Page 1 資料委員会 便り ARCHIVEs NEws 第 2 号 (2016年 5月) 昨年

川越基督教会
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日
AREHIVES NEWS
号
第
2
(2016年 5月
便り
)
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ヽ
いても資料目録、図表の開覧が限定的に出来るようになりました。
第 2資 料となる別倉庫に保存されていた資料群の確認整理作業も4月 20日
に行いました。この資料は主に 1940年 頃以降のものですが、中には 1905
ヽ
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昨年の夏から始めた資料の整理作業も、毎週水曜日7名 のホ ン
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順調に進められています。目録作りとスキヤニングも第 1資料の約 40%
位まで来ていますが、完成されたデータの見直し作業も随時行つています。
入力されたデータはドロップボックス上にデータアップされており、家に
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年頃の教会行事を詳しく筆書きで記された貴重なものが数点発見されました。
「筑地居留地研究会」 (NPO法 人)の 1月 例会 に出席 してきました。
テーマは『立教学院 と草創期 の人々一学び合 の変遷 と立教の理念』広田
勝一北関東教区主教 の講演で した。講演後、会場の聖路加国際大学周辺
の歴史的地域 の散策会 も行われ ました。聖公会 を中心に教会、付属学校
群の草創期を学ぶ機会となりました。
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「日本聖公会史談会」 の例会 が 2月 3日 に管 区事務所 で行われ当資料保管委員会 の
報告 の場 が与え られ ま した。川越教会 の歴史、現在行 われて いる一 連 の保管作業等 に
つ いてお 話 をす る事が出来 ま した。出席された方 々は北関東、東京 、横浜 の各教会で
教会史 の調査 を担 当 され てお り、各種 の情報交換 も出来、そ の後 それぞれ の教会訪
問 まで実現出来た事は感謝 です。
米国サ ンフランシス コ・ クライ ス トチヤーチ (田 井 正 一 司祭 が
明治 28年 に渡米時 に創設 された教会)か らイ ースターカー ド
が送られてきました。昨年来日されたKOナ ガイさんをはじめ
多 くの信徒さんのメ ッセ ー ジが寄 せ られて います。
大海 を越 えて姉妹教会 として歩 んでいけた らと願 って います。
川越市立博物館 で 開催 中の 「モ ノク ロームの追憶」 企画展 に委員会メムバす が
見学に行 つてきま した。明治期 ∼昭和期 の川越 の写真 が展示 されて います。
見学後博物館 の学芸員 さんに当教会 の歴史、資料 整理の様子 を紹介 してきま した。
ヘ ー ウ ッ ド師 の 川越 宣 教 活 動
ヘ ー ウッ ド師はニ ュー ヨー ク州 の Vassar大 学 を卒業後 、ラ ンソン師 も在 籍 した New
York■ aining School for Deaconessesで 神 学 を学んだ。 二人 は 1904年
(明
治 37年 )
にアメ リカ の聖公会 の婦人宣教師 として 日本 を訪れ 、川越 基督教会 で仕事 に従事 した。
以下 の川越 の伝道地 に於 ける活動状況報告 は、 1905∼ 1908、 及び 1913年 の米 国聖公
会伝道局 の月刊 の機 関誌 である Spirit of Missionに 掲載 された もの を翻訳 した 中か ら
い くつ か抜粋 した もので 当時 の雰囲気 を知 ることができる。
(森
信幸記 )
川 越 とい う所 ①
二 人 の 日に映 つ た川越 の 最初 の 印象 は 、
曲が りくね つ た 狭 い 道 に手 押 し車 の よ う
