「ひよし」第17号 - 日吉町自治会のホームページ

発行日平成27年7月
ノ
日吉町自治会│→圏
、⋮⋮鴬⋮噛り
発行日吉町自治会
編集日吉町自治会
広報委員会
印刷情報印刷(株)
日吉町自治会ホームペーシ
httpV/www・hiynshicyou・net/
新入学児童記念植樹
於日吉公園
催
日吉地区
グラウンドゴルフ大会
於一同吉台中学校
六月六日︵土︶日吉台中学校に
於いて、日吉地区グラウンドゴル
百名が参加して植えた木々は例
供会と矢上子供会の児童など約
方々のご協力を得て、わかくさ子
公園を管理している緑の会等の
れた。この植樹式は、港北区役所・
当を食べながら楽しく語らい、記
けて作業は終了、最後に皆でお弁
の清掃や、公園の木々に名札を付
業を行った。さらに、全員で周開
木を板垣大助氏の指導で勢定作
り。その後は以前に植樹された植
五チームが参加、三十人がゲーム
会・矢上婦人会.そして親和会の
らは、自治会A・B・日吉町婦人
ションになった。日吉町自治会か
雨も明け方にはやみ、試合時間に
はグラウンドも絶好のコンディ
フ大会が開催された。心配された
年通り、ハナモモと港北区の花で
お任せします。
僻
を楽しんだ。試合結果はご想像に
念植樹式を終えた。
芸用のシャベルを手に共同作業
あるハナミズキを児童たちが悶
今生で五年Ⅱになる日吉町自 で土を力ぶせ自治会役員や緑の
治 会 、 新 入 学 児 蛍 記 念 植 樹 式 は 四 会・公園愛護会の方々が水をや
り、あとは根付くのを待つばか
月十九日︵日︶に日吉公園で催さ
式
開
礎日吉町自治会組長総会開催
職於日吉町公会堂
日吉町公会堂に於いて平成二十
平成二十七年五月十日︵日︶
収入額g︾台興S廓円
平成二十六年度一般会計決算は
は片野貴士会計により提案され
ついては片野芳昭会長が、予算案
可決された。功労者表彰は、長年
は無く、全ての議案が満場一致で
や、騒音に対する質問や要望が有
りましたが各議案に対する質問
計画並びI予算案事業計一凹卜
た。
にわたり自治会運営や消防団活
応
ノ
・背﹃
五コ︻
画
会長より感謝状が贈呈された。
須川光男氏・挫井政幸氏に、片野
動に尽力された、石田太一郎氏・
平成二十七年度一般会計予算は
収入額畠雪削PgP円
支州額届︾鵠PgP円
差引残高式gPgP円
平成二十七年度資産管理予算は
差引残高可・gP円
第四号識案その他
収入額牌gp8P円
支州額脚gPgP円
第弓号議案会計監査報告
昨年度の総会で改定が承認され
↑片野尚士会胃
鈴木克己会計職査役が監査結果を
鼠
た、H吉町自治会規約についての
収入額輿ご跨畠の円
支出額幾$脚忠慎円
差引残高忠輿隠舎円
平成二十六年度資産管理決算は
差引残高興旨興忠騨円
支出額F怠岸届瞬円
一
報告、適正にして正確なることを
の
一
説明が行われた。
微
数は二百三十二人。主席者三十
一人、委任状百六十人、合計百
九十三人で総会は成立。規約に
一
承認した。
塾
より、総務部長が議長を務めた。
缶
質疑応韓ごみ収集場所の問題
↑鈴木克己会計慌査
治
↑片野芳昭会=
告については、片野芳昭会長が
報告、決算報告は森正和副会長
鯛
第三号議案平成・一十七年度事業
消防団員募集
ます曇若い方々の参加
を お 願いします。
の高齢化で団員が不足し
日 吉 の 町 を ↑ 守る
る消
消防団員
団
員
募
港北消防署
お願い致します。
まで連絡を
