを要請 したのは,体面
を重ん じる貴族やブルジ ョワジーばか りではない。一般の市民が, どちらか といえば下層階級
に属する者たちが こぞって,殴打する夫 を,アル中の妻 を,非行 に走 った息子 を,駆け落 ち し
た娘 を,賄費 を支払 うことを条件 に監禁 して くれるよう王権 に槌 り出たのである。国事犯 に対
する国王封印状 に対 して,こちらは家族封 印状 と呼ばれて区別 されることもある。前掲の 『ラ
ルース大百科辞典』 も 「
(大封 印状 )と言 われ るのは,たいてい地方総監 (
i
nt
e
ndant
)に よ
り請願 されたものであ り,(小封印状 )と呼 ばれるのは,家族がその成員 について醜聞 と判断
する事案 を処理するため,その意向に委ね られた ものである。後者の場合,請願書が国王 に差
し出 されると,地方総監 またはその補佐官により調査が行 われる。 これ らの書状 は1
8世紀 に濫
(
3
)
発 され,多 くの抗議 を引 き寄せ る」 というように,両者 を区別 して説明 している。封印状の実
際は,その悪評 にもかかわ らず,一種 の 「
公共サーヴィス」 に過 ぎなかったのである.
フランス史においては従来 よりこの封印状 に,君主の専横の象徴のみ を見 て取 る傾向が強か
ったのだが, これに対する一般的な見解 に変化 を促 したのは ミシェル ・フーコーである。すな
9
61
年の 『
狂気の歴史』 を書 く途上か ら,革命 によって散逸 しなが ら後 に再発見 さ
わち早 くも1
れ,現在 はアルスナル図書館 に所蔵 されている,1
8世紀の警察事案 に関す る膨大量の古文書で
ある 『
バスチーユ文書』 に接することで,精神病者 を含む不道徳者の監禁 にあたっては,家族
にこれ を要請す る権限があったことを認識 していたフーコーは,長年 にわたって封印状の この
実際 を明 らかに し,その発令 を求める請願書か ら読み取れる,当時の庶民の生活実態 を詳 らか
に したい と考 えていた。1
977年 に発表 された格調高い論文 「
汚名に塗れた人び との生活」 は,
同名の歴史資料集の序文 となるべ きもの として書かれたはずである。「あちらこちらのあ らゆ
る時代の痕跡 を採集 したような汚名の大拾遺集 に比較すれば, ここにある選集は見劣 りが し,
660年-1
760年 とい
偏狭で多少 とも単調であることは私 も承知 している。ほ とんどすべてが,1
00年間に遡及 し,同 じ源泉か ら派生 している記録文書が対象なのである。す なわち
う,同 じ1
監禁施設 と警察の公文書であ り,国王への請願書お よび封印状 といった古文書である。 ここで
,
汚名 に塗れた人 び との生活』が他 の時代 と他 の場所 とに拡大
は最初の第 1巻が問題であ り 『
りl
しうると想定 してお こう」。
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
61
結局 これが出版 されることはなかったが,その断ちがたい思いは,当時 まだ新鋭の歴史学者
であったアル レッ ト・フアルジュに協力 を請 うことによって,共同編集 とい う形で1
9
8
2
年 に公
刊 された 『
家庭の混乱』 をもって結実する。 これは封印状の下賜 を要請す る民衆の側か らの請
願書 を,夫婦関係 と親子関係 とに分類 し,時代 的な比較が可能なように1
7
2
8
年 と1
7
5
8
年の 日付
をもつ文書 を採録 した ものである。残念 なが らフーコーが期待 したほどの反響 を呼ぶ ことはな
かったが
,『狂気 の歴史」1お よび
『
監視 と処罰』 における所論 を補足 し,かつ進展 させ る もの
であって,フーコー独特の 「
考古学」的な手法 によ り再確認 された実際は,その権力論 を読み
解 く上で もきわめて貴重 な記録文書である。す なわち,「
封印状の歴史 を,不実 な貴族 とか礼
を欠いた臣下 を監禁す るための国王の御意だけを留めて きた,その分厚 い先入観の下 に追究す
る必要がある。権力の敵 を訴訟手続 を経ず して排除 しようとする公式文書 としての封印状。歴
史はこれ をバスチーユ 占領の象徴 とす ることによって,不朽の もの として しまった。国事 とは
(
5
)
別の事柄 を扱 った無数の国王書状が記憶か ら漏れ落 ちたのである」。
フーコーの編集 した歴史資料集 にはこれを含めて 3点あるが,その主要著書か らすれば周辺
的な位置 にあるためか, 日本語 に翻訳 されているのは,1
9
世紀の三重肉親惨殺事件の犯人の手
)
記 を主体 とする 『
私 ことピェ-ル ・リヴイエール』 (
邦題 『ピェール ・リヴイエールの犯罪 』
をおいてな く,また 『
家庭の混乱』お よび 「
汚名 に塗れた人びとの生活」 について も,言及 さ
れることはあって もこれを対象 とす る研究は, 日本語 はもとよりフランス語あるいは英語 にも
見当たらない とい う現状 に鑑み, これ ら 2点の著作 とその他の発言 ・記述 に則 し,フーコーの
導 きの糸 に従いつつ,封印状の実際 を明 らか にすることをもって,本論 における課題 とす ると
ころである。「
封印状 -監禁 とい う制度 はいかに も短 い挿話で しか な く, 1世紀余 りの期 間で
それ もフランスに限 られていた。それで も権力の機械装置の歴史 にあって重要であることに変
(
6
)
わ りはない」。問題の展 開にあた り, まずは当時のパ リの司法制度 と治安体制 を確認す ること
か ら始めたい。
Ⅰ
封印状 を発令す る国王 にしてみて も,依存するべ き司法制度が確立 していなかったわけでは
無論ない。領主裁判権 と錯綜 してはいたが,高等法院を最終審級 とする裁判機構 は確実 に機能
6
7
0
年 にルイ1
4
