GKH021001

アルベ ール ・カ ミュ作 『
戒厳令 』 につ いて
一三つのマスクを中心に神
垣
享
介
〔
キーワー ド〕 ペス ト,マスク,男性 ・女性原理,強制収容所,レジスタンス
序
『
戒厳令』 は1
9
4
8
年1
0月初演のペ ス トをめ ぐる戯 曲である。内容 は前年 に上梓 され華 々 しい
成功 を収 め た小説 『
ペ ス ト』 を想起 させ る ものであ り,ス タッフや役者 も当代 一流 の 人たち
(
演 出及 び主役のデ イエ ゴにジャン-ルイ ・バ ロー,音楽にオネゲ ル,美術 にバ ルナ ュス,役
者では秘書役 にマ ドレーヌ ・ルノー,デ イエ ゴの恋人ヴィク トリアにマ リア ・カザ レス,ナ ダ
役 にピェール ・ブラ ツス-ル) を配 したに もかかわ らず,
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・上演 を目撃す ることので きなか
ったわれわれは,テクス トを通 して しか この作 品にアプローチす る術 はないのであるが,一読
すればその原 因のい くつかは納得で きる ものである。 テクス トに目を通せ ば一 目瞭然であるが,
作 品が発す るメ ッセージ (
全体主義批判)があ ま りに もス トレー トであ り,そ うした類 の台詞
の分量が半端でない ことや,観客 にとってはまだ生 々 しい近過去であるナチス占領下の フラン
スを直接 的 に想起 させ る台詞があ ま りにふんだんに盛 り込 まれていることが挙 げ られ よう。時
代 は中世風 で,場所 はスペ インの港 町カデ イスであって も,劇の筋立 ては,ある都市の占領か
9
4
4
年 に熱狂 を
ら解放への軌跡 を示 しているのだか らテーマの所在 は明 らかである。 しか し,1
9
4
8
年 とい う時代状況のなかではその輝
もって迎 え られた レジスタンスによる解放 も,戦後の1
(
2
)
きをすで に失い,新 たな精神風土が フランスに静か に蔓延 し始めていたことも作 品の不成功 に
寄与 した と考 え られる。小説 『
ペ ス ト』ではナチスはペス ト菌 とい う象徴 で示 されていたの に
対 し,舞台ではナチ スの制服 を着 た人間 として登場 したのであ るか ら,観客 に占領下の記憶
(
多 くの者 に とっては抑圧 してお きたい,つ ま りは存在 しなか った もの と してお きたい) を
生 々 しく廷 らせたことは容易 に推測で きる。
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しか し,何 よ りも失敗 の原 因は作 品その ものに求め られた。Ra
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エ ゴとヴィク トリアを囲むすべ ての登場 人物 たちは操 り人形 の よ うだ と記 してい る,く
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如 にその原 因を求めているO しか しなが ら,デ イエ ゴとヴィク トリア以外 の登場 人物 たち (
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とえば わ れ われ の興 味 を引 くヴ ィ ク トリアの母 親,ペ ス トの秘 書,そ して漁 師) は Ga
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rが言 うように果 た してマ リオネ ッ ト的機 能 しか持 ち合 わせ てい ないのか。 さ らには
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品で言及 される三つのマスクに注 目 し,それ らのマス クが作 品中でいかなる機能 を有 している
2
天 理 大 学 学 報
かを考察の主な主題 としたい。最初の二つのマスクはデ イエ ゴに,最後のそれはペス トの秘書
にかかわるものである。それ らのマスクはそれぞれ次の ような謎 と密接 に関連 している。最初
のマス クは,何故 デ イエ ゴは医師 にな らない (
なれ ない)のか とい う問題 に関わっている。
『
戒厳令』では女性原理 と男性原理の相克が重要なテーマであることは しば しば指摘 されて き
(
5
)
たが, ヴィク トリアが否定するその男性原理へ とデイエゴを決定的に赴かせ る契機 にこのマス
,『ペス ト』の主人公 たち と異 なってデ イエ
クが重要な役割 を演 じている。二番 目のマス クは
ゴはペス トと真 に戦 うまでに,何故 に誰の 目にも卑劣 と思われる行動 をとるのかの問題 に関わ
っている。三番 目のマスクはペス トの秘書が最後 に身につける ものであるが,それはペス トの
秘書が何故 にデ イエ ゴに執着す るのか という問題 と密接 な関連 を持 っている。本論文では主 に
以上のような観点か ら考察 を進めるが,それに加 えて,何故 に作品の最後 は主要登場人物で も
な く,固有名詞す ら持 たない漁師の台詞で終わるのか, という問題 をも見てい く。なぜ なら,
彼の存在 こそが,この悲劇的な作品に唯一 とも言える希望 を暗示 しているように思 われるか ら
である。
Ⅰ. なぜデ ィエ ゴは医師 にな らない (
なれ ない)の か
,『戒厳令』はいささか も 『ペス ト』の adaptation (翻案劇)ではない と喚起 して
(
6
)
いる
。確かに,
『
戒厳令』はカミュが ドス トエ フスキーの 『
悪霊』や フォークナ-の 『
尼僧へ
カ ミュは
の鎮魂歌』にお こなったような意味での翻案劇ではない。 しか し,誰 しもが認めるように 『
戒
厳令』 と 『
ペス ト』 は色々な意味で密接 な関係 を有 していることも事実である。た とえば,逆
説的ではあるが
,『ペス ト』 と 『戒厳令』 を比較 した場合,一方ではまった くといっていいほ
ど問題 にされないテーマが他方では中心的テーマになっている ものがある。その最たる ものは
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女性 をめ ぐるテーマであるO カ ミュ自身,く
き送 っている。一方ではほとんど存在せず,他方では過剰 とも言えるその愛の台詞の氾濫振 り
を示す二つの作 品は,まった く別の世界 を描 いていると言 えよう。 しか し,同 じペス トとい う
主題 を扱いなが らも,こうした好対照 を示す両作品は,その違いその ものによって逆 にその密
寺
副生の印象 をわれわれに与える。 さらには Pi
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と指摘す るように,主人公たちは ともに医師 という職業 を選びなが らも似 てはいない。 リュは医師 としての職務 を忠実に果たすのに対 して,デ イエ ゴはついに医師にはならず,反抗者の
,『ペス ト』では疾病 としてのペス トが問題であ
リーダー として息絶 えるか らである。確 かに
,
戒厳令』では人格化 されたペス トとい う違いがあ り,前者では医師 とい う職業がはるか
り 『
にペス トに対 しては有効だ と言 えな くもない。 しか し,デイエ ゴの場合,そうした理由だけで
医師にならない (
なれない)のではない。た とえ彼が 『
ペス ト』の登場人物だ として も,おそ
らくは医師にはな らない (
なれない)であろう。つま り彼 の場合,ペス トが純粋 に病原菌か,
それ とも人格化 した形で現れるかの問題ではないか らである。それは,愛の女性原理 に忠実な
,『戒厳令』
彼の恋人 ヴィク トリアの存在がそ うさせ ると考 え られるか らである。 したが って
は リューの ような医師にはなれなかった主人公の物語であ り,ある意味, リュ-がそうなった
か もしれない別の運命の物語 として読 むことがで きるだろう。つ まり,発表 された順 とは逆 に,
『
戒厳令』の世界 は 『
ペス ト』では描かれることのなかったリュ-のあ り得 たか もしれない前
史の世界 を措いた もの とも言 えよう。以下では,デ イエ ゴが医師にならない (
