WIJC160501Risen Lord & Savior(2)

1
2016 年 5 月 1 日 聖書:ヨハネ
聖書:ヨハネ 21章 15-23 節
May 1, 2016
Scriptures: John 21:15-23
タイトル:復活の主とペテロ
タイトル:復活の主とペテロとの
復活の主とペテロとの対話
との対話(
対話(その 2):使命に生きる教会:相互に牧会する教会
Title: Conversation between the resurrected Lord and Peter (Part 2): Church that lives for mission:
Churches that pastor mutually.
序 論
Introduction
●私達は、今年
私達は、今年イエス様の復活を記念する『
今年イエス様の復活を記念する『イースター
イエス様の復活を記念する『イースター』を
イースター』を 3 月27日という比較的早い時期に祝った。
そして、早くも、それから 1 か月が過ぎた。
This year, we celebrated “Easter” that commemorates the resurrection of Jesus a little early on March
27. It’s already been a month since then.
●イエス様は、復活された後、
イエス様は、復活された後、40
た後、40 日間、見える形で
日間、見える形で幾度も弟子
見える形で幾度も弟子たちと人々の前に現れては、会話、対
幾度も弟子たちと人々の前に現れては、会話、対
話をなさった。
After Jesus resurrected, He had conversations and talks with His disciples and people in tangible way
appearing to them over and over again for 40 days.
●そして、その後、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って
そして、その後、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って父なる神様のもとへ帰られた
、弟子たちの見ている目の前で、天に昇って父なる神様のもとへ帰られた。
父なる神様のもとへ帰られた。
Then, in front of His disciples, He raised to the heaven and went back to the Father.
●今日を含めて、この数週間礼拝で学んで来た
今日を含めて、この数週間礼拝で学んで来た聖書の箇所
を含めて、この数週間礼拝で学んで来た聖書の箇所は、正にそれらの時のものである
聖書の箇所は、正にそれらの時のものである。
は、正にそれらの時のものである。
Including today’s scriptures, the bible verses that we’ve been studying for last few weeks are talking
about that moment.
●それら弟子たちと復活の主との
れら弟子たちと復活の主との出会い
弟子たちと復活の主との出会いの経験
出会いの経験、会話、対話の
の経験、会話、対話の目的は
、会話、対話の目的は、
目的は、何であったのか?
それは、イ
エス様が十字架と復活によって準備された『
エス様が十字架と復活によって準備された『福音』
福音』を世界中の人々に
世界中の人々に告げ知らせるために、弟子たち
告げ知らせるために、弟子たち
を使者として派遣
を使者として派遣するために
派遣するために準備することであった
するために準備することであった。
準備することであった。
What was the purpose of those experiences that His disciples had with the resurrected Lord and their
talks and conversations with the Lord? It was to prepare His disciples to send them out as a messenger
in order to spread “the gospel” which Jesus had prepared by the cross and the resurrection to the
world.
●先週も、
先週も、その一環として大切なことを二つ学んだ。
We’ve learned two important things about it last week.
1.まず、第一に、
1.まず、第一に、私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という
まず、第一に、私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という確信
私達クリスチャンにとっての『基本』は、『私の罪は赦されている』という確信
と喜びを自分のものと
喜びを自分のものとすること
することである
ことである。
である。だから、
First, our “basis” as Christians is to have assurance and joy of “being forgiven of my sins” on our
own. That is why
(1)イエス様は
(1)イエス様は 3 回イエス様を拒んだペテロに、3
回イエス様を拒んだペテロに、3 回その愛と使命を確かめられ、その対話を通
して『あなたの赦しは、Done
して『あなたの赦しは、Done deal,既に終わったことだよ』と宣言しておられるのである。
deal,既に終わったことだよ』と宣言しておられるのである。
Jesus declared that “your forgiveness is done deal” three times to Peter who denied Jesus
three times assuring his love and mission through their conversation.
(2)この確信
(2)この確信と喜びなくして
この確信と喜びなくしてクリスチャン生涯を歩むことは、野球で言うなら、ファーストベー
と喜びなくしてクリスチャン生涯を歩むことは、野球で言うなら、ファーストベー
スを踏まないで、2
スを踏まないで、2 塁、3
塁、3 塁、ホームを踏もうとするのと同じである。最後はアウトである。
Walking Christian life without this assurance and joy, if I illustrate it an baseball, is to run to
the second base and the third base skipping the first base.
