東日本大震災から5年

大
震
災
題字は
吉田茂穂宮司
鶴岡八幡宮
池 田 正 弘
なくなって
も海も見え
に見舞われた。建保3年
あり加えて大火事、大風
年から3年は度々地震が
されている。特に建保2
り吾妻鏡には丹念に記載
ん鎌倉時代にも災害はあ
悩まされてきた。もちろ
る。
することの不気味さがあ
重なって映る。常軌を逸
る巨大防潮堤の奇怪さに
さは人家をはるかに超え
事の字面から受ける奇怪
れも考えられる。この祭
めるためなのかそのいず
て浜を後に
く海を眺め
堤から寂し
いた。防潮
8月の大風では鶴岡八幡
あれから
名前も定か
した。
抜きによく訪れたという
でなくなっ
進み具合を流し続けた。
時の様子、復興の進展の
間、心を慰めてくれて来
延々と続くコンクリー
トの防潮堤に 有余年
ちすくんでしまった。
﹁アッ﹂と言ったまま立
か。しかし旅行者だけで
メントも適用除外なの
の為となれば環境アセス
てしまっただろう。人命
故人となり当時の防潮堤
たが上司も
最も役立ったのは鳶や石
津波は一の鳥居を越えて
だ身近に存命であった。
年前、鎌倉で関東大
震災を経験した人達がま
巻、地震、集中豪雨、火
寄せたこと、救助活動に
この一年間は災害の多
い年であった。台風、竜
鎌倉駅の前まで潮が押し
山の噴火と自然の猛威に
い。
つつまだ買い備えていな
あるが﹁あれだ﹂と思い
いるのを目にすることが
る。塩釜からほど近く息
浜に付いていった。松林
流された防潮堤に代わり
た白砂青松の心象風景は
なくその地の住人にとっ
工が使う長い鉄のバール
年、浜の
3月 日、東日本大震
災から5年目を迎えた。
を抜けて浜に降りると
再建された巨大な防潮堤
一気に霧散霧消して言葉
ても延々と続く巨大なコ
であったこと、よく話し
レビは連日にわたり震災
3月中は新聞、雑誌、テ
の完成も報道された。
を失ったようであった。
ンクリートの塊は一生の
てくれた。それから庭師
年余り前、上司のお
伴で宮城県の塩釜を訪れ
防潮堤は遠い岬の果てま
間に何らかの影響を及ぼ
た。そこは昭和
会の正面で震災の起こっ
宮の浜の大鳥居が倒壊し
5年前の3月 日自宅
の庭での長周期の不気味
れている。源実朝はその
くの被害があったと記さ
思い出せない。
るが、その日の空の色が
な揺れを身体は覚えてい
鎌倉中の寺の堂塔にも多
3年後暗殺される。
い異様な祭事を行ってい
が見られることだろう。
段葛も修復なって再び桜
葉があるそうだが4月は
実朝は生前に今となっ
英 語 に L i fe c o
ては意味がよくわからな n t inues という言
る。百日泰山府君祭、天
物帰りの主婦や幼児連れ
の母親らを交えた約 人
アセンター設置運営訓練
避難先など防災について
が震災当日を振り返り、
ンターで行った。3回目
を2月
と共催で災害ボランティ
N︶が町社会福祉協議会
語り合った=写真。
日に教育総合セ
葉山で防災の訓練や情報交換
災害ボランティアネットワーク
地災変祭、天曹地府祭、
を大事に感謝して日々を
七座泰山府君祭、三万六
千神祭、百怪祭、鬼気祭
味わいたい。
昨日のまま、例年の通り
葉山災害ボランティア
ネ ッ ト ワ ー ク︵ H S V
と身に迫る危機を逃れる
ためなのか天変地異を鎮
人。昨秋
となる今年は﹁災害時の
災害時に救援ボランテ
ィアの受け入れを担うH
情報発信﹂に特化した講
SVNは会員
ネット上に立ち上げたサ
人が参加。被災
地での実務経験者を招
イトは災害時の情報が集
座で約
んなのしるし合同会社﹂。 した。触れて初めてわか
き、ネット上での情報発
約されており、これを通
協 力 し、指 導 に あ た り ま
る良さがあります。参加
信の注意点や、メディア
して逗子や横浜市金沢区
ーケースが3月 日、鎌
という題の成果発表ショ
を高めてもらおうと参加
3・ の記憶をつなぐ﹂
行 っ た。 大 聖 堂 の 中 で
倉生涯学習センターで開
た午後2時 分、黙祷を
上演した大船渡市の﹁み
したお子さんたちに﹁ま
の選び方などを学んだ。
の記憶をつなぐ
さないわけはない。
年に学
で白砂の浜と松林を隔て
3・
が石を据えるとき使って
校を出て最初の赴任地で
防潮堤に上らなければ浜
も大震災でおそらく壊れ
あり多くの思い出のこも
会議﹂が主催している。
︻寄稿︼湘南鎌倉防災ド
た絶対に参加する!﹂と
連絡先・柿本方☎046・
市民らが演劇とダンスを披露
岡宏
言ってもらいました。次
月 日には元町会館
でHSVN主催の﹁葉山
877・4447 ︵K︶
﹁﹃ つ な が ろ う ふ た
鎌倉の未来を担う子ど
りから行列し、雪ノ下教
たび﹄︱演劇とダンスで もたちや市民に、震災を
小雨がぱらつく寒空の
下、宗教者たちは小町通
東日本大震災から5年
が経ち、最近ではテレビ
回も頑張って実現しよう
語り場﹂が開かれ、買い
は、 神 道 は 大 祓 詞 の 斉
かれ、市民ら約 人が舞
巻市と女川町へ赴いた9
ろうとしている﹂と人々
てブランドイメージを作
あることをプラスに捉え
す。災害に対する意識の
っている人も多いようで
ラマ実行委員会
﹃舞台芸術﹄を通して体
番組などで特集が組まれ
と思っています!
