復刻版 bababababababababab 本復刻版は会報「むせん」第 9 号(原 本)をスキャナーで読み取り、テキス ト化して再構成しました。 テキスト化の時、誤変換が発生する ため校正は慎重に行いましたが、校正 漏れがあるかも知れません。その場合 はあしからずご了承ください。 また、なるべく原本に忠実を心がけ ましたが、ソフトウェアの関係で一部 異なっている場合もあります。併せて ご了承ください。 目次 特別寄稿 東京無線通信部長 あいさつ 1 新支部長あいさつ 2 新副支部長あいさつ 3 三浦前支部長辞任あいさつ 4 小島前副支部長辞任あいさつ 5 54 年度事業実施概要 6 1. 事業実施概要報告 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6 2. 収支決算報告 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 9 3. 役員会および常任幹事会概要 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10 55 年度事業計画(8 月までの実施概要) 13 1. 支部総会の実施 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13 3. 支部役員改選 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13 4. 相談役の異動 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13 5. 支部会報第 9 号の発行 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13 9. その他 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 14 10. 昭和 55 年度実行予算 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 15 旧友会本部理事会幹事会報告 1. 公社に対する要望事項回答 16 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 16 2. 恩給、共済年金関係 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 17 新人会員の紹介 18 地区だより 20 サークル活動状況 22 会員だより 24 追憶 31 1. 故持丸寿一郎さん . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 31 2. 故深田政太郎さん . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 32 3. 故高橋寛一さん . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 33 支部よりのお願い 34 電話順送表 35 特別寄稿 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ あ い さ つ ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 東京無線通信部長 佐々木敏夫 例年にない異常気象で風邪なども流行しているとか聞いておりますが、皆様方にはいかがお過 しでしようか? お元気でご活躍のこととご推察申し上げます。 さる、6 月には船舶電話が全国 1 万加入を突破いたしました。54 年 3 月、自動船舶電話を導 ・ 入して以来、需要はなおし烈なものがありまして無線チャンネルの増設工事が間に合わないくら いの盛況であります。なお伊豆七島海域についてもエリア拡大が具体化してまいりました。 明けて 7 月にはポケットベルサービスが全国 100 万加入を突破いたしました。43 年、東京に おいてサービスを開始以来、12 年間にして大台を超え、今や世界一のポケットベル王国となり ました。 昨年 12 月、サービスを開始いたしました自動車電話は当初の予想を上まわり 7 月末には 3,000 加入を突破しました。これまた基礎設備の増設工事予定を繰り上げる等関係者は嬉しい悲鳴をあ げております。サービス状況についても開通以来、複雑な最新技術にもかかわらず、担当者のな みなみならぬ努力の甲斐があって、さした問題もなく良好なサービスを提供しております。本年 は引続き大阪エリア東京周辺エリアにサービスを拡大すべく鋭意建設工事を進めております。 また、5 月末にはコードレス電話もサービス開始の運びとなり、着実な発展を逐げております。 この様にほんの 2∼3 年前には、私たち無線関係者の夢であった移動通信時代が 55 年にして一 度に花開いた様相を呈しております。 関東無線は移動通信のみでなく従来からの一般建設工事もなお盛況であります。特に新しい時 代にはばたくディジタル伝送路については、1 ルートで 5 万チャンネル相当(従来は 2 万チャン ネル)の大容量幹線 20L-P1 方式を導入すべく準備を進めてまいりました。 本年、東京−宇都宮間 50 中継所について着工し、引続き宇都宮−郡山間、東京−沼津間なら びにその他の区間について作業を進めております。日ならずして「関八州」いたるところに、あ のスマートな中継柱が林立することになりましよう。 以上、東京無線の近況につきまして、一端をご披露申し上げましたが、みんな頑張っておりま す。先輩諸兄の一層のご指導ご協力をお願いすると共に皆様方の益々のご健康をお祈り申し上げ る次第でございます。 1 就任のあいさつ 関東電電旧友会 東京無線支部長 野口 謙也 6 月の旧友会東京無線支部の総会において支部長の三浦伊登美さんと副支部長の小島徳寧さん が辞任されてそのあとを小生と坂本忠勝さんがやることになりました。支部創立以来その発展の ために力をつくされたお 2 人のあとをお引きうけする自信がそれほどあるわけでありませんが、 御健康のこともおありだということで辞意がかたく、この仕事に慣れ、また御熱心な他の役員の 方々の御協力のもとにお引きうけすることにいたしました。 個人的なことになり恐縮ですが、昭和 27 年小生が東京都市通信部・東京無線管理所長であっ たとき、電気通信省から日本電信電話公社が生れて組織が変わり関東電気通信局、東京無線通信 部が出来たので小生がそのまま部長になったため初代部長ということになっております。しかし 逓信省以来無線の組織は古く東京逓信局工務課、東京都市逓信局丸の内工務出張所、同東京中央 電気通信工事局の下部組織から、昭和 19 年には無線の独立現場管理機関として東京無線電気工 事局が誕生しその後管理所、通信部と変ってきております。通信技術の最先端を常に歩いてきた 無線部門では幾多の優れた先輩が名を残しておられます。 別項の佐々木現無線通信部長の文にもありますように相変らず新しい技術分野で後輩の方々が 活躍されており、その高度の技術内容もわれわれの理解を超えるものもあることは、かつて無線 部門に籍を置いた者としては誠に誇り高く思うものであります。 若い時代の思い出につながる旧友会無線支部の会報や集りは非常に楽しく御世話になってきま した。また東京無線通信部には大層広い範囲で御協力をいただいています。