な ものが並 んでお り、歩道 がな く舗装 もさ
れ ていない。 また 、住 民 は木 でで きて い る
高下駄 を履 い てい る。店 の前面は昼 間、そ
れ に冬や夏 も開け つ放 しで 、売 り物 は見た
目に もた くさん展示 され てい る。店 の主人
は正座 してい る姿 が よ く見 られ、長 いパ イ
プか らタバ コ をふ か し、そ して小 さな湯沸 しの上で手 を温 めてい る。川越 の人 口は約
2万
人。県 の 中では もつ とも大 きな町で、東京 か ら約 30マ イル (約 48キ ロ)の ところにある。
注 目す べ き こ とは時代 の背後 に素晴 らしい 「文明開化」 が潜 んでい る とい うこ とだ。
川越 とい う所②
川越 の 町 は大 きな広野 の真 ん 中 にあ る。 一 方 は何 マ イ ル も果 て しな く続 く水 田、 も う一
方 は遠方 の青 い 山脈 に隣接 してい る穀物 ・ 野菜畑 が何 マ イ ル も続 い てい る。 また 、 この周
囲 の 平原 は様 々 な道 が繰 り返 し交差 され て い る。 そ のす べ ての道 は ほ とん ど同 等 に多 くの
町や村 にそ して一 群 の農 家 へ と導 いてい る。つ
ま りこれ らの道 はす べ て町 、村 、農家 か ら川越
に続 い て い る とい うこ とで あ る。川越 は埼 玉 県
の 県庁所在 地 で は な い けれ ど とて も大 きな町
で 、米 、絹、 さつ ま芋 が主 な生産物 であ り、広
い農業地域 の 中心地で ある。そ して大 きな製糸
工場 、さま ざまな種類 の工 場 、男子 中学校 、女
子 高校 、刑務所等 があ る。
人 々の外 国人 を見 る 目
小 さな子 どもた ちが仕 事や食 事 を してい る珍 しい 異邦 人 を近所 の本 に登 つて 見 ていた 光
景 はや るせ な い こ とで あ つ た。私 たちを見て 「ワー 、背 が高 い 女 の人」「あんな大 きな人 を
今 まで見 た こ とがな い 」「白つぽい 髪 なんておか しい
!」
とい う言葉 を よ く聞 い た。 また 、
そ の 人た ちには男女 の 区別 のつか な い私 た ち二 人 の女性 を ロシア人男性 と間違 えた。川越
の一 般 の人 た ちに とつ ては ロシア とキ リス ト教 は同 じで あ り、衣服 の袂 が長 く垂れ 下 がつ
てい な い 人 た ちは男 な ので あ る。 ミッシ ョン とい う固 い決意 。目的 を持 っ た私 たち二 人 の
婦人 がなぜ ロシア人 のスパ イ として見 られ て しま うのか ?
宣教 の難 しさ
敬虔 な仏教 徒 でキ リス ト教 を とて も嫌 ってい る両親 を もつ少年 はほ とん ど定 期 的 に教会
に 出席 してお り、洗礼 を受 ける準備 を していたが 、家族 の反 対 で洗 礼 を受 け ることがで き
なか つ た。 また 、 キ リス ト教 に興 味 を持 ち 、聖書 を熱 心 に読 んでい る婦人 がい るが、歯 医
者 を してい る彼 女 の夫 は特 にキ リス ト教 そ の もの には反対 は してい な いが 、妻 が教会 に行
くの を周 りの 人 か ら知 られ る と患者 が来 な くな っ て しま うので はな いか と恐れ てい る。 そ
の よ うにキ リス ト教 は一 般 的 に嫌 らわれ 、小 さな子 どもた ちは時 々教会 の壁 に石 を投 げた
り、外 で太鼓 をたたきな が ら聖歌 の歌声 を消 して しま うよ うな ことをす る。
子 どもた ち
川 越 の 通 りには 朝 も昼 も夜 も子 どもで い つ
ぱ い だ。冬 は脚や腕や胸 の部分 の肌 が露 出 して
い るので 、顔 は青 白く寒 そ うだ。ま るで肺炎 あ
るい は肺結核 にす ぐにで もな りそ うだ。学校 の
上級 生 の 男子 は英 国 の あ る学校 の 制服 の よ う
な衣服 を着 てお り、下級 生 は短 いスカー トが 半
分 に分 かれ た よ うな着物 を着 てい る。一 方女子