なれない)過程
をテクス トに即 して見てい きたい。
アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
3
デ イエ ゴとヴィク トリアが一緒 に登場する最初の場面その ものが,これか ら彼 ら二人を待 ち
受けることになる運命 を暗示 している。彼 と彼女はヴィク トリアの家の窓の柵越 しに相対 して
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たばか りの二人は甘い愛の言葉 を噴 き合 うが,二人の間には窓の柵が立ち塞がっている。そ し
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て,彼 が柵 に近づ くと,腕 を伸 ば して彼 の肩 をつ かむの は彼 女 であ る,《
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ドするのはヴィク トリアであ り,い くら彼女が彼 を捕 らえようとして も二人の間には決 して越
せ ない柵 -障害物が存在する。その柵 -障害物 はある時は恐怖であ り, またある時 にはペス ト
の秘書 ともなろうが,その最大の障害物 はやは り女性原理 と男性原理の相克であろう。その女
性原理 を端的に表 しているのが,ヴィク トリアがデ イエ ゴを捜 し求めて何度か発する く
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8)なのであるO女性原理が具体的なもの
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肉体,餐, 自然,大地,可能な もの ,e
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) に向か うのに対 して,男性原理は抽象 的 な もの
(
名誉,思想,義務,不可能な もの,e
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) を志向 しているのは明 白である。だが, この二つ
の原理は常 に相反するばか りではな く,死の直前 にデ イエ ゴが,一緒 に死の うと訴 えるヴィク
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9
7) と言 うように,女性 は男性 を導 き,教 える役 目を担 っているのである。だが,
あま りにも女性原理が過剰である場合,教 え,導 くよりも,男性か ら彼が果たすべ き本来の職
務 を奪 って しまうこともあ り得 ると考 えられる。
デ イエ ゴは医学生 と して登場す る (
p.1
91
)
。彼 は幸福 になることに専念 しているが,それ
は長い仕事であ り,その仕事は同時に街 と田舎の平和 を求める ものであることも理解 している,
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6)つ ま り,彼 にとっては,幸福 になるためには街 と田舎の平和が前
提条件 なのである。 したがって,平和が乱 されるときには幸福 はあ りえない ことを意味 してい
よう。その平和 を乱す原因が疾病であれば,平和 を取 り戻すために病疫 に医師 として立ち向か
うことが彼の職務 となろ う。『
ペス ト』の場合 と同 じく劇 中劇 として演 じられている舞台で役
者が突然 に倒れるが,その場に居合わせたデ イエ ゴは真 っ先 にその役者の もとに駆 けつける0
しか し,その男 を診断するのは後か らきた医者たちなのである,《
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p.2
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6) こうした彼 の態度 は医学生 として当然であろう。 しか し,まだ完全 には医師 として
認め られてはいないので診察 をほかの医師たちに任せ る しかない。医師たちはこの役者の死因
をペス トと診断する。当然人々は錯乱状態 にな り,舞台は混乱す る。こうした状況の中でデ イ
エ ゴが どのような行動 を取 っているのか舞台上では分か らない。なぜ なら,この後,場面は教
会,宮殿,判事の家 と目まぐる しく変わるか らである。そ うした場面の合間にヴィク トリアは
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,と彼 を探 し回る。ペス トが発生 したことを知 りなが ら,医学生の彼が
いるべ き場所の見当 も付 かないほどに,彼女は彼の医学生 としてのアイデンティテ ィをまった
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p.21
2) とい う呼
く失念 しているとしか思 えない。彼女の二度 目の ・
びかけに一人の女性が彼の消息 を教 える,・
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p.2
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2)彼 は医学生 と して当然予想 される場所 にお り,病人の世話 を している
のである。 しか し,ヴィク トリアにとっては彼の医学生 としての職務 よりも,二人の愛が先行
4
天 理 大 学 学 報
す る。上で挙げた女性 の台詞の後 に置かれている ト書 きと,その後 に続 く彼 らの台詞がその こ
とをよ く示 している。
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p.21
2)
ここで注 目すべ きなのは, ヴィク トリアがデ イエ ゴの被 っているペス トの医師のマスクを異
様 に怖が っているこ とである (ト書 きは二度 も彼女 の叫 び に言及 している)。それ は,そのマ
スクが死 に密接 に結 びついていることを彼女が本能的に感 じ取 っているか らであろうCなぜ な
ら,死 こそは愛 にとって最大の障害物であるか ら。だか らこそ, このマス クを脱 ぎ, 自分 を抱
きしめて くれるよう,そ うすれば 自分 は救 われる, と彼 に言 うのであろう。だが,それは彼女
の側の論理 にす ぎないのではないのか。デ イエ ゴを愛す る とい うこと,それは彼 の医学生 とし
ての義務 をも含 めて彼 を十全 に受 け入れることではないのか。 しか し,彼女 は彼 を医学生 とし
て まった く認識 していない ように思 われる。上で挙 げた引用 に続 けて彼女 は次の ように言 う,
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p.21
2)二人の間に生 じた変化 とは,デ イエ ゴが医師の
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マスクをつけることによって完全 に彼が医師 とい うアイデ ンテ ィテ ィを選 んだことであろう。
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しか し,彼女 にとっては医師のマスクは苦悶 と病気の象徴 で しかない。I
の ように指摘す るのは正 しい,く
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p.21
3) と言 うのは,マスクをつけたか らではな く,反対
ゴが く
にヴィク トリアの執掬 な懇願 によって医師のマスクを外 したか らだ と考 え られるか らである。
マス クを外す こと,それは象徴 的な意味 において 『
戒厳令』の一つのテーマ ともなっている。
なぜ な ら,ペ ス トの出現で人々はこれ までつ けていたマスクをかな ぐり捨て,われ先 に逃 げ出
そ うとして 自らの卑劣 な本性 をさらけ出すか らである。 た とえばペ ス ト以前 にカデ イスの街 を
統治 していた総督 たち,判事 ,司祭 たち <
