奠 日中学院報 438 2011.9 何老師との出会いは1977年4月本科研究科に編入した時に 編集発行人・小池敏明 毎月1回、 1日発行 定価1部100円/1年1000円(送共) 郵便振替 東京00100-0-38184 〒112-0004東京都文京区後楽1-5-3 TEL. 03-3814-3591 FAX. 03-3814-3590 Website…http://www.rizhong.org/ E-mail…[email protected] 始まる。 『日文中訳』の授業だ。10 数年ぶりに中国語学習の機 会を得て、私はかつてないほど意気込んでおり、どの授業も 予習は欠かさず比較的積極的に発表するよう心がけていた。 ところが何老師の授業では、せっかくの努力にもかかわらず 全文まっ赤になるほど朱が入る。どこがどう悪いのかいちい ち説明してくださらない。納得がいかないので「これでも通 じるはず」と抗議すると、 「通是通。」それしかおっしゃらな 文化祭 2011 年 10 月 29 日 い。時には「“の”が訳出されていない。」の一言だけ。だが A先生の新語コーナー 直された文を見ると、原文の一字一句が見事に活かされ、し かも流れるような美しい文になっている。なぜだろう?よく わからないままにむしゃぶりついて半年後、私の渇いた土地 にも水が浸み透って潤いを得たような気がしてきた。 そうだ、 これだ!知らないうちに確実に力がついたらしい。後期には Weibó 朱が減り、厳しい先生の表情もやわらぐ時がある。授業中に デ ィ ア を 動 か す の に 大 き な 役 割 を 果 た し た と さ れ る 。 ち な に 高 速 列 車 の 衝 突 事 故 が 起 き た 時 、 ミ ニ ブ ロ グ は 主 要 メ 月 末 の 1 億 9 5 0 0 万 へ と 急 激 な 伸 び を 示 し た 。 7 月 23 日 ば 、 ミ ニ ブ ロ グ 利 用 者 数 は 昨 年 末 の 6 3 1 1 万 か ら 今 年 6 す 。 中 国 イ ン タ ー ネ ッ ト 情 報 セ ン タ ー C N N I C に よ れ ) み に 6 月 末 現 在 の ネ ッ ト ユ ー ザ ー 数 は 4 億 8 5 0 0 万 、 そ ( の う ち モ バ イ ル 経 由 の 利 用 者 は 3 億 1 8 0 0 万 。 ︵ A ︶ こ と 。 1 4 0 文 字 程 度 の 短 い 文 章 で 記 述 さ れ た ブ ロ グ を 指 “ 発せられる一言か二言のなかに、先生の人生観、世界観、哲 学、深遠な学識、高潔な人格に気付くようになり、聞きもら ” の 略 で 、 中 国 版 ツ イ ッ タ ー 、 ミ ニ ブ ロ グ の してはならじといつのまにか必死に耳をそばだてていた。後 に後輩たちが初期の私のように先生の授業が理解できずに不 満をもらすと、私は必ず自分の体験を話し、 「とにかくむしゃ ぶりつくこと」 「サボったら自分が損する」と忠告してきたも のである。 研究科時代後半から、卒業後何老師に紹介されて横浜日中 友好協会の中国語講座の講師になってから、さらに日中学 院・大学の定年退職まで、私はほとんど週一回先生とお会い して教えを乞うてきた。 先生の授業が終るのを待ち伏せしてご都合を聞くといつでもにこ やかに「行!」と言って何時間でもていねいに教えてくださる。こちらの勉強不足から質 問をもたずに行くと「没有?」と厳しい眼が返ってくる。先生を怖いと感じたのはそんな 時だ。次の一週間はがむしゃらに勉強して質問をどっさり抱えて行く。あいまいさを許さ ない正確な解析、デリケートなニュアンスも各種文献から例をあげての説明、ごく稀にそ の場で解決できない問題にぶつかった時には、質問した私の方が忘れてしまった1ヶ月後 2ヶ月後になっても追求し続け、答えてくださる。また春夏秋冬、折々に李白や杜甫、白 居易などが詠じた詩を朗々と吟誦してくださった。 晩年には文化祭での校友会の演し物「ピースリーディング」 (日文と中文での朗読)の 中の中文訳を体力的に無理がきかなくなるまでの4年間、毎年ひきうけてくださり、文化 祭当日には必ず成果を観に来てくださって、出演者をはげましてくださった。 何老師の思い出はまだまだ沢山あり、とても語りつくせない。業績については後出の 『華僑報』を参照していただくことにして、ここでは痛快なエピソードを紹介する。 1994 年 8 月、日中学院の同学、教職員、何老師ご夫妻の総勢 8 名で敦煌・ウルムチ一帯 を旅行した時のことである。ラクダで鳴沙山にたどりつき、足の弱い何夫妻と私たち4人 は麓で他の4人が鳴沙山から下りてくるのを待っていた。と、突然ラクダ使いの人たちが 約束の料金に上乗せしないと帰りは乗せてやらないと言い出しガイドともめはじめた。 大 分長い間大声でやりあっていたがラチがあかない。 