生物学基礎論研究会 第9回研究会 発表要旨

生物学基礎論研究会 第 9 回研究会
発表要旨
1 日目(9 月 11 日)
午前
白木彩子(東京農業大学オホーツクキャンパス)
「オジロワシとオオワシの生息現状と保全」
世界に 8 種いる海ワシ類(Haliaeetus 属の猛禽類)のうち、日本ではオオワシとオジロワシとが生息する。
これらの海ワシは北海道を主な生息地とし、越冬期には農大オホーツクキャンパス周辺の水辺でも比較
的容易に観察することができる。一方、両種は環境省の種の保存法による国内希少野生動植物種として
保護増殖事業の対象となっているが、具体的な保全策はとられてこなかった。それにも関わらず、とく
にオジロワシでは 1990 年代半ば以降に顕著な増加傾向がみられており、それと共に新たな保全上の問題
も生じている。また、かつては原生自然の象徴とも称された海ワシ類であるが、現代では人間活動と強
い関わりをもって生息しており、付き合い方を考えなければならない野生動物の一例でもある。本講演
ではロシア地域を含めた極東のオオワシとオジロワシの生息の現状と、近年の人間活動との軋轢や保全
上の課題について紹介したい。
吉田善哉(京都大学)「発生生物学における知識の一般化」
理論物理学の法則などとは異なり,生物学における一般化のほとんどは普遍的一般化ではない.特に発
生生物学や細胞生物学などのいわゆるメカニズム探求型の分野においては,あるモデルの一般性は非常
に限定的なものになりがちである.そしてそれゆえにこれらの分野においては,
「ある一般化が生物シス
テムのどれだけの範囲で成り立つか」が大きな意味を持つ.本発表はこの点に注目し,生物学研究にお
ける一般性の画定のダイナミクスを描き出すことを目指す.そのための手がかりとして用いるのが,一
部の生物学分野で新奇な生物学的事実の呼称としてしばしば使用される “emerging concept” という表現
である. “Emerging concept” という表現それ自体は生物学者自身による一種の惹句であって専門用語で
はないが,各分野において取り組むべき課題を示すシグナルとしての役割を担っている. “Emerging
concept” はまた,それが用いられる分野の研究ダイナミクスを明らかにするようないくつかの興味深い
特徴を有してもいる.本発表では特に 2000 年代初期に神経発生学の領域で現れたある “emerging concept”
に焦点を当てることで,発生生物学や細胞生物学における一般的知識がどのような構造とダイナミクス
を有しているかを議論したい.
丸山真一朗(東北大学)「共生オルガネラの単一起源説における最節約原理の役割」
Sober 1988(三中 1996)で提案された共有派生形質の重要性を説明する確率論的進化モデルを、共生オル
ガネラのような「獲得形質」に当てはめた時、単一起源説の拠り所である最節約性がどのような時に有
効なのかを議論したい。
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午後
シンポジウム “Typological thinking vs. Population thinking”
三中信宏(農業環境研究所・東京大学)
「移ろいゆく標的と戦場:集団思考と類型思考の対決から半世紀
が過ぎて」
1940 年代から 50 年代にかけて進化的総合の構築者のひとりだった Ernst Mayr は,それまでの自然史研
究は進化概念と相容れない本質主義的な類型思考(typological thinking)に毒されていたと糾弾し,それ
に代わる集団思考(population thinking)を採用することが新たな進化の総合理論にとって必須であると主
張した(Mayr 1982).
Mayr が集団思考を標榜した背景には,進化的総合のなかでの数理集団遺伝学派との覇権争いを戦う武
器として,集団思考に基づく生物学的種概念(biological species concept)が必要だった.同時に,新しい
生物体系学(new systematics)を再興するためにも,旧来の類型的種概念を一掃する集団思考はとても役
に立った.さらに,進化的総合に続く 1960〜70 年代における生物体系学論争では,集団思考は Mayr ら
進化体系学派にとって,対立する分岐学派ならびに表形学派と戦う際にも効果的に使用された.けっき
ょく,集団思考に立脚して類型思考(本質主義とリンクされた)を叩くことは,Mayr にとっては数々の
論争の戦場で標的を攻撃する基本戦略とみなせる.その後,Mayr の類型思考や本質主義への攻撃には瑕
疵があると指摘され(Sober 1980),さらには科学史的論拠のない「本質主義物語(the essentialism story)」
として糾弾されるに至った(Winsor 2006).
