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日本語指示詞の認知的研究--ソ系指示詞における「聞き
手」の位置づけ再考
小川, 典子
言語科学論集 = Papers in linguistic science (2008), 14: 57-88
2008-12
http://dx.doi.org/10.14989/88067
Right
Type
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
日本語指示詞 の認知的研究
- ソ系指 示詞 にお け る 「
聞 き手 」 の位 置 づ け再考- 辛
おがわ U
)りこ
小川 典子
京都大学大学院
nor
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koga
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@gma
i
l
・
c
om
1
.は じめに
私たちは言葉 を用いて他者 と様 々な ものを共有す る。 その中で も指示詞 は、 「
注意 の共有」
とい う機能 に特化 した言語表現である と言 える (
c
f
.
Cl
a
r
k1
9
9
6
′
Di
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e
1
2
0
0
6)
。加 えて、指示
詞 は、話 し言葉 ・書 き言葉 を問わず 、私たちの言語体系の中で常に現れ る、欠 くことのでき
ない ものである。
本稿 では、特に現代 日本語 の指示詞 に焦点 を当て、認知言語学の立場か ら考察す る。 そ し
て、単に指示詞 を分析す るだけではな く、指示詞研 究のあ り方 といった、従来問われ ること
のなかった指示詞 に関す る議論 の背景 について も考察 を行 う。 さらに、発達心理学等の知見
を援用 しなが ら、指示詞研 究の土台 として必要不可欠である 「
指示詞 の本質 とは何か」 を検
討 してい く
。
これ によ り、指示詞研 究のあるべ き姿 を提示す ることも試み る。
本稿 の意図は次の 2点である。1点 目は、 日本語 の指示詞研 究において争点 となってい る
ソ系指示詞 に関 して、特 に 「
聞 き手 」 に注 目して、その意味 ・機能 をボ トムア ップ的に明 ら
かにす ることである。 2 点 目は、従来の指示詞研 究 にお ける言語観や枠組み といった背景的
な部分 を改めて認識 し、指示詞研 究の土台 として必要不可欠である 「
指示詞 の本質 とは何か」
を明確 にす ることである。
2.先行研究
日本語 には、 コ ・ソ ・ア とい う3系列の指示形態素が存在 し、名詞 、形容詞 、副詞 な ど広
く分布 している (
以下、これ ら 3系列の指示形態素 を含む語童 を 「
指示詞」と呼ぶ)
。それ ゆ
え指示音
別こ関す る研究は多岐に渡 り、また数 も多い。本章では、 コ ・ソ ・ア全体 を扱 った従
来の主要 な研究 を個別 に概観 し、それぞれの研究の問題点について も触れ る。 また、 これ ら
を整理す ることによ り、指示詞研究にお ける争点 が ソ系指示詞であることを示す。 さらに、
先行研究 の背景的な部分 に関す る問題 を指摘 し、本研 究の とる立場 を明 らかにす る。
2.
1 主要な指示詞研究
従来の指示詞研究は、大き く 2つのグループに分 ける と整理 しやす い。以下に節 を分 けて
それぞれ のグループについて概観す る。
◎小川典子 、 「日本語指示詞 の認知的研 究 」
『言語科学論集』、第 1
4号 (
2
00
8)、pp.
57
88,
5
8
2
.
1
.
1伝統的指示詞研究
2
.
1
.
1
.
1佐 久間 (
1
9
5
1
)
日本語 の指示詞研 究は、佐久間 (
1
9
5
1
)か ら始まった と言 って も過言ではない。佐久間は、
それ まで主流であった 「
距離 区分説」ではな く、(
1)に示す よ うな、話 し手 (
一人称)、聞き
辛 (
二人称)、それ以外 (
三人称) とい う人称のなわぼ り (
勢力範囲)によって コ ・ソ ・アを
区別す る「
人称 区分説」を採 り、その後の指示詞研究の方向性 を決定づけている。
(
1)
コ :発言者 ・話手の手の とどく範囲にあるものを指す。
ソ :話 し相手の手の とどく範囲、 自由に取れ る区域 内の ものを指す。
ア :コ ・ソの勢力圏外 にあるものを指す。
佐久間は、現場指示 に加 えて、従来ほ とん ど区別 されていなかった文脈指示的用法 を見出
した点で指示詞研 究に大 き く貢献 しているものの、文脈指示 については人称 との関係 を認、
め
るに留まってい ると言 えよ う
。
2
.
1
.
1
.
2久野 (
1
9
7
3
)
文脈指示 に関 して、話 し手 と聞き手の知識 を導入 し、 よ り詳細 に考察 した研 究 としては久
野 (
1
9
7
3)が挙げ られ る。久野は、文脈指示の ソ ・ア系を (
2)の よ うに規定 し、これ によ り
(
3) を説 明す る。
(
2)
ア系列 :その代名詞 の実世界 における指示対象 を、話 し手、聞き手 ともによく知 って
いる場合 にのみ用い られ る。
ソ系列 :話 し手 自身は指示対象 をよく知 っているが、聞 き手が指示対象 をよく知 って
いないだ ろ うと想定 した場合 、あるいは、話 し手 自身が指示対象 をよく知 らない
場合 に用い られ る。
(
久野 1
9
7
3:
1
8
5)
(
3
) A :昨 日山田さん とい う人 に会いま した。 (その/ヰあの )人、道 に迷 っていたので助
けてあげま した
。
B:く
その/浄あの)人、ひげをはや した中年 の人で しょ。
(
i
bi
d.
:1
8
6(
一部抜粋))
(
3
)において ソ系列のみ使用可能 なのは、Aは、Bが 「山田」を知 っているか どうか不確 か
で1、Bも、A の言 う 「
山田」が、Bの知 っている人か ど うか不確かであ ることによるとい う
。
文脈指示 に話 し手 と聞き手の知識 を導入す ることで佐久間 よ りも踏み込んだ研究であると
言 えるが、久野の ソ系列の特徴づ けに対 して、後 に黒 田 (
1
9
7
9)によって反例が指摘 され る2
。
2
.
1
.
1
.
3黒 田 (
1
9
7
9
)
黒田 (
1
9
7
9)は、聞き手がいない言語使用 (
独 り言)において も指示詞 が使 われ得 ること
を考慮 し、「
聞 き手の知識」を含む久野の語用論的規定か らの脱却 を試み る。黒 田は、指示詞
『言語科学論集』 第 1
4号 (
2
0
0
8
) 5
9
の用法 を現場指示 ・文脈指示ではな く、 「
独立的用法 ・照応的用法3」 に分類 し、 (
コ)・ソ ・
アを (
4) の よ うに規定す る。 これ は久野の 「
知 ってい る/知 らない」を 「
直接的知識/概念
的知識」に置 き換 えた ものであ り、独立的 ・照応的用法の両方に当てはまる。 (
5)、 (
6) に例
を挙げる (
黒田 1
9
7
9:
4
7
4
9
)
0
(
4)
ア系 (
およびコ系):対象 を 自分の直接体験的知識 として捉 える。
ソ系 :対象 を概念的に捉 える。
(
5)
a.(
精密検査で発見 された潰癌 について)
一体それ は どんな色 を しているのだ ろ うか。 (
独立的用法)
b.山田さんは 田中先生 とかい う人の ことばか り話 していたけれ ど、その人はそんな
に偉 い人なのだろ うか。 (
照応的用法)
(
6)
a.(
潰癌 による胃の異常感 を覚 えて)
一体 これはいつまで続 くのだ ろ う。 (
独立的用法)4
b.(
執筆 を頼 まれて、書 くことを思いついて)
うん、まあ、あの ことで も書いてみ るか。 (
独立的用法)
C. 今
日山田さんに会 った け ど、あの人 と会 ったのは一体何年ぶ りの ことだろ う。 (
照
応的用法)
(
5) において、話者 は 「
それ/その人」で指 され る対象 を 「
検査で発見 された潰癌/ 山田さ
んが話 していた田中先生」の よ うに、概念的に しか理解 していない。一方 (
6) の 「
これ」、
異常感」、 「
特定の情況や思い出」 を指 してお り、話者 が直接経験
「
あの こと/ あの人 」 は 「
した ものである。
さらに、黒 田は久野の規定に対す る反例 として (
7) を挙げ、 自身 の論で説明 している。
(
ア)
昨 日神 田で火事があった よ。 あの火事の ことだか ら、人が何人 も死んだ と思 うよ。
(
黒田 1
9
7
9
:
5
5)5
(
ア) において、聞き手は神 田の火事 を知 らない。久野の規定では、話 し手 は ソ系列 を使用す
べ きであるが、「
その火事」は明 らかに非文である。一方、黒 田の論では、「
『あの火事の こと
だか ら』 とい う言外 には 『
神 田の火事』 とい う概念 だけか らでは知 り得 ない話 し手の直接的
知識 に基づいて、話 し手が 『人が死んだだろ う』とい う推定を下 してい る意が言外 に含 まれ 」
ると説明 され る。
黒 田は久野の提案 した 「
知識」を、「
直接的知識/概念的知識」として よ り明確 に し、独立
的 ・照応 的用法に対す る統一的説 明を試みている点で評価できる。 問題 と しては、黒 田自身
も認 めているよ うにコ系についてほ とん ど触れ られていないこと、聞き手のいない状況での
指示詞 の用法が基本であ り、対話 にお ける用法は二次的であるとす る考 えが妥 当か とい うこ
とが挙げ られ る6
。
60
2.
1.
1.
4 田窪 ・金水 (
1996)、金水 (
1999)
言語形式の使用法の記述か ら 「
聞き手の知識 」 を排 除す る とい う黒 田の考えを さらに発展
させた研 究 と しては、田窪 ・金氷 (
1
996)、金水 (
1
999)が挙 げ られ る7
。 メンタル ・スペー
ス理論 を対話的談話 に拡張 した動的な談話理論 (
談話管理理論) を基盤 に、指示詞 を記述 し
た研究である8
。
田窪 ・金氷 は話 し手の心的領域 (
≒知識) を二分割 し、それぞれの知識 を格納す る領域 を
D一
領域 (
長期記憶 とリンクされ る)、I
一
領域 (
一時的作業領域 とリンクされ る) と名づ けてい
る9。 (
8) は談話管理理論 にお けるア ・ソ系列の規定であ り、 これ によって (
9) ∼ (
ll) が
説明 され る。
(
8)
ア系列 :D一
領域 を探索範囲 として、指示対象 を検索せ よとい う標識o (
基本的に直示
で、現場 、記憶 の中の直接指示で きる要素 とリンク され る。談話 の中で呈示 され
た属性以外の属性 がアクセス可能。)
ソ系列 :Ⅰ
一
領域 を探索範囲 として、指示対象 を検索せ よとい う標識。(
基本的に談話 の
中で呈示 され、一時的記憶領域の要素 と リンクされ る。 アクセス され る属性 は、
談話 の中で呈示 された もの、お よび、それ に 自明な推論 を経て得 られ る属性 のみ。)
(
9)
A :こん ど、新 しい先生が くるそ うよ。
B:く
その/キあの)先生、独身 ?
(
10)
(
金水 1
999:7
5)
その人な ら知 っています。 (
その人/?あの人 )
、花子 さん と見合 い した人で しょう。
(
田窪 ・金水 1
996:
70)
(
ll) その人 な ら知 っています。 (
あの人/?その人)-んな人ですね。
(
i
b
i
d.
)
(
9B) でア系列が使 えないのは直接経験 がないためである。 また、 (
10)、 (
ll) では同 じ要
素を ソ ・ア系列 どち らの指示詞で も指す ことが可能であるが、 これ も 「
談話 中でのみ呈示 さ
れた属性 に言及す るときは ソ系列の指示詞 を使 い、記憶や現場で成立 している属性 にア クセ
スす る場合 は、ア系列の指示詞が用い られ る」とい うよ うに、や は り (
8) の規定で説 明でき
るとい う1
0。
田窪 ・金氷 は直示用法 と文脈照応 について統一的な説 明を試みている点で評価で きるが、
庵 (
2007:3337)が指摘す るよ うに、談話管理理論 では文脈指示 におけるソ系-ア系の対立
を上手 く説 明で きるものの、 コ系- ソ系の対立に対 しては有力ではない ことが問題 として挙
げ られ る11。
2.
1.
2 個別的な研究
2.
1.
1節で挙 げた研究は、 (
現在主流 をな しているよ うに見 える)一つの流れ として捉 え ら
れ る。ここでは、それ とは異なる方向性 を提示 してい る研 究 として、阪 田 (
1
971)、李 (
2002)
を概観す る。
『言語科学論集 』 第 1
4号
(
2
0
0
8
) 61
2.
1.
2
.
