JNK000903 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

天理大学人権問題研究室紀要
一 63,
第 9 号 :33
2006
「特殊教育」から「特別支援教育」への 転換
-一・その意味
一
伊藤和男
ITO゜azuo
2005 年 り 月には, これらを受けて 中央教育
はじめに
審議会が「特別支援教育を 推進するための 制
障害をもつ子どもの 教育のあ り方が,いま
度の在り方について
搭申 ) 」をまとめ, 従
歴史的な転換期を 迎えている。 正確に書けば ,
来の「特殊教育」を「特別支援教育」へと
歴史的な転換期を 迎えている,
換する方向を 提示したことは 記憶に新しい。
と
言われてい
転
文科省は,中教審答申に先立って 2001 (平成
る 。
旧 文部省と文部科学名に 置かれたそれぞれ
13) 年に,文部省の文部科学省への 改編に際
別の調査研究協力者会議から ,特殊教育全般
し,従来の特殊教育課を 特別支援教育課に 改
をめっかったものに 限っても, 10 年足らずの
組して,早々と 切り替えをすませている。
間 に次の 3
つの「報告」が 出された。
1997年 1 月
特殊教育の改善・ 充実につい
いったい何をどう
変えようというのだ る つ.
教育を受けることを 権利として認めてこな
かったこの国の 近代教育は,障害をもつ 子ど
て (第一次報告 )
特殊教育の改善・ 充実に関する 調査研
もを,一部を 除いて長く公教育の 枠覚に放置
究 協力者会議
してきたのだが ,戦後教育改革は ,
2001 年 1
月
ついて一
-
日本国憲
21 世紀の特殊教育の 在り方に
法第W6 条で保障した「教育を 受ける権 利」を,
人一人のニーズに 応じた特別
障害をもつ子には「特殊教育」というかたち
な支援の在り 方について
一
(最終報告 )
21世紀の特殊教育の 在り方に関する 調
査研究協力者会議
2003 年 3 月 今後の特別支援教育の 在り方
で与えた。 学校教育法が 第 6 章として別に 車
立てして定めた「特殊教育」とは
,障害の種
類や程度に対応して 盲学校,聾学校,養護学
校および通常の 学校に設ける 特殊学級といっ
特別支援教育の 在り方に関する 調査駅
た 「特殊な教育の場」を整備し ,それぞれ幼
稲 園一 高等学校に「準ずる 教育」と「欠陥を
究 協力者会議
補う知識技能」を 教授するという 制度であ
ほついて
(最終報告 )
天理大学人間学部(総合教育研究センタ
一)
る。
Faculty@of@Human@Studies
33
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
子どもは,心身の機能不全や性差といった
い う願いから地域の 普通学校に視覚障害をも
自然的差異 や ,家族の社会階層や 民族などさ
つ子が就学しても ,それは「特殊教育」では
まざまな社会的文化的差異を 担った一人の 人
なく,「制度覚」の「不適正」 な 教育であ
間として生きている。 こうした差異のゆえに
から,教育行政はこれを 関知しないし ,盲学
「特別な手だて」を 必要としている 子どもに
それを保障しないとすれば ,教育を受ける 権
利は絵に描いた 餅に過ぎない。 障害をもつ子
にとって, 盲 聾 ・養護学校などは ,「特別
な手だて」の一つであ るに違いない。 20 世紀
る
校に在籍する 子どもたちに 保障している 行政
上のサービス
(たとえば点字教科書の 給付)
も与えない, ということになる。
ここでは,ノーマライゼーションの 世界的
・
な潮流に抗し,かくもタイトで
原理的な分離・
あ ったように,障害をもつ 子は特別な学校に
加挙体制として 半世紀を超えて 維持されてき
た,学校教育法のもとでの 特殊教育を「戦後
就学するというのが 通念であ った。
特殊教育」と 呼ぶことにする。
しかし,こうした 通念は,やがてノーマラ
イゼーションというかたちをとった 人権擁護
判を投げかけた 1979
の半ばという 時点では,他の国々でもそうで
の思想と運動に
よ
る批判に晒され , 1970 年代
,
以降はインテバレーション
メインストリー
戦後特殊教育は ,そのあ り方に根本的な 批
(昭和 54)
年 養護学校教
育の義務制度化への 反対闘争をくぐり 抜けて,
「障害児」と「健常児」の分離,別字体制を
ミング,インクルーシ フ な教育というように ,
完成した。 それから四半世紀の 歳月を経たい
障害をもつ子ともたない 子が地域の中で 共に
ま,中教審は ,障害をもつ 子どもの教育を 卜
生き共に育つというあ り方,「隔離」から「共
っぱら身体機能や 構造の欠陥を 補うという 初。
生 」への原理の 転換が世界的な 潮流となった。
点で捉えることは 適切ではない」 (2003年報
だが, ほとんどの
O ヨ Cn
諸国とは違 い,
日
告 ) などと戦後特殊教育の 難点をみずから 指
一だ
ョた
シっ
反対
ると
ける
おす
原理
校 、的
ゼ際
う,
で
イ
支援教育」という 概念を提示している。
マ占,
一.
つ
クルージョン」の 文字はない。 日本の特殊 教
育
に
教に
学,
摘し, これに代わるものとして 新たに「特別
よ
4こ
@
育ン
本の特殊教育制度には「統合教育」や「イン
「特別支援教育」は,「特殊な場での教育」
から「特別なニーズに 応じた教育」へと ,障
特色があ る。
害をもつ子の 教育を転換させるものであ ると
念のために付け 加えておくと ,「特殊教育」
は「障害をもっ 子の教育」と 必ずしもイコー
いう。(E 療 (欠陥) モデル) からに 一ズ
(支援 ) モデル ) への障害児教育のパラダイ
ルではない。文部省設置法では ,「『特殊教育
$
ム転換は,イギリスのウォーノック 報告 (1978
とは,盲学校,聾学校及び
養護学校における
年 ) がつとに提唱していた。 これに倣ったか
教育 (特殊学級における 教育を含む。 )
に見える「特別支援教育」に 対しては,ジャ
を言
う」とより端的に 規定しているように ,あ
まで通常の学校とは 区別された「特殊な 場に
く
一 ナリズムの報道や 障害者団体からも
教育審議会のヒアリ
(中央
ング などを見るかぎり )
おける教育」と 性格づけている。 戦後の教育
制度は,通常の学校教育と特殊教育という 二
LD
本立ての学校体系をもって 構成されているの
性障害), 高機能自閉症といった
であ る。 だから,友だちとともに
子どもたちを ,新たに特別な教育支援の対象
34
学びたいと
妥当かつ現実的であ ると評価する 声が多い。
(学習障害 ),
ADHD
(注意欠陥 /
多動
困難をもつ
に加えたことに 対しても世の 評価は高い。
もっとも,目新しい 言葉が先行するわりに
は,何が,どう
変わるのかは
第 ] 章 戦後特殊教育の 成立
さえ じ つのところまだよく 分かっていない。
@ 戦後特殊教育前史
アジア・太平洋戦争後の 教育改革は,第一
だから,障害をもつ 子の保護者の
次アメリカ教育使節回報告書に 従って進めら
,現場の教員に
間で,期待
と不安が交錯するのは 無理もない。
れた,という 言い方は,それ自体としては 間
毎年,校長から「特殊学級」への 移籍を求
められてきた 軽度の知的障害をもつ 子の保護
違いではないが ,
者は , 友だちからばかにされ ,いじめられな
すれば,それは必ずしも歴史の 事実に沿うも
がらも懸命に 学校に通うわが 子は, どういう
のではない。 「日本国憲法押しつけ」論と 事
意味で「特殊」 な存在なのだろうかと 自問を
情は似通っているが ,敗戦に至る日本社会の
繰り返しながら ,「特別支援教育」への 改編
発展過程で,戦後の「押しつけ」を
を,たとえ名称だけだとしても「弱者の
ることができる 素地が, さまざまな分野で 成
気持
GHQ
から一万的に 押しつ
けられたものをただただ 受容したと解すると
受け入れ
ちに行政が寄り 添 う 姿勢」の現れとして 切な
熟していたと 見ることもできるからであ
い期待を賭けている。
特殊教育は,なかでも 戦前と戦後の 連続性が
い っぽ ぅ で ,いまの普通学校に 障害をもつ
子を就学させれば ,厄介者あつかいされ,
じ めの対象になりかれない
,
盲
・
ぃ
聾 ・養護学
る。
強 い分野の一つであ る。
文部省の『特殊教育百年史団などで
明らか
にされているように ,第一次アメリカ 教育使
校の一本化は 乱暴すぎると 危惧する見方もあ
節回報告書は ,当初,障害をもつ
子どもの教
る。 それではいつになってもノーマライゼー
育には言及していなかったが ,当時,東京聾
、ンョン は実現しないと 切り返すことはたやす
唖 学校長だった 川本字之分 らの強い働きかけ
いが,学級崩壊やいじめがあ とを絶たない 学
で,その義務化を 促す短い文章が 報告書に取
校現場を見れば ,
り入れられたという。 その後,川本は全国聾
唖 学校職員連盟など 特殊教育関係者の 運動に
こうした疑念をあ ながち 杷
憂 として退けることはできないし ,ある意味
で簡明であ った戦後特殊教育に 慣れた目から
よって教育刷新委員会の 委員となり, 自身が
すれば,いまだその 姿が判然としない「特別
要請して盛り 込ませた使節回報告書の 一節を
支援教育」に 危惧を抱くのも 理解できる。
拠りどころとして ,学校教育法第6 章として
これらの不安や 疑念に答えるためにも ,文
結実する戦後特殊教育の 制度化に力を 尽くし
科 省は ,戦後特殊教育をきちっと 総括し,戦
たとされている。 川本に代表される 日本の特
後特殊教育をどう 変えるのかを 誰もに分かる
殊教育関係者の 強いイニシアチブが 見て取れ
ように説明しなければならないのだが
,どう
るこの経緯は ,戦後特殊教育が戦前から特殊
やらあ まりはっきりさせたくないようだ。
そこで本稿では ,戦後特殊教育の功罪をあ
教育に携わってきた 人々の教育観や 社会思想
らためて整理するとともに ,「特別支援教育」
かがわせる。 そこで, まずこの点について 大
に 関わる議論を 検証することで ,この転換の
まかに素描しておこう。
意味を考えてみることにする。
の特質を色濃く
引き継いで成立したことをう
「今後の特別支援教育のあ
(最終報告 )
」
り方について
(2003年 ) は,第 3 章において
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
日本の盲・ 醗 ・養護学校の 歴史的な出自を 記
能 ハス」という 述語に対応する 主体は , 子ど
述している。 わざわさ書くことにどんな 意味
もでも親でもなく 国家であ った。 日本の近代
があ るのかよく分からない 数行の短
教育では,心身の機能不全という 自然的差異
い 文章な
のだが,それにしても 1900 W明治 33) 午の第
は,こうして学ぶべき学校を 見いだせない ,
三次小学校令にまったく 触れていないのは ,
あ るいは見いだすことが 著しく困難であ ると
事実を正確に 伝えるという 意味でバランスを
いう決定的な 社会的不利へと 転換された。
欠くと思われる。
第三次小学校令は ,第33条において, 子ど
2
もの心身に障害のあ る場合は,小学校に 就学
普通学務局第四課と「盲学校 及翻唖学校
ム7
させるべき保護者の 義務を免除する ,発育不
1920 年代に入ると ,事態に変化の兆しが現
Ⅰ
」
完 ・病弱の場合は 就学義務を猶予する ,また
保護者貧窮の 場合は猶予もしくは 免除すると
定めた。 この条項のうち ,貧窮児童に関する
部分は1941 W昭和 16) 年に削除されたが ,障
害をもつ子についてはアジア・ 太平洋戦争の
れる。 1923 (大正12) 年 8 月,特殊教育学校
についての最初の 独立勅令であ る「盲学校友
聾唖学校令」が公布され ,これによって客席
敗戦を経た戦後教育改革まで 存続する。 この
改正せず, したがって就学義務を 定めていな
間 ほぼ半世紀にわたって ,この国では障害を
もつ子を学校教育の 対象から除外し 続けた。
試みに文部省の 統計を見れば ,たとえば1917
(大正 6) 年度の学齢児童中の 視覚,聴覚障
いなど,いくつもの 問題点が指摘される 不完
全 な改良策であ った。それでも,文部省の 学
吾兄 は9,131 人を数えたのに ,
育 体制に組み込んで い く画期としての 位置を,
このうち学校
に就学できたのは 995人に過ぎず,残りの
県に盲学校と 聾唖学校の設置を 義務づけたの
であ る。 もっとも,肝心の 小学校令第 33条は
圧
制百二十年史上が 強調する通り ,民間の慈善
事業に委ねていた 障害をもつ子の 教育を公教
「盲学校友聾唖学校令」が占めることは 否定
8,136 人,全体の 9 割近くは就学免除となっ
できない。
ている。
「盲学校友聾唖学校令」は, じっは 1919(大
正 8) 年 普通学務局に 新設された第四課の 新
乙竹 若造の調査によれば ,幕末期の寺子屋
には 10校に i 校の割合で聴覚障害,視覚障害
進官僚たちによる ,独自の,しかも
強いイニ
をもつ子どもが 学んでいたという。 前 近代で
シアティブで 成立したことはあ まり知られて
は,障害をもつ子やその親たちの 自生的な教
青 二学習意欲は ,インフォーマルな教育機関
いない。 さきに触れた 川本字之介は,第四課
