『油 断』

生徒諸君へ
校長室の窓から
『油
2015.5.11
第2号
断』
比叡山(ひえいざん)は京都と滋賀の県境にあり、そこに
最澄(さいちょう)が開いた延暦寺(えんりゃくじ)が建っ
ています。皆さんは1年生の社会の歴史で勉強します。その
延暦寺の根本中堂(こんぽんちゅうどう)という総本堂に、
1,200 年前から大切に守られている宝があります。それは最澄
が修行で使っていた炎の灯火(ともしび)で、現在まで消さずに守り通しているのです。
何度も災害に会い、その中には織田信長の延暦寺焼き討ちもありましたが、その灯火は守
り通されました。
その灯火を守るためには、菜種油(なたねあぶら)が切れないように注がなければなり
ません。また、炎の芯(しん)が燃えつきそうだと、新しい芯に代える必要があります。
そういった営みをずっと続けているのでしょう。きっと灯火の係とか、組織の中の役割が
しっかりされているのでしょう。
比叡山延暦寺の高僧がこんなことを言っています。「係とか役割を決めたら、何年かは
うまくできるかもしれません。しかし、役割を決めた瞬間に誰かの仕事というように甘え
の心が出て、他人事になってしまうのです。そこに失敗の原因が隠されているのです。比
叡山では、だれも役割はもっていません。気づいた人が油を足します、気づいた人が芯を
代えます。我々が命に代えて守らなければならないものです。役割や係分担で行うもので
はないのです。油が切れたら灯火は消えます。心に迷いや怠けが満ち、当たり前のことが
できないことを指します。このことを『油断』と言うのです。この言葉は、比叡山の灯火
を守ることから生まれた言葉なのです。」
皆さんの学校生活は基本的に係や役割分担で成り立っていますね。この比叡山延暦寺の
ような役割をもたずに生活してみてはどうですか。例えば、教室の中にゴミが落ちていた
り、掲示物が取れていたり、学級文庫の本が乱雑になっていたり、清掃用具が乱れていた
り、こんな時、気づいた人が拾ったり、整頓したりしてはどうでしょうか。