1阪 田 (
1
9
7
1
)
阪田 (
1
971)は、佐久間の 「
話 し手のなわぼ り」「
聞き手のなわぼ り」に加 え、両者 が対立
しない 「
われわれ のなわぼ り」を提案 し、話 し手が認識す る領域 を以下の二種類 に分 ける。
(
A)
話 し手 自身 を中心 と して考 え、話 し手 自身の領域 の中にあるもの と外 にあるものに分
ける。
コ系 :空間的 ・心理的に身近 な もの (自己の領域 内の もの)
ソ系 :自己の領域外の もの
ア系 :(
外 に表れていない)話 し手の意識 の中にあるもの
(
ち)
話 し手は聞 き手 をも自分の領域 内に包み込んで、 「
われわれ」 とい う一つの領域 をつ
くる。
コ系 :「
われわれ 」 の領域 内に属す るもの
ソ系 :「
われわれ 」 の領域外 の もので、比較的近 い もの
ア系 :「
われわれ 」 の領域外 の もので、遠 く離れた もの
A) についてであるが、現場指示の場合 、話 し手 と相手が対面 してい る状況 におい
まず (
て、話 し手の領域外 と認 めるものは相手 によ り近 い ものであ り、「
聞 き手のなわぼ り」に属す
るため、ソ系で指示 され る。文脈指示の場合 、さらに 「
対話」と 「
文章」に下位分類 され る。
「
対話 」 では、話 し手の発言内容 は 自分の領域 内 として コ系で、相手の発言内容は 自分 の領
域外 として ソ系で指示す る。一方 「
文章」では、先行 の叙述 内容 を主体的に捉 えた場合 は 自
分の領域 内 として コ系で、客観的に捉 えた場合 は領域外 として ソ系で指示す ると阪 田は説 明
す る。ア系については、「
過去 を思い出 して語 るよ うな場合に用い られ」、「
主観 の色合 いを重
加す る」 としている。
次は (
ち) である。現場指示 は (
ち) の規定の通 りである。文脈指示では、話 し手、聞 き手
は共通の話題 を通常 ソ系で指示す るが、主体的な意識 で 「
われわれ 」 の身近 な もの と捉 える
場合 には コ系が使 われ、特 にその話題 が両者 の共通 の知識 であれ ばア系が用い られ る と阪 田
は説 明す る。
阪 田の論 は、2.
1.
1節で見た先行研究 よ りも現場指示や文脈指示 を無理 な く説 明 してい る点
で評価 で きる。問題 としては、 (
A) の規定には話 し手に加 えて聞き手がい る場合 といない場
合の二種類が含 まれているにも関わ らず、前者 しか考察 していない ことや 、 (
A) のア系は現
場指示、文脈指示 と別扱 い している一方 、 (
B) のア系は文脈指示 に含 めているな ど、細 かい
疑問点が残 ることが挙げ られ る。
2.
1
.
2
.
2李 (
2
0
0
2
)
阪 田の研究 を発展 させた研 究 として、李
(
2
0
0
2
)が挙げ られ る。李は、まず指示対象 をめ
ぐる話 し手 と聞 き手の関係 において、話 し手が聞 き手の視点を どう参照す るかによって、両
者 の関係 を (
12) の よ うに整理す る12 さらに従来の現場指示 ・文脈指示ではな く、 「
知覚対
。
象指示 ・観念対象指示」 とい う分類 を採用 してい る1
3。
(
12) の規定 とコ ・ソ ・アの関係 は図
6
2
1に図示 され る14。
(
1
2) 対立関係 :聞き手の視点 を外在的に対立 させ る
融合関係 :聞き手の視点が話 し手に内面化 され、同一化 され る
中立関係 :聞き手の視点 を同一化 も対立化 も しない
中立関係
)
(
「ソ」
知覚指示
融合関係
観念指示
)
(
「コ ・ア」
対立関係
(
「コ ・ソ」
)
両方か ら遠 い対象 (「
ア」
)
②
両方に近い対象 (「
コ」)
③
聞き手 に近い対象 (
「ソ」
)
④
話 し手に近い対象 (「
コ」)
⑤
図1(
c
f
.李 200
2:
7
6
′1
0
31
0
4)
李の分類 は、実際には図 1よ りも詳細であるため、 ここでは従来の研究には見 られない主
張のみ を指摘す るに留めることとす る。
李は観念指示の ソ系に、従来指摘 されているよ うな聞き手が優位 に関わるもの (
図 1の④)
があることを認 めつつ、聞き手では説明がつかない、 ソ系が話 し手 自らの発言 を承 ける例の
位置づ けを試みている。 この場合、話 し手 と聞き手は情報 をめ ぐる共有関係 において対等で
あることか ら、李は図 1の① の 「
中立関係 」 の ソ系 を認 めるに至 る。そ して、この よ うな例
と平行的な関係 にあるもの として、知覚指示の 「(
タクシーの客が運転手に)そこ の角 を曲が
って くだ さい」 といった例 を挙げている。 この よ うな例 において ソ系を用いるのは、聞 き手
に近 い とい う理 由ではな く、話 し手 と聞 き手の双方が優位 に関わ り得ない 「
中正 ・中立の領
域 」 だか らである と李 は説 明す る。
李の研究は、従来の研究に比べて ソ系 を積極的に位置づ けてい る点で評価 できるが、問題
点 としては分類 に終始 してい る感 が否 めない ことと、指示詞 に中心的な用法、周辺的な用法
があることを指摘 しているものの、その関係が明確 ではない とい うことが挙げ られ る。
2.
2 争点の整理
前節 で概観 した よ うに、従来の研究はそれぞれ指示詞 の規定に大きな差が見 られ る。少 な
くとも、コ ・ア系については、現場指示 ・非現場指示 (
文脈指示 を含む)の両方 において 「
話
し手の領域/話 し手の近 く」、 「
話 し手の領域外/話 し手か ら遠 い」 とい う基本的な規定が多
くの研 究者 に受 け入れ られているが、 ソ系については、その意味 ・機能の規定に 「
聞き手 」
を含 めるか否かで末だ見解 が一致 していない と言 える。
先 に見た先行研 究 と照 らし合わせ ると、佐久間 (
1
9
51)、久野 (
1
97
3)は一貫 して ソ系を 「
聞
き手」 と結びつ けて説明す る一方、黒 田 (
1
97
9)、田窪 ・金水 (
1
9
96)、金水 (
1
999) は、 ソ
系、ひいては指示詞の意味規定か ら 「
聞き手」を排除 しよ うと試みている。阪 田 (
1
971)、李
『言語科学論集』第 1
4号 (
2008) 63
(
200
2)は、話 し手の捉 え方にい くつかの型 を認 めることで、「
聞 き手」が関係す るもの とそ
うでない ものがあることを説 明す る、いわば折衷案 と言 える。 この中では、阪 田、李の論が
最 も無理 な く現場指示 ・文脈指示 を統一的に説明す ることができるが、なぜ 「
聞き手 」 が関
わ るもの とそ うでない ものに同 じソ系が用 い られ るのかが説 明で きない とい う問題 が残 る。
ソ系の扱 いについては、金水 ・田窪 (
1
99
2:1
8
41
8
5) が指示詞 に関す る解決 され るべ き問
題 として指摘 しているが (
13)、現時点において もこの問題 が解決 されてい るとは言 い難 い。
(
1
3) a.現場指示 にお ける、ツ系列の位置づ け。ことに、人称 区分 と距離 区分の統一的説 明o
b.文脈指示 にお ける、各系列 の位置づ け。 ことに、聞き手の知識 との関連 において。
C.現場指示 と文脈指示の統一的説 明。
本研 究では以上の よ うな指示詞研究の現状 を踏 まえ、 ソ系指示詞 の本質 を明確 に し、特徴
づ けることが現段階で最 も必要である と考 える。そ して、そ うす ることによって ソ系だけで
な く、 コ ・ソ ・ア全体の現場指示 と文脈指示の統一的説明-の道 が拓 けるもの と考 える。
2.
3先行研究の背景 とその問題点
2.
1節 において主要な研 究を概観 し、問題点 を指摘 したが、個 々の研究が抱 える問題 とは別
に、指示詞研 究全体に も本質的な問題 があるよ うに思われ る。 それ は、言語体系の中に指示
詞 が位置づけ られてお らず 、また、指示詞 の本質 とは何かが不明であるとい うことである。
これ までの指示詞研究において、個 々の研究が指示詞 の本質 を どの よ うに捉 え、記述 ・説
明 してい るのか といった基本的な立場が議論の対象 となることは稀であ り、背景化 され てき
た。 しか し、指示詞 の本質 を どのよ うに捉 えるか とい うことは、何 を記述 ・説明の中心に据
えるかに影響 を与 える重要な点である。
先 に概観 した先行研究について言 えば、指示詞 に対す る考 え方 によ り、2つに大別で きる。
1つは佐久間 (
1
9
51)、阪 田 (
1
971)、久野 (
1
97
3)、李 (
20
0
2) を含 む コ ミュニケー シ ョン的
側面を指示詞の本質的な意味 として組み込んでい る研究であ り、も う 1つは黒 田 (
1
97
9)、田
窪 ・金水 (
1
9
96)、金 氷 (
1
99
9)を含む指示詞 の機能 にお けるコ ミュニケー シ ョン的な側面 を
二次的な もの と考 え、その よ うな面 と指示詞 の機能 を別々に記述 しよ うとす る研究である。
本研究 を先 に分 けた 2つの研究 に位置づ けるとすれば、前者 に含 まれ る。つま り、 コ ミュ
ニケーシ ョン的側面が指示詞 を考 える上で必要不可欠 なものだ と考 えるのである。後者 が依
拠す る枠組みにおいて、 コ ミュニケー シ ョン的な側面は語用論的な もの と して指示詞本来の
機能 とは別の もの として考 え られている。 これ は以下の引用か らも明 らかである。
(
14) 使用の際に現れ る、話 し手の聞き手の知識-の配慮は、すべて語用論的な計算の効果
によると考 え られ る。
(
田窪 ・金水 1
9
96:
7
2)
ここでは、指示詞の機能 は語用論的側面 とは分離できるとい うことが暗黙の前提 とされ てい
る。 しか し、 この よ うな立場 に対 しては、意味 ・機能の基盤 は使用 にあるとす る立場 か らの
批判 もあ る (
La
nga
c
ke
r(
1
987)、山梨 (
20
00)等)
。本研 究で もこの批判 を支持 し、黒 田、
6
4
田窪 ・金水 らの研究 とは立場 を異にす る。
先に も述べた通 り、本研究はコミュニケーシ ョン的側面 を指示詞の本質的な意味に組み込
1
9
51)、阪田 (
1
971)、久野 (
1
97
3)、李 (
20
02) の研究 と軌 を一にす るが、
んでい る佐久間 (
これ ら従来の枠組みは用いない。指示詞 は他者 とのコ ミュニケーシ ョンだけでな く、知覚、
記憶、身体性 な どとも密接 に関係す る非常に多面的なものである (
これは指示詞 に限 らず、
言語全般 についても同様 に言 えることである)
。これ らは全て言語の意味に関わることであ り、
これ らの側面 を総合 して見ていかなければ指示詞 の本質的な意味 ・機能 を記述 ・説 明す るこ
とはできない と考えるか らである。本研究は、 このよ うな立場か ら指示詞が関わる様々な側
面 との関係 において指示詞 を捉 え、 さらに言語現象の一部 として指示詞 を位置づけ、他の言
語現象 と指示詞が どのよ うな関係 にあるのかを示す ことを 目標 としている。 このよ うな包括
的な視点か ら指示詞 を扱 うには、従来の枠組みでは限界があると言わ ざるを得ない。従来の
枠組みは狭い意味での言語の記述が中心であ り、言語 の意味に密接に関わる言語外の要素は
付加的な扱いを受けてきた。本研究では、従来の枠組みでは必ず しも重要 な要素 として扱わ
れてこなかった (
狭い意味での)言語以外の要素 も、言語 と同等に重要な価値 を持つ もので
あると考 える。 このよ うに、言語 をそれが使用 され る環境の中に位置づけ、総体的に扱 うこ
とのできる枠組み として認知言語学の枠組みを提示 し、指示詞 を記述 ・分析 してい く。
3
.理論的枠組み
3.
1理論的枠組みの導入
前章で概観 した黒 田 (
1
97
9)、田窪 ・金水 (
1
996)、金水 (
1
99
9) が とるアプ ローチは、よ
り一般的に 「
計算主義的」なアプ ローチ として捉 えることができる (
生成文法に代表 され る
このアプ ローチの本質的な問題点については、山梨 (
2000)等を参照)
。
本研 究が依拠す る認知言語学のアプ ローチは、計算主義的アプ ローチ とは対照的に、コミ
ュニケー シ ョンこそが言語の第一義的な役割であると考え、いわゆる言語能力に関わる知識
は人間の一般的な認知能力の発現であるとい う視点に立つoまた、生成文法が 「
余分なもの」
として扱 う狭い意味での言語外的な要素 (
文脈、場面、使用者な ど)は、言語 と不可分な関
係 を持つ もの として捉 え られ る。 したがって、意味論 と語用論は密接に相互作用 しなが ら協
La
nga
c
ke
r1
987
′1
9
91
′
同 して働 くものであ り、明確 に分離 され るものではない と考 える (
20
08)
。
3
.
2指示詞 の認知的基盤
指示詞 の記述に関 しては、これまでの数多 くの研究による蓄積が認 め られ る。しか し、(
1
3C
)
に示 された指示詞の統-的説明に関す る問題 を解決す るために現段階で必要なのは、引き続
き指示詞 の記述 を行 うと同時に、その説明について さらに議論す ることであると本研究は考
える。そ して、従来の研究ではあま り重視 されて こなかった 「
指示詞の本質 とは何であるか」
とい うことが、指示詞に対す る説明の前提 となる部分であ り、同様に議論 されなければな ら
ない点であると考える15
。
先に導入 した認知言語学の枠組みに基づいて指示詞 を扱 っている研究 として、高橋 (
200
4)、
『言語科学論集』第 1
4号 (
2008) 6
5
新村 ・ハヤ シ (
200
8)等が挙げ られ るが、 どち らも指示詞 が 「
指 し示す 」 ものである とい う
ことを前提 に議論 を進 めてお り、や は り 「
指示詞 の本質 とは何 であるか」 とい う根本 的な問
題 についての検討 は不十分である。加 えて、認知言語学にお ける指示詞研 究は英語が 中心 と
なってお り、 日本語指示詞 の分析 はほ とん ど手付かずの状態 にある。
3
.
2.