であ る寺子屋という 受け皿を比較的容易に 見
中心的に担っていた。
の嘱託として「盲学校友聾唖 学校令」策定を
第四課の所管は「社会教育」であ ったが,
いだすことができたのであ る。 寺子屋に代わ
ってできた国家の 小学校は,障害をもつ 子に
新設に際して
門を閉ざした。 小学校第姉次小学校令が「学
育」の所管を 強引に取り込み ,「特殊児童即
齢児童嵐癩 白痴 又 ハ不具廃疾 / 為 就学スルコ
ち貧窮児童,精神薄弱児,盲唖
児 ,性格異常
ト
能 ハスト 認 メタルトキ八市町村長
ハ 監督官
第一課から「盲唖 教育 及 特殊教
児等の保護教育」を
最優先課題にすえている。
庁 / 認可 ヲ受ケ 学齢児童保護者 / 義務 ヲ 免除
ここでは詳しく 触れることはできないが ,
スルコトヲ得 」というとき ,「就学スルコト
四課の「社会教育」は ,欧米をモデルとした
第
伊藤
市民社会へと 日本社会を改造することを 目指
が ,「長い間希求し 主張している
しており,その 際の先決事項として ,とくに
利義務の観念をすこぶる 明瞭的確に表現して
いる」と諸手をあ げて賞賛した 背景にはこう
「教育における機会の平等」を
重要視してい
たからであ る。 彼らの標的は 小学校令第 33 条
であ った。 義務教育の猶予・ 免除ほど,社会
の不公平,不公正をあ からさまに見せつける
いう事情があ る。
3
ものはないと ,彼らの目には映った。
もっとも,猶予・ 免除規程はたんに 条項を
削除すればすむ 話しではなく ,就学補助制度
の創設や特殊教育の 公教育としての 制度化と
いった具体的な 条件整備の成否が ,
じつは本
教育上の権
戦後特殊教育の 成立
戦後教育改革によって 教育を受ける 権 利を
認められた障害をもつ 子どもに,就学すべき
場 として 盲
・
聾 ・養護学校や 特殊学級という
「特別な手だて」を 用意する際に ,川本らは
憲法26 条 第 1 項の「能力に 応じて」という 書
当の問題だった。 「盲学校及饗唖 学校令」は
葉を よ りどころとして ,その必要を導き出し
この条件整備のひとつだったのであ
ている。
る。
結論だけ言えば ,第四課の試みは 十分な成
「しかして下その 能力に応じてひとしく 教
果を上げられず ,小学校令第33 条はその後も
生き残った。 ただ,彼らが 第四課の機関誌ロネ士
育を受ける権 利を有する $ という一節は ,
極めてその意味が 深く重く,われわれの 特
会と教化Ⅱなどにおいて ,障害をもつ子ども
殊教育の根拠の 一 がここにあ るのであ る。
から教育の機会を 奪ってきた国家の 政策を次
これを換言すると
のように公然と 指弾したことの 批判的意味は
心身の異常欠陥に 適応する有効な 教育を受
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
その能力に応じ ,その
、権
、き
、べ
、す
、成
へ小フ
こ
、を
、己
、自
て
ける権利 コと, 解してよいからであ る。 か
く僻することによって ,わが国の憲法のこ
す
受
を
なは
は人
く個
さ ﹁
刀
利を有すると
ァ
同時に,自己の欲すると 否と
の 条項は,すこぶる
理想的であ ると, 言い
得るのであ るⅡ
に杓 わらず社会の 一員として適当な 教育を
能力主義的な 教育思想,教育体制を 積極的
「にれまで障害児教育が
引用者 ) 慈
に承認することで ,いわばその最下層の区別
善事業の如く 考へられて居ったことは , 大
された場に,障害をもっ 子どもの教育が 占め
なる誤であ って ,
るべき位置を 見 ぃ だし,承認を求めたのであ
者の義務であ
之は国家社会 並健善 なる
る」
「盲人唖 人 に対しても義務教育程度の 教育
る 。 川本が普通学務局第四課に
嘱託として 登
用 されたのは,当時彼が 東京市視学として 林
町尋常小学校に「促進学級」を
設置し,学習
受けしむるは 国家当然の義務であ り一方
唖 者の側よりすれば 当然の権る」、
利であ
、
(101
遅進児ための「特別な 手だて」を「別の
彼らの主張は 盲聾唖 学校関係者による 特殊
というかたちで 設けることで 不就学を二 帰 し
を
場」
教育の義務化運動に 引き継がれ,やがて 教育
審議会の盲唖 教育義務化の 答申は 937 年 ) へ
からであ った。 一人ひとりの 子どもを大切に
とつながっていく。
したい, より適した教育を 与えたい, という
よ
うと訴えた,その 主張と手腕が 認められた
戦後,教育を受ける権 利を例外なくすべて
川本をはじめとした 特殊教育関係者の 善意と
の国民に保障した 日本国憲法第 26 条を,川本
熱意を疑う理由はない。 ただし,それが通常
37
「特殊教育」から「特別支援教育」への転換
の学校教育にはなじまない「異質」
な存在と
して障害をもつ 子を取り除くことで ,普通学
校を「合理化」するということを
同時に意味
しているとしたらどうだろうか。 川本は言う。
「小中学校の児童生徒は,その心身におい
せ ,システムへの不信を呼び起こす 者たちで
あ る。
にの,五十人の 普通の学級の 中に,強度
の弱視や難聴 や ,さらには精神薄弱や 肢体
不自由の児童・ 生徒が交わり 合って編入さ
,性のものを特殊学級に収容すると ,他の大
れているとしたら ,はたしてひとりの 教師
による十分な 指導が行われ 得るものでしょ
部分は比較的等質的になる。
うか。 特殊な児童・ 生徒に対してはもち
て大いに異質的であ
る。 その甚だしい
異質
したがって そ
ろ
人の
ん ,学級内で大多数を 占める心身に 異常の
精神遅滞児や 難聴児 ,または弱視児がおり ,
な い児童・生徒の 教育そのものが ,大きな
の教育は徹底しやすい。
そのおのおのに
1
学級 2,
3
適応した指導を 与えようと
したら,他の 大部分の指導は 大いに減さい
される。
し
と言って,これをまったく 等閑視
,いわゆるお客さん扱いにされた 児童は,
し
印
%-@
より
殊特
。玉
学
車
にはる
わ あ
8
たで
る由
う理
めた
しっ
る
れ
なに
太
な
効果けら
いかに不幸であ ろうか。 そこに両者の 教育
こうして「異質」を 排除した学校を ,中央
教育審議会はかつて 次のように表現した。
「
(学校教育の 一 引用者 ) 特性はあ る年
障害を受けずにはいられません。 五十人の
普通学級の学級経営を ,できるだけ完全に
行 う ためにも,その中から,例外的な 心身
の故障者は除いて ,
これらとは別に ,それ
ぞれの故障に 応じた適切な 教育を行なう 場
(@61
所を用意する 必要があ るのです」
こうして「例覚的な 心身の故障者」は ,「学
級内で大多数を 占める心身に 異常のない児
童・生徒」の 学習に「障害」をもたらすもの
としてマジョリティと 対立させられ ,相応の
齢まで - 定の教育計画に 基づく学習を 制度
場所へと排除される。 さきの川本の 言葉から,
的に保障していること ,同年齢層の比較的
障害をもつ子どもたちへの
同質な集団と 一定の資格を 持つ教員が学校
ば, 2 つの文はぴたりと 重なり合う。
労の場をはなれ ,社会の利害関係から 直接
国民の大多数が 能力主義的な 学力競争に参入
影響を受けない 状態のもとで 原理的一般的
する社会は,同質な 集団によって 形成される
な学習活動に専俳できることにあ
特別な場として 学校はあ るというフィクショ
憐欄を引き去れ
苅谷剛彦が「大出教育社会」と 名付けた,
る」
白努
点引用者 )
属性を捨象した 真空な場での「公平」な 学
力競争を通じて
,ハイ・タレントから
従順な
労働力に至るまで 効率よく育成し ,「自由」
で「公正」 な競争の結果として 納得づくで社
ンによって支えられている。 戦後特殊教育と
能力主義的な 通常の学校教育はこうして 相互
に支え合ってきたのであ
る。
川本を含めて 近代世界の後発国家・ 日本の
文部官僚には ,明治のはじわから 現在に至る
会諸階層に振り 分けていく学校システムは ,
まで,教育は何よりも産業の 発展に奉仕しな
戦後日本の発展を 支えるもっともよくできた
ければならないという 生産力主義が
フィクションの 一つであ った。 このような学
して抜きがたい 体質として骨の 髄まで染みこ
校システムの 最大の敵は,出自や
んでいろ。 日本の学校は ,
障害といっ
た属性を持ち 込むことで,システムを 混乱さ
牢固と
他のどの国にも・増
して選別機能が 教育機能を大きく 凌駕して
ぃ
ると,大英帝国の 住人から 椰撤 されるのえん
であ る。 文部官僚が,障害をもっ 子の教育的
処遇について 語るときにしばしば 顔を出す,
ほとんど理解を 超えた慈恵主義的なパターナ
リズム (保護者的な傲慢
さ
)
は, 日本近代教
育の歴史を通じて 刻み込まれたこの 体質と深
動 ,教育実践としても ,大阪を中心とした
学
校現場では,障害をもつ 子と保護者,教職員
や 教育関係者が
手を結ぶことで ,「どの子も
地域の普通学校へ」という 共有‥共生を 目指
す取り組みが , 1979 年を貫いてすでに 30 年を
超える歴史を 重ねている。
ところで,たとえばこうした 取り組みを進
く関わっている。
めてきた現場の 教員が,こんな「提言」を
第 2 章 戦後特殊教育は 何だったのか
聞
いたらどう感じるだろうか 0
Ⅲ 戦後特殊教育の 外在的な清算
1979 (昭和 54) 年の養護学校教育の 義務制
度化によって ,学校教育法の施行から 32 年を
経て視覚・聴覚以覚の 障害をもつ子どもの 就
け
) 原則として,すべての 子どもを,地域
の 同年齢の子どもと 同じ地域の小・ 中学
枝の通常の学級に 在籍させる。
(2) 特別な支援を 必要とする子どもも "
"@
学がようやく 義務化され, 1872 (明治 5) 年
滞の学級での 支援をあ らゆる手だてを 尽
「学制」頒布をもって 発足した日本の 近代公
くして考慮する。
(3) それだけでは 適切な教育が 保障されな
教育は実体的に 完成した。 猶予免除規程はな
い子どもには ,
お残存しているとはいえ , 1979 年という年は
日本の教育にとって 確かに
d
級を含む。) を考慮する。
つの画期であ っ
(4)
た
@O
養護学校義務化は ,それまで地域の小中学
通 級に よ る指導 (特殊学
盲
・
聾 ・養護学校は ,都道府県および
政令指定都市単位で 設けられる「特別支
校の普通学級や 養護学級で学んでいた 子ども
援 教育センター」あ るいはその分室に 位
たち 12 万 5 千人余を,原則として 養護学校に
転校させるという 点で,分離・ 別字体制の 完
置 づける。
成 をも同時に意 @ した。 こに対して, さきに
たぶん,抽分たちが 続けてきたことが 書
いてあ るだけ。 (4)の「センター」云々はあ ず
触れたように 地域の小,中学校で学んできた
かり知らぬことだけれど」というのがおおか
障害をもつ子や 保護者,それを支えてきた教
たの反応ではないだろうか。 だが, これが ん
職員らを中心として ,「共に育ち 共に学ぶ」
年 養護学校教育義務化の 際の文部省の 中心火
(l81
ことを求める 激しい反対運動が 闘われた。 そ
の過程で,養護学校への 就学義務化は 障害を
もっ子の教育の 場の分離を完成させることで
地域の普通学校を「合理化」
し,
もともと 能
物の言葉だと 知れば,驚く 人も少なくないだ
ろう。
人は日々変わっていくものだから
,
これを
「変節」と非難することは 生産的ではない。
率的な公民および 労働力商品の 形成を目的と
ただ,「インクルーシ フ な教育」を提唱する
する近代公教育を ,能力主義的な差別と選別
のはいいとして ,その前に自らが中心となっ
の装置として 仕上げる役割を 果たすという ,
で推進した養護学校教育の 義務制度化と ,そ
近代公教育そのものへのラディカル
れをもって完成した 分離・ 別 学制度の総括を
な批判も
含めて, じつは戦後特殊教育への 理論的検証
はほぼ終わったと 言ってよい。 また,教育運
するのが先決ではないだろうか。
渡部昭男は,戦後の 特殊教育政策が , Ⅲ 特
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
(盲
聾 ・養護学校及び 特殊学
・
の
人
@
L
下@
ナ
つ
の
後
盾柱
矛る
己え
白文
のを
ほ育
制教
学殊
別時
殊 な教育の場
級) の整備, (2@ 害の種類と程度の 判別強化,
㈹択 - 的な学籍付与 (特殊な場に限定した「特
子どもがもつ 障害は一つという 前提であ る。
殊教育サービス」の 択一的・限定的な 提供)
学校はすべての 子どものためではなく 一定の
を大きな柱として 進められてきたとまとめた
基準を満たす 適格者のために 作られており ,
この基準から 外れる者は,その理由ごとに,
うえで,いま 何よりも総括されるべき 問題点
は ,「特殊教育」の 名の下に「権 利侵害が行
これまた適格者のために 作られた別の 場でき
われてきたこと」であ ると いつ。
め細かな指導を 受ける方が合理的で 両者にと
まことにその 通りだと言うほかない。 文科
って利益があ るという,適格者主義に 立つ 学
省 に決定的に欠けているのは ,教育を受ける
校観 ,つまり分離・
権 利を保障するはずの 学校制度のもとで ,
もこの前提のもとで 初めて成り立つ。
い
人権侵害が行われて