世の公布 した刑事訴訟王令 に見 られるように,多 くの刑事事件 は成
してお り,1
文化 された法律 に則 って審理 され,処罰 されていた と考 えて よい。 したが って国王のこうした
権限は,「国王留保裁判権」の一環 として成立 していた と解 されるのである。す なわち,王権
神授 に基づ く 「
スベテノ正義ハ王 ヨリ発ス」 とい う法格言の とお り,国王 はすべての裁判権 を
掌握 してい るが,普段 は これ を裁判所 に委 任 してい るだ けで あ って,「
国家 理性 (
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:
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a
t
)
」 を楯 にいつな りとも司法 に介入 し,審級 にせ よ判決 にせ よ自由に変更することがで
きる権能である。 フロン ドの乱 に見 られたような王権 と高等法院 との対立が根底 にあ り,国王
は司法手続 を踏むだけの時間的な余裕がない とい う理由で,通常の裁判 を省略 し行政措置 とし
て-一
個人 を一時的に監禁 しえたのである。「
封 印状 とい うのは法律 とか政令 ではな く,一人の
人物 に個 人的にかかわ り,何かをするように強制する国王命令で した。封 印状 によって誰か に
結婚するよう強制することさえで
きま した。 しか しなが ら大部分の場令,それは処罰の道具だ
(
7
)
ったのです」。
国王のみ に発令権限のあるこの封印状制度 を利用 した者がいる。高官 はその政敵 を失脚 させ
るため,貴族 はその対面 を汚 さぬため,それぞれ国王 に何某かの監禁 を願い出たのだが,それ
62
天 理 大 学 学 報
6
67年に
だけではない。すなわち,パ リにおける司法権 と警察権の分柾機能化 を図る目的で,1
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nantg6
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alde pol
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e)である. この官職は,現在の警視総監
設置 された警察総監 (
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f
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i
c
e) に相当 し,当時のパ リの警察組織 を統括す る役割 にあったが,その職務
は,治安維持や事件捜査 にとどまらず,交通 ・宿泊 ・食糧 ・市場 ・疫病 ・衛生 ・火災 ・照明 ・
教会 ・出版 などの,多岐 にわたる保安管理 を担 っていたのだか ら,パ リ地方総監 (
i
nt
e
ndant
de Par
i
s
)の職務 と錯綜 しつつ も,民政のほ とん どすべ て を掌握 してい た と言 って よい。
(po
l
i
c
e)とい う用語 を単 に 「
警察」 と解 しては誤解 を生 む恐れのある所以である。1
7世紀後
半 にあってパ リ警察は,担当地区の分割 による碁盤割 を完成 させてお り,警察総監の下 に,街
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o
mmi
s
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r
e),そ して実際 に地域 に浸透 し手足 となって動 き回る
区 ごとに配置 された警視 (
i
ns
pec
t
e
ur
)か らなる, ピラ ミッ ド型の強力な機講 を整備 し終 えていた。 この警察
私服刑事 (
柔軟で単純で迅速で手続の不要 な」封
総監が, さまざまな警察事案 を解決するにあたって,「
印状制度 を好んで多用 したのである。徒党 を組んだ労働争議の首謀者,公序良俗 を乱す売春婦,
騒乱の扇動者 と化す喜劇役者や大道芸人, もはや火刑 に処せ られは しない魔術師は, これが封
印状 によって監獄- と送 り込 んだ常連である。警察総監はまた司法官で もあ り,一方ではシャ
トレ裁判所 において,通常の刑事事件 も裁いていたのだが, これ らの司法制度 を利用せず王権
を頼 ったのは,国王 と同 じ口実,つ ま り裁判所 は時間を要す る とい うのがそれである。「
裁判
所は動 きが鈍 く,訴訟が開始 されない うちに罪人が逃走することもたびたびであった。現行犯
の場合 を除いて判事が逮捕 しうるのは,逮捕令状 に拠る他 はな く,審理 を始めて も召喚 しなけ
れば証人の話 を聞 くことがで きなかった。それゆえ検事総長が封印状 による収監 を じかに要請
(
a
)
することも稀ではない」。
9
75年の 『
監視
だが監禁その ものが刑罰 と認識 されていたわけでは決 してない。 フーコーは1
と処罰』 において 「
事実,監獄 は- この点 に関 しては多 くの国が フランス と同 じ状況 にあった
が一刑罰体系 にあって限定的かつ周辺的な地位 しか持 ち合わせてはいなかった。法文がその証
67
0年の王令 は身体刑の うちに監禁 を挙 げてはいか 、
のである。[
-]その役割 は
拠である。1
個人 とその身体 に関す る担保の確保であ り,人 ヲ捕獲スルタメニシテ,処罰スルタメニアラズ,
と法格言は言 う。 この意味では,被疑者の投獄 は債務者のそれ と少 しく同 じ役割 を担 っている。
監獄 によって,ある人物 を確保 しはす るが, これ を処罰 してはいないのである。 [
-]実の と
ころ監獄 は,実務 にあって国王の恋意 と君主権の濫用に直接的に結びついていただけに,なお