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26), さらには街 か ら脱出 しようとしてエ ゴイズムに走 る民衆 たち。つ ま り,GayCr
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相反す る道 を暗示 しているように思 われる。マスクをつけることでデ イエ ゴは医師 としてのア
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街 と田舎の平和 を取 り戻すため に)の に,そのマスクを外す ことは
そのア イデ ンテ ィテ ィを失 うことにはかな らない。医師 としての アイデ ンテ ィテ ィを失 ったが
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アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
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3) とも,く
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8) とも言 うのであろう。
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しか し,マス クを外 したか らといって もまだそのマス クの余韻 は残 っている。彼 に近づいて く
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p.21
3) と言 うのは しご く当然であろ う。 しか し,マス クを外 した彼 はこれ まで決
して口に しなかった 「
怖 い」 とい う言葉 を洩 らす ,《
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p.21
4)柄
気 を怖 い と思 い,それ を口にす る瞬間か ら彼 の医師 としてのアイデ ンテ ィテ ィは ぐらつ き始め
た筈 である。その証拠 に, これ以降の彼 は,彼が赴いた筈 の病人の傍 にはお らず,つ ま りは医
師 としての属性 を完全 に失 って登場す るか らである。彼 が この ように医師 としてのアイデ ンテ
ィテ ィを失 うのは,全体主義 をあか らさまに表象す る登場人物ペス トが舞台 に現れる以前,つ
ま り純粋 に疾病 と してのペス トの渦中であ ったことは興味深 い。 ここにリュ- とデ イエ ゴの違
いをはっ きり見 ることがで きる。 1
)ユーは,愛 は何物 に も換 えがたいほ どに重要 な ものだ と認
識 してい るが,何 故 だか知 らないが 自分 はそれ か ら目を背 けて しまった と告 白 してい る,
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記 しているが,デ イエ ゴがそ うあ り得 たか も しれない医師 としての彼 はその理 由 を十分承知 し
ている筈である。では,医師 にな らない (
なれない)デ イエ ゴは, リュ-がそれか ら目を逸 ら
す愛 に完全 に身 を投 じるのか。そ うであるな ら話 は簡単である。だが,彼 はマス クを外 したこ
とで医師 としてのアイデ ンテ ィテ ィと同時 に,それ以前 に有 していた筈 の良識ある人間 と して
のアイデ ンテ ィテ ィ (
愛す る人間 としてのそれ も含 まれる) をも失 っているように見受 け られ
る。
Ⅰ.何 故 デ ィエ ゴ は卑 劣 な行為 に走 るの か
これ までペス トの医師のマス クの機能 を中心 にデ イエ ゴが医師 になれない理 由 をみて きた。
しか しマス クをめ ぐる話 はこれで終 りとはな らない。なぜ な ら,第二部で もう一度彼 はマスク
をつけて登場するか らである。マス クに注 目 して きたわれわれに とって,今 回 下書で言及 され
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るそれは不可解 としか言 いようが ない。 まず その場面 を見てみ よう,《
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8)第部 と風景
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が完全 に変わっていることが分かる。明 らか に強制収容所 のイメージが支配的である。追い詰
め られた ような様子で登場するデ イエ ゴがつけているマスクは一体何 を意味 しているのであろ
うか。実際の上演ではこのマスクが どの ような ものであったか詳 らかではないが,常識的 には
第一部でつけていたマス クと考 え られ よう。 しか し,すで に見 た ように,医師のアイデ ンテ ィ
テ ィを失 った彼 が このマスクを再 び身 につけているとは考 えに くい。 さらに不思議 なのは,そ
のマス クを外す言及が ないことである。だが,皆 は何 の蒔曙 い もな くデ イエ ゴだ と認識す るの
であるか ら彼がマスクを終始被 っている とは考 え られない。それゆえこのマス クについては次
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の ように考 えるこ とがで きるので はないか。上で引用 した ト書 きのす ぐ後 で彼 は く
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p.2
4
8) と言 っているo背景 は どこの国の もので も
な く,そ こでは人 (
男)が生 きてはいけない ような別の世界 なのである。 どこに もない ような
世界では,人は誰の もので もない ような顔 を持 た ざるを得 ないのではなかろ うか。 したが って
6
天 理 大 学 学 報
ここでデ イエ ゴがつ けているマス クは,それ までの アイデ ンテ ィテ ィ (
彼 を支 えていた価値 )
を失 った顔 ,つ ま りこの第二部での彼 の顔 (
敢 て言 えばデ イエ ゴ とい うマス ク) を象徴す る も
のであ り,それゆ えマ ス クを外 す言 及 もないのではなか ろ うか。 さらに言 えば, このマス クは
別 の もの に よって象徴 されている と考 える ことがで きる。つ ま り,デ イエ ゴにつ け られ るペス
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ue)である。マス クをつ けて登 場 した彼 は,そのマス クを外 す とい う言 及 もさ
トの印 (
れ るこ とな くペ ス トの印 をつ け られて しまう,《
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0)そ して判事 は
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,と読み替 えて もさほ どの不都合 はない。 この ma
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っては 。
mas
queこそが デ イエ ゴを,何 のアイデ ンテ ィテ ィも持 たず ,ただ恐怖 に よって本 能 の ままに
卑劣 な行為 に走 る人 間 に して しまうのであ る。
デ イエ ゴは医師のマス クを外 したが ゆ えに く
く
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,
,(
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4)になっ
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,
,(
p.2
4
8) と公
た, とわれわれはすで に指摘 した。 ここで も彼 は コー ラス に く
言す る。 そ してペ ス トに向か って く
く
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p.
