「ベトナム研修旅行」報告

無名会90周年ベトナム研修旅行報告
中村
希望
村雨
圭介
富崎
曜
久松
洋輔
高田
伸一
はじめに
無名会が設立されてから90周年にあたる本年を記念して、9月22日(木)∼25日
(日)の4日間、ベトナムに研修旅行を行うことになりました。今回は若手会員(旅行日
当日の年齢で39歳以下)に対し、旅行費の半額が無名会から補助されることとなってい
ましたので、若手5名の無名会員が参加することができました。このような機会を与えて
いただけたことに、この場をお借りして感謝を申し述べるとともに、若手5人で研修報告
を行いたいと思います。
一日目
まず、中村希望が一日目の報告をさせていただきます。
1.日本出発からベトナム到着まで
諸事情で残念ながらキャンセルとなってしまった会員もいらっしゃいましたが、無名会
から22名、稲門から3名、総勢25名での旅行となりました。22日の8時半の集合で
したが、シルバーウィークと重なり空港が混雑していたことから、結団式も簡単に済ませ、
ちょっと古めのベトナム航空955便で出発し、約5時間25分ほどでベトナムに到着し
ました。ベトナムと東京の時差は−2時間なので、体はだいぶ楽に感じられました。また
気温についても今年の日本の夏が長かったので、さほど変わらない印象を受けました。到
着後、すぐに専用バスに乗り込んで、バスから市内(最高裁判所やレーニン像など)を巡
りながらホテル(ニッコー・ハノイ)に到着したのはだいたい16時ごろでした。
2.ベトナムの街並み
夕食まで時間があったので、散策に出かけられた方も多かったようです。私もオーダー
メイドの洋服を作るべく、稲門の志摩先生と一緒にシルクショップへ散策ついでに歩いて
いくことにしました。簡単に「歩いていく」と言ってもベトナムでは命がけです。交通法
規もあってないようなものなので、ものすごい数のバイク・自動車(比率は7:3程度で
バイクの方が多いです)は信号も守りませんし、進入禁止であろうとかまわず入って来ま
す。もちろん横断歩道であっても歩行者のために止まってくれる人などいません。道を横
断するためにはバイク・自動車が行き交う道路を、タイミングを見計らって抜けていく必
要があります。走って渡らずにゆっくり周りの動きを読んで道路を渡るのがコツのようで
す。実際、バイクと自動車の事故現場にも遭遇しましたが、当然ながら交通事故は多いよ
うでした。しかも排気ガスがすごいので、バイクに乗っている人の多くはサングラスとマ
スク(いろいろな柄の布製マスクをしている人が多い)着用でした。
こんな具合ですので歩くだけでもストレスですが、パリを思わせる街並みにちょっぴり
感動しつつ、道端で高さ20cmあろうかという低い椅子に腰かけて屋台で談笑する人々
やバイクの上で器用に昼寝する人、竹製の帽子をかぶって籠を肩に下げて歩く人、さっき
まで道端を自由に歩いていたであろう犬や鶏が丸焼きにされてショーウィンドーに並んで
いる様子などを見ていると全く飽きないで歩けます。ベトナム人の気質は日本と似ていて、
某国のように旅行者を騙そうという魂胆で近づいてくる現地人が少ないと感じました。ち
ょっぴり恥ずかしがりですが、信頼できそうな感じです。なので、身の危険はあまり感じ
ることのない土地でした(ただ一回だけ、靴の修理屋さんに無理やりサンダルを脱がされ
て修理されそうでしたが、一緒にいた稲門の杉村先生と志摩先生に「お金請求されちゃう
よ!」と警告され、逃れました)。それにしても市内には高層ビルはほとんどありません。
だいたい4階程度のビルが面一に並んでいて、パリ風な感じです。
軽く40分くらい歩いたでしょうか・・・。なかなかお目当てのショップが見つかりま
せん。それもそのはず。私たち二人が持っているそれぞれの地図でもそのショップを示す