1 「
指 し示す」 とい うこと
認知言語学の枠組み に基づ く指示詞研 究だけでな く、
従来の多 くの指示詞研究 において も、
指示詞 は単純 に 「
指 し示す」 もの とされ て きた。本節 ではこの 「
指 し示す」行為が どの よ う
な状況下で何 のために行われ るのか とい う点か ら指示詞 を捉 え直 してみたい。
「
指 し示す」 とい うことを考 えるとき、まず考 えなければな らないのはコ ミュニケー シ ョ
ンの場面である。子供 の発達過程 を見 る と、言語以前 に指差 しや視線 による 「
指 し示 し」が
行われてお り、言語 を学ぶにつれて、言語 による 「
指 し示 し」が行われ るよ うになる。 「
指し
示 し」 とい う行為は、相手が存在 して初 めて行 われ るものなのである。 コ ミュニケー シ ョン
の場 を考慮 に入れず に指示詞 の本質的な意味を記述す ることな ど不可能である。 よって、指
示詞 の意味 ・
機能か らコ ミュニケーシ ョン的な側面 を分離す る黒 田 (
1
979)
や 田窪 ・
金水 (
1
9
96)、
金水 (
1
999) な どのアプ ローチは指示詞 の機能の重要 な部分 を捉 えそ こな う危険性 を孝 んで
いる と言わ ざるを得ない。
本研 究では 「
指 し示す」 とい うことを考 えるにあたって、共同注意 (
j
oi
ntat
t
e
nt
i
on)の概
念 を取 り入れ、指示詞 の捉 え直 しを試み る。 なお、共同注意の概念 を指示詞 に取 り入れた研
究 としては Di
es
s
e
l(
200
6) が挙げ られ るが 、Di
e
s
s
e
lは共 同注意の概念が指示詞以外 の言語
現象 において も観察 され る点については認 めているものの、指示詞以外の具体的な事例 につ
いての記述 は行 っていな い
。
本研究では共 同注意 の関わるほかの事例 も含む よ り広 い言語現
象の一部 として指示詞 を位置づ け、分析 を行 ってい く。
3
.
2.
2共 同注意
共同注意 とは、主に発達心理学や認寓】
心理学で研究 されてお り、言語獲得 とも非常に関連
が深い とされ る現象である (
c
f
.
Tbma
s
e
l
l
o1
999、大薮 200
4)16
。
共同注意が発現す るのは生後 9か月か ら 1
2か月 ごろである。それ以前は対人、あるいは対
物 とい う二項的であった関係 が、ある時期 か ら、主体である子供 と物体、そ して人 との関わ
り合い とい う三項的な関係- と発達す る。 そ こか ら生 じるのが、子供 と大人 と、両者 が注意
を向ける物体 ない し事象 とで構成 され る指示 の三角形 であ り、 これ が 「
共 同注意」 であ る
(
Tomas
e
l
l
o1
9
99)
。Tomas
e
l
l
oによると、子供が このよ うな共同注意的な相互交渉 を始 める
のは、他者 を 自分 と同 じよ うに意図を持つ主体であると理解 しは じめるときである とい う。
この よ うな共同注意 の発現 とほぼ同時期 に、子供 は指差 しな どによって能動的にある対象
に大人の注意 と行動 を向けよ うとし始 める。 この指差 しは、相手 に働 きかけることによって
対象物 を手に入れ よ うとす る 「
命令的 (
i
mpe
r
at
i
ve)」なもの と、相手 との注意 の共有それ 自
体を求 め る 「
叙述的 (
de
c
l
a
r
a
t
i
ve)」 な ものの二種類 に分 け られ る。
66
3.
2.
3共同注意 と言語表現
共同注意が言語 に関わる側面について言 えば、
子供は共同注意の助けを借 りて言語 を学び、
指差 しや視線 によって共同注意 を確立 させ るだけでな く、言語 によって も能動的に共同注意
を得 ることを学んでい く。Di
es
s
e
l(
20
06)によれば、共同注意 を協調 させ るのに用い られ る
言語的手段 として、指示詞 は どこの機能 と密接 に結びついてい るものはない とい う (
i
b
i
d.
:
46
9)
。本研究は Di
e
s
s
e
lの主張を支持 し、共同注意 を指示詞の認知的基盤 であると同時に指
示詞 の機能 とも密接に関係す るもの として位置づける。
しか し、共同注意 を成立 させ るとい う機能は指示詞だけが持 っているのではな く、指示表
覗 (
r
e
f
e
r
e
nt
i
le
a
xpr
e
s
s
i
on)一般が持つ ものである。 この指示表現には、代名詞、指示詞 、
Cha
f
e1
99
4)
。指示詞 と
固有名詞 、定冠詞や指示詞や修飾語付 きの普通名詞 な どが含 まれ る (
その他の指示表現の違いは、指示対象の同定 とい う聞き手が関わる側面に注 目す ると、本研
究では次のよ うに捉 え られ る。例 えば、ド
(
主 聖杢/三並 )一 日だけ貸 して くれない ?」 とい
本」 とい う普通名詞 によ り、現場の状況を見 るな
う発話 を聞いた とき、「
この本 」 の場合、「
どの文脈 によらず とも性質や形状に関 してある程度具体的に概念化す ることが可能である。
一方、「
これ」の場合、示 され るのは 「
話 し手の近 く」といった意味だけであ り、この表現が
指示す る具体的な概念 を喚起す ることは発話の現場 とい う文脈の助けな しには不可能である。
その結果、聞き手の注意は指示対象に対 してよ り強 く向け られ ることとなる。 このことか ら
も、指示詞が共同注意 と密接 に結びついた ものであることが分かる。
3.
3本研究における指示詞の特徴づけ
以上で示 した見解 を総合 し、本研究では指示詞の機能 を以下のよ うに規定す る。
(
15) 指示詞の機能 :
話 し手が既 に注意 を向けている対象に、聞き手の注意 を向ける (
-共同注意 を成立 さ
せ る)ための指令であると同時に、その対象に対す る話 し手の物理的 ・心的距離 を伝
ただ し、指示対象の候補が多い視覚的な対象の場合、指差 し、視線等 も必要
える17。 (
となる。)
(
15) は、指示詞一般 に共通す る機能である (
コ ・ソ ・アそれぞれについて さらに詳細 に
15) に示 した指示詞の機能は、簡略
規定す る必要があるが、 この点は今後の課題 とす る) (
。
化 した Cur
r
e
ntDi
s
c
our
s
eSpac
e(
cos;
La
ngac
ke
r2001)を用いて以下のよ うに図示できる。
図2
『言語科学論集』第 1
4号 (
2
0
0
8
) 6
7
指示詞 はマイナ ス ・フ レー ム (
図 2の左側 の四角) と焦点 フ レー ム (
右側 の太線 の四角)の
関係 で捉 え られ る。図 2において、話 し手 (
S)と聞 き手 (
H)か ら対象 に向か う破線矢印 と、
両者 の間の破線矢印は、矢印の向か う方 向に参与者 の注意 が向いてい る とい うことを示 して
い る。 マイナ ス ・フ レー ム、焦点 フ レー ムにお ける対象 (
○で示 されてい る) 間の点線 は、
その同一性 を示 してい る。 図 2には、指示詞 が、話 し手 のみが注意 を向けていた対象 に聞 き
手の注意 を向け させ る とい う機能 を持つ ものであるこ とが示 され ている。
さらに、従来 の多 くの研 究では明確 に規定 され ていない 「
指示性 」 については、本研 究で
(
は以下の よ うに規定す る。 「
指示」 とい う行為 を聞き手の存在 を前提 と して初 めて行 われ る
ものである と捉 えるため、本研 究で は指示性その ものに話 し手 、聞 き手の存在 を認 め る。)
。
(
16) 指示性 :
話 し手が どの程度 、聞き手 の注意 をある対象 に向け よ うとしてい るかの度合 い。
次章では、以上 に示 した本研 究の言語観 と指示詞 の特徴づ けを土台に し、 日本語 にお ける
指示詞研 究の最大の争点である ソ系指示詞 に焦点 を当てた分析 を行 う。
4
.事例分析 Ⅰ
第 2章 にお いて、 日本語 の指示詞研 究にお ける最大の争点 が ソ系指示詞 であ るこ とを既 に
指摘 した。本章では、特 に 「
そんなに」 とい う表現 に焦点 を当て、 ソ系指示詞 の指示対象 に
どの よ うな ものがあ るのか を分類 し、その意味 を探 ってい く。
4.
1考察対象
具体的 な分類 ・分析 に入 る前 に、本稿 において 「
そんなに」 とい う表現 に焦点 を当てて考
察 を進 め る理 由を ここで明 らかに してお く。
コ ・ソ ・ア とい う指示形態素は、現代 日本語 において単独 では用い られ ない。 そのため、
指示詞 を研 究す る際、指示詞 を含んだ様 々な表現か らコ ・ソ ・アそれぞれ の系列 の指示詞 の
意味 を抽 出す る とい うことが行 われ る。 しか し、表現形式 を限定せず に コ ・ソ ・ア全体の事
例 を観 察す る場合 、性質 が均質でない もの を比較せ ざるを得ず 、その比較 が困難 かつ妥 当性
を欠 くものにな る可能性 が ある。 また、必要以上 に意味 を抽象化 して しま う恐れ もある。本
研 究では この よ うな事態 を避 け、 ソ系指示詞 の意味 をボ トムア ップ的 に明 らかにす るため、
扱 う形式 を限定す る。
さらに 、「(こ/ そ/ あ)んなに」 とい う形式 を選択 した理 由は次の 2点で ある。
てこ/そ/ あ)んなに」 が程度評価 を表す とい
まず 1点 目は、後続す る品詞 に関わ らず 、「
う理 由で ある18。 これ が 「(こ/そ/ あ)んなに」か ら 「
に」 を除いた 「(こ/そ/ あ)んな」
になる と、 (
17) に示す よ うに 、「
(こ/ そ/ あ)んなに」 ほ ど均質 ではな くな る。
(
1
7
) a.(こ/そ/ あ)んな本 は読む な。 (
「ものの属性 」 (
高橋 1
9
9
0
)
)
b.(こ/そ/ あ)ん なひ どい こ とを言 われ た ら、泣 いて しま う。 (ものの属性 、程度評
6
8
価)
C.この本は (こ/そ/ あ)んな高 くないよ。 (
「
てこ/そ/あ)んなに」 の縮約 ?)
本稿では議論の簡略化のため、少な くとも後続す る語童に関す る程度評価 とい う点において
は共通 している 「
(こ/そ/ あ〉んなに」 とい う表現に注 目す る19
。
2 点 目として、語法研究的な貢献が見込めることが挙げ られ る。 「
(こ/そ/ あ)んなに」
の うち ソ系指示詞 を含む 「
そんなに」 は、否定を伴 うと指示性 が喪失す るとい う指摘がな さ
9
9
2、林 1
9
9
9)、例外 として位置づけ られ るに留ま り、考察の対象 と
れているものの (
井上 1
されて こなかった。 当然、指示性のある 「
そんなに」 との関係 は明 らかにされていない。本
研究はこのよ うな 「
指示性 の喪失 」が関わる 「
そんなに」 を例外 として考察の対象外 とす る
のではな く、指示性のある 「
そんなに」 との関係 を明 らかにす ることを試み る。
以上の理 由か ら、本稿では 「
そんなに」 に焦点 を絞 って考察 してい く 先に述べた 「
指示
。
性 の喪失」について補足 してお くと、これは 「
そんなに」に限って見 られ る現象ではない。
指示対象が不明な例は、ソ系指示詞全般 に見 られ るものである (
「さほ ど」「
三並 行 け !」「
三
並 見ろ」等)
。よって、「
指示性の喪失」は単なる例外 として片付 け られ るべ きものではな く、
ソ系指示詞の全体像 を明 らかにす る上で避 けては通れない問題であると言 える。本研究は、
指示詞研究の争点 となっているソ系指示詞の意味 ・機能を明 らかにす るために、「
指示性 を喪
失 」 した ソ系指示詞の内実を明 らかにす る必要があると考 える。 このよ うな観点に立っ と、
「
そんなに」の分析は、単なる語法研究に留まるものではな く、「
指示性 を喪失」した ソ系指
示詞 の事例研究 として位置づけることができる。
4.
2 従来の説明 とその問題点
指示詞の観点か らの研究 としては、否定を伴わない 「
こ (
そ ・あ)んなに」 を考察 してい
1
9
9
2)が挙げ られ る。 ここでは 「
そんなに」に関す る議論 を概観す る。
る井上 (
井上は (
1
8
)の制約 を設定 し、(
1
9)の容認度の差を説明す る。
(
18)
「ソンナニ」が 「
聞き手が関与す る事態 」 を指示す る場合、 「ソンナニ」 によって提
示 され る情報 は 「
聞き手が知 っている」「
聞き手によって提供 された」情報でなけれ
ばな らない。
(
i
b
i
d.
:
20)
(
1
9) a.君、食べ るのが遅いなあoそんなに遅い と置いてい くぞ。
b.君、シャツは汚 していない と言 ってたけれ ど、そんなに汚れている じゃないか。
c
f
.君は食べ るのが遅いんだ よ。)
C
.
?
?
君は食べ るのがそんなに遅いんだ よ。 (
d.
?
?
君、そんなにシャツが汚れているよ。 (
c
f
.君、シャツが汚れているよ。)
(
i
bi
d.
:1
920)
井上の説 明によると、 (
1
9a
′b) が 自然なのは
「
『現在聞き手が食べ るのが遅い/現在聞き手
のシャツがかな り汚れている』 とい う聞き手が関与す る一回的 ・個別的な事態に関す る情報
が聞き手によって (
意図的 ・非意図的に)提示 されてお り、話 し手はその情報 を受信 し、 自
『言語科学論集』第 1
4号 (
2
0
0
8) 6
9
分の情報 とした上で 「ソンナニ」で指示 している」 (
i
bi
d.