さら信用 を無 くしていた。(牢獄 )
,一般施療院,国王命令あるいは警察総監命令,名士 とか家
族 によって獲得 された封印状 は,(正規の司法
(
9
))と並行 した, よ り多 くはこれ と対立 した,抑
」 と強調 したばか りでな く,その前年のある講演
圧的な実務その ものを構成 していたのであ る
興味深い ことに,監獄が1
7世紀 と1
8世紀の刑罰体系 にあって,合法的な刑罰で
において も,「
はなかったことに注 目しましょう。法学者はこの点 についてまった く明断です。彼 らは断言 し
て,法がある者 を罰するなら,処罰は死刑 ・火刑 ・八つ裂 き刑 ・熔印刑 ・追放刑 ・罰金刑 にな
ろうと言 うのです。監獄 は刑罰ではあ りません。1
9世紀の主要な刑罰 となる監獄 は,正 しくそ
の起源 を,集団の 自発的な管理 による王権の活用法である,封印状 とい うこの準司法的な実務
(
l
t
り
に置いているのです」 と述べて,封印状 による監禁か らの監獄刑への発展 を見ていたのである。
だか らこそ,一般市民 は民事案件 に過 ぎない家庭内の混乱 を収拾するべ く, この警察総監 に
封印状 を取 り付 けて くれるよう依頼す ることがで きたのである。封印状 による監禁は刑罰では
な く,その性質上か ら逮楠 も秘密裏 に行われるので,醜聞を引 き起 こさず に済んだか らである。
警察 に して も,民政 を掌握 している以上はその苦情処理 も引 き受けざるを得ず,持 ち込 まれた
63
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
民事案件 に介入せ ざるを得 なかった。いやむ しろ 「
1
8
・
‖世紀
l にあって警察は,そのままが民衆の
幸福 を建設す るとい うひとつの夢の上 に築かれている」 とい う命題か らすれば,進んで これを
受け付 けていた とも言えよう。「
パ リでの家族 に対す る監禁要請は首都 に特有 の手続 を経 る。
名家はその訴え (
請願書) を国王 自身にあるいは側近の大 臣に差 し出す。請願書が注意深 く吟
味 されるのは,国王の臨席する閣議 においてである。庶民 はまった く異 なる手続 を踏む。彼 ら
は警察総監 に請願書 を提出す る。総監はこれを執務室で吟味 し,調査 を指揮 し,判断を下す。
調査 は必然的に地区の警視 に案件の内容 を知 らしめる。警視 はその情報収集権限 を私服刑事 に
委ねる。 [
-]調査 を受けた総監 は大 臣宛 に詳細 な報告書 を記 し,国務卿が命令 を発送す るの
を待つのである。それが少 な くともルイ1
4世下 にあって用い られた最 も習慣的手続である。 こ
5
世の治世下 になると,やがて変形 し,次第に速度 を増すのである。 よく見かけるの
れがルイ1
は,警察総監が ご く短い所見 しか記 さず, もやは国王の返答 を待つことさえな く国王命令の執
(
1
2
)
行 に努める姿である」。
こうして封印状 を執行 された庶民が収監 される先 は,身分があ り高貴 なる者 を待遇 よ く監禁
した国家監獄 では無論 ない。民衆 には民衆のための監禁施設が整備 されていたのである。すな
6
5
7
年の勅令によって開設 された一般施療 院 (
h6
p
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lg
6
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r
a
l)がそれである。本来 は
わち1
当時の飢健 と疫病 に苦 しむ生活困窮者 を収容する慈善的な目的で設置 された, ビセ- トル (
男
子用)やサルペ トリエール (
女子用) といった施療院が,困窮者や浮浪者のみならず,警察総
監が封印状 によって送 り込んで きた,性病患者 ・放浪者 ・淫蕩者 ・浪費家 ・売春婦 ・同性愛者
・性倒錯者 ・涜神者 ・魔術 師 ・無宗教者 ・精神錯乱者など,不道徳 または非理性 にある者すべ
てを,公共福祉の一環 として閉 じ込め,これを監禁 したのである。 フーコーはすでに 『
狂気の
1
7世紀末 にあって,事態 は複雑化する と同時 に簡素化 される。1
6
6
7
年 3月,
歴史』 において,「
警察総監の職が設置 される と,多 くの (
パ リでは大部分の)拘禁はその要請 に基づいて,それ
も要請が大臣によって副署 されている とい う条件のみで実施 されるようになる。1
6
9
2
年以降,
最 も頻繁 な手続は明 らかに封印状である。家族 または関係者が国王 に監禁 を要請すると,国王
(
)
.
1
)
はこれを裁可 し,大臣によ り署 名 させてか ら下賜す るのである」 と断言 し 「まった く司法 に
,
は属 さず,正確 には宗教 にも属 さない この抑圧権力,国王の権威 に直結 したこの権力は,結局
の ところ専制政治の窓意性 を表す ものではな く,家族の要求の以後 きつ くなる性格 を表 してい
(
l
l
)
る。監禁は絶対王政 によ りブルジ ョワ家庭の随意 に任 された ものだったのである
」 と指摘 して
いる。誤解 してならないのは,その名称 にもかかわ らず,一般施療院が治療 を目的 とす る病院
などでは決 してな く,代用監獄 とも言 える強制収容所 に過 ぎなかった とい う事実である。「
最
初か らひとつの事実が明白である。す なわち,一般施療院は医療施設ではないのである。それ
はむ しろ半法律的な機構,一種の行政的な実体であって,既存の権力 と並行 し,裁判所の外部
にあって,決定 し裁定 し執行す る ものである。 [
-]一般施療院 とは,国王が警察 と司法のあ
(
)
5
)
いだに設立 した奇妙な権力,つま りは抑圧の第三機関なのである」。
「