きたという事実に ,まともに向き 合う姿勢で
やその学校制度によって
もちろん,
別 学制度を支える 学校観
じっさいには 複数の障害をもつ
子は少なくない (表 1)0
戦後特殊教育の 学校準備は, 盲 ・聾学校と
あ る。
肢体不自由,知的障害,病弱の各養護学校の
表l
盲学校
知的陳雲見養講学校
重複障害学級在籍者
33.3%
重複障害児学級在籍者
0.8%
1.5%
盲一蝉
知的- 聾
2.3%
茸 一知的
70.5%
富一肢体
2.9%
34.7%
知的一肢体
-@尺
46.5%
一
Ⅳ
訳
3.1%
盲一病弱
3 つ以上の重複
肢体不自由養講学校
73.3%
弊一膏
95
53.3%
32
3 つ 以-ヒの 重複
4.4%
複
39.5%
6パ%
一五
病弱一知的
病弱の重
0.4%
0.7%
鞘一肢体
つ
0.0%
病弱一%
18.4%
78.6%
簗以
32.1%
病弱一宮
訳
重複障害学級在籍者
訳
9a
複
的弱重
一一七
訳
病弱養護学校
重複障害学級在籍者
22.7%
運学校
イ
ハDll%工
一一
盲聾
肢体肢体
重複障害学級在籍者
40
45.8%
知的一喜
伊藤
5 校種 であ るから,「現行の 就学制度は,原
2
則としては, きれいな形で 子どもが振り 分け
地域社会から 切り離された 子ども
病気で失明した 愛媛県新居浜市に 住む星加
られることとなっているが ,現場はこの原則
良市さんが
から外れた子どもが 適切な支援を 受けられな
校として指定されたのは 60 キロ離れた松山市
い状況で混乱している」というのが
にあ る盲学校だった。 愛媛県には盲学校はこ
実態であ
6 歳になったとき ,就学すべき 学
る。 じっさい, 1979 年以前には,重い障害を
の一校しかない。 2003 年現在の特殊教育諸学
もつ子が養護学校の 適格者主義に 弾かれて就
校数は,盲学校71 校,聾学校106 校,養護学
学を拒まれるケースは 決して珍しいことでは
校995 校。 盲学校は 34 県,聾学校は 19 県で,
なかったし,義務化以降も 重複障害をもつ 子
県内に 1 校しかない。
種別の養護学校も
家
が学校間でたらり 回しにされたという 事例は
の近くにあ るとは限らない。 公立の盲学校
4
少なくはない。
校,聾学校 8 校,養護学校は49 校あ る東京で
全国の小中学校で 約 30 , 000 学級ほど設置さ
3
さえも,幼稚部や 小学部の低学年で ,通学に
1 時間半から 2 時間費やさねばならない 場合
れている特殊学級は ,法が定める知的・言語・
が少なくない。 これだけでも 障害をもっ子は
情緒障害,弱視,難聴,肢体不自由,病弱・
身体虚弱という 7 種別にかたちの 上では分か
れていても, じっさいには 障害の種類も 学年
特別に不利な 立場に置かれている。
だが, よ り本質的な問題は ,
盲
・
饗 ・養護
も必要とする 援助も違う子どもが「混在」し
学校には通常の 学校にあ る地域との つむ が
ている場合が 多い。 だから,障害種 混同の特
地域での生活集団としての
殊学級を分化させ ,種別ごとに設けるように
の学習集団が重なり 合い, ともに学び成長す
要求するという 議論は,戦後特殊教育の 論理
と
る
に即した主張ではあ っても,現在でも 平均在
点である。
籍 数 2.8 人に過ぎない 特殊学級をさらに 小分
遊び仲間と学校で
う意味での地域性を 欠いているという
教育を受ける 権 利は ,
法が定める学校教育
けすることは ,子どもが暮らし 学ぶ場を限り
を受けさせるという 形式的な保障にとどまる
なく細分化してしまうことにならないか。
ものではない。 子どもが教育を 受けるときに ,
ウォーノック 報告が,伝統的な形態分類か
その生活の場であ る家庭や地域から 切り離さ
ら離れて「特別な 教育的ニーズ」に 応じる教
れないということは ,教育を受ける 権利その
育に転換する よう提言しだ理由の 一つは, 騰
ものに内在しているはずであ り,障害をもっ
校種 に細分化された 障害種別の学校を 備えて
ことを理由にこの 権利を制限されて
いたイギリスでも ,重複障害をもつ 子や同じ
はない。
障害 種 に分類されていても 異なった教育的対
い いわけ
この点について ,「21 世紀の特殊教育の 在
応が求められる 子どもたちを 振り分けること
り方について (最終報告 ) 」⑫001年 )
は,。 どんな基準をもってきても 不可能であ る
に逆立ちした議論を 開陳している。
は見事・
判断したからではなかったか。 制度に合わせ
「近年,ノーマライゼーションの 進展によ
て人間を切り 分けるのは, もともと無理があ
り,障害のあ る者が住んでいる 地域社会の
るのだ。
中で,積極的に活動し,その一員として豊
かに生きることが 重視されるようになって
いる。
このことは,居住地から 離れた学校
41
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
に就学することが
多い 盲
・
聾 ・養護学校の
児童生徒等にとって 大きな課題となってい
る。
地域社会の一員として 隣人とつながり 合っ
っているのだから ,文科省は ノーマライゼー
、ンコシなどという 言葉をもう使わない 方がい
」
て 生.きるということは,社会的存在としての
話しを戻そう。 「居住地から 離れた学校」
に就学することによって ,地域社会の一員と
人間にとって 普遍的な願いであ るはずで,
して生きることが「大きな 課題」となってし
ノ
ーマライゼーションが 進展したから 急に生ま
れたものではない。 知的障害者をはじめ
型の施設に隔離されることによって
月
x容
,社会的
まった子どもたちは ,それではどうすべきな
のか。 2001
年報告は, こう続けている。
存在としての 人間のあ り方を否定されてきた
「自らボランティア 活動を行ったり ,地域
の学校施設等において 文化,芸術,スポー
人々の人間回復の 願いが, ノーマライゼーシ
、ソ などの様々な 活動を行ったり ,福祉団体
ョン という言葉に
やボランティア 等の協力を得て 地域の様々
結晶しているのだ。 障害を
ことを本当に 重視するなら ,「居住地から 離
な活動に参加する 等の機会を充実するとと
もに,活動に 関する情報を 提供し,体験活
れた学校に就学する」という 子どもたちの 国
動の機会の充実に 努めることが 望まし
難 ,戦後特殊教育が障書に見合った「特別な
いⅡ
手だて」と引き 替えに子どもに 担わせてきた
何のことはない ,「ボランティア 活動」や
もつ人が地域社会の 一員 として豊かに 生きる
困難を見すえることから 始めるべきだろう。
これはレトリックの 問題ではない。 2001 年
報告は,ノーマライゼーションという
語にわ
ざわざ「障害のあ る者も障害のない 者も同じ
「体験活動」を通じて「生きる 力」を培うと
いう,学習指導要領のフレーズを 借用して貼
り付けただけの 作文ではないか。 地域で生き
るということは ,仲良く一緒に遊んだり,苦
ように社会の 一員として社会活動に 参加し,
しいときに励まし 合ったりするだけではない。
自立して生活することのできる 社会を目指す
喧嘩をしたりイジワルをしたり ,精神的にも
という理念」という 僻説を付けている " もち
肉体的にもゴツゴツとぶつかり 合うことを通
ろん,ノーマライゼーションは
じて,子どもは 否応なく他者を 受け入れ,自
,
誰も反対し
ないし反対・する
必要もない,書いている 人間
己主張したり 我慢したり手加減を 覚えたりと
自身が当分は 実現しそうにないと 思っている,
いった,他者と 一緒に生きていく 態度と知恵
こんな平板で 抽象的な理念として 神棚に飾っ
を身につけていく。 子ども同士のつながりは
,
ておかれるべきものではない。 人間を施設に
地域でのこうした 生活を抜きにしては 考えら
隔離する社会のあ り方を批判し ,障害をもつ
れないし,人に対する優しさや 普通の人間性
人の生活状態を 障害のない人々の
もそこから生まれてくるのではないか。 大人
が 管理する公的なパフォーマンスに 参加・する
状態にできるかぎり
通常の生、
活
近づけることで ,人間と
して生きる権 利を守る日常的な「実践」
(バ
ンクーミケ ルセン) をそれは意味している。
ンクドケ ルセンは,「経抽。父によれば,特殊
学校というのは ,差別の- つです。 特殊学校
は,通常の生活条件とは
42
異なります」とも 言
れる交流教育をどんな
ことや, ときおり行
に積み重ねてみても ,子どもはつながったり
はしないものだ。 そう 思、 うのだが, もしかし
たら文部省のエリート 官僚には, 人 と人との
つながり方を 本当に
イ
メージできないのかも
しれない。
統合」つまり 通常の学校の
いずれにせよ 木で鼻をくくったような 文部
敷地内に特殊学校
を作ることを 提言したのは ,教育の場の分離
官僚の作文とは 違って,中教審のヒアリンバ
がもたらす被害を 最小限に抑えようとする 意
に応じた各障害種別全国
図からであ った。
PTA
連合会の代表
の発言は,地域における 孤立の深さとそれを
「両親は,ともかくも自分たちの
打ち破りたいという 願いをうかがわせる。
普通学校に通っているという
「今までは子どもたちだけではなくて ,結
果的に保護者も 分離してしまっているので
お互いの情報交換はこれまで
子どもが
事実に勇気づ
けられるであ ろう。 障害をもつ子や 重い困
難を持った子どもがその
,
現実にはほと
同じぐらいの 年齢
の 兄弟姉妹たちと ,同じ学校へ通うことが
んどない。 しかし, 日本 PTA 全国協議会
できるということはよいことだ。
も, 盲
普通学級の子どもたちにとっては ,特殊な
聾 ・養護学校に 通っている子ども
・
その上に,
たちの保護者の 方々と連携をとろうという
必要を持った 子どもたちを 知る機会があ り,
動きをしているので ,一緒に,情報交換で
障害をもった 子どもたちにとっては ,同年
きる場を増やすことについて 協力する必要
代の子どもたちの 行動を見る機会があ
があ ると 思、 6 目
「今までの特殊教育は 障害のあ る児童・生
だ 0
20QW 年報告と読み 比べれば,人が生きると
徒の海の教育の 場を設定し,その中で特別
いう事実に対する 感受性,リアリティの 在り
い くというものでした。
な教育を提供して
この形の中においては ,
るの
」
万の隔たりを 感じざるを得ない。
ともすると「障害
のあ る子供」という 部分が重視されるあ
りに,「地域の中の一人の子供」であ
ま
ると
3
「専門性」への疑問
文科 省は ,
日本の特殊教育は「量的な 面に
いう点が忘れ 去らせてしまい ,その存在が
おいて概ねナショナルミニマムは
見えなくなってしまいがちでした。
いる」 (2003年報告) と胸を張っている。 高
対して,特別支援教育の
それに
考え方においては ,
達成されて
等 部の配置も満足ではないのにそこまで
書く
まず「地域の 中の一人の子供」であ るとい
べきではないと 蹄曙 する声を抑えて 言い切る
うことが基本となります。 その中でその 子
ところに,文部官僚の 障害をもつ子に 対する
供 - 人一人に必要な 内容の支援が ,それぞ
視線の角度を 感じさせる。 だが,その中身を
見れば,ナショナルミニマムとはほど 遠いこ
れ適切な場においで 提供されていく 様にな
ると考えております。 これにより, 盲 ・ろ
う・養護学校や 特殊学級に在籍する 子供達
とが分かる。
もそれぞれの 地域の中においての 存在がき
教員の「専門」的な 技量に行き着くのだが ,
ちんと認識されるようになる
盲 , 聾 ・養護学校の 教員の特殊教育教諭免許
状の保有率は ,盲学校21%, 聾学校31%, 養
(中略) 。
こ
し
迎
歓
。
@
︶
@
臣
@
大
@
可
の
方
そ
り "Ⅱ
あほす
で き
のり
もお
たて
のことは私達が 以前より強く 待ち望んでい
ウォーノック 報告が, いますぐにできるイ
ンテバレーションの
第一歩として ,「位置の
特殊教育の「専門性」とは ,つまるところ
護学校52% 。 養護学校の免許保有率は 9 割か
ら 3 割まで地域によってかなりのばらつきが
みられる
(2001 年報告 ) 。
じっさい, 2001 年報告, 20(M3
年報告,申救
43
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
審 答申を通して , 盲 , 聾 ・養護学校の 教員の
特殊教育教諭免許状保有率が 十分でかいと
ぅ
この事実は,障害をもっ 子のために用意した
「特殊な教育の場」のマージナル な位置づけ
い
,現場ではよ く知られた実状があ らためて
を象徴している。
問題視されている。 それはそのまま ,「特殊
教育関係教職員の 専門性の向上が 必要」(2001
年報告), 「特殊教育教諭免許状保有率が 特殊
4
教育諸学校の 教員の半数程度であ るなど専門
の「障害をもっ 者の機会均等に 関する基準規
性 が不十分な状況にあ
る」
(2003年報告)
と
,
特殊教育諸学校の 教育の「専門性」に 対する
疑問へと直結する。
当分の間,基礎免許状だけで 特殊教育講学
校の教員になることを 認めるという 教育職員
免許法の特例に 寄りかかって ,文科省も都道
府県教委も計画的な 教員養成を怠ってきたの
判別の論理
WHO