今後も会員諸兄のお 役に立つように大いに努力したいと思っていますので御鞭撻をお願いいたします。 2 副支部長就任御挨拶 坂本 忠勝 私は日本電信電話公社マイクロ無線部から海外連絡室に転出した後、昭和 35 年 12 月公社を退 職し、新しく電電公社・海外電気通信協力会等の肝煎りで創立された、当時日本で唯一の電気通 信コンサルタント業務を行う会社である日本通信協力(株)に入社いたしました。爾来 20 年間 公社施設設計業務の外、主として海外でのコンサルタント業務の拡張に尽力いたしました。 今回日本通信協力(株)を退社するに先立って、佐々木東京無線通信部長・古市関東通信運輸 社長の夫々から、関東旧友会無線支部創設以来 12 年の長い間無線支部の運営に尽力されて来た、 三浦支部長・小島副支部長が夫々健康上の理由から辞任されることとなったので、その後任とし て新支部長に野口謙也氏、副支部長に私という組合せで引き受けてほしいとの要請がありまし た。私は異存なく心から喜んでお引受けすることにいたしました。その後 6 月 7 日無線支部総 会にて正式に支部長・副支部所の交代人事が承認され、前任者の築かれた立派な業績を一層発展 させねばならぬと改めて責任を痛感いたしました。幸にして健康にも恵まれ、また会社の方も常 任顧問として机も確保していただきましたので、東京無線通信部の通信部長はじめ各機関長等の 御協力をえて会員の皆様のお役に立つべく、支部の業務運営に全力をあげて努力いたす所存です ので皆様のご協力ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。 最後に会員の皆様の益々のご健康とご多幸をお祈りして私のご挨拶といたします。 (関東電電旧友会東京無線支部副支部長) 3 支部長辞任のあいさつ 三浦伊登美 昭和 43 年の支部創立以来、12 年の間、支部長の大役を仰せつかって参りましたが、先輩のご 配慮と、支部役員のご理解により、去る 6 月の総会において、支部長辞任の承認をいただき、新 支部長さんは、初代の東京無線通信部長の野口謙也さんにお願いすることになりました。 私の支部長 12 年の間、会員の皆さまのご期待に添い得なかった点も、少くなかったと思いま すが、どうにか、大きなつまずきもなく過ごすことができましたのは、会員のご支援と役員のご 協力とによるものであって、私にとっては、この上ない幸せな 12 年間であったと、心から感謝 しております。 私は、大正 14 年、逓信省電気試験所へ入所、28 年間の無線機器の試験研究続いて 2 年半の 中央学園勤務ののち、東京無線通信部へ転勤、ここで 6 年半の勤務を終って、昭和 37 年、公社 を退職・直ちに松下通信へ入社、在職 13 年半、これで、大正 14 年から始まった私の 51 年間の 職歴は、一応終ったのでありますが、松下通信在職中の昭和 43 年、計らずも、支部長を仰せつ かって 12 年間、そして本年 6 月、支部長を辞任させていただいたという次第であります。 松下通信での私の仕事が、専らポケットベルと自動車電話だったので、無線通信部の方々か ら、いつも何かと大変ご指導をいただいてきましたし、また一方、支部の関係でも、事務所を通 信部の庶務課内におかせていただいておりますので、通信部と支部との関係は極めて深く、常に 大変なご支援をいただいてきたことは申すまでもありません。 従って、55 年にわたる私の社会生活の終りの段階で、通信部で 6 年半、支部長で 12 年間過ご すことができましたのは、私にとっては、この上ない意義深いことであり、心から感謝している 次第であります。 なお、支部長辞任に際し、新支部長さんから、支部としての記念品をいただきました。誠に恐 縮の他ございません。有難うございました。 終りに、旧友会無線支部が、新支部長さんのもとに、今後一層の発展をなさいますようお祈り して、支部長辞任のごあいさつといたします。 (前東京無線支部長) 4 辞任に際して 小島 徳寧 大変永い事支部会員の皆様と共に歩んで参りました。支部設立準備の発足から今日まで支部 運営に御協力下され、312 名を越す大支部に成長致しました。誠に御同慶に堪へません。扨て私 事ですが、昨年 11 月共済会主催の会合で古都鎌倉の光明寺に参集した時でした。急に胸部に苦 痛が発生し診断の結果狭心症と言う事で注意を受けました。今までが健康であっただけに愕然、 すっかり自信を失い今後は気ままな生活に切替へ、先ず健康の限界と十有余年、余りにも永い期 間役員をしている事は総ての面で好ましくないと言う点を考えておりました。他面公私共々苦楽 を共にした本部の安部専務理事の他界、発足当時手足となって働いて戴いた役員も何人か他界し 淋しいものでした。あれやこれやで一昨年十周年記念総会も済んだ事でもあり、本年が改選期で もあり、此の辺で区切りを付けて新旧交代の良き機会でもあると考え三浦さんに御相談申し上げ ました所、三浦氏も茲 1,2 年何かと健康を害され、限界ではないかと言う点で同じ様な考え方の 様でした。いづれにしても支部長、副支部長が辞めると言う事については色々の問題があり苦慮 致しました。三浦さんは大変御無理を承知の上で御願いに上り、良き後継者にバトンタッチが出 来ました事は皆さん御承知の通りです。新しい 80 年代に新しい支部長、副支部長を御迎えし何 より御同慶に堪へません。当事者の一人として本当に良かったと存じています。今度は大変古市 相談役の御骨折りに負う所が多かった事を記しておきます。御別れに際していささか私なりの気 持を御伝へ致したい。日頃荻原会長が申しております。支部活動を通じて交友親睦を深め、趣味 を豊にし教養を高め福祉を厚くして意義ある第二の人生を歩むと言う事です。これを如何に具体 化し実践するかと言う事です。目下各支部は老人集団対策の一環として親睦活動を実施している のは御承知の通りで、此の平凡な運動を大切にして戴き度い。なおかつ『支部は大いなる親睦団 体であると言う原点を忘れないでほしい』従って対人面では務めて、かみしもをさけてほしいも のである。支部運営面で永い事皆様と共に暮した関係で大変失礼にわたった事、御迷惑をおかけ した事等も多く何卒容赦願いたい。終りに無線支部運営のためには、何をやるべきなのか? 何 がやれるのか? 又何をやってはいけないのか? 此の点皆さんの合意を求める努力を傾けたい と思うのである。会員皆さんの御多幸と御健勝をお祈りします。 (前東京無線支部副支部長) 5 54 年度事業実施概要 1. 昭和 54 年度支部の定期総会開催 54 年度支部定期総会は、例年土曜日実施のところ今回は 6 月中には土曜日がとれな いのでやむなく役員会を開き協議のうえ あえてウィークデーの挙行にふみ切り、54 年 6 月 8 日 (金) に実施された。出席者数は昨年同様 110 名を超え盛況を極めた。 本総会においては 53 年度の事業経過及び決算報告、同 監査結果の報告がなされ、続 いて 54 年度の事業計画と収支予算案が諮られ異議なく承認された。続いて支部運営細 則中の役員数 15 名以内のうち常任幹事 4 名を 1 名増員し埼玉地区にも常任幹事を配置 する改正案を上程、可決承認された。 2. 役員の異動 埼玉地区 橋本章三幹事から常任幹事に、東京地区 大桃松夫幹事(金川幹事死去に 伴う補充)に 6 月 8 日ともに指名された。 3. 叙勲およびその他の受賞 受賞会員の栄誉を称えます。 足立 斌 様 勲 3 等瑞宝章 54.4.29 野口 謙也 様 電気通信協会賞 54.5.20 その他の受賞詳細は会報 8 号 6 頁参照 4. 