平成26年度10月

No.439
2014.10.1
西京極保育園
℡.311-2516
平成26年度 保育目標
『おおきくなるってうれしいな』
10 月 の 目 標
『ともだちと ちからをあわせて がんばろう』
運動会について <10/11(土)>
当日は、はな組、かぜ組…8 時 15 分登園
にじ、ほし、そら組…9 時30 分登園です。
狭い園庭ではありますが、保護者の皆様のご協力を宜しくお願いします。
今月のことば
朝一番の涼しい風の気持ちよさに、もう暫らくこのまま何もせず、「じっとしてい
たい~」と、思う季節になりました。一年中がこの気持ちよさなら、朝の気分が変わ
るだろうなぁ~と思いますが、なかなかそうは上手くいかないものです。
土石流の次は、火山の噴火だなんて…。聞いたことも、見た事もない事ばかりが続
きます。予想なんて出来ない、何処にいても、誰でもが危険と隣り合わせで生きてい
る時代です。亡くなられた方々のご冥福を祈りながら
先日、研修で福島県、FUKUSIMA に行ってきました。震災後 3 年半、原発の恐怖の
中での生活や子ども達、保育園がどういう現状なのかを少しだけ、ほんの僅かだけ体
験してきました。まず、お土産?を持っていこうと問い合わせ?をしたところ、
「絵本やおもちゃなどはいらないので、葉っぱ、枯葉、どんぐり、まつぼっくり、
などが欲しいです」との答えが返ってきました…
子ども達に必要なものですから、放射能の危険がない自然物は…貴重。
放射能は埃やちりにくっつき、あちらこちらに風と共に動いて山にぶつかるけれど、
山の除染はほとんどされていないので、近くの山で採れた自然物は濃度が高く、子ど
も達には触らせられないと…
東京までは行くが、その先は一気に北海道へ、という事が多い関西人なので埼玉、
栃木、茨木、そして東北方面は、地理的にも関係や興味が薄い実態のなかで、新幹線
JR を乗り継ぎ、約 6 時間。いわき市につきました、人口は県下で 2 番目に多いが面積
が広いので、人口密度が低い事と震災以降の人の流失や放射能の影響か、とにかく人
が少ない!京都から来たから余計に感じるのかもしれないが、とにかく少ない!ガラ
ガラ?スキスキ、駅前の三越デパートにも人は、ちらほら…平日のお昼なのでしかた
がないかもしれませんが…。用意して頂いたマイクロバスから市内を走っても、ほと
んど人影はありませんでした。時折座席が満員の観光バス、というのを見かけました
が、それは除染や開発などで働く作業員の人達で、よく見ると全員男性で同じような
服を着ていました。長い時間の作業はやはり、人体に影響があるらしく入れ替わりが
頻繁におこなわれているそうです。
9 月 15 日に開通した道路は案内の園長先生(牧師さんでもある)が購入している高
性能のカウンター(放射能の濃度を計る機械)のピッ、ピッ、ピッ…の音の連打がバ
ス内に響くほどで、この道路を運転する時は、窓を閉め切り室内はエアコンを回すと
いう規定があるそうです。又、この道路は、自転車、バイク、人は通れなくなってい
ます。復興の為に経済効果をあげる事を優先して開通したそうです。確かに便利で遠
回りをせず近くなったこともあるが、引っ切り無しに通過するトラックや車のタイヤ
に付着した放射能があちらこちらに、ばらまかれることにもなったと…
その道路を通り、海沿いに、車を走らせると、双葉町、楢葉町、富岡町、…とテレ
ビで何回も写しだされた、聞き覚えのある町の名前が並びます。勿論人影はなく、新
しそうな家もそのまま…洗濯物、車のないところは、基本人が住んでいない家。使わ
れていない中学校の校庭には除染された土を包んでいる黒や青のビニール袋が山積
に放置されていました。JR 富岡駅は周辺も当時のままで、潰れた駅の姿は阪神大震災
の時の JR 六甲駅や新長田駅を思い出させました…私たち以外にも、宗教団体の方た
ちの慰霊訪問や東京の大学生のグループも来ていました。みな、言葉はなく静かに手
を合わせ、写真だけを撮っていました。
長い沈黙のバスの中、小一時間ほどで案内の方の保育園に到着。フラ・ガールの映