希 望者 は左 記 主
い
により報告された。
ll-和剛会匡
↑末
一
)
侭
▲
念
ー
て
長
鯉
F
”
町
六年度日吉町自治会組長総会が
開催された。総会当日の組長総
力″一
|
−
第一号議案平成二十六年度事
業報告並びに決算報告事業報
l、I
■
一
←
−
b
に一
、
︽哩一
も置いてあって、瓢箪柄杓がひもで吊
国ではこんな夜には酒だるがいくつ
庭を掃き 滴 め な が ら 、 ﹃ あ l あ 、 私 の
務のため宮衛の警護に就いていた。
焚き衛士︵官衛の番兵︶が、ある夜任
武蔵の国から徴用された一人の火
は.・・・・
ゆえ大 い に 心 を 癒 さ れ る 。 そ の 物 語 と
を聞かされた彼女は稀代の文学少女
礎石だけ残るのみだが竹芝寺の伝説
くどす 黒 く て が っ か り 。 し か し 、 今 は
隠れてしまうほど。海辺の砂も白くな
かりが馬鹿高く生い茂って馬の姿も
が咲いて素敵と聞いていたのに麓ば
の国に 入 る 。 武 蔵 野 は 一 面 に 野 草 の 花
あばら家で秋雨しきり。やがて武蔵
第一日目から宿泊場所が野宿同然の
も後期に入った頃である。帰国の道
三歳の時で西暦一○二○年、平安時代
京へ帰国の途についたのは彼女が十
︵代行 ︶ と し て 四 年 間 の 任 務 を 終 え 、
えむすめ︶は、父孝標が上総での国司
更科 日 記 の 作 者 菅 原 孝 標 女 ︵ た か す
第五地区伊藤鈴太郎
l更科u記より﹃竹芝の男﹄l
横浜日吉歴史散歩︵一三︶
廷の生活になじめず、もつと自分の
断で豪胆、しかも美男子.○姫は宮
は武術に長けた屈強の若者で頭脳明
士で、一年交代で上京する者。この男
じ︶とは、諸国の軍団から選ばれた兵
像を膨らませてみる。○術士←え
中満智子︶そこで、お言葉に甘えて想
る﹂。︵漫画﹃天上の虹﹄作家野
かを想像することで物語が生まれ
至るまで人々が何を考えどう動いた
の事件は変えられなくても、そこに
った事件だと言われている。﹁歴史上
能だったのか。この伝説は実際にあ
し、か弱き姫を連れてなぜ脱走が可
記﹄では右のような描写だが、しか
武蔵の国竹芝寺に隠れ潜んだ。﹃日
宮城を抜け出し、七日七夜を駆けて
なる運命だったのか﹄。姫を背負って
を連れて行っておくれ﹄。男は、﹃こう
しあげると、﹃そんなに良い国なら私
聞かせておくれ﹄。男はいまいちど申
をのこよ、いま言った事をもう一度
げ、柱に寄りかかりながら、﹃そこの
居た姫君が聞き答めて自ら御難をあ
のだ﹄。この男のぼやきを御縦の内に
ばならない。早く国にかえりたいも
絶やさず瞥謹の役目を果たさなけれ
なαに△﹃伺一脇ヰ賞か抄け寸火を
なっている︶のこの男は誰なのか。
Ⅱ古くは御田。現在は曹洞宗済海寺に
で、竹芝寺︵東京都港区三田。三田
に、この話は実際にあった事件のよう
きょうに取り計らえ﹄。前述したよう
﹃こうなった以上はやむを得まい・良
のです﹄・使者の報告を聞いた帝は、
宿世︵すくせ・・・前世からの宿縁︶な
うに﹄・姫﹃今の私の状況はまさに
紙を番きました。都に帰り帝に渡すよ
た。姫は﹃私は帰りません。父帝に手
三月ほど後、中央から迎への使者が来
らせる通信手段がなかったこと。
の逃避劇を成功させたのは、緊急を知
を越えて相模国へ。○何よりもこ
開通面前の東海道を行く。箱根・足柄
○束山道︵とうざんどう︶を選ばず、
外れると、お金︵銭貨︶は通用しない.
