エベレストに死す

エベレストに死す
――天才クライマー加藤保男――
長尾三郎
≪ワイド大活字版≫
講談社オンデマンドブックス
目 次
第一章
一九七三年十月
初登頂・死の地帯からの生還
プロローグ
1 エベレスト初挑戦
2 極限状況での死闘
3 栄光と死者の歴史
4 奇跡の生還
第二章
重度身障者のクライマー
5 両手足指十三本切断
6 山に魅せられて
7 再起への執念
50 40 28 14 10
122 106 90
第三章
一九八〇年五月
南北初制覇・栄光のサミッター
8 チョモランマ北東稜隊リーダー
9 マロリーの永遠の謎
エベレストと呼ばれる男
一九八二年十二月
第五章
ヒマラヤを飛ぶ鶴
野望と栄光
なぜ山に登るのか
第四章
Mr.
厳冬成功、生きて還らず
163 147 136
198 188
10
12 11
恋人を残して
「最終目標は厳冬期の単独登頂だ」
宿敵メスナーとの戦い
″エベレスト三冠王″、そして還らず
永遠の雪の王
エピローグ
引用・参考文献
文庫版あとがき
286 274 255 242 227 212
294 292
17 16 15 14 13
第一章
一九七三年十月
初登頂・死の地帯からの生還
プロローグ
という記号がつけら
エベレストの頂上付近は「天のにおい」と「死のにおい」がするといわれている。
インドの測量局が一七四九年に発見した高峰は、ひとまずピーク
10
ろを目撃されたのを最後に氷雪の中に消えた。二人の死が頂上をきわめたあとなのか、そ
回目の一九二四年六月七日、若いアービンと一緒に北東稜の稜線づたいに歩いているとこ
彼は、大英帝国の威信をかけた挑戦に、一九二一年以来三回連続して参加し、そして三
ヤ王』、それにシェリー詩集を手ばなさなかったという知性の持ち主だった(1)。
れた柔軟な肉体を持ち、エベレストの遠征中も、シェイクスピアの『ハムレット』や『リ
ジョージ・リー・マロリーは、「ギリシアの神」のようだと感嘆された美貌と均整のと
も悲劇的な死とされているのはマロリーの遭難であった。
となったこの世界最高峰にあくなき執念を燃やして挑戦してきた。その登山史上、もっと
されたが、結局、一八五六年になって発見当時の測量長官、ジョージ・エベレスト卿の名
前を記念してエベレストと命名された。以来、人類は、南極、北極と並んで ″第三の極点″
れ、のちに「神の住み家」とか「光り輝く白いシバの花嫁」などという美しい名前が検討
15
第1章 初登頂・死の地帯からの生還
れとも最後のアタック寸前だったのか、今では永遠の謎である。
マロリーが三十六歳で悲劇的な死をとげてから五十年目の一九七三年(昭和四十八年)
十月、二十四歳の加藤保男は、「日本エベレスト南壁登山隊」の一員として、エベレスト
に挑戦していた。
マロリーが挑んだのは反対側の中国側のルートからだったが、加藤たちはネパール側か
らアタック、いまだ登られたことのない前人未踏の南壁を攻略し、頂上をきわめるという
作戦だった。
しかも季節は冬を目前にしたポスト・モンスーンだ。寒気が厳しく、地吹雪が舞う。今
までこの季節にエベレストに登頂した例は一つもない。ネパールは、三月から五月までを
プレ・モンスーン(春)、六月から八月までをモンスーン(夏)、九月から十一月までをポス
、そして十二月から二月までを厳冬期と定めている。
ト・モンスーン(秋)
前人未踏の南壁は、垂直の氷壁となって天にそそり立ち、ちっぽけな人間の挑戦を厳し
く拒絶し、崇高な威厳を保っていた。極限状態の氷雪の世界では、加藤たちの存在は、まる
で巨大な角砂糖の中に迷いこんだ蟻のようなものでしかない。しかし、若々しい不屈の闘志
と燃えたぎるような情熱を秘めて、加藤はこの難攻不落の氷壁に果敢な戦いを挑んでいた。
「この南壁は必ず俺が征服してみせる!」
厳しければ厳しいほど、加藤の闘志は燃えたつ。だが、加藤はこれまでの登山家たちと
11
はどこか違う、不思議な魅力を持つ男だった。悲愴感を表面にあらわすタイプのクライマ
ーではない。隊の中でも、加藤はいつも底ぬけに明るい笑いをふりまいていた。
マロリーは「ギリシアの神」のような美貌で、二重まぶたの眼がきわだって美しく、み
ずみずしい美男子ぶりは、どこか純潔で冷静なものを感じさせた、といわれた。
加藤保男は一八〇センチ、七二キロ。登山家としては大柄なほうだ。日本人に珍しく眉
目秀麗で、端正な甘いマスクをしており、やや鼻にかかったバリトン、なめらかな魅力的
な話し方は、どこか人を酔わせる魔力を秘めていた。その証拠に、彼には熱烈な女性ファ
ンが多かった。
隊員の中には酒豪たちが結構多いが、加藤はふだんは飲まず、煙草も吸わない。この長
身のクライマーは、ケーキなどの甘いものが大好き、というのも登山家としてはちょっと
異色だった。彼は生まれ育った埼玉県大宮市の名産、「十万石」という饅頭を好み、遠征中
も両親に送ってもらい、カビがはえていても平気で食べた。食欲も旺盛で、他の隊員たち
が食欲不振でゲンナリしていても、人の二倍も三倍も食べてまだ足りない顔をしていた。
したがって体力は抜群で、疲れというものを他人には見せなかった。金田正樹医師によ
ると、一度ヌプツェ(七八七九メートル)に高度順化のトレーニングに登ったときだけ、
「苦しい」と、青息吐息で帰ってきたことがあったが、あとはケロリとしていた。
そこから「怪物」というニックネームを隊員たちからもらったが、この怪物は陽気で多
12
第1章 初登頂・死の地帯からの生還
少おっちょこちょいのところがあった。興がのると、「森の石松」や「野狐三次」などの
浪曲をうなった。太陽がいつも自分の頭上に輝いているような明るさがあり、その性格が
誰からも愛された。
特別表だってトレーニングをするわけでもなかった。が、自分をアピールする必要があ
るときには強烈に存在を誇示する術は知っていた。同行した東京放送(TBS)・中村和夫
も、加藤に魅せられた一人だ。
「ふだんは他の隊員が一生懸命になって荷上げしていても、平気でテントに寝ころがって
マンガを読んでいるんだ。ところが、いざとなると人の二倍も三倍も力を出して、他の隊
員が一回往復してグッタリしているのに、保男だけは二回も三回も荷上げして、どうだ俺
の力は、と見せつけるんだな。それが嫌味にならないところが保男の魅力だな。一種の天
才ですよ」
地球上に、ジャイアンツと呼ばれる八〇〇〇メートル以上の巨人峰は十四座ある。最高
チヨ モ ラン マ
はいうまでもなく八八四八メートルのエベレストだ。ネパールとチベット(中国)にまた
がり、北緯二七度五九分一六秒、東経八六度五五分四〇秒。中国名は珠穆朗瑪峰といい、
「山の母神」を意味する。ネパールではサガルマーターという呼び方をされているが、最
初にエベレストに登ったシェルパのテンジンによると、「虎に乗った貴婦人」という意味
だ。もちろん伝説上の存在である。
13