David Sylvianに伴う詩情性について

西暦 2015 年 08 月 30 日
ダレナン博士の研究所
研究報告書 No.27
題名:David Sylvian に伴う詩情性について
報告者:ゴンベ
この報告書を見る人は間違いなく David Sylvian の何らかのファンに違いないと思う。実は Sylvian 以外
にも優れた詩を書くアーチストは多く存在するが、
ここではあえて David Sylvian に関して考察してみたい。
その理由として、David Sylvian には他のアーチストとは異なる癖のある歌唱法の特徴があるからである。
David Sylvian は英国のケント州ベッケンハイム出身のミュージシャンである
1)
。ソロである David
Sylvian 名義のアルバム(Brilliant Trees)を出す前は、Japan というバンドで活躍していた。その Japan に
は David Slyvian 他、ドラムスとして実弟の Steve Jansen、べーシストとして Mick Karn、キーボーディ
ストとして Richard Barbieri がいた。ギターリストは、後期は流動的ではあり、時に日本人の土屋昌巳もメ
ンバーとして異彩を放っていたことは、日本のファンには周知であろう。
Japan は 1974 年に結成され、その当時は後期グラムロックとして活動していたが、1982 年の解散前
にはニュー・ロマンティックとして骨太ロック的な感じと異なる曲を創作し、ヨーロッパ特有のやや耽美なロ
ックをベースとして活動していた。テクノ色を帯びた「Quiet Life」はその最たるものである。しかしながら、
実質 Japan の最後となるフルアルバムの「ブリキの太鼓」は、東洋調のリズムやメロディを導入し、他の英
国のバンドとは異なる地位を確立できた。その曲の異質性は、David Sylvian の比類なき統合性もあるが、
Steve Jansen や Mick Karn の卓越なる技量に追うところも非常に多かった。Japan の解散の背景には、
Sylvian と Karn の確執もあるが 2)、Sylvian と Karn には単なるバンドとしての Japan の活動だけではな
い芸術家側面の人知れずエゴがその裏にあったと思われる。その Karn は癌によって 2011 年に生涯を終え
たが、ジャンルは異なるものの、革新的べーシストとして名高い Jaco Pastorius 以降、類を見ないロックべ
ーシストとして慕う人も少なくはない。音符は読めなかったことが彼の弱点であったらしいが、フレットベー
スを自在に操るその独特の演奏法に独自の美学が貫かれていたことは、ファンならば納得いくであろう。日本
のミュージシャンにも彼のファンが多い。
ここで David Sylvian の歌唱法について、その魅力を探ると、彼の歌唱法の特徴は、
「低音を中心に、くぐ
もった感じで」にあり、かなり癖がある。Bryan Ferry にも影響を受けたと思われるが、彼の場合は 20 世紀
最大の神秘思想家と言われる George Gurdjieff にも影響を受け、より内証的である。それゆえ、詩情を第一
とし、それを歌い上げることに最重点が置かれている。その詩情第一主義の萌芽が、Japan 最後のアルバム
の中の「Ghosts」に見てとれる。この「Ghosts」をきっかけに、彼の詩情性が目覚めた。彼のベスト的ア
ルバムである「Victim of Stars」にも「Ghosts」がトップに位置していることからもこのことが分かる。
彼の詩情性が最も如実に表れたアルバムは「Secrets of the Beehive」であろうか。その前のアルバムで
ある「Gone to Earth」でも詩的な情景、例えば「Taking the Veil」を一聴すれば、詩的な情景は目に浮か
びやすいが、アルバム全てに詩情的な一貫性があるのは、
「Secrets of the Beehive」が頂点ではなかろうか。
その後もいくつかの実験的なアルバムもあるが、より詩に傾倒し、詩情だけでなく曲調がうまいぐあいにマッ
チしたのは「Secrets of the Beehive」以外にない。年齢的にもこのアルバム時は 30 歳で、ソロに移行し
てからミュージシャンとして円熟した(自己を確立した)結果が、このアルバムの完成度を高めたのであろう。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/デヴィッド・シルヴィアン (閲覧 2015.8.30)
2) カーン、M: ミック・カーン自伝. 中山美樹(訳). リットーミュージック. 2011.