水溶液における遷移金属 イオンの価数別分析

目されている手法に CE(Capillary Electrophoresis)
がある
水溶液における遷移金属
3 )~ 5 )。CE
は内径 100 μm 以下のフューズドシ
リカキャピラリー内に電解質溶液(泳動液)を満たし、
試料溶液をその一端から注入した後、キャピラリーの
イオンの価数別分析
両端に電圧を印加して目的成分がその移動度に応じて
キャピラリー内を移動することを利用した分離分析法
である
無機分析化学研究部
中島 沙知
6 ) 。本稿ではこの
CE を用い、遷移金属を含む
身近な製品であるアクセサリーやサプリメントを試料
にして、それらの置かれた状態における遷移金属イオ
1.
水溶液における遷移金属イオン解析の重要性
ンの価数について評価を行った。
金属は現代生活を送る上で必要不可欠な元素であり、 2.
分離の原理
自動車や電池、医薬品などの製品として幅広く使われ
CE を用いて遷移金属イオンを測定する際にはモー
ている。これら金属は置かれた環境(大気や溶液)に
よって存在状態が変わり、例えばそれが湿気を含む大
ドとして ZE(Zone Electrophoresis)を用い、このモー
気であると、水を含んだ酸化物被膜となる(いわゆる
ドを利用した分析方法をキャピラリーゾーン電気泳動
金属の錆)。また、その水に酸や塩化物イオン(Cl )
(CZE:Capillary Zone Electrophoresis)という。こ
が含まれると、錆びにくいとされるステンレス鋼も局
の CZE について、同じく分離分析法で水溶液中の遷
-
所的に錆びる
1 )。このような現象は水溶液中で金属が
イオンとして存在することによるもので、中でも遷移
移金属イオンを測定可能な IC(Ion Chromatography)
と比較しながら原理を紹介する。
金属はその電子軌道配置から複数の価数を持ちうる。
IC では分離にイオン交換体を担持した分離カラム
そのため、価数別に分析しそれらの挙動を把握するこ
が用いられ、カラム内で目的イオン成分と溶離液のイ
とは、製品における期待される機能の発現や、不具合
オン成分とが固定相上でイオン交換を繰り返しながら、
発生のメカニズム解析に重要と考えられる。
親和力の違いにより分離される(図 1.1)。一方、CZE
水溶液における一般的な遷移金属分析の手法として
は、キャピラリーに電圧を印加した際に、目的成分が
は、ICP-AES(Inductively Coupled Plasma Atomic
電荷や分子の大きさによって異なる速さで移動し、分
Emission Spectroscopy)などの元素分析手法が挙げ
離がなされる(図 1.2)。この異なる分離の特徴を組み
られるが、価数別分析法としての適用は困難である。
合わせ、弊社では過去、IC で分取した試料を CZE で
そこで弊社では、各種分光法をはじめとした評価方法
さらに分離する二次元分離法を開発し報告した
を提案している
2)
(表 1)。
7) 。
加えて、CZE の特徴として、分離場が中空のキャピ
近年、分光法以外の金属イオンの分析手法として注
ラリーであり、自由溶液で分離を行うことが挙げられ
表 1 弊社における遷移金属イオンの価数別分析法(固体試料の分析法も含む。)
試料の状態と手法
目的
検出下限*
XAFS(X-ray Absorption Fine Structure)
適用範囲の広いバルク評価
数十 ppm
ESR(Electron Spin Resonance)
微量成分の評価**
ppm 程度
吸光光度法
JIS に準じた評価
ppb ~ ppm
IC
イオン成分の評価**
(電気伝導度検出器を用いた検出法)
数百 ppb
CZE
電荷を持つ成分の評価
(分子量 300 程度まで)
ppm
XPS(X-ray Photoelectron Spectroscopy)
最表面の評価
0.1 atom %
メスバウアー