2
4
9) と言 う。ペ ス トはせ
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queをつ け捉 える よう命 令 す るが,彼 は恐怖 に駆 られ て一軒 の家 (カサ
せ ら笑 い,彼 に ma
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rが感動 的 と許
ド判事 ,つ ま りは ヴィク トリアの家) に逃 げ込 む。 この家 での展 開 は,Gr
(
1
5
)
した判事 と妻 の情景 を含 む と同時 に,デ イエ ゴが 自らの卑劣 さをさらけ出す重要 な場面 であ る。
ここで は,卑劣 さ (
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6)の テーマ
を中心 に見 てい こ う。 この作 品で は卑劣 さの テ ーマ は
(
1
6
)
い くつかのケース において見 られ る。 だが,最大 の卑劣 さは,未遂 に終 わる とはい え判事 の子
供 (
つ ま りヴ ィク トリアの弟) にペ ス トを感染 させ ようとす るデ イエ ゴの行為 であ ろ う。判事
は聞入 して きたデ イエ ゴに出て行 くように, さ もなければ告発 す る と脅す。 それ に対 して ヴィ
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3) と諌め るが,判事 は く
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3) と応酬す る. そ
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3)
の判事 の台詞 に挑発 されたかの ように,。
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,(
p.2
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3) と言 うが,
(
p.253) と言 い放つ のであ る。 ヴィク トリアは く
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,
,(
p.2
5
3) と反論 す る. まさに, これ ま
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ueの呪力 に捉 われたデ イエ ゴを象徴 す る ような
での アイデ ンテ ィテ ィを失 い ,ma
言葉 であ ろ う。そ して彼 の行為 が最大 の卑劣 さの ようにみ えるの は,それが子供殺 しの テーマ
戒厳令』 と同年の 1
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8年 に応 じたあ るイ ンタヴュー
に結 びついてい るか らであ るO カ ミュは 『
で次 の ように語 ってい る,<
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'神の専断 を意味 す る子供 の死 について は 『
ペ ス ト』 で,ペス トで死
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戒厳令 』で は人 間の専 断
ぬ オ トン判事 の子供 のエ ピソー ドが感動 的 な筆 致 で措 かれ てい る 『
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を意味す る子供殺 しは,未遂 に終 わ る とはい え明 らか にデ イエ ゴの行為 に よって象徴 されてお
り,彼 は もはや決 して i
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ntで はあ り得 ない だろ う し,名誉 も失 したのであ る。 だが, こ
う した暴挙 か ら彼 をか ろ うじて救 うこ とになるの は判事の妻 であ る。子供 を楯 に とって 自分 を
匿 うように脅迫す るデ イエ ゴに,判事 はそれは法 に背 くこ とになる とい って断 る。 さらにはそ
の子供 が妻 の不 貞の産物 であ る こ ともば ら して しまう。それ に対 して妻 は次 の ように反論 す る,
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p.2
5
5)
アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
7
妻 は 自分の側 の権利 として,愛す る ものたちが離れ離れにされない権利,罪 び との赦 される権
刺,改俊 した ものたちの讃 えられる権利 を主張す る。妻の こうした反論 は判事 よ りもデ イエ ゴ
に向けてな される一種 の教 えの ように見 える。 なぜ な ら,今の彼 の振舞いはそ うした権利 にま
った く値 しないか らである。Ba
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イエ ゴがそ うした権利 を得 る可能性 のためには,い ま彼が なそ うとしている卑劣 な行為 が重大
であればあるだけそれ につ り合 う頗罪行為が必要 とされ よう。デ イエ ゴの最後の悲劇 的な死 は,
ある意味で,彼 が犯 そ うとした子供殺 しの必然 的な購罪行為 だった とも言 えよう。判事 の妻 に
話 を戻す と,彼女 は次 の ように も言 う,・
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5
5
-6) この台詞 も判事 よ りもデ イエ ゴを直撃 した筈
である。なぜ な ら,苦 しみ,叩 く人々 とい うイメージは彼 の医師 と しての義務 を想起 させ るに
違いないか らである。その言葉 に気圧 されたかの ように く
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p.25
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)
この妻の役 目は,夫の これ までの卑劣 な行為 を言 い立 てる (
p.2
5
5) こ とで,デ イエ ゴに も彼
の行為 の卑劣 さを教 えることにあろ う。そ して彼女の教 えの中核 をなすのは, カ ミュが1
9
47年
に記 した く
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p.2
5
6) こうした差恥 の感情
か ら逃れるかの ように,彼 は判事の家 を出るのだが ヴィク トリアも彼 の後 を追 う。そ して彼 ら
が落 ち合い,抱擁 を交 わそ うとす る瞬間,二人の間に突然ペス トの秘書が現 れデ イエ ゴに三つ
目の ma
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queをつける。つ ま り, この二つ 員の ma
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) となったのである。 ここか ら,ペス ト感染者 として死 を自覚 した
彼 のエ ゴイズムが始 まる。彼 は 自分 ひ とりで死ぬ ことを拒 み,彼女 に く
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0) と哀願す るが,彼女 は <
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恐怖 と憎悪 に満 ちた今 の ような顔 を してい る彼 は受 け入れ られないのだ。恐怖 と憎悪 のこの顔
こそが, これ まで見 て きた ような彼 の顔 (
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que)を表象 してい よう。だか らこそ,
彼 女 は彼 の なか に昔 の優 しさ-彼 が失 った ア イ デ ンテ ィテ ィ を求 め るの で あ ろ う。彼 は
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)のである。
す る彼女の言葉 を受 け入れ彼女 を抱 きしめるが, (
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そ して 自らの昔のアイデ ンテ ィテ ィを思い起 こ したかの ように,<
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61
) と決意 を示すが, この決意 も彼女の強い愛の訴 えの前では ぐ
らついて しまう。明 らか に愛 と義務 の相克が見 られるが, この相克のなかで彼が選ぶのは海 に
(
2
1
)
逃れるために街 を脱 出す ることなのである。 このエ ピソー ドで も彼 は卑劣 さを示 して しまう。
ペス トか ら逃れて海の上で暮 ら している人たちに食料 を配達 している船頭 にデ イエ ゴはこうし
た行為 は禁 じられていると言 うが,船頭 は 自分 は字が読めない し, この禁止令が出た ときには
海 にいたか らと論弁 をもって答 える。その論弁 に答 えてデ イエ ゴは,そ うであるなら自分 を海
に連れて行 くの も何 ら差 し支 え な
い
筈だ と言 う。 まるで カサ ド判事の論理 に染 まったかの よう
8
天 理 大 学 学 報
な理屈である。 さらには,船頭がペス ト菌 を持 っているか も知れない人間を連れて行 くことは