:
20) ためである。-方 (
1
9C
′d)が
不 自然 なのは、「
終助詞 『ヨ』が用い られ ていることか らもわか るよ うに、基本的に、聞き手
が関与す る事態の程度 を 『ソンナニ』で指示 して聞き手 に知 らせ るとい う文」(
i
bi
d.
)であ り、
(
18) に違反す るためである と説 明す る。
井上の問題点 としては、(
i
)いわゆる現場指示の例 しか考察 していない、(
i
i
)「聞き手が関
与す る事態 」 とは言 えないよ うな状況 において使 われ る 「
そんなに」ついては何 も述べてい
ない、(
i
i
i
)そ もそ も 「
聞き手の関与」 とい う用語 は、聞き手が具体的に どの よ うな形 で指示
詞 の選択 に影響 を与 えているかが明確 ではな く、何 らかの形 で聞き手がその場面、状況、文
脈 に参与 していれ ば全て 「
聞き手の関与」 と言 えて しま う、 とい う3点が挙 げ られ る。 とり
わけ (
i
i
i
) については、
(
2
0
) 聞き手の関与 :
(
現場指示であれ文脈指示であれ)話者だけでな く聞き手 も含む両者 を基準 とした位
置関係 の中で指示対象が どこに存在 しているか。
とい う形 で よ り具体的に規定す る必要があ り、以下、本研究で 「
聞き手の関与 」 と言 う場合
は (
2
0)の意味で使用す る。
以上の よ うな問題点は見 られ るものの、井上の主張は指示詞 (
特に ソ系指示詞)の意味規
定にコ ミュニケー シ ョン的側面 を含 める (
つま り指示詞 の意味規定か ら 「
聞き手 」 を排除 し
ない) とい う点で本研究の立場 に合致す るものである。
4
.
3本研究における分類 と分析
本節 では 「
そんなに」の事例 を、「
聞 き手の関与」を軸 として分類 ・
分析 してい く。黒 田 (
1
9
7
9
)
や 田窪 ・金水 (
1
9
9
6
)、金水 (
1
9
9
9)な どの研究が指示詞 (
特 に ソ系指示詞)の意味 ・機能の
規定か ら 「
聞き手 」 とい う概念 を排 除す るのは、彼 らが計算主義的な観点 に立ってい ること
に加 え、いわゆる文脈指示 を説 明す る際に 「
聞き手」 とい う概念が邪魔 にな る場合があると
考 えるためであると言 える。現場指示 において、 ソ系指示詞 と 「
聞き手 」 には密接 な関係 が
認 め られ るものの、文脈指示 (
特 に、聞き手の関わ らない独話例)になるとその関係 は不明
確 なもの とな り、現場指示 と文脈指示 の統一的説 明の際に都合が悪い。 それ ゆえ、指示詞 の
意味 ・機能か ら 「
聞き手」 を排除す るに至 った と考 え られ る。 これ に対 して、本研 究では時
間軸 に沿 った談話の流れの中で情報が共有 されてい く過程 を考慮す ることによ り、 「
聞き手」
とい う概 念 を保持 したままで も現場指示 と文脈指示 の統一的説 明が可能 で あ る ことを示す
(
これ に よって、前節で指摘 した井上の問題点 (
i
)、 (
i
i
) を解決す る)
。
本稿 では対話例 を中心に分析 を進 めるO言語は対人的行為であるコ ミュニケー シ ョンばか
りでな く、個人で達成す る思考の よ うな行為にも用い られ るが、本研 究は これ を言語 の副 次
的な機能 として位置づ けるためである。 さらに、指示詞 を考 える場合 、視線や ジェスチ ャー
といった要素 も含 めて観察できるよ うな資料 を用いるのが理想 であるが、現段階ではそのよ
うな資料 は限 られていて使用が難 しいため、この点については今後の課題 とし、実際の会話
に近い と思われ る ドラマのシナ リオ等 の対話 を中心に使用す ることとす る20。 なお、説 明に
70
際 して、当該のコミュニケーシ ョンに関与 している参与者の うち、「
そんなに」を含む発話 を
した者 を話 し手、それ以外 を聞き手 として言及す る。
4.
3.
1 (
A) 「
聞き手の関与」が明確 なもの
まず、「
そんなに」の指示対象における聞き手の関与が明確 なものか ら見てい く。狭い意味
での言語以外の要素を指す もの と、狭い意味での言語内の要素を指す ものに大別できる。
(
21)の 「
そんなに」は聞き手の 「じっと見ている」様子の程度 を指 してお り、(
22)では、
聞き手の 「
慌てている」様子の程度 を指 している。
(
21) ひまわ り : ち ょっ とッ !
しのぶ :
は、何 ?
ひまわ り : さっきっか らさァ、なんで私の顔 をジ ッと見てるのよ。オカマがそんな
に珍 しいの ?
(
22) 新人 :
(
土曜 ドラマ館 「
ス ッポカ しちまった悲 しみに」)
先輩、そんなに慌てていったい何が起 こったんですか ?
オカマ : 事件 よ、ク レーム対策課始まって以来の大事件。
(
土曜 ドラマ館 「
クレーム対策課 」)
以上の例において、指示対象は先行文脈の中には存在せず、視覚または聴覚な どによって知
覚 され る、発話の現場の中に存在 している聞き手の様子である。仮 に話者 が 目や耳で現場の
状況 を把握できない場合、 「
そんなに」 とい う発話 は不可能であろ う。
次の例を見てみ よ う。
(
23)
[
一郎 と花子は夫婦であるが、兄妹 と偽 って漫才を している。]
一郎 : 兄弟ブームは、あ と 1、2年は続 く その後でカ ミングア ウ トして、今度は
。
夫婦漫才に衣替 えをすればいい。
花子 : そんなに待てないの !
(
24) 兎 :
寅 :
(
土曜 ドラマ館 「うそつ きは漫才のは じま り」)
で、ここは何処 ?
私にもよく分か りませんが、あなたが この車に乗 り込んだ場所か ら、エエ ト、
3
5
0キロ離れた所です。
兎 :
そんなに走ったの ?
寅 :
はい、結構 しぶ とい人達で したか ら。
(
土曜 ドラマ館 「
兎の決断 」)
(
23) における 「
そんなに」 の指示対象は聞き手の 「
1、2 年 」 とい う発話であ り、 (
24) で
は聞き手が述べた距離である。 これ らはいずれ も聞き手の発話 に含 まれ る数量的な面 を程度
として指 した表現である。 これ らの例では指示対象は先行文脈の中に存在 し、例 えば電話で
話 しているな ど、話者が現場の状況を把握できない場合でも指示は可能である。
言い換 えれば、(
21)、(
22)の例では指示対象 は五感 によって直接知覚可能な事象であるの
『言語科学論集』第 14号 (
2008) 71
に対 し、(
23)、(
24)の例 にお ける指示対象は言語 とい う窓意的な記号 を媒介 として話者 の心
の中に喚起 され るイ メー ジである。
ここまで見た事例 は、「
そんなに」の指す情報が狭 い意味での言語 の外部 にあるか内部 にあ
るか とい う違 いはあるものの、 どち らも聞き手の様子や聞き手の発信 した情報 に関わる事象
の程度 を指 してお り、 「
聞き手の関与」が明確である。
次の例は これ までの例 と異な り、一見 した ところ 「
聞き手の関与」は見 られ ない。
(
25)
メニューの (
今夜のスペ シャル) とい うコーナーに、僕はア ンチテーゼの料理 をみ
つ けた。 「ノルマ ンデ ィ一風新鮮 アンチテーゼのガー リック ・ソースかけ」 とある。
「このア ンチテーゼだけ ど、本 当にそんなに新鮮 なんです か ?」 と僕 はメニュー を
に らみなが ら給仕頭 に質問 してみた。
「
ええ、それは も う間違 い ございませ ん」 と給仕頭 はそんな こと訊 かれ て心外 とい
った声で答 えた。
(
村上春樹 ・糸井重里 『夢で会いま しょう』)
(
25) の 「
そんなに」は、メニュー に書かれた 「
新鮮 さ」の程度 を指 してお り、聞き手は関
わ らない よ うに思 える。 しか し、聞き手である給仕頭 は、メニュー を書いた レス トラン側 に
属す る人間である。 レス トランが発信 した情報が、「
僕」によってメ トニ ミ-的に聞き手 (
袷
仕頭)が発信 した情報 として解釈 され、「
そんなに」が間接的に聞き手 によって発信 された情
報 を指 しているのである。 したがって 、 (
25) において も 「
聞 き手の関与」が認 め られ る。
4.
3.
2 (
B) 「
共有」 とい う関与
以上の例は、聞き手の様子や聞き手の発信 した情報 に関わる事象の程度 を指 してお り、「
聞
き手の関与」が比較的明確 に認 め られ るものを指示 していた。 では次の例 は どうだろ うか。
(
26)
[
た こ焼 き屋 で 、A と B がた こ焼 きを食べている。同 じくた こ焼 きを食べている他 の
客が 「ここのた こ焼 き、す ごく美味 しいな あ」 と言 っているのが聞 こえて 、A が Bに
言 う。]
A :そんなに美味 しくない よね - 。
B:うん
-
。
(
26) は作例である。「
そんなに」で指 されているのは、聞 き手の発話で も話 し手の発話で も
な く他 の客の発話 である。「ここのた こ焼 き、す ごく美味 しいね」とい う他 の客の発話 を、聞
き手 も同様 に聞いてい ると話 し手が考 えていることは、話 し手が終助詞 「
ネ」 を用いて聞き
手に同意 を求めていることか ら分か る。
この例 は、話 し手 と聞き手に 「
共有 」 されてい る情報 を指 しているとい う点で 「
聞き手の
関与」が認 め られ る。 しか し、聞き手 に付随す る様子や聞き手によって発信 された情報 に関
わ る事象の程度 を指す ものであった (
21) ∼ (
25) に比べ る と (
26) には聞き手の積極的な
関与は認 め られ ない。 この点で (
26) は これ までの例 とは異 なるものである と言 える。
次の例 は、黒 田 (
1979) や 田窪 ・金水 (
1996) な どにおいて聞き手が関わ らない とい う点
7
2
で文脈指示の典型であるとされてきた ものに非常に近い例である
。
(
27) おそ らくあのカツはご飯込みの定食で 11
0
0
kc
a
l前後だろ うな。一 日 1
500
kc
a
lだか ら、
一食でそんなに食べた ら残 りは 400
kc
a
lか あ。 あき らめる しかないか。
(
ht
t
p:
/
/
put
i
kur
i
・
wa
yni
f
t
y
・
c
om/
bl
og/
20
07
/
0
4/
pos
L96
42・
ht
ml
)
(
27)の 「
そんなに」は、「こんなに」で置 き換 えることが可能である。「
こんなに」の場合 、
読み手21は 自分の存在 を無視 して独 り言 を言われているよ うな印象 を受 けるのに対 し、「
そん
27)のよ うな例にも聞き手が何
なに」の場合はそのよ うな印象は受けない。このことか ら、(
らかの形で関わっていることが分かる。具体的に言 えば、第一文の発話が終わった時点で読
み手はその内容 を了解 し、発話 内容 にお ける情報 を共有 していると考えることができる (
厳
密 に言 えば、
本研究では談話 における理解 は文単位 ではな くI
nt
ona
t
i
onUni
t
(
I
U;Chaf
e1
9
94)
(
≒節)単位でな されていると考 える)
。そ うす ると 「
そんなに」は既 に読み手に共有 されて
11
0
0
kc
al
」とい う数値 を指 していることにな り、(
27)の 「
そんなに」は (
26)
いる情報である 「
と同様に聞き手 (
読み手)に共有 されている情報 を指 しているとい う点で 「
聞き手の関与」
が認 め られ ると言 える。
4.
3.
3 (
C) その他の例
以上で見た (
21)∼ (
27)の例は、「
そんなに」が指示す るものが発話の現場や先行文脈 に
認 め られ るものな ど一様ではなかったが、全て指示対象が 「
そんなに」を含む発話 に先行 し
て認 め られ るものであった。 しか し以下に挙げる例は、発話の現場 にも先行文脈にも指示対
象が認 め られない。
(
28)
[ヒ トミは妊娠 中。ボ ウヤは ヒ トミのお腹の中にいる赤 ちゃん。 ヒ トミにはボ ウヤの
声は聞こえていない。]
ヒ トミ : は あ、や っ と静かになった。寝 ちゃったかな ?ん一、でも考えてみ ると、
この子、キ ヨシの子供ってい う可能性 もないわけ じゃないのよね。マ、そ
こん とこが救いって言 えば救いかな、ハハハ。
ボ ウヤ : そんな とこに救いを求めて どうすんだ。
ヒ トミ : なんだかんだ言 って も、いいひ とだもんね、キ ヨシは。そ りゃ顔は とりた
ててハ ンサムで もない し、背 もそんなに高 くない し、一流大学出てるわけ
で も、一流企業 に勤めてるわけでもない。 といって、実家が金持 ちって こ
ともない し。
(
土曜 ドラマ館 「
消 し忘れた記憶 」
)
ソ系指示詞は言語的な先行文脈か らフ レーム的知識 と推論によって導入 された対象 を指す こ
99
2、金水 1
9
99)、 (
28) における 「
そんな
とができるとい う指摘がな されているが (
山梨 1
に」 はそのよ うなフ レーム知識 と推論 によって生 じた対象を指 しているのではない。 この例
の 「
そんなに」 が何かを指 しているとす るな らば、それは 「
-股 に 『背が高い』 とされ る男
21)∼ (
27)で見た例 とは異な り、(
28)の 「
そんなに」
性の身長」 といった ものであろ う。 (
『言語科学論集』第 1
4号 (
20
0
8
) 7
3
が指示す るものは発話 の現場 に も先行文脈 にも存在 していない。
次の例 も同様である。
(
2
9
)
我 々が何 もか もをそれぞれ の巨大な穴の中に放 りこんだ ところで、シェフがあい さ
つにや ってきた。非常に満足 した と我 々は彼 に言 った。
「これ だけ召 しあが っていただける と、我 々 と して も作 りがいが ある とい うもので
す 」 とその料理人 は言 った。 「
イ タ リアで もこれだけ召 しあがれ る方はそんなにはい
らっ しゃいませ ん」
「ど うもあ りが とう」 と私 は言 った。
(
村上春樹 『世界の終わ りとハー ドボイル ド・ワンダー ラン ド』)
(
2
8)、(
2
9)は どち らも否定 を伴 うものであ り、従来の研究において 「
指示性 を喪失」 し
た例であるとされてきた ものに当た る と考 えることができる (
井上 1
9
9
2、林 1
9
9
9)
。
4.
