村田智孝:大規模水害時の広域避難誘導方策のあり方に関する研究

大規模水害時の広域避難誘導方策のあり方に関する研究
○児玉 真1・桑沢敬行1・片田敏孝2・澁谷慎一3・村田智孝4
1
(株)IDA 社会技術研究所(群馬大学広域首都圏防災研究センター 協力研究員)
群馬大学大学院理工学府教授(群馬大学広域首都圏防災研究センター長)
3
国土交通省中部地方整備局 木曽川下流河川事務所長
4
国土交通省中部地方整備局 木曽川下流河川事務所 調査課長
2
1.はじめに
わが国の三大湾のように、海抜ゼロメートル地帯が
広がる低平地において高潮や洪水によるはん濫が発生
した場合、広範囲にわたって浸水が及ぶことに加え、
湛水期間が長期間に及ぶことが想定される。また、膨
大な浸水人口が発生し、救助活動も難航すると予想さ
れることから、たとえ高層建物等へ垂直避難したとし
ても、長期間にわたって困難な待避生活を強いられる
こととなる。したがって、高潮・洪水災害による犠牲
者ゼロを実現するためには、浸水区域外へ避難するこ
とが最善の方策といえる。
しかし、三大湾のように広域的に浸水被害が発生す
る地域では、自市町村内で浸水域の住民を避難させる
だけの避難施設を確保することが困難なところもあり、
自治体によっては非浸水域の他市町村への広域避難が
必要となる。
また、
浸水想定区域の人口が膨大であり、
多大な避難者が発生することとなるため、広域避難実
施にあたっては、その誘導方策によって生じうる効果
や課題、各種現象の相互の関係構造を整理しながら、
適切な対応策を検討していくことが重要である。
このような認識のもと、著者らは木曽三川下流部を
対象に、避難シミュレーションを活用しながら広域避
難誘導方策を検証するとともに、関係自治体を交えた
検討会を開催し、広域避難実現に向けた課題認識を共
有しながら、当該地域の広域避難計画の策定に取り組
んでいるところである。本稿では、上記の事例から、
大規模水害における広域避難誘導方策とその検討のあ
り方について考察する。
2.対象地域の概要
本研究の対象地域は、
木曽三川下流域にある桑名市、
木曽岬町、弥富市、愛西市、海津市である。図-1は、
「東海ネーデルランド高潮・洪水地域協議会」での想
定に基づき、スーパー伊勢湾台風1)による高潮と、現
況の計画降雨に 100 年後の増加率を考慮した降雨によ
る洪水(1000 年確率規模相当)が発生した場合に想定
される浸水状況を示したものである。これによると、
破堤箇所
海岸堤防
河川堤防
最大浸水深
0.0m - 0.5m
0.5m - 1.0m
1.0m - 1.5m
1.5m - 2.0m
2.0m - 2.5m
2.5m - 3.0m
3.0m - 3.5m
3.5m - 4.0m
4.0m超
図-1 対象地域における最大浸水想定
対象地域は広範にわたって深刻な浸水が想定され、非
浸水域にある他市町への広域避難が必要となる。
また、
台風接近に伴う暴風によって身動きがとれなくなるた
め、
台風上陸の 6 時間前に避難を完了する必要がある。
3.広域避難誘導方策に関する検討
ここでは、著者らが開発した避難シミュレーション
を活用した避難誘導方策の導入効果について検討を行
った結果を概説し、広域避難誘導方策の検討に際して
の留意点についてまとめる。ここでの検討にあたって
は、対象市町の低平地(標高 5m 未満)の居住者全員
が非浸水域への避難を実施することを前提としている。
なお、シミュレータの構造や諸条件については,桑沢
ら(2010)を参照されたい。
(1)広域避難先と避難経路の指定
広域避難を実施する際、無秩序に一斉に避難を開始
すると、深刻な渋滞が発生し、避難が滞ることが懸念
される。そこでここでは、表-1のように、広域避難先
や避難経路を各市町の地区毎に指定した場合の避難誘
導効果を検討した。なお、ここでは自動車による避難
を前提とした。
検討の結果(図-2)
、具体の広域避難先や避難経路を
指定したシナリオ No.2、No.3 では、指定なしの No.1
