地方文化事業支援 - JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社 盛岡支社

2016年3月30日
東日本旅客鉄道株式会社
盛
岡
支
社
JR盛岡支社では、公益財団法人東日本鉄道文化財団(以下「東日本鉄道文化財団」)が実施す
る 2016 年度「地方文化事業支援」に対し、昨年度に引き続き宮古市教育委員会が事務局を務める
も り あ い け じゅうたくしょぞうちょうどひんしゅうふくじぎょう
いまべつまち あ ら ま ほ ぞ ん でんしょう
「盛合家 住 宅 所蔵調度品 修 復 事業」と青森県今別町が事務局を務める「今別町荒馬保存 伝 承
じぎょう
事業」を推薦いたしました。
東日本鉄道文化財団の選考委員会による審議の結果、両事業に対する支援を行うことが決定した
ためお知らせいたします。
1 地方文化事業支援先
(1) 宮古市:盛合家住宅所蔵調度品修復事業(3回目)
(2) 今別町:今別町荒馬保存伝承事業(新規:JR秋田支社との共同支援事業)
2 事業内容
(1) 宮古市:盛合家住宅所蔵調度品修復事業
県立博物館に保存されている文化財レスキューにより応急処置を施した調度品を
こくほうしゅうりそうこうし れんめい
せんめん はりまぜ びょうぶ
か め だ ほ う さ い ひ つ ふすま
国宝修理装潢師 連盟 と連携し、2014 年度から「扇面 貼交 屏風 」
、
「亀田 鵬 斎 筆 襖 」および
し ょ が お し え は り びょうぶ
しんしんどうへんがく
とらずおしえはり
「書画押絵貼 屏風 」の本格的修復作業を実施し、2016 年度は「親々堂 扁額 」と「虎図押絵貼
ふすま
襖 」の修復作業を実施いたします。
(2) 今別町荒馬保存伝承事業
さんじゃく お け ど う だ い こ
あ ら ま はんてん
今別町と町内の 3 つの荒馬保存会が中心となり、老朽化した 三尺 桶 胴 太鼓 ・荒馬 半纏 の整
備をし、今別小学校および今別中学校において総合学習の時間を活用し生徒への継承事業を実
施いたします。
3 助成額
(1) 盛合家住宅所蔵調度品修復事業:3,000,000 円
(2) 今別町荒馬保存伝承事業:1,674,000 円
4 その他
東日本鉄道文化財団における贈呈式については、日時が確定しましたら、改めてお知らせをいたします。
【参考:
「東日本鉄道文化財団」と「地方文化事業支援」について】
1987 年 4 月に国鉄の民営分割化により誕生したJR東日本は、鉄道の再生・活性化を目指す社会的
使命の中で、鉄道文化を通じた社会貢献を継続的に果たしていくため、東日本鉄道文化財団を 1992
年に設立しました。以来、東京ステーションギャラリー、とうきょうエキコンを中心とした芸術文
化活動、交通研究者への研究助成、アジア各国鉄道員の研修など幅広く活動を行っており、2003 年
に旧新橋停車場の復元、2007 年に鉄道博物館と大きく事業を拡大し、社会貢献の実現に取り組んで
おり、「地方文化事業支援」は 1993 年より地方文化の振興を目指し、JR東日本管内各地の貴重な
文化遺産や伝統芸能などの保全と継承、地域の発展のためにJR東日本の各支社が推薦した候補に
対し、資金援助を行なう形で地方文化事業の支援を行なうものです。
別
宮古市津軽石
盛合家
紙
住宅・庭園について
宮古市教育委員会事務局 文化課
1
地域の特色と盛合家
岩手県宮古市は三陸海岸のほぼ中心に位置し、宮古湾は天然の良港であると同時に豊富
な漁業資源に恵まれている。近世より江戸との海産物の交易を行う盛岡藩の商港として、
領内随一の繁華地へと発展した。岩手県には鮭が遡上する川が数多くあり、その中でも宮
古市の津軽石川は、漁獲量が常に県内首位を占め、まさに「南部鼻曲り鮭」を代表する鮭
川として知られている。近世期、津軽石川の河口に位置する津軽石村は、鮭川留漁と宮古
い
さ
ば
湾での漁業を主な生業とし、盛岡城下などへ海産物を商いする 五十集 衆の町としても知ら
れてきた。
こ じ た あ み
盛合氏(屋号:若狭屋)は、津軽石川の鮭漁や宮古湾での鰯 小舌網 漁・鮪建網などの漁業、
みょうじん ま る
と らいちまる
江戸との交易を行った 明神 丸 ・虎 一丸 による廻船業、さらに酒屋・質屋などを営み、三
陸随一の豪商・名家に発展した。元禄年間にはすでに四ヶ浦年行司を務めるなど宮古湾で
の漁業や鮭川の瀬主として代表的な存在に成長し、1774(安永3)年には孫之助が八人扶持
の給人に取り立てられ、盛合姓を名乗る。
盛合家は、三陸地方の特徴である漁業・交易を担った商家の代表的な存在であり、当時
の家屋・庭園・蔵などがそのまま残され、古文書資料も保存されている。こうした地域の
