2 1 - 中国語の日中学院

運営に携る皆さんと割合と近い政治感
日中学院報
408
2009.3
覚をもっていたことも長く仕事が出来
学院長のお落書き(10)
11 日建国記念日」は通常授業を行って
日中学院長 吉田隆司
毎月1回、
1日発行
定価1部100円/1年1000円(送共)
郵便振替 東京00100-0-38184
〒112-0004東京都文京区後楽1-5-3
TEL. 03-3814-3591
FAX. 03-3814-3590
Website…http://www.rizhong.org/
E-mail…[email protected]
A先生の新語コーナー
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ように見えるのですが、決してそうで
編集発行人・吉田隆司
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た要因です。日中学院はいわゆる「2月
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はありません。「天皇家の歴史を祝い、
本科生時代を含め 38 年間お世話に
天皇制の継続を願う」いわゆる「建国記
なった日中学院を2009年3月に退職い
念日」を国民の休日にするのは変だ。天
たします。長い年月、この仕事に夢中
皇の名のもとで進められたあの侵略戦
になれたことは大変幸せなことだと感
争をきちんと総括、反省したところか
じています。ですから、退職すること
ら生まれた「建国記念日」ではない。そ
への感慨もひとしおです。
んな思いが運営委員の中に強くあった
私は1971年日中学院本科に入学、本
からです。これは私の感覚でもありま
科2年生に進級すると同時に事務局員
した。
としての勤務も始まりました。その
日中学院でずっと続けられているこ
後、別科の講師も兼任するようになり
との一つのが「会計の公開」です。毎年
ました。当時の受講生の方で現在も本
6月に活動報告・予定と共に決算書、予
学院に通っておいでの同学が何人かお
算書が全学友、校友等に配布され、会計
いでです。その中で最高齢の同学が、
を公開しています。予算書をみれば専
96 歳の武田大典さん(講読クラス)で
従者の給与が分かります。給与額が割
す。その後、事務局を辞め専任講師と
合低いときには、
「俺の給与はこんなに
して本科を中心とした授業を担当させ
低いぞ」と、公開を望むのですが、少し
ていただきました。振り返ればあっと
高給取りになってくるとなんとなく公
いう間の38年間でした。思い出すの
開が気になるのです。
「会計の公開」は
は楽しいことばかりです。初代学院長
日中学院の幾度もの運営危機に、受講
倉石武四郎先生のご病状が悪化するな
生・校友をはじめとする多くの皆様に
か、日中学院の運営についての考えの
助けていただいた結果、今日の日中学
相違から、1974年に10人の講師
院があるからです。学院長、運営委員だ
が、同時に退職されました。しかし、学
けの力では困難を乗り切れなかったの
院の運営継続のために引き続き力を注
です。また、いわゆる「自浄作用」にも
ぎたいという講師、学生の情熱、エネ
役立っていると思います。運営委員会
ルギーにはすごいものがあり動揺する
は、専従職員・専任講師により構成され
こともなく仕事を続けることができま
ているのですから、ともすれば運営委
した。ただ、今思えば、江尻健二先生
員のご都合に合わせた決定ばかりをし
(前副学院長)が、その「動揺」を一手
てしまうことも可能なのです。ですか
に引き受けられたからだと思います。
ら、会計の公開は「くさいものに蓋をす
私は日中学院で勤務開始後、日中学
る」式の運営を防ぐためにも役立って
院の運営にかかわる仕事をずっとさせ
いるようです。運営委員会では「会計の
ていただきました。このことが、この
