地理・地図資料

ミャンマー/ヤンゴン マハー・バンドゥーラ通りからスーレーパゴダをのぞむ(解説p.2)
地理・地図資料
2016年度 1学期号
表紙写真でめぐる旅 ミャンマー
2015年1月にミャンマーを訪れた。
ここでは,現在大きく変化しつつある
ミャンマーの中心都市ヤンゴンを紹介したい。
①
●
②
●
写真はすべて2015年1月撮影/帝国書院
③
●
④
●
⑤
●
表紙写真
解説
ミャンマー ヤンゴンのスーレーパゴダ
株式会社 あおぞら銀行 コーポレートセクレタリー室長 武馬
弘典
ミャンマーの行政上の首都は,2006年から内陸部のネー
の町など,長距離の客を待っている車である。依然として
ピードー(ビルマ語で「王の住む土地」の意味)に移って
日本からの輸入中古車が多いが,近年ヤンゴンでは高所得
いるが,依然としてミャンマー第一の都市はヤンゴン(旧
者層による新車購入も徐々に増えている。
称ラングーン)である。
1962年以降,ビルマ式社会主義の下での鎖国的政策によ
ヤンゴンの街は,英国統治時代の碁盤の目の街なみを保
り外国との交流が禁じられた時代に,ミャンマーの経済発
つ旧市街とその外側で拡大してきた周辺地区からなる。旧
展は大きくおくれをとった。1988年にはソウマウン率いる
市街を南北に貫くスーレーパゴダ通りと東西に走るマハ
軍部が政権を掌握し,ビルマ式社会主義は終了したが,翌
ー・バンドゥーラ通りが交わる街の中心部にスーレーパゴ
年始まったアウンサン=スーチー氏の自宅軟禁に象徴され
ダが鎮座している。表紙の写真は,西から東に走る一方通
る民主化運動弾圧等を背景に,国際社会からの支援は滞り,
行の大通りであるマハー・バンドゥーラ通りの西側から,
1990年代に入ってのミャンマー経済のテイクオフ(離陸)
スーレーパゴダのある東方向を向いて撮影されたものであ
は阻害された。一方,そうしたなかでも,同国と国境を接
る。写真中央奥で陽を浴びて燦然と輝くのが,1日中詣で
するインド,中国やASEAN域内のタイやシンガポールに
る人の足がとだえないスーレーパゴダであり,旧市街を歩
よる投資や交易が拡大し,韓国からの投資も増加した。
く際のランドマークとなっている。
米国に同調し同国との交流を控えていた日本は,投資や
2000年前後に訪れたときは,ヤンゴンではちらほらジー
交易の面で出遅れていたが,2011年に就任したテイン=セ
ンズをはく若者も見かけたが,バガンやインレー湖等,地
イン大統領の熱心なはたらきかけもあり,2012年以降,社
方に行けば,男女問わずほぼ全員が筒状にした布を腰に巻
会・経済インフラ建設等において積極的にミャンマー支援
く民族衣装ロンジー姿であった。写真を見ると,10年余の
を行っている。昨年11月8日実施の総選挙において,アウ
時を経ても,まだまだロンジーは幅をきかせているようで
ンサン=スーチー氏率いる国民民主連盟が圧勝し,日本を
ある。
はじめとする国際社会からの支援の動きにさらに拍車がか
路上にはタクシーの表示灯を付けた車が多く見える。写
かることが予想される。ヤンゴンの街もそれに伴い,今後
真の中で道路の脇に駐車しているタクシーは,空港や近隣
ますます変貌していくことだろう。
さんぜん
プ」であることがわかった。なんでも2012
や買い物帰りの主婦などさまざまな人たち
年に日本のダイソーが進出した後,このス
が集い,祈りをささげていたり,歓談を楽
タイルの販売形式が好評で,地元でもダイ
しんでいたりしていた(写真③)
。朝に見
ソーと似た「Omoto」という店ができたよ
られる子どもたちの托鉢もそうなのだが,
かつての首都,ヤンゴン
うである。1800チャット(約170円)とい
仏教はこの国の人たちにとって,生活の一
ミャンマー最大の都市ヤンゴンは,19世
う価格は,平均月収が約8000円といわれる
部であることを強く感じさせられた。
紀にイギリスの植民地だったこともあり,
ミャンマーの人たちにとって決して安くは
街中には当時のおもかげを残すコロニアル
ないが,品ぞろえの豊富さと高級感がある
様式の建造物がたくさん残っている(写真
ということで はやっていた。
②)。建物はかなりいたみが進んでいるが,
生活の中に息づく仏教
取材レポート
帝国書院 編集部
現在でもアパートやオフィスとして使われ
ブータン
インド
ミャンマーの仏教建造物を代表するシュ
ている。風景だけを見ていると,ここが
エダゴン・パゴダは高さが100mにもなる
ミャンマーであることを忘れてしまいそう
仏塔で,金箔を貼られた塔が光輝いている
だが,独特の文字で書かれた看板を見ると,
予定だった…しかし訪れた時はちょうど金
ミャンマーであることを実感させられる。
箔の貼り替え作業を行っており,残念なが
市 内 を 歩 い て い る と「1800 KYATS
ら覆いがされていた。ここを訪れる人々は,
SHOP」と看板を掲げている「Omoto」と
観光客はもちろんだが,世界中の仏教徒や
いう店をそこかしこで見ることができる
ヤンゴン市民の方が多いように感じた。な
(写真④)。「KYAT」はミャンマーの通貨
かには まるで遠足のように見えるが,国
で「チャット」と読むが,店内に入ってみ
内から巡礼に訪れた子どもの僧もいた(写
ると多くの商品が1800チャットで売られて
真⑤)。仏塔のまわりにある寺院には,袈
おり,日本でいうところの「100均ショッ
裟を着た僧侶や付近の住民,ビジネスマン
中国
バングラ
デシュ
ミャンマー
90°
20°
ネーピードー
ラオス
ベンガル湾
ヤンゴン
①~●
●
⑤
タイ
アンダマン海
0
500km
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