(3)
(3)すべては、ファーストベースを踏むことから始まるのである。ファーストベースをいい加減
すべては、ファーストベースを踏むことから始まるのである。ファーストベースをいい加減
にすることは、すべてを無にすることである。
You are out at the end. Everything starts with getting the first base. Doing it inappropriately
will waste everything.
(4)
(4)しかも、そのためにあなたのするべきことはない。すべてはイエス様があなたのためにあの
しかも、そのためにあなたのするべきことはない。すべてはイエス様があなたのためにあの
十字架であなたのために呪われ、命を捨てて成し遂げて下さったのである。
2
There is nothing you should do about it. Jesus did everything for you by being cursed on the
cross in your place and accomplished it by giving His life.
(5)
(5)私たちのするべきことはたった一つ、信じて『ありがとう』と言って受け取るだけである。
私たちのするべきことはたった一つ、信じて『ありがとう』と言って受け取るだけである。
There is only one thing that we should do. It is to believe it, say “thank you,” and accept it.
(6)クリスチャン生涯も、宣教も、すべては、このイエス様の十字架による罪の赦しに対する感
謝から始まるのである。
Everything including Christian life and missionary work starts with this gratitude for
forgiveness of sins by the cross of Jesus.
2.第二は、誰よりも、何にもまさって、私の罪のために命を捨ててくださったイエス様を愛するこ
2.第二は、誰よりも、何にもまさって、私の罪のために命を捨ててくださったイエス様を愛するこ
とである。即ち、
とである。即ち、イエス様は、
即ち、イエス様は、『
イエス様は、『Do you love me more these?』と聞かれるのである。
these?』と聞かれるのである。
Second, we are to love Jesus who gave His life for us more than anybody and anything. That is,
Jesus asks as “Do you love me more than these?”
(1)私たちの信仰の究極は何か?
(1)私たちの信仰の究極は何か? それは、私達が
それは、私達が神様と
私達が神様と『
神様と『愛し、愛される夫婦のような相思相
愛し、愛される夫婦のような相思相
愛の関係
愛の関係』
関係』に入ることである。だから、イエス様は花婿で、私達は花嫁に譬えられるのである。
に入ることである。だから、イエス様は花婿で、私達は花嫁に譬えられるのである。
What is the ultimate of our faith? It is that we enter into relationship with God which is like
“mutual love relationship between husband and wife loving each other and being loved by
each other.” That is why Jesus is called Husband and we are His bride.
(2)勿
(2)勿論、愛の量や、質から言って、それは神様のそれと比べるものではない
から言って、それは神様のそれと比べるものではない。
ものではない。雲泥の差である。
しかし、神様は、それが
しかし、神様は、それがどんなにちっぽけなものでも、
なものでも、私たちの
でも、私たちの心が欲しいのである。
しいのである。
Needless to say, it can’t be compared to our relationship with God in quality and in amount of
love. It’s far different. But God wants our heart even if it’s a tiny bit.
(3)だから神様は『聖書の中で一
(3)だから神様は『聖書の中で一番大切な戒めは、あなたの心と思いと力を尽くして神様を
くして神様を愛す
神様を愛す
ることである』と言われる
ることである』と言われる。
言われる。あなたなりのベストが欲しいのである。Do
しいのである。Do your best!!である。
That is why God says, “The most important command in the bible is that you love God with all
your heart and with all your mind and with all your strength.” God wants the best you can do. It
is to do your best!!
(4)悲しいことは、沢山の人々が、神様に愛されることで満足してしまって
してしまっている
しまっていることである
いることである。し
ことである。し
かし、それで
かし、それでは決して信仰の究極の醍醐味を味わえない。神様は
わえない。神様は、
神様は、私達が力の限り、思いの限
りを尽くして、神様を愛することを
くして、神様を愛することを求めておられるのである。
めておられるのである。
Sad thing is that many people are satisfied with just being loved by God. We can never
experience the ultimate excellency of faith by that. God wants us to love God as much as we
can with all our heart.
