解答作成のヒント 記事は、第三者による精子提供(AID)で生まれた子どもたちが、自らの 「遺伝上の父」を知りたいと願い、 「出自を知る権利」を法的に認めるよう、訴 えている様子を紹介しています。 ※AID(Artificial Insemination by Donor)とは、 「非配偶者間人工授精」、つまり、 子どもを望む夫婦が、何らかの事情で通常の方法では妊娠に到るのが難しい場合、夫と は異なる第三者の精子を用いることで妊娠に到る方法を言います。一方、同じ、人工授 精でも、夫自身の精子を用いた方法はAIH(Artificial Insemination by Husband) =「配偶者間人工授精」と呼ばれ、今回問題となっているAIDとは区別されます。 問題を掘り下げる さて、これまでの小論文講座でも確認してきたとおり、小論文の内容を考え ていく上では、まずは記事をよく読み、自分なりの「問題」を見つける必要が あります。ただ、今回の記事に関して言えば、そこに提示された問題は一見明 確に思われます。それは、 「AIDで生まれた子どもたちが、自らの出自を知る ことができずに苦しんでいる」ということです。 しかし、ここでもう少し立ち止まって考えてみましょう。そもそもAIDで 生まれた子どもにとって、 「自分の出自(=遺伝上の父)がわからない」という ことはどうしてそんなにも深い苦しみを突きつけるのでしょうか。それを十分 に理解しないまま に 、「出自を知る権利を法制化するには どうすればいい か??」といった具体策を論じても、本当の意味で当事者の立場に寄り添った 解決策が提示できるとは思えません。もちろん、当事者でない人間がその気持 ちを完全に理解することは難しいかもしれませんが、少なくとも、記事に書か れた当事者の言葉を辿ることで、その切実な思いを受け止めてみることはでき るはずです。 そのような視点で改めて記事を見たとき、私は、記事中で女性会社員が語る 「『母親と精子からできている自分』の存在価値を肯定できない」、 「精子という 『モノ』ではなく、人がそこにいたということを実感したい」という言葉が、 強く心に引っかかりました。この言葉からうかがえることは、自分の「出自を 知る」ということは、 「自分が自分である」というアイデンティティ、ひいては 「自分は自分でいい」という根源的な自己肯定感を支える重要なものだという 1 ことです。そして、AIDによって生まれた人たちは、自分の遺伝上の父親が わからないことによって、あたかも自分という存在が、 「人間」ではなく、精子 という「モノ」に生み出されたかのような感覚に苦しんでいるというのです。 人間の本質/生殖医療の現状 考えてみれば、 「自己のアイデンティティを巡る悩み」を抱えているのは、A IDによって生まれてきた子どもばかりではありません。むしろ、私たち人間 は皆、 〈自分〉という固有の「人格」を持ち、だからこそ、誰もが多かれ少なか れ「〈自分〉とは何か?」という悩みや葛藤を抱えながら生きているといえます。 そして、そのような「自分を巡る悩み」には、少なからず自分と他者とのつな がり、特に、自分を生んだ両親とのつながりということが意識されているのは 事実です。皆さんも今までに、自分の両親の〈嫌な部分〉を自分の中に見出し て自己嫌悪を覚えたり、あるいは逆に、自分が両親と全然似ていないように思 えて悩んだりした経験があるのではないでしょうか。そのように身近なレベル から想像を広げてみることで、 「自分の親(父)と信じてきた人はそうではなか った」ということのショックの大きさ、あるいは、先ほど取り上げた女性会社 員の方の言葉の重みも徐々に理解されてくるでしょう。 一方、生殖医療の現場では、果たしてそのような「自分を巡って思い悩む存 在」としての子どもの〈人格〉に十分な配慮がされてきたかといえば、そうと は言えないようです。むしろ、記事に書かれた現状から察する限り、AIDに 利用される〈匿名の精子〉という存在は、人間の〈人格〉から切り離され、あ たかも子どもを産むための「道具」のようにみなされてきた面は否定できませ ん。なぜなら、〈匿名の精子〉の提供者の役割は、言ってしまえば「(子どもを 望む母親に)精子を渡せばそれで終わり」であり、それによって生まれてくる 子どもの人生に何ら責任を負うことはないからです。 もちろんそのような精子提供のお陰で、子どもを欲しながらも何らかの事情で それが叶わない多くの人びとが救われてきたとすれば、そこにおいて当時の提供 者の善意は疑いようがありません。