海に逃れている人たちか ら禁止 されていると言って も,デイエ ゴは耳 を貸 さず必要なお金 を払
que=mas
queの力学が彼の行動 を律 していると考 えるほかな
うとしか言わないのである。mar
い。 この脱出のエ ピソー ドの直前に, ヴィク トリアか ら 《
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4) と言われて も ・
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4)のは,今の 自分の顔
(
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que)には昔のアイデ ンテ ィティが何 もないことを十分 に承知 しているか らで
あろ う。彼 は最終的 には反抗 の行動 に赴 くのだが,それには当然の ことなが らこの mar
que=
mas
queを捨てな くてはならない。だが,それは彼の力だけではな く,ペス トの秘書の導 きに
よってこそ初めて可能 とな り,そ してそれが翻 って秘書 自身のマスクのテーマにつながるので
ある。
Ⅱ.何 故秘 書 はデ ィエ ゴに執 着 す るの か
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ペス トの秘書 は本来,偶然 と結 びついた自由で 自然な死 を司る存在であったo <
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-4)が,今ではペス トとい う全体主義 に絡め とられ,人々が く
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29)管理の役 目を担 っている。だが,彼女 はペス トに仕 えなが らも,完全 には本来の資質 を
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失 ってはいない。ペス トは完壁 な仕事振 りを示す彼女 に,<
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) と言 って彼女の反抗 をすでに予言 している。Mi
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8年に 『
戒
厳令』 を演出 した経験 か ら,秘書 こそが く
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続 けてマス クと彼女の関係 について次の ような指摘 をしている,・
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6が,前半部の秘書は,全体主義 に仕 えることで彼女の本来の職能 (自然の
死)を踏み越 えたがゆえに本来の姿ではないマス クを付 けていると指摘 しているのは興味深い
(
テクス トではマスクの言及はないが)。デ イエ ゴと秘書 は本来の ものではないマス クをつけ
た,ある意味 において似 た者同士 なのである。その二人がマス クのテーマを介在 として互いを
本来の姿- と返すのである。
デ イエ ゴが船頭の船に乗 り込 もうとした瞬間,彼 を妨げるのは秘書である。なぜ なら,彼 こ
そが彼女 を本来の姿 に戻すことがで きるか らである。彼女 はここでの彼 との会話 は正規の もの
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p.2
6
8)彼女は秘書 としてでは
な く個人 としてデイエ ゴに相対 してお り,ペス トを裏切 ることになることも十分承知 している。
彼女 は彼 を挑発 す るo まず手始 め に船頭 をノー トか ら抹消 -殺す。それ につ い て彼 女 は,
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0) と言 う。 こ
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p.27
0) と彼 は
示 され,そ して 《
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アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
(
2
3)
言 う。 ここに不条理 な偶然の死の 目撃者 となったデ イエ ゴの反抗の瞬間がある と考 え られる。
なぜ な ら,ペス トが言 うように <
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7
9)だか らであ り,
これ以降明 らかにデ イエ ゴの態度 に変化が見 られるか らである。ペス ト体制で は偶然 による死
は禁止 されている,く
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汁(
p.2
2
9)秘書 は船頭 の偶然 の死 を演出す ることで,ペス トを
裏切 る と同時にデ イエ ゴを反抗へ と向かわせ ることになる。秘書が発する 「
偶然」 とい う言葉
に反応 したかの ように彼 は彼女 に向かって く
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p.2
7
0) と言 い,その直後 にはこの
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偶然がペス ト体制 に村す る有効 な武器 であることを認識する,・
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,
,(
p.2
71
) この後 も反抗 に目覚めたデ イエ
ゴの台詞が続 くが,秘書 は彼 の言葉 をあ ざ笑い, さらに挑発 してい く。そ してついに彼 は彼女
-死 を殴 りつけるのだが,その とき,それ までついていた ma
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p.2
7
2)何 が生 じたのか理解で
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,(
p.27
2) ここに至 って彼 の mar
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queは消 えるのだが,それは秘書の挑
発 -導 きが与 っての ことである。 さらに彼女 はペス ト体制 に存在する欠陥の秘密 さえ も彼 に教
えるのである,く
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p.27
3)彼女 は く
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p.27
3) と言 うが,
そ うでない ことは明 白である。そ して, まだ怖 いか, と問 う彼女 に彼 は怖 くはない と答 えるの
だ が,す で に秘 書 -死 を殴 りつ け て い るの だ か ら当然 で あ ろ う。そ れ に対 して,彼 女 は
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p.27
3) と言 って
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queの消 えた彼 が最初 に遭遇す るのが病 人
彼 の行動 の 自由を保証す る。そ して ma
であることは,昔の医師 としてのア イデ ンテ ィテ ィが一時的に しろ復活 した ことを暗示 してい
るように見 える。
第三部でのデ イエ ゴは医師 としてではな く,反抗者の リー ダー として民衆 を導 く。 しか し彼
らは 日和見的に状況 に応 じて彼の側 とペス トの側で揺 れ動 く。 ここで も秘書 はデ イエ ゴのため
に教育的場面 を設定 しているように見 えるO それは,わ ざと民衆が彼女か ら死 の手帳 を奪 うよ
うに仕 向け,その手帳 を手 に した民衆がいかなる行動 に及ぶか を教 えるのである。民衆 の手 に
渡 った手帳 をヴィク トリアの妹 が奪 い,そ こか らヴ ィク トリアの名前 を削除 して しまう。そ し
て再 びその手帳 を取 り返 した彼 らはヴィク トリアの妹 の名前 を抹消す る。一人の男 の
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p.2
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3) と
い う台詞 は明 らか に,戦後 の村独協力者粛清問題 において最初 は支持 したが,その行過 ぎを見
るにつけ粛清が完全 な失敗 だった と認 めざるを得 なかったカ ミュ自身の苦 い経験 を反映 してい
よう。ペス トに代 わって人間が死 を司 るこ とは別のペス トになることにほかな らない。本来の
自然 の死 のマス クを求め る秘書が, こうした教訓 をデ イエ ゴに示すのは当然 であるO
デ イエ ゴの陣営 が優勢 とな り,つい にはペス トを追い詰めたように見 えた とき,ペ ス トは瀕
死のヴ ィク トリアを人質 として楯 に取 るが,デ イエ ゴは 自分が彼女の身代 わ りとなって死ぬ こ
1
0
天 理 大 学 学 報
とを申 し出る。だがペス トは逆 に,ヴィク トリアを救 うには,デ イエ ゴ自身の命 と引 き換 えか,