封印状 は,臣下のひ とりを正規の司法手順 によらず監禁 させ るとい う,国王の急 を要する
特別の意志 を装いなが らも,下か ら来たこの要請への回答 に他 な らなかった。 しか し封印状 は
これを求める者 に,当然の権利 として交付 されたのではない。要請の妥当性 を判断するべ く,
ある調査が これに先立たねばな らなかった し, この放蕩 とか この飲酒癖 が, またこの暴力 とか
この無信仰が, まさしく監禁 に値するかどうか,するとすればいかなる条件 においてか,かつ
どれだけの期 間かを,明示 していなければならなかった。警察の任務はこれを行 うに当た り,
証言や密告,それに各人の周囲に立 ち込めた怪 しげなあの咳 きのすべてを掻 き集めることであ
64
天 理 大 学 学 報
(
1
6
)
った」。以下では 『
家庭の混乱』 に収め られた請願書 を実際 に検討す ることとす る。
Ⅱ
夫が妻のあるいは妻が夫の監禁 を願 い出る訴 因はさまざであるが,容易 に予想 しうるとお り,
飲酒 ・暴力 ・浮浪 ・淫蕩 ・不労 ・浪費 ・破産 ・不貞など,今 日なら民事不介入 を原則 とする警
察 よ りは,家庭裁判所 における離婚調停 または離婚裁判 として争われる事案であ り,配偶者の
素行 によ り家庭が崩壊 し,共同生活の続行が不能 となっているのだが,離婚制度がない以上,
封印状 による監禁 をもって訴 因の解消 を図る以外 になかったのである。家父長制度下 にあって
女性の法的地位 は低 く,妻 は夫の同意な くして法的行為 を行 えず, また自己の財産管理 も制限
される受動的な立場 にあったが,配偶者の監禁 を願い出るときは特 に差別 されることな く受理
された。「いずれにせ よ,妻 も夫 も封 印状 とい うこの手段 を利用す る。数字 は どの年度 にせ よ,
妻のほうが夫 よ りわずかに多 く,その伴侶の監禁 を要請 していることを示 しさえする。資料の
欠落 と数字の過少 を考 えれば,このわずかな差 に重 きを置いてはならない として も,奔走手段
の相互性 は,明確 にこれを強調 しておかなければならない。意外 なことにまた先入観 に反 し,
抑圧 を可能 とす るこの場所 にあって,女性 と男性が平等 な立場 にあるとい うことを提示 しうる
(
1
7
)
のは相当なことである。国王の裁定 に関 して もまた平等 である」。一般 に請願書 は,司祭 ・隣
人 ・親族 ・家主 ・店子 など,当事者 を取 り巻 く関係者の署名 した添 え書 きによ り,真実性が確
保 されていたが,具体的な行為 は黙 されている場合 も,大袈裟 に誇張 されている場合 もある。
た とえば寝取 られた夫が妻 を訴 え出る場合,「
夫 は妻の 肖像 を暗 く描 くことを好 む。そのイメ
ージを娼婦のそれに近づけるべ く細部 に細部 を重ねるのである。あたか も十分 に説得で きず,
国王命令 を得 られないことを恐れるかのごとく,あたか も警視や私服刑事の調査が,妻の関係
(
1
8
)
を危険がない と判断 して しまうことを恐れるかのご とく」。例示す るのは妻が夫 をその異常 な
生活 によ り訴 え出た事例である。
警察総監 閣下へ
謹啓
市内マ ドレーヌ小教区カネ ッ ト通 りに居住す る靴職人 ヴァンサ ン ・クロワゾ-の妻マル
グリッ ト・ルメールは,誠 に恭謙 して閣下 に申 し上げますが ,1
7年 ほど前 にクロワゾ-な
る者 と結婚いた しました ところ,これは婚姻 中い くらかの期 間は穏やかに暮 らして過 ご し
ましたが,その淫蕩やその暴言かつ涜神 で悪名 を轟か さず にお られな くな り, このため懇
願者 は双方の親族全員 を頼 りとして真実 を証明 し,下記著名人によりその証拠 を提 出いた
しますが,当該のクロワゾ一によって犯 された事柄 について調査 していただいてか ら,閣
下 に懇願者が適切 と判断するところを命令 していただ くようお願いす ることとな りました。
これで人様 に顔向けがで き,恥ずべ き結末 によって家族 に恥 をかかせ ることしか頭 にない
男 を,社会か ら排除する手段 とな りま しょう。懇願者 は閣下のご健康 とご繁栄 をお祈 り申
し上げます。
マルグリッ ト・ルメール (
当該者の妻)
私 は上掲の請願書 に言明 されている事柄の真実 と,当該のクロワゾ-が非常 に悪 しき輩
であ り, もはや放蕩 を続 けさせ ないよう,監禁 されて しかるべ きことを証明いた します。
1
7
2
8年 4月 7日パ リにて
65
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
聖 マ ドレーヌ教 会司祭長兼 司祭
デ ュアメル
ビェ -ル ・クロワゾ- (
当該者 の兄)
り
!
l
ニ コラ ・ア ンス レ (
当該者 の兄)
告発 の内容 はか な り漠然 と してお り, この男 の行状 は具体 的 には記 されてい ない。夫婦 が そ
の相手 を訴 える場 合 ,文面 には書 け ない事柄 も多 い。 「
糾弾 が,怒 りが,破綻 が,それで も手
(
2
0)
放す こ との ない禁 じられた領域」 が あ るので あ る。 この請願書 には別 に,警察総監 と思 しき人
物 の調査依頼文 の下 に,調査担 当官 の報告書が添付 されてい る。
私 は警視 イザ ボー殿 に,訴 えの な されてい る人物 の行状 を照会 し, その報告 につ いて思
7
2
8年 4月 5[
マ
マ
]目
慮 す る ところ を私 にお知 らせ くだ さる ようお願 いす る。1
かか る人物 の行状 について正確 に照会 いた しま した ところ, もはや彼 自身の兄弟が懲 戒
を要請 してお ります こ とを証 明す るほか はあ りませ ん。かか る請願書 の下部 に 目付 のあ る