慶弔 (1) 長寿会員のお祝 54 年 6 月 8 日までに米寿、喜寿、古稀を迎えられた会員 15 名に対し総会終了後 三浦支部長からそれぞれ、記念品が贈られた。 (詳しくは会報 8 号 5∼6 頁をご覧下さい。) (2) お見舞 4 月以降病気でご入院された会員、長期ご入院の会員にそれぞれお見舞を地区幹 事が行いお慰め申上げた。 千葉 地区 前田 栄吉 様 54. 4.11 埼玉 〃 田島 育雄 様 54. 4.21 東京 〃 村瀬 賢三 様 54. 7.26 神奈川 〃 小松崎善吉 様 54.11.11 〃 〃 小林陸奥夫 様 54.11.20 東京 〃 川原千代子 様 54.11.29 6 (3) 敬弔 54 年度中次の会員が逝去されました。それぞれ地区役員が葬儀に参列、弔慰金 (本部からの分とも)をお贈りしました。ご冥福をお祈り申上げます。 神奈川地区 酒井音次郎 様 54. 6. 9 歿 千葉 〃 谷口 喬 様 54. 6.20 歿 神奈川 〃 深田政太郎 様 54.10.26 歿 東京 〃 淡路 克勲 様 54.12. 8 歿 神奈川 〃 高橋 寛一 様 55. 2.23 歿 5. 支部会報発行 支部会報 8 号を発行、54 年 10 月 30 日会員に郵送された。 6. 会員名簿の配付 本部発行の 54 年度版会員名簿は上記支部会報と併せて会員に郵送された。 7. 本部会報の配付 本部会報第 18 号は 54 年 6 月 14 日に次の第 19 号は暮の 12 月 26 日全会員に郵送さ れた。 8. 地区懇談会の開催 各地区において次のとおりそれぞれ地区懇談会を開催。 地区名 開催場所 出席者 実施月日 東 京 荻窪東信閣 14 名 55.3.14 神奈川 重慶飯店 44 名 55.3.15 埼 玉 二度栗山 20 名 55.3.15 千 葉 かつらぎ荘 24 名 55.3.22 9. サークル活動 サークル活動については差し向き囲碁 野川、絵画 和田、園芸 橋本の各常任幹事、釣 部は加藤幹事が世話役となり昨年度から活動を開始することとした。 囲碁については現役社員との交流を図り、年 6 回の手合せを行う外オール官公庁大会 に 1 チーム(7 名構成)参加せしめ親交を深めた。その他の部門では次の共済会が催し た文化活動の各部門に参加したにとどまった。 7 10. 共済会主催文化活動への参加 昨年に続き共済会関東支部主催の各種文化的行事に支部会員が参加した。 (1) 園芸講習会 浦和市立農業者トレーニングセンターにおける 9 月 1 日(土) 、9 月 8 日(土)の 2 回にわたる盆栽作りについての講演に続いての剪定針金掛けなど専門家の指導に 支部からも福本会員外 5 名が参加。 第 2 回横浜市坂田種苗教室における 10 月 1 日(月)、同 8 日の 2 回斯会の権威 江尻光一先生から講義と会員との質疑応答による植物育成の有益の指導がなされ支 部では倉井会員外参加した。 (2) 市ヶ谷日本棋院会館に於いて 10 月 18 日(木)開催され野川会員外 6 名が参加した。 (3) 趣味の作品展 丸の内東京海上ピルマリンテラスに於て 1 月 12 日∼16 日まで絵画・書の作品展 が開かれ支部からは和田会員の外 4 名が出展した。 (4) 歴史を探る会 鎌倉光明寺において住職から法話を受けたのちバスで市内の有名な史跡、名刹を 見学、小島会員外が参加した。 11. 東京無線ニュースの寄贈 東京無線通信部発行の「東京無線ニュース」を全会員に毎号送付頂き、会員は無線の 現況を一同感謝して拝読しています。 8 昭和 54 年度収支決算報告 自 昭 54. 4. 1 至 収入の部 項目 前年度よりの繰越 会費 支出の部 金額 87,564 円 554,000 入会金 55. 3.31 項目 総会開催費 記念品代 金額 609,640 円 45,000 32,000 交通費 105,940 総会懇談会費 367,500 通信費 57,390 寄付金等 521,000 病気見舞 18,000 弔慰金 25,000 貯金利子等 広告料 48,076 5,000 本部会費 〃 入会金 16,000 地区懇談会費 81,700 会報発行代 68,950 サークル活動費 雑費 * 別途積立金へ繰入 55 年度へ繰越 合計 1,615,140 7,240 75,760 支出合計 合計 136,000 1,246,620 200,000 168,520 1,615,140 * 別途積立金は上記の外 53 年度末 300,000 円と合せて 500,000 円となります。 9 54 年度役員会および常任幹事会概要 1. 役員会 (1) 第 1 回 54 年 4 月 11 日 於 無線通信部 本部理事会(4 月 23 日)概要報告 ・54 年度年金改善および 55 年度年金改善要求事項について 支部関係報告並びに協議 ・53 年度収支決算報告および 54 年度予算案について ・支部総会開催および内規改正案について (2) 第 2 回 54 年 7 月 13 日 於 無線通信部 本部理事会(7 月 2 日)概要報告 ・54 年度年金改善情報、会員の地域活動状況および電電記念日の各支部会員の 表彰者選考について 本部常任幹事会(7 月 11 日)概要報告 ・共済年金制度および会員名簿作成方針、支部第 1・四半期収支決算報告および 会報第 8 号発行計画について協議 (3) 第 3 回 54 年 11 月 14、15 日 本部常任幹事会概要報告 ・55 年度年金改善要求事項、生存者叙勲および準会員制度化案について 支部関係報告および協議。 支部会報第 8 号発行計画、電電記念日支部被表彰者選考および無線通信部長の異 動について (4) 第 4 回 55 年 2 月 1 日 於 無線通信部 本部常任幹事会(12 月 24 日)概要報告 支部関係報告および協議 ・54 年度収支決算報告、55 年度実行予算案および支部総会実施計画案 ・56 年度恩給年金改善要求事項 2. 常任幹事会 (1) 第 1 回 54 年 5 月 31 日 本部常任幹事会(5 月 13 日)概要報告 ・本部総会について 支部関係報告および協議 ・支部総会および支部内規改正について (2) 第 2 回 54 年 8 月 3 日 ・支部会報第 8 号発行および支部総会の経過報告 ・新入会会員による電話順送について (3) 第 3 回 54 年 10 月 4 日 10 本部常任幹事会(9 月 9 日)概要報告 ・55 年度年金改善要求事項、準会員制度および生存者叙勲の陳情問題 (4) 第 4 回 54 年 12 月 26 日 ・支部会報第 8 号発送、本部会費値上げ問題および準会員制度について (5) 第 5 回 55 年 1 月 22 日 ・55 年度年金改善措置案の報告、本部会費値上げ案および地区懇談会実施の件 (6) 第 6 回 55 年 3 月 31 日 本部理事会(3 月 26 日)概要報告 支部関係報告および協議 ・神奈川地区役員変更および会費未納会員の取扱いについて 55 年度役員会および常任幹事会概要 1. 