公開」は、日中学院の戦略の手の内を競
ように私を長く勤務させてくれたのか
争相手に見せることになり得策ではな
もしれないと感じています。私は特別
いという意見もときどきだされます。
な能力もあるわけでもなかったのです
しかし、それ以上の利益をもたらした
が、事務局員として勤務するや日中学
のが会計の公開でした。世の中も「公
院運営委員として学院の運営に関わり
開」は広く共有できる価値観になって
ました。それも嫌な干渉も受けず自由
いるのではないでしょうか。日中学院
に運営委員として仕事ができた環境=
の発展を祈りつつ退職です。ありがと
人がいたことです。更に、日中学院の
うございました。
(完)
飲水思源―中国語教育の開拓者②
藤堂明保先生
日本中国語検定協会名誉理事 宮田一郎
遠来の客と古刹永平寺に詣でることが間々あるが,そのたびに藤堂明保先生が想い出され
る。もう50年ほど前になるが,当時勤めていた郷里福井の高校での文化講演お願いした折り
に,先生のお供をして永平寺に参詣したことがある。先生は山門に至る道のわきの松の老木
を仰ぎながら,
「君,見給え。これが song だよ」とおっしゃった。なんのことか,一瞬とま
どったが,続けて「葉と葉との間が空いているだろう」と言われたので,はたと思い当たっ
た。
先生はそのころ中国語の単語家族の研究をまとめておられ,漢字の簡略化も筆画数を減ら
すことばかり考えずに,筆画数の少ない同音同族の字の利用をもっと図ったほうがいいとい
うのが,先生のかねてからのご持論で,永平寺への車の中でも専らこれにまつわる話をされ
ていた。さきに中国語学習者代表団として訪中された際も,事あるごとにこのことを主張さ
れ,
“蛋”は“旦”とすることなどを提言されたそうで,
“蛋”も“旦”もある線から円いも
のがぽっと出るという共通義があり,
“ 蛋”は“ 旦”ですますことができるというお考え
によるものであった。でも“王八蛋”の“蛋”はどうするかねと茶化されて終わってしまっ
たが・・・・・・ということであった。
このことを聴いていたので,
“松”と“鬆”のことをおっしゃっているのかと悟ることがで
きたが,松の木を見てもこのように連想される先生に強い衝撃を受けた。そして永平寺に来
るたびに,その日のことが想い出されるのである。
高校での文化講演もこのようなご研究に基づいた,漢字の形音義についてのもので,
“初”
の意味は,布地の“衣”に“刀”を入れて断つことに衣類作りが始まることから来ているな
ど,平易なご説明に生徒はすっかり魅了されていた。当日は PTA のお母さん方の学習グルー
プも傍聴しておられたが,講演の後の質疑応答で,お母さん方から出た呉音と漢音をどう見
分けるのかの問いに,万年/万歳の万 man / ban,黒幕/幕府の幕 maku / baku,小児/幼児
の児 ni / ji,人間/人生の人 nin / jin や , 生涯/生活の syou / sei,競争/競馬の kyou / kei
などの2音に見る対応関係を考えるのも1つの方法でしょうねと,答えが返ってくるので,お
母さん方に大人気であった。
先生のご説明の分かり易いことには定評があり,
後年先生と組んでテレビ中国語講座を担当
するようになってからは,特に先生のご説明ぶりに注意を払うようにしていた。
いま思い出すその1つに“吃
了”
“洗 了”の“ ”がある。この“ ”については,
後に富山の大学で中国語を講じられるようになった岡田文之助さんが,北京から金沢に帰
られたばかりの,日本語がまだたどたどしいお若いころ,
「習慣になっていることや予定され
2
ていることをし終えたときに用いる」と教えてくだ
さり,
そのころ陳文 さんとの共著で出した中国語読
み物の注釈に使わせていただいていたが,藤堂先生
はあの限られたテレビの時間内でどう説明されるか
注目していたら,
「この“ ”はことを済ませたとき
に用います」というご説明であった。なんと簡明で要