証 明書 を記述 しかつ署名 した,マ ドレーヌ教 会 の司祭殿 が私 に断言 した ところに よれば,
誠 実 に暮 らす よう何度 か これ を励 ませ どもうま く行 か なか った との こ とであ ります。 また
最後 に, ブロワ司教 区の数名 に よる証 明書が,私 には誠 に真正 であ る ように思 え,疑 う余
地 な くかか る男 は この懲罰 に相応 しい こ とを申 し添 える次 第であ ります。
警視
イザ ボー
(
2
1
)
1
7
2
8年 5月2
0日
この事案 には これ らの記録文書 の ほか に,後 日談 とも言 える もう 1通 の請願書 が付録 されて
いるが,勝手 なこ とに今度 は夫 の釈放 を願 い出 る書状 であ る。表面 的 には監禁 された当事者が
示 した悔俊 を根拠 に してい るが,内実 は経 済 的 な困窮 が理 由で あ ろ う。 「
生活 が動 くたび に,
追加 の書状 が ファイル を厚 くす る こ とになる。 これ らの古文書 のすべ ては同 じだけの驚 くべ き,
また矛盾 した叫 びであ る。 これ らを通 して知覚 され るのが,他 に もま して明瞭 ない くつかの特
徴 であ る。 た とえば確 か に,夫が妻 を,の場合 よ り,妻 の ほ うが夫 を釈放 させ ようと努 め る。
もっ とも彼 女 たちはその経 済的 な理 由 をほ とん ど隠 しは しない。賄費 を支払 い なが ら子供 たち
の必 要 に応 えるこ との不 能性 であ り,夫 の不在 が相続 を凍結 す る身内の不幸 であ る。遺 産が強
(
2
2)
要す るのであ る」。
警察総監 閣下へ
謹啓
ヴ ァンサ ン ・クロワゾ-の妻 マ ルグ リッ ト ・ルメール と兄 ピェ -ル ・クロワゾ-お よび
家族 は,誠 に恭謙 して閣下 に申 し上 げ ますが,私 どもの請求で当該 の ヴ ァンサ ン ・クロワ
ゾ-は国王 の ご命令 によって逮捕 され, ビセ - トルに監禁 され ま した ところ,拘禁 も1
0ケ
月ない し11ケ月 に及 び,素行 を改 めて平穏 に暮 らす と決意 した ようであ り, また後見 人 も
これ に満足 してお ります ので, 閣下 , どうかその釈放 をお認 め下 さる よう懇願 いた します。
私 どもはかか るご厚 意 を期待 し,貴殿 の末永 きご健康 をお祈 りして止 み ませ ん。
マ ル グ リッ ト ・ルメール (
クロワゾ-の妻)
(
2
3)
ピェ - ル ・クロワゾ- (
その兄)
66
天 理 大 学 学 報
Ⅳ
『
家庭 の混乱」
】にあっては,添付 された序論 ・夫婦 関係資料 の概説 ・親子関係資料 の概説 ・
巻末の解説 とい う 4点の解説文の担 当は明示 されてお らず,いずれ もが共 同執筆 とい う体裁 に
あるが,編集作業 における資料 の取捨選択 については,親子関係 の文書 の選択 を担 当 したのが
フーコーであることは,その死後 の,次 の ような77ル ジュの証言か ら判 明 してい る。「
そん
,『家族 の混乱』のなかで男女関係 についての部分 を担 当 したの はわた しで,
なこともあって
彼 のほうは,親子 関係 にひ じょうに興味 を示 して,その部分 を担当 したのです。彼 はいった も
(
2
4
)
のです。 『
男女 関係 については,あなたの思 った とお りになんで も書 いて くだ さい』 とですね」。
汚名 に塗れた人び との生活」 との明瞭 な重複部分か らして,巻末の解説 だけが フー コ
だが ,「
ーの記述 した文章であ り,文体 と内容 を照合 してみるな ら,恐 らくは親子関係資料 に添付 され
た概 説 も, フアルジュの書いた文章 と推察 で きるのである。 プアルジュは フーコーへ の追悼文
恐 ら く彼 のほ う
のなかで,両者 による共同作業 を振 り返 りなが ら,次 の ように記 している。「
は,子供 に対 す る父母 の非 難 に, よ り関心 を示 してい た。 [
・
-]恐 ら く私 は,警 察総 監宛 の
長 々 しい手紙の なかで事細か に露呈 されている夫婦の騒然 たる関係 に, よ り敏感 になっていた。
しか し私 はこの分担 に確信があるわけで さえなか った。 とい うの も, まだ書 く段階ではな く,
(
2
5)
資料 を最大限 に身 に染み込 ませ て,熟慮す る段 階だったか らである」。
親子 間の衝突 には,盗癖 ・非行 ・同棲 ・淫行 ・放蕩 ・怠惰 な どを訴因 として挙 げることがで
[
-]それは後見行為 を弁明すべ
きるが,その底 には利害の対立が隠 されている場合が多い。「
き時期が両親 に訪 れた ときに,あるいは最初の結婚でで きた子供がその権利 を,義父母 または
(
26)
c ここで例示す るのは,身 を売 る
再婚でで きた子供 に対 して主張す る ときに起 こるのであるJ
娘 に対す る監禁の請願書である。
警察総監閣下へ
謹啓
s
e
nt
i
e
r
)作 業員, ジャン-バ チ ス
材木 商 レ ミ ・ロ ビネ ・ド ・グルナ ン氏 配下 の細 道 (
ト ・ルブランお よびその妻 は,誠 に畏 まって閣下 に申 し述べ ますが,その娘マ リーニ トウ
ス イヌの乱れた行状 を確信 してお ります私 どもは,いかなる結果 になろ うともこれ を監禁
させ る決心 をな し, これ を逮捕 しサルペ トリエールへ連行 させ る力 を私 どもにお与 え下 さ
い ます よう,誠 に恭謙 して閣下 にお願 い申 し上 げ ます。私 どもは他 に 9人の子供 を抱 えて
お りますが,いかなる場合 も賄費 をお支払 いすることを申 し添 えます。私 どもは閣下の ご
長命 をお祈 りして止 み ませ ん。
ヴイユ レ (
ルブランの妻) ヴイユ レ
(
母方の叔父)バ グン (
父方の従兄)