役員会 (1) 第 1 回 55 年 4 月 15 日 於 無線通信部 本部理事会概要報告 ・54 年度末本部概要報告、公社に対する 55 年度要望事項および 55 年度共済年 金改善法案の概況 支部関係報告および協議 ・54 年度収支決算報告、55 年度実行予算案および支部長、副支部長辞任申出に ついて (2) 第 2 回 55 年 5 月 27 日 於 無線通信部 本部理事会(4 月 25 日)および本部常任幹事会(5 月 12 日)概要報告 支部関係報告および協議 ・支部総会開催について、新会員加入案内、支部長・副支部長交代および千葉地 区役員の交代について (3) 第 3 回 55 年 7 月 10 日 於 無線通信部 本部理事会(7 月 7 日)概要報告 支部関係報告および協議 ・55 年度支部総会経過報告、支部長・副支部長交代に伴う事務引継、退任役員へ の記念品贈呈、会員名簿および支部会報第 9 号の作成について 11 2. 常任幹事会 (1) 第 1 回 55 年 5 月 16 日 於 関東旧友会本部 ・56 年度恩給共済年金受給者の処遇改善に関する陳情書および公社に対する 55 年度要望事項についての報告 ・電電記念日の支部会員表彰者推せん、支部総会準備および新会員加入案内計画 (2) 第 2 回 55 年 8 月 5 日 於 関東旧友会本部 ・本部常任幹事会への支部回答案について ・共済会文化活動行事の協力について ・新規入会会員の名簿追加および電話順送および会報第 9 号作成方針について 12 55 年度事業計画(8 月までの実施概要) 1. 支部総会の実施 支部総会を 55 年 6 月 7 日 (土)、芝公園日本女子会館において開催 2. 講演会の開催 総会当日関東逓信病院健康管理科浜田博之部長から「中高年の健康管理」と題して講 演実施 3. 支部役員の改選 支部総立以来 13 年にわたり高邁な人格と卓越した指導力を発揮され今日の支部の育 成発展に寄与された三浦伊登美支部長は今改選期に当たり辞任されることとなり、小島 副支部長も健康の理由から留任を辞退、後任支部長には野口謙也相談役が、副支部長に は坂本忠勝会員が総会においてそれぞれ満場一致で推せんされ、会長の指名があり同日 付就任された。またその他の役員異動は次のとおりで他はいずれも留任が決定した。 監事 上野 茂敏氏 辞任 監事 野本 清氏 就任(千葉地区幹事)総会において支部長から指名、 就任した。 幹事 山口 正添氏 辞任(神奈川地区) 幹事 西坂 敏治氏 就任 幹事 野本 清氏 監事に(千葉地区) 〃 吉沢 大蔵氏 就任 〃 〃 栗原 雄一氏 辞任 〃 〃 岡本 信幸氏 就任 〃 以上 6 月 7 日附 4. 相談役の異動 次の会員の方々を相談役に推薦し今後支部発展に特段のご協力をお願いすることと なった。 三浦伊登美氏 支部長前任 田中 潤一氏 新入会 土橋 英生氏 〃 小島 徳寧氏 役員会において特に推薦 なお、野口謙也氏は支部長就任に伴ない離任 5. 支部会報第 9 号の発行 6. 会員の慶弔取扱の検討 13 7. 地区懇談会の開催 8. 支部会員相互のサークル活動の輪を展げる運動の施策 9. その他 (1) 迎寿のお祝 下記 13 名の長寿会員に対し 6 月 7 日開催の 55 年度支部総会において迎寿お祝 を三浦支部長からそれぞれ記念品が贈られた。 喜寿 早原 明男 様 M 35.12.17 生 〃 近藤喜三郎 様 〃 36. 2.21 生 〃 久保田栄次郎 様 〃 36. 2.25 生 〃 勝田 秀雄 様 〃 36. 5.19 生 古稀 杉本 久雄 様 〃 42. 7.19 生 〃 宮川 千松 様 〃 42. 9.23 生 〃 前田 栄吉 様 〃 42.11.17 生 〃 小沼 一 様 〃 42.12. 6 生 〃 千野 雅司 様 〃 42.12.25 生 〃 井上 善儀 様 〃 43. 2.11 生 〃 大槻由之助 様 〃 43. 5.10 生 〃 花島 仁吉 様 〃 43. 5.15 生 〃 野本 繁 様 〃 43. 5.30 生 (2) 病気お見舞 4 月以降不幸病を得てご入院された会員をそれぞれお見舞、お慰め申し上げた。 神奈川地区 大矢治郎作様 55.4.1 〃 小林陸奥夫様 〃 7.1 〃 広谷 正人様 〃 7.1 東京地区 大島 孝良様 〃 7.2 神奈川地区 山口 正添様 〃 8.1 (3) 敬弔 東京地区の名誉会員八丈島の持丸寿一郎様には 4 月 1 日 83 才で逝去、謹しんで ご冥福をお祈り申し上げます。 (4) 余栄 神奈川地区故高橋寛一様は 2 月 23 日付で生前のご功績により従七位勲七等瑞宝 章が授けられました。ご功績を称え、ご冥福をお祈りします。 (5) 55 年度共済会主催文化行動への参加 昨年に続き共済会関東支部では次の文化活動を開催される。すでに〆切られた ものもあるが今後参加できるものについては積極的にご参加下さるようお勧めし ます。 14 A. 園芸講習会 10 月 18 日と 25 日の 2 回、栃木県小山市本郷公民館 B. 洋らん入門 12 月以降市川須和田農園(江尻光一先生経営) C. 趣味の作品展 絵画は丸の内東京海上ピル内マリンテラスにおいて 11 月 10 日∼14 日まで書、 写真は野口英世記念会館で 9 月 8 日∼11 日まで D. 囲碁、将棋大会 北関東・11 月、東京・南関東は 1∼3 月に開催予定 E. 歴史を探る会 (A)埼玉古墳コース 9 月 22 日実施 (B)風林火山コース 10 月 3 日実施 尚、参加申込み先は本会報末尾の共済会福祉相談所 10. 昭和 55 年度実行予算 収入の部 項目 支出の部 金額 項目 金額 54 年度より繰入 168,520 円 総会開催費 総会懇談会費 420,000 記念品代 会費 592,000 交通費 150,000 24,000 通信費 100,000 475,480 見舞金 40,000 弔慰金 40,000 本部費 148,000 入会金 12,000 会報発行代 80,000 入会金 寄付金等 670,000 円 39,000 地区懇談会費 112,000 サークル活動費 30,000 雑費 90,000 (文具、会議費交際費等) 別途積立金 100,000 予備費 合計 69,000 合計 1,680,000 15 1,680,000 旧友会本部理事会幹事会報告 公社に対する要望事項回答 かねて関東電電旧友会(当支部からも要望を出した)その他から電退連を通じ公社への要望陳 情に対し大要次の回答が寄せられた。 55 年 6 月 厚 生 局 総裁室秘書課 御要望について 1. 生存者叙勲の範囲拡大について 従来からも受賞者数の増加及び対象範囲の拡大に努めてきておりますが、今後さらに 郵政省を通じて総理府に対し働きかけて行きたいと考えております。特に II 類につき ましては対象者の増大を図るよう引き続き努力する所存であります。 また、叙勲は在職中の功績及び退職後の功績等により総理府が総合的に判断されるも ので、公社と公社外の受章者を一概には比較できない要素があるものと思われます。 2. 医療関係の共済組合任意継続期間の延長について 共済組合の任意継続組会員期間の延長につきましては、法律により定められている事 項であり公社独自で実施できない事情にありますので御理解いただきたいと思います。 なお、三公社の打合せ会等の場でご要望のある旨説明して行きたいと考えております。 3. 死亡者の叙位叙勲の早期伝達について 死亡者叙位叙勲の早期伝達については、郵政省を通じて総理府に対し働きかけるとと もに公社としてもその期間を短縮できるよう今後とも努力する所存であります。 4. 共済組合特約保養所の利用について 直営保養所につきましては、職員と同様条件で御利用いただくこととしております。 