を得ているかと絶句した。辞書類でこの“ ”に「済
ませた」の訳語を示しているものが多いが,藤堂先生
以降とくに広まったように,わたくしは感じている。
先生は話題の豊富な方で,お話していてとても楽
しい方であった。先生は伊賀上野の城主の後裔にあ
たられ,芭蕉がなぜ伊賀を去って江戸に出たか,藤堂
家に残る語り草をお聴かせくださったこともあり,
先生ならではの秘話が数多くあった。
思い出してもいつも思わず微苦笑するのは,倉石武四郎先生の思い出を語られるときの先
生である。京大教授であった倉石先生は戦後に東大教授を兼任されたが,そのころ東京はま
だ十分に復興しておらず,東京に出講される際は浦和の藤堂先生のお宅を常宿にされていた
そうである。倉石先生が投宿されている間,夕食が済み,さて自宅に引き上げようとされる
ころになると,決まって倉石先生から「では藤堂君,ぼつぼつ始めましょうか」とお声がか
かって,『説文』の購読が延々と続いたそうで,あれにはまいったよ,誰にも言えないしね
と,首をすくめておられた先生はとても身近に感じられた。
「倉石先生が岩波中国語辞典を編
纂しておられるころは,廊下などで出会わないよう用心していたものだよ。うっかり顔をあ
わすと,ちょっと藤堂君,この語はどう思うかねと尋ねられ,それがちょっとでは済まない
んだ」と笑っておられた先生の目もいかにもいたずらぽくって,印象的であった。
先生がお亡くなりになったとき,ある出版社から追悼文を書くよう求められたが,真っ先
に浮んだのは「巨星墜つ」であった。恩師坂本一郎先生はご生前いつも藤堂先生と太田辰夫
先生の名をあげられて,この両先生に学び,お 2 人を目標に精進するようにと励ましてくだ
さっていたが,
「学問といい人物といい,そのスケールの大きさで藤堂先生の右に出るものは
そういないだろう。中国の学者に多く見かけるタイプである」というのが,坂本先生の藤堂
評であった。
〔編集室から〕
藤堂明保先生は 1915 年三重県のお生まれ。東京大学教授,早稲田大学客員,日中学院院長等を務
められた。1985 年没。ご著書に『学研漢和大字典』
,
『漢字語源辞典』
(学燈社),
『中国語音韻論−そ
の歴史的研究』(光生館),
『漢字とその文化圏』(同上),
『漢字の過去と未来』
(岩波新書),
『藤堂明保中
国語学論集』
(汲古書院)などがある。 「中国語の環」第 79 号より転載
3
別科翻訳班(231期)作品
世界一寂れた動物園(2)
小酒真由子同学訳/徳久圭講師指導
僕と生物教師はもともと挨拶を交わす程度の
間柄だったが、動物園で出会ってからというも
の、急速に親しくなった。食堂で先生に出会った
僕は、こらえきれず不思議に思っていたことを
訊いてみた。「あの人からどうやって金鶏をも
らったんですか?」先生は肉まんをほおばりな
がらいわくありげに微笑んだ。
「もらったんじゃ
なくて、買ったんですよ」。僕はにわかには信じ
られなかった。
「あの人が動物を売ってもいいん
ですか?」辺りを窺うように見回した先生は、ま
すます意味ありげな表情になって笑った。
「昔な
じみですからね」。そして、すっと僕に身を寄せ
ると耳元で囁いた。「私に借りがあるんですよ。
彼の孫息子が入学できるよう取りはからってあ
げたんです」
。
生物教師が自分の標本室を見学してほしいと
熱心に誘うので、僕は校内の工場区域にある標
本室の小屋までついていくことになった。小屋
に足を踏み入れると、真っ先に目に飛び込んで
きたのは、あの美しい金鶏だった。
金鶏は太い枝にとまった姿で固定され、臓物
が取り出され防腐処理も施された後のようだっ
た。まるで今にも動き出しそうに見えるが、その
羽根には血や薬液のシミがこびりついている。
「鳥類の標本はけっこうありますよ」。その金鶏
をフクロウとダチョウの間に据えると、先生は
淡々と言葉を続けた。
「今一番作ってみたいのは
霊長類ですが」。
先生の話など僕の耳には入らなかった。
