1 消費税増税で経済成長が頓挫し,消費や所得が落ち込んだのであろうか 2016 年 3 月 30 日 齊藤 誠 今, 「景気が低迷している」と声高に主張することが流行になっている。 現政権に反対する人々は,景気低迷をもってアベノミックスの失敗とみなそうとして必 死となり,現政権に賛成する人々は,2014 年 4 月の消費税増税に景気低迷の原因を求め, 2017 年 4 月の消費税増税が延期されることを切望している。 しかし,いずれの立場の人も, 景気が回復し経済が成長することによって,家計部門の消費や所得が向上すると考えてい る点で意見を同じくしている。 この小論では, 政権を巡って対立している人々が主張において一致している 2 つの論点, すなわち, 「現在の景気が低迷している」という認識と, 「経済成長が家計の消費や所得を向 上させてきた」という認識がはたして実証的根拠を持つのかどうかについて,国民経済計算 のデータにそって考えてみたい。 まず,国内総生産(GDP) ,国内総所得(GDI),国民総所得(GNI)という日本経済全体 の生産・所得を示す指標によって,2014 年 4 月に実施された消費税増税の影響を見てみよ う。なお,実質 GDI は,実質 GDP に交易条件の影響を加味した指標,実質 GNI は,実質 GDI に海外で得た所得を加味した指標である。また,日本経済全体の所得という場合,労 働所得だけでなく,企業利潤,利子,配当などの資本所得も含まれることに注意してほしい。 図 1 は,2012 年第 1 四半期から 2015 年第 4 四半期について 3 つの生産・所得指標の季 節調整済み実質値をプロットしたものである。2014 年 4 月の消費税増税は,それ以前の期 間について前倒しの効果を,それ以降の期間について前倒しの反動の効果をもたらす。した 2 がって,消費税増税のネガティブな影響があるかどうかを見ていくには,前倒しの効果が表 れる前の生産・所得水準,たとえば,2012 年第 4 四半期の水準(図 1 では点線で示してい る)を回復していない場合に「消費税増税の影響が依然としてある」 ,それを回復している 場合に「消費税増税の影響がすでになくなった」と考えてみることにしよう。 図 1 が示すように,いずれの生産・所得指標も,消費税増税後にもっとも落ち込んだ 2014 年第 3 四半期の水準でさえ,消費税増税の前倒しの効果が表れる前の 2012 年第 4 四半期の 水準とほとんど変わらない。2014 年第 4 四半期以降は,いずれの生産・所得指標も回復し ている。たとえば,2012 年第 4 四半期と 2015 年第 4 四半期を比べると,実質 GDP で 2.1%,実質 GDI で 2.7%,実質 GNI で 4.4%増加している。実質 GDP に比べて実質 GDI の増加率が高いのは,2014 年半ば以降,石油をはじめとした一次産品価格が下落して日本 経済の交易条件が改善したからである。一方,実質 GDI に比べて実質 GNI の増加率が高い のは,円安の影響で円換算した海外所得が増加したからである。 このように生産・所得指標で見るかぎりは,消費税増税のネガティブな影響といっても実 施後の半年間にすぎず,実施前の前倒し分の反動の範囲であったことになる。2014 年第 4 四半期以降は,生産・所得水準は着実に増加してきた。 しかし,消費税増税の影響は,生産・所得指標ではなく,家計消費への影響をもって評価 しなければならないという考え方も説得的である。そこで,図 2 では,図 1 と同じ期間に ついて,国内総生産(GDP,左目盛り)と家計消費(右目盛り)の季節調整済み実質値をプ ロットしてみた。図 2 の左右の目盛が 40 兆円の幅になるようにしている。図 2 が示すよう に,実質 GDP の動向とは異なって,実質家計消費は,消費税増税を実施した 2014 年第 2 四半期以降,2012 年第 4 四半期を下回って横ばいで推移してきた。先の判断基準に沿って いうと,消費税増税の実施は家計消費に依然としてネガティブな影響を及ぼしていること になる。 ただし,消費税増税の影響が生産・所得指標には半年しか表れず,民間消費には 1 年半以 3 上も表れるというのは,消費税増税に固有な影響なのであろうか。そこで,図 3 では,より 長い期間,すなわち,1994 年第 1 四半期から 2015 年第 4 四半期にわたって,GDP(左目 盛り)と家計消費(右目盛り)の動向を描いてみた。なお,図 3 の左右の目盛の幅は 100 兆 円としている。図 3 を見てみると,家計消費の成長が GDP の成長に追いつかないという現 象は,消費税増税実施後に限ったわけでないことが明らかであろう。 たとえば,1997 年末から 1998 年末の金融危機の影響で景気が著しく低迷した 1999 年 第 1 四半期から, 「戦後最長の景気回復期」で景気がピークに達した 2008 年第 1 四半期の 期間を比べると,実質 GDP は年率 1.5%成長したのに対して,実質家計消費は 1.0%しか 成長しなかった。なお,1997 年 4 月に消費税率が 3%から 5%に引き上げられてからは, 2014 年 4 月まで消費税率が 5%にとどまっていたことに留意してほしい。 しばしば,2008 年 9 月のリーマンショックで日本経済の成長が頓挫したと考えられてい るが,実は,それ以前から景気は落ち込み始めていたのである。そのリーマンショックの影 響で景気がさらに落ち込んだ 2009 年第 1 四半期から 2015 年第 4 四半期について見てみる と,実質 GDP は年率 1.4%で成長したのに対して,実質家計消費は年率 0.8%しか成長し なかった。 日本経済の所得のうちでも家計消費と密接に関係する労働所得(国民経済計算では雇用 者報酬と呼ばれている)も,生産・所得指標に比べると成長率が非常に低い。図 4 は,図 2 や図 3 と同じ期間について,GDP(左目盛り)と雇用者報酬(右目盛り)の季節調整済み 実質値を自然対数値に変換したものをプロットしている。なお,図 4 の左右の目盛幅は, 0.25 としている。 実質雇用者報酬の動向で興味深い点は,実質 GDP や実質家計消費と異なって,消費税増 税のネガティブな影響がまったく認められない点である。実質雇用者報酬は,消費税増税実 施前の 1 年間にむしろ低下したのに対して,実施後はかえって増加した。先と同じように 1999 年代四半期から 2008 年第 1 四半期の期間について見てみると,実質 GDP が年率 4 1.5%成長したのに対して,実質雇用者報酬は年率 0.1%しか成長しなかった。一方,2009 年第 1 四半期から 2015 年第 4 四半期については,実質 GDP が年率 1.4%成長したのに対 して,実質雇用者報酬は年率 0.6%しか成長しなかった。 以上をまとめると,2014 年 4 月の消費税増税の実施は,GDP などの生産・所得指標で見 るかぎり,その影響がたかだか半年間にとどまり,その後は景気が回復してきた。確かに, 家計消費の動向で見ると,消費税増税の影響が 1 年半以上にわたって及んでいるように見 える。しかし,生産・所得指標の動向と家計消費の動向に大きな乖離があるのは,消費税増 税が実施されてこなかった 1999 年以降の期間にわたって広く認められる。 また,労働所得(雇用者報酬)については,消費税増税の実施前に低下し,実施後に上昇 しており,消費税増税のネガティブな影響はまったく認められなかった。一方では,生産・ 所得指標で見て景気が回復しても,労働所得がそれほど改善しないという傾向は,消費税増 税の実施に関係なく認められる。 このようにして見てくると, 「今,景気が悪化している」という認識も, 「経済成長が家計 の消費や所得を向上させる」という認識も,実証的な根拠を欠いているということになるで あろう。
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