展示内容 ① ①「浅井郡水害所一覧絵図」明治 8 年(1875)4 月 5 日 月ヶ瀬・田・酢・唐国の水害 4 か村(現長浜市)は、 古来より田川・高時川・姉川という 3 河川の合流地点で、 大雨の度に大きな氾濫に見舞われました。幕末には田川 を分水し、高時川の下を伏越樋で通す工事がなされます が、木製のため腐朽が激しく、その後も水害は起こり続 けました。そのため 4 か村は、高時川の曲流部分を直流 に付け替え、田川の分水が流れる新川の伏越樋を石造に して本流にするという治水工事を県に要望しました。 【明ぬ 100(2) 】 ② ②「水害地必困の義に付御願書」 明治 12 年(1879)3 月 20 日 度重なる請願にも関わらず、一向に起工が進 まない状況を見かねた水害 4 か村は、1 万円の 上納金を申し出ました。工事が着手されれば、 各村の水害難地約 180 町から、1 反(0.1 町) につき 5 円 56 銭を支払うという計算です。5 月にはさらに 5 千円を増額し、計 1 万 5 千円 の上納金を確約しました。 【明ぬ 134(30)】 ③ ③『滋賀県会日誌』第 31 号 明治 15 年(1882)5 月 17 日 数年にわたる調査検討の末、ようやく明治 15 年度地方税 予算に、東浅井郡水害除却工費 33,841 円 75 銭 2 厘が計上 されることになります。しかし通常県会では、同年における 多額の地方税支出を懸念する意見や、恩恵を受ける地域が限 られるなどの反対意見が数多く出されました。かたやこの大 工事の地方税負担を止めれば、到底村の協議費では賄えない という意見も出されましたが、結局出席議員 39 名の内 20 名の過半数が反対し、否決されてしまいます。 (議会事務局蔵) ④ ④「治水費県会に於て否決の義に付再伺」 明治 15 年(1882)8 月 8 日 治水工事の県会否決を受けて、明治 15 年 6 月 28 日、県大書記官河田景福は内務省に地方税の支 出許可を求める伺書を提出しました。しかし内務 省からの電報は、 「キキトドケガタシ」との返答で した。本文書は、再度県令籠手田安定自ら内務省 に提出した伺書です。地方税支出は「当然ノ筋ト 確信候」と訴えています。 【明く 47 合本 2(7)】
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