なんだ
かこの小屋の雰囲気にはなじめそうにない。
鳥や
ら猫やら、何だか分からない動物たちが、一斉に
目を見開いて僕を凝視している気がする。
まばら
に光線が差し込む部屋の中で、
時が止まったよう
に動かない動物たちは、
どれも異常なまでに落ち
着き払って安穏としているように見えた。だが、
辺りには何とも言えない生臭い匂いが漂ってい
る。そのせいで、僕は陳列されている標本を全部
見て回ろうという気にはなれなかった。
僕はなん
とか理由をつけて早々に小屋から退散した。
出て
行くとき、
思い入れたっぷりに自分の標本を見渡
していた先生が、
独りでぶつぶつとつぶやく声が
聞こえた。
「不思議だなあ。なんでみんな動物を
愛してくれないんだろう」
。
4
生物教師は僕を誘ったことを後悔したに違い
ない。僕自身、あの小屋に行ったことを後悔した
のだ。小屋を出た後も、あの日は午後中ずっと嫌
な気持ちのまま、羽根に血と薬液をべっとり付
けた金鶏の姿が脳裏に何度もフラッシュバック
していた。なんて可哀想な金鶏だろう。僕が動物
に感情移入したのは、生まれて初めてのこと
だった。
手がかりが掴めれば道は自ずと開けるものだ。
それ以来、絵を描くときには、この金鶏への憐憫
の情を筆に込めてみることにした。すると、ス
ケッチが飛躍的に良くなったと絵の師匠からも
評価された。
「もう猿の神髄を掴んだな」。師匠は
僕が描いた大猿を指して言った。
「つぶれた眼が
描写できている。この猿の神髄はずばり眼にあ
る。もう分かっただろう」。
フイチャン
次に灰場動物園で生物教師と出会ったのは、
日曜の早朝だった。その日はしとしとと小雨が
降り続いていた。雨の中、猿山に佇む親子の姿は
思いがけないほど親子の情に満ちていた。小猿
は大猿の懐に抱えられて雨をしのぎ、全身雨に
さらされた大猿は額に手をかざし、空を見上げ
ながら雨模様をじっと見つめている。その瞬間
ふと、大猿の片眼に何とも言えない憂いの情が
あふれているのを見て取った僕は、衝動に突き
動かされるまま、雨を見つめる大猿の姿をス
ケッチし始めた。すると、ちょうどそのとき、飼
育員の小屋で二人の男が言い争う声が聞こえて
きた。声は高くなったり低くなったりして、何を
話しているかまでは分からない。でも、飼育員の
話し相手が生物教師なのは確かだった。
僕が小屋の窓辺まで行ってみると、争う声は
ぴたりとやんだ。僕に聞かれたくなかったのだ
ろう。飼育員はくるっと僕に背を向けてしまっ
たが、生物教師は独特の温和で無邪気な笑いを
浮かべて話しかけてきた。「君も来てたんです
ね。張さんに相談事をしているところですよ。今
日は機嫌が悪いみたいで、まるでけんか腰なん
です。張さんは本当はいい人のはずなんですけ
どねえ」。
5
二人が何の話をしているのか気になって仕方
なかった。しかし、僕がいては都合が悪いよう
だったので、気を利かして立ち去るほかなかっ
た。僕は猿山に戻ると、再びスケッチに取りか
かった。その頃には雨が激しくなってきていた。
すると突然、猿山の上に張ってあったビニール
シートが風に吹き飛ばされ、猿たちが唯一雨宿
りできた場所が一瞬にして失われてしまった。
大猿は異常なまでに焦った様子で、小猿を放り
出すと金網の上で狂ったように跳ね回り、しき
りにキーッと奇声を上げる。そのときはまだ大
猿の運命を知る由もなかった僕は、その異常な
行動を雨と天候のせいだと思い、天候の変化に
敏感なのは人間も動物も同じなんだとしたり顔
で考えていた。
ますます雨がひどくなってきて、僕はとうと
うスケッチをあきらめた。飼育員の小屋で雨宿
りさせてもらおうと思ったものの、二人の邪魔
シ フ ゾ ウ
をしては悪いと考え直し、思い切って四不像の
いる小屋の軒下に駆け込んだ。動物のことには
シ フ ゾ ウ
疎い僕も、四不像がおとなしい善良な動物だと
知っていたからだ。一時間ほどその小屋に身を
シ フ ゾ ウ
寄せている間、孤独な四不像はただ静かに僕を