場所が間違っており、いいかげんなのです。それにベトナムはお客さんが入らないと思う
とすぐに撤退してしまうそうなので、地図どおりに来てもお店を探せないことは、よくあ
ります(後日、全く違う場所でそのショップを見つけました)。なので、今後ベトナムを旅
行される際は地図があまり頼りにならないと思った方がいいと思います。
仕方なく他のシルクショップに歩いていきましたが、残念ながらお目当てのものはなく、
また命がけでホテルまで歩いて帰りました。正味2時間の散策となりました。
ハノイの街並み
4.夕食からオプショナルまで
一日目の夕食はベトナム料理でした。フォー(米粉から作る麺)から始まるコースに、
「主
食が最初?それともフォーはスープ的位置づけ?」と戸惑いますが、香草の良い香りと独
特の香辛料とがマッチして体にすんなり入ってくるベトナム料理はどれもこれもとてもお
いしかったです。ベトナム人の若い女性は皆細くてスタイルが良いですし、若い男性も細
マッチョな方が多いような印象を受けました。きっとこのベトナム料理が効果的なのだな
ぁと思います。私ももっとフォーを食べようと思いました。
夕食後、任意でマッサージのオプショナルツアーを開催し、14名が参加しました。全
身マッサージ(約70分くらい)で2000円ですから、相当リーズナブルです。中国式
のマッサージでしたが、私と女性添乗員の菅間さんは男性会員とは別室に連れて行かれ、
スタッフの女性に短パンと巻きスカートの短いようなものに着替えるように指示されます。
オイルマッサージではないのに脱ぐのか・・・と奇妙に感じていると、やがて施術士とし
て入ってきたのは、若い男性です。その時点でちょっとテンションが下がりましたが、男
性客には若い女性が、女性には若い男性が施術するシステムのようで、どうしようもない
まま、マッサージが始まります。つぼ押しとリンパマッサージ、ホットストーン(熱せら
れた石)マッサージを組み合わせたコースでした。もちろんマッサージはよかったですが、
そこから先は勘弁!とヒヤヒヤするところが幾度もあり休まるどころではなかったです。
やっぱり嫁入り前の私にとっては女性にやってほしかったなぁ・・・。
5.まとめ
団体行動でしたが遅れもなく一日の行程を消化することができて、また無理のない余裕
のある日程でしたので、皆様楽しく過ごすことができたと思います。ホテルも日系ホテル
でしたので、快適に過ごすことができました。ここまで書いてきて、何を学んだかがあま
り書けていませんが(汗)、本番は2日目ですので、皆様、続く旅行記を楽しみにされてく
ださい。
二日目
続いて、村雨圭介、富崎曜、久松洋輔の三名が分担して二日目の報告をさせていただき
ます。
1.二日目の朝
ここからは、年齢制限ぎりぎりで若手会員枠に滑り込ませて頂きました村雨がまず報告
させて頂きます。
初日の解散時に、各部屋に朝8時にモーニングコールが入ることになっています、との
話がありました。しかし、ベトナムは日本との間に2時間の時差があります。つまり、ベ
トナム時間の朝8時は日本時間では既に10時です。私はまだ若いので8時まで寝ていら
れそうでしたが、同室のTさんは6時前からもぞもぞ動き始めていましたので、早々に朝
食をとりに一階のレストランへと向かうことにしました。
(あ、すいません、本当は私も目
が覚めてしまいました・・・。)
朝食はビュッフェ形式です。さすがは5つ星の日系ホテル、高級ホテルでよく見かける
オムレツや目玉焼きなどの卵料理をその場で作ってくれるコーナーや、その場でフォーや
ラーメンを作ってくれるコーナーもあり、和食系も充実しています。納豆がなかったこと
だけがマイナスポイントで、95点というところでしょうか。ただ、来年度幹事長のK・