に よ る「障害」概俳の 再定義や国連
則 (1993年 ) を引くまでもなく ,「障害」を
もっぱら「個人の 属性」に還元する 障害観は
急速に姿を消し ,心身の機能不全 (lmpairmerlts) という個人内因子と 環境因子の相互
作用,つまり 関係概念としてとらえる 見方が
支配的になっている。
」
戦後特殊教育を 支えてきた判別の 論理は ,
験の範囲に限っても ,員数あわせのために 期
両眼の矯正視力が 0.1未満 (盲者), 両耳の聴
力損失が 90デシベル以上 (聾者), 精神発育
眼付きで特殊教育諸学校に 配属された教員の
の遅滞が中度以上もしくは 軽度でも社会的適
側 は,それこそ枚挙にい とまがない。
応 性が乏しい者
だから,当然の事態ではあ る。筆者の狭い経
それだけではなく ,免許状の中身に 対して
も,「実践を伴う免許状という 部分について
は ,盲学校では,やはり点字ができるかどう
かが重要。 聾学校では,やはり 手話ができな
い先生が来ても ,指導をしていけないのでは
ないか, とは、 う 」などと,その「専門性」を
疑問 祝する声は少なくない。
特殊教育諸学校,とくに 長い歴史をもつ 盲
(精神薄弱者 ) などの判別基
準が示すように ,個人還元主義的な 障害観に
基づき,社会順応度を 振り分けの目安とする
ものであ った。 (学校教育法施行令第 2m条の
3, 1962 年改正)
1979 年を控えて,「精神薄弱養護学校」と
「精神薄弱特殊学級」の 境界領域にあ る子ど
もを振り分ける 手だてとして 登場した「精神
薄弱者のための 発達診断 表 (表 2) は,こ
」
学校,聾学校には実践に基づくスキルが 蓄積
うした判別の 論理を象徴する 位置を占めて
されている。 それは,障害をもつ 子どもの 教
る。
育 にとって貴重なリソースであ るに違いない。
特殊学校教諭免許などもたなくても ,現場で
ぃ
火線が 養護学校と特殊学級の 分岐線であ る。
「発達段階」は,
ここでは説明のための 仮
子どもたちとまともに 向き合って日々圭 - きる
ことで,借り 物でない力 を身につけていった
説としてではなく ,すべての人間に 当てはま
る実在的な過程と 見なされ,子どもを 普通学
教員たちもたくさんいる。
問題は,文科省や教育委員会が ,「養護学
級 ,特殊学級,養護学校へと振り分けるとい
う 実用的な機能を 期待される。 この発達の道
校でこそきめ細かく 専門的な教育が 受けられ
筋から外れた 者は,特別な場できめ細かく 矯
る 」などと言いながら ,肝心の教員免許につ
正されなければならない ,ということになる。
いてはぞんざいにあ っかっていることであ る。 「『社会順応庭コが 高まることをⅠ発達 コと
44
伊藤
ナて
を手
さる
@
一
どでこ食
ほで
フて
でを
る る
て
ん乗
ち
てや
一
三は 初色
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を返 ね
コ水
方
の一方
一連動機能
手を上
え下
た
まに
立す
着き
わコプ
ボ ら
らて
を 尼を
着要差
臼田
ユ-
ァらず衣を
6
腕巾
ずるを
べ
一 を
き でをは
辺
イた
らいのす
意し
でえ
ば便
卓由 る 小き
食とき大と
身
か
F 言語理解
なる
は食
や
ンで
人
握るっ
な すも
スベコ
ンと を
一ぅプ
食む
一一
発達診断表
表2
な っす
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令旨宴会
って接
ど
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@
ム百
阿利
生
川 綱目
偶穏
一バをタ表
るとモタ
、むなっての
社
の をでき
@
ど
子手
と
舌
45
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
呼び,それを高めることを『教育』と 呼ぶこ
らの意志で選ぶという 自己決定権 を実質的に
とで,特殊教育が 成り立っている」という 批
欠いた,行政が指定する場に 就学することに
判は,戦後特殊教育の 本質を言い当ててい
よって初めて「保障」されるというものとし
る 。
てしか与えられていない。
5
者が自分の意志で 学校を選ぶことはまったく
急、 いで付け加えれば ,障害をもつ子と保護
就学強制
「教育を受ける権 利」と「義務教育」は ,
不可能ということはない。 さきに触れた 新居
歴史的にも論理的にも 素 ,性を異にしている。
浜 市に住む星加長岡さんは ,病気の予後を 家
この 2 つが大きな 組 鱒を見せないのは , 子ど
庭で見守る必要もあ って,地域の小学校への
もを就学させるべき 普通教育の場としての
就学を認められた。 ただし,その際,「学校
小・中学校が , 地 ・域の中にあるからであ って,
にいる問は保護者が 付き添う」「教材など り
かりに通学に
っ
2
時間もかかるような 遠くの学
校を指定されたら 誰も納得しないだろうし
,
「教育を受ける権 利」と「義務教育」の 間の
亀裂がたちまち 顕在化する。
障害をもつ子と 保護者にとって ,「教育を
受ける権 利」は,その権 利を行使する 場を自
さいの特別あ つかいはしない」などの 条件
を伺けられた。 つまり,行政が指定する特殊
教育諸学校に 就学しない場合は , 他の生徒に
給与しているいっさいの 教育サービスは 行わ
ないということであ
る。
養護学校の義務制度化以降,
精神年齢36 か 月未満の者の
平均的プロフィール
(調査対象者
Ⅱ
6名 )
(調査対象者 64 名 )
精神年齢36-47 か 月の者の平均的プロフィール
G
社
F
余生
活
46
H
こんな例はそ
れこそ枚挙にいとまがない。
日本の公教育は ,
障害をもつ子どもと 保護者にとって
,公権力
殊学級から高等部への 進学率も 50% を超えた。
進学率のこうした 上昇傾向から 見て,とくに
による強制教育 (compulsorye はlucation) .y、
外の何ものでもない。 戦後特殊教育は 人権 侵
義務制度化が 遅れた養護学校では 高等部まで
は手が回らず ,高等部の併置校 が全体の半数
害そのものといっていいこの
にも満たない 地域があ
強制就学によっ
った。 通常の学校では
て支えられてきたのであ り,であ るがゆえに
すでに高校教育が 準義務化の状態であ
次に見るように 厳しい批判
ら,戦後特殊教育の 制度としての 整合性を保
口 晒されているの
であ る。
ったか
つためにも高等部の 整備は急務となっていた
のであ る。
第 3 章 戦後特殊教育の「終焉」
幼稚部もとくに
養護学校において
設置率
@ 奇妙な答申 (報告) ラッシュ
「はじめに」で触れたとおり ,特殊教育全
般をめっかったものに 限ってもこの IcW
年足ら
3.1% (1996年 5 月現在) と大きく立ち 後れ,
ずの間に 3 つの「報告」が 出された。 特殊教
育に関わる政策の 継続性,整合性を疑いたく
ていない。
かりに整備されたとしても , @ま と
なるような 輻較ぶりであ
育 諸学校の幼稚部に ,毎日幼児をわざわざ通
る。 しかし, 3 つの
最新の「学校基本調査」でも 在籍者はわずか
133 人,幼児教育の面では養護学校は
機能し
んどは自宅から 遠く離れた場所にあ る特殊教
報告を読み比べてみれば ,これらの協力者会
園させるなどということは , もともと 現挺時it
議をコントロール
れした話しなのであ
し
,実質的な報告作成者に
る。 だからほとんどの
幼
なっている文部官僚の 政策意図は, じつはし
児は地域の幼稚園や 保育所に通っているわけ
っかり貫かれていることが 分かる。 以下,そ
で ,そのまま地域の小学校に就学させたいと
れを確かめてみよう。
保護者が願ったとしても 不思議ではない。 早-
期からの教育相談には ,これらの保護者に「特
1997 年 1 月「特殊教育の 改善・充実につい
て
申
(第一次報告 ) 」は,双年 7 月の中教審 答
「
21 世紀を展望した 我が国の教育の 在り方
について
(第一次答申 ) 」が「障害等に 配癒
殊教育に対する 理解」を広める 機能も期待さ
れているのであ る。
高等部の充実と 早期教育相談が ,戦後特殊
した教育の充実」の 項で提示した 課題のうち,
教育の上と下への 縦の整備拡充とすれば ,そ
早急な対応が 求められるものとして
れを横につなげようとするのが 交流教育であ
, 盲 , 聾
・
養護学校の高等部の 拡充整備と訪問教育の 実
施,交流教育の充実,早期からの教育相談の
充実,の 3 点に答えたものであ る。
戦後特殊教育は 通常の学校系統と 特殊教育
る 。
国連障害者の 10 年の最終盤と 重なる g(W年代
前半は, 1990 年アメ lJ力 障害者法 , 2993 年 ア
、ジア太平洋障害者の
10 年
(一 2002
年 ),
国連
諸学校という 二本立ての学校制度を 取りなが
第48 回総会決議「障害をもつ 者の機会均等に
ら,後者は小学部・ 中学部の整備に 重点が置
関する基準規則
かれ,義務教育ではない 幼稚部や高等部では
ンカ宣言,韓国特殊教育振興法と 大統領令な
立ち後れていた。 1980 (昭和 55) 年 52.7% で
あ った高等部への 進学者は,その後増え続け
ど, ノーマライゼーションの 顕著な進展が 見
て 1996 (平成 8) 年には 1.5倍に増加し ,特
だが,こうした動きはこの答申にはまった
コ
,
1994 年ユネスコのサラマ
られた。
47
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
く
反映していない。 日本政府は,国連総会が
右の「基準規則」を 採択しようとしたとき ,
2
21 世紀の特殊教育の 在り方について
「
∼
一人一人のニーズに 応じた特別な 支援の
(規則 6) 「統合された 環境での初等,中等,
高等教育の原則」に 対して,「ただし ,障害
のあ る児童生徒に 対しては,特殊教育がもっ
在り方について
Ⅰ
とも適切な教育の 場として考慮される 場合が
月
∼
(最終報告 )
」
(200 年
Ⅰ
) をめぐって
2001 年の「2 丁世紀の特殊教育の 在り方につ
あ るものとする」という 例外条項を挿入させ
いて」は,「社会のノーマライゼーションの
た経緯があ るというから ,当然といえば当然
進展」を踏まえて ,特殊教育の軸足を「特別
であ る。 1997 年報告は交流教育の 促進にかな
りの紙幅を割いているが ,交流教育が統合教
な場」から「特別な 教育的ニーズ」へと 移す
育の否定の上に 成り立つものであ る以上,障
害の種類と程度に 応じた分離・ 別 学制度はい
きな反響を呼んだ。
ささかも揺るがずその 前提となっている。 報
の「報告」は ,かたちの上では審議を尽くし
「
ことを提言したものとして ,関係者の間に大
この協力者会議に 限らずこの種の 諮問会議
昔 」では,「交流教育は ,障害のあ る児童生
てまとめたように 見えても, じっさいには 課
彼等の経験を 広め,社会性を育成するととも
題の設定,会議資料の 選定,議論の方向づけ
、
、
、
、
、
、
に,障害のない児童生徒等の 豊かな人間性を
など,議論の基調は文部官僚がコントロール
形成する上で 重要な教育活動となっている」
し
(傍点引用者 ) などと,その重要性を繰り 返
,文案も「事務局」となった 文部官僚が書
いていることは ,議事録を読まずともたいて
し説き聞かせている。 だが,交流教育の 意義
いの人は知っている。 この「報告」も ,あら
を強調すればするほど ,かくも重要な課題を
かじめ決めてあ った文科省の 方針そのものな
ないがしろにしている 別学制度の不自然さを
のだが,そこに「ノーマライゼーション」と
浮き立たせる 結果になることに ,文部官僚は
気が付かない。
いう語を, たとえ言葉だけだとしても 散りば
「ノーマライゼーション」という 言葉は,
「障害者プラン (ノーマライゼーション
7
か
(1995年 12 月策定) など,政府の政
策用語としてすでに 定着していた。 だが,こ
年 戦略)
」
の報告では「ノーマライゼーション」はもち
めておかなければ ,障害をもつ人の処遇に 関
わる言説としてそもそも 通用しなくなってい
る,
という時代の 趨勢に対応して ,戦後特殊
教育の部分的な 修正を図ること
,ここに2001
年報告のねらいがあ った。
それはそうとして ,たとえば次のような 文
ろん,「権利」という言葉さえ - 度も使われ
面は,確かに「特別な 場」にこだわってきた
ていない。 要するに, 1997 年の時点では , 文
戦後特殊教育の 転換を読む者に 予感させる。
都 省は戦後特殊教育の 拡充・整備を 目ざしこ
そすれ,見直しなどまったく 考えていなかっ
たのであ
る。
「これまでの特殊教育は, 盲
・
聾 ・養護学
校や特殊学級などの 特別な場において ,障
害の種類,程度に応じた適切な 教育を行う
という考え方に 基づいていた。
れからの特殊教育は……障害のあ
しかし,こ
る児童生
徒等の視点に 立って児童生徒等の 特別な教
育的ニーズを 把握し,必要な教育的支援を
48
行うという考え 方に転換する 必要があ る」。
さて, 2001 年報告の柱は 次の
5 つであ る。
ノーマライゼーションの 進展に向け,
1.