シ フ ゾ ウ
シ フ ゾ ウ
見つめていた。四不像は四不像で草をはみ、僕は
僕で雨宿りをする。それぞれ縄張りを守って過
ごすこと小一時間。ザーザーと降り続いていた
雨は、次第にパラパラと小降りになり、気づくと
すっかりやんでいた。
雨があがったので、僕は家に帰ることにした。
スケッチブックも濡れてしまったし、これ以上
シ フ ゾ ウ
絵は描けない。立ち上がった僕は、四不像の美し
い首筋を撫でてさよならを言った。雨上がりの
フイチャン
灰場動物園は、いっそうじめじめとして、寒々し
く、さらに寂れてしまったように見える。枯れ枝
から水がポタポタ落ちる音が聞こえるだけで、
辺りは死んだように静かだった。僕は飼育員の
小屋を通るときに、窓をコンコンと叩いてみた。
先生がまだいたら、僕と一緒に帰ってくれるか
もしれないと思ったのだ。ところが、中には誰も
いなかった。窓ガラス越しに僕が見たのは、机の
上に置かれた品々──二箱の高級タバコ、食べ
物の包み、二本の酒瓶だけだった。 (続く)
6
細雨軽舟( 30)
xiyuqingzhou
『古今共享同音楽』
『三生万物含奇偶』
どんな数字が好きかと聞かれたら「三」と
答える。
「福倒了(福は逆さまだよ。)
」
もちろん、三月号だからといって三を選ん
中国では、お正月の飾りとして「福」とい
だわけではない。三が好きだというと意外に
う文字を逆さまに貼る。なぜならそれは「逆
思われる人がいるかもしれない。中国人は偶
さま」を表す中国語の「倒」は、到来の「到」
数が好きだと思われているからだ。
の発音が同じで、「福倒了」は「福到了(福
確かにお正月の飾りや建物の作りなどは、
が来た)
」という意味になるため、縁起がい
左右対称のものが多く、漢詩の対句も四字成
いからである。
語の多さも、それを物語っている。しかし、
日本にも「鯛」は「おめでたい」、
「昆布」
昔から一月一日の春節(旧正月・今年は一月
は「喜ぶ」を表しているので、お祝いの料理
二十六日)、五月五日の端午節、七月七日の
に使われているようだ。
七夕節、九月九日の重陽節など、奇数の入っ
同じ発音から様々な連想を走らせて楽しむ
ている祝祭日も多い。
遊びの代表は「駄洒落」と言えよう。皆「寒
「三」の入っている言葉は「三省」をはじ
い、寒い」と言いながらも楽しんでいる。音
め、
「三顧茅廬」
(三顧の礼)、
「歳寒三友」
(松
が重なることを楽しむ「駄洒落」は、様々な
竹梅)などたくさんある。老子の「道生一、
国で詩を詠む際に韻を踏み、音の重なる響き
一生二、二生三、三生万物。」も再三読み返
を楽しんだように、立派な文化の一つである
す価値のある言葉であり、読めば読むほど味
と思う。豊富な語彙、豊かな想像力、そして、
わいも深まっていく。ちなみに、子供の誕生
ユーモア精神と心の余裕がないと楽しめな
日は三の倍数である九月六日だった。これも
い。
不思議な縁だ。
駄洒落の起源についてはよくわからない
先日、中国語の教室で「三」の話をしたら、
が、「まつとし聞かばいま帰り来む」のよう
学生から日本にも「三人寄れば文殊の知恵」
に同音異義を利用して、一つの言葉に二つの
「三つ子の魂百まで」
「石にも三年」など三に
意味を掛ける技法はずっと昔から使われてい
まつわることわざがあると教わり、大変興味
たようだ。
深く思った。これぞ「教学相長」の醍醐味で
「まつ」は、私の好きな言葉の一つである。
あり、正に「三人行必有我師」である。
冬でも枯れず雪の中でも凛として立ち、春の
師に囲まれながら、初心を忘れず学ぶ道を
到来を待つ姿は素晴らしい。
歩んでいきたい。
7
3月の日中学院
日
一
1
2
8
三
3
4
●本科2年・研究科
卒業旅行
(∼4日)
9
●本科 第四次
募集入試日
1
5
二
1
0
五
5
6
●日本語科
●本科
成績発表 登校日 授業最終日
1
1
1
2
1
3
●本科 第四次
●本科 成績発表
試験合格発表日 第五次募集開始