下記 に署名 いた します私,聖二 コラ ・デュ ・シャル ドネ小教 区管轄司祭 は,その懇願書
が真実 である との保証 を受 け,懇願者の願 いが聞 き届け られるに相応 しい ことを保証 いた
します。
1
7
5
8年 6月 6日パ リにて
ノメル
私 は本懇願書が真実であることを保証 いた します。
司祭
6
7
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
(
27)
ロロー
司祭
この請願 書 に関す る警視 の調査 報告者 は以下 の とお りであ る。
マ リーニ トウス イヌ ・ル ブラ ンに対 す る父母 か らの同封 の請願書 が 閣下 に提 出 されてお
りますが,私 はその親族 と面談 いた しま した。
全員 一致 して私 に保証 いた します に,1
9歳 になるこの娘 は 5年前 か ら娼婦 を してお り,
最初 はモ ンテ ィニなる女 の家 に行 き,父母が これ を連 れ帰 りま した ところ,ふ たたび彼 ら
の家 か ら逃 げ出 し, しば ら くは囲 われてお りま したが,その後,誰彼 な く身 を任 せ るにい
た り, これが現在 ,大通 りの一角 にあ るモ ンマル トル通 りの飲料店経営者 モ レルなる者 の
家 に借 りお ります部屋 で,彼 女が営 みお ります行状であ ります。
こう した状 況 にあ って, この娘 の双方 の親族 と父母 との一致 に鑑 み,私 は,閣下の御意
の もと, これ を監 禁 させ る命令 につ き,彼 らの な しお ります要請 を, これ に認めて しか る
べ きと判 断いたす次 第であ ります。
頓首
警視
ル メー ル
(
2
S)
1
7
5
8年 7月 6日
-見 した ところ,親元 での生活 を嫌 って家 出 を した娘 が売春 に手 を染め ているため, これ を
更生 させ ようとす る親の請願書 と思 われ るが, 内実 は娘 を出汁 に して温 々 と暮 らそ う とす る,
両親 の醜悪 で卑劣 な魂胆が隠 されてお り, この娘 は獄 中か ら反攻 に打 って出 る。 まず はかつ て
自分が いた娼家 の女主 人 に事 実 を明 らか にす る保証書 を書 いて もらうのであ る。
私 の保証 いた します ところ,ル ブラ ン嬢 は 6年 ばか り前 に,当家 にて娼婦 と して 6週 間
を住 みお りま したが, これは彼女が ジュヌ ヴ イエ ー ヴ ・ダ ン トンなる女 に連 れて来 られた
か らで, これ に私 は1
8リー ヴル を渡 し,彼 女が 当家 に住 まうこ とを知 ったその母親 は, こ
2リーヴル を渡 しま したので,上
れが当家 で しお りま した仕事 をよ く承知 してお り,週 に1
記 に基づ き私 は本保証書 に署名 いた しま したが,必要 とあ らば司法 官 の御前 にて証言す る
用意が ござい ます。
7
5
8年
1
8 月
1日パ リにて
(
2
9
)
モ ンテ ィこ
以下 に同様 の保証書が 3通 あ るが ,それ らは一致 して この娘 が 身 を売 ってい る ことを両親が
知 っていたばか りか,何 度 とな く娘 を訪 ね,彼 女 か らあ るい は女主 人か ら金 を巻 き上 げていた
こ とを証言 してい る。 さらにその情夫であ り,逮捕 され る まで住 んでい た娼家 の主人が,隣人
の署名 を集め た保証書 まであ る。 この うちの何 人か は彼女 の馴 染み客で はあ るまいか。
8ケ月
下記 に署名 した私 ど もが保証 いた します ところ,ルブラ ン嬢が この界 隈 に住 んで 1
ばか りにな りますが,その行状 にあ って醜 聞 は何 も決 して気づ いた ことな く,逆 に私 ども
は彼 女がいつ もたいそ う礼儀 正 しくかつ慎重 に振舞 い きた こ とを証言 いたす次 第であ りま
す。
68
天 理 大 学 学 報
1
7
5
8年 8月 2日,大通 り付近,モ ンマル トル通 りにて作成。
B ・モ レル (
飲料店経営)P・ビュフェ (クール タン氏 宅
に居住する従僕)M ・イスロ (
小間物商)テ ィエ リ (
護送
吏員)マ トラゾン (
隣人)デュポ ン (
煙草商) ヴォワザ ン
(
クル トウ伯爵殿の衛兵)アンフアン (
元近衛兵)妻 ドラ
(
30)
マール (
パ ン屋)デュカテ リ (
ホテル主人)が 妻
これ らの証明書 とともに彼女は警察総監 に願い出る。
警察総監閣下へ
謹啓
今月 1日に国王の命令 により逮捕 され,サルペ ト1
)エールに連行 されました私 ことマ T
)
ニ トウス イヌ ・ルブランは,閣下のお膝元 に身を投 げ,謹んで申 し上げます ことに,私 は
6年前か ら苦界 にお りますが, これは常 に父母の知 る ところであ り,彼 らは私の淫蕩の収
益 を利用 さえ したのであ りまして,閣下 には,モ ンティこ,ボー ドワン,エルマ ン,エケ
といった娼家 を営む女たちにこのことを証明 させ,説明 させ ることがおで きになるはずで
あ り,父母 は彼女 たちの家へ私 に会い,食事 をし, これか ら週当た りい くらかのお金 を受
け取 りに来ていたばか りか,この うち幾人かの ところへ は母が 自分で苦界の娘 とするべ く
私 を預 けたのであ り, また私 はこの放蕩生活か ら足 を洗お うとして優男 に出会い,彼 は私
をそこか ら引 き離 して くれ まLが,父母は といえば,恐 らくは私の所有す る家具や身の回
り品 を私か ら取 り上げようとして,閣下の権威 に槌 り,厚か ましくも私 と共同でな した過
誤 につ き私 を逮捕 させ,処罰 させ ようとしたのでございます。
懇願者は敢 えて閣下に断言いた しますが,私の住 んでお りますモ ンマル トル門界隈で私
はいかなる醜聞 も引 き起 こ したことは決 してござい ません。私の両親の卑劣 な行為 を閣下