3.
4考察
指示 してい る対象が発話 の現場や先行文脈 に認 め られ ない指示性 の低 い (
C) については
ひ とまず保留 とし、 (
A)、 (
ち) を 「
聞き手優位」、 「コンテ クス ト」、 「
共有」 とい う 3つの基
準で整理す る。 まず 、 これ ら 3つの基準について説明す る。
「
聞き手優位」とい う基準は、「
そんなに」が聞き手の様子や聞き手の発信 した情報 に関わ
る事象 (
聞き手優位 の事象)の程度 を指 しているか ど うかを表 してい る。2 つ 目の 「コンテ
クス ト」 とい う基準は、指示対象が発話の現場や先行文脈 といった コンテ クス トに認 め られ
るか ど うかに関わ るものである。最後 に 「
共有 」 とい う基準は、指示対象 が話 し手 と聞き手
に共有 されているか どうかに関わ るものである。なお、「
共有」とい う基準は話 し手 と聞き手
の どち らかが優位 に関わ るものではない もの とす る。それ ゆえ 「
聞き手優位 」基準 と 「
共有」
基準は互 いに排他的なものである。
以上の基準で事例 を整理 した ものが以下の表である
(
○は基準 を満た してい るもの、-は
基準 を満 た していない ものであることを示す)
。
表1
分類
(
A)
(
ち)
(
C)
聞 き手優位
○
-
?
コンテ クス ト
○
○
?
(
A)の事例 は、 どれ も聞 き手 の様子や聞き手の発信 した発話 の内容 、つ ま り 「
聞き手側 の
事象」を指 していると言 える。 (
ち) は言語 内の要素 を指 してい るが 、 (
A) とは異な り、聞き
手が発信 した情報ではない。聞 き手 と話 し手によって指示対象 が共有 され てい る事例である。
「
聞き手優位 」 にせ よ 「
共有」 にせ よ、いずれ に して も聞き手の存在 が 「
そんなに」 とい う
7
4
表現に深 く関わってお り、聞き手 とい う要素 を無視 して これ らの事例 を分析す ることは適切
であるとは思われ ない。
ここで保留に していた (
C) について考 えてみ ると、 (
C) は指示対象が発話 の現場 に も先
行文脈 に も存在せず、指示詞 としては周辺 に位置づ け られ るものである。加 えて、指示詞 と
い う側面 よ りも否定 を緩和す る表現 (
緩和表現) としての側面が強い よ うに思われ る。 この
ことは、辞書や文法書 において 「
そんなに」が 「(
下に打 ち消 しの語 を伴 って)程度 が思 った
ほ どでない さま」(
『大辞林』よ り)と説 明 された り、「
否定を伴 って程度の甚だ しくない こと
を表す」 (
益岡 ・田窪 1
9
9
2)程度副詞 と して分類 された りしていることか らも分か る22。
「
否定を伴 って程度の甚だ しくない ことを表す」とい う意味について さらに言 えば、益岡 ・
田窪 (
1
9
9
2) は 「
あ (
ん)ま り」 もこの意 味を表す として 「
そんなに」 と同様 に分類 してい
る。 (
C)に分類 した 「
そんなに」の事例 は 「
あ (
ん)ま り」で置 き換 えることが可能であ り、
確かに 「
そんなに」と 「
あ (
ん)ま り」は類似 した意味を表 していると考 えることができる。
しか し、形式が異 なれば (
広い意味での)意味 も異なるとい うのが認知言語学 にお ける基
本的テーゼのひ とつであ り (
c
f
.辻 (
編)20
0
2)、 「
そんなに」 と 「
あ (
ん)ま り」 が全 く同
じ意味を表す ものではないことは明 らかである。両者 は非常に類似 した意味を表すが、「
そん
なに」は指示性 が低 いなが らも指示詞 を含むのに対 し、「
あ (
ん)ま り」は指示詞 を含 まない
とい う違いがある。 この違 いが表現の意味に どのよ うに反映 されているのかが分かれ ば、指
示性 の低い (
C)の よ うな 「
そんなに」の性質が明 らかにな るのではないだろ うか。そ して、
これは ソ系指示詞全般 に見 られ る 「
指示性 の喪失 」 とい う現象の内実を明 らかにす る手掛か
りとなるはずである。次章では、「
そんなに」 と 「
あ (
ん)ま り」の比較対照 を通 して 「
そん
なに」、ひいては指示性 の低い、 「
指示性 を喪失 」 した ソ系指示詞 の性質 を探 ってい く。
5
.事例分析 Ⅱ
5.
1 比較対照 と対照分析 の意義
対照分析 を行 う前 に、 「
そんなに」 と 「
あ (
ん)ま り」 とい う表現 について補足 してお く
。
指示性 の低い 「
そんなに」が見 られ るのは否定を伴 う場合 に限 られ ることか ら、本章では
否定 を伴 う 「
そんなに∼ない」 を分析 の対象 とす る。 もちろん、否定を伴 う全ての事例 にお
いて指示性 が低 いわけではない。 これ は、前章で挙げた (
23) の よ うに、否定 を伴 うが指示
性 の高い事例 が見 られた ことか らも確認 され る。 よって、指示性 の低 い 「
そんなに∼ない」
は、否定を伴 う (
指示性 の高い用法 も低 い用法 も全て含 めた)「
そんなに∼ない」全体の中の
一部 として位置づ け られ る。
次に 「
あ (
ん)ま り」について補足 してお く。 「
あんま り」は 「
あま り」に擬音 が添加 され
た形式であるが、本研究では両者 を 「
あんま り」で代表 させ る23 これ は、本章で対照分析
。
を行 うことを考慮す ると、文の容認度 に影響 を与える要因を最小限にす ることが望 ま しいた
めである。「
そんなに」と 「
あんま り」は、音韻的に共通す る部分が多 く類似性 が高い。 さら
に、口語的な表現であることも共通 している。 もちろん、「
あま り」 と 「
あんま り」の意味 ・
機能は等価ではない (
須賀 (
1
99
2)等 を参照)が、 どち らも否定を伴 う程度評価 とい う側面
においてはほぼ等価 であることか ら、本稿では 「
あま り」と 「
あんま り」を特 に区別 しない。
『言語科学論集』 第 1
4号 (
2
0
0
8
) 7
5
さらに、対照分析 を行 う意義 について述べ る。前章で も触れ た よ うに、 「
そんなに∼ない」
と 「
あんま り∼ ない」 は どち らも程度評価 を表す表現 である。(
3
0
)に示す よ うに、 「
そんな
に」で も 「
あんま り」で も意 味はほ とん ど同 じであ ることか ら、両者 が類似 した意味 を表す
こ とが確認 で きる。
(
3
0
) a.(そんなに/ あんま り)美味 しくない。
b.飲み会 で 5
0
0
0円は (そんなに/ あん ま り)安 くない。
しか し、(
3
0
)に 「
私 に とっては美味 しい/学生 に とって」とい う表現 を付加 した (
3
1
)
、(
3
2
)
では一方が不 自然 となってお り、その意 味 ・用法 には違 いがあることが分か るO
(
3
1
) a.そんなに美 味 しくないけ ど、私 に とっては美 味 しい。
b.
?
?あんま り美味 しくないけ ど、私 に とっては美味 しい。
(
3
2) a.学生 に とって、飲み会 で 5
0
0
0円はそんなに安 くない。
b.
?
?
学生 に とって、飲み会 で 5
0
0
0円はあんま り安 くない。
本研 究では、「
そんなに」と 「
あんま り」の違 いが指示詞 を含むか否 かに起因す るものである
と考 える。本章 にお いて 「
そんなに」を単独 で分析す るのではな く、「
あま り」 とい う比較対
象 を設 定 し分析 を行 うのは、「
程度評価 を表す」とい う意 味にお いては類似 しているが、指示
詞 を含むか否 かでは相違す るこれ らの表現 を比較す ることに よ り、指示性 の低 い 「
そんなに」
の性質が よ り明 らか にな る と考 えるためである。
5.
2 従来の説明 とその問題点
「
そんなに∼ ない」 と 「
あんま り∼ない」 を比較 した研 究は見 られ ないが、比較的近 い研
究 として、「
アマ リ∼ナイ」と 「
サホ ド (ソレホ ド)∼ナイ」の比較 を行 ってい る服部 (
1994)
と、否定 を伴 う 「
それ ほ ど (さほ ど)」 につ いて考察 してい る岡崎 (
2
0
0
6
)を概観す る24。
5.
2.
1服部 (
199
4)
服部 は、アマ リ∼ナイ とサ ホ ド (ソレホ ド)∼ナイは、程度 が大 き くない ことを表す とい
う点で共通す るが、その背景 にある関心は以下の よ うな違 いが ある とす る。
(
3
3
) アマ リ Pナイ :
事態 をあ る方 向に向か って計 った値 の大 き さ- の関心が存在す る。(
P が形容詞 な ど
の何 らかの尺度 を反映 した表現である場合 、Pは 「
正方 向」 と捉 え られ る述語 でなけ
れ ばな らない。)
サ ホ ド (ソ レホ ド)Pナ イ :
x は P とい う表現か ら
事態 の程度が ある程度 x に達す ること- の関心が存在す る。 (
自然 に関心が持たれ るよ うな、Pに関 して何 らかの意 味で有意味 な程度 であ り、いわ
76
ば、話 し手、聴 き手 に とり、Pに関 して心理的にな じみがある と感 じられ るよ うな程
度。)
アマ リPナイに関す る制約 について補足 してお くと、尺度 を持つ述語 とは例 えば次に挙 げ る
よ うな ものである ((
34) は容認度判定 も含 めて服部 (
i
bi
d.
:
45) に基づ く)
。
(
34) a
.大きい-小 さい、広い一狭 い、な ど
これはあま り (
大 き くない ・?
小 さくない)
。
彼 はあま り (
背が高 くない ・?
背が低 くない)
。
b.良い-悪い、おい しい、まず い、な ど
これはあま り (
良 くない ・?
悪 くない)
。
この料理 はあま り (
おい しくない ・?まず くない )。
C.難 しい-や さ しい、寒 い一暖かい、な ど
この問題 はあま り (
難 しくない ・易 しくない)
。
この店はあま り (
高 くない ・安 くない)
。
服部 (
1994) では、尺度 の方向性 に関わ る制約 を受 けるのはアマ リ∼ナイだけであ り、サホ
ド∼ナイは制約 を受 けない と結論づ け られ ている。 その後、服部 (
2008) では コーパスを用
いて分析 を行い、 「
正方向」の述語 と共起 Lやすい とい う特徴 は、アマ リ∼ナイだけでな く、
サホ ド∼ナイな ど、否定 を伴 って大 き くない程度 を表す副詞 に見 られ る特徴である として見
解 が修正 されている。 しか しなが ら、服部が 「
正方向」 を持つ とす る 「
美味 しい」 とい う形
容詞 を用いた (
3
5
)(
-(
3
1
)
)において、「あんま り∼ない」が不 自然 になっていること説 明
す ることができない ことか らも、 この分析 には さらなる発展の余地があると考 え られ る。
(
3
5
)
(
そんなに/?
?あんま り)美味 しくないけ ど、私 に とっては美味 しい。 (
- (
3
1
)
)
5.
2.
2岡崎 (
1994)
岡崎 (
2006) は、「
ソ系 (ソ ・サ系列)の指示詞 の指示副詞 『ソレホ ド・サホ ド』等が否定
形式 (
助動詞 『ナイ ・ズ』等) と呼応 して、あま V
)大 きくない程度 を表す もの」 (
i
bi
d.
:90)
を 「
否定対極表現 」 と呼び、その指示対象 を考察 している (
本稿 で扱 う 「
そんなに」 も否定
対極表現 に含 まれ る)
。
岡崎は否定対極表現 の例 として (
36) を挙げ、「
スキーマ」の概念 を用いて (
37) の よ うに
説 明す る。「
スキーマ」 とは 「
人がい くつ もの具体例の比較 を通 じて得 る抽象的知識」 (
i
b
i
d.
)
である。
(
36) 昨 日、横浜の中華料理 店 K に行 った よ。で も、それ ほ ど (
さほ ど)おい しくなかった。
(
i
bi
d.