う︶をどう言いくるめたのか。畿内を
の駅家の責任者︵駅長・・・えきちよ
ごとに存在する駅家︵うまや︶、こ
動はどうしても馬が必要。十二キロ
これ、意外に重要○姫を連れての行
で、社会インフラも劣化していない。
いた。○天皇・朝廷の威光まだ盛ん
に通過した国々の状況を頭に入れて
いた.○男は徴用されて都に上る際
立て、そして宮廷内で姫を助ける者が
将門記I
律令︵養老︶
更級日記
列島の古代史
平凡社
岩波書店
岩波文庫
岩波譜店
頭に置きながら勉強していきたい。
って、そして未来に続く。この点を念
れる。歴史には過去があり、現在があ
なる苦労が有ったのだろうと想像さ
蔵国の経営は為政者にとっても大い
便。この点だけイメージしても遠国武
できるが、都から遠いため何かと不
いであった。つまり、税金は多く徴収
ていた。ただ、都から遠いため遠国扱
の大国扱い。二十二の郡から柵成され
が、古代武蔵の国はランクが一番上
今回は武蔵国が舞台の一つになった
た甲斐があったということだ。
姫の七光。命を懸けて姫君をさらっ
竹芝の男であろうと推測されている。
格の昇進を遂げている。この不破膳が
階級が上がり中央貴族階級の位も破
を名乗るようになり、とんとん拍子に
えられ︵西暦七六七年︶、以後武職氏
綱︵すくれ・・・郡主の意︶の姓を与
︵はせく︶不破磨という男が武蔵宿
謬圭“動間
一郭幽幽脚ぽい一似竹口乱小Ⅲ納刊釧祁中和11﹄にjみ“剛
るされ て 、 風 の 吹 く ま ま に 気 ま ま に 揺
自由が欲しかった。○お互い発作的
李佃Ⅲ一て何Lなく一位︾な︽枯臓崇州〃川に引嗣一胆を
れる。それくらい俺は自由だった。
:⋮⋮・え⋮シの立ち上げ﹂箕輪地区
要注意自転車走行
オープニングセレモニーは穂積
防災訓練﹂ド田地区から高田彩子
さんが﹁ド田ふれあいまつり﹂目
吉本町地区から梅川なつよさん
規制が厳しくなった。自惟単も乗
六月一Hから自転車に対する
から小泉幾行さんが﹁町内独自の
平“成二I七年三月一日︵日︶慶
政美さん・三上剛東巳︵そのとみ︶
他三妬の方々による寸劇﹁認知症
第6回福祉実践活動発・表会一光と活雲吏﹂開催
於慶応義塾大学日吉キャンパス協生館2階
唯義塾大学日吉キャンパス協生
さん・唐木浬剛明巳︵そのあけみ︶
道交法では
自動車と同じ扱い
館二階、藤原洋記念ホールに於い
れば軽車両、全て自動車とMじ道
路交通法が適用される。飲酒、携
でも楽しく生活できる﹂等、何れ
帯電話のながら運転、信号無視、
さんらによる、琴.十七弦・尺八
一方通行の逆送、一時停止、右側
の演奏でした。活動発表は、口吉
連絡員の佐藤絹枝さんが﹁薪での
通行、走行可の無い歩道の通行等
て、港北区社会福祉協縦会主催に
よる第六凶福祉実践活動発表会
炊き出し訓練﹂と題して、毎年恒
が厳しく規制される。ご注意を!
も素購らしい発表でした。我らが
日吉地区からは家庭防災員代表
例になった日吉公園で行われて
いる、薪を使った炊き州し訓練と
三角巾の使い方誰習会の様子を
日吉神社節分祭
年男・年女、十四名による節分祭
今年・誇屠苧吉神社ではぎ|勇一撰に
寓前地区から鳴門弘美さんが﹁ホ
が執り行われました。境内に大勢
発表した。
I
F
﹁光と活力﹂が開催された。
の善男善女の皆様に主年の無病
一
イムカプセルとなって、当時の希
ちにとって、自らが植えた樹がタ
先、この日吉公園を訪れた子供た
きれいな花を咲かせます。何年か
編集後記
節分は﹁季節を分ける﹂と書き
息災を願い力いっぱい﹁鬼は外!
’
ます。季節の変わり同には邪気
一一一一
● ・
、︾一
プモ
ー奉唖
佐藤絹枝さん
福は内!﹂明日は立春です。エ
ピローグに豆を年の数ほど頂い
て福を沢山招くと事と致しまし
グ
1
︵山箸刀雄じこび刑気を払三乙
為に豆撒きの行事が執り行われ
ます。豆には生命力と魔除けの
活動発表する
ょう。︵広報委員佐世静雄︶
→
呪力が備わっているという信仰
や語呂合わせで﹁魔目﹂と書き、
鬼の目に豆を投げつけて鬼を滅
ぼす意味合いも有るようです。
宇多天皇の時代に鞍馬山から鬼
が出て来て、都を荒らすのを祈
祷して鬼の棲家を封じ、三石二
升の妙り豆で鬼の目を打ちつぶ
し災厄を逃れたという故事伝説
の始まりと言われています。
§錘目
垂