教会見学の総合窓口 『長崎の教会群インフォメーションセンター』 レポート

レポート
教会見学の総合窓口
『長崎の教会群インフォメーションセンター』
はじめに
長崎県には、キリスト教が伝来して繁栄した後、激しい弾圧から250年に及ぶ潜伏を経て復活
したという、世界に類を見ない奇跡的な歴史がある。そこで、政府もこの歴史に関連する資産を
人類普遍の遺産として残すべく、2014年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対し「長崎
の教会群とキリスト教関連遺産」の世界文化遺産への推薦を決定し、翌15年1月にユネスコ世界
遺産委員会の事務局である世界遺産センターにその正式推薦書を提出した※。これを機に、その
構成資産となった教会には多くの見学者が訪れるようになったことから、地元住民(信者)との
摩擦などの問題が生じている。
このことを踏まえて、教会見学にルールを設けるなど、見学者と地元住民との間をつなぐ役割
を担うことになったのが『長崎の教会群インフォメーションセンター』である。
※今年(2016年)の7月に開催予定の第40回世界遺産委員会にて、
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産
登録が審議される予定であったが、同年2月初旬に、ユネスコの記念物および遺跡の保護に関する諮問機関である
国際記念物遺跡会議(イコモス)の中間報告にて同遺産に対し推薦内容の見直し提案があったことが判明した。そ
こで、政府は「長崎の教会群∼」の世界遺産への登録を確実なものとすべく、同月9日に同遺産のユネスコへの推
薦取り下げを閣議了解した。
教会の“観光化”による弊害
長い弾圧から解放された信者がその喜びから建設に取り組んだという歴史的背景がある長崎の
教会群は、地域の人々の思いが強く込められており、石やレンガを用いて建設されたものや日本
家屋の形をしたものなど、その佇まいには独特な趣のあるものが多い。
これまで教会を訪れる人は、巡礼中の信者、もしくは歴史や建築物のマニアなどごく一部の人々
に限られていたが、世界遺産候補の構成資産になったとたん、多くの見学者が訪れるようになり、
地元住民の日常生活に影響が出てくるようになった。また、見学者のなかには立入禁止の祭壇に
立ち入ったりミサの写真を勝手に撮影したりと、宗教施設であることを忘れて観光施設と同様に
振る舞う人まで現れ始めたことから、見学者と住民との間で軋轢が生じる場面も見受けられるよ
うになり、その対策が急務となった。
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教会見学の総合窓口『長崎の教会群インフォメーションセンター』
増加する教会見学者
世界遺産候補『長崎の教会群とキリスト教関
図表1 教会群への来場者数
連遺産』の構成資産となっている教会群への来
2014年
場者数(観光で有名な長崎市の「大浦天主堂」
を除く)をみると、全教会で前年実績を上回っ
ている。例えば、交通の便が決して良いとは言
(人、%)
2015年
前年比
出津教会堂
10,861
16,847
55.1
大野教会堂
136
566
316.2
黒島天主堂
1,299
2,425
86.7
田平天主堂
27,627
49,038
77.5
380
4,574
1103.7
えない五島列島・久賀島にある「旧五輪教会堂」
旧五輪教会堂
には前年同期比12倍強の人が訪れているなど、
江上天主堂
2,114
8,222
288.9
頭ヶ島天主堂
4,008
14,181
253.8
旧野首教会
1,444
2,757
90.9
崎津教会(熊本県)
46,886
70,500
50.4
これら“観光客”への対応策が急務である(図
表1)。
資料提供:長崎の教会群インフォメーションセンター
※各年4∼12月の9カ月間の比較。
なお、データ取得時期の関係上、「大野教会堂」は10月の単
月にて、「黒島天主堂」は7∼12月の6カ月間、「頭ヶ島天主
堂」は8∼12月の5カ月間にてそれぞれ比較。
長崎の教会群インフォメーションセンター
2014年4月に開所した『長崎の教会群イン
フォメーションセンター』
(福地 茂雄会長)は、
巡礼者の受け入れ窓口として2007年に設立され
た「長崎巡礼センター」
(2008年、特定非営利
活動法人に認証)と、同じく07年に設立され、
教会見学者が信者の心情を害することのないよ
う見学マナーの周知徹底や、周辺の環境整備と
保存のための基金創設、世界遺産についての啓
発や情報発信等を行う「世界遺産長崎チャーチ
インフォメーションセンター入口(出島ワーフ2階)
トラスト」
(2010年、認定特定非営利活動法人
に登録)の両者が協力して設立した任意団体である。
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インフォメーションセンターの役割
同センターでは、教会に管理者などが常駐していないこ
とから発生していた「教会のものや信者の私物などが勝手
図表2 各教会における“教会守”
の人数
(人)
出津教会堂
に持ち去られる」、「祈る信者のそばで騒がしく見学する」
などの諸問題に対して、教会を見守る役割を担う『教会
大野教会堂
3
3 (うち、1人は 出津教会堂兼務)
守』を地元自治体の協力のもと、2014年7月に「出津教会
黒島天主堂
2
堂」と「田平天主堂」に配置した。続いて翌15年2月には
田平天主堂
2
旧五輪教会堂
1
江上天主堂
1
頭ヶ島天主堂
1
この『教会守』は観光ガイドではないが、時間に余裕の
旧野首教会
1
あるときなどには臨時ボランティアガイド的な役割も果た
崎津教会(熊本県)
6
計
19
「江上天主堂」にも配置し、同年10月に大浦天主堂を除く
残る全6教会への配置を完了している(図表2)。
すなど、教会観光の一翼を担う存在となった。
また、当センターの主要な役割に教会見学の事前受付業
務があり、【図表2】記載の教会のうち、小値賀町野崎島
資料提供:長崎の教会群インフォメーション
センター
※ =2014年7月より
=2015年2月より
その他の教会は2015年10月より
にある「旧野首教会」を除く8つの教会を担当している
(「旧野首教会」は、小値賀町のおぢかアイランドツーリズムが担当)。教会は、祈りの場かつ冠
