[迫り来る法改正の荒波-12:人質事件は未来の暗示] <序文> その時為政者は、どのような判断基準を以ってあのように発言したのか-。 この報道に接したとき、咄嗟に脳裏を過ぎったのは「棄民」の二文字でした。 本件は外見上、確かに、伝統的ともいえる嘗ての棄民政策(明治末から始まった 「南米移民」や昭和初期の「満州開拓団」が典型。その実態を描いた作品に「蒼 氓」=石川達三、「邪宗門」=高橋和己、等がある)の系譜に繋がっているとは 申せませんが、時の政府が、国民を見捨てたことに変わりはありません。 囚われの身となった自国民を、政府がどう扱うか-これは今後の私達の行く末 を占う試金石でもありましたが、その意味では、予想通りの結末となりました。 残念乍ら私達の前途には、どんよりした曇り空が待ち構えている様です。 この事件については、個人の突出した行動が、政府に余計な負担を掛けさせる結 果を招いた-とする、専ら本人の責任を問う論調を展開した政権寄りのメディ アもありましたが、そこからは、 「お前達が余計な真似をしなければ、戦争はも っと早く終結したのだ」という、終戦後、九死に一生を得て「特攻」から帰還し た若者に対し浴びせられた罵声と、どこか似かよった、 「志」など顧みようとも しない冷酷で余所々しい疎外感情が、漂っているように感じられます。 民が民を敵視し、民同士が反目し合うこの余所々しさは、政権運営者にとっては 痛くも痒くもない、むしろ好都合な状況とさえ云えるでしょう。 規制緩和のお題目とともに、やがて揃って生贄に供されるとも知らず、いがみ合 う羊同士-そんな絵柄を、高所から眺めているのかもしれません。 さて以前、 「260分のm=365分のn」という、有休の予実管理の考え方を ご紹介する際、有休消化推進議論は、社会保障費の民間への付替えの面もある旨 併せてお伝えしましたが、これが愈々義務化の局面を迎え、再度検証致しました 処、欧米からの長時間労働批判の裏側に潜む極めて危険な思惑と、 「棄民」とも 言いうる為政者の、規制緩和(門戸開放)政策の本質が浮かび上がって参りまし たので、本文でご案内する運びとなった次第です。「生贄に供される羊」とは、 云う迄もなく私達、一般の国民、提供先は「ハゲタカ外資」という構図です。 これらの情報が、各位の事業運営上、聊かでもお役に立てれば幸いです。
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