進化する実体としての「種」や「単系統群」の存在論的地位をどのように考えるかについては,生物
体系学界で長年にわたって論議されてきた.種は類(class)ではなく,個物(individual)であるとみな
す種個物説(the species-as-individual thesis: Ghiselin 1997)に対して,1990 年代以降は「自然種(natural kind)」
を擁護する立場がしだいに擡頭してきた(Boyd 1999, Brigandt 2009).しかし,自然種による分類体系化
はもともと認知心理的基盤(「心理的本質主義」)があると考えられている(Lakoff 1987, Atran 1990).し
かも,現代の分析形而上学では “弱い本質主義” (Wiggins 1980)は存在の個体化(individuation)のため
の基本戦略であることを考えるならば,弱められた自然種とはいえ生物学の研究現場に降臨するのは容
易ではないだろう(新たな自然種概念への反論については:Ereshefsky 2010, Ereshefsky and Reydon 2015).
本質あるいは類型という考え方はよほど警戒してかからねばならない.本質主義的な自然種に基づく
カテゴリー化は多様性に対する「分類思考(group thinking)」的アプローチであり,現在の生物体系学あ
るいは進化生物学に深く浸透している「系統樹思考(tree thinking)」的アプローチとは相容れない(O'Hara
1988, 1997).Ereshefsky(2012)が提唱する相同思考(homology thinking)は,系統樹思考を形質(形質
状態)のレベルで考える立場と解釈するのが妥当だろう.また,Amundson(2005)が主張するように,
自然種や類型の概念が進化発生生物学の視点から見た進化学の「さらに新たな総合」への布石であるな
らば,半世紀前の「新たな総合」から外れた発生学や形態学サイドからの動きとして興味深い.その新
たな戦場で何がどのように戦わされるのだろうか.
多様な存在物をわれわれ人間が理解するために,一千年も前から数々のインフォグラフィック・ツー
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ルが使われてきた(Lima 2014, Minaka 2015).分類と系統に関わる一般的な概念体系を論じるとき(Wilkins
and Ebach 2014),体系をいかに視覚化してイメージとして描き出すかは科学の世界でも重要な意義があ
る.今回の講演では,O'Hara の分類思考 vs 系統樹思考を軸にして,Mayr から現代にいたる半世紀の論
議を鳥瞰したい.
引用文献リスト
Ron Amundson 2005. The Changing Role of the Embryo in Evolutionary Thought: Roots of Evo-Devo. Cambridge
University Press, Cambridge.
Scott Atran 1990. Cognitive Foundations of Natural History: Towards an Anthropology of Science. Cambridge
University Press, Cambridge.
Richard Boyd 1999. Homeostasis, species, and higher taxa. In: Robert A. Wilson (ed.) Species: New
Interdisciplinary Essays. The MIT Press, Cambridge, pp. 141-185.
Ingo Brigandt 2009. Natural kinds in evolution and systematics: Metaphysical and epistemological considerations.
Acta Biotheoretica, 57: 77–97.
Marc Ereshefsky 2010. What’s wrong with the new biological essentialism. Philosophy of Science, 77: 674–685.
Marc Ereshefsky 2012. Homology thinking. Biology and Philosophy, 27: 381-400.
Marc Ereshefsky and Thomas A. C. Reydon 2015. Scientific kinds. Philosophical Studies, 172: 969-986.
Michael T. Ghiselin 1997. Metaphysics and the Origin of Species. State University of New York Press, Albany.
George Lakoff 1987. Women, Fire, and Dangerous Things: What Categories Reviel about the Mind. The University
of Chicago Press, Chicago.(ジョージ・レイコフ[池上嘉彦・川上誓作・辻幸夫・西村義樹・坪井栄治
郎・梅原大輔・大森文子・岡田禎之訳] 1993. 認知意味論:言語から見た人間の心. 紀伊國屋書店, 東
京)
Manuel Lima 2014. The Book of Trees: Visualizing Branches of Knowledge. Princeton Architectural Press, New
York.(マニュエル・リマ[三中信宏訳]2015. 『THE BOOK OF TREES — 系統樹大全:知の世界を
可視化するインフォグラフィックス』ビー・エヌ・エヌ新社, 東京)
Ernst Mayr 1982. The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance. Harvard University
Press, Cambridge.
Nobuhiro Minaka 2015 (in press). Chain, tree, and network: The development of phylogenetic systematics in the
context of genealogical visualization and information graphics. In: David M. Williams, Quentin D. Wheeler,
and Michael Schmitt (eds.), The Future of Phylogenetic Systematics – The Legacy of Willi Hennig. Cambridge
University Press, Cambridge.