しかし、特約保養所につきましては、利用料金の半額相当を共済組合が負担している こともあり、その利用対象者に制限を設けざるを得ない事情にありますので御理解いた だきたいと思います。 5. 退職者のための会館クラブ等に談話室の付設について 電電会館・職員クラブにつきましては、職員と同じ条件で御利用いただくこととして おります。 また、共済会では社会福祉事業の一環として、退職された方々のコミュニティ活動や 文化活動の一助として各支部ごとに退職者談話室を 57 年度末に向けて順次開設するこ ととしております。 なお 55 年度末までの開設状況は別紙のとおりですので御利用いただければと考え ます。 (別紙内容は東海、東北、九州、北海道、北陸、信越に設置されていることと 55 年度 中に大阪に開設されることが発表されている。) 16 6. 通信局厚生課に共済年金専担相談役の設置について 恩給、年金制度の改正等につきましては、常にその円滑な実施に努めてきているとこ ろでありますが、ご要望の件につきましては、その趣旨等をも加味しつつ今後に向けて 検討のこととして行きたいと考えます。 55 年度恩給、共済年金情報 標記の件は会員の最も大きな問題でありますが昨年度のひどいもたつきとはちがい大部分の問 題が早々と国会を通過実施されるに至った。 即ち、今年度の恩給法の 1 部改正法案は 4 月 25 日に、また昭和 42 年度以降に於ける公共 企業体職員等共済組合法に規定する共済組合が支給する年金額の設定に関する法律及び公共企 業体職員等共済組合法の 1 部を改正する法律案は去る 5 月 14 日ともに国会を通過成立し平均 3.5% アップが実現され、その改正額は 6 月末皆様のお手元へ通知されたところです。 56 年度恩給、共済年金改善の陳情 56 年度の恩給、共済年金改善要望事項については既に今年 2 月 13 日本部から電退連へ提出し たが、これを受けて電退連では本部会報第 20 号(55.6 月発行・送付済み)に掲載されている陳 情書を作成して関係方面に働きかけているが、更に公務員等恩給・共済年金受給者団体連絡協議 会(日本退職公務員連盟・逓信退職者連盟・国鉄 OB 会・全国林野関係退職者団体連合会・電電 公社退職者団体連合会・全国市町村職員年金者連盟・全国連合退職校長会・全国幼小中高、校長 会、教頭会の 8 団体から講成)が一体となり上記陳情書の内容を含め 16 項からなる陳情書を用 意し目的達成に強力な運動が展開されることとなっている。 17 18 ∼ 19 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 地区だより ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 東亰地区 東京地区の懇談会は 3 月 14 日(金)に荻窪駅近くの中華料理店で催しました。 土旺・日旺は皆さんそれぞれ予定や御都合もあろうかと私としては気を使ったつもりでしたが 金旺を選んだ事は私の失敗でした。土旺日なら出席出来るとの回答が大分ありましたので今後は もっと配慮いたします。 以上の様な訳と今回は急病・御不幸等が丁度重なり 20 名程しか出席されませんでしたがそれ でも大変楽しく歓談・賑やかに過すことが出来ました。 和田 藤秋 神奈川地区 3 月 15 日(土)例年ながらことしも中華街の重慶飯店別館を利用して 10 時 30 分から地区懇 親会を開催しました。出席された会員数は去年とほぼ同数 45 名現任機関長の出席 4 名(横統、 双子、大楠、仏向の各所長)と東京地区、千葉地区から各 1 名合計 51 名でありました。いつも の通り主催者側から会員の移動、連絡網の変更、年金情報、叙位叙勲の手続説明等報告の後正午 すぎから一階の大広間で 5 卓の中華料理を囲んで懇親に入りました。去年は飲食税のかからない 様考慮して極く地味にやりましたため余りご満足をいただけなかった様でしたがことしは一応フ リーなやり方で計画しましたので少しは飲物の方でもご満足いただけたことと存じます。世話役 に当たりました役員の中、加藤が社用で欠席のため西坂(山口退職予定のため役員交替)代行、 司会の方は相曽が担当しまして恙なく 2 時 30 分終了しました。 (杉本) 埼玉地区 当地区の会員数は 47 名で県内在住者 42 名栃木 2 名茨城 2 名群馬 1 名で構成されております。 地域に分散されていますので会員の皆様に特にご協力をお願いするしだいです。 昨年度までは地区懇談会を年内に実施してきましたが 54 年度は色々の都合により 3 月 15 日 昨年と同様、与野市二度栗山温泉で行ないました。出席者 23 名、会員 20 名、公社側より浦和、 川越、久喜の各無線中継所長さんの出席をいただき浦和の渡辺所長さんより県内無線建設につ いての近況説明をいただき会側より橋本常任幹事から 55 年度における公社に対する要望事項等 (対 55 年 1 月 18 日回答)を説明、有意義に過すことができました。 尚 昨年 4 月より大宮市内の病院に入院されていた田島育雄氏は同年 7 月中旬に退院され今回 の地区懇談会に元気な顔をみせて下されましたことを会員一同お喜びを申し上るしだいです。 岡田 幸内 20 千葉地区 毎回千葉地区の懇親会は晩秋を選んだのですが、どうも出席状況が芳しくありませんでした。 電通記念日の後に問題があるのではと言うことで年度内の早春にしたのです。所が本年は気候が 悪るく梅花も散ってしまったと云うのに 3 月 22 日は吹雪で関東のあちこちで交通被害が出るよ うな最悪日となりました。 にもかかわらず会員 24 名が御参加下さいました。又御多用にもかかわらず千葉県下の無線中 継所を代表しまして千葉統無中の佐野所長さん、銚子無線送受信所の長尾所長さん御出席下さい ました のみならず各中継所長さんの御多分の御厚志を頂戴しましたこと紙上から重ねて御礼申 し上げます。 交通渋滞を考慮して開会を 30 分程延し予定通り会計報告、支部情況、サークル活動、会員情 報、佐野所長より県下の無線回線網状況、祝詞を頂き懇親会に移行した。 飯田名誉会長の音頭で始まり時の経つのも忘れて和気あいあい、名残りつきない談合が続くう ち 16 時 30 分解散した。 7 月末現在で地区会員 70 名に増大しましたので次ぎの懇親会はより盛大を期待します。 21 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ サークル活動状況 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 囲碁部 囲碁サークルは日本棋院電電東京無線支部(現役の同好会)に寄生するようにして今日まで来 たが将来も単独には成り立ちそうもない。それでも 55 年度は自主的な催を計画しようと思って いますのでその折は御協力をお願いします。 54 年度の活動状況は下記の通り 5 月 13 日(日) オール官公庁グループ大会に OB として D クラス 1 チーム(5 名)参加、3 戦 3 敗した。 6 月 2 日(土) 東京無線支部定期囲碁大会に参加、岡野広氏優勝、村田盂氏敢闘賞を頂く好成果で あった。 OB 参加者 11 名 7 月 28 日(土) 東京無線支部定期囲碁大会 OB 5 名参加 9 月 29 日(土) 東京無線支部特別杯争奪戦(特別杯は東京無線通信部長杯および無線中継所長杯)特別 杯の争奪戦は第 3 回目、OB 6 名参加した。 