するとじっと黙って聞いていらした何 老師が穏やかな口調で「 」と一言。一瞬息をのんだラクダ 使いはさっと立ち上がり、 「好!」。こうして私たちは月の沙漠をラクダにゆられてもどっ てくることができた。 もう一つは旅の終わり、北京でのできごとである。何夫妻の親しい友人で日中学院別科 でも教鞭をとられたことのあるT老師が帰国されていたので での宴会の手配をお願い して T 夫妻も交えて会食をした。満漢全席に舌鼓をうちまさに“ ”、いよいよお 開きになった時、T 老師が支払いを任せろといって聞かない。日中学院の宴会では“ワリ カン”がならわし。みんなもそのつもりでいたので、やっきになって T 老師を説得したが 聞き入れてくれないので大騒ぎとなった。ここで何老師がT老師に一言、 「 2 !」。 この決めゼリフは今も私たちの語り草になっている。 最後に、何老師の訃報に接した私たち本研4期の山口裕子同学がクラスメートに呼びか けて募った寄せ書きの一部をここに紹介し、教えを受けた同学たちの思いをお伝えする。 この寄せ書きは、 “何老師定年退職お疲れさま会”の時の写真とともに柩に納めさせてい ただいた。 平松正子 00年 6 / 3 中華街 何先生退職お疲れさま会 ・文化祭の「紅岩」上演後の先生の優しい笑顔が忘れられません。もう一度あの美し い北京語を聞きたかったです。 ・ もう少し我々の知らない時代のお話を伺いたかったのにと残念な気持でいっぱいで す。 中国人の聡明さと日本にいる中国の方の生き様を垣間見させていただきました。 ありがとうございました。 ・ 先生は亡くなってはいません。ほら、ここからもそこからも声がきこえ、優しい笑顔 が見えるではありませんか。 3 ・先生の思い出はいっぱいあります。先生のことは次のようなものと思います。 02年 2 / 10 浅沼さん新邸にて 4 ・ 授業中、あの大きな目でぎろりと見 ・ 先生のおかげで私は少ししかできな つめられると私はカエルになりまし い中国語でも、とても発音がいいと た。当たるのは恐怖でした(笑) 。発 どの中国人にもほめられます。とて 音がきれい過ぎて聴き取れず、いつ も良い先生に出会えたと思っていま も困った私・・・大きな目には愛情が す。横浜で同窓会があった時、私の あふれていました。先生が紡ぐ言葉 ことをしっかり覚えていてくださっ は、音楽の調べのように美しかっ たこと、帰りにお宅にお邪魔してと た。悲しいことがあった時は抱きし ても高級なお茶をご馳走になったこ めてくださいました。いつも温かで とが鮮明に思い出されます。ご冥福 した。先生 大好きだよー! をお祈りいたします。 ﹃ 華 僑 報 ﹄ 訃 報 よ り 抜 粋 の 普 及 に も 寄 与 し た 。 院 ﹂ の 講 師 と し て 日 本 に お け る 中 国 語 育 の た め に 尽 力 さ れ た 。 ま た ﹁ 日 中 学 学 校 で 教 鞭 を と り 、 華 僑 子 弟 の 民 族 教 三 十 余 年 の 長 期 に 亘 っ て 横 浜 山 手 中 華 何 氏 は 五 十 七 年 よ り 八 十 九 年 ま で の め た 。 躍 し 、 五 十 六 年 に は 同 会 の 副 主 席 を 務 た 。 学 生 時 代 は 中 国 留 日 同 学 総 会 で 活 動 を 続 け 、 六 十 五 年 博 士 課 程 を 卒 業 し そ の 後 、 同 大 大 学 院 で 航 空 学 の 研 究 活 東 京 大 学 工 学 部 応 用 物 理 学 科 を 卒 業 し 、 で 来 日 。 第 一 高 等 学 校 を 経 て 、 五 十 六 年 ま れ 、 四 十 四 年 八 月 、 留 学 の た め 十 七 歳 何 乃 昌 氏 は 一 九 二 七 年 八 月 天 津 に 生 いた。深傷を負って南京病院に運び込まれ た人々、黒焦げの死体、強姦された女性、目 を覆うシーンが続く。約50分の映画の骨格 日中学院校友会では日中学院創立60周 は、マギー牧師の貴重なフィルムだ。それ 年記念活動として映画上映、講演会を主と に、当時のニュース映像や虐殺に加わった する連続講座を実施します。この講座で 元日本軍兵士、生き残った中国人の証言、 は、日中戦争への直視、日中戦争戦後処理・ 南京に住んでいた外国人の日記などを加 賠償、現代中国への視点等に焦点を当てて え、南京大虐殺を様々な角度から検証して 講座を組み立てます。中国語の学習ととも いる。この事件をめぐる日本の論争にも一 に中国への理解に役立つことを祈っての企 石を投じるものである。(DVD紹介文よ 画です。どなたも参加できます。 り転載) 連続講座第1回 昨年は敗戦から60年だ。日中学院は今 ●DVD上映 『天皇の名のもとに 南京大虐 年が60年の節目、半世紀以上前のことを 殺の真実』 クリスティン・チョイ(監督), またもちだしてと言われそうです。