Sさんが、回転式のコンベヤ・トースター(というのでしょうか?薄く切った食パンなど
をコンベヤに乗せると焼いてトーストにして下に落としてくれるやつです。)に丸いパンを
入れて詰まらせてしまい、レストランのかたに怒られたと風の便りに聞きました。レスト
ランの方々には大変ご迷惑をお掛けしましたので、お詫びの気持ちを加算して100点と
させていただきます。
朝食を終えた後、まだ出発まで少し時間がありましたので、私は留守中のメールでもチ
ェックしようとタブレット端末を持ってビジネスセンターへと出向きました。日系ホテル
ですからネット接続環境は整っているだろうと思ってはいましたが、ホテルロビーでは
Wi-Fi 接続も可能となっており、快適な通信環境です。(残念ながら部屋では有線接続のみ
となっていました。)ビジネスセンターでログインコードとパスワードをもらい、端末でそ
れを入力するとすぐに繋がりました。街中の風景を見ている限りでは通信インフラもまだ
まだ整備されていないのではないか?と思えますが、ホテルだけではなく、例えば街中の
カフェにも無線ルーターが壁に取り付けられているところがありましたので、そこそこ普
及はしているようです。
さて、いよいよ時間になりました。二日目は今回の研修旅行のメインイベント、ベトナ
ムの大手特許事務所である INVENCO とベトナム知的財産局とを訪問します。INVENCO
訪問については富崎曜さんが、ベトナム知的財産局訪問については久松洋輔さんがご報告
します。
2.INVENCO 訪問
(1)はじめに
この度、一応、『年齢』に関しては若手枠(39歳以下)に入るということで補助を得て
(大変恐縮です)ベトナム研修に参加させて頂きました富崎曜です。
この研修旅行の主要目的の1つは、ベトナムの4大特許事務所の1つである INVENCO
訪問です。INVENCO は1991年に設立され、100名以上のスタッフを抱える国際法
律事務所です。ヘッドオフィス(今回の訪問先)はハノイにあり、ホーチミンとハイフォ
ンに支所があります。
朝9時過ぎにホテルを出発し、バスで INVENCO に向かいました。所在はオフィス街と
いうよりはむしろダウンタウンにあり、バスが進入できない細い路地に面して自社ビルが
ありました。向かいには小さな食堂(決して綺麗とは言えません)があり、外の席では近
所の人が集まって賑やかに食事していました。その2つ3つ隣には肉屋があり、正体不明
(おそらく鳥)の肉を職人がさばいており、若干異臭もしていました。前日空港からホテ
ルに向かう途中で官庁街をみたところ、大変立派で整然としている印象を受けていたので、
この雑多なロケーションは正直意外でした。スーツ姿の我々20数名がその路地を通って
INVENCO に向かう様が現地の人には異様に映ったらしく、注目を浴びました。
INVENCO のビルに入ったところ、大事務所にしては思いの他狭く、会議室に全員は入
りきれないということで、予約してあった政府施設の会議室に向かいました。
(2)ミーティング
次に用意してあったのはかなり広い会議室で、我々20数名と、INVENCO 側の7名が
相対して座り、羽鳥幹事長のベトナム語での挨拶からミーティングが始まりました。この
ベトナム語の挨拶で INVENCO の所長(赤ネクタイでやや強面)や副所長の表情が途端に
緩みました。何と挨拶されたのかは分かりませんが、現地の言葉でコミュニケーションを
取ることは重要ですね。
その後、INVENCO の歴史や業務実績に関する紹介がされました。現在は外内特許出願
(殆どPCT経由)がベトナム全体で約3000件/年あり、内訳は、概ね米国40%、
EU30%、日本20%、その他10%といったところのようです。なんとそのうち約1
000件が INVENCO を通じての出願ということでした。特許に関してはベトナム全体の