・
ィ尹
藤
レ,
つ
,点から考えることが必要であ (371
る」
す
ネ児
「特殊学級にい くか,普通の 学級に い くか
については行政処分なのか。 就学指導委員
障害のあ る児童生徒の 自立と社会参加を
会を傍聴することを 保護者に認めている
社会全体として ,生涯にわたって 支援す
が少ないということに 驚いている。
(生涯にわたる 支援)
る
幼児期から学校卒業後まで 障害のあ
る
子
どもとその保護者等に 対する相談・ 支援
どもの意見表明も 保障する必要があ
る
子
口
「就学指導に当たって,保護者が意見表明
することは当然のことであ
り,その趣旨を
1391
を行う体制を 整備する (早期からの総合
もっと表してほしいⅢ
的な相談・支援 )
繰り返しになるが ,ほかならぬこの 種の批
3. 障害の重度・ 重複化や多様化を 踏まえ,
盲
・
饗 ,養護学校等における 教育を充実
判に対処すること ,これがこの協力者会議に
文部官僚が求めた 第一の課題であ
った。
するとともに ,通常の学級の特別な教育
的支援を必要とする 児童生徒に積極的に
無視してきた 文部官僚が,なぜこの 時期に対
対応する① D,
応 に苦慮するようになったのだろうか
畑コHD
などへの対応 )
4. 児童生徒の特別な 教育的ニーズを 把握
し,必要な教育的支援を 行うため,就学
指導の在り方を 改善する (就学指導の改
善)
それにしても ,
このような批判を 一貫して
その理由として 考えられるものの
"
d
つに,
国連「子どもの 権 利委員会」の 勧告があ る。
「子どもの権利条約」は,締約国に 条約の
実施状況に関する
5. 学校や地域における 魅力と特色あ る 教
報告書を定期的に
国連の
「子どもの権利委員会」に 提出させ,委員会
育 活動等を促進するため ,特殊教育に関
は,その報告書を 審査し,問題点の指摘や,
する制度を見直し ,市町村や学校に 対す
改善のための 提案・勧告を 盛り込んだ総括 所
る
支援を充実する
(条件整備 )
このうち,就学指導の 在り方, LD など特
見を出す仕組みを 取っている。 日本政府が
1996 年に提出した 第 1 回報告を審査した 委員
別な教育的支援を 必要とする児童生徒への 対
応,特殊教育の改善・充実のための 条件整備
会の総括所見は , 1998 年に示された。
の 3 点について踏み 込んだ提言をしているの
の 問題点を広く
だが,なかでも「就学指導の 見直し」に力点
ついてここで
を置いていた。
分離・別 字 ねこだわる戦後特殊教育に 対す
もつ子どもの 権利に限っても 次の
る
児童の
権 利条約の観点から ,保護者だけでなく
2. 教育,福祉,医療等が
一体となって 乳
市
批判は厳しさを 増す一方で,文部省の 協力
日本に住む子どもが 置かれている 人権状況
指摘した「総括所見」全体 に
触れるいとまはないが ,障害を
2
点につい
て是正を勧告している。
「障害者基本法は 993 年 ) に規定された 原
者会議の委員の 間でさえ,現行制度下での 権
則にも関わらず ,障害をもつ子どもの教育
利侵害を指摘する 者は少なくなかった。
「特別な配慮が必要な子どもを 特別の場で
への実効的なアクセスを 確保しかっ ,障
害を持つ子どもの 社会への十全な 包摂
隔離して行うのではなく ,地域社会の一員
として当たり 前に暮らせる 方向性を探ると
(inclusion) を助長するために 貴 締約国
によって取られた 措置が不十分であ る」
49
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
叩 障害を持つ者の 機会均等に関する 基準
規則』 (国連総会決議 48/96) に照らし,既
存の法律を現実に 実施するためにさらなる
努力を行うべきこと ,障害を持つ子どもの
就学指導委員会は ,
就学措置決定に 際して保護者が 意見表明
する機会を設ける。
および,障害を 持つ子どもに 対する差別を
学校への門を 開いたものと 受け止められ ,障
減少させ,かつ,障害を持つ子どもの社会
害 をもつ子の教育はノーマライゼーションに
意識 向 」 こ キャンペーン
たこ
Gncluslon)
長する会すべき
助
を を開放
施設収容に代わる 措置を実施すべきこと ,
この改訂は,文科 省 が障害をもっ 子に普通
への包摂
つまり, 日本政府の政策は ,教育制度を含
めて障害をもつ 子の社会へのインクルージョ
ン
の意見や保護者の 意見を聴くこと。
②市町村教育委員会の
という点で不十分であ り,それは子どもの
向けて大きく 踏み出した, という類の報道が
相次いだ。
確かに,別字主義の制度枠組みが 緩んだの
は間違いないしそのことがもつ 意味は小さ
くはない。 だからといって ,これを文科省の
権利を侵すものだと 指摘されているのであ る。 統合教育への 方針転換と僻するのはまったく
ともあ れ, 2001 年報告を受けた 文科 省
の読み違いであ る。 -ヒの初等中等局長通知で
W昭和 3,7年 ) 年に制定してから 40 年
も,「特別の事情があ ると認める者 (以下「認
間手つかずのままで ,すでに実情に合わなく
定就学者」という。 ) を除き,盲学校,邸学
なっていた 盲
校及び養護学校において 教育すること」と ,
は, 1962
・
聾 ・養護学校に 該当する者の
判別基準を改定,さらに 市町村教育委員会は ,
判別基準に基づく
小・中学校への 就学が可能と 判断できる「特
いる。
別の事情」があ る場合は, 盲 , 聾 ・養護学校
「原則分離」を念 押しして
じっ さいにはこの 政司・は,大@ を中心に 30
に就学すべき 児童生徒でも 小 ,中学校に就学
年にわたって 事実として続けられてきた 統合
させることができることとした
教育を,「特別の 事情」があ る例外的な措置
(「認定就学
)。
これにともなって ,文科省は初等中等教育
者」
局長名で各都道府県教育長などに
次のような
「留意事項」を指示をしている。
①「認定就学者」の 認定に際しては ,次の
点に留意しなければならない。
1
小・中学校に ,障害に対応した
施設
小・中学校に ,指導面で専門性の 高
い教員が配置されていること。
3
重複障害をもつ 場合は, 日常的に医
療的ケアなど 安全上の配慮や 障害に応
じた適切な指導の 必要があ ること。
4
障害の種類,程度等に
教育の内容および
50
であ って ,
応じた適切な
方法について 専門家
「ともに学ぶ」運動と 教育実践の
積み重ねがなく ,障害をもつ子が地域の学校
で学ぶ姿が当然の 風景として定着してはいな
い多くの地域では ,右の 1 一 4 の高い ハ 一ド
ルは ,
や設備が整備されていること。
2
として追認したつじつま 合わせに過ぎないの
逆に地域の学校への 就学を求める 保護
者の要求を跳ね 返す機能を果たしかれない。
(図 1)
保護者の意見表明も 権 利として認めるので
はなく,行政処分としての 就学措置を円滑に
進めるための
対策の一つ,まさに「就学指導」
の一環として 導入されたのであ
ノーマライゼーションという
る。
語は用いても ,
文部官僚には 統合教育を積極的に 推進するつ
もりはさらさらない。 だとすれば,地域の 普
伊藤
通学校への門を 形式上は開いてみせ
よって国内外の 批判をかわすこと
,それに
,この改訂
の 主たる関心はこの 点にあるということにな
備
一 マライゼーションの
進展に向け,障害のあ
る 児童生徒の自立と 社会参加を社会全体とし
て 支援するという 観点からも特殊教育は
らないか。
・推進されていくであ ろ つ.