(5)それゆえ、イエス様は、ペテロに、『私は知っている。あなたが、長い間慣れ親しんできた
釣り舟、漁のための網、漁の仕事そのもの、更には、漁師仲間たち、そしてあなたの兄弟アン
デレ、家族を愛していることを。しかし、私はあなたに聞きたい、それらの愛にまさってあな
たは私を愛するか?』と。私たちもペテロと
たは私を愛するか?』と。私たちもペテロと共に Yes, I do と答えるものでありたい。
That is why Jesus said to Peter, “I know you love fishing boat, fishing net, fishing itself, fellow
fishers, your bother Andrew, and your family. But I want to ask you. Do you love Me more than
these?” I want us to be the one who answers “Yes, I do” like Peter.
●さて、今日は、そのペテロとイエス様の対話の続きである。
Today, we’ll continue with the conversation between Peter and Jesus.
●イエス様は、ペテロを宣教の使者、即ち、
イエス様は、ペテロを宣教の使者、即ち、イエス様のことを
即ち、イエス様のことを証し、伝えるために、次に、どのような
準備をされたのか?
What did Jesus do next to prepare Peter as missionary in order for him to witness Jesus and spread the
word?
●即ち、イエス様は、
即ち、イエス様は、「罪の赦しを確信し、イエス様を何ものにもまさって愛すると告
罪の赦しを確信し、イエス様を何ものにもまさって愛すると告白した」ペテロ
に、次に何を言われたのか?
3
That is, what did Jesus say next to Peter who “was assured of forgiveness of sin and declared that he
loved Jesus more than anything”?
本 論
Ⅰ.「私の羊の牧者となるように」と言う使命を与えられたのである。
Jesus gave Peter mission “to become a shepherd of His sheep.”
A.即ち、イエス様は言われた。『私の小羊を飼いなさい Feed my lambs』(15)、『私の羊を牧しなさい Take
care of my sheep』(16)、『私の羊を飼いなさい Feed my sheep』(17)。
Main Message
That is, Jesus said to him, “Feed My lambs” (15), “Take care of My sheep” (16), and “Feed My
sheep” (17).
1.これが、イエス様が
1.これが、イエス様がペテロに
これが、イエス様がペテロに託された『使命』である
された『使命』である。
である。『人間の牧者』になることであった。
This is the “mission” that Jesus gave to Peter. It was to become “shepherd for people.”
2.ここで、イエス様
2.ここで、イエス様は、
ここで、イエス様は、似てはいるが、少しづつ違っている表現をもって、ペテロに
現をもって、ペテロに 3 回繰り
返して、この『使命』を伝えた。
Jesus gave this “mission” to Peter three times using slightly different expression although
they were similar.
3.似ているが、少しづつ違った表現とは、
現とは、
The expressions that were similar but slightly different are
(1)『
(1)『小羊』『羊』であり、 (2)『
(2)『飼う』『牧する』であった。
う』『牧する』であった。
(1) “Lambs” and “sheep"
(2) “Feed” and “take care”
4.これらの言
.これらの言葉は、ヘブル語の『並行法』的修辞表現から言って、一
現から言って、一方ではその使命の
ではその使命の細かい
内容を暗示すると
すると共に、他方、その使命の全体を総合的に描いていると言える。
Considering Hebrew language’s “parallel” rhetoric expression, these expressions are
indicating details of the mission as well as overview of the mission as a whole at the same
time.
5.即ち、ペテロの使命は、小羊から始まって成長した大人の羊に至るまで、すべての
るまで、すべての羊、彼ら
に食べ物を与え、養い、ケアーし、世話をすることであった。即ち、羊の『牧者』となるこ
とであった。
That is, Peter’s mission was to feed all sheep from a little lamb to full grown adult sheep and
take care of them. That is to become a “shepherd” of the sheep.
6.それは、勿論、比喩的表現である。昔は魚を獲る漁師であった男が、これからは、
が、これからは、羊を飼う
羊飼いになると言う
いになると言う文字通りの解釈ではない。
It is of course figurative language. It doesn’t mean that this man who was once a fisherman
now becomes a shepherd who feeds sheep in literally.
B.『人間は羊で、神様がその羊飼いである』と言う比喩的イメージは、旧約聖書の時代から人間と神様の関
係を説明するために使われている最も典型的なものである。その例は枚挙に暇がない。
The figurative image of “human being sheep and God being their Shepherd” is the most typical
expression that’s been used to explain the relationship between a man and God since the time of
the Old Testament. There are numerous examples.