出願の1/3、商標に関しては1/4、意匠に関しては1/10を INVENCO が占めてい
るようです。
日本からは特に自動車(自動二輪車を含む)関連の仕事が多いということです。そうい
えば空港からホテルに向かう途中に日本企業の大規模な工業団地があり、そこに自動車メ
ーカーの工場もありました。街中では車1台に対してバイクが15台くらい走っている印
象でしたが、バイクの60%はホンダ製とのこと。
業務実績の紹介では、どうやら複数の日本の自動車メーカーが INVENCO のクライアン
トとなっているようで、当然この点に関しては、我々の方からコンフリクトの問題に関す
る質問が出ました。その回答は、「我々は複数社から依頼を受けているのでどちらも断らず
にやる。ただし、相互で特許紛争が生じた場合には、いずれか一方に付いて、他方には断
りを入れる。」というものでした。特にためらいなく所長及び副所長から回答がきたので、
本当にそれで済むと理解しているようです(当然依頼する側もコンフリクトを承知の上だ
とは思いますが)。
ミーティングの様子:中央の眼鏡をした男性が所長の Thao 氏、その左隣は副所長の Tho
氏、右隣は副所長の Quyen 氏。Quyen 氏は元北ベトナム軍の軍人。
(3)ベトナムの知財弁護士制度
ベトナムでは、日本の「弁理士」に相当する職種は、知財弁護士(IP Lawyer)であり、
現在知財弁護士はベトナム全土に250人程度居るということでした。この知財弁護士と
なるためには、①学士であること(文系理系を問わず大卒であること)、そして、②IP に関
する5年以上の実務経験(例えば INVENCO のような事務所での実務経験)があること又
は司法省のIPプログラム(6ヶ月)を修了していること、③知財弁護士となるための国
家試験に合格することが条件となります。この中で一番困難な関門は③の試験であり、合
格率は10∼20%程度しかなく、かなりの難関ということでした。昼食時に聞いた話で
すが、4大特許事務所の中でも INVENCO の知財弁護士は特に高給らしいです。
なお、知財弁護士ではない弁護士(Lawyer)に関しては、①法学学士であり(法学限定)、
②所定の研修(6ヶ月)を経た後、③さらに1年半以上の実務経験を経てから、④弁護士
となるための国家試験に合格することが条件となるようです。弁護士の国家試験に関して
は、合格率が約60%ということでした。知財弁護士ではない弁護士は IP 関連の書類にサ
インできないとのこと。
ミーティング後にはお土産をいただき、記念撮影をしました。その後、INVENCO が我々
をランチに招待してくれました。
お土産:左
札入れ、
右
INVENCO のバッジ
記念撮影
(4)最後に
3日間、ハノイ市街を回って感じたことは、とにかく人が若いということです。老人は
あまりみかけませんでした。どうやらベトナム人の平均年齢は27歳(!)くらいらしく、
休日だったこともあり、昼も夜も若い人がいろんな場所に集まって食事しながらワイワイ
と楽しく話していて、活気にあふれていました。新橋駅周辺と比較すると、平均年齢が2
0歳くらい違う感覚です。INVENCO や二日目午後に訪問した NOIP も例外ではなく、3
0歳前後の若い方が多く、要職に就いている方もいました。私は必ずしも日本のような高
齢化社会に対して負のイメージばかり持っていたわけではないのですが、現実にベトナム
の若さと活力を目の当たりにして、若いということはそれ自体がすばらしいことだなあと
38歳にしてつくづく実感しました。
最後に、このような貴重な機会を与えてくださった諸先輩の方々に心よりの感謝を申し
上げます。
3.INVENCO 招待のランチ
