モダン長崎の時代 ー地図と絵葉書で見る都市の変遷ー はじめに 江戸時代の長崎には、出島、長崎奉行、唐人屋敷など、 深い歴史がありますが、外国人居留地から始まる明治以後 の近代の長崎にも、他の都市にない華やかな歴史がありま す。世界遺産になろうとしている明治日本の産業革命遺産 を育んだ場所が、近代の長崎市です。 この展示では、明治後期(明治30年(1897))から昭和初期 (昭和10年(1935))にかけて、現代化する長崎、『長崎モダ ンの時代』を絵葉書と地図で表現しました。 巨大客船が長崎港に停泊し、乗客の外国の人々は長崎の 街に出かけ、本籠町や船大工町で日本趣味のお土産を買 い求めました。客船に積み込む良質の石炭は高島や端島 炭坑から産出されたので、人力で客船に石炭を積み込む 風景が絵葉書として海外に紹介されました。その後、出島 岸壁が完成して上海航路が就航すると、多くの人々が、長 崎港から巨大都市上海に渡りました。その一方、夏場にな ると、この日華連絡船は満杯の外国人客を乗せ、上海から 長崎・雲仙への避暑のための乗客を運びました。昭和9年3 月から5月にかけて、この時代を象徴する「国際産業観光 博覧会」が、長崎と雲仙を会場にして開催されました。長崎 市の会場は、長﨑駅の操車場の先の埋立地でした。 この頃の長崎を、『栄光の長崎』と表している本もあります。 九州の中でもおしゃれであった『モダン長崎』、その時代の わくわくするような長崎の懐かしい街並みを、お楽しみ下さ い。 展示の概要 【Ⅰ】 長崎港の賑わい ○海外航路で賑わった長崎港 ○巨大外国船の寄港 ○外国人向けの土産物屋が並ぶ本籠町 ○明治後期の長崎の街並み 【Ⅱ】 電車の開通から上海航路へ ○鉄道・路面電車・国道日見トンネルの開通 ○第3次長崎港改修工事により 出島岸壁完成 ○日華連絡船長崎丸・上海丸就航 ○昭和初期の上海と長崎の街なみ 【Ⅲ】 東アジア国際リゾート雲仙 ○外国人で満杯の日華連絡船 ○避暑外国人の楽園・夏場の雲仙 ○雲仙の温泉・ゴルフ・テニス・キャンプ ○雲仙と競合した中国のリゾート、 青島・大連 【Ⅳ】 鳥瞰図で見る長崎市周辺 大牟田市鳥瞰図(戦前、大牟田市役所、吉田初三郎) 吉田初三郎没60周年 長崎市周辺の鳥瞰図を紹介します
© Copyright 2024 ExpyDoc