10 月 31 日(土) 第 2 回・電電 OB(関東)囲碁大会 無線支部より A クラスに 2 名、B クラスに 1 名、C クラスに 2 名それぞれ参加したが 予戦で敗れた。 12 月 8 日(土) 第 16 回東京無線支部定期囲碁大会 OB として 5 名参加した。 園芸部だより 支部会員のクラブ活動の一つに 54 年度に園芸部の設立をいたしましたが支部計画の活動は行 へませんでした。 電電共済会関東支部が退職者の園芸講習会を浦和、神奈川で実施計画されましたので参加希望 者は好みの会場に参加申し込みを共済会になされるよう連絡いたしました。55 年度も計画され ていますので申し込み願います。 浦和会場では盆栽入門と題して 9 月 1 日、8 日の両日浦和市立農業者トレーニングセンターで 講師安田誠男先生及び専門家指導の下に解説並びに実習が行われ支部会員 5 名参加いたしまし た。横浜会場では 10 月 1 日、8 日の両日横浜市神奈川区坂田種苗ガーデンセンターで江尻光一 先生の解説が行なわれまして支部会員 2 名参加いたしました。何れも初心者には大変参考となり 22 まして園芸に対する愛着が増大され余生の楽しみが一段と深められたことと思います。 其の他といたしまして 55 年 1 月、2 月に都内で行われました盆栽展の案内をいたしました。 一つは全国唯一の国風盆栽展が上野都美術館で行われたこと。また都内有名デパートで盆栽、盆 石及び苗木展示が行われましたことについてお知らせしました。近年小品盆栽が盛んになりつつ ありまして若い人達の間にも愛好者が多くなりました。 23 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 会員だより ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 長老を訪ねて 杉本 久雄 ことしの 12 月で 84 才になられる元副支部長の大矢氏を居を構えておられる茅ヶ崎市松ケ丘 へ 4 月 10 日お訪ねしました。茅ヶ崎駅南口の方へ下車し辻堂行きのバスで約 10 分松ケ丘 2 丁 目で下車し歩くこと 2 分位、以前はこの辺り別荘地であったという茅ヶ崎海岸へ 500 米位の地 点、附近に松林などある静かなところで庭園に色々な木が植えられ、殊に水仙が今を盛りと美事 に沢山咲いていました。3 月に催しました地区の懇談会には氏は欠席されましたが そのときの 案内の返書のサインをみて或る不安を感じておったのですが今こうしてお会いしてみると意外に 元気で健康のようで「先ずよかった」と一番先に思いました。よき伴侶の夫人も聞くところに依 ると高血圧で医師の薬を服用しておられるということでしたが見受けるところ健康のようでし た。もっとも氏には一時健康がおもわしくないこともあって、いや一月頃から体調が狂ったため 要心に如くはないと徹底的健診を兼ねて茅ヶ崎の病院へ入院されましたが お年に似合わず内臓 器官は健全であると言われたそうであります。氏は平常から食事の栄養については人一倍気をつ かわれて居られることを私は若い時から知っており、そうした氏が 60 日間の入院生活から体験 した食事療法と言うか栄養の摂り方と言うかそれを現在自宅におかれても基にしてカロリーの量 が大体察知出来ると言っておられた。普通はそこまで注意する人は少ないだろう。併し患者の治 療にあたっては医師は医薬だけでなく食事カロリーの摂取についても監視して患者の病態を検討 して行くことは当や前のことで斯う言うことを聞かされると偏食の私など誠に耳の痛い話ではあ ります。 そんな訳で話題は氏の副支部長を辞められた当時歩行困難は膝の軟骨が禍いしていたことから 始まり その克服と現在までの健康保持についての努力といった話が主になり そしてこちらから は会のうつり変わり会員の動きなどを話している中にそろそろ帰えらねばならぬ時間になりまし た。氏は従来からマメなお人で脚の丈夫なときには茅ヶ崎駅の北口の方まで 2 粁あるところを日 に 4 回も往復したことがあるそうでその健脚振りには驚きました。私の今回の訪問については大 変喜んで居られた様で帰りには未だ風の冷たく感じるところわざわざバス停まで附近の地域変ぼ うなど話され乍ら送って来られ返ってこちらが恐縮しました。なおバスを待つ間斯うも言ってお られた。「茅ヶ崎の住居は次男のもので長男が横浜に住んで居るのでゆくゆくはそちらの方へう つるかも知れない」と。お孫さん達も夫々立派に成人され大会社に又は公社に勤務して居られる 現在全く屈託のない余生を送られておられる様に見受けられました。 さて余談ですが私の電電生活 45 年の生涯の中で通算 18 年の長い間直属上司として仕え、又 色々と指導を受けたのは大矢氏この人であって私という者が退職まで無事恙がなく職を全うし得 たのも一重にこの恩師の指導と恩恵があったればこそと今までも確信し深い感謝の念を持ってい るのです。 24 老人ホームに住谷氏を尋ねて 「住谷氏の談話」 「やあ久し振りですね、お蔭様で元気です。旧友会の会合には足が不自由で失礼しております。 私は子供 5 人居りますが、長男は船橋の電報電話局におるのですよ。変り者でね、普通なら課 長にはなっておると思いますよ。運がよければ局長にでもなっているかも知れません。無線で大 学部(公社大学部の意)まで出して貰ったのに、一辺も転勤もせずに居るからです……。 私がここに来たのは 48 年の暮れで 49 年の一般入居より早かったものですから、「わらく会」 の会長になりましてクラブ活動を初めました。その一つに「歩こう会」があるのですが会員が 60 名にもなりまして、53 年だったですか、木更津方面にバスで出かけまして、東京湾観音に着い た頃は天気悪るく、どしゃ降りになり、会員は思うように行動してくれず雨中にずぶ濡れになっ て面倒をみましてね。 どうもそれから腰痛が来て足が「ドッコイショ」でないと歩き出せない、それまで歩こう会で は毎朝、 7,9 km の所を歩いていたのですがねー。あの時は帰って来て寝込んでしまいまして ね。谷聿の案内にも、「かつらぎ荘」の案内にも失礼しました。買物も千葉市街地までタクシー を呼ぶ始末です。 NHK で放送しておりましたがこの病気は 2∼5 年かかるようですね。今年 88 才だから、恢復 にも時間がかかるようでしょうね。 谷津遊園地での地区懇には行きたかったですよ。 船橋にいる伜(長男)は子供が出来ないから嫁は嫁で東京の大局に勤めています。次男は東京 の原宿の会社、三男は鉄工所、第四男が川崎の工場です。 長女がもう 52 才で連れが教頭、校長が病気で代行しているから忙しいようです。 私は老大の第一期生ですよ。落第せずに卒業出来たので威張っていますよ。 勲章を貰った人は何と云いましたかね。幕張の小林さん元気ですか。八丈の金川さんは亡なら れたんでしたね。杉沢君の子供さん、どうしていますかね。戎井君も四国から出て来れて元気の いい男だが、私の後任に野口さんにお願いしたこともありましたが、3 年位で岩槻受信所に転勤 したように覚えています。 外に出るにもここは大変ですよ。乗合いバスは待ち時間が長い。タクシーは昔 45 円位だった が今は千円近くかかるからね……。 呼び出しベルが鳴った。 電話が来ると呼び出されて談話室まで行くとの事である。時間も大分経ったことなのでご自愛 を述べて退去いたしました。 25 鎌倉の歴史を探る会に参加して 岡本 信幸 昨年. 霜月 21 日に、共済会関東支部主催の「鎌倉の歴史を探る会」が催されたので、これに参 加し、有意義な楽しい一日を過ごさせていただきました。