再び村雨です。INVENCO でのミーティング終了後は、INVENCO が海鮮レストランで
のランチに招待してくれました。こちらのレストランは入口の門が巨大な伊勢海老でかた
どられており、店内 1 階は半分オープンエアになっています。南国の雰囲気を強く感じま
した。
そこから3階へ上がり、大きな個室で INVENCO の方々も交えてみんなで海鮮料理をい
ただきました。日本ではあまり見かけない小粒の赤貝みたいな貝の塩茹で(?)や、どう
しても身構えてしまう生牡蠣、ガーリック味のソースのかけられた貝(これはかなり美
味!)、蒸したワタリ蟹など、次々に運ばれて来ます。おっとその前に、出ました!常温ビ
ールです。店員が氷を別で持ってきますので、それを入れれば適度な温度、適度な濃度で
楽しめます。それに度数が40度近いベトナムヴォッカも大きな瓶で供されました。
シメに出された魚(見た目は巨大なコチのよう。ハタの仲間のように見受けられました)
の蒸し煮の料理が絶品でした。煮汁は真っ黒に近い色でかなり味が濃いように見えるので
すが、実際食べてみるとかなりあっさりしています。大きな鉢にすでに茹でられているフ
ォーが大盛りで出されているので、このフォーをどんぶりに入れ、上から煮汁ごと魚をか
けて食べました。美味しかったですねぇ∼。INVENCO の皆様ありがとうございました。
4.ベトナム知的財産局訪問
(1)知的財産局とその周囲の様子について
今回の旅行の一大イベントは、なんといっても、現地の特許事務所訪問と、知的財産局
(National Office of Intellectual Property of Viet Nam、NOIP)の訪問です。その NOIP
訪問の感想について、恐縮ではありますが、久松洋輔が以下にご報告させて頂きます。
知的財産局は、ハノイの Nguyen Trai str.にあります。・・・誰もわからないですよね?
ベトナムにおける霞ヶ関(雰囲気はまったく違いますが)ともいえる首相官邸付近からお
よそ直線距離で5kmほど南西にあります。
なお、さもよく知っている風に書いていますが、現地では観光バスに揺られていき、ま
た、ベトナム語の地図もまったく理解できないので、自分も、帰ってきてからネット上の
某有名マップで検索して、「ここにあったのか!」と、赤いマークを見てやっと理解した次
第です。
直線距離で5kmというと、あまり離れていないようにも感じますが、バイクの数が異
常に多いベトナムでは交通の流れのスピードが日本と異なりかなり遅く(だから信号など
なくとも道を横断できるのです)、日本だと10分程度で行けるところがベトナムだと30
∼40分かかります。
とにかく、知的財産局は、官庁街
からはかなり離れた場所にあります。
外国人が訪れるエリアも官庁街の東
側にあるホアンキム湖周辺や旧市街
地区なので、周りは現地の方しかい
ませんでした。
入り口には門と(これぐらいは日本にもあったほうが貫禄が出ていいかも。税金の無駄
遣い?)、警備員詰め所がありましたが、我々が素性の知られている団体であることを差し
引いても、警備は非常に緩く、日本の特許庁で行われているような荷物チェックはありま
せんでした。
また、写真には写ってはいませんが、我々が知的財産局を出てバスに乗り込もうとする
ときには、その入り口の警備員詰め所の横で、職員の方々を狙っているのかは定かであり
ませんが、簡素なテーブルと小さな椅子(高さにして30cmくらい)のみを置いた飲み
物などを売る屋台が開いていました。何とも、日本の特許庁周辺では考えられない呑気な
雰囲気です。
(2)説明会の様子
知的財産局内に通されると、内部の施設を少し見学するのかと思いきや、いきなり会議
室に通され、説明会が開催されました。
説明会では、知的財産局の前局長である Tran Viet Hung 氏や、発明部の第2部のリーダ
