戦後朝鮮における華僑政策と朝鮮華僑の生業

戦後朝鮮における華僑政策と朝鮮華僑の生業
宋 伍強
近代における朝鮮華僑の生い立ちは 1882 年 10 月(光緒 8 年 8 月)
,清国と朝鮮との間に締結
された「中朝商民水陸貿易章程」を基準としている。1882 年 7 月,朝鮮では軍乱(壬午軍乱)
を鎮圧した清軍が,一時的に漢城に駐屯することになったが,その際,上海に拠点を置く広東
人らが漢城・仁川一帯で商業活動を活発に行った。また,地理的に近い山東・遼東半島から朝
鮮の西海岸を行きかう海路の存在は,多くの山東人を朝鮮に運び,彼らの朝鮮における勢力圏
を確保した。20 世紀に入ると,鴨緑江一帯の中国側から朝鮮に渡る者が漸次増加した。とりわ
け 1920 年代から 30 年代にかけて,山東地域では戦火が絶えないうえに,度重なる天災に見舞
われ,多くの山東人が活路を求めて中国東北地域に流れ込んだが,その一部が陸路と水路から
朝鮮入りした。
朝鮮半島では,日本が 1894 年の清日戦争と 1904 年の日露戦争を経て,1910 年 8 月に朝鮮を「併
合」した。そして 1920 年ごろから,朝鮮華僑商人が扱っていた織物雑貨類は日本の高関税政策
の圧力を受け,旧勢を失っていった。一方,インフラ整備などのため,朝鮮では労働力需要が
高まり,華僑労働者の増加をもたらした。その結果,20 世紀初頭では華僑労働者や華僑農民の
割合がそれぞれ 15 ∼ 20%を占め,30 年代以降になるとその人数は更に増加した。華僑農民と
労働者は主に,野菜栽培が可能な山間地などの余剰農地が多く,大型プラントの建設が集中す
る朝鮮半島北部に流入した。朝鮮の華僑人口が最も多かった 1942 年を例に見ると,総人口
82,661 人のうち 84% の 7 万人近くが朝鮮北部に居住しており,職種別では農業 29%,商業 27%,
工業 24%,その他 20% という様相を呈していた。
第二次世界大戦後,冷戦の
りを受け,朝鮮半島が南北に分断されたことによって,韓国で
は解放直後の混乱期に華僑が南方の香港および北方の大連との繋がりを利用し,生活物資を韓
国各地に運ぶことで莫大な利益をあげていた。しかし,1948 年 8 月,韓国政府が樹立すると,
華僑への圧力が次第に強まり,華僑の貿易活動や土地所有に制限が加えられるなど,商業や料
理業における営業規模の拡大・維持が困難になった。一方,朝鮮では華僑たちにも土地の分配
が行われ,朝鮮戦争後になると,朝鮮各地に華僑組合が作られた。
解放後,朝鮮における華僑の職業形態は,彼らを取り巻くさまざまな外的要因が変化するた
びに,その影響を直に受けた。とりわけ,①解放後の冷戦体制の確立,②朝鮮戦争,③朝鮮の
集団化(合作社化・協同組合化)
,④中国の文化大革命,⑤中国の改革開放の 5 つの外的要因が
朝鮮華僑コミュニティに与えた震動は甚大なものであった。
この 5 つの外的要因のうち,朝鮮華僑に最も大きな影響を与えたのは朝鮮の集団化政策であっ
た。この政策の実施によって,植民地期以前から続いていた朝鮮華僑の職業形態が断絶を余儀
なくされたからである。この断絶の流れを中国側の档案資料と朝鮮華僑への調査を通じて追っ
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立命館言語文化研究 27 巻 2・3 合併号
ていくと,以下のような様相が明らかになってきた。
まず,解放直後から朝鮮戦争休戦までの間,朝鮮における華僑の職業形態は一部の華僑有力
者の帰国や南下があったにせよ,全体からすると,従前の職業が継続されていた。
次に,休戦直後,朝鮮では各産業における集団化が本格化したが,この政策は朝鮮華僑をも
対象にするものであった。この動きに対し,中国政府は華僑の集団化を歓迎する立場を示し,
具体的には華僑聨合会がそれを推進した。華僑の内部では,1955 年ごろから貧困層を中心に農
業合作社への加入が始まり,平壌華僑が先頭に立っていた。農業の集団化に平行して商業や手
工業における集団化がスタートした。各業種における集団化の第一段階では,社内における華
僑の自主経営を容認する比較的柔軟なものであったが,華僑飲食店経営者を中心に農業への転
職が現れ,華僑農業人口が増加した。
第三に,1958 年になると,朝鮮の集団化は一層の進化を遂げたが,そのなかで,華僑労働力
を朝鮮の社会主義建設に積極的に組み込んでいくこととなった。その結果,華僑農民や商工業
者は自主経営権を失い,
「帮」に代表される職場を中心に形成された華僑コミュニティの求心力
の弱体化をもたらした。一方,華僑の若い世代を中心に,朝鮮の大学や専門学校で優遇を受け
ながら知識を学び,卒業後は自らの専門が活かせる分野に配属され,一部の華僑青年の非農業
へのシフトが見られた。これは,朝鮮華僑コミュニティから地域社会への接近でもあった。し
かし,1966 年,中国で文化大革命が起きると,中朝関係は一気に冷え込み,華僑に対する現地
化政策は軌道修正された。そして公的機関や企業に就職していた華僑たちは,一般労働者や農
民に戻されていった。
以上をまとめると,朝鮮華僑の生業は,朝鮮戦争後から朝鮮人と同じように国家統制によっ
て厳格に管理され,各産業における華僑自営業者の没落をもたらし,華僑農民の割合を高めたが,
大学や専門学校への道は特別配慮として開かれていた。華僑たちは,この特別ルートを経由し
て農民から労働者や技術者への転職を勝ち取った。このような動きは,華僑を取り巻く外的要
因が彼らの選択を制限するなかで,それを乗り越えるための狭い抜け道を大多数が選択する現
れである。それゆえ,朝鮮戦争後における朝鮮華僑の職業形態には,類似性や同一性が見られた。
このような特徴が,マイノリティとして生きる華僑社会に程度の差こそあれ共通して見られる
ものだとすると,華僑研究における口述史や生活史,家族史的アプローチへの重要性の再認識
が必要であろう。朝鮮華僑に対する口述史研究の本格的導入が急がれる。
【本内容は 2014 年度中国教育部国際合作与交流司「留学回国人員科研啓動基金」からの助成金
による研究成果の一部である。】
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