1.詩篇 23:
23:1 主は私の牧者であって、私には
主は私の牧者であって、私には乏しいことがない。
Psalm 23:1
The Lord is my shepherd; I shall not want.
2.詩篇78:52 神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し・・・。
Psalm 78:52
He made His own people go forth like sheep…
3.詩篇80:1 イスラエルの牧者よ。聞いてください。
エルの牧者よ。聞いてください。ヨ
。聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる
方よ。
Psalm 80:1
Give ear, O Shepherd of Israel, You who lead Joseph like a flock
4.イザヤ40:11 主は羊飼いのように、その
いのように、その群れを飼い、御腕に、子羊を引き寄せ、ふと
ころに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
4
Isaiah 40:11
He will feed His flock like a shepherd; He will gather the lambs with His
arm, and carry them in His bosom, and gently lead those who are with young.
5.エレミヤ31:10 イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が
め、牧者が群れを飼うように、こ
うように、こ
れを守る。
Jeremiah 31:10
does his flock.
He who scattered Israel will gather him, and keep him as a shepherd
6.エゼキエル34:11-14 まことに神である主はこう仰せられる。見よ。私は自分で私
まことに神である主はこう仰せられる。見よ。私は自分で私
の羊を探し出し、これの世話をする。
し出し、これの世話をする。・・・・
・・・・。
Ezekiel 34:11 – 14
My sheep and feed them…”
For thus says the Lord God, “Indeed I Myself will search for
7.ヨハネ1
7.ヨハネ10:11 私は良い牧者です。
い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。
John 10:11
I am the good shepherd. The good shepherd gives His life for the sheep.
8.私たちは、譬えると羊のような存在である。それゆえ、羊が羊飼い、牧者を必要としている
ように、牧者として神様を必要としている。これが聖書のメッセージである。
We are existence like sheep. Just like a sheep needs shepherd, we need God as our Shepherd.
This is the message of the bible.
C.しかし、更に、『大牧者』なる神様は、その牧者の仕事を、私たちを『小牧者』として任じ、私たちに委託して
おられる。
Moreover, God “the great Shphard” commands us to do the work of shepherd as “a little
shepherd” consign it to us.
1.旧約聖書が、まずそのことが記している。
聖書が、まずそのことが記している。
The Old Testament writes about it.
(1)詩篇 77:20 あなたは、ご自分の
自分の民をモーセとアロンの手によって、
によって、羊の群れのよう
に導かれました。
Psalm 77:20
You led Your people like a flock by the hand of Moses and Aaron.
(2)詩篇78:70-71 主はまたダビデを選び、羊のおりから彼を召し、乳を飲ませる
雌羊の番から彼を連れて来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを牧するよ
うにされた。
Psalm 78:70 – 71
He also chose David His servant, and took him from the
sheepfolds; from following the ewes that had young He brought him, to shepherd Jacob
His people, and Israel His inheritance.
(3)ここで言われているこ
(3)ここで言われていることは、『大牧者』なる神様が、その
ここで言われていることは、『大牧者』なる神様が、その仕事をモーセ、アロン、ダビ
デに『小牧者』として使命を与え、託しておられることである。
What these verses say is that God “the great Shepherd” gave missionary works to Moses,
Aaron, and David as “a little shepherd” and consigned to them.
2.更に、新約聖書を見てみると:
Moreover, looking at the New Testament:
(1)まず、
(1)まず、今日の聖書
まず、今日の聖書である
今日の聖書であるヨハネ
であるヨハネ 21 章である。ここで、
章である。ここで、
First, it’s in John 21 which is today’s scriptures. Here,
●イエス様はペテロに
イエス様はペテロに『私の
ペテロに『私の羊を養いなさい』『私の小羊を飼いなさい』と言われた
いなさい』と言われた。
と言われた。
Jesus told Peter to “feed My sheep” and “feed My lambs.”
●これこそ正に、大牧者であるイエス様が、
これこそ正に、大牧者であるイエス様が、小牧者としてペテロに人間を牧するように
使命を委託されたところである。
This is exactly where Jesus the great Shepherd cosigned the mission of pastoring
people to Peter as a little shepherd.