ーである LE HUY ANH 氏のほか、5∼6名の職員の方々が説明会が参加して下さいまし
た。その中には20代と思しき方も1、2名は含まれており、若い世代が多い組織である
ように感じました。
職員の方々からは、ベトナムに
おける特許の出願状況や審査の
進め方、著名な商標の類似範囲の
解釈などについて話を伺うこと
ができました。
具体的にはまず、ベトナムにお
ける特許の出願状況についての
説明がありました。出願件数につ
いては、ベトナムにおける特許出
願は、2010年において国内企
業が306件であるのに対し、外
国企業による出願は3276件である、とのことでした。ベトナム国内企業と外国企業と
の間には、出願件数について、ざっと10倍もの開きがあります。この点に関しては、技
術力の差もさることながら、国内企業が特許等を取得した場合の活用法を十分に認識でき
ていないため、出願に消極的な面があることも理由の1つである、とのことでした。
また、私は、現地のベトナムの審査におけるプラクティスについて、似ている国がある
のかなどを質問しました。この質問には LE HUY ANH 氏が回答して下さり、TRIPs 協定
等を遵守する内容である知的財
産法をベースとして審査が行わ
れており、また、プラクティスが
似ている審査機関を挙げるなら
ば、(少なくとも彼らが最も基準
が最も整っていると考えている)
EPO である、とのことでした。
さらに、説明会では、今後のベ
トナム企業の技術的発展や法制
度との関係についても議論する
ことができました。例えば、ベト
ナムにおいて中国と同様にライ
センサーによる特許保証が求められている点と外国企業からの技術移転とについて、議論
が交わされました。
海外からの技術移転には知的財産局の職員の方々も非常に興味を持たれたようで、かなり
活発な議論が展開されました。
(3)最後に
今回の説明会では、前局長や審査の部長といったお忙しい方々が我々の勉強のために2
時間も時間を割いて頂けたことは、非常にありがたいことと思いました。また、職員の方々
は、我々が理解しやすいように丁寧に説明して下さいました。知的財産局の外の呑気な雰
囲気とは異なり、教えてもらう側としては誤った表現かもしれませんが、知的財産という
業務に関する職員の方々の熱意を感じました。これが、今後発展を遂げていこうとしてい
る国の原動力であるのかもしれません。私も、彼らに負けず、熱意を持って努力していか
なければならないと思いました。
5.水上人形劇
またまたここからは村雨です。夕食前には、ハノイ観光名物の一つ、タンロン水上人形
劇場の水上人形劇を見に行きました。タンロン水上人形劇場はホアンキエム湖の北岸にあ
り、観光客には大人気のスポットです。私は数年前にプライベートでハノイに来た際、こ
このチケットを買うのにすごく苦労しました。とにかく人気で、夜の部のチケットはすぐ
売り切れてしまうのです。
会場は前方舞台の中央に水がはられて池のようになっています。池の後方には寺院のよ
うな舞台装置が組まれており、舞台左側では民族楽器の演奏が行われます。その演奏に合
わせて、舞台装置の裏側にいる人たちが棒や糸で人形を操り、水上でコミカルな動きさせ
るというものです。この人形劇そのものは李朝成立期の11世紀前後に始まったとのこと
で、農村の収穫祭の折りに水田で演じられたのが始まりのようです。
肝心の内容なのですが、日本語で書かれた簡単なパンフレットをもらったのですが、会
場の照明が落とされているため上演中は読めません。全部で十数個のショートストーリー
のようなのですが、いまいち筋がわからず、徐々に眠気が・・・。いえいえ、そんなこと
はありません。しっかり最後まで堪能させていただきました!