婚葬祭の場など、地元住民が日常生活において利用していることから、基本的に教会行事が行わ
れている際には見学できない。また、一度に多人数での見学が不可能である。このようなことを
知らない観光客が見学できない事態に遭遇した場合、教会だけではなく、長崎観光への印象も悪
くなってしまう恐れがある。
教会見学の事前受付は、こうした事態を避けるために設けられた仕組みであり、その流れは次
の通り。
①見学者は、インターネットや電話にて見学したい教会への訪問日時をインフォメーションセ
ンターに連絡。
②センターでは、見学予定の教会の行事などと照らし合わせて、訪問希望日時に見学可能かど
うかを判断して見学希望者に結果連絡を行うとともに、該当教会の教会守に対して関連情報
を連絡。
③教会守は、見学予定日時に現地にてチェック。
このような一連の流れを可能としたのは、教会守の該当全教会への配置が完了したことによる
ものである。
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教会見学の総合窓口『長崎の教会群インフォメーションセンター』
教会観光に関するさまざまな活動
長崎の教会群インフォメーションセンターは、教会見学の事
長崎巡礼協議会とともに作成した
「ガイド養成研修資料」
前予約受付のほかにも教会ガイド育成講座の運営や、宿泊施設・
公共交通機関が職員に対して実施する研修会、通訳案内士の勉
強会などへの講師派遣も行っており、さらに、崎津教会の地元・
熊本県天草市にまでガイド研修の講師を派遣している。また、
そのような研修会などで使用するテキスト「ガイド養成研修資
料」の作成にも関わるなど、教会見学者を受け入れる一連の活
動に携わっている。
センターの課題
長崎の教会群インフォメーションセンターでは、教会見学における事前連絡を一般にも広く認
知してもらいたいとしているが、教会守を配置した後の3カ月間の事前受付状況をみると、教会
によりバラツキがみられる(図表3)。
図表3 各教会における見学事前連絡率
2015年10月
来場者 (内、
事前
事前連 連絡率
数
絡有)
出津教会堂
大野教会堂
黒島天主堂
田平天主堂
旧五輪教会堂
江上天主堂
頭ヶ島天主堂
旧野首教会
崎津教会(熊本県)
2,861
566
526
6,477
1,247
1,239
3,230
861
8,726
1,879
325
164
2,470
1,350
1,099
2,145
861
244
65.7
57.4
31.2
38.1
108.3
88.7
66.4
100.0
2.8
(人、%)
2015年11月
来場者 (内、
事前
事前連 連絡率
数
絡有)
2,204
478
412
6,433
811
987
3,122
0
8,253
1,764
307
190
3,105
980
858
2,073
0
405
80.0
64.2
46.1
48.3
120.8
86.9
66.4
0.0
4.9
2015年12月
来場者 (内、
事前
事前連 連絡率
数
絡有)
1,770
379
180
4,654
546
512
1,128
0
4,899
1,220
294
63
2,245
638
434
893
0
252
68.9
77.6
35.0
48.2
116.8
84.8
79.2
0.0
5.1
来場者
数
6,835
1,423
1,118
17,564
2,604
2,738
7,480
861
21,878
計
(内、
事前
事前連 連絡率
絡有)
4,863
71.1
926
65.1
417
37.3
7,820
44.5
2,968
114.0
2,391
87.3
5,111
68.3
861
100.0
901
4.1
※「旧五輪教会堂」の100%超は、教会守が月曜日不在のため、その日の見学者数を把握できていないことによる。また、「旧野首
教会」の0人は、その立地(無人島)によるもの。
長崎市の「出津教会堂」と「大野教会堂」には、来場者の6∼7割から見学の事前連絡があっ
ているものの、県北の「黒島天主堂」「田平天主堂」はともに今一つであり、さらに、熊本県に
ある「崎津教会」は1割にも届いていない。このような状況について、同センターの栄企画部長
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は「離島の五島地区は、船を運航している九州商船㈱など関係旅行会社が限られていることから、
教会見学に対する事前連絡の認知率は高い。しかしながら、その他の地区についてはまだまだ、
との感を強くしている」とのことであった。インフォメーションセンターの存在とともに、教会
見学における事前連絡制を一般に周知する方法が課題となっている。
おわりに
世界遺産候補『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』に対するイコモスの中間報告のなかには、
「地域が関与した資産の管理にも課題がある」との指摘もあることから、教会見学における見学
者数の調整や見学マナーの徹底などに携わっている長崎の教会群インフォメーションセンターの
役割は重要である。また、長崎県内には深い歴史的背景から地域の寄りどころとなっている魅力
的な教会が他にも多数あることから、地元の人々と見学者との間を取り持つ役割を担っている同
センターには、今後、他の教会においても世界遺産候補の教会群と同様の対応を確立していくこ
とを期待したい。
長崎の教会は、もともと隠れキリシタンが暮らしていた交通の便が悪く、都市部から離れた集
落にあるものが多い。かつては、そのような地域に教会を中心とした多くの人々の暮らしの営み
があったが、今では人口減に喘いでいる集落がほとんどとなった。そのような地域にとって、教
会は外から人を呼び込むツールともなり、見学者が訪れた際には少しでも地元経済に貢献できる
ような仕組み作りを考えておくことも肝要であろう。
今後の行方が注目される「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」であるが、世界遺産登録の如
何に拘わらず、教会そのものが持つ本来の魅力を生かした地域づくりが、ここ長崎県では可能で
はないだろうか。
(杉本 士郎)
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