画で有名になり震災の復興の象徴の一つでもある ≪スパ・リゾートハワイアン≫の
ほど近いところにあるその保育園は定員 45 人のこじんまりとした園ですが、先ず入
口の門の所に放射能の測定装置がありました。園庭と保育室の間の小さい玄関ホール
には屋内の砂場があり、園長先生を中心に職員で作ったそうです。今年は震災後初め
て園庭で運動会をするそうで、年長児の組体操は裸足でするが、数人の保護者の反対
があり、何回かの話し合いを重ねて先日やっと出来ることになったそうです。主任の
先生から震災当日の話を聞く機会を得て、お昼寝前後の時間帯の子供たち、職員の姿
をリアルに聞くことが出来ました。「保育園は保育士だけで保育をしているわけでな
い、そこにいる大人みんなで、子どもを守った…」子ども達の中には死傷者が出なか
ったけれど、職員一名が亡くなったこと、それを助けられなかったことが、今でも苦
しいと…
その夜食事中に震度4の地震がありました。お店の人や他のお客さんは誰も驚くこ
となく普通?の姿で食事や仕事をしていました。震度3、4というのも体でわかるそ
うで、5くらいでないと慌てない?そうです。そして地震が起きたら原発がどうなる
かは誰も解らない…経験したことがない事態なので、ただただ恐ろしいだけだと…
2 日目は、園長先生から原発の問題を中心にその中で起きている、地域、家族、世
代間の分裂や疎外、人としての根幹に関するお話と質疑応答。どの社会にも起こりう
る、対立、無関心、特定の価値観の排除、ムラ社会の中での孤独等々。
ある日本地図はフクシマのみ危険を表す赤色が付いてあり、他の地図はその地域か
ら見た放射能の危険区域として関東以北がすべて赤色がついていたり、沖縄から見る
と、沖縄以外は赤色になり、世界から見ると日本全体が赤色になっています。
煽るわけでもなんでもなく、ただ事実と今現状で起こっている問題、特に子供たち
の環境や、親のそれぞれの立場や心境について語って下さる園長先生のお話は、淡々
とした中にも、怒りと決意を感じる内容でした。
あまりにも知らない事が多すぎて、怖さよりも恥ずかしさの方が強くなる気持ちを
抑えながら、一つ何か出来ることは?と考え続けていました。
先ずは、園便りに書くこと、研修報告をすること、そして定期的に葉や木の実?な
どの自然物を送ること…
これくらいしか、これくらいから始めることで、知らなかったことを知るきっかけ
にしたいと思います。フクシマが自分の故郷だったら?戻るかな?子供を育てるか
な?食べ物はどうするかな?自分だったら?と考えていくことが最初の第一歩かも
しれません。
青空の下、美味しい給食を食べて、まだまだ元気いっぱいの年長ひまわりさんが、
お昼からも、園庭でおにごっこをしたり、砂場あそびをしたり、組体操や三角馬をや
っています。
≪あたりまえ≫と思わず日々感謝の気持ちの中から、新しい未来を見つけていきた
いと思います。
≪行事予定≫
日
曜
行 事 予 定
1日 水 造形活動の日
2日 木
3日 金
4日 土 乳児親子遠足(動物園:はな・かぜ)
5日 日
6日 月
7日 火 ジャンピング
8日 水 お弁当の日・運動会総練習
9日 木
10日 金
11日 土
運動会 はな・かぜ…8:15 集合,揃い次第開始
にじ・ほし・そら…9:30 集合,揃い次第開始
12日 日
13日 月 体育の日
(運動会予備日)
(
〃
)
14日 火 ジャンピング
15日 水 造形活動の日
16日 」
木 どんぐり、虫取り(にじ・ほし・そら)
17日 金
18日 土
19日 日
20日 月
21日 火 ジャンピング・見学説明会・園庭開放
22日 水 造形活動の日
23日 木 お弁当の日・いもほり遠足(にじ・ほし・そら)
おいもクッキング(にじ・ほし・そら)
24日 金
月刊誌持ち帰り日
25日 土 (運動会が延期になったときの代休日)
26日 日
27日 月
28日 火 ジャンピング・見学説明会
29日 水 造形活動の日
30日 木 お誕生日会・保育参観(にじ・ほし・そら)
31日 金
お誕生日おめでとう♪