街の 自由 と引 き換 えか, どちらかを選ぶ ように言 う。選択 を迫 られて彼 は自分の命 との引 き換
えを選ぶ,なぜ なら く
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89)か らである。確かに彼 はヴィク トリアの命 を救 うために,そ して人間たちの 自由の
(
p,2
ために自らの命 を犠牲 にするのだが,マスクのテーマを追 って きたわれわれには,デ イエ ゴが
死 を選ぶのは同時 に秘書 をその本来の姿 に返すためのように見える。そ して本来の自由で 自然
の死 に立 ち返った彼女の最初の仕事 は,皮肉に もデ イエ ゴに死 を与えることなのである。ペス
く
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,
,(
p.29
2) と答 える。そ してペス ト
トに死の準備 はで きたか, と問われて彼 は く
は秘書 にデイエ ゴを殺す ように命 じる。彼女の気の進 まない様子 に苛立 ったペス トは く
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p.29
3) と言 うが, ま さ に そ の と きに彼 女 は変 化 す る の で あ る,く
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p.29
3)デ イエゴの 自発的な死の覚悟 が彼女
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p.2
9
4) という台詞がそれを証明
してい よう。 もし彼がペス トの取引に応 じて街の 自由を引 き渡 して しまうなら,秘書 は相変わ
らずペス トに従 わな くてはならないだろう。人間たちの 自由のなかには当然, 自由で自然の死
もふ くまれているはずである。人間たちに自由を返す こと (
死 を自由に選ぶこともそこに含 ま
れる),それは同時 に秘書 をペ ス トか ら解放す ることで もある。ある意味,秘書の解放へ と向
か う力学 こそが この作品を律 しているように見 える。それゆえ,愛 よりも義務 を選んだ として
デ イエ ゴを非難するヴィク トリアや女たちの訴 え も,秘書の く
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9) という最後の台詞の前では沈黙
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'と命名 した理 由も納得で きようO
Ⅳ.なぜ作 品 は漁師 の台詞 で終 わ るの か
デ イエ ゴは自ら死 を選ぶ ことでヴィク トリア,街,そ して秘書 を解放 した。 しか し,ペス ト
の退場 とともに昔の統治者たちが帰 って きて互いに勲章のや り取 りをする。ナダは言 う,く
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9) さらに
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は民衆の姿 も漠然 と してお り,作品中では日和見的な姿が強調 されていた。東浦弘樹 は次の よ
うに指摘 している,・
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東浦が指摘するように,作 品の最後 はデイエ ゴの犠牲がナダの言 うように無駄 な死であるかの
ような印象 を与 える。 しか し, まった く作品に希望 はないのであろうか。われわれは,作 品の
終結部で 「
決 して屈服 しない民衆」 を叫ぶ漁師の存在 に注 目し,彼 こそが 自らの表明に根拠 を
与える登場人物にな りえる可能性 を有 していないか を検証 してみたい。
漁師が最初に登場す るのは,第一部の聾星の出現 による不吉な予兆 を暗示するプロローグが
終わ り,いつ もの市場 の 日常が演 じられる場面の冒頭である,《
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アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
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7) ここで興味深いのは,漁師が複数形で示 されていることである。 これ以後漁師は常 に単数
形で登場す るが,固有名詞 を持たず漁師とい う普通名詞で指示 される彼 は,その背後 に存在す
る複数の漁師たちを代表する集合的人物であると考えられる。 さらには民衆のコーラス隊が彼
らによって導かれて (
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)いることである。海 に生 きるカデ イスの街 の民衆が彼 によっ
て導かれているのは当然 と言えば当然である。だがペス トの命令 によって街の門は封鎖 され,
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p.2
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4) と言 って もそれは もはや不可能 なのである.港-出ることを禁 じられた民
衆のなかで最 もその損害 を被 るのは漁師であろう。それゆえ,彼 こそがペス ト体制 において具
体的な全体主義的不条理 を身をもって体験す る唯一 とも言 える人物 として選ばれたのであろう。
第二部の冒頭で再び漁師は現れるが,このときも彼 は ト書 きで く
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p.23
2)
とわざわざ指示 されている。その彼 は秘書 に身分証明書 を作 るよう命 じられる。なぜ なら く
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32)だか らである。 この ときか ら彼の証明書 を求めるための不条理 な手続 き
が始 まる。期限付 きの身分証明書 を得 るにはその前 に健康証明書 を交付 して もらう必要がある
と秘書 に言 われて一時退場するo再び登場 した彼 は,<
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p.2
39)
その健康証明書 には先ず身分証明書が必要 と言われて送 り返 されて しまった と秘書 に言 う。そ
して,その身分証明書 を自分 は得 ることがで きるのか と問 う彼 に,彼女 は原則的にはで きない
と言 うが,特例 として一週間の期 限付 きの もの を交付することに同意する。 この場面が重要 と
思 われるのは, ここで漁師が怒 りの所作 を示 し反抗の初段 階を暗示 していることと,デ イエゴ
と初めて対面す る (
会話 を交わす ことはないが)か らであるo以後 しば らく彼 は登場 しない。
再 び彼 が登場 す るの は,す で に言 及 した秘 書 の挑発 -導 きに よって デ イエ ゴが ma
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queを壊 し,ペス ト体制の欠陥の秘密 を見出 した場面の直後 に置かれた ト書 きにおいてで
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pp.27
3
4)猿轡 を解かれた彼 はデ イエ ゴに く
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p.27
4) と語 りかけ,それに対 して
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4)のであるo この場面は作品中で唯一 とも言える心の和 むシー ンで
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6)の芽生えの瞬間を感 じさせ る。
あ り,明らかに友愛 (
第三部では,漁師はほかの民衆 とは違 って常 にデ イエゴの側で戦 う人物 として登場 している。
彼 に与 えられた台詞や ト書 きは多 くはないが,要所でその存在 に言及 されることで彼が第三部
に常 に登場 していることが分かる。秘書が民衆 に,現代の革命観 (
革命 には もはや民衆 など必
要ではな く,警察だけで事足 りる し,何人かの指導者が考 えるだけで十分) を語るとき,彼 は
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p.2
81) と言ってその革命観 を
否認する。全体主義的不条理 を体験 した彼 にあっては当然である。 さらには,秘書か ら死の手
帳 を奪 った民衆が今度 は復讐のために甘い汁 をす った人間たちを削除 しようとするとき,その
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8
3
-4)この手帳のエ ピソー ドは,秘書がデ イエ
ゴに死 を司ることは別のペス トになることにほかならないことを教 える教訓だ とすでに指摘 し
たが, この教訓は生 き延 びる漁師に受 け継がれるはずである。そ して,デ イエ ゴが死 に,ペス
トが街 を後 に し,そ して昔の統治者たちが再 び戻 って きて勲章 を授 け合 うさまを指 してナダが
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9)のである。だがナダは彼 に現実 を突 きつけるかのように .