にお知 らせせ ざるをえませんことは心苦 しい限 りでございますが,私 は閣下のお慈悲 によ
る釈放 をお待 ちいた し,閣下のご繁栄 を祈 って止み ません。
(
3
1
)
マ リニ トウス イヌ ・ルブラン
娼家の女主人による申立書 とこの請願書が功 を奏 し,彼女 は晴れて自由の身 となったのだが,
今度は反対 にその父母 に対する封印状が発令 される。 これを知 った娘 は直ちにその執行 を食い
止めん とする懇願書 を書 き送るO理由は不明なが ら父親は逮捕 を免れ,母親だけがサルペ トリ
エールに収監 されるのだが,いずれにせ よこれは もとよ り娘 の意図 したことではない。幼い弟
妹 を気遣い,健気 にも娘 は母親の釈放 を求めて, さらに 2通の請願書 を差 し出す。 もちろん父
親 も,「
パ リ聖 ヴイク トル街セーヌ通 りに居住す る現場 (
c
hant
i
e
r
)作業員 ジャン ・バチス ト
・ルブランは,恭謙 して申 し上げます -」で始 まる,泣 き言 を延 々と並べ た長い書状 を代書屋
に書 き取 らせて,妻の釈放 を希 う嘆願書 を提 出す る。 この間の経緯は,「
マ リーニ トゥス イヌ
の父親, ジャンエバチス ト・ルブランの逮捕命令 は 2通が存在 し,これに続 く1通に 『この命
1
7
5
8年
令 の執行 を停止 し,現在の ところ妻 ルブランのそれのみ を執行 させ ること」
】とある。(
(
3
2)
8月11日)
」 という,編者の覚書 によって少 し明 らかにされている。
父親 は述べ る。「
か ように罪ある女 に罪 な き女 を置 き換 えさせ るには,か ように病弱 な妻 を
その夫の腕か ら奪 うには,この上 な くおぞ ましい赤貧の中にあ り,大部分 はこの上な く幼い年
6
9
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
齢 にある 9人の子供の涙か ら母親 を引 き離す には,閣下,おそ らく相当 に重大 な犯罪が これ に
擦 り付 け られたに違いあ りませ ん。かかる拘 禁の原 因に関 し懇願者が知 りえま したのはただ,
娘 とこれ を庇護 しお る男が,懇願者の妻がかか る娘 の淫行 に手 を貸 していたことを,幾名かに
(
.
7
3)
言いふ らした とい うこ とだけで ご ざい ます」。 また一方で娘 は記す O「[
-]母 は1
0人の子供 を
抱 えてお り,ご配下の私服刑事のひ と りフェラー氏 により, 自宅で逮捕 され ま した とき,その
ひと りに乳房 を含 ませ てお り, これ をその子か ら難 さねばな りませ んで した。母親 にとって何
とい う仕打 ちで ござい ま しょう。そ して これはこの哀れな罪 な き子 に対 して何 とい う害悪 とな
ることで しょう。両親 は私 のこ とで閣下に無理 をお願い しようとした とき,恐 ろ しい間違 い を
いた しま した。両親が処罰 に値 したことは確かでござい ます。で も寛恕す るこ とが高連 な御心
のなせ る業であ り,閣下の御心 には寛容の余地が ござい ます。私 はその結果
を期待いた します。
(
3
4)
でなければ私はこの苦痛 に押 しつぶ され,それで悶 え死ぬ ことで しょう」。
この件 に関す る記録文書の最後 にある,警視が警察総監 に宛 てて記 した以下の書状 か らして,
母親 も比較的に短期 間の うちに釈放 された ようである。
ベ ルタン殿へ
拝啓
ジャン-バチス ト ・ルブランの妻マ リニア ンヌ ・ヴ イル レは十分 に罰 を受 けた と,貴殿
がお考 えである以上,私 はここに国王命令 を同封 いた しますので, これ を施療院 よ り出 さ
せ るべ く,貴殿 よ りこの とお りご提言 くだ さい。
敬具
1
7
5
8年 8 月 29日
(
3
5
)
フ ロ ラ ンタン
Ⅴ
下層 階級 には×印で しか署名 もで きない者 も多 く, こう した公文書 を善 くに当たって民衆が
頼 りに したのが代書屋 である。 アル レッ ト フイエ ロの 『
パ リ歴史事典』 は,セバスチア ン ・
。「代 書屋 は神学者 その
メルシエの言葉 を借 りて,当時の代書屋 の様 子 を次 の ように描写す る
ままの暮 らしを しなければな らない。いや もっと有用で,侍 女 たちの甘い秘密 の聞 き役 である。
ここで女 たちは恋の告 白や恋文の返事 を書かせ る。彼女たちは公共書記 の耳元 に聴罪司祭 に語
るように話 しかける。だか ら口の堅い代書屋 のい る小屋 は天井のない告解室 に似 ている。代書
人は眼鏡 を下げ,震 える手で,指 に息 を吹 きかけなが ら,イ ンクと紙 と封蝋 と文体 を, 5ソル
で引 き渡す。国王や大貴族あての請願書 は,折衷書体 を交 える し,文体が もっ と高尚になるの
2ソルす る。納骨堂の代書屋 は大 臣や大公 と最 も熱心 に対話 し合 う間柄 で,宮廷では彼 らの
で1
6世の]治世の初期 に彼 らは大金持
ちになる寸前 だ
筆跡 しか 目に留 ま りは しないのだ。 [
ルイ1
(
3
6)
ったOすべ ての請願書が受理 され,読 まれ,返事 を もらっていたのである」。
フー コーはある対談でその事情 を次 の ように解説 している。「
見つ けたのは山の ようなそ う
した書状 で,街 角の代書屋 によって書かれてい ま した。靴屋 とか魚屋 のかみ さんの求めによる
もので,夫や息子や叔父や義父 なんか を厄介払 い しようと,代書屋 にその苦情 を書 き取 らせ て
いたんです ね。驚 くべ き記録文書です よ。だって,代書屋 は客 にこれ これの所定の書式 を用 い
る必要がある と説明 していたんですか ら。だか らこんな風 に始 まるんです。『
謹啓,私 は謹 ん
70