1
6
1
7
1
8
●教職員
総括展望会議
2
2
四
2
3
2
5
7
●別科 公開講座
●本科 春休み開始
1
4
●本科・日本語科
合同卒業式
●別科 公開講座
1
9
●本科
第五次募集締切
2
4
六
2
6
2
0
2
1
●春分の日
●本科 第五次
募集入試日
2
7
2
8
●別科232期
●別科
授業終了日
春期集中講座
4月期は4/8開始 (∼28日)
3
1
●4月の日中学院
・3日…別科 公開講座
・4日…本科日本語科 合同入学式
・4日…本科日本語科 講師会
8
○
・1
0日…本科日本語科 授業開始
・2
0日…本科2年 個人面接
・2
2日…本科日本語科 合同都内見学
・2
3日…本科 奨学金募集開始
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
●通信講座が始まります
2009 年 4 月より、インターネットを
通じて作文の添削をうけられる通信
教育を始めます。詳しくはホーム
ページをご覧下さい。
●別科受付方法が変わります
3 月 2 日より別科 4 月期(233 期)の
受講申し込みの受け付けを開始しま
す。これまで通り窓口での受け付け
「窓口
を行うほか、
「電話での予約」
での予約」そして、受講料を銀行振
り込みすることができるようになり
ました。これにともなって従来の優
先受け付けの制度はなくなります。
又、4月期より、別科へ新規学生をご
紹介くださった方へ図書券をプレゼ
ントし、又ご紹介で入学された方は
入学金が 3,000 円割引になります。
申請用紙は事務局においてあります
ので、どうぞご利用下さい。
御不明の点は事務局までお問い合わ
せください。
●シャンチー(中国象棋)初心者講
習会開催
日時:3 月 15 日(日)10 時∼ 14 時
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
●訃報 原口大介事務局員の父君が
1 月 30 日御病気にて逝去されまし
た。御冥福をお祈り申し上げます。
●春期集中講座のお知らせ
期間:3 月 24 日∼ 28 日(5 日間)
午前:10:00 ∼ 12:00
夜間:18:45 ∼ 20:45
・中国語入門コース
午前:小沢光恵・夜間:胡興智
・発音復習コース
午前:小金井京子・夜間:粟田厚司
・コミュニケーション中級コース
午前:張竹翠・夜間:田 禾
お申込お待ちしております!
○
■耳目
○
下記の方より、図書室に寄贈があり
ました。ありがとうございました。
◎名和厳郎様より
『郷土の藤野厳九郎先生』、『魯迅と
藤野厳九郎』ほか多数。
◎近藤めぐみ様より
、
《帝女花》の
《手机》、
《 宮皇太后》
DVD
◎相原茂(著者)様より
『ちくわを食う女』、『笑う中国語』
○
■寄贈
・4日…別科 公開講座
・6日…別科 公開講座
・8日…別科 233期 授業開始
・8日…日本語科 1年面接
○
3
0
○
2
9
会場:目黒区民センター(目黒区目
黒 2-4-36、JR・東京メトロ・東急目
黒駅下車徒歩 10 分)
内容 午前:コマの動かし方
午後:勝ちの方法と実戦
費用:1,000 円(コマ付き)
申込:ハガキまたはメールで「シャ
ンチー初心者講習会」と明記、郵便
番号・住所・氏名・電話番号を書い
て、〒 167-0033 東京都杉並区清水 331-6-108 日本シャンチー協会事務局
(Eメールは [email protected])
へ。※ 3 月 7 日必着。
問い合わせ:080-5644-5511
(日本シャンチー協会・山田)
■編集後記
3月は別れの季節でもあり、また4月
の出会いを準備する時期でもありま
す。日中学院も組織として新たな体
制を迎えようとしていますが、受講
生にとってより良い学院であるよう
に努める所存です。これからもご指
導ご鞭撻、そしてご理解とご協力を
宜しくお願いいたします。 (Y)