Robert J. O’Hara 1988. Homage to Clio, or, toward an historical philosophy for evolutionary biology. Systematic
Zoology, 37: 142-155.
Robert J. O'Hara 1997. Population thinking and tree thinking in evolutionary biology. Zoologica Scripta, 26:
323-329.
Elliott Sober 1980. Evolution, population thinking, and essentialism. Philosophy of Science, 47: 350-383.
David Wiggins 1980. Sameness and Substance. Basil Blackwell, Oxford.
John S. Wilkins and Malte C. Ebach 2014. The Nature of Classification: Relationships and Kinds in the Natural
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Sciences. Palgrave Macmillan, Hampshire.
Mary P. Winsor 2006. The creation of the essentialism story: An exercise in metahistory. History and Philosophy of
the Life Sciences, 28: 149-174.
鈴木大地(筑波大学)
・吉田善哉(京都大学)
「相同思考のススメ:
『拡張された総合説』の実現に向けて」
進化発生学(EvoDevo)の登場から、これまで独自路線を歩んでいた発生学と進化の総合説を統合しよう
と叫ばれて久しい。しかし現在でも、この試みは未だ達成されていないように見える。これについて
Amundson (2005) は、進化発生学の類型思考(typological thinking)と、総合説(特にその中心の集団遺伝
学)の集団思考(population thinking)に概念的な対立があり、 進化発生学が類型思考を放棄しなければ
両者の統合はありえないと主張した。そこで本発表では、Ershefsky (2012) の相同思考(homology thinking)
を中心に据え、類型思考をと集団思考の対立の発展的解消と、進化発生学と総合説の統合の可能性につ
いて議論したい。
第一に、マクロ進化のレベルでは集団思考を適用するのが困難であり、相同思考に基づいて表現型進
化を考えることが必要であることを主張する。またこのとき、実際の研究手法として確かに類型思考的
な方法論に基づくことが多い点を指摘する。そしてこの類型思考的な方法論は、例えば遺伝的ノイズを
極力少なくした純系モデル生物を用いるといった、発生学の方法論を採用することに起因する。ただし
これは方法論上の問題に過ぎず、存在論的に「類型」や「イデア」、「本質」といった存在を認めるもの
ではない。またこのような方法論も、発生学における説明の枠組みでは有効な手法でもある。
第二に、ミクロ進化のレベルでは、上で述べたような類型思考的な方法論が足枷となり、進化発生学
と総合説の統合を妨げる一因となっていることを認める。しかしこの場合でも、相同思考を維持しつつ
方法論上の類型思考を放棄することで、集団思考と整合的にミクロ進化を説明できることを主張する。
その具体例として、脊椎動物の肢形成における奇形形成(表現型の変異)と、それをもたらす発生メカ
ニズム、そしてその表現型変異にかかる自然選択について論じる。
そして最後に、進化学における相同思考の重要性を再び強調する。相同思考はマクロ進化のレベルに
おいて有効であり、ミクロ進化のレベルでも集団思考と調和できる。類型思考は発生学では方法論上の
有効性をもつ場合があるが、存在論としては放棄することが可能である。相同思考を採用して部分的に
類型思考を放棄することで、集団思考との対立を発展的に解消し、進化発生学と総合説を統合すること
が可能となるだろう。
千葉将希(東京大学):「集団思考や類型思考はいかに定式化されるべきか」
生物学に対する Darwin の大きな貢献は,「集団思考」を導入することで「本質主義」や「類型思考」を
克服したことにあるとしばしば言われる(Mayr 1976).しかし,そもそも集団思考や類型思考とは一体
どのような思考であり,どのような点で互いに対立しているのだろうか.残念ながら,この点をめぐっ
ては,(両思考の名づけ親である Mayr を含めて)論者たちの間で大きな理解の対立や概念的混乱が見ら
れるということが,たびたび指摘されてきた(Lewens 2009,森元 2015).本発表では,この概念的混乱
を解消するよい手立てはないかを考察する.その際,特に注目したいのが,現代英語圏の分析形而上学
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における「普遍の問題」
(the Problem of Universals)の諸相である.主に Armstrong(1989),Mayr(1976)
,
Nanay(2010)による先行研究を批判的に参照しつつ,本発表ではまず(1)両思考を現代普遍論争上に
位置づけることでその内実を明晰に分析できるという可能性を可能なかぎり模索・擁護し,そのうえで
(2)どちらの思考に軍配が上がるのかを検討する.