天 理 大 学 学 報
で閣下のお足下に平伏 して-』。それか ら要請 とともに, これ を (正当化す る)文句が,訴人
4世
の言葉 どお りに出て来るんですが,要求事項や憎 しみや恨 み辛みや叫びを交 えてね。ルイ1
風の厳粛 な行政用語の途中で
,『これは最低 の淫売女です-』 なんてい うのに出 くわ します よ。
実際の ところ人びとの手 に,それ も社会の最 (下層 )階級 にまで,告発 と監禁の道具 を委ねて
もない権利 になって しまい,人び とは大
いたんですか ら,これに慣れて 1世紀 もすると,紛れ
(
3
7
)
革命のあいだ欲求不満 を感 じたんです よ」。
公共サーヴィス」 としての家族封印状の歴史 と
したが ってこれ までの考察か らす るなら,「
は,絶対王政がブルジ ョワ家庭 に委ねた監禁の随意性が,警察の民事案件-の積極的な介入 を
通 して下層階級 にまで浸透 し,やがてはこれをひとつの 「
権利」 として民衆が認識す るにいた
った過程であると結論す ることがで きるだろう。「ここか らい くつかの帰結が生ずる。す なわ
ち,政治上の君主権が社会体の最 も基本的な水準 に組み込 まれるにいたる。臣下か ら臣下へそれ も時 には最下層の人び とが問題 となるが- ,同 じ一族 の構成員間で,近隣 ・利害 ・仕事 ・
敵対 ・憎悪 ・愛情の,関係 において活用 しうるのが,権威 と服従 とい う伝統的な武器 に加 えて,
絶対主義の形式 を帯 びた政治権力 とい う資源 なのである。各人はルールに則 って動 くことがで
きれば,他者に対 して恐 ろしく,無法の君主 とな りうるのである。人間二対
シテ国王 タル人間。
(
3
8)
政治上の縦糸その ものが 日常性 の横糸 と交差するにいたる」。
汚名 に塗れた人び との生活」 と 『
家庭 の混乱』
結論 に添付 したこの引用 もそ うであるが,「
の巻末の解説 に共通 して見 られる,い まひとつのほとん ど同一の表現 を最後 に比較 してお きた
い。重複 にはそれな りの執着があるはずだか らである。す なわち,前者 にあって 「[
-]彼 ら
自身がその乏 しい知識 をもって,あるいは彼 らに代 わって多少 とも手慣れた代書人が,国王や
大貴族 に宛てる場合 には必要 と考 えた言い回 しや常套句 を, 自らが捻 りえたかの ように捻 り出
し, これを無粋で粗野な言葉 に,その懇願書が一層の力 と真実味 を与えるだろうと思 う粗雑 な
表現 にち りばめたのである。す ると,仰 々 しくとも調和 な き文章のなかに,支離滅裂 な言葉の
傍 らに,無作法で場違いで耳障 りな表現がほとば
しる。必須的かつ儀礼的な言語 に,焦燥 ・憤
(
3
9)
怒 ・憤激 ・情念 ・怨念 ・反抗が交錯するのである」 と記 されていた件 は,後者 において 「しか
しこれ らの請願者は,その乏 しい知識 をもって- あるいは多少 とも手馴 れた代書人が彼 らに代
わってペ ンを取 り一 国王 とか大貴族 に宛てる場合 には必要 と考 えた言い回 しや常套句 を, 自ら
が捻 りえたかのように捻 り出 し, これに無粋 で粗野 な言葉 を,本心か ら彦み出ていてその要請
に恐 らくは一層 の力 と真実味 を与 えるだろうと思 う粗雑 な表現 を交 えたのである。す る と,
仰 々 しい文章のなかに,大袈裟 な 2語のあいだに,無作法で場違いで耳障 りな表現がほとば し
る
。必須 的かつほ とん ど儀礼 的 な言語 に,焦燥 ・憤 怒 ・憤激 ・情念 ・怨念が交錯するのであ
(
4
0
)
る」 と改め られているが, この重複 こそは ミシェル ・フーコーにその出版 を意図 させた,民衆
以前の ことだが
の請願書の与 える 「
震 え」の所在 を明 らか にす る もの と思 われるのである。「
私 はある本のために,同 じような記録文書 を利用 したことがあった。あの時私がそ うしたのは
恐 らく,遺灰 となっているこれ らの零細 な生活 に,それを沈静 させているい くらかの文章のな
(
4
1
)
」
。
かで出会 うことがあれば,今 日なお私の覚えるあの震 えのゆえにである。その強烈 さを分析 の
なかに復元することが夢 であったはず なのに
そ してこの封印状 にも終わ りの 日が来る。『
パ リ歴史事士
別】の続 きを再掲すれば,「
突然 に民
衆 と君主のあいだのこの通信が中断 される。納骨堂の代書 人は新 しいかつ らと袖飾 りを買 って
あったのに,その仕事場が閑散 とするのを目に し,かつての貧窮生活 にふたたび陥るのであっ
ミシェル ・フーコーによる封印状の歴史
71
(
4
2
)
た」。実際 これ は革命 後 の1
79
0年 の政令 を もって,立憲議 会 に よ り廃止 され たので あるが, こ
行政 的かつ政治 的な管理 に対 し,
の 間の事情 について は また別 の論考 に委 ね る こ とに した い。「
伝統 的 に家庭 に連結 されていた帰 属 または従属 の関係 を,少 しずつ切 り開いて行 った この傾 向
に驚 くこ とはない。情念や憤 怒や悲惨 や罵倒 のなかで この ように機 能す る国王 の並外 れた権 力
が,その有用性 に もかかわ らず ,否 む しろそのせ いで憎悪 の対象 とな りえた とい うこ とに も,
驚 くこ とはないのである。封 印状 を利用 した人び ととこれ を賜与 した国王 は,両者 に よる共謀
とい う民 に落ちたのである。前者 は行 政権 を利 しつつその伝統 的な能力 をだんだん と喪失 して
行 った し,国王 に関 して言 えば, 日々あ またの憎悪 と策謀 に交 わ ったが ゆ えに,忌避すべ きも
(
43)
の となったのであ る」。
注
(1) GT
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