と比較して平均・最大避難所要時間ともに大きく低減
表-1 広域避難先・経路の指定
市町・地区
長島地区
桑 市街地
名
市 城南地区
多度地区
木曽岬町
4
3
2
1
5
3
2
1
s01
s02
14.7
15
10
5
0
s01
s02
u00
d00
4.おわりに
前章での分析結果からわかるように、特に膨大な人
口を扱う広域避難誘導に際しては、単に避難先を指定
し、短絡的に住民を一斉避難させるという対応だけで
は、深刻な交通渋滞の発生や、鉄道の輸送能力によっ
ては駅に集中した住民の滞留を招くなど、かえって被
害を甚大化させる恐れがあることがわかる。避難誘導
方策の検討にあたっては、地域の各種交通手段の輸送
能力を鑑み、如何に住民避難の時間的・空間的な分散
化を図り効率化していくか、動的に生じる事象の相互
関係をふまえながら、つぶさに検討していくことが重
要といえる。
なお、今後は対象地域の自治体とともに検討を継続
し、広域避難計画の具体化を図っていく予定である。
県道5号
県道168号、県道23号
東名阪自動車道、
県道29号
18.8
6
6
5
4
4
5.9
5.9
5.9
5.6
5.6
5.6
4.5
4.5
3.8
4.3
4.5
4.5
4.3
3.8
4.3
4.3
3.8
3.1
3.3
3.8
3.3
3.3
3.8
3.8
3.3
3.1
3
2
2
1
0
25
25u00
21.0
最大避難
所要時間
(時間)
20
14.4
15
10
5
20
21.0
21.0
s01
s02
s02
u00
u00
s02
s01
s01
u01
d00
s01
s02
s02
s02
s01
s01
u01
u01
u00
s01
s02
s02
u00
u00
d00
d00
d01
18.8
d01
18.8
18.8
14.7
14.7
14.1
15
15
14.4
14.7
14.7
13.0
14.4
12.0
14.4
14.4
14.1
14.1
14.1
13.0
10.9
13.
13.
12.
10.9
10
10
10
5
5
0
シナリオNo.
広域避難先の指定
避難経路の指定
避難先の分散化
0
s02
s01
s01
21.0
20
20
0
0
s01
s01
s02
u01
u00
s01
s02
s01
1
-
-
-
s02
s01
s02
2
●
-
-
u00
u00
d00
s01
s02
s01
3
●
●
-
u01
d00
d01
d00
s02
s01
s02
u01
u01
s02
s01
s01
4
●
●
●
u00
図-2 広域避難先・経路の指定による避難所要時間の変化
3.7
20
平均避難所要時間
3.6
3.5
17
3.4
最大避難所要時間
3.3
CLASS.1
以上の
路線・駅
を利用
CLASS.2
以上の
路線・駅
を利用
CLASS.3
以上の
路線・駅
を利用
CLASS.4
以上の
路線・駅
を利用
CLASS.5
以上の
路線・駅
を利用
CLASS.6
以上の
路線・駅
を利用
14
・駅、路線の時間あたりの鉄道輸送能力(24時間平均)
CLASS.1:50人未満
CLASS.3:200人未満
CLASS.5:400人未満
CLASS.2:100人未満
CLASS.4:300人未満
CLASS.6:400人以上
・鉄道利用者は、駅周辺の2km圏内の住民に限定する
・上図は、鉄道利用率を0%~100%の5%間隔で変化させ、その平均値をとったもの
・鉄道を利用しない住民は自動車により避難する
・図中の平均、最大避難所要時間は、自動車による避難者の時間も含む
図-3 路線・駅の輸送能力別にみた避難所要時間
桑名市 弥富市
50% 木曽岬町
海津市
40%
30%
20%
10%
0%
0
0
s01
s02
s02
u00
u00
d01
最大避難所要時間(時間)
20
最大避難所要時間(時間)
25 u01
d00
平均避難所要時間(時間)
21.0
国道421号
0
s01