参考文献
Armstrong, David, M. 1989. Universals: An Opinionated Introduction, 2nd edition. Colorado: Westview Press.
Lewens, Tim. 2009. “What Is Wrong with Typological Thinking?” Philosophy of Science, 76 (3): 355-71.
Mayr, Ernst, W. 1976. “Typological versus Population Thinking.” In Evolution and the Diversity of Life: Selected
Essays, ed. E. Mayr, 26—29. Cambridge, MA: Harvard University Press.
Nanay, Bence. 2010. “Population Thinking as Trope Nominalism.” Synthese 177: 91-109.
森元良太.2015.「集団的思考:集団現象と捉える思考の枠組み」
.『哲學』134:33-54.
二日目(9 月 12 日)
午前
金岩稔(東京農業大学オホーツクキャンパス):基調講演「国際水産資源管理における管理方策とその決
定過程」
近年多くの魚種で漁業資源の減少が懸念されており、資源管理の必要性が高まっている。国際水産資源
とは、複数国の経済的排他水域を跨いでや公海において、同一個体群が生息し、複数国に利用されてい
る水産資源のことを言う。このような水産資源の場合各国が一同に介してどのように資源を管理してい
くか決定する必要がある。その場合科学的な事実を推定するための科学者委員会と、各国の最終的な合
意を取るための行政官会議が行われ、多国間の条約を発令することで資源管理を行うことが多い。本講
演ではマグロ類の資源管理を例にこれらの過程を使用される数理モデルの側面を中心に紹介する。
上田雅信(北海道大学)「生物言語学におけるメカニズムの概念について」
生物言語学と他の生物科学のメカニズムの概念の違いを科学史・科学哲学の観点から明らかにし、それ
を分野の発展段階及び方法論の相違と関係づけることによって体系的に説明することを試みる。
石田知子(慶應義塾大学)「なぜ我々は遺伝子概念を使い続けるのか」
遺伝子概念は日増しに複雑になっており、単一の定義を与えることさえ難しくなっている。それにもか
かわらず、我々は現在も遺伝子概念を使い続けている。本発表では、遺伝子概念の歴史を概観し、我々
が遺伝子概念を使い続けている理由を明らかにしたい。
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網谷祐一(東京農業大学オホーツクキャンパス)「種について語るときに生物学者が語ること」
種に関する論争では、哲学者や生物学者は生物学的種概念のような様々な種概念(定義)について議論
してきた。しかし、
「種」について語るときに生物学者はいつも個々の種の定義を思い浮かべているわけ
ではない。本発表ではそうした「一般的」種概念と個別の定義の関係について議論する。
午後
松田毅(神戸大学)「ライプニッツの“evolutio”概念について」
17 世紀の哲学者、ライプニッツは動物学、発生学そして医学の研究も行った。その一端は『モナドロジ
ー』にも読み取ることができる。本発表では、かれの“evolutio”の概念が生物学史と生物学の哲学にどの
ように位置づけられるかを検討する。
中尾暁(東京大学)「進化の鍵は雑種形成?――J ・ P ・ロッツィの交雑説とその歴史的意義」
オランダの植物学者 J ・ P ・ロッツィは『雑種形成による進化』
(1916)において、進化の主要因は雑種
形成であるとする交雑説を提唱した。本報告では、現代から見れば奇妙にも思えるこのような理論が唱
えられた背景と、その進化論史的意義を考察する。
中島敏幸(愛媛大学)「現象学的視点からみる生命システム:情報・モデル・進化をめぐって」
現在編集中の特集”Integral Biomathics: Life Sciences, Mathematics, and Phenomenological Philosophy” (Journal:
Progress in Biophysics and Molecular Biology)における議論を題材にして、現象学的視点から生命を理解す
る取り組みとディベートの一部を紹介し、生物学(あるいは科学一般)と哲学との境界領域にある古く
かつ新しい問題を議論したい。
大谷剛(兵庫県立大学)
「生物の歴史性に関する仮説づくりの試み〜グールドの「四原理」使用を手始め
に〜」
最近、吉川浩満(2014) が、進化史における「理不尽な歴史的偶然」について喚起した。これにより、以
前から考えていた「進化の仮説づくり」が触発された。そこで、昆虫を例にしてその進化を語りながら、
仮説づくりの定式化を論議したい
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