・・ -・ ・・ jk J還 ・- ■・ -・ ■・ ■J ・・ = J= ・. . t・ 4J ・− ・ I・ 一一 ■ ふ㎜ − =j - ■・ ・■ ■・ ■■ ・・ ・・ ・・ I− 一一 一一 東京・新宿の実家には、父でチェ リストの丈一朗の音薬室の隣に、 にはオペラのスコアが無造作に並べられ 平井秀明の書斎兼音楽室がある。机の上 ていた。見せていただくと、なんと、す べてが壬葺き。パソコンを使ってスコア を書く人が多い現代、また、普通にパソ をすることがこだわりなのだという。 コンを使いこなす世代の彼だが、手書き ﹁こだわりの万年筆を使い、原稿用紙に 壬薔きする作家の方々の感覚と近いかも しれません。僕の場合はペンそのものに こだわりはありませんが、手書きだとそ こに自分の思いが投影されるように思え るし、作囲にも集中できるのです。また、 楽想が浮かんだ時に、すぐに楽譜にした その時に手許にある紙に書けますものね﹂ い、ということもあります。手書きなら、 東京を拠点に指揮者として世界を飛び 回りながら、この10年ほど前からは作曲 家としても活躍している平丼。作曲は、 祖父で作曲家の康三郎の影響も大きいだ ろう。ちなみに祖母は東京音楽学校で康 三郎とともにヴァイオリンを学び、桐朋 学園大学の名誉教授も務めた人だ。 のあふれる家でした。僕は1歳の時に父 [祖父母も同居していましたから、音楽 の歌曲を□ずさんだそうですが、音楽を 強制されたことはありませんでした。そ んな中、自然な感じで3歳からピアノと まねごとを、そして6歳からチェロを始 ヴァイオリンを、幼稚園の時には作曲の めました。ただ、練習していると、祖父 や父が様々な指摘をしてくるので、いつ も緊張感がありましたね﹂ ミ= HIRAI HIDEAKI 腫■ 夕食の最中に音楽の話になると、その I● 取材一文=堀江昭朗 写真=堀田カ丸 7lxz=jij。召。。・ j?i・加・jlii。j,sggz一 庄屋] INTERVIEw wlTH 7vtAEsTROAT HOMEsシ 日本の音楽界を代表する音楽家の祖父と父を核とする、音楽一家に生まれた平井秀明 さん。指揮者としてだけでなく、作曲家としても注目される平井さんだが、当初は音 楽家になることには大反対されたという。音楽家への道は、自らの力で切り開いてい ったのだ。父の音楽室の隣にある書斎兼音楽室で、そんな苦労を淡々と話してくれた。 グランドピアノが2台置かれた書斎兼練習室にて 27 ファクシミリの機械が町の郵便局にしか ﹁ハイテクで便利なアメリカとは違い、 ていない時だった。 ロヴァキアから分離して、3年しか経っ 96年にチェコヘ。社会主義国チェコス と思って﹂ れがたかったけれど、これも何かの縁だ ました。フ年間を過ごしたアメリカは離 ークのアシスタントという職も持ってい 子で、指揮者のオタカール・トゥルフリ です。またドヴォルジャークの直系の弟 ﹁チェコで指揮デビューする話が来たの なる。 平井だが、一転してチェコに行くことに た﹂ の音楽を理解する大きな力ともなりまし ドヴォルジャークをはじめとするチェコ 思いました。また、チェコ語の勉強は、 さと懐の深さは、日本人にも共通すると 大らかで明るい人たちなんですよ。繊細 いて世界で一番の国ですが、酒が入ると りました。ビールの消費量がドイツを抜 と少しずつ胸襟を開いてくれるようにな のですが、チェコ語を話せるようになる 者をすんなりと受け入れない気質がある ﹁チェコの人たちは警戒心が強く、よそ 学んだ。 難しい言語の代表でもあるチェコ語も のです﹂ けました。不便さを楽しむこともできた だと思います。