原発事 ナンシー・トン(監督)50分、その他1本 故の報道でも明らかなように、「我々が受 日時:2011年10月15日14時∼ けてきた報道、教育は真実が隠されてき 会場:日中学院3階教室 た」と感じませんか。先ずは知るから始め 会費:無料 ましょう。 連続講座第2回は11月26日、第3回 1937年12月当時、南京に滞在して は12月17日を予定しています。企画へ いた米国人ジョン・マギー牧師は、密かに のご提案、ご意見をお寄せ下さい。 16ミリフィルムを回しその実態を記録して (校友会広報担当吉田) 5 6 7 8 9 9月の日中学院 日 一 二 三 四 五 六 1 2 3 ●本科 授業再開 ●本科 避難訓練 ●別科講師会 4 5 6 7 ●本科就職個人 面接 (2年) 1 1 1 2 1 3 1 4 ●本科 追試期間 (∼17日) 1 8 1 9 8 ●教職員健康診断 (第2回) 1 5 2 6 2 0 2 1 2 2 2 7 2 8 2 9 ●1 0月の日中学院 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 以上 ■耳目 ●別科 243 期授業開始日について 別科の 10 月期、曜日によって授業開 ・お問い合わせ先:京劇研究会 始日が違いますのでご注意ください。 電話:090-4179-3318 ◆土曜日の授業→ 8 日開始。 HP:http://www.kyogeki.com/ ◆土曜日以外の授業→12日以降順次 ・チケットぴあ(Pコード 413-624) 開始。 全席指定 その他、10 月 29 日(土)が文化祭の モンキー ¥6,500ため休講、11 月 3 日(木)、23 日(水)の スーパーモンキー ¥8,500祝日なども授業がお休みになります (最前、又は最前々列の中央席) のでご注意ください。 ※スーパーモンキーは収入の一部を ※ 9 月 1 日より 10 月期の受付が始ま 東日本大震災被災者支援金として寄 ります。 付予定。 ●京劇情報 『大鬧天宮』では石山雄太氏(外国人 日本京劇研究会・中国国家京劇院合 初の京劇俳優)、呂昆山氏(国家一級 同公演が開催されます。 俳優)、 『天女散花』は日中学院日本 2 3 2 4 ●秋分の日 ●別科 公開講座 ・1 9日…本科文化祭集中練習(∼2 0日) ・2 7日…安藤先生命日 ・2 8日…文化祭リハーサル ・2 9日…文化祭(別科休講) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 会場:俳優座劇場(六本木) 期間:2011 年 9 月 21 日∼ 9 月 25 日 〈公演プログラム・スケジュール〉 A/ B/ C 共通 大鬧天宮 ・水簾洞・御馬監 京劇ミニレクチャー A 秋江 B C 天女散花 ○ ○ ○ ■寄贈 下記の方より、図書室に寄贈があり ました。ありがとうございます。 ◎秦燕様(監修者)より 『中国語で書くミニ日記』 ◎丹藤佳紀様(共編者)より 10 1 7 ●別科 242期 授業最終日 ・7日…別科公開講座(入門・基礎) ・8日…別科授業開始(土) ・1 2日…別科授業開始(土以外) ・1 5日…中国語検定受付締切 ・1日…別科朗読大会 ・1日…本科推薦受け入れ 開始 ・6日…教職員健康診断(第3回) ◎福田立子様より 1 6 3 0 ●日中国交回復 39周年 ◎今井としこ様より 1 0 ●校友会 バスハイク ●中国語検定試験 ●別科 公開講座 ●別科 公開講座 受付開始 入門18:45-20:45 入門13:00-15:00 基礎18:45-20:45 ●敬老の日 2 5 9 ●本科・日本語科 交流学習会 語科卒業生の袁英明氏(京劇俳優・ 文学博士)が出演。是非ご観覧くだ さい! ●本科・本研卒業生の皆さん 在籍時と住所が変わった方はご連絡 ください。 2012年2月に日中学院創立60周年記 念『本科大同窓会』を行う予定です。 ご案内を今年秋に発送する予定です が、在籍時と住所・名字等が変わっ た方は、[email protected](本科大同 窓会実行委員会)までメールでご一 報下さい。 他の同学の方にもお知らせ頂ければ 幸いです。宜しくお願い致します。 ■編集後記:義援金報告 多くの皆様よりあたたかい義援金を お寄せいただき誠にありがとうござ います。8 月 3 日現在、192,320 円お 寄せいただきました。お預かりしま した義援金は、今年3月に卒業され た本科・日本語科の皆さんが卒業 パーティーをとり止めて寄付された 義援金とあわせまして日本赤十字社 を通じて被災地の皆様にお届けいた します。引き続き募金を受付してお りますので、あたたかいご支援をお 願いいたします。 (Y)
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