特色を表す文化財が一体として捉えられる当家は、宮古市のみならず岩手県・陸中沿岸の
歴史文化を象徴する文化遺産と言える。
2
盛合家住宅
広大な敷地に配された、主屋と庭園、酒蔵・米蔵・味噌蔵・板蔵が当時の繁栄を物語り、
お し も い
じ ょ い
お ざ し き
屋敷は商家造りの「御下居 」
「常居 」と、武家屋敷の「御座敷 」などによって構成されて
な ん ぶ としたか
いる。主屋と庭園は、1797(寛政9)年に 11 代藩主(南部 利 敬 )の領内巡視の御宿を務めた
ひさし
みどり
際に改修・整備されたもので、藩主が宿泊した「御座敷」の縁側に軒深い 庇 がかかり、翠
の束石を用いて庭園と一体となるよう造られている。
1801(享和元)年の伊能忠敬測量人一行が宿泊、1860(万延元)年には郵便事業の祖として
知られる前島密(巻退蔵)が武田斐三郎(函館開成所長)と共に宿泊している。三陸沿岸随一
の名家・豪商として数多くの文人墨客が訪れ、数多くの書(亀田鵬斎)・画(谷文晁・狩野休
山)が座敷の屏風・衝立などに残されている。
3
盛合氏庭園
主屋の南に面する庭園は「心字ヶ池」を擁する池泉庭園で、江戸から造園師を招いて造
園したと言い伝えられる。池泉は石組で護岸され、池の周囲にサツキやツツジを配し、中
央に亀石を擁する。築山の脇にコウヤマキが植栽され、クロマツやイチイの巨木、門の石
垣に植栽された門松が樹齢をきざみ歴史を感じさせる。
平成 19 年 10 月 22 日
平成 24 年1月 24 日
国登録有形文化財(建造物)盛合家住宅主屋(木造平屋一部2階建)
国登録記念物(名勝地関係)盛合氏庭園(登録面積:6,062.25 ㎡)
1
別
紙
【2014 年度:扇面貼交屏風の修復作業】
屏風箱に入れて横になった状態で浸水。カビ発生、金の下地が緑青色に変色。乾燥・燻蒸・
クリーニング後も下地の変色が進行し、扇面本紙にも拡がっていることが認められたため、
扇面 72 面を屏風から取り外して修復
扇面貼交屏風
ドライクリーニングによる修復作業
【2015 年度:亀田鵬斎筆・漢詩襖と書画押絵貼屏風の修復作業をメインに実施】
下から 50cm 位の高さまで水損、カビが大量発生。乾燥・燻蒸・クリーニング後も下地から
保水した状態で、カビの再発、本紙の脆弱化が進行する可能性が高いため、本紙 4 面を取
り出し修復。
書画押絵貼屏風
亀田鵬斎筆・漢詩襖
【2016 年度:親々堂扁額」と「虎図押絵貼襖」の修復作業をメインに実施】
親々堂扁額
虎図押絵貼襖
2
別
紙
今別町の郷土芸能「荒馬(あらま)」について
今別町 企画課
文化財の概要
今別町の郷土芸能「荒馬(あらま)」は、江戸時代発祥といわれ、元々は田植えが終わり、
田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝を表す神送り(さなぶり)の行事として伝
承されている。荒々しい馬役の男性と手綱を取る女性がペアとなり、勇壮な馬の働く姿を
踊りで表現している。
現在、今別町内には、
「今別(いまべつ)荒馬」、
「大川平(おおかわだい)荒馬」、
「二股(ふ
たまた)荒馬」というJR津軽線の駅名ともなっている地域の名を冠した3種類の荒馬が
あり、それぞれ異なる踊り、囃子、衣装で各地域において継承されている。
現在、祭りやイベントなどにおける活動の中心は、各地域のそれぞれの荒馬保存会であ
るが、伝統芸能を守り・発展させていくため、今別小学校及び今別中学校においても総合
学習の時間等を活用して、生徒・児童が荒馬の踊り・囃子を習得し、祭り等において披露
している。
毎年8月初旬に「荒馬まつり」が開催されているが、大きな特長として、若者を中心と
した県外在住者との交流が挙げられる。現在、北海道、宮城県、首都圏、愛知県、京都府、
大分県など全国から約200名の若者が祭りに参加するために、人口約 3,000 人の今別町
を訪れ、さながら合宿のような形で集会所に寝泊りしながら、踊りの練習や地元との交流
を行い、祭りへの参加を通じて盛り上げに一役買っている。こうした交流のネットワーク
は、毎年その裾野を広げており、宮城教育大学、立命館大学、立命館アジア太平洋大学で
は、先輩から後輩へ伝統が受け継がれるとともに、新たな広がりとして平成 27 年から青森
公立大学の学生が参加し、平成 28 年からは北海道教育大学函館校からの参加も予定されて
いる。加えて、交流を重ねる中で、全国各地に荒馬が伝わり、それぞれの地域で荒馬踊り
を自ら行う団体・場所が多数出てきている。
1
平成 15 年 4 月 14 日:青森県無形民俗文化財
今別荒馬
大川平荒馬
二股荒馬
荒馬伝承館
3