:
8
4)
『言語科学論集』第 1
4号 (
2
0
0
8
) 7
7
(
3
7
) 発話者 は先行す る言語文脈 「
横浜の中華料理店 K」か ら、活性化 された一般知識領域
の情報 「(これ まで来た ことはないが、世間の噂では)中華料理 店 K は有名 な高級 店」、
さらにスキーマ 「
高級 な中華料理の味」 を参照、推論 した結果 「
予測 していた高級 中
華料理店の味」 を対象 とし指示 を行 っている。
(
i
bi
d.
:
848
5)
岡崎は、 「
否定対極表現 には必ずスキーマが必要であ り、 (
中略)直前または同一の言語文
脈 に依拠 した指示ではない」 (
i
b
i
d.
:8
5) と説 明す るが、 これ は 「
あんま り∼ない」にも当て
はまるよ うに思われ る。例 えば 、 (
36) の 「
それ ほ ど (さほ ど)」 を 「
あんま り」 に変 えて も
意味はほ とん ど変わ らない (
38)。
(
38) 昨 日、横浜の中華料理 店 K に行 った よ。で も、あんま りおい しくなかった。(
c
f
.(
36))
岡崎 は指示詞 を含んだ表現 のみ を考察の対象 としてお り、 これ は岡崎の主張の本質的な問題
点ではない。 しか し指示詞 を扱 う限 り、指示詞 を含んでいることがその表現の意味に どのよ
うに影響 しているのかは明 らかに され るべ きものであると本研究 は考 える。
5.
3本研究の枠組みでの分析
5.
3.
1程度評価 を行 う背景
本稿で扱 う 「
そんなに∼ない」 と 「
あんま り∼ない」について具体的に論 じる前に、 これ
らの表現が発話 され る背景 に関 して 2点指摘 してお く
。
まず 1点 目は否定についてである。本稿 で扱 う 2つの表現は、 どち らも否定 を含む とい う
点で共通 している。否定は何 らかの先行文脈 を前提 として初 めて 自然 となる (
森田 (
2
0
0
2)
等 )ことか ら、「
そんなに∼ ない」と 「
あんま り∼ない」とい う表現 において も前提 との関連
で論 じることが不可欠であると考 え られ る。
2点 目は程度 についてである。従来の研究で も指摘 されてきた よ うに、 「
そんなに∼ない」
と 「
あんま り∼ない」は どち らも程度が甚だ しくない ことを表す表現である。 この 「
程度 」
を さらに分解 して考 えてみ ると、ある対象 の程度 を述べ るには、何 らかの基準 との比較が必
要であることが分か る。 「
程度 が甚だ しくない」ことを捉 える背景 には、何 らかの基準 との比
較 によ り、対象がその基準 よ りも下に位置づけ られ るとい うことが含 まれ るのである。 これ
は以下の よ うに図示で きる。
図3
78
図 3について説明 してお くと、プラス (
+)、マイナス (
-)の方向を持つ矢印が評価軸 を、
黒丸で示 した n (
nor
m) が評価基準を、○で示 した t
r(
t
r
a
j
ec
t
or
) が評価対象 を表す。 この
m (
l
a
ndma
r
k) に評価対象が位置づけ られ ること
図は、評価基準 n よ りも下の、ある部分 1
を示 してお り、
言葉の背後に存在す る比較 とい う主体の認知プ ロセスを反映 した ものである。
本稿では、「
程度」を述べ るとい うことの内実を、以上に見たよ うな、主体が関わる比較の
認知プ ロセス として捉 え られ るもの として位置づける。
5
.
3
.
2参照す る基準について
「
そんなに∼ない」 と 「
あんま り∼な い」が、 どち らも基準 との比較 とい う認知行為が含
んでいることは先に述べた。本研究では、これ らの表現が何 らかの前提 を基準 として参照 し、
程度評価 を行 っていると考 える。 さらに、この 「
基準」に着 目し、 「
そんなに∼ない」と 「
あ
んま り∼ない」の違いが 「
参照す る基準の違い」にあると主張す る。
そんなに∼ない」と 「
あんま り∼ない」がそ
先に指摘 した 2点を考慮 し、以下において、「
れぞれ何 を前提 (
-基準) とす るかにおいて違いが見 られ ることを明 らかにす る。
5
.
3
.
3 「
あんま り∼ない」 が参照す る基準
まず、「
あんま り∼ない」を見てい く。「
あんま り∼ない」は、「
私に とって、あんま り∼ない」
3
9
)の 「
私に とって」の部分を (
4
0)のよ うに他者 に変 えると、文が不 自
である。 これは 、(
然になることか らも明 らかである。
(
3
9) 私に とって、飲み会で 5
0
0
0円は 〈あんま り/そんなに〉安 くない。
(
c
f
.飲み会で 50
0
0円は (あんま り/そんなに)安 くない。)
(
4
0) 学生に とって、飲み会で 5
0
0
0円は (
?
?あんま り/そんなに)安 くない。 (
- (
32))
仮に (
4
0
)の 「あんま り」を用いた文が 自然な文 として解釈 され る場合があるとすれば、そ
れは 「
学生に とって、飲み会で 5
0
0
0円はあんま り安 くない (と思 う/はずだ)」 とい うよ う
に、「
思 う」あるいは 「
はずだ」と断定す る主体である発話者の持つ金銭感覚 を基準 として判
断がな され る場合であって、学生の金銭感覚を基準 とした判断である場合ではない と思われ
る。これは、「
あんま り∼ない」が参照す る基準は主体 (
発話者)の主観的な ものであること
を示 していると考え られ る。
さらに、「
あんま り∼ない」 とい う発話に際 しては、「
プラス方向-の期待 」 がなければな
らない と考 えられ る
。
これは以下に挙げる例か ら示 され る
(
41
) a.あんま り美味 しくない。
b.
#あんま りまず くない。
C
.[
まずいことで有名 な店の料理 を食べて]
あんま りまず くない。
。
『言語科学論集』第 1
4号 (
20
08) 7
9
(
41
a
′b) の よ うな特 に文脈 のない ものに関 しては、一見 「
プ ラス方 向-の期待 」 を考慮す
る必要がない よ うに思 えるが、 日常生活 にお ける我 々の経験 を考 えてみ る と、 この よ うな場
合 において も 「
プ ラス方 向の期待 」が関わってい ることがわか る。 つま り、通常、食べ物 に
関 しては 「
美 味 しい」とい うこ とが期待 され るのであ り、「
まず い」こ とは期待 され ないので
41
a
′b) にお ける程度評価 は、プ ラス方 向が 「
美味 しい」、マイナス
ある。特 に文脈 のない (
方 向が 「
まず い」 とい うスケール に基づ いてな され てお り、それ ゆえ 「
美味 しい」 とい うプ
41
a)の 「あんま り美 味 しくない」は 自然 とな
ラス方 向を基準 と して程度評価 を行 ってい る (
り、 「
まず い」 とい うマイナ ス方 向を基準 と して程度評価 を行 って い る (
41
b) の 「
あんま り
まず くない」は不 自然 とな る。 しか し、(
4l
c
)の場合 、「
まず い こ とで有名 な店」 とい う文脈
から 「
まず い」 とい うこ とが期待 (
予測) され る。 (
4lc)では 「
まず さの程度 」 に注 目して
41
a
′b) と異な り 「
美味 しい」がスケール に含 まれ ない ことに注意 され たい。 こ
い るため 、(
のスケール にお けるプ ラス方 向は 「
まず さの程度」が高 く、マイナ ス方 向は 「
まず さの程度」
が低 い。 (
4l
c
) はプ ラス方 向である 「
まず さの程度 」が高い とい う期待 を基準 と して程度評
価 を行 ってい るため、 「
あんま りまず くない」が 自然 とな るので あ る。 以上か ら、 「
プ ラス方
向- の期待」が 「
あんま り∼ ない」 に とって常 に満 たすべ き条件 であ ることが確認 で きる。
先 に挙 げた例 において 「
あんま り」の使 用が不 自然 とな る理 由は次の よ うに説 明で きる。
(
42) ?
?あんま り美 味 しくないけ ど、私 に とっては美味 しい。 (
- (
31
b))
(
42) は 「
私 に とっては美 味 しい」 とい う表現 が加 わ ることに よって文が不 自然 となってい
る例 であった。 (
42) の主節 「
私 に とっては美味 しい」は、「(
発話者 に とって)満足 のい く美
味 しさを満 た してい る」ことを表 し、「
あんま り」が使用 され た従属節 は、評価対象 となる何
らかの食べ物 が、発話者 が 「
美 味 しい」 と見 なす基準 よ りも低 い こ とを表 している。 以上 を
考 え合 わせ る と、 (
42) では従属節 と主節 が矛盾す る評価 を下 してい ることにな る。 「
あんま
り」の使 用が不 自然 なのは、 この矛盾 に起因す るものである と説 明す るこ とができる。
この よ うに 、 「
あんま り∼ない」は、 「
私」 とい う認知主体が持つ プ ラス方 向-の期待 を基
準 と して参照 ・比較す るこ とによ り程度評価 を行 い、評価対象 が期待値 よ りも下に位置づ け
られ るこ とを表す表現 である。つま り、「
あんま り∼ ない」が参照す るのは、他者 とは共有 さ
れ ていない とい う意 味での 「
主観 的」 な基準であ る と言 える。
5.
3.
4 「
そんなに∼ない」 が参照す る基準
次 に、 「
そんなに∼ ない」が参照す る基準 を考察す る。
先 に挙 げた (
39) において 「
そんなに」の使用 が 自然であるこ とか ら、 「
そんなに∼ない」
が参照す るのは 「
あんま り」 と異なる基準であることが分か る。 次の例 を見てみ よ う。
(
43)
[目が疲れた と言 う友人 に対 して]
A :こめかみ を押 してみた らど う?
B:(こめかみ を押 してみて)、 (
?そんなに/ あん ま り)効かないみたい。
8
0
(
44)
[目が疲れた と言 う友人に対 して]
A :そ うい う時って こめかみ を押 した ら気持 ち良いよね。
B :(
こめかみ を押 してみて) (
そんなに/ あんま り)効かないみたい。
(
44) と比較す ると、 (
43) の 「
そんなに」は容認度が下がる。 (
43)、 (
44) で異なるのは A
の発話のみである。 (
43A) においては、こめかみを押 した ときの効果については明示 されて
いないが、 (
44A) はポジテ ィブな効果 を前提 としていることが明示 されている。これ ら 2つ
の例 において 「
そんなに」の容認度 に差が生 じることは、「
そんなに」が本来持 っていた指示
性がまだ失われていないことを示唆 している。これに対 し、「
あんま り」とい う表現は、相手
の期待 に関わ りな く発話者が 「
効 く」 と思 うか どうかを、発話者 自身の主観 に基づいて判断
43)、 (
44) ともに容認可能である25。
し、述べ る表現であるため、 (
次の (
45)は (
43)の類例であるが 、(
43)よ りも 「
そんなに」の容認度が高 くなっている。
(
45) A :村上春樹の本 って どう?
B:(
そんなに/ あんま り)面 白くないよ。
(
45A) は (
43A) と同様に中立的な質問であ り、「
そんなに」が参照 し得 る基準は (
45A)
には含まれていないはずである。それにも関わ らず 「
そんなに」が 自然なのは、「
村上春樹 」
が人気作家であるとい う百科事典的知識 によるもの と考 えられ る。つま り、村上春樹は人気
45) の 「
そんな
作家であ り、人気作家の作品は面 白いだろ う、とい う推論が働 くのである。 (
に」 はこの推論 によって導入 された高い 「
面 白さ」の度合いを基準 として参照 していると説
明す ることができる。 あるいは、村上春樹の著書は世間で 「
面 白い」 とされてお り、それ ゆ
え人気作家 として認知 されているが 、 「
実際には世間で面 白い と言われ るほ どは面 白くない」
とい うことを表 しているとも考え られ る。
この ことか ら、「
そんなに」が他者 にも共有 されているよ うな基準を指示 している可能性が
窺える。 この可能性 を支持す る例 として、次の例 を見てみ よ う。
(
46)
(
そんなに/ あんま り)美味 しくない。 (- (
30a))
母語話者の直観 として 、 (
46) において 「
そんなに」と 「
あんま り」の どち らを用いて も、表
され る美味 しさの程度は非常に近い と思われ る。 しか し、(
46)において 「
そんなに」を用い
た場合、「
世間一般で美味 しい とされ るほ どは美味 しくない」とい う意味が読み取れ るのに対
し、「
あんま り」を用いた場合にはそのよ うな意味は読み取れず、あ くまで も発話者が 「
美味
世間一
しい」 と思 う基準 を満た していないことを表 している。 このよ うに 「
そんなに」が 「
47) における容認度の差が説明できる。
般の基準」 を参照す ると考えれば 、 (
(
47)
(
そんなに/?
?あんま り)美味 しくないけど、私に とっては美味 しい。 (
- (
31))
主節 「
私に とっては美味 しい」が、「(
発話者 に とって)満足のい く美味 しさを満た している」
『言語科学論集』第 14号 (
2008) 81
ことを表 していることは先 に述べた。従属節 「
そんなに美味 しくないけ ど」が、世間一般 に
「
美味 しい」 とされ るであろ う値 を基準 とした評価である とすれ ば、主節 と従属節 では、そ
れぞれ異 なる基準 によって程度評価 がな されているため、2 つの評価 は矛盾 しない と説 明で
きる。
(
46)、 (
47) の 「
そんなに」は、世 間一般 に共有 されてい る と話 し手が想定す る基準 を参
照 していると考 え られ る。第 4章で扱 った よ うな指示性 の高い 「
そんなに」が発話 の現場や
46)、 (
47)の 「
そん
先行文脈 に認 め られ る対象 を指示 し、それ を基準 としていたのに対 し、 (
なに」は、主体である 「
私 」 も、相手である 「
あなた」 も、そ してそれ以外の世間一般 の人
も共有 してい る とい う意味で、「
間主観的26」な基準を参照 してい る と言 える。この よ うな 「
そ
脱文脈化」した ものである と
んなに」は、ダイ クシス性 とい う指示詞 の特徴 を失 ってお り、「
考 え られ よ う。
次に挙 げる例 は、「
そんなに」が間主観的な基準 を参照す る程度評価 であるとい う主張を支
持す るものである。
(
48) a
. 子供が城 山小学校 にお世話 になってますが、去年 の夏 ころか ら、「
給食 があんま り
美味 しくない」 と言 うよ うにな りま した。
(
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b.