鉄の評価
1 wt %
TEM-EELS (Transmission Electron Microscopy Electron Energy Loss Spectroscopy)
微小領域の評価
数 atom %
1 nm(空間分解能)
●水溶液および固体
●水溶液(固体の場合は水溶液化が必要)
●固体(水溶液は適用外)
注:*試料の状態による。
**適用できる金属の価数は限定的。
東レリサーチセンター
The TRC Journal 2015 年 10 月号
・1
固定相(イオン交換体)
:保持
電気伝導度⇒
電気
伝導度
検出器
M1+
M2+
本結果が必ずしも金属アレルギーの原因として結
M1+
びつくとは限らないが、30 分という短時間の溶出試験
M2+
でめっきの一部が腐食され、Ni や Cu が溶出すること
:溶出
時間⇒
図 1.1 IC の分離機構(概念図)
紫外/可視
吸光光度
検出器
M1+
+
M2
M1+
吸光度⇒
キャピラリー
がわかった。また、本溶液中で存在する各元素の価数
は、Ni、Cu 共に 2 価で存在していることが示され、
この結果からペンダントに用いられているめっきは
M2+
:移動の速さ
Ni - Cu (白銅)めっきであると推測された。
時間⇒
図 1.2 CZE の分離機構(概念図)
3.2 鉄サプリメント抽出液中の Fe 2+ の測定
鉄(Fe)は水溶液中で Fe 2+ や Fe 3+ の価数をとりや
すく、Fe 2+ から Fe 3+ 、またその逆の反応も速やかに起
る。試料の状態を大きく変えずに目的成分を検出でき
きる。つまり Fe は電子の授受がおきやすく、これが
るため、試料水溶液の性質(主に pH)を保ったまま、
多くの生体反応に関与しているといわれている
金属の価数を変えることなく測定可能と考えられる。
含有化合物は貧血予防のための医薬品やサプリメント
次に、これら CZE の特長を生かし、遷移金属イオン
として様々な製品が市販されている。そこで、市販サ
を価数別に分離・検出した測定例を示す。
プリメント中の Fe が胃
9 )。鉄
液中でどのような価数で
存在しているかを調べる
水溶液における遷移金属イオンの測定例
3.
N
Fe2+
N
N
N
ため、CZE 測定を行った。
試料は、2 種類のサプ
3.1 アクセサリーに含まれる金属アレルギー原因物質
リメントを用いた(試料
の測定
金属アレルギーは、一般的に皮膚と金属との接触部
A:クエン酸第一鉄が主
分が赤くなったり腫れたりする症状としてあらわれる。
成分、試料 B:ヘム鉄(図
アレルギーのもとになる金属は、ニッケル(Ni)、銅
3)が主成分)。飲用した
O
O
OH
HO
図 3 ヘム鉄の構造
(Cu)など遷移金属が多く、ヒトの体内に吸収される
状況を模擬して、100 mM HCl( pH1)
( 胃液に相当)
と、イオンの状態で存在する他、血液中のアルブミン
で各試料を 30 分間振とうし、遠心分離処理後の上澄
と結合し、アレルゲンになるとされている
8 ) 。中でも
み液をろ過後、その溶液を分析に供した。
図 4 に測定結果を示す。試料 A は Fe 2+ のピークを
金めっきの下地、装飾めっきとして使われる Ni は、
汗に含まれる Cl により酸化して溶出し、アレルギー
-
を発症するといわれている
検
9) 。そこで、アクセサリー
0.14
からどのような金属が溶出し、どのような価数で存在
Mn2+Cu2+
しているかを確かめるため、CZE 測定を行った。
試料は市販の金属めっきペンダントを用いた。汗を
模擬した 0.1 % NaCl 水溶液中で 30 分間振とうし、
からは、Ni 2+ と微量の Cu 2+ が検出された(図 2)。
Mg2+
Ca2+
Absorbance
0.015
試料A (クエン酸第一鉄)
Al3+
0.02
Ni2+
Cu2+
試料B (ヘム鉄)
3
Fe3+
0.010
-0.02
7
時間(分)
Ni2+
アクセサリー