2001 年 Ⅱ 月 ,ユネスコの AP,EID
(アジア
整
今日の我
が国における 障害のあ る子どもの教育の 現状
太平洋地域教育開発計画 ) 第21 回特殊教育 地
と動向を語るとき ,まず,認識しておかなけ
域 セミナ一において ,国立特殊教育総合研究
ればならないことは ,我が国の「特殊教育」
前 は,「日本における 特殊教育の新動向と 国
は,教育のシステムやカリキュラム
等が,児
際 協力」と題するカントリー・レポートで
葦生徒個々の
の状況や
,
障害 (i@mpa廿ment)
早速この報告を「活用」している。
それに基づくさまざまな 社会生活上の 困難を
「日本では,障害のあ る幼児児童生徒一人
一人のニーズに 応じた質の高い 教育支援を @
考慮した上で ,通常の教育分野と 有機的に連
擁 して教育的なサービスを 行うべく機能して
層充実して い こ う とする方向にあ る。 このこ
おり,通常教育とは
い、
、 、 、 、 、 、 、 、 全く分離されたもの
、 、 、 、
(
とは,文部科学 省 が設置した調査研究協力者
ね める分離型教育 ) ではない,ということで
、、 、、
会議による,日本の
あ る」(421
"
を
特殊教育の将来の
、
方向,注
提言した,「21 世紀の特殊教育の 在り方に
ついて
(最終報告書 )
」
(2001年 1 月 ) のサブ
、
、
第4章
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
中教審答申と「特別支援教育」
支援の在り方について」として 示されている。
Ⅲ 「今後の特別支援教育の 在り方につい
て (最終報告 )」について
今後, 日本の特殊教育は ,このような観点か
2001 年報告が出されてから
タイトル「一人一人のニーズに 応じた特別な
,
9 ヵ月後の 2001
(平成13) 午 IQ 月 ,文科省は新たに「特別 支
ら質の高 い教育の実現を 目指すと同時に , /
(図 l )
小・中学校における
認定就学者数の
推移 (各年5 月Ⅰ
1400
認定就学者数人︶︵
Ⅰ
200
Ⅰ
000
i
日
現在)
1.31 名人
800
600
400
200
51
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
援 教育の在り方に 関する調査研究協力者会
則 」を採択し,これに 基づいて加盟各国への
議」を発足させた。 いかにもあ んただしいこ
モニタリンバが 続けられていたが ,
の 動きに,文科省 とそれにつながる 学者や専
門家など特殊教育関係者の 困惑ぶりが見て 取
力 め 強い障害者権 利条約を求める 声が再び高
れる。
回国連総会がメキシコの 提案を受けて 障害者
その背景として ,
-
つには「発達障害者支
援法」(2004年 12 月 ) へとっながる LD, ADHD,
まっていた。 この動きは, 2001 年 12 月の第56
権 利条約の策定に 入ったことで 新しいステー
ジを迎えた (後述) 。
高機能自閉症などへの 教育的対応を 要求する
声の高まりがあ る。 LD
より拘束
など,従来の特殊教
いずれも戦後特殊教育の 枠内では処理でき
ないこれらの 難題を一挙に「解決」するべく
育の枠からは 外れているが 学習上の困難をも
文科省 が打ち出したものが「特別支援教育」
っている子どもの 教育上の処遇については
であ った。
,
じつはさきに 触れた1996年中教審答申におい
て重要課題として 挙げており,文部官僚にと
って具体的な 解決を急がねばならない 最大の
実践的なテーマであ った。 1997 年報告は「第
一次報告」ということでスキップしたが
, 1999
年 「学習障害児に対する指導について
(最終
報告 )
」
(学習障害及びこれに 類似する学習上
の 困難を有する 児童生徒の指導方法に 関する
調査研究協力者会議 ) で Ln
についてはとり
, ADHD
あ えず手がかりをつけたものの
や
高機能自閉症を 含めた施策となると , 2001 年
報告でも実態把握のための「全国的な
調査」,
U別 基準,教育的対応の 研究」などを 掲げ
るほとどまっていた。
「
半
こうしたりわば 技術的な問題にも 増して文
部 伯 僚の頭を悩ませていたのは
どもへの特別な 教育的支援と
,これらの子
,「特別な手だ
て」を (場) の問題に限定してきた 戦後特殊
教育との整合,性をどう保っかということであ
った 。
もう一つの問題は
,ノーマライゼーション
や インクルーシ フ な教育をめざす
圧力であ
国際社会の
る。 国連では,日本などの 反対で 頓
推 した障害者差別撤廃条約
(1987年,国連専
岡家会議 ) に代わるものとして
,さきに触れ
た 「障害をもつ者の機会均等に
関する基準規
Ⅰ
特別支援教育の 概念
2001 年報告でははっきりしていなかった
「特別支援教育」の 概念は,この報告では次
のように定式化されている。
①対象の拡大
従来からの特殊教育対象者
(学校教育
法施行令第 22 条の 3 の該当者 ) に , 新た
に LD (学習障害 ), ADHD
(注意欠陥
/ 多動性障害 ), 高機能自閉症などの 子
どもを加える。
②「 場 」から「ニーズ」 へ
障害の程度等に 応じ特別の場で 指導を
行 う 「特殊教育」から ,障害のある児童
生徒一人ひとりの 教育的ニーズに 応じて
適切な教育的支援を 行う。
③特殊教育概念の 転換
身体機能や構造の「欠陥を 補う」とい
う 視点で捉えるのではなく
,「生活や学
習 上の困難や制約を 改善・克服する」 た
めに適切な教育及び 指導を通じて ,障害
のあ る児童生徒の 主体的な取り 組みを支
接 する。
④個別の教育支援計画
(多様なニーズに 適
切に対応する 仕組み)
障害のあ る子どもを生涯にわたって 支
伊藤
接 する観点から ,一人ひとりのニーズを
教育免許状を 総合 ィ とするとともに ,免許
把握して,関係者・ 機関の連携による 適
助 な教育的支援を 行うために,教育上の
保有率の向上を
図る。
指導や支援を 内容とする「個別の 教育支
以上が2003 年報告の概要であ
援計画」を策定する。
この報告は,統合教育を 求める運動を 続け
る。
てきた人たちの 一部に,「一歩も z: 歩も私達
2
制度改正
が望むインクルージョン
「特殊教育」から「特別支援教育」への 転
換のために,次のように 制度整備を行う。
へ 近づいており
込
,新しい制度を 構築
するように調う 画期的なものになっていま
①特別支援教育コーディネーター
す 」と大きな共感と 期待を呼び起こした。
教育的支援を 行う人や機関の 間の連絡
調整にあ たるキーパーソンとして
む教育)
栓 ての子を包み
,「特
2003 年報告が,従来の就学指導を「やや 画
一的な面があ った」と批判した 上で,さきに
別支援教育コーディネーター」をすべて
触れた学校教育法施行令の
の小・中学校および 特殊教育諸学校に 配
者 ) により,今後は「現行制度の 一層の弾力
ま
匿 する。 コーデイネーターは ,学内,
化や効率的運用」が 可能となるとこれを 評価
改正 (認定就学
たは福祉・医療等の 関係機関との 間の連
したり,特殊学級についても「制度として
絡調整役として ,あるいは保護者に 対す
授業時間固定式の 学級を維持するのではなく
る学校の窓口の 役割を担う。
通常の学級に 在籍した上で 障害に応じた 教科
②盲
・
聾 ・養護学校の「特別支援学校
(仮
全
指導や障害に 起因する困難の 改善・克服のた
称 )」への一本化とセンター 化
めの指導を必要な 時間のみ特別の 場で教育や
障害の重複化や 多様化に対応した 障害
種 にとらわれない 学校設置を制度上可能
指導を行 う 形態」として「特別支援教室」に
替える よう提言しているのを 読めば,そんな
にするとともに ,地域において小 ,中学
受け止め方も 理解できなくはない。
校等に対する 教育上の支援
(教員,保護
者に対する相談支援など ) を担う特別支
援教育のセンター 的役割を果たす 学校と
して「特別支援学校
(仮称)」の制度に
改める。
③小・中学校の「特殊学級」の「特別支援
だが,文科省は本当にインクルーシ フ な教
育へと転じたのだろうか。
じっさいには ,
2003 年報告は,学校教育法
施行令第 22条の 3 に該当する子どもの 教育は,
特別支援学校が「中心的に 担う」とはっきり
言っているし ,障害の程度が「中軽度」の子
(仮称)」への改編
在籍が固定されていた 特殊学級の制度
どもの教育の 場として相変わらず 特殊学級
を,通常の学級に 在籍した上での 必要な
時間のみ「特別支援教室」の 場で特別の
直しとして新たに 提言しているのは ,在籍固
定型の「学級」を 通級型の「教室」に 変える
指導を受けることを 可能とする制度に 一
ことだけであ る。 そして,それは「特別支援
本化する。
教育」への転換の 主たるモチーフが ,
④「特別支援教育の 専門性」の強化
盲
・
聾 ・養護学校に 分かれている 特殊
(特別支援教室 ) をあ てている。 学ぶ場の見
ら㌔D, ADHD,
もっぱ
高機能自閉症などへの 教育
的対応にあ ったことから 導き出されている。
53
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
f7 年度「学校基本調査」に
平成・
よ
れば,特
ニーズに適切に
対応する仕組みとして「個別
殊学級は 9 万人余りの該当者を 対象に小学校
の教育支援計画」を 一人ひとりの 子どもに 作
23,706 学級,中学校10,308 学級,合わせて 3
ることが不可欠であ る。
2003 年報告は , 次の 3 項を盛り込んだ「 個
万 4 千ほど設けている。 ここに小・中学校の
児童生徒総数の 約 6%,
れる LD
70 万人近いと推計さ
などを加えると ,膨大な数の特殊学
級を新設しなければならないことになる。
っほ うで,特殊教育への 財政支出は, 盲
別の教育支援計画」を ,専門家や保護者の 意
見を参考にして 各学校で策定することを 提言
している。
・
①特別な教育的ニーズの 内容
②適切な教育的支援の 目標と内容
聾
養護学校に限っても ,学校教育費全体の 5.6%
を
占め,児童生徒一人あ たりの教育費は 小中
学校のそれの 9
③教育的支援を 行う者・機関
(2002年
一 10 倍に達している
(1975
アメリカの「全障害児教育教育法」
度 ) 。 2003 年報告は,「近年の 国‥地方公共団
年)
体の厳しい財政事情等を 踏まえ,既存の特殊
させる内容ではあ
教育のための 人的・物的資源の 配分の在り方
保護者の同意が 必要であ り,子どもの 教育的
ほついて見直しを
処遇の決定に 保護者が介入することを
行う」という ,特殊教育の
財政縮減をも 同時に課題としており
,「特別
支援教室」を「特殊学級」のように 在籍固定
型にすることは ,はじめから想定されて
かったのであ る。
文科省は協力者会議の「報告」を
の IEP
(個別教育プロバラム ) を想起
る。 もっとも, IEP
には
権利
(アクセス・ライト ) として認めているとこ
ろが決定的に 異なるが。
いな
それはともかく ,「適切な教育的支援の
目
標 と内容」として ,次のように指示されてい
待た
ることは見逃せない。
ず , 2003 年度から LD, ADHD, 高機能自問
症 といった子どもを 対象とした総合的な 支援
指導を含め必要となる 教育的な支援の 目標
体制の確立に 向けて「特別支援教育推進体制
及び基本的内容を 明らかにする。 福祉, 医
モデル事業」を 始めている。 2004 年
1
療等教育以外の分野からの 支援が必要とな
表した「特別支援教育ガイドライン
(試案)
「障害の状f を克服・改善するための 教育
月に発
る
」
場合はその旨を 併せて記述する」 (傍点
引用者)
では,「本 ガイドラインは ,全国の小・ 中学
「障害に起因して 生じる種々の 困難の改善
童生徒への支援体制の 構築に役立ててもらう
克服のための 指導」については ,「近年の国
ために作成したものです」とはっきり
際 的な障害観の 変化も踏まえれば 身体機能や
言って
いる。 「時局Ⅱ支援教育」の関心と対象はもっ
ぱら LD などの子どもにあ るのであ って, 従
来からの障害児のインクルーシブ
えていないことが
分かるだ る .
教育など考
つ
「報告」が提言している「個別の 教育支援
計画」についても 簡単に触れておこう。
「特別支援教育」は , 「ニーズに応じた 教
育 的支援」であ るから,子どもたちの 多様な
54
構造の欠陥を 補うと レ、 う視,点で捉えることは
適切ではない」,この「報告」の
う
冒頭にはそ
書いていたはずだ。 いまでは障害者の 間で
ずいぶん評判が 悪くなって改訂作業が 進めら
れている, 198(@
年の ICIDH
(WHO 国際障
害 分類) でさえ,「障害」をもっぱら 個人の
問題とみる旧来の 障害観を否定し
個人的要
因 と環境要因の 相互作用ととらえていたのに ,
、
「特別支援教育」では ,「障害」の「克服,
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
改善」があ いも変わらず 主要な教育課題とさ
。 (傍点引用者 )
「障害をもつ者の機会均等に
る
れている。 それなら,「一人一人の 教育的ニ
ーズ」といっても ,それは「- 人一人の障害」
、
、
、
、
異な
」
関する基準規
則」は1993 年 12 月 20 日国連総会採択,サラマ
でしかないのではないか。
ンカ宣言は 1994 年
6
月
i0 丁採択だから順序が
逆だが,発言者が悪々しそうに
3
、
あ るものであ り,単なる宣言とは
中教審答申
ている「条約」についてここで
2003 年報告の提言事項を 政策化するための
説明しておこ
2001 年 12 月の第56 回国連総会は ,メキシコ
が提案した「障害をもつ
さきに触れたように , 2004 年 12i月に「発達
言及し
0
つ
議論が, 2004 年 3 月から中央教育審議会の 特
別支援教育特別委員会で 始まった。
(?)