初めてのオペラ作品︽か とも、オペラの作曲に目を向けさせたの いと本物ではない﹄とよく言っていたこ 交響曲でもオペラでも書けるくらいでな 思っていました。また祖父が﹃指揮者は ﹁チェロでも常に歌うように弾きたいと いるという。 。歌うこと’はオペうの作曲にも通じて すことを教えてくれたのですね﹂ く叩き込んでくれたから、その上を目指 それまでの師匠たちが指揮の基本を厳し れや呼吸をもっと感じるということを。 込まれました。自分を解放し、音楽の流 ヴィスからは、﹃歌うこと﹄を徹底的に仕 ﹁情熱的だが品格のある音楽を作るデイ るのは、大きな強みだと思っています﹂ 思いを敏感に感じられるようになってい って、その楽譜の行間を読み、作曲者の ケストラといろいろなレパートリーを取 たいとも思いますが、世界の様々なオー ﹁指揮者としては、自作をもっと演奏し だ。 作曲活動も行っていく、というスタンス 活動のメインは指揮者、委嘱があれば と思っています﹂ や姫》 く日時)2月28日15時く会場)浦 安市文化会館一大ホールく出演) 平井秀明(指標)jll本愛子【S】、 三浦克次(Bs-B「」、立花敏弘 (Br)、河野めぐみ(Ms)、他く間 ・○室内合‐団日‐錆201 合せ)KTS企画047・380・3329 回定期演奏会ある審察撒の 〈日時)4月22日19時〈会場〉渋 血脈!輝ける平井家三代」 ません。でも、作曲家としての活動によ (指揮)、大橋響子(p)(間合せ〉 のに、作曲者の思いのすべては審き込め 谷区文化総合センター大和田6 り上げたい。残念ながら、楽譜というも ない、というような状況。その代わり、 チェコではヤナーチェク音楽院に在 【公演情報】 メインは指揮活動 気が残っていて、それだけでも感銘を受 モーツァルトの時代から続く文化的な空 相談しました。ようやく本編が完成し、 ぐや姫︾を書くときには、祖父にもよく 譲り受けたもの 籍。ここでも平井の指揮 初演に向けたリハーサルが始まる当日の への情熱が形となった。 ﹁音楽院にオーケストラ した。不思議なことに、葬儀の合間に、 それまでなかなか書けなかった序曲と間 2002年秋に、その祖父が亡くなりま 奏曲を完成させることができたんです がなかったのです。そこ ーケストラの授業を作っ よ。疲れてうとうととしている時に楽想 で学長にかけあって、オ てもらいました。その演 れたのかもしれないと思っています﹂ がひらめいたのです。祖父が書かせてく 奏会を聴きに来たブル ノ・フィルハーモニー管 以後、︽小町百年の恋︾、︽白狐︾と、日 弦楽団の人たちと交流が 本語によるオペラ作品を盲いている。 す。いま、興味を持っているのは﹃短 の仕事へとつながってい 歌﹄。︽小町百年の恋︾でも、万葉集や古 できて、チェコでの指揮 ロンドンにピアノ留学し 今和歌集から選んで使いました。日本の れたくなくて日本語にこだわっていま ていた元高を訪ねるうち 誇るべき文化﹃みそひともじ︵31文字︶﹄ ﹁日本人としてのアイデンティティを忘 に、名匠コリン・デイヴ を、オペラという形で世界に発信したい きました﹂ ィスの薫陶も受けられる そんな時、秀明の弟で、 ことになった。 29 真多呂人形のかぐや板。ロサンゼルス公演の成功を祈願して、合 唱団長が作ってくれた 日曜070・5584・5476 −−−-−一一-・-- 階・伝承ホールく出演)平井秀明 f ○平井秀明作曲オペラ(かぐ もに。左のチェロは、斎藤秀雄から ションとと 体の成長に合わせて使い分けたチェロのコレク
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