(2)そして、ペテロは、
(2)そして、ペテロは、やがて晩年にこう言った。『あなたがたのうちに
年にこう言った。『あなたがたのうちにい
あなたがたのうちにいる、神の羊の群
れを、牧しなさい。・・・そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼ
むことのない栄光の冠を受けるのです』(
を受けるのです』(Ⅰペテロ 5 章 2-4 節)。
5
Peter in his later days said, “Shepherd the flock of God which is among you… when the
Chief Shepherd appears, you will receive the crown of glory that does not fade away.” (1
Peter 5:2 – 4)
(3)また、
(3)また、パウロは、エペソの教会のリーダーたちにこのように言った。
ーたちにこのように言った。
『あなたがたは、自分自身と、群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の
血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立て
になったのです』
になったのです』(使徒の働き 20 章 28 節)
Paul also said this to the leaders of Ephesian church.
“Take heed to yourselves and to all the flock, among which the Holy Spirit has made you
overseers, to shepherd the church of God which He purchased with His own blood.”
(Acts 20:28)
3.このように『
.このように『大牧者』
大牧者』である神様、また
である神様、またイエス様は、私たちに
またイエス様は、私たちに『
イエス様は、私たちに『小牧者』
牧者』として、
として、羊である
人々を
人々を飼い、導き、世話をする仕事を与えられた
えられた。これが私たちの生きる『使命』である。
Like these, God “the great Shepherd” and Jesus gave us work of feeding people who are
sheep, leading them, and taking care of them as “a little shepherd.” This is our “mission” to
live for.
4.殊に、牧師、信徒の区別を超えた『万人祭司』を奉じるプロテスタントにとって、すべての
人が、すべてのクリスチャンが、
人が、すべてのクリスチャンが、この使命を
すべてのクリスチャンが、この使命を担っている。言い
っている。言い換えるなら、このときこの
使命を任じられたのはペテロだけではない、私たちすべてである、
じられたのはペテロだけではない、私たちすべてである、ということである。
、私たちすべてである、ということである。
Especially for Protestants who follow “the priesthood of all believers” that surpasses
distinction between pastors and believers, all Christians have this mission. Another words,
the mission was given not only to Peter but also to all of us.
D.そこで、ここで短く、イエス様が私たちに与えられた人生の『使命』の性質と内容に触れたい。、
Now I want to talk quick about characteristic and details of the “mission” in our life that Jesus
gave to us.
1.この『使命
1.この『使命』の
使命』の性質は、単なる義務やお勤めではない。
Characteristic of this “mission” is that it’s not just obligation or recommendation.
(1)先週も
(1)先週も触れたが、ペテロの
れたが、ペテロの場合がそうであったように、この使命はイエス様が、その十
がそうであったように、この使命はイエス様が、その十
字架のゆえに無条件で下さった『罪の赦し』への『
で下さった『罪の赦し』への『感謝』
感謝』の心から生まれるものである。
We talked about this last week too, but it was with Peter, this mission comes from the
heart of “gratitude” for “forgiveness of sins” that Jesus gave to us freely because of the
cross.
(2)また、それは、『私を愛するか?』と
(2)また、それは、『私を愛するか?』と尋ねられる、イエス様への愛の応答、実践である。
ある人が言うように、愛は『名詞』ではなく『動詞』である。愛は何かをするのである。
』である。愛は何かをするのである。
It is also practical response to love of Jesus who asks us “Do you love Me?” As someone
says, love is not “noun” but “verb.” Love causes actions.
(3)それは
(3)それは決して義務の心からではない。
からではない。教会と言う
ではない。教会と言う団体に属しているからしなければなら
ない『奉仕』『義務』『責任』ではない。愛から出る自由で、自発的な応答である。
It never comes from the heart of responsibility. It’s not “service,” “obligation,” or
“responsibility” that you must do because you belong to an organization called church. It
is spontaneous response that comes from love freely.
(4)だから、
(4)だから、報われても報われなくても、うまく行っても、うまく
っても、うまく行かなくても、
かなくても、やめない
のである。愛の
のである。愛の行いには失望がないからである
がないからである。
からである。
We don’t stop doing that whether it’s rewarded or not, whether it goes well or not,
because actions that come from love don’t cause disappointments.