バス輸送可能規模(人口比)
最大避難所要時間(時間)
0
s02
u00
25
4.3
4
0
s01
7
5.9
6
平均避難
所要時間
(時間)
平均避難所要時間(時間)
5.6
4.5
平均避難所要時間(時間)
平均避難所要時間(時間)
7
5.9
5
優先的に利用する経路
国道1号、国道23号
北部
名古屋市昭和区、瑞穂区、天白区
弥
富 中部(旧十四
国道1号、国道23号
市 山村を含む) 名古屋市緑区
南部
大府市
伊勢湾岸自動車道
海 平田町、
海津市高台、大垣市西部、関ヶ原町 県道56号
津 南濃町
市 海津町
大垣市東部
県道219号
佐屋地区
稲沢市東部、一宮市南東部、岩倉市 県道65号
愛 佐織地区
一宮市北部、江南市
西
一宮市南西部
国道155号
市 八開地区
立田地区
稲沢市西部
※各市町の相互応援協定およびヒアリング等をふまえ想定
7
6
広域避難先
桑名市高台南部前面
桑名市高台南部背面、東員町、
いなべ市南部
いなべ市北部
桑名市高台北部、いなべ市北東部
最大避難所要時間(時間)
すること、また、広域避難先内でさらに避難先を分散
させるよう設定したシナリオ No.4 では、
避難所要時間
の低減がより図られることがわかった。
以上のように、広域避難実施にあたっては、単に市
町村単位で広域避難先を指定することのみならず、計
画的に避難者を空間的に分散させ、避難の効率化を図
ることの重要性が指摘できる。
(2)鉄道の適正利用に関する検討
広域避難の実施にあたっては、鉄道は有効な手段で
あると考えられる。そこでここでは、対象地域におけ
る鉄道輸送能力を整理したうえで、広域避難時の鉄道
の適正利用規模について検討を行った。
その結果(図-3)
、平均避難所要時間は鉄道の利用を
CLASS3 以上の路線・駅とした場合が最小となり、規
模の小さな CLASS2 以下の路線・駅を利用しようとす
ると、平均避難所要時間がかえって増加することがわ
かった。鉄道による避難者輸送の負担率を検討するう
えでは、こうした路線や駅による輸送能力に留意する
必要がある。
(3)バス利用に関する検討
自動車などの移動手段をもたない住民にとっては、
バスは有効な避難手段となる。ただし、各市町が所有
するバス台数は限られており、より多くの住民がバス
を利用できるようにするには、バスの効率的な運用や
台数の確保といった対策が必要となる。
そこで、バスの避難者輸送可能量について、1)避難
開始タイミング、2)バスの優先避難先・経路の指定、
3)バス台数の拡充といった観点から分析した。その結
果、上記の方策 1)、2)については、移動過程で渋滞に
巻き込まれるなどしてほとんど往復輸送ができず、現
有のバスのみでは輸送能力に限界があることがわかっ
た。
このため、
バスによる広域避難を実施する際には、
一回の移動でより多くの避難者を輸送できるだけのバ
ス台数を確保することが重要であることが明らかとな
った(図-4参照)
。
【現有のバス台数】
市町
台数 総定員 人口※
木曽岬町
3台
96人 6,677人
海津市
11台 364人 27,722人
愛西市
桑名市
2台
55人 59,080人
弥富市
10台 401人 44,576人
愛西市
7台 219人 65,758人
10 20 30 40 50 60 ※本研究の対象地域(標高5m未満)の
10 追加バス台数(台)
20 30 40 50 60
人口
【シミュレーションの条件】 ・広域避難先・経路の指定あり(図-2のシナリオNo.3)
・鉄道の輸送規模を地区毎に最適化
・避難勧告の発令タイミング:台風上陸24時間前
図-4 バス台数の拡充による輸送可能規模の変化
補注
1) 伊勢湾岸地域に甚大な高潮災害をもたらすと想定される
経路をたどり、室戸台風級の勢力をもつ台風。
参考文献
桑沢敬行・片田敏孝・境 道男・浅野和広(2010):高潮避難
シミュレータを用いた避難対策の検討と防災教育,土木計
画学研究講演論文集,vol.41,No.326(CD-ROM)