石巻の漁港は、被災地で
唱、仏教は観音経などの
人の高校生被災地派遣研
薄れ、風化が心配です。
修の報告会=写真=で
の力強さに驚いていた。
との情報共有を目指す。
験してもらい、防災意識
た時に思い出す程度にな
月に宮城県石
読経、キリスト教は聖歌
台に立った=写真は飯田
は、報道されている被災
逗子で高校生が被災地報告会
説。昨年
日
から2日間市内各所で音
きた逗子市で、3月
災害時には地域コミュ
ニティが重要な役割を担
﹁忘れない、つなげて
いく﹂をスローガンに被
楽イベント、被災地の物
う事が認識されていま
災地支援事業を継続して
す。いざという時に対応
イトなどが行われた。
の訪問などで生の復興の
や蒲鉾工場、地元新聞社
組む現地高校生との交流
も、カフェの運営に取り
川でも高校生たちが自ら
石森洋悦副理事長は﹁女
川魚市場買受人協同組合
ル﹂予告編に同席した女
違いに全員が驚きながら
日の﹁311の教訓
をつなげる﹂と題した逗
販や展示、キャンドルナ
子小学校での催しには約
事業をおこし大人に勇気
て﹂と語った。 ︵K︶
てほしい。女川にも又来
をくれた。命を大切にし
姿に触れた。
人が集まり、震災当日
界一の規模になる予定の
約千人を収容した逗子小
逗子開成高校1年の星
野勇樹さん︵ ︶は﹁世
避難所の様子を市職員と
教職員がスライドで解
日本スペインギター協会
20
地と実際に見た現状との
報告会の前に上映され
た映画﹁サンマとカター
できるように、今回、演
劇やダンスを通じて、子
どもから大人までコミュ
ニケーションを図る試み
で、みんなのしるしの前
川十之朗さんを中心に、
俳優の二階堂智さん、ダ
ンサーの田畑真希さん、
紙芝居師なっちゃんらが
独奏・合奏
28
一ノ鳥居を越えれば駅前まで下り坂
﹁忘れない、つなげていく﹂
の合唱や祈りを行い、最
耕治さん撮影。
のワークショップを行っ
者を募り、発表まで6回
後にそろって献花した。
九品寺から光明寺まで練
行列を行い、万灯の灯さ
れた参道を通って本堂に
入った=写真。法要では
読経が行われる間、参列
者たちが長い列をつくっ
て焼香をした。
の証言をもとに創られた
た。主催は東日本大震災
参道には市民らが祈り
を込めて奉納した約千基
ミュージカル﹁いのちて
んでんこ﹂を昨年鎌倉で
の万灯が暗闇の中で浮か
び上がっていた。
50
った地であったようであ
宗教・宗派超え6回目の祈り
鎌倉で追悼・復興祈願祭
東日本大
震災の追悼
・復興祈願
祭が3月
日、鎌倉市
小町のカト
リック雪ノ
下教会で行
われ、宗教
者約110
人と千人を
超える市民
が祈りを捧
げた=写
真。
震災の翌年から始められ
た。
浄土宗、臨済宗、真言
日、鎌倉市材木座の光明
宗、日蓮宗の僧侶約 人
16
11
40
11
40
40
が御詠歌や楽人を率いて
3
波静かな沖合が関東大震災震源地
13
20
11
12
46
30
鎌倉・光明寺
仏詣実行委員会の主催で
11
47
光る万灯
鎮魂の祈り
寺で行われた。鎌倉十三
60
11
市内の神
東日本大震災復興祈願
道・仏教・
の﹁ 万 灯 会 ﹂ が 3 月
キリスト教の三宗教合同
の祈願祭で、震災の年か
目。
昨年から
﹁鎌倉宗教者
ら毎年行われ、今年6回
10
12
40
11
東日本大震災から5年
18
40
11
(2)
1部 108円
第445号
2016年(平成28年)4月1日