人の権 利と尊厳の保
護および促進に 関する総合的かつ 包括的な国
障害者支援法」が 成立し,発達障害児に 適切
際条約 (A Co
な教育的支援を 講じることが 国と地方公共団
血 ternational Convention
体の責務とされた (第 8 条 ) 。
いっぽうで,障害者権 利条約は中敷蕃の 委
Pr0tectthe 碕ghts andDignttyofPerSons
血鐸 ehens 血e
w th Disab Iities)
土
主
」
and
Inte 穿 al
t0 Pron)ote
and
(以 -「,障害者権 利条約
員会審議と平行して 成案作りが進められてい
と
た。 文科 省 に戦後特殊教育の 見直しを余儀な
国および国連オブザーバ 一に開かれた 国連総
呼ぶ。)
の 決議案を採択し
,すべての加盟
くさせたこの 2 つの要因が , 急テンポでそれ
会特別委員会 (アドホック委員会 ) を発足さ
ぞれ決着に向かうのを 横目で見ながら ,中教
せた。 アドホック委員会は ,アジア 7 名,ア
審は特別委員会だけでも 22 回の審議と 20 を超
フリカ
える団体からのヒアリンバを 行うなど,答申
名, NGCM 代表i2名など40 名からなる作業部
までに 1 年 9 ケ 月をかけて慎重に 検討を重ね
会を設けて条約草案の 起草を委ね, 日本政府
た。 答申の中身は 2003 年報告と大差がない。
代表も入ったこの 作業部会は 2004 年
にもかかわらず ,
駒草案を策定,委員会はこの
・
これほどまで「慎重」に ヨ,
7
名,中南米 5 名,西欧 5 名,東欧 3
1
月に条
年の夏に条文の
運ぶところに ,文部官僚と 彼らにつながる
第一読会を終えている。 200lM
年 l0 月にはそれ
特殊教育関係者の 困惑ぶりが表れている。 特
までの議論をふま えて示された 議長案に基づ
別委員会における 次の発言は , 彼らの本音が
き,タイトル 及び双文から 第 34 条まですべて
洩れたものとして 興味深い。
の条項にっき 議論が行われ ,会合最終日には
を
10 年以上前にサラマンカ 宣言において ,
議長修正案を 採択した。 議長は, 2006 年夏に
万人に対する 教育,又はノーマライゼーシ
予定されている 第 8 回委員会のあ と,国連総
ョンという観点から ,あるべき教育の 姿を
会で条約を採択することを 希望する 旨表明し
国際的に共有しようという 取組があ った。
ている。
「
サマラン ヵ 宣言や,その後国連で採択され
た標準規則は日本の 制度との関係では 趣の
、
、
、
、
(451
現在までにほ
ほ合意を得た条項のうち
,子
どもと教育に 関わる条文は 次の通りであ る。
、
異なるものであ ったが,拘束力がなかった。
こうした動きの 中で,今回の条約の策定と
いう動きにもつながった。 条約は拘束力の
第 tT 余 地域社会の一員として 地域の中で
暮らす権 利
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
生る権の及 れ ば
形こ,定そ。ぃ
活 。利決びるな
々権家権要
権の
ヰり
よ,JJJ
3, 障害をもつ子どもの 父母または家族
は,適切な情報,照会,カウンセリン
グなどを受ける 権利を有する。 これら
の情報は,家族が子ども自身について ,
また子どもの 充実した,社会へ統合さ
れた生活を送る 潜在能力と権 利につい
て,肯定的な考えを与える 方法で提供
生ⅠⅠ
つ等分らにけ設 べと
るる ,にたを
,決利と施の権を,社確に
リ
ム
ⅠⅠ
ことを奨励,かっ 確保する。
されるべきであ る。
第24 条 教育への権 利
1, 教育への権 利はすべての 障害をもつ
人が有する。 教育は,人間としての 潜
在能力の完全な 育成と尊厳の 意識を指
向し,人権及び基本的自由の 尊重を強
化するものでなければならない。
2, 教育への権 利には,障害をもつ 子ど
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
もが自らのをぬ
減 会の中でインクルー
ネヰ
な司ぃ
の用て
、ンブ な教育を受ける
権 利 (幼年早期分
入へのアクセス ,および
吊の学校制。
通
" 鵬
" 、
度 へ参 ; するための就学双準備への
ア
ロ
クセスを含む。 )
の 制度の中で
、 、、 、 、
もしる享ものなつは 事格
2
そ会のべ期をのの子道 す養る
え
,社件す早 刺股そのに有の
が
,
条
受
が
確乎,そ情をも与
どに
㎎
牡
m弟
:
,抽
障害をもっ生徒の 完全参加を保障する
ためのアクセ シ ブル な カリキュラム ,
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
媒体や技術,学習計画,建築環境など
,
必要とされるあ らゆるサポートを 受け
る権 利が含まれるべきであ る。
3, 通常の学校制度が 障害をもっ人のニ
ーズをまだ適切に 満たさない場合,特
別および代替的な 学習形式を提供する
こともできる。 ただしこれらは ,生徒
が 通常の学校制度で 教育を受けられる
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
ように準備することを 目的とし,通常
の学校制度と 同等の水準と
目標を反映
する質の教育でなければならない。
4, 特定の補助や 代替的なコミュニケー
ション方式が 必要な場合,これらは
通
常の学校内もしくは 特別教育学校で
提
(471
供しなければならない。
という。
5, 聴覚に障害のあ る子どもは手話によ
障害をもつ人の 処遇のうち,日本政府が
国
る教育を受ける 権 利を有する。 各締約
際社会に向かって「積極的措置」と
国は法的,行政的,政治的措置を講じ
ができ,なおかつ 差別ではないと
て,手話に堪能なろう 又は健聴の教師
要があるのは,特殊教育
の採用を保障し ,手話による 質の高い
出) ぐらいしか思 い 浮かばない。
教育を提供しなければならない。
だとしたら,戦後特殊教育は 人権侵害とは 無
6, 障害をもつ人は ,他者との平等に 基
誇ること
弁明する必
(への手厚い財政支
かりにそう
縁 なのだから,それと 原理的に対立する 第 14
づいて高等教育,職業訓練,成人教育
条第 3 項「共同学習を 積極的に進める」云々
への対等なアクセスを 持つ権利を有し,
を追加する必要はな
これらへの有効なアクセスを 保障する
い はずであ る。
唐突にみえるこの 改正の背景には ,
2001 年
のに必要な経済的もしくは 代替的なフ%
報告と同じく ,国連「子どもの権 利委員会」
の支援を受ける 権 利も有する 6l
"
の勧告があ る。 「子どもの権 利委員会」は ,
㎝
日本政府の第
ところで 中教審の審議が 始まったばかりの
2
回報告を受けて 2004 年
1
月
30
日に総括所見を 採択している。 委員会は ,前
2004 年 6 月,政府は障害者基本法の 改正案を
回の勧告に対する 日本政府の対応が 不十分で
提出し,教育に関わる第 14 条に次の第
あ ると指摘したうえで ,障害をもつ子の人権
状況について 次のように批判し ,是正を勧告
3
項を
新たに書き加えた 改正が成立した。
国及び地方公共団体は ,障害のある
児童及び生徒と 障害のない児童及び 生徒と
「
3
している。
「精神障害を含む障害のあ る子どもが, 条
の 交流及び共同学習を 積極的に進めること
的 で保障された 権 利の享受の面で 依然とし
によって,その相互理解を促進しなければ
て不利な立場に
ならない。 (傍点引用者 )
度およびその 他のレクリエーション 活動 き
、
」
あ まりに唐突過ぎる 改正ではないか。 2003
年報告には,障害のあ る子どもと障害のない
子どもの「共同学習を 積極的に進める」など
、
、
置かれており ,かつ教育制
たは文化的活動に 全面的に統合されていな
いことを懸念する。
」
「教育ならびにレクリエーション 活動およ
とはどこにも 書いていない。 協力者会議も 中
び文化的活動への 障害のあ る子どものいっ
教審もこれでは 立場がないと ,他人事ながら
そうの統合を 促進すること。 障害のあ る子
気の毒になってくる。
どものための 特別な教育およびサービスに
それだけではない。 日本の NGO
日本政府は国連の
によれば,
第 1 回アドホック 委員会
(2002年 8 月 ) に提出した声明で ,条約は各
配分される人的および 財政的資源を 増やす
こと」
通常の学校教育で 学ぶ子どもたちが 置かれ
国の意見を反映してひろく 受け入れられるも
ている状況についても ,総括所見は, 次のよ
のにしなければならない ,条約ができても 署
うに問題を指摘している。
名・批准する 国が 10 カ国くらいでは 意味はな
「教育制度の過度に競争的な 性質によって ,
いと述べ, また障害者のために 行なっている
子どもの身体的および 精神的健康に 悪影響
が生じ,かつ子どもが最大限可能なまで 発
日本の積極的措置は 差別ではないと 強調した
57
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
LT> などの子どもに 目が行きすぎていたた
達することが 阻害されていること」
「高等教育進学のための 過度な競争のため ,
学校における 公教育が , 貧しい家庭出身の
めか, 2003 年答申が,「特別支援教室」をも
っぱら・抽出型の機能的なものとしてイメージ
子どもには負担できない 私的教育によって
していたのに 対し中敷蕃は
補完されなければならないこと」
を提示することで ,事実」_, 従来の学籍固定
両者はメダルの 表 と裏 なのだが 0
型の特殊学級を 残すよう進言しているのだ。
いずれにせよ 障害者基本法に 先を越された
, 2005 年 12 月に中教審が 提出し
「特別支援教育を 推進するための 制度の在
ことによって
た
り方について (答申 ) 」では,障害のあ る子
どもと障害のない 子どもの「共同学習」とい
次の
3
つの類型
①特別支援教室
ほとんどの時間を 特別支援教室で 特別の
指導を受ける 形態。
②特別支援教室
比較的多くの 時間を通常の 学級 ア 指導を
う表現がじつに 9 回も用いられている。 もっ
受けっ っ ,障害の状態に応じ,相当程度の
とも,よく読めばそれはもっぱら 通常の学校
時間を特別支援教室で 特別の指導を 受ける
の特殊学級 (特別支援教室 ) と普通学級の 子
形態。
どもとの間の「共同学習」を 指していること
③特別支援教室
一部の時間のみ 特別支援教室で 特別の・
指
が分かる。
特殊学級 (特別支援教室 ) の学籍について
導を受ける形態。
は, 2003 年報告が普通学級在籍を
①のタイプがどんな 子どもを想定している
原則とする
ことを提言し ,中教審 もそのまま取り 入れて
いる。 さきに触れた 財政上の理由に 加え,彼
らがそう言うときの 視線は,現在の特殊学級
に在籍している 肢体不自由,知的障害,情緒
かは自ずと明らかであ ろう。
これが,文部官僚が「共同学習」という
を用いる際の 文法なのだ。
中教審答申は ,
しかし,
1
カ所 だけこの文
障害のあ る子どもではなく ,特殊学級から 生
法から逸脱して「共同学習」という
まれ変わった「特別支援教室」に 新たに通う
ている。
ことになる LD,
ADHD,
高機能自閉症の
どもたちに焦点を 絞っているのであ
Ln
などの子どもたちはもともと
「今後,盲
・
語を使っ
聾 ・養護学校 (特別支援学校
(仮称)) に在籍する児童生徒と ,地域の
る。
普通学級
に在籍し,「特別支援教室」ができたあ
大多数の子どもは 普通学級で多くの
子
語
とも,
時を過ご
小・中・高等学校等
W略 ) の児童生徒との
交流及び共同学習の 機会が適切に 設けられ
ることを促進するべきであ
る」
すのは間違いない。 だとすれば,それはその
これはいったいどういう 意味だろう。 知的
まま「共同学習を 積極的に進める」ことにな
障害養護学校高等部の 生徒と通常の 高校の生
っているのだ。 それどころか , LD
徒が ,ときおり「共同学習」をするとして
などの子
どもを程度の 差はあれ「特別支援教室」に
抽
出するのだから ,その分だけ普通学級の「合
理化」が進むことになる。 こんな「共同学習」
ならそれこそ 朝飯前だ。
だが,申救蕃は用心深い。
58
,
それは交流学習とどう 違うのか。「共同学習」
は,本来,「場の
統合」を双提としているは
ずではないか。 文法を誤るとこんなわけの 分
からない文章を 書いてしまう。
要するに,文科省は lA) などの子どもを 除
伊藤
い て分離・
別 学の原則を崩すつもりはまった
「
くない,にもかかわらず 障害者基本法が 改正
されてしまったので ,つじつまを合わせるた
3
分間で分かる / あ なたの特別支援教育
理解度テスト」というウェブ・サイトがあ る。
こんな簡単なことが ,なぜこれほど分かりに
それは,障害者権利条約をはじめ
めに こんな言葉遊びを せ さるを得ないという
ことなのだ。
文部官僚が特別委員会に 資料としで提出し
世界規模で繰り 広げられている「人権
た「特別支援教育の 対象の概念図」 (図 2)
う言語ゲームに 参加し続けるために ,文部官
を見れば,彼らがインクルーシ フ な教育に向
僚や彼らにつながる 特殊教育関係者が ,人権
かう意志などまったく 持ち合わせていないこ
侵害のシステムとしての 戦後特殊教育を
とが一目 l瞭然となる 0
ま
としたインクルージョンの 外圧をやり過ごし ,
ま
「特別支援教育」とは ,従来からの特殊 教
育に,もD, ADHD,
」とい
,さ
ざ な意匠で飾り立てようとするからであ
る。
高機能自閉症の 子ども
に対する「特別支援教室」での 支援を付け加
まとめにかえて