本年も、共済会では、福利厚生事業の 一環として、埼玉古墳コース、風林火山コースの歴史を探る会を、9 月と中秋の 10 月に催され ることになっており、この催しの主目的は、察するに、 (1) 会員の健康増進の一助とする、 (2) お互いの親睦を深める機会とする、 (3) 老いても雙鑠として生き甲斐を感じてもらう雰囲気を作る、 (4) 最少の費用で大きな楽しみを得てもらう 等であるように感じました。共済会の公社退職者に対する福利厚生施策に感謝しながら、ある日 の会の行動を思い浮かべつつ概略のみを書いてみたいと思います。 集合は、鎌倉の材木座海岸近くにある、浄土宗大本山光明寺、10 時から 11 時半まで、光明寺 教務部長、吉田宣城先生による鎌倉−その歴史と仏教と題して、平安、鎌倉の両時代を中心とし た歴史上の興味深い法話があり、その後、同寺の庫裡にて、光明寺ご自慢の精進料理で昼食のも てなしを受け、精進料理の美味しさを満喫させて戴くことができました。 昼食後、しぱしの休憩をとり、13 時から観光バス 2 台に分乗、光明寺−長谷寺−大仏−鶴岡 八幡宮−建長寺−鎌倉宮の順路で歴史を探ることが出来ました。NHK のドラマ「草燃える」の 予備知識に加えて、バスガイドの妙を得た話術に、鎌倉の歴史にまつわる興味津々の物語りが盛 り上げられて、昔日の面影が髣髴とする思いでした。 観光バスに揺られながら、文部省小学唱歌で子供の頃教わった「鎌倉」の歌詩を思い出したく て、 「七里ケ浜の磯伝い、稲村ケ崎名将の」と歌い続けてみましたが、どうしても後が続かず、く やしい思いでした。そこで、鎌倉の住人、旧友会無線支部の川本治雄さんに、年賀状に書き添え て「鎌倉」の歌詩を探して教えて欲しいと頼みましたら、間もなく送り届けていただき、感謝し ながら、通勤の車中で口ずさんでおります。 「歴史は長き七百年、興亡すべて夢にみて、英雄墓はこけ蒸しぬ。建長、円覚寺の山門高き松 風に、昔の音やこもるらん。」と口ずさむごとに、頼朝・政子を中心として織りなされた悲喜こ もごもの事件や栄耀栄華のあとの悲惨極りない歴史の一頁が、脳裡にえがかれて参ります。 この日の収獲をまとめますと、おおよそ次のとおりでした。 (1) 旧友会関係の集いでは無線支部の方々とお会いできるのみですが、この日は関東各支部 から幅広く 100 名の旧友が参加されており、友あり遠方より来る、また楽しからずやの 感を深くしました。 (2) 共済会の福利厚生事業に深い関心の跡がみられ嬉しかった。 (3) 平安、鎌倉時代の武士・町人が宗教を通じて、相当の相違点があり、宗教が民生に、計 26 り知れない影響力を持っていたことがおぼろげながら理解できた。 (4) 歴史の息吹きを感ずる鎌倉が一層好きになった。 以上取り止めなく、楽しくすごさせてもらった一日のことを簡記しましたが、今後も、この種 施策の継続と、多数の人々の参加をお願いする次第です。 (7.5 記) 私の人生 田中完三郎 私は退職して早くも満 23 年となりました。そのころ生れた人達が今は立派な新進公社員とし て活躍されておられることと思います。私もいよいよ古物となり 80 路を過ぐること 2 有余年と なりました。しかし未だ心身共に健康にめぐまれ昨年は当地区に老人クラブを結成して自ら会長 を引受け 80 余名の年寄り共を統率し先頭に立ち観光旅行や健康体操またゲートボールゲーム等 のレクリェーションを楽しんでいます。又私は毎年単独旅行で古都の京都、近江路、奈良の斑鳩 (いかるが)の里、室生、山の辺の里、明日香(飛鳥)など訪れて天平仏、白鳳仏、飛鳥仏の神 秘的に美しい仏像を鑑賞していたが昨年からは野面に立つ野仏の伝説めいた史跡めぐりをはじ めた。それはやはり大和路が史跡仏跡が豊富である。小高い丘に佇む苔むした石仏、崩れかけた 路傍の石仏にも一ツーツに伝説や神話が秘められている飛鳥の石舞台、入鹿の首塚、亀石、鬼の 厠、鬼の爼(まないた)、室生寺の石仏、山の辺にある和爾の石仏、そのほか名もないものが到 るところに散在していて私たちを迎え楽しませてくれる。 最後は私の唯一の楽しみ念願としている観音札所めぐりは秩父 34 ヶ所をはじめとして板東札 所(関東一円)33 ヶ所は全部終りいわゆる結願となり西国札所(近畿一円)も兵庫県を残すのみ となりました。次は四国 88 ヶ所を計画しています。 機械マニアの今日この頃 埼玉地区 米沢 茂 小学校低学年の頃、兄の組み立てた四球式再生受信機に心を引かれ、それ以来機械いじりが飯 より好きになり、今なお余暇をみては、この道に専念し夜ふかしをすること度々の今日この頃 です。 機械いじりの主力は電子系ですが、ときにはポンコツ屋通いもしますし、ガス配管、電灯工事 等の日曜大工も大好きです。勿論これも原価計算の上ですが−−−。しかし木工事は苦手で金へん に片寄ってしまいます。 さて最近の神田周辺のジャンク屋は、戦後のはなやかさは全くなく、殆んどがパーツ屋か、既 製品販売店ですが、それでも足をまめに運べば「要修理品」と称して新品の 5 分の 1 位の価格で 結構面白いものが手に入ります。 最近 5 年間位にジャンク屋で仕入れたものは、ルームクーラー、カラーテレビ、モニターテ レビ、ITV カメラ、ワイヤレスインターフォン、ブラウン管オシロスコープ、カーステレオ、4 27 チャンネルステレオ、超音波式盗難防止機、デジタルテスター、電話機、レーダーキャッチャー 等ですが、古道具屋にも仲々良いものがあります。列記しますと、八耗撮影機、八粍トーキー映 写機、白黒テレビカメラ、八粍編集機、FM ラジカセ、等です。 しかしなんと言っても新品に勝るものはなく列記すると、カラー VTR、カラーカメラ、テレ ビ音声多重アダプター、8 トラック録再生機、24 インチカラーテレビ等です。 なお、機械いじり用の予算にも枠があり、どうしても古物が多くなり妻子にいやがられます が、古物ほど安価なので興味しんしんです。現在は中古マイカーに 80AH のバッテリーとイン バータを積んで野外録画に駆け回っています。これから遅ればせながら、マイコンを手掛ける予 定で目下勉強中です。先輩諸兄のご指導が戴ければ幸いです。 短信 関根 栄喜(東京無線部、48 退) • 家族のこと−−−長男長女は別居で、現在妻と 2 人暮しです。 • 健康のこと−−−血圧が高いので、 4, 5 年前より通院加療中です。 • 日常のこと−−−毎朝 6 時に起床して小鳥の世話と、盆裁に水をやって会社に出勤し ます。 • 勤務先のこと−−−(株)ニュースタヂオに勤務しております。当社は共済会の下請会社 で、関東管内の電話帳広告の版下を作っております。 • 趣味娯楽のこと−−−詩吟、書道、水彩画をやっていますがなかなか上達しません。 • その他−−−旧友会の役員の皆様のご苦労とご努力に深く感謝いたしております。 随想 旧友会東京無線支部 岡 省吾 3 月中旬埼玉地区会合の折、俳句とか短歌とかの寄稿をと言われたが生憎そんな風流な持ちあ わせは折角だがない。御許しを乞うことにして現在の大きくなった無線通信部を見て今日に至っ た経過を御存知ない方々も多いのではないだろうかと思い昔を追想して見ることにした。東京無 線通信部を離れてもう 17 年になる。始め東京逓信局工務課東京電信区試験班の中に同居してい たが昭和 7 年 9 月に無線班となって若干無線の存在が出て来た。昭和 14 年 4 月に丸の内工務出 張所無線機械係と有線部門の中ではあるが愈々無線が認められたのである。昭和 19 年 4 月東京 無線電気通信工事局となって完全に独立した。