水を備蓄していたので不便はあまりなかった 震災の翌朝は、帰宅して食

【災害翌日~現在】
●水を備蓄していたので不便はあまりなかった
震災の翌朝は、帰宅して食事をしていつものように床に就きました。夜間勤務がまだ続く
予定でしたから、部屋の片づけやなんかは休みの日にやることにしていました。
水がしばらく止まっていましたけど、マンション 1 階にある水道がちょろちょろと出てい
てくれて、それを汲みに行ったこともありました。でも、いざという時のために飲料水と
トイレの排水用の水を備蓄していましたから、あまり水で苦労したということはないです
ね。
●震災後はガソリンの確保に苦労した
食事はいつも自炊でしたが、米を炊くなどはしないで電子レンジで調理できるような簡単
なものを食べていましたよね。缶詰やレトルト食品は重宝しますよね。
むしろ私はバイクを毎日使っていたので給油にはシビアでした。あれはいつだったか……
夜勤が終わるかという時間に、職場近くのスタンドにタンクローリーが入っているという
情報が入って。帰りにスタンドに寄ったら 40 分くらい待ちましたが満タンに入れられまし
た。あれ以来、バイクのガソリンが 2/3 くらいになると満タンまで入れるようにしています。
●母の出身地が津波の被害に
私は出身が岩手の釜石でして、母親の実家の集落 70 戸くらいが津波で流されて。ニュース
で釜石の映像を見たときは我が目を疑いましたね。小さい頃はあそこに住んでいて見覚え
のある風景でしたから。親戚がひとり亡くなりました。ほかにも親戚がいますから、ある
とき「果物が食べたい」というので缶詰を送ったこともありました。あれだけの被害です
から、親戚にどういう言葉をかけてあげたらいいのか……いまだに分からないですね。