(5)また、何年経っても、何
(5)また、何年経っても、何歳になっても、事情が変わってもやり続けるのである。
We won’t stop either no matter how many years pass by, how old we get, or how
circumstances change.
6
2.この『使命』の内容は、
Detail of this “mission”,
(1)一言で言うなら、教会に
(1)一言で言うなら、教会に集まって来た方々、メンバーに対して、羊飼いが羊を世話し、
養い、守り、導くように、互いにケアーし合うことである。
if I am to say it in a word, is that we take care our members and people who came to
gather at church as a shepherd take care his sheep, feed them, protect them, and lead
them.
(2)イエス様は、
(2)イエス様は、真の羊飼いと雇われた臨時の羊飼いの違いについて言われた。。
いについて言われた。。「私は良
い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者ではなく、また羊の所有者
でない雇人は、オオカミが来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。そ
れで、オオカミは羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇人であって、羊のこと
を心にかけていないからです」(ヨハネ 10 章 11-13 節)。
Jesus mentioned difference between true shepherd and temporal hireling shepherd. “I
am the good shepherd. The good shepherd gives His life for the sheep. But a hireling, he
who is not the shepherd, one who does not own the sheep, sees the wolf coming and
leaves the sheep and flees; and the wolf catches the sheep and scatters them. The
hireling flees because he is a hireling and does not care about the sheep.” (John 10:11 –
13)
(3)もし、教会員のひとりひとりが「牧者の心」をもたなければ、教会はバラバラになって
しまう。しかし
しまう。しかし、
しかし、もし、みんなが「牧者の心」を持つなら、信仰をもったばかりの小羊
を始め、助けを必要とする弱っている羊たちが強くなり、ひいては群れ全体が強くなる。
くなる。
If each church member doesn’t have a “heart of the shepherd,” church will fall apart. But
if everyone has a “heart of the shepherd,” lambs that just came to faith and weak sheep
who needs help are strengthened and as a result the entire group will be strengthened.
(4)しかし、イエス様は、牧者の働きは「それだけではない」と言われた:
と言われた:「私には、こ
の囲いに属さないほかの羊があります。私はそれをも導かなければなりません。彼らは、
私の声に聞き従がい、一つの群れ、一人の牧者になるのです」(ヨハネ 10 章 16 節)。
But Jesus said that “that’s not the only work” of the shepherd: “And other sheep I have
which are not of this fold; them also I must bring, and they will hear My voice; and there
will be one flock and one shepherd.” (John 10:16)
(5)そうである。牧者の使命は、単に教会の中の人々だけでない。まだ教会に来ていない人、
信者でない人、文化は勿論のこと、宗教も、何もかも違う人も、ケアーするのである。
It is so. Mission of the shepherd is not only for people within the church. The shepherd
takes care of those who haven’t come to church, unbelievers, those who have different
cultures needless to say, those who have different religions, and those who are
completely different from him.
(6)具体的には、様々な
的には、様々な救済活動や友好
動や友好活動を含め伝道・宣教の働きはそれらに
きはそれらに当たる。
Specifically, it is the work of missionary and evangelists including various kinds of
disaster relief and exchange activities.
(7)私たち、WIJCのメンバー一人一人が、そのような「使命」を常に意識し、毎日の生
活の中で、個人的な証しとして、また教会として協力し、イベント、プログラムとして
実践していけるように、励まし合っていきたい。
I want us, each one of WIJC members, to be aware of such a “mission” at all times and
encourage each other to practice it as personal witness in our everyday life as well as
cooperate with each other as a church to have events and programs.
結 論
Conclusion
7
●私が信仰を持った頃、「総動員伝道」という伝道キャンペーンが流行っていた。簡単に言うなら、伝
道は、牧師一人がするものではなく、教会のみんなが、「総動員」
「総動員」でするものだと言う考えである。
When I came to faith, evangelistic crusades called “mobilized evangelism” was trend. Simply put, it is
an idea that evangelism is not something that only a pastor does but everyone at church does by being
“mobilized.”
