桜 貝 題字は 吉田茂穂宮司 鶴岡八幡宮 にした。 年位 前、田園調 布までお茶 を習いに行 っていた。 ヶ浜海岸に出向いた。サ が出来なかった。数十年 貝殻は全く眼にすること 細い帯の中にピンク色の 初 春 の 海 岸 は 風 が 強 た。 い。ふとした気まぐれで 風が冷たい海岸に人影 もそう多くはなかったが の海岸で見つけて持ち帰 磁のかけらが三片、鎌倉 陶片を見せてくれた。青 れた小さな に紙に包ま が大事そう 池 田 正 弘 クラガイというのはピン 前は漂着物の帯の中の綺 ないから次第に採集は困 ある日、女 ク色をした二枚貝の総称 麗な重なり合ったピンク ったものだとの事。その 難になるだろう。 ま れ る︿ に っ こ う が い 科﹀の貝類の生息が鎌倉 が行われ、鎌倉の神道、 大きなショベルカーが砂 ラ付の重機が砂浜を走り 考えている間もキャタピ でいなかった。 ているのに蝶も虫も飛ん でも菜の花は充分に咲い して、ここは自然の浜で かった。良い悪いは別に 海藻の一叢も落ちていな きれいに清掃が行き届き いえば夏になればもっと は無く大変綺麗だ。そう れた。秋口にはその谷の を住まいの裏に立ててく ﹁マムシに注意﹂の看板 た時、市役所だと思うが シ等。雪ノ下に住んでい ショウ、シマヘビ、マム みる。ヘビ類はアオダイ なかった生き物をあげて を掘り取って行く。由比 かつては普通に見られ ていたのに昨年鎌倉で見 はなく人工の砂浜なのだ 住人以外には車が通らな ヶ浜も材木座海岸もゴミ と気付かせてもらった。 い狭い道にマムシがタイ ンボ、オハグロトンボ、 が溜まるとアカガエルが コンクリートの基礎に水 た。ほんの数年前のこと トトンボが羽化してい 宝の梵鐘﹁洪鐘﹂が5回 仏教、キリスト教の宗教 海中にも変化があるだろ 何も見ていない。 鳴らされ、参列者全員で を従えた光 者ら約110人が宗教や 行われていて5回目。 うことは想像できる。 に 数 匹 は 死 ん で い た。 の海で確認されている。 ﹁マムシに注意﹂の看板 なのだが身近ないきもの くなってしまったのか。 の読経が響き、集まった 明寺法主柴 宗派を越えて集まり、 今年は、この祈りを継 主催した。 大 祓 詞、 キ リ ス ト 教 の ﹁主の祈り﹂や讃美歌の 合唱、仏教の読経などが 続いた。終わりに円覚寺 の横田南嶺管長、鶴岡八 月中旬に房総半島の白浜 い。鎌倉だけではなく3 ステージを中央に、東北 ル、カエルの卵、イトト シも見なくなった。カエ のグルメ屋台や物産展、 太極拳は彩り豊かな表 演服で扇や剣などで演 ての居合道に観客たちは バザーなどがあり、にぎ 武、弓道では張りつめた 心身鍛錬と技術向上 鎌倉市体育協会︵山口 わっていた。鎌倉の市民 宇宙会長︶に加盟する武 空気の中で観客たちはじ 道館で行われ、約350 相手を投げる音、剣道の 気道の畳の上に勢いよく た。なぎなた連盟の﹁リ っと矢の行方を追ってい 固唾をのんで見守った。 幡宮の 道8団体の﹁鎌倉市演武 人が日ごろの鍛錬の成果 ズムなぎなた﹂も見応え 公園内では車椅子介助の があった。 援活動の拠点となる。 害備蓄用のアルファ米百 竹刀、なぎなたを打ち合 柔道や少林寺拳法、合 今回7回目の訓練で、 市内5カ所の小学校に置 食分の炊き出しなどが行 う音や掛け声が会場に響 かれた避難所からの具体 われた。派遣班には逗子 人が参加した。 ラブのメンバーが同行し ぎ調整を行う組織で、救 必要としている人をつな 人とボランティア活動を ボランティア活動を行う れ ぞ れ 派 遣 し、第 一 運 動 避難路を整備する班をそ 木地区には熊野神社裏の ス ト と 倉 庫 チ ェ ッ ク、久 事前登録を募る。︵K︶ ュア無線の免許所持者の 録制度を開始し、アマチ 沼間小ではプールの水 本部との連絡を担った。 4月から逗子市は災害 げられる同センターは、 をろ過する ﹁ろ水器﹂ のテ 時通信ボランティアの登 定で約 ィアを派遣するという想 ・葉 山 ア マ チ ュ ア 無 線 ク 訓 練 や、火 を 使 わ な い 災 的依頼に対してボランテ を披露した=写真。 鎌倉市演武会 倉恩寵教会の荒井仁牧師 会﹂が3月8日、鎌倉武 田茂穂宮司、鎌 の3人が檀上に並んた。 