は年齢 に 関係 な くみ んな着物 で 、 ひ だの つい た大 きめ の赤 いス カ ー トをは い て い る。 学校
が始 ま っ て も通 りはにぎや かだ。 学校 に入 る年齢 に達 してい る子 もい な い子 もた くさん い
る。 また、赤 ん坊 を背 中に背負 つて子守 りを してい る女 の子 もい る。子 どもた ちがや るこ
とは 、西洋 の子 どもた ち と同 じだ。
日曜学校
私 た ちは 自分 た ち の家 で 日曜 学校 を開 いてい るが、他 に も主 日礼 拝前 に教会 で 常時行 わ
れ て い る 日曜学校 に も携 わ って い る。子 どもの数 は 30名 位 い るが 、出席す る者 はそれ よ り
かな り少 ない。 とい うの は開始時間が夏 は午前
8時 、冬 は 9時 とい う早 い時 間 がその理 由
で あろ う。 また、 この川越 の 日曜学校 の他 に、私
た ちは月曜 日と火曜 日にそれ ぞれ近 隣地域 か ら南
方 の 大塚 と人 間川 の村 で月曜学 校 と火 曜学校 とい
う 2つ の教会学校 を もつ て い る。 大塚 の教会学校
は来年 の 5月 に 2年 目を迎 え 、25名 の子 どもたち
がい るが、人 間川 の教会学校 は この 前 の春 に始 ま
つた ばか りだが、努力すれ ば必ず よい 見通 しが立
つ と思 つてい た。
田井青年川越 ヘ
明治 11年 1月 、 ち ょ うど 30年 前 の こ と、 ひ と りの青年 (現 在 の 田井 司祭 )が 東京 とそ
の周辺 の地 図 を ウイ リア ムズ 主教 と見てい た。 ふ た りは近 隣 の町で伝道 をす るた めに適 当
な場所 を探 していたので あ る。 そ して埼 玉 県 の大 きな町 であ る川越 をそ の場所 として決 め
た。 そ の後 ま もな くあ る寒 い 日に、 田井 氏 は馬 車 で夜遅 くそ の川越 に着 い た。最初 の伝道
集会 は旅館 の部屋 を借 りたが、旅館 の主 人 に仕事 に差 し障 りが ある とい うこ とで断 られ た。
そ こで 町 の大通 りにあ る部屋 を借 り、 一 晩 に何 回 も誰 もい な い部屋 の 中 に一人 で立 ちなが
ら通 り過 ぎる人た ちに聞 こえ るよ うに、で きるだけ大 きな声でキ リス トの教 えを説 い た。
宣教 の素晴 らしさ①
これ は も うひ と りの婦人 の話 しだが 、そ のひ とはす で に成長 した
7人 の子 どもをもつ母
親 で 、 この 1年 内に洗礼 を受 けた。 そ の彼 女 が この よ うに言 つてい る。「私 はキ リス ト教徒
にな っ て とて も幸せ です 。 そ して 是非 多 くの 人
た ちにそ の こ とを伝 えた い と思 つ てい ます 。 で
きれ ば新 聞 に 自分 の本 当 の気持 ちを綴 つ た 記事
を載 せ 、 も し人 々 がそれ を読 めば 、 き っ と多 く
の 人 た ちが キ リス ト教徒 にな る と思 い ます 。 そ
して 自分 の 子 どもた ちに も神 さまの こ とを教 え 、
キ リス ト教徒 にな る よ う言 つ て欲 しい と願 うで
しょ う」 と。人 は どこかで熱 心に伝道 した り、教会がや ることを立証 した りす ることがで
きるとい うことで ある。
宣教 の素晴 らしさ②
昨年 の クリスマスの時期に家族全員 がキ リス ト教徒 である家 のク リスマス会 があつた。
3年 前に母 と祖母 が一緒に洗礼を受 け、その約 1年 後父 と家主 の祖父 が洗礼を受けた。教
会 で家族 のための祈 りの会 が行われ、 10歳 の息子が洗礼を受けた。家族全員 がキ リス ト者
になることは教会にとつて本 当に大きな力 を得 る。祖母は皆 の前に出て このよ うに言 つた。
「私 は 自分 が キ リス ト者 にな り、家族 全 員 がキ リス ト者 であるこ とを と
て も うれ しく思 つてい ます。これ か らどんな困難 に出会 つて も私 は幸せ
です。 なぜ な らイ エ ス さまを心か ら信 じてい るか らです」 と。