こちらの水上人形劇場のホームページを発見しました。動画を見ることもできますので、
興味のある方はどうぞ
→
http://www.thanglongwaterpuppet.org/homepage.asp
さきほどちょっと動画を見てみたのですが、我々が観たものと違うプログラムもあるよ
うですね。人形ではなく本物のベトナム美女が後ろの舞台で踊っている映像があったので
すが、これやってくれれば眠くならなかったかもしれないなぁ・・・。
6.二日目の夜
水上人形劇を見終わるともう19時過ぎ、腹ペコ状態です。二日目の夕食もベトナム料
理でしたが、一日目とは少し感じの違う料理でした。どう表現していいのかはわかりませ
んが、ボリュームある料理が多く、腹ペコ状態の我々にはぴったりでした!(無理やり若
手感を出してみました。
)
夕食後は二日目のオプショナルツアー、H幹事長考案(?)のカラオケ大会!ハノイの
熱い夜の幕開けです!ここでも若手会員は費用負担なしと優遇していただきました。この
場をかりてスポンサーとなって頂いた皆様にお礼を申し上げます。
お店では素敵なベトナム女性と美味しいお酒を堪能し、めくるめくハノイの夜はあっと
いう間に更けていきました・・・。意外や意外、あんなにおとなしそうなあの人が!等々、
書きたいことは山ほどあるのですが、研修旅行報告という本来の趣旨を大きく逸脱してし
まいそうですので、詳細は割愛させていただきます。ひとつだけ、H幹事長の「チークタ
イム!」が今年度無名会流行語大賞にノミネートされたことだけご報告しておきます。あ
っ!あと、数名の猛者が日本でいうところの「アフター」まで楽しんだとの未確認情報が
ありましたが、こちらの真相は定かではありません・・・。
そんなこんなで二日目も終わり、大きなトラブルもなく旅は三日目へと突入です。
三日目
最後に、高田伸一が三日目の報告をさせていただきます。
1.はじめに
恐縮ながら若手枠として補助を頂き、ベトナムで貴重な経験をさせて頂きました。
個人的には丁度10年ぶりの海外であり、初の東南アジア旅行となりましたが、感じた
ことを率直に綴らせて頂きます。
三日目は基本的にハノイ観光の日で、午前は名所観光、午後は自由行動というスケジュ
ールとなっておりました。
2.午前中(名所観光)
我々男性陣は、午前中にハノイ周辺の名所をバスで回りました。女性陣はエステ等に行
かれるとのことで別行動でした。少々寂しかったものの、ホーチミン廟、一柱寺、タンロ
ン遺跡の順に巡っていきました。
・ホーチミン廟
1975年に建てられた、ベトナムの英雄・ホーチミンが眠る大きな霊廟です。
駐車場にバスが止まると、早速物売りのおばさん二人が扇子などを売りに寄って来まし
た。ハノイのホテル周辺を無防備にぶらぶらしていても意外と物売りに声を掛けられるこ
とがなかったため、やっと観光地に来たといった感がありました。ガイドさんに連れられ
歩いて行くと、綺麗に舗装された広々とした敷地(バーディン広場)と共に、重厚な石造
りの霊廟が見えてきました。ハノイの喧噪はどこへ行ってしまったのかというくらい静か
で整然としています。霊廟の入り口には、白い制服を着た門番二人が蝋人形のように直立
不動で警備しており、厳粛な雰囲気です。霊廟の周囲にはカラーコーンが置かれ基本的に
立入禁止でした。その中にちょっとでも足を踏み入れた観光客は、警備員に厳しく怒鳴ら
れていました。
写真:ホーチミン廟にて記念撮影。
ベトナムのことなら何でも知っているかのようなガイドさんでしたが、ホーチミン廟に
関する説明はとりわけ詳細でした。細かい話は忘れてしまいましたが、門番は24時間常
に直立不動で警備している(もちろん交代しながらですが)という話と、霊廟の中にはホ
ーチミンの遺体がまるで生きているかのように安置されているという話には驚きました。
残念ながら中に入る事は出来ませんでしたが、記念写真を撮り、ホーチミン廟を後にし
ました。立派な霊廟を見た後だったせいか、土産物屋に飾ってあった凛々しい目つきのホ
ーチミンの写真がとても印象的に映りました。
・一柱寺
次にホーチミン廟の近くにある一柱寺へ。蓮の浮かぶ四角い池の真ん中に、一本の柱で
支えられた小さなお寺です。お寺といっても、小さなお堂があるだけです。お堂を拝むに
は階段を上るのですが、この階段が、観光客のためにあとから作りましたと言わんばかり
の、取って付けたような不格好な造りで、お寺の外観を台無しにしているように感じまし
た。ガイドさんによると、階段を取り払い、元々あった形に変える予定があるとのことで
した。
バスに戻ると、また物売りのおばさん達が寄ってきました。今度は何を思ったか、緑色
のハンモックを見せつけてきました。ベトナムではハンモックで昼寝などすることがポピ
ュラーなのでしょうか?