ネル展示、中学生の防災 年行っている3・ ンペーンの一環。 災害発生時に市社会福 祉協議会を中心に立ち上 キャ 3・ 逗子﹄の文句で毎 れない、つなげていく⋮ 本大震災の翌年から﹃忘 た=写真。逗子市が東日 設置運営訓練が実施され ボランティアセンターの ﹁スマイル﹂で災害救援 動公園内の体験学習施設 小雨がぱらつく寒空の 3月7日、逗子市第一運 逗子市 センター設置運営訓練 災害救援ボランティア 団体などの活動紹介のパ サミットもあった。 は﹁宗教者の祈りが心の 支えになり、安心につな がれば継続していきた い﹂と話していた。 〝東北の未来へつなげよう〟 鎌倉で市民団体らが支援バザー いをしながら参道から仏 ﹃東日本大震災の被災 地支援と鎌倉の防災を考 殿に入堂すると、地震発 える日﹄として、﹁心を ひとつに∼つなげようみ ちのくの未来へ﹂の催し が3月8日、鎌倉市役所 駐車場で行われた=写 真。市内・県内のボラン ティア団体で構成する ﹁3・ の音楽グループのライブ ALL鎌倉実行 朝から小雨模様の寒い 日だったが、会場は東北 委員会﹂の主催で今年3 回目。 ヤの跡をつけてシーズン が、まだモンシロチョウ 新たに供給されることは 今流行の環境の変化で 3月に入り気温が 度 サクラガイの生息が困難 を超える日も出てきた。 いつの間にか卵を産み付 になり数が減ったのか、 長身の先生 性としては で固有の名ではない。久 後、海岸を訪れたとき熱 サクラガイを探しに由比 しぶりの由比ヶ浜は、か のサクラガイの貝殻は珍 中して探したということ がある。 つては海岸線と平行に漂 しいものではなかった。 もミツバチも見ていな クラガイの仲間が多く含 観光客が増えてサクラガ さればとサクラガイと びていたが、その様なも 青磁の破片の採集を目的 イの持ち帰りが原因で無 のは無い。かろうじて貝 でもないが二、三片見つ しかし昭和 年編の鎌 倉市文化財総目録にはサ が消えるのは淋しいし何 けることができた。届け けていた。自宅の庭隅の に潮の引いた材木座海岸 が腐って倒れるころマム 年位前まで八幡様の 源平池にはウシガエルが 殻、陶片と小石の混ざっ ると大変喜ばれた思い出 か変だ。 を和賀江島まで歩くこと 小さなバケツでは毎年イ た細い帯が見受けられ 生時の午後2時 人たちは万灯の炎に浮か 黙祷した。 分、国 者の焼香の間中、僧侶ら 代表の福島県郡山市の親 びあがった大仏を拝みな おおがね 子3人らが献灯した。 への思いをはせていた。 国宝の鐘の音で黙祷 がら被災地のことや平和 仏殿前で一般の焼香が 同会議役員で円覚寺教 始まり、堂内では神道の 学部長の朝比奈恵温さん 時折雨がぱらつく、凍 るような空気の中で参列 被災の記憶永遠に⋮ 2千個の灯りで復興へ祈り 大仏殿高徳 院 で 万 灯 会 回目で大仏 殿での開催 は初めて。 田哲彦氏を 一般の参列者1500 光が揺らぐ大仏の前で法 続する目的で2013 きわたった。真剣を用い 鳴いていた。工事現場の 和賀江島に着いたが収 穫は無い。青磁の破片は 着物の帯が二重三重に伸 綺麗に清掃された材木座海岸と筆者 会議︵吉田茂穂会長︶が 三宗教が合同祈願祭 長谷寺仏 殿での回向 東日本大震災から4年 の3月 日、北鎌倉の円 終了後、笙 先頭に各宗 人とともに祈った=写 や笛の楽人 61 覚寺で追悼・復興祈願祭 宗教者たちがそれぞれ 散華をしたり、榊でお祓 人が高徳 真。 派の僧侶ら 院へ行道。 倉市長谷の大仏殿高徳院 要が行われ、鎌倉仏教会 年設立した鎌倉宗教者 東日本大震災復興祈願 午後6時頃から、奉納 合同祈願祭は鎌倉で の万灯会が3月 日、鎌 された約2千個の万灯の は3・ の年から毎年 で行われた=写真は原田 会長・仲田昌弘覚園寺住 70 46 20 40 職らが焼香、疎開被災者 15 36 寛さん撮影。鎌倉十三仏 11 11 11 64 サクラガイの破片? 11 10 詣実行委員会が主催し4 11 (2) 1部 108円 第433号 2015年(平成27年)4月1日
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