しかし、そのやり取りの中では、 〈子どもを 欲する人〉と〈それを助ける第三者〉の権利(※具体的には、彼らの権利は、それ ぞれ「子どもを産む権利/プライバシーの権利」と定義できます)が優先され、肝心 の「生まれてくる子どもの幸福」への配慮が足りなかったのは事実でしょう。 そしてその結果として、今現実に、AIDによって生まれた子どもたちが、 「自 2 分を巡る悩み」に苦しんでいるのだとすれば、たとえ精子提供者が減るなどの 現実的なデメリットがあったとしても、私たちは、今までの生殖医療のあり方 を見直してみる必要があるといえるでしょう。ここまでの論点をまとめるなら、 人間はみな、固有の人格を持ち、だからこそ「自分とは何か」という問いの 前に悩み苦しまざるをえない存在である。 ↓にもかかわらず 生殖医療の現場では、 「匿名の精子」を単なる「モノ」とみなし、それによっ て生まれてくる子どもの「人格」への配慮がおろそかになっていた。 ↓その結果 現在、AIDで生まれた子どもたちが、自らのアイデンティティを巡る深刻 な苦しみを抱いているなら、それを救うために、今までの生殖医療(AID) のあり方を見直してみる必要がある、 ということが、これまでの生殖医療が抱えていた問題であり、同時に私たちが 「出自を知る権利」の実現に向けた議論を進めるべき根本的な理由といえそう です。 今後の生殖医療に求められるもの そう考えると、ここから「現状をどう変えていけばいいのか」を考えていく 上でも、 「出自を知る権利の実現」ということを最終的な目標と捉え、そのため の細かな具体策を論じるよりも、あくまでも「AIDで生まれた子どもたちが、 アイデンティティを築き、自己肯定感を養っていくために何ができるのか」と いう根本に立ち戻って、そのために必要なことを考えていくべきといえるでし ょう。 では、そのためにどうしていけばいいのでしょうか。私は、その答えは「当 事者一人一人の心に寄り添ったケアをする」ということに尽きるのではないか と考えます。なぜなら、先ほど前提として確認したように、人間とはそもそも 「自分を巡る悩み」を抱え続けざるをえない存在なのだとすれば、今回の出自 を知る権利に関して考えても、当事者が実際に自分の遺伝上の父親を知り、そ の人に会えたからといって、それによってすぐにそのような悩みが解消すると は考えにくいからです。 むしろ、実際に遺伝上の父親に会うことで、かえってその人物像にショック 3 を受けることも、あるいは、自分を育ててくれた親との関係に思い悩むことも あるでしょう。このような個人のアイデンティティを巡る問題の繊細さを考え れば、 「出自を知る権利」を認めるといっても、その実現においては、ただ「A IDで生まれた子どもの出自に関するデータを蓄積し、それを希望があれば提 供する」というだけでは当事者に対する配慮として不十分と言わざるをえませ ん。むしろそれと同時に、カウンセラーなどの第三者が、AIDで生まれた子 ども本人と精子提供者、そして育ての親との間に立ち、どの段階で、どのよう な形で出自に関する情報を本人に伝えるのが望ましいのか、あるいは、出自を 知った上でどのように自分と向き合い、育ての親との関係を築いていけばいい か、といったことをサポートしていくような体制も必要になるでしょう。 まとめ=「人間」に向き合う医療 解答例は、以上のような「問題→前提→これからの展望」という議論をまと めた上で、最後は「これから生殖医療がどんなに発達を遂げても、そこにかか わるのは固有の人格を持った『人間』であり、その倫理を問う上でも、 『そこに 関係する一人一人の人間の幸福』という点から議論を踏み外してはならない」 という自分なりの原則を再確認することでまとめの段落としています。 今回のような、生命倫理にかかわるテーマの場合、 「こうすれば問題は解決で きる!」というような具体策に帰着できない複雑で繊細な問題が多数あります。 そのような問題に向き合う上では、むしろ問題の背後にある「人間の本質」に 立ち返ってみるのも一つの大切な考え方です。特に、今回のような、生殖医療 の倫理の問題は、医療技術の進歩に伴い、「代理母出産」「出生前診断/着床前 診断」 「クローン技術」など、さまざまな形で浮上しています。そのような一つ 一つの問題に向き合っていく上で、今回の記事を通して考えたことが、何らか のヒントになれば幸いです。 (青山奈津) 4
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