・タンロン遺跡
バスで移動し、世界遺産のタンロン遺跡へ。広々としたな敷地に、石造りの古い門や建
物がきれいに保存されていました。遺跡と言っても、1000 年前の建物の基礎と、500 年前
の龍をかたどった階段を除くと、あとは 200 年ほど前に出来たものだそうです。そうは言
っても、修復の多い日本の遺産と比較すると、十分古いように思いました。
遺跡の中を歩んでいくと、結婚式が行われているようで、白いドレスの花嫁と黒いスー
ツの花婿が、カメラマンに向かってポーズを取っていました。カメラマンに混じって二人
にカメラを向けた先生もおられましたが、花嫁さんはサービス精神旺盛に笑顔を作ってく
れました。この他にも結婚式の列席者らしき人達が遺跡のあちこちでポーズを取り、写真
を撮り合っていました。雑誌の表紙を飾るモデルかのようにカメラの前でしっかりとポー
ズを取るところに、日本人と違う国民性を感じました。
写真:タンロン遺跡にて。
・地下シェルター
その後、フランス軍撤収後にベトナム軍本部として使用されたという施設を見学しまし
た。私が生まれたときは既にベトナム戦争が終わっており、教科書で戦争の事実を学んだ
世代ですが、壁に貼ってあった、交戦の状況を示しているであろう赤と青の矢印が沢山描
かれた戦略地図には戦争の事実を生々しく感じさせられました。
次に、実際に使われていた地下シェルターへ。階段を約10メートル下り、分厚い鉄の
扉のある入り口をくぐると、狭い廊下と数部屋の地下室があります。床にはタイルが敷か
れ、部屋には木製の大きな会議用テーブルと椅子が置いてあり、思ったよりかなり綺麗で
す。別の出口へ通じる隠し通路はないかとつい探してしまいましたが、見つかりませんで
した。
写真:地下シェルターに入っていく様子。
3.午後
名所観光を終え、中華料理店で餃子や春巻などの飲茶料理を頂き、一休みした後で自由
行動の時間となりました。水上人形劇場の前でバスを降り、ハノイの旧市街の土産物街な
どをそれぞれ自由に回りました。土産物で職業柄気になるのはやはりニセモノです。ベト
ナムの伝統的な物を販売しているお土産屋は問題ないのですが、ブランド物を販売してい
るお土産屋はどれを見ても100%ニセモノのようでした。罪の意識を感じる気配もなく
あまりにも堂々と販売している姿には驚きましたが、それ以上に、東南アジアにおいて模
倣がある種の文化のように定着してしまうことに懸念を感じざるを得ませんでした。
私は、シルク通りでハンカチを買い(勿論ニセモノではありません)、土産物屋でダン・
ティバというベトナムの琵琶を買いました。この琵琶、本物の楽器かどうか店で何度も確
認したものの、家に帰って弾いてみるとどうも作りがいい加減で、結局部屋の飾りになっ
てしまいました。タクシーを拾い、4ドルでホテルに戻りました(適正価格だったのかは
不明)。
ホテルで休憩後、夕食にベトナム風フレンチを堪能し、空港に向かいました。飛行機の
中では眠れず、日本に戻る頃には意識がもうろうとしていましたが、飛行機の窓から整然
とした日本の田園風景が見えてきたときは、日本はきれいだなあとつくづく感じると同時
に、大きな安堵感に包まれました。
4.おわりに
あっという間の4日間でした。道路の横断が命がけだったり、ハノイ市街は常に砂埃と
排気ガスだらけで、お世辞にも暮らしやすい街とは言えませんでしたが、振り返ってみる
と言葉にできない魅力を感じずにはおれません。ベトナムで知財が本当に注目されるのは
まだまだ先かもしれませんが、ここで何か仕事をしてみたい、と思いました。
最後に、この度貴重な体験をさせて頂き、旅行中は温かく見守って下さり、時には真剣
なお話を頂いた諸先輩方に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
現地で出会った誇り高き勇者
(あれ?どこかで見たことが・・・)
以上