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子供が城 山小学校 にお世話 になってますが、去年 の夏 ころか ら、「
給食がそんなに
美味 しくない」 と言 うよ うにな りま した。
「
あんま り」 が参照す る主観的な基準 と比較 して、問主観 的な基準は他者 の主観 に対す る理
解 を始め として、 よ り多 くの経験 を必要 とす ると考 え られ る。 (
48) において、 「
あんま り」
を 「
そんなに」 に置 き換 えると不 自然 、あるいは非常に大人びた印象 を受 けるのは、 これが
小学生の子供 の発話 であ り、通常小学生は どの子供が、その よ うな高度 な理解や多 くの経験
を重ねている とは考 え難 いためであると考 え られ る。
5.
3.
5 考察
以上の分析 か ら、否定を伴 う 「
そんなに∼ない」の指示対象 には、大 き く分 けて 2つ ある
と言 える。1つは 、 (
44) の よ うに先行文脈 によって形成 または導入 された比較の基準 を指す
ものであ り、も う 1つは 、(
46)、(
47)、(
48)の よ うに間主観 的な基準 を指す ものである ((
45)
は、どち らとも解釈 できる)
。前者 は、先行文脈 に直接的な指示対象 は見 られ ない ものの、先
行文脈 に よって形成 され 、導入 された比較の基準 を指 してい る とい う点で、前章で見た指示
性の高い例
(
(
A)
、(
ち)) のバ リエー シ ョンと考 えることができよ う。後者 については、間主
観的な比較の基準 を指 してお り、発話 の現場や先行文脈 によって可変す る対象 を指す とい う
指示詞の機能 は見 られ ない。つま り、文脈依存 とい う指示詞 の特性 がな くな り、脱文脈化 し
ていると言 える。従来の研究において指摘 されてきた 「
指示性 の喪失 」 は、本研究において
は、後者 の問主観 的な ものを指す 「
そんなに∼ない」 に当た るもの として位置づ け られ る。
蔀章で (
C) に分類 した例 も同様 に位置づ け られ よ う。
さらに、前章 と本章で分析 した 「
そんなに」の指示対象 は、以下の表 の よ うに整理す るこ
8
2
とができる。表 2の右端の列が、間主観 的な比較の基準 を指す 「
そんなに」である。
表2
分
類
聞き手優位
コンテ クス ト
(
A)
(
ち)
(
C)
○
○
-
-
○
-
「
そんなに」の指示対象 は、表 2の よ うに 3種類 に大別す ることができる。指示性 の高い も
のが指示詞 の典型例 (
プ ロ トタイプ)であるとす るな らば、従来 「
指示性 の喪失」が見 られ
C) の例 は、周辺例 として位置づ け られ る。
るとされてきた (
6
.おわ りに-ま とめ と今後の課題
本稿 では、従来の研 究に欠 けていた、指示詞研究を進 める上での基本的前提 に対 して検討
を行 い、指示詞研 究の基盤 を築 くことを試みた。 さらに、 日本語 の ソ系指示詞 を含んだ表現
である 「
そんなに」 を分析す ることで、ボ トムア ップ的に ソ系指示詞 の意味 ・機能 を明 らか
に した。
従来の研究において問題 となっていた文脈指示の ソ系指示詞 に関 しては、時間軸に沿った
談話 の流れ を考慮す ることで、現場指示 と同様 に 「
聞き手が関与す る事態」 として説明でき
ることを示 した。 さらに、従来 「
指示性 の喪失 」が見 られ るとされてきた例 に関 して も、弱
いなが らも聞き手 とのつ なが りがあることを明 らかに した。 この ことか ら、指示詞の意味 ・
機能の規定には 「
聞き手」が必要不可欠であることを主張 した。 これ は、指示詞 (
ひいては
言語全般)の基盤 が コ ミュニケー シ ョンにあ り、その本質は 「
話 し手 と聞き手の注意の共有 」
である とい う本研究にお ける指示詞 の捉 え方 を支持す るものである。
今後の課題 としては、他 の ソ系指示詞 について も検証 を行 うとともに、 コ ・ア系指示詞 に
つ いて もボ トムア ップ的に考察 し、現場指示 と文脈指示 を統一的 に説 明す ることが挙げ られ
る。 また、本稿 で示 した指示詞 の基盤 の詳細化 (
コ ・ソ ・アの差異化)や 、指示詞 の基盤 と
して示 したモデル と、個 々の表現の事例研究 との結びつ きを、 よ り調和 の取れた ものに して
い く必要 もある。
日本語の指示詞 は品詞 を越 えて分布 し、感動詞 な どにもその拡張が見 られ る、高い柔軟性
を持つ表現であると言 える。指示詞 の豊かな広が りを今後 さらに明 らかに していきたい。
注
キ本稿は、平成 1
9年度に京都大学大学院修士学位論文として提出した 「日本語指示詞の認知言語学的
研究- ソ系指示詞の脱文脈化と間主観化を中心に-」に加筆 ・修正を加えたものである。
lメタ表現 「
という人」の使用からもそれが分かる。
『言語科学論集』 第 1
4号 (
2
0
0
8
) 8
3
2
久野の ソ系列の特徴づ けに関 しては、 (
i
)聞き手は知 っているが話 し手は知 らない、 (
i
i
)話 し手は知 って
いるが聞き手は知 らない とい う、ある意味相反す る 2つの側面をもつ とい う理論的な問題 も指摘 されてい
る (
田窪 ・金水 1
9
96:
67
6
8)
0
(
i
)については、人称 区分説、距離 区分説の どち らを採 っても現場指示的
用法の拡張 として捉 えることが可能だが、(
i
i
)については、現場指示的用法の延長 として捉 えることがで
きない。 よって、現場指示的用法 と文脈指示的用法の関係 を統一的に説 明できる特徴づけ とは言 えない。
1
97
9:
41
) もので、後に 「
直示用法 (
de
i
c
t
i
cus
e)」 と呼ばれ るものに相 当す る。照応的用法は、 「
用い られた文
脈において、特定の先行詞 と照応 し、その先行詞が指示す るの と同 じ事物 を指示す る」(
i
b
i
d.
)ものである。
3 独立的用法は、 「
文脈 中の他の語句に照応す ることな く、直接 に意図 された対象を指示す る」 (
黒田
4
黒 田は、 コ系の照応的用法の例は挙げていない。
5
「
あの」 を用いた場合 について、黒 田は 「この文は少 し坐 りが悪いか も しれない」 (
黒田 1
9
7
9:
55) とし
ている。 この坐 りの悪 さについて、 (
後の説明で出て くるよ うに)話 し手は直接経験 を推論の根拠 として
いるのであるが、 「
聞き手の方では話 し手の推論の根拠 を知 る由もないか ら、推論 を推論 として理解す る
ことができず、『推論』を逆用 して、『人が何人 も死んだだろ うと推定 され るよ うな大火事』 とい う概念的
i
b
i
d.
)と
理解 を付 け加 えるよ り致 し方な く、このあた りにぎこちな さを感 じさせ る因があるのであろ う」(
黒 田は説明す る。
6
対話 にお け る独 立的用法 につ いて、ここで簡 単 に触れ てお く。話 し手 が独 り言 で 「
あれ 」と指 してい
た ものが、他者 が介入 し 「
あれ 」の側 に座 を 占め るこ とに よ り、 「
それ 」に変 わ る、 とい うものが例
と して挙 げ られ る。 黒 田は この場合 の ソ系 の特徴づ け と して、 「
他者 の直接 的知識 を、 自己 (
意識 )
の直接 的知識 で はない もの (自己の直接 的知識 と対立す るもの) と して把握す る もので あ る」 (
黒田
7
田窪 ・金水は、指示詞 の用法 も黒 田 (
1
97
9) を受 け継 いでいる。 ただ し、注 3で も触れた通 り、「
独立的
用法」ではな く 「
直示用法」 とい う名称 を用いている。
8
田窪 ・金水 (
1
99
6)で提示 された談話管理理論 は、共有知識 を否定 しているとい う点で金水 ・田窪 (
1
9
9
0、
1
9
9
2)か ら大幅な修正がな されている。田窪 ・金水が共有知識 といった話 し手の想定す る聞き手の知識の言及を回避す る理 由 としては、次の よ うな理 由が挙げ られ る。ある知識 を話 し手が有 してお り、これが
聞き手 と相互的に共有 されているか どうかを確かめる場合、聞き手が この知識 を持っていることを話 し手
が知っているだけでは十分ではな く、まず話 し手が これ を知 っていることを聞き手が知 っていなければな
らず、その ことを話 し手が知 っていなければな らない- とい うことが無限に続 くO (
共有知識のパ ラ ドッ
クスの詳細については、Cl
a
r
k& Ma
r
s
ha
l
l(
1
981) を参照のことO ただ し、Cl
a
r
k& Ma
r
s
ha
1
1は、最終的
oundsを共有 しているとい う確信があれば良い と して、
には、共有知識の存在 を推測す る根拠 となる Gr
i
b
i
d.
:
3235)
0) 田窪 ・金水は この よ うな無限遡及 を避 けるため、言語形式
パ ラ ドックスを解消 している (
の使用法の記述か ら聞き手の知識 を排除 しているのである。
しか し、実際の会話 においては、聞き手の知識の想定が不確かな とき、話 し手がある表現形式 を暫定的
に用いて聞き手の反応 を見た り (
須賀 200
7)、相手の知識 に対 して誤 った推測 をす ることは稀ではないo
田窪 ・金水が想定す るよ うな計算主義的な正確 さは、実際の会話においては求 め られていない と言 えよ う。
9
談話管理理論の理論的仮定の詳細は、田窪 ・金水 (
1
9
9
6) を参照。
1
97
9:
5859) と し、や は り聞 き手 (
他者 ) とい う概念 を積極 的 に取 り込 んではいない。
(
1
9
9
9)によると、次の例のよ うに、意味論的な条件では ソもア も使用可能な場合、どち らを用いる
かは語用論的な理 由によって決定 され るとい う
一
o金水
。
(i)
神戸にいいイタ リア料理店があるんですが、こん ど (
そ こ/?
?あそ こ)に行 ってみませ んか ?
(
i
bi
d.
:
7
5)
つま り、 (i)の よ うに説明的 ・提示的な文脈では、話 し手は知識 を持たない聞き手に合わせて Ⅰ
一
領域す
なわち言語的文脈 をベースに してコ ミュニケー シ ョンを行 うことがいわば義務づけ られていると見るこ
とができ、そ うでない コ ミュニケー シ ョンは聞き手に とって負荷のかかる処理 を強いることになるとい う.