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p.2
9
9) と言い放つ。
そのナダの台詞に対 してコーラスは 。
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p.2
9
9) と言い返すが,それはすでに敗北 したナダよりも漁師に向けられた教訓の言葉のよ
うに思える。そ して漁師はナダを追いかけるが,彼 は海に身を投げる。その直後 に漁師の台詞
が作品を締め括 る言葉 として置かれているのである。く
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0)彼の台詞には注 目すべ き点が幾つかある。 まず問題 となるのは,
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,という台
詞である。何か唐突のように思われるこの台詞は明 らかに,この少 し前に女性たちによって自
分たちよりも思想 を選んだとしてデイエゴを代表 とする男たちが非難 される台詞,く
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p.2
9
8)への返歌 となっているように見える。
孤独 から孤独へ と進みなが ら迎 える最後の孤立 と砂漠での
女性たちが言 う 「
不可能な結合 「
死」 に漁師の 「
海の男たちの結集 「
孤独 な者たちの結合」が対応 しているのは明 らかである。
」
」
デイエゴの死 を決 して犬死にさせてはならないとする意思のようなものが感 じられる。次いで,
漁師によって く
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,と言及 される 「
われわれ」の存在が
ある。ここで問題 とされる 「
われわれ」は,すべての民衆 というよりもある限定付 きで暗示 さ
れた存在のように思 われる。「
反逆者の祖 国」である海 は 「
海のすべ ての男 たちの結集」 と
,
われわれ」 とは 「
海-反逆者の
「
孤独 な者たちの結合」 を叫んでいると漁師は言 ってお り 「
祖国」 と 「
孤独 な者たち」の刻印を有する限定 された存在であろう。こうした 「
われわれ」の
存在 こそが 「
決 して屈服 しない海の民衆」なのである。そ して 「
海の男たち」である 「
われわ
れ」はこの漁師 (
最初 に複数形で登場 した)によって表象 される存在であろう。「
決 して屈服
しない民衆」は作品中にその根拠がない と東浦は指摘 したが,この漁師の存在 こそが 「
決 して
屈服 しない民衆」
-「われわれ」の根拠ではないだろうか。そ してこの
「われわれ」 と関連 し
て問題 となるのが,最後の最後 に発せ られる挑戦的 とも思われる く
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お前たちの)であろう。
,
それは一体誰に向けられたものなのか。まず考 えられるのは 「
われわれ」に対置する存在で
あるペス ト,秘書,ナダであろう。 しか し,彼 らはもはや舞台にはいない。では舞台に残 って
いる女たちとコーラスなのか。「
お まえたちの醜い街」 を彼 らだけに担わせ るのは無理がある。
,
ペ ス トが去 ったあ と 「
われわれ」 に敵対す る存在 と しては, ト書 きで 。u f
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9) と示 される昔の統治者が考 えられる。 しか し,
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舞台奥でパ ントマイムを演 じる彼 らだけに向けてこの台詞が発せ られたと考えるの も不 自然で
ある。この台詞は舞台か ら観客に向かって発せ られているのだか ら,「
お前たち」 とは,「
われ
われ」 と離れて しまった観客 (
つまり大部分の観客) と考えるのが最 も妥当であろう。すでに
1
3
アルベール ・カミュ作 『
戒厳令』について
)
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,と記 したカミュ
にとって,漁師の最後の言葉はカ ミュ自身の怒 りの表現の ようにも思われる。それほどにカミ
ュの絶望感 も深かった と言 えよう。
結
語
以上で 『
戒厳令』 を三つのマスクのテーマ を中心 として,そ して補足 として漁師の役割 を見
て きた。デ イエ ゴの運命 はマスクの力学 によって否応 な く翻弄 された-導かれたことが了解 さ
れ よう。確かに彼 の運命は平凡 な人間が レジス タンスに目覚めた戦いと読むことがで きるが,
それにとどまらずマスクによって象徴 される彼の行程 は極限状況 に置かれたある種の人間たち
の行程 にも観察で きる ものである。T. トドロフは,ユ ダヤ人収容所で観察 された道徳的行程
(もちろん全員ではな く,限 られた人間についてだが)のパ ター ンを次の ように記 している,
「きわめて立派な人物で さえ,通常,い くつかの段 階を経ている。収容所以前の,第一段 階の
あいだは,道徳的良心の 目覚めがあった。第二段 階, これは多 くは収容所 の最初の数か月に対
応するが,新 しい状況の粗暴性 を前 に して,以前の道徳的価値の崩壊が起 こる。ひとは冷酷無
情な世界 を発見 し,そ して自分 自身 もそこに住み得 ることに気づ くのだ。 しか しなが ら, この
第二期 を生 きなが らえる と,第三期 に達するが, このあいだに,た とえ正確 には以前 と同 じも
のではない として も,道徳的価値全体 を取 り戻す。煙 は消 えてはお らず,火が またつ くには,
(
27)
ご く僅かなそよぎで十分だったのだろ う。
」第一段 階はペス トの医師のマス クをつけることで
医師 としての良心の芽生 えに,第二段 階では ma
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que
=mas
queをつけ られ ることで道徳 的価
値 の崩壊 に,そ して第三段階では ma
r
que
=mas
queを壊す こ と (
それは同時 に秘書 に本来の
マスクを返 してやることにもなる)で道徳的価値全体の取 り戻 しにそれぞれ対応 してい よう。
それゆえ,彼の軌跡 は レジスタンス運動 を超 えた,ある種の人間の普遍的な道徳的行程 を描 い
ているとも言える。 しか し,そ うした行程 を辿 った人たちの果敢 な行動が,平和 を取 り戻 した
後果 た して正当な評価 を受け,そ して受け継がれるのかが問題 となる。 レジスタンスに話 を限
って言 えば,カミュが作品の最後で強調 しようとしたのは,まさにレジス タンスを形骸化 させ,
9
4
8
その価値 を肢め ようようとす る時代風潮であった ように見 える。『
戒厳令』が発表 された1
年 とは,He
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oが 『ヴイシー症候群』で指摘するように, ヴイシー時代 を完全 に清算
することな く (フランス人が皆 レジス タンであったのではな く,圧倒的大多数は占領下では 日
和見的態度 をとっていた し, さらにはユ ダヤ人問題 に関 して もヴイシー政府の関与は明 らかで
(
2
8)