溶出液
6
5
図 4 標準液および試料のエレクトロフェログラム
標準液
0.005
0.000
Fe2+
0.06
Co2+
0.020
Fe3+
標準液
Absorbance
上澄み液をろ過して分析に供した。その結果、溶出液
Fe2+
0.10
8
Cu2+
10
-0.005
12
14
時間(分)
図 2 標準液およびアクセサリー溶出液の
エレクトロフェログラム
出し、Fe 3+ のピークは認められなかった。Fe 2+ は通常、
水 中 に 酸素 が あれ ば 速や かに 酸 化 され 、 電子 を 失 い
Fe 3+ となる。また酸性溶液の場合、水溶液中の酸化還
元電位から Fe の価数が決まるが、本溶液中では Fe は
2 価として存在していることがわかった。一方で、試
料 B は Fe 2+ や Fe 3+ とみられるピークは共に認められ
東レリサーチセンター
The TRC Journal 2015 年 10 月号
・2
なかった。ヘム鉄は Fe 2+ を骨格にもつ構造をしており
(図 3)、錯体が分解すると
Fe 2+ が検出されることが
9)
増本健 監修, 金属なんでも小事典 (1997)
10) 海野昌喜, 斉藤正男, 生化学 , 80, 540(2008)
予想されたが、Fe 2+ は検出されなかったことから、試
料 B のヘム鉄は HCl 溶液中でも安定的に存在してい
氏名
ると推測され、それは、ヘム鉄を分解するには脾臓か
無機分析化学研究部
中島
沙知(なかしま さち)
無機分析化学第一研究室
ら分泌される酵素(ヘムオキシゲナーゼ)が必要とさ
れる情報
10 ) とも合致する。
本結果より、100 mM HCl 溶液中(胃液を想定)で
は、クエン酸第一鉄が主成分の試料の鉄は Fe 2+ として
存在し、ヘム鉄が主成分のものはヘム鉄として安定的
に存在していると推測された。この結果は、サプリメ
ントが胃液中でどのような状態で存在しているかを推
測する一助になると考えられる。
4.
まとめ
CZE を用いて、アクセサリーから溶出する遷移金属
イオンを価数別に分離・検出した。その結果、金属ア
レルギーの原因物質とされる Ni 2+ および微量の Cu 2+
が検出され、めっきの一部が 0.1 % NaCl 水溶液で腐
食されたものと推測された。
また、鉄サプリメントを 胃液を模擬した 100 mM
HCl 溶液で抽出し、CZE で測定した。その結果、主
成分がクエン酸第一鉄の試料では Fe 2+ が検出され、胃
液中で Fe 2+ として存在していると考えられた。一方、
主成分がヘム鉄の試料は、Fe 2+ も Fe 3+ もピークが認め
られなかったため、胃液中ではヘム鉄として存在して
いると推測された。
このように、CZE では前処理で得られた溶液のまま
分析することで、遷移金属の種類、価数別に分離・検
出が可能である。本法で水溶液中の遷移金属イオンが
関与する現象を解明することが、金属製品の腐食や劣
化、または安定性の解析、さらには今後のより良い製
品開発の一助となれば幸いである。
5.
参考文献
1)
徳田昌則 他, 構造、状態、磁性、資源からわかる
2)
八尋惇平, The TRC News, 120, 33 (2015)
金属の科学(2012)
3)
高橋透 他, 第 34 回キャピラリー電気泳動シンポ
ジウム要旨集, 5(2014)
4)
中島沙知 他, 第 34 回キャピラリー電気泳動シン
ポジウム要旨集, 41(2014)
5)
林拓実 他, 第 34 回キャピラリー電気泳動シンポ
ジウム要旨集, 51(2014)
6)
本田進, 寺部茂 編, キャピラリー電気泳動(1995)
7)
中島沙知 他, Separation Sciences 2012 講演要旨
8)
菊池新, Dr.菊池の金属アレルギー診察室(2012)
集, 42(2012)
東レリサーチセンター
The TRC Journal 2015 年 10 月号
・3