後者 にはア系列 を用いて指示す る場合が当たる。聞き手に とって、自分は持 っていないが相手は持 ってい
る知識 を推論す ることは強い負荷 となるOこの ことか ら金水は、説明的 ・提示的な文脈で ソを使用す ると
い うことは、聞き手の負荷 を最小にせ よとい う語用論的な制約 に基づ く選択であるとしている。
・田窪 (
1
9
9
0、1
9
9
2)に基づ くものであるが、これ は田窪 ・金水 (
1
9
9
6)にも同様 に当
てはまる問題である。なお、庵の論は金水 ・田窪のモデルを全面的に否定す るわけでも、モデル 自体の部
c
ohe
s
i
on)
」に
分修正 を意図す るわけで もな く、金水 ・田窪のモデルでは説明できない部分 を 「
結束性 (
基づ くモデルによって説明 しよ うとす るものである。このよ うな方向性 を とることによって、庵は現場指
1
1庵の指摘は、金水
8
4
示 と文脈指示の統一的説明を破棄 している (
庵 2007:39)。
1
2
「
対立関係」は先 に見た阪 田 (
1971) の (
A) に、 「
融合関係」は阪田の (
ち) に当たるものである。 「
中
立関係」は阪 田の (
B) を詳細化 したもの と考えることができよ う。
1
3
「
知覚対象指示」は、指示対象が現場にあ り、話 し手 と聞き手がそれ を知覚 (
視覚 ・聴覚)によってすで
観念対象
に了解 しているかまたは了解す ることが可能な場合の指示用法 (
略 して 「
知覚指示 」)であ り、 「
指示」は、指示対象が現場 にはな く、話 し手 と聞き手がそれ を観念的に了解 しているかまたは了解す るこ
とが可能な場合の指示用法 (
略 して 「
観念指示 」) である。
1
4
李は、コ ・ソ ・アそれぞれ に 「
提示」 と 「
照応」の機能の別 を示 しているが、ここでは割愛す る。
1
5
第 2章では挙げていないが、例外 として高橋 (
1990) は 「
指示す ることば」 と 「
指示す ること」の関わ り
を論 じる中で指示詞 と指示詞以外の単語による指示の違 いについて触れ ている。高橋の考え方は認知言語
学の考 え方に通 じるところが多 く参考になるが、指示詞ではな く指示表現 を中心に論 じられているもので
あることに加 えて品詞 に重点が置かれていることか ら、本研 究では主な先行研 究 としては取 り上げていな
い。
1
6
一般 に 「
共同注意」 として議論 されているものは、正確 には 「
視覚的共 同注意 (
j
oi
ntvi
s
ua
la
t
t
e
nt
i
o
n)
」
である。共同注意 には視覚的な ものだけでな く、聴覚的な 「
聴覚的共同注意 (
j
oi
r
l
ta
udi
t
or
ya
t
t
e
nt
i
o
n)
」
もある (
c
f
.大薮 2004)0
1
7 Di
e
s
s
e
l(
2006) が規定す る指示詞 の機能 と非常に近いが、本研究では Di
e
s
s
e
lが用いる
「
対話者の共同注
意の焦点の調整」 とい う表現 を用いていない。Di
e
s
s
e
lは共同注意 を成立 させ る場合 と、既に注意が向け
られ ている複数の対象 を区別す る場合の両方があることを考慮 した上で この表現 を用 いているのである
が、 この表現は既 に共同注意の成立 している対象のみが議論 の的 となるとい う誤解 を与 える恐れがある。
これ は 「
共同注意」 とい う用語が、「
共同注意」が成立 した後の ことについてのみ言及す るとい う印象 を
与えるためである。そのため、本研究では表現を変更 した。
1
8
「
そんなに」には類比用法 (
e・
g・ 「
そんなに したって見えや しないよ」 (
谷崎潤一郎 『
痴人の愛』)) もあ
るが、この用法は明治 ・大正期の 日本語において しば しば見 られ る用法であ り (
島田 2005)、現在ではほ
とん ど使 われ ることはない。また、この用法は 「
そんなに」が動詞 の必須項 となっている点において程度
用法 と異なってお り、両者 は異なる形式 として扱 うことができる。
1
9
なお 、 「
(こ/そ/ あ)んなに」 と同 じ音数かつ表す意味 も類似す る表現 として 「
(こ/そ/あ)れほ ど」
も挙げ られ る。ただ し、1つのユニ ッ トとしての語褒化の程度がかな り高い と思われ る 「†こ/そ/ あ)ん
†こ/そ/ あ)れ ほど」は 「
(これ/それ/ あれ )+ほ ど」-の分析可能性が高 く、
なに」 と比較 して 、 「
それぞれの語糞の意味や機能の分析 と同時に、この組み合わせで使われた場合 に特有の性質に関す る考察
が必要になる等、記述が煩雑 になる。 これ らの理 由によ り、本研究では 「(こ/そ/ あ)れほ ど」は扱 わ
ない (
「
に /そ/ あ)れ ほ ど」の分析 としては井本 (
2000) を参照のこと)
0
2
0
シナ リオは他の例 との統一のため適宜書式 を変更 している。また、例によっては最初 に簡単な状況説明を
加 えている。
21
(
27) はブ ログか らの例であるため、話 し手、聞き手ではな く書 き手、読み手 とい う対応関係である。
22
益岡 ・田窪 (
1992) では否定を伴 った際の指示性 の有無 については述べ られていない0
23
「
あんなに」(
ア系指示詞 +んなに) と音が似ているが、「
あんま り」は、指示詞 を含 まないことに注意 さ
あんま り」の語頭 の 「
ア」はア系指示詞ではない。 「
あま り」、 「
あんま り」の語源は 「
余 り」で
れたい。 「
あり (
『日本国語大辞典』 よ り)、指示詞 とは無関係 である。
24
5.
2.
節 にお ける表現の表記はそれぞれの先行研究に従 う。
25
ただ し、 (
44) の場合、「
あんま り」を用いると相手の持つ前提 を無視す ることになるため、丁寧 さを考慮
す ると多少不 自然である。
2
6
本研究にお ける間主観性の定義は、辻 (
編) (
2002) に従 い、「
個 々人の主観 は (
ある程度)他人 との間で
共有 され る」 とい うものであるとす る。
参考文献
ie
l
′
Mぬ 1988・
Re
f
e
r
inga
r
ndAc
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学論考』′
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編)『
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60.東京:ひつ じ書房.
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私」はいつ生まれ るか』東京:筑摩書房 (
ちくま新書)
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板倉昭二 207. 『心を発見す る心の発達』京都大学学術出版会
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都大論究』2
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音韻 ・形態のメカニズム』 (
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51.東京:研究社
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04. 『共同注意 :新生児か ら2歳 6か月までの発達過程』東京:川島書店.
岡崎友子.2
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ソ ・サ系列)指示詞再考」
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他者の心は存在す るか-<I
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90. 『
情報のなわ張 り理論一語
神尾昭雄 .
の機能的分析』東京:大修館書店.
神尾昭雄.
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.『
続・
情報のなわ張 り理論』東京:大修館 書店.
川 瀬 卓.
208.「
弱否定 と過度を表す副詞の史的考察」
『日本語文法学会第 9回退会発表予稿集』
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川端善明.
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指示語 」『国文学 角締 己と教材の研究 』38(
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『自然言語吾処理』6
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2. 「
指示詞の歴史的 ・対象言詣吾学的研究」′ 『
対象 語
金水 敏 ・岡崎友子 ・曹 美庚 .2
学』 (
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247.東京大学出版会.
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9, 『
指示詞』(日本語文法セル フ ・マスターシ リーズ 4
)東京:くろ
金氷 敏 ・木村英樹 ・田窪行則.
しお出版.
990. 「
談話管理理論か ら見た 日本語の指示詞」′日本認知科学会 (
編)『
認知科
金水 敏 ・田窪行則 1
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6.東京:講談礼
学の発展』′
金水 敏 ・田窪行則.
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92. 「日本言
封旨示詞研究史か ら/へ」′金水 敏 ・田窪行則 (
編)『
指示詞』′
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2.
東京:ひつ じ書房.
工藤真 由美.
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.「
否定の表現」′金水敏 ・工藤真 由美 ・沼田善子 『
時 ・否定 と取 V
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文法 2
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0.東京:岩波書店.
久野 暗.
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3. 「
コ ・ソ ・ア」′ 『日本文法研究』′
1
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90.東京:大修館書店.
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9. 「(
コ) ・ソ ・アについて」′ 『
林栄一教授還暦記 念論文集 ・英語 と日本語 と』′
41
59.
黒 田成幸.
東京:くろ しお出版.
『言語科 学論集 』 第 1
4号 (
2008) 87
小林由紀.1
997. 「
「
先行表現」をもたない指示語- 「
その」の文脈指示 とは言いにくい諸用法をめぐ
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9.
って」『国文学研究』1
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指示語 「
コ ・ソ ・ア」の機能について」『
東京外国語大学論集』21:
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38.
佐久間 鼎.
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.『
現代 日本語の表現 と語法 (
改訂版 )
』東京:厚生闇.
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4. 『
アフォーダンス :新 しい認知の理論』東京:岩波書店.
佐々木正人.
宿)202. 『「うん」 と 「
そ う」の言語学』東京:ひつ じ書房.
定延利之 (
島田泰子.
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連用における例示 と程度 :コンナニ類の程度副詞化」′ 『日本近代語研究 :飛 田良
文博士古稀記 念』′
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日本語教育指導参考書 8
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所.
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あま りの文法」『山形大学紀要 (
人文科学)』1
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須賀あゆみ.
207. 「
知識想定 と指示確立のプラクティス」′日本語用論学会第 1
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副詞 「
あま り」の意味す る程度評価」『山形大学紀要 (
人文科学)』1
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.
」文に見 られ る感情 ・評価的意味一話者が とらえる事態の価値 ・意味
と非予測性」『日本語文法』6(
1
)
:
88
1
0
5.
高梨克也.
2007. 「
「
他者の認知の利用」の観点か ら見た語
使用」′京都言語学 コロキアム第 27
7回 口
頭発表資料 (
於 京都大学)
.
1
9
90. 「
指示語の性格」『日本語学』9(
3)
:
421.
高橋太郎.
高橋英光.
2
0
0
4. 「
指示語の理解 :
英語の i
tと 机a
t
J′大堀善夫 (
宿)『
認知 コミュニケーシ ョン論』 (
シ
リーズ認知語 学入門 6
)
′
255
3.東京:大修館書店.
高水 徽 203. 「
比較副詞の容認可能性 と文脈」『
言語科学論集』9:
1
37
1
49.
田窪行則 ・金水 敏.
1
9
96. 「
複数の心的領域による談話管理」『
認知科学』3(
3)
:
597
4.
谷 口一美.
2
0
0
5. 『
事態概 念の記号化に関する認知言語学的研究』東京:ひつ じ書房.
東郷雄二 20
00. 「
談話モデル と日本語の指示詞 コ ・ソ ・ア」『
京都大学総合人間学部紀要』7:
27
46.
中村芳久.2
0
0
4. 「
主観性の語 学 :主観 性と文法構造 ・構文」′中村芳久 (
編)『
認知文法論 T
l
』 (
シ
リーズ認知言語学入門 5
)
′
3
51
.東京:大修館書店.
新村朋美 ・-ヤシ ・ブ レンダ・
208・77
1
i
s
′
t
h
a
t
a
ndi
t
h・
om aCo伊i
ivePe
t
r
s
pe
c
もve・ 『日本認知言語学会
論文集』8:
439
449.
仁 田義雄.
2
02. 『副詞的表現の諸相』東京:くろ しお出版.
1
96
8. 「
コレ、ソレ、ア レと仇k、仇a
t
」′ 『
英語基礎語童の研究』71
80.東京:三省堂.
服部四郎.
9
9
3. 「
副詞あま り(
あんま り)
について :弱否定お よび過度を表す用法の分析」『
同志社女子
服部 匿 1
4(
4
)
:
1
27.
大襲 撃術研究年幸田 4
服部 匡.
1
9
9
4. 「
アマ リ∼ナイ とサホ ド (
ソレホ ト
)∼ナイ」 『日本語 日本文学』6・
.
1
21
.
服部 匡.2
0
0
8
.「
否定 と稗 芯して大きくない程度を表す副詞の特性-内省による予測 とコーパスによ
る検証」′田野相思温 ・服部 匡 ・杉本 武 ・石井正彦 『コーパスを用いた 日本言
辞群究の精密化 と
1
2
8
1
4
2.
新 しい研究領域 ・手法の開発 Ⅲ』′
林 奈緒子.1
9
9
9. 「
指示機能をもつ程度副詞に見 られ る制約について- 「
こんなに」「
あんなに」「
そ
んなに」を例に」『
言語学論叢』1
8:
2538.
早瀬尚子 ・堀田優子.
2
0
0
5
.『
認知文法の新展開 :カテゴリー化 と用法基盤モデル
,
』東京:研究社
半滞幹一.
1
997. 「
さししめす」′佐久間まゆみ ・
杉戸清樹 ・
半滞幹- (
編)
『
文章 ・
談話の しくみ』′
6
0
71
.
88
東京:お うふ う.
深田 智・
201・ 「
J
J
S
ubj
ed血a
ion〟とは何か :宗 吾表現の意味の根源を探る」『
t
言語科学論集』7:
61
8
9・
堀江 薫.
204. 「
談話 と認知」′中村芳久 (
編)『
認知文法論 Ⅱ』 (
シ リーズ認知言語学入門 5)′
247
278
.
東京:大修館書店.
堀 口和吉.
1
978. 「
指示語の表現性」『日本語 ・日本文イ
E
A 8:
2
3
4
4.
本多 啓 20
07. 「
認知意味論、コミュニケーシ ョン、共同注意一捉え方(
理絢 の意味論か ら見せ方(
提
語用論研究』8
:
i
1
3.
示)
の意味論-」『
正高信男.
1
9
93.m 歳児がことばを獲得するとき :
行動学か らのアプローチ』東京:中央公論新社 (
中
公新葦)
.
正高信男.
2
0
0
6
. 『ヒ トはいかにヒ トになったか :ことば ・自我 ・知性の誕生』東京:岩波書店 .
1
9
9
2. 『
基礎 日本語文法 (
改訂版)』東京:くろしお出版.
益岡隆志 ・田窪行則.
97
0. 「
コソア ド抄」′ 『
文法小論集』′1
451
5
4.東京:くろしお出版
三上 蚤 1
三上 章.
1
97
2. 『
現代語法新吉
舶 東京:くろしお出版
2
02
. 『日本語文法の発想』東京:ひつ じ書房.
嘉 田良行.
1
99
4. 『
話 し手の主観を表す副詞について』東京:くろしお出版.
森本順子.
森山卓郎.
2004. 「日本語における比較の形式」『
月刊 言言
剤 3
3(
1
0
)
:
3
239.
山田孝雄.
1
908. 『日本文法論』宝文館.
1
9
92. 『
推論 と照応』東京:くろしお出版.
山梨正明.
1
99
5. 『
認知文法論』東京:ひつ じ書房.
山梨正明.
2
0
0
0. 『
認知‡
宗吾学原理』東京:くろしお出版.
山梨正明.
山梨正明.
2
0
0
4. 『ことばの認知空間』東京:開拓社
20
04. 「
比較表現あれこれ」『
月刊 言
語剤 3
3(
1
0)
‥
2
430.
山本秀樹.
李 長波.
1
9
9
4. 「
指示詞の機能 と 「
コ ・ソ ・ア」の選択関係について」『国語国文』6
3(
5)
:
37
54.
李 長波.
2
02. 『日本語指示体系の歴史』京都大学学術出版会
コーパス
『
新潮文庫の 1
0 冊 CDROM 版』 1
9
9
5
′新潮社
『
西鉄提供ラジオ番組 「
土曜 ドラマ館」シナ リオ集』
辞書
『
大辞林』(
第二版)
′三省堂.
『日本国語大辞典』 (
第二版)
′小学鯨