洗ネLに まつ わ る面 白い 話 し
ある秋 の美 しい朝 の こ と、ある若 い僧侶 に出会 つた。そ の僧侶 が言 う
には 、自分 の友達 の ある僧侶 がキ リス ト教徒 にな りたが つてい る とい う
こ とであ った。 ところが本 当は、そ の話 しは彼 自身 の こ とであ つた。彼
はキ リス ト教 に 関す る本 を読 み、そ して教 会 に 出席 す るよ うにまでな っ た。彼 の父親 は僧
侶 だ つた ので親 に とつて みれ ば 自分 の 息子 が も し仏教 の道 をはずれ た りも した ら親 との 関
係 はな くな るこ とは明 らかで あ つ た。 しか し、彼 は も し 自分 の生涯 を神 に捧 げ る こ とに費
やす な らば、真 実 な る神 を見 出せ る と主張 した。 そ して彼 はや がてはキ リス ト教 の伝道 師
とな るために現在学校 の課程 を終 えよ うと してい る。
教会 の建物 …火 災
伝道 を始 めて 8,9年 後 の こ と、会 堂 を建 て る意 見 が 多 くな つ て来 た。 それ は町 の 中心地
の適切 な場所 に建 て る とい うもので あ っ た。
よ り、川越 は教会 を含 めた約
5年 後恐 ろ しい火 災 が川越 を襲 った。 それ に
5分 の 4も の広 さが完全 に滅
ぼ され 、全 般 的 に廃 墟 とな つ て しま つた。教会員 は勇敢 に
そ の状況 に対応 し、お金 を集 め、東京 か ら米 を買い 取 つた。
若 い 人 た ちはそれ をお金 が な く困 つてい る人 には無料 で与
え、支払 い ので きる人 には半額 で与 えた。 町全体 はそ の努
力 に対 して感 謝 に満 ちあふれ 、 キ リス ト教徒 は世 間 か ら大
きな評価 を得 たので ある。 数年 の 間使 用 で き る安 い一 時的
な会堂がす ぐに建 て られ た。
教会 の建物 …一 時的
そ の一 時的 な建物 は 「荷造 り用 の箱 」 とい う言葉 でず つ
と言 われ て来 たが 、皮 肉に もま さにそ の名 前 にふ さわ しい。教会員 がそ の建物 を見て も決
して教会 の しる しと しては認 めない だ ろ う。 また 、 一 般 の人 にそ の建物 を指 さ して教会 だ
と教 えて もキ リス ト教 の信仰 の力 と美 しさは決 して伝 わ らな いで あろ う。 キ リス ト教 とい
うの は、わび しい 希望 、使 い 古 した迷 信 ではな くて、生 きる上で必要 な信 仰 な の だ とい う
こ とを信 仰 を もつ て い ない た くさん の人 た ちに示 し、宗教 の力 と美 しさに対す る価 値 ある
証 しを持 たせ るこ とは大切 な 目的 である。 それ が新 しい教会 を必要 とす る理 由であ る。
教会 の建物 …新 し く
ここで働 いてい る私 た ちはキ リス ト教 を この町 に しつか り定 着 させ るた めに 、 まず広 く
て祈 りの場 にふ さわ しい 、そ して少 な く とも入 るのにあま りに も貧弱 で批半Jを 受 ける こ と
の な い よ うな教会 を建 て る とい う考 えを もつ に
至 っ た。 私 た ちが最初 にや るべ き こ とは 、そ の
よ うな建物 を建 て るた めの援助 に対す る働 きで
あ り祈 りであ つ た。 4年 前私 た ち の努 力 に応 じ
て新 しい教会 を建 て る土地 を買 うこ とがで きた。
教会員 ばか りでな く教会員 でな い 友達 の 間 に も
大 きな喜びが起 こった。「ま もな く主 の価値 ある
建物 が私 た ちの家 の屋根 の上 にそび え立 ち、そ してイ エ ス・ キ リス トの福音 の光 がそ の地
域 のまわ りに輝 くであろ う」
この よ うに この町 では新 しい 教会 を建 て るこ との必要性 が大 き く、そ の仕事 を続 ける こ
とが ま さに大切 な ので あ る。私 た ちに同調 し援助 を約束 して くれ た人 が何人 かい る。 しか
し私 たちは さらに多 くの援助 を必要 として い る。