あった),その記憶 を忘れるための 「
未完の喪」が始 まるの とほとんど軌 を一 に しているO そ
れ ゆ え に,デ イエ ゴの死 も両 義 的 な様 相 を取 ら ざる を得 なか っ た の で あ ろ う。Ca
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,と指摘 している。だが, カミュが漁師に仮託 した 「
決 して屈服
しない民衆」の思いは,その数がた とえ少数であろうとも常 にカ ミュのなかで生 き続けること
9
5
5年 にある雑誌の世論調査で, フランス国民のたった0.
4% (
つ ま り,1
,
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0人の う
になる。1
ち 4人)だけが 自由を最 も大切な価値 と認めている結果 について,カ ミュは次の ように記 して
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注
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以下では PL.Ⅰと略す)p.1
7
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(2) γo
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ている,く
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02.
(5) この問題 については,本論文で直接言及する研究書以外では Ge
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(6) PL.Ⅰ
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732.
(7) A
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(9) L'
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以下 L'
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geか らの引用は本文中,及び注ではページ数で示
す。 イタリックは ト書 きを示すO
)
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(
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,p.1
389.
(
1
4) ト書 きで言及 される有刺鉄線 (
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1
6S)が強制収容所のイメージと結 びつ くことにつ
いて増田一夫は次の ように指摘 している,「
有刺鉄線の陰惨 な栄光が極 まったのは,第二次世界
大戦においてであろう。 (
-) この世の ものならぬその空間を外界か ら隔てていたのは,何重 に
も張 りめ ぐらされた有刺鉄線であったことを忘 れてはな らない。それは,収容 された人び とを
隔離 し,彼 らの絶望 をあお り,彼 らを落命 させ るためにきわめて有効 に作用 したのである。有
刺鉄線 とい う,簡略 にして遺漏なき境界線抜 きには,絶滅収容所 を考 えることは難 しい。
」増 田
一夫 ,「
普遍性-の途上
,
クレオールとフランス共和制」 Fク レオールのかたち』
,東京大学 出
版会,2
02
年 ,pp.21
3
-4。 さらには,強制収容所のイメージを補強す るかの ように,第二部
の冒頭部分でペス トは有刺鉄線 に加 えて,火葬場のかまどやユ ダヤ人 に強要 された星印 に言及
している,・
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6) まず,ペ ス トに街 を譲 り渡 して 自分 た ちだ けが逃 げ出すが,ペ ス トの退場 とともに再 び舞 い
戻 り互い に勲章 を授 与 しあ う元統 治者 た ち,信 者 を残 して逃 げ る司祭,悪法 であ ろ うが法 であ
pp.2
51
-2)
,何 よ りも自分 た ちの愛 を優 先 させ よ
る限 りそれ に仕 える と公言す るカサ ド判事 (
うとす るヴ ィク トリア "
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9)
,ペス トの秘書 か
ら死 の手帳 を手 に入れ姉妹 であるヴ ィク トリアの名前 を抹 殺 す る判事 の もう一人 の娘 (
pp.2
8
2
-3),状況 に応 じてペス トやデ イエ ゴの側 に付 く日和見 的 な民衆が挙 げ られ よう。
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Ⅰと略
す)p.380.
(
1
8) 子供殺 しのテ ーマ は 『ドイツ人の友へ の手紙』 (
第二 の手紙 ,1
9
4
3年)PL. Ⅰ
Ⅰ
,pp.227
-232
で も言及 されてい る。 さらには 『
正義 の人 々』 で は中心 的なテーマ となるo
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0) PL.Ⅰ
Ⅰ
,p.322.
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) デ イエ ゴの この行動 について Ci
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(
2
3) 彼 自身にお ける反抗 の狼がその頂 点 に達 した ときの経験 をカ ミュは次 の ように記 してい る,
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,p.356.
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4) 秘書 はすで に大地が 自らの領域 である こ とを彼 に暗示 してい る,く
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,p.268.
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4,p.307.
(
2
6) PL.Ⅰ
Ⅰ
,p.
327.
,
極 限 に面 して 強制収容所 考』,法 政大学 出版 局 ,1
9
9
2年 ,p.
47
(
2
7) ツヴェ タン ・トドロ7 『
。
ここで示 されてい る三段 階 の道徳 的行程 はデ イエ ゴが作 品の第一部,第二部,第三部 で示 す様
相 に対応 してい る ように見 える。 さ らに言 えば,注 (
1
4)の補足 説 明で示 した ように,第二部
は背景 に有刺鉄線 を持 ち, さらにはペ ス トが火葬場 のか まどやユ ダヤ人 に強要 され た星印 に言
及す ることで強制収容所 をイメー ジ させ る。
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-7
6参照。
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