●そのキャンペーンを説明する中で用いられている二つのイ
いられている二つのイラストを忘れることができない。どちらも、
ボート競技の絵である。一つは、舟の先で、メガホンをもって、オールをもって漕いでいる他の全員
に掛け声をかけている。もう一つの絵は、その反対に、一人の
対に、一人の男が舟の先で必死に舟を漕いでおり、
いでおり、
そのひとりの漕ぎ手に向かって全員がメガホンで激を飛ばし、励ましている絵である。
I can’t forget two pictures that were used to explain the crusades. Both of them were picture of boat
race. In one of those pictures, someone at the tip of the boat has a megaphone and is encouraging
each one who are rowing the boat with oars. In another picture, on the other hand, a man is
desperately rowing the boat at the tip of the boat and everyone else is encouraging him through
megaphones.
●これが、現代の多くの教会にし
くの教会にしばしば見る絵である。牧師だけが伝道と牧会の活動をして、信徒たち
はそれを言葉で応援し、指示しているだけ。しかし、本当のあるべき姿は、牧師の激励の言葉で信徒
の方々が総動員で、舟を漕ぐように、伝道と牧会のために動くことである。
This is what we often see in many of the modern churches. Only pastors work for the church and
evangelize. Believers encourage them by words and give instructions. But ideal is that a pastor
encourages believers and mobilize them and they all work for the church and evangelism as they row
the boat.
●みんな忙しい。それぞれにやるべきことがあるからである。でも、
るべきことがあるからである。でも、昔読んだ本に、「部長さん、日曜
日に牧師となる」と言うのがあった。私でも知っているある有名な一流の会社の部長さんが、同時に、
日曜日には牧師として説教し、教会のご奉仕をしていると言う証であった。この
であった。この部長さんは、ある意
味で、一人で二人分生きていたのである。
Everyone is busy. They all have something that they need to do. But in a book that I’ve read a long
time ago it said, “The director of department becomes a pastor on Sundays.” It was a testimony that
the director of department of this famous big company whom even I know gave messages as a pastor
on Sundays and served at the church. This director of department was living 2 person’s life by himself
in a sense.
●メソジストの創立者ジョン・ウェスレーは、「5 人分の人生」を生きた人だと言われた。勿論、彼は
傑物だったと言えるかもしれない。でも、私たちの周りでも、人の何倍も忙しく生きている人、即ち、
一人で、人の二
一人で、人の二倍も、三倍も仕事をしている人、生きている人もいる。
をしている人、生きている人もいる。
People said that John Wesley who established Methodist lived “5 person’s life.” Of course, he was a
great man. But there are people who live many times busier than others around us, that is, they work
twice or three times harder than others or they live twice or three times harder than others.
●あなたも、そのような人生を、単に自分のため、自分の家族のためにするのではなく、イエス様のた
めにしてみませんか?
Why don’t you try living life like that not just for you or your family but for Jesus?
●ペテロは、自らの罪の赦しを確信し、「あなたは私を愛しますか」とイエス様に尋ねられ、「ハイ」
と答えたとき、イエス様から
えたとき、イエス様から「私の羊を飼いなさい、養いなさい」と、牧会と伝道の使命を託された。
When Jesus asked Peter “Do you love Me?” and he was assured of forgiveness of his sins and
answered “yes” to Him, He said to him, “Feed My sheep. Take care of My sheep.” He gave Peter
mission of pastoring and evangelizing.
●それは、私たちも同じである。ペテロと同じように、罪の赦しの恵みを頂き、主に対する愛の告白を
果たした者は、イエス様から、ただに自分のために生きるだけでなく、他の人々のためい生きるよう
に招かれている。召されているのである。
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That’s the same for us. Just like Peter, Jesus leads those who are given grace of forgiveness of sins and
confessed love toward the Lord to live not only for themselves but also for others. They are called.
●あなたも、「私の羊を飼いなさい」とイエス様が言われ
イエス様が言われ、
言われ、総動員でするべき、牧会、また伝道活動を、
あなたの人生の「使命」として実行・実践
実行・実践しているだろうか??
Are you practicing and taking actions on pastoring and evangelizing, which Jesus said “Feed My sheep”
and everyone should be doing, as “mission” in your life?
●イエス様は言われた:私の羊を飼いなさい、私の羊を養いなさい。
いなさい。みんなで牧会をする、伝道をする
教会になりたい。
Jesus said: Feed My sheep. Take care of My sheep. I want us to be a church where everyone pastors
and evangelizes.