OECD
の第
回国際教育到達度調査
えたものなのだ。
長年にわたって 地域の普通学校で 統合教育
(PISA) の結果, 日本の 15 歳の成績低下が
に取り組んできた 宮崎隆太郎は , 2003 年報告
明らかになったことで ,一時下火になった「学
が 出た時点で,「私は
,従来からの障害児は
力低下」批判が 再燃し,教育改革の 中心 テ一
今後もやっぱり 障害児学級や 養護学校で教育
していくことになるのだろうと 考えていま
て は一気に「学力向上」へと 雪崩を打った。
全国学力テスト ,学校選択制をはじめとして ,
す 」と見切っている。
改革の基調は 新自由主義的な「競争と 効率」
2
(図 2)
特別支援教育
一新たな対象者一 一一Ⅱ十一従来の
特殊教育一一チ
i 軽づ
レ璽
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
であ る。すでに見たとおり ,「特別支援教育」
は,この基調に 何ら抵触するものではない。
に注目してきた ,障害を生み 出す社会 は
disabling society)によって作りあ げられて
むしろ,これまで 通常の学級に いた 子どもた
きた」 ど指摘している。 それは公の言説にさ
ちを,「特別支援教室」に 頻繁に分離するこ
え覆いようもなく 露呈するこのようなメンタ
とで教室を「合理化」する。
リティに ,
頭のてっぺんからつま 先まで浸っ
「現場では特別支援教育制度の 導入によっ
た 日本の学校にこそぴたりと 当てはまる。 そ
て ,肢体不自由,知的障害者,情緒障害のめ
して私たちのおおかたは ,そうした空気を 呼
る生徒が軽度発達障害のあ る児童生徒と 一緒
敬 して育ってきた。
に入ってくるという
不安を持つている」
(全
日本中学校校長会
、、
@
01
) という類の「不安」は ,
ほ
「特別支援教育」に 対する誤解に 基づく 杷夏
近代社会は,「人は 平等であ る」ことは 認
めても,「だから 平等に扱うべきだ」という
要求に対しては ,必ずしも「人は平等であ
る」
という前提から 導かれる行動をとるわけでは
であ る。
だが,誤解に基づく議論を 通じて浮かび 止
ない。 倫理学者大庭健の 言い方を借りれば ,
がってきたのは ,子どもたちの人格形成の場
ひとりひとりの 自然的性質の 差異は,それぞ
としてはあ まりに寒々とした 現代日本の学校
れの社会のあ り方に根ざした 人為的な差異化
の光景であ る。
を
「保護者からは学習面での遅れへの 懸念も
通じて,「システムへの 参与の権 利・シス
テム成果の分配への 権 利・生の機能の 充実へ
(55j
出てくると思う。 ・…‥基礎学力に 関する調
の権利」の差異・ 不平等へと変換される。
査があったとき,アンケートの 中に『あ の
然的差異の名によって 遂行されるこの 社会的
子がいるから 成績が落ちる
人為的な差異化のうち ,いかなる差異化が,
ョ
という意見も
自
出てきた。 学力調査の実施と 特別支援教育
近代の原理それ 自体にもとり ,不自然に不平
の 関係はさけて 通れない課題と 考えてい
る
(全国小学校校長会 )
等を拡大するのかをあ らためて問い 直さねば
」
「
ならない。
(校長会が希望する 16項目の条件整備が
ないまま「特別支援教育」が 始まれば一列
障害をもっ子の 分離・ 別 学を , 「その子の
発達を保障するため」と 積極的に,あるいは
朋音) 「確かな学力 コを 保障していく 役割
「現実問題としてやむを 得ない」と腹 の底で
担っている公立中学校教育の 推進を著し
眩きながら事実において 承認してきた 私たち
を
@ 阻害する恐れがあ るものと危惧するとこ
は, 叩 一つの型をすべての
人間をあ てはめ
ろであ る」 絵 日本中学校校長会 )
る
「中学校の教育の場でいろいろな 課題を抱
えながら,死に 物狂いで取り 組まれている
心の地域社会を 目指す訓練の 場」として,「子
Ⅰというメンタリティ」を
排し , 「すべて
の人間の差異と 尊厳の両方を 尊重する人間中
ところが,
(中教審には 一 引用者) 十分に
ど も 申,しの学校
コを ,インクルーシフ な教育
理解されに
l
いう印象であ
く億
Ⅴ
村 教育委員会 )
と
サラマンカ宣言は ,
る」
(両町
よ
少なくとも,私たちには「資源」があ
「あ まりに長きにわた
って,障害を 有する人びとの 問題は, 彼らの
潜在能力
出そう,というⅡ
(561
に向かう通常の学校を創 0
びかけに応えることができるだろうか。
りは,彼らの損傷 は mpa rrments)
土
盲
・
乎
る。
聾 ・養護学校には 100 年を超える歴史を
通して実践的なスキルが 蓄積されている。
そ
4%
千月
努き
れだけではない。 いっぼうで,私たちには㏄
九一人のニーズに
応じた特別な
支援の在り方につ
年を超える困難な 実践の中で鍛えられた 統合
いて@
教育の蓄積があ
年 3 月今後の特別支援教育の
在り方について(最
る。
さきにその言を 引いた宮崎は ,当事者であ
る子どもを置き 忘れた「特別支援教育」論議
を批判しつつ ,次のように述べている。
「
(役人や専門家の 多くは一 引用者川 発達コ
や『障害
団
という視点では 子どもを見ます
が, 子どもの内面にあ る思いや願いを 日常
生活の中で汲み 取ろうという 努力をほとん
どしていません。 また,生活体験のあ りよ
ぅや 人間関係を豊かに 変化させることで ,
子どもの内面も
終報告)」を「2003 年報告」とそれぞれ略記する。
(2)
(4)
言い換える
なら ) は,いちばん身近なところで 日常生
活をともにしている 人たちの
丁肌
ネ
育 小学校」, 77 頁
乙 仲君道 『日本頑民教育史山下巻,
目黒書
店,
1929 年, 945 頁
拙稿「第一次大戦後の
社会教育と 教背約社
ァ
ム五政
( ネま余教育の
" .,
葉山」
ダ
(])
」
肝
社会と教化Ⅰ第ニ
巻第 1 号, 1922 年 1 月
65 頁
(9)
川本字之介 『デモクラシーと
新公民教育
山
文節,1921 年, 86 頁
13%
興策」, 1922 年 8 月 25
ててあ げればいいのです。 専門家の役割と
いうのは,せいぜいそういう
日常生活場面
における具体的な 提言です。
」
少数とはいえ ,他人まかせにせずみずから
子どもとまともに 向き合って, 人 として普通
私たちの希望に 違いない。
号,「
(時事) 盲唖教育の振
日
総説特殊教育d 青鳥会,
1954
年, 4四頁
(12@ 同前
(1鈴
川本字之介酊聾教育学粁説コ 信楽会,1940
年, 172 頁
になすべきことを 日々積み重ねている 人たち
がおり,その経験が継承されている 事実は,
1996 年)
社会教育調査課「細首
市就学督励局 々 制概要
ないことや分からないことがあ れば, てぃ
ねいに 根 くらべしながら 教え,しつけ,育
近代山松
" "
頗社
"。 " ‥ ,
参照
(8)
r手 ざわりⅠの感触です。 そして,隣り 近
かなふね ちいと体験です。 その中で,でき
174 一 8 頁
(5@ ㌃文部省第四五年報山上巻,「第二編
全国教
ざわり B
所の子どもたちや 普通学級の友だちとの 豊
日
文部省『特殊教育百年史山東洋館出版
, 1978
年,
(7)
と
同前,「ぬぐえぬ
疑念Ⅰ特別支援教育」,
2006
年2 月 5
たことはあ りません。 ・…‥いま,障害をも
(それをあ えて教育的ニーズ
」
(3@
(6@
い ちばん求めているもの
朝日新聞「声 欄, 叩 特殊学級ユの改称@まれ 曽
り物 」, 2006 年 1 月 16 日
外面も大きく 変わって い {
事実を創り出すための 試みなどめったにし
っ 子どもたちが
(最終報告)」を「2001 年報告」,「
2003
総説特殊教育Ⅲ青鳥会, 1954
年, 183 頁
(15@ 中 教審第Z2 回答申「今後における
学校教育の
総合的な拡充整備のための 基本施策につい
て」, 1971
注
(1)
以下,「
1997 年上
月
特殊教育の改善・充実に
ついて (第一次報告)」を「1997 年報告」,「
2001
年1月
21 世紀の特殊教育の
在り方について
一一
W
ロ ・ぽオ
n46@ 年 6 月, r戦後日本教育史料
第 10 巻,三一書房,
198M 年, 28 一 9 頁
(16@ 「わが国の特殊教育第 1 章 特殊教育の使
広報資料 18. 1961 年 3 月。 障害
61
「特殊教育」から「特別支援教育」への
転換
児を普通学校へ・
全国連絡会編『障害児が
学校へ
212
入ってからⅠ千古房, 2004 年,巻末「資料」
3 頁から重腔
一
は
7)
且
・
ドーア㌻学歴社会Ⅰ岩波書店,
1978
P.
年, 52 一72 頁参照
(1③
大阪・
2004 年 4 月 21
録,
(31
矢野前掲書, 37 頁
㏄ 2)
中 教審特別支援教育特別委員会第2 回議事
録, 2004 年 4 同 21
日
特殊教育に関する
研究調査会「軽度心身障害
は 3)
15 教職員組合連絡会編『かんな
一緒に
日
児に対する学校教育の
在り方 (報告Ⅱ,T978 年,
r特殊教育百年史
J
1980 年,東京「
阿年
学校へ行くんやⅠ現代書館,
704
一719 頁
養護学校義務化」阻止共闘会議
編 「どの子も地域
(34@
日本臨床心理学会双掲
古,
の 学校へ 柘植書房,1980 年
(35)
障害児を普通学校へ・
全国連絡会 障害児が
177 頁
仁
団
(19@ たとえば,田本臨床心理学会編㌃
戦後特殊教
育
学校へ入ってからコメディアクロス
, 2004 年
増やされる障害 T巳 0 明石 書
その構造と論理の
批判0 社会評論社,
1980 ヰ
-
(20@ 宮崎隆太郎 %増やされる障害児 4 明石書
(37@
店, 2004 年,参照
ルージョンへの
道山東大出版会,
2nn? 年,山口薫
そき
」
21 世紀の特殊教育の
在り方に関する
調査研究
"協 "力 者会議第1 回議事要旨,
2000 年 6 月 6
(21) ピーター,ミットラー
「訳者まえ;
16 頁
特別なニーズ教育と教育改革コク
同前会議第4 回議専要旨,
2000 年 9 月 4
回
(39@
同前会議第7 回議事要旨,
2000 年12 月 12
日
中
教務特別支援教育特別委員会
, 2005 年 9 月 27
柊7頁
(26@ 矢野裕俊 『英国の障害児教育山田本盲人福祉
9o.jp/soumuka/
(4助
Ⅱ
も
日
p 弓師ww.nise
0ト usai/hokokusho/country.
書
砧ma.org/tト ド ducate.htm
Ⅰ
中教審特別支援教育特別委員会(第19 回 ),
2005 ヰ-9
」
(45@
月
27 日
外務省,
http ⅣwW
肝 mo
ぬ mofa.gojp/mo
・
埼
/gaiko 伍nke Ⅳshogaisha.ht 血
(28@ 同前, 174 頁
㏄ 6) 全日本 雙唖 連盟,http://www.jfd.o
中 教審特別支援教育特別委員会第2 回議事
録, 2004 年 4 月 21 日 ,各障害種別全国PTA
迎合
会会長連絡協議会代表の
発言
(30) 各陥害種別全国PTA
教育のバリアフリーを
求める広島県民ネット
angeInsh"hir0s
「ノーマリゼーションの
父
房, 1994 年, 168 頁
連合会会長連絡協議会
教審特別支援教育特別委員会第
㎡p几 n け
unconv/adhoc-wg-chairdran.html
(47)
東京大学先端科学技術研究センター
福島研究
室Ⅰバリアフリープロジェクト
ht 糠イ畑WW.b 劫.
Ⅰ特別支援教育」に
関する検討について(意見)」,
62
国立特殊教育総合研究所,
ht
⑭ 4@
7頁
N . E . バンクーミケ ルセンコミネルヴァ
中
文科省初等中等教育局長「障害のあ
る児童生
ワーク「今後の
特別支援教育の在り方」, http Ⅳ
エイ ソ かもがね , 2003 年, 20 頁
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円p.col ㎡syo
html
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研究会,T980 年,
刑wWw.&c
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い 2@
日
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日本支部㎞ tp
徒の就学について(通知)」, 2002 坪 5 月 27
宮崎隆太郎 F障害児とともに学ぶ四姉一新
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店, 200W-,
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」
は 8)
ユニセフ,http Ⅳwww.unicefor.JP
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ユ 0ョ 3.h も ml
Ⅲbrary/
鮪 9)
宮崎前掲古,
(50)
中 教審特別支援教育特別委員会第3 回議事
録, 2004 年 6 月 28
(51)
㏄ 2)
日
中 教審特別支援教育特別委員会第2 回議事
録, 2004 年 4 月 21
日
「特別支援教育を
推進するための制度の在り
方について仲間報告 )」に関する意見」,
2004 年
12 月 20 日提出
中
6頁
教審特別支援教育特別委員会第3 回議事
2004
笛 4)
SNE
年4 月
28 日
学会双掲書, S01 一花4頁
大庭健 「平等の正当化」
学の冒険3
差別コ
と
同じ。
宮崎前掲書, 41 一
3頁
2R0 一
1頁
(『現代 哲