長年無線の独立を願って来た時であるだけに当時 の喜びは忘れられない。昭和 24 年 6 月電気通信省設置東京国内無線管理所と変った。昭和 27 年 8 月には日本電信電話公社となり従業員は社員となった。そして同年 11 月に現在の東京無線 通信部が誕生したのである。今後の無線界はどの様に発展して行くであることか全く想像もつか ない。私が無線を志した時の夢は全世界の人々と顔を見ながら対談出来、文書も即座に交換し得 るようになりたいと言うことであった。それが何と現実になって来た決して夢ではなかったので 28 ある。今後若い世代の人達によって限り無い発展を望んでやまない。 寒い冬から良い陽気となって萬物すべてが解決されたような気候となった。毎年のことではあ るが、時の流れは再び戻らない。だがどうも免角春になると うかれ気味になる世界の動静を見 るとそんな呑気なことを言っておられないような気がする。諸物価の高騰はいつどこで止まるの か、文明文化の発達と共に変り行くのは当然であるとしてもインフレの言葉は望ましくない、愚 痴めいたことを言うのも年のせいだろう。旧友会の皆様、御健康でそして御活躍の程を祈ってや まない。駄弁を費して御容赦乞う。 短信 田中 昶(東京無線部 45) 退職して早や 10 年、現在 65 才、幸にも親幸行の子供達と 5 人の孫に囲まれ、恵まれた環境 の中で幸福な人生の後半を送っています。長い公社生活の中で特に現場機関に勤務していた頃の 事を懐かしく思い出しています。昭和 28 年∼31 年の福岡西戸崎無中、33 年∼36 年横浜特統無 中、37 年∼39 年筑波無中、39 年∼42 年丸の内特統無中勤務時代での楽しかった事、苦しかっ た事、癪に障った事、反省すべき事等、過ぎし日の自分の過去を振り返って感慨一入です。現在 も持病の消化器、循環器系の疾患でありパッとしない健康状態ですが、余り気に掛けず晩酌少々 嗜んでいます。最近は老けこまないよう経済学を勉強中で将来?経済アナリストになるべく老骨 に鞭打って頑張っています。 同僚、後輩の諸氏、時には思い出してくれて電話でもくれませんか! 自分で云うのはおこが ましいが人情味豊かな田中さんです。皆さんの御活躍と御健康をお祈りします。 わたしの闘病記 蔵並 菊雄 私が最初に胃の切除手術をしたのは、49 年 12 月でありました。当時所属していた神奈川通信 部で胃の集団検診があり、特に自覚症状があったわけではなかったのですが、退職予定をあと 2 年半に控えていたためもあり、悪いところがあれぱ在職中に治療しておいた方がよいだろうとい う、気楽な気持ちで受けてみました。 ところが結果は、「要精密検査」ということで、総合病院で細かい検査を受けることを勧めら れ、東京文京区にあるN医大附属病院を紹介され、ここでレントゲン検査と内視詭検査を繰り返 し、暮も押しつまった 23 日に手術、4 分の 3 を切り取られてしまいました。 経過は順調で 17 日後に退院し自宅療養に移りましたが、1 日 6 回の食事は極く少量しか食べ られないもどかしさに、つくづく健康の有難たさを味わされました。 そして体力も次第に回復し、勤務もできるようになって約 1 年 4 ヵ月、定期的に検査をして いたレントゲン写真に再度異常が発見されました。食事の量も多くなり、体重も増加してきたの に、また手術かと思うと、非常なショックを受けたのですが、医師の「今すぐにどうということ はないが、時限爆弾を抱えているようなもので、悪性なものに進行する恐れがあるので手術すべ 29 きである。 」という説得に、51 年 4 月再手術を行ない、残りの胃も全部摘出されてしまいました。 この悪魔のような病気に襲われるのは、交通事故に会うのと同じで、いつ自分の身に振りか ゝってくるかわかりません。そして症状のはっきりした時点では、手おくれであるということで あります。その後満 4 年、6 ヶ月毎の定期的なレントゲン検査も異状なく、手術前には 68 キロ もあった体重が 45 キロになりましたが、また 58 キロまで回復し、毎日を快適に過しています。 それというのも、検診を受けたお蔭で早期に発見され、早期に処理したためであり、医学の進歩 もさることながら、健康管理の重要性を痛切に感じた次第であります。 30 ∼∼∼∼∼∼∼ 追憶 ∼∼∼∼∼∼ 持丸寿一郎さんの思い出 小宮山俊雄 故持丸寿一郎さんの思い出をと、倉井さんから依頼があったので、寿一郎さんを語るには、ど うしても再度思い出すまいと思う第二次大戦を語らねばなりません。 御承知の八丈局は昭和 18 年強制疎開があり島民 8,000 人のうち残留する者約 600 名残して疎 開いたしました。600 名の方々はそれぞれ軍属、嘱託と部署についたのですが、三原山トビガロ 下の洞穴に超短波通信を設置するに当っては先ず私達は住居として洞穴附近に 4∼5 坪程度の仮 小屋を 5 棟程造りました。こうした仕事で今は全部故人になられましたが、持丸寿一郎さん外 2 名が私共の仕事を援助する事になりました。先ずどうあっても電源の確保をせねばなりません。 それには関東配電鳴沢発電所より洞穴迄、送電柱を立てなければなりません。当時は臨時処置法 と言う法のもとに必要とあるものは誰れの命令も無しに届出をするだけで伐採をして電柱に使用 できたので、上記の 3 名が今で言う伐採、建柱作業、其他の作業を行いました。昭和 19 年∼20 年にかけては関東配電の人達もいなかったので、素人の持丸さん達が発電所の運転、保守に当り 通信確保に当られたのです。若し発電所が爆撃された場合、通信はストップすると言う事で自家 用の水力発電を考案し、それぞれ職員の知能を持って終戦 4 ヶ月前に 3kW 発電機を完成させ、 兵団長及村長より御祝の言葉を戴きました。 此様な仕事が山積されて居るので夜となく、昼となく大きな杉を山から切り出しては板材を造 り、1,500 ヶ程度の箱、水槽を造り、有効落差 25m の落差によって目的の 3kW の自家発電の電 源確保が出来たのは持丸さんがただひたすらにモクモクと努力したためで、今は亡き故人の思い 出を私はわすれることはできません。持丸さんは昭和 55 年 2 月病床の人となり、4 月 1 日脳卒 中で齢 82 才の天寿を完ういたしました。 昭和 18 年の強制疎開では家族が埼玉県岩槻無線で大変御世話様になったことを想い出します。 故人の長男光君は現在東京都八丈高校にて元気に教鞭をとっておられます。 亡き持丸さんも皆様の御厚志にさぞ かん涙して居る事と推察します。 31 故深田政太郎君の追憶 山口 正添 彼とは旧海軍工廠在職時と、大東亜戦争の終戦時から米軍の戸塚無線送信所で約 5 年間、一緒 に仕事をした。 その後、彼が横浜特別統制無線中継所長で退職した昭和 41 年 3 月までは同じ公社の別々の機 関に勤務したが、私は無線から報話局に転出し、彼は最後まで無線中継所の勤務だった。しかし お互いに私的な交際は終生絶えることなく続けていた。 私が初めて彼と知り合ったのは、昭和 2 年 4 月に横須賀海軍工廠造兵部の無線試験場という職 場に配属になった時であった。ここで陸上局や艦船等の無線機器の試験検査作業を約 16 年間一 緒にしていた。 二度目に再会したのは大東亜戦争が終った昭和 20 年の 11 月中頃だった。私が沼津海軍工廠 無線部から逓信院に受け入れられ、東京無線電気通信工事局へ配属されたとき図らずも一緒に なった。 この頃、我国を占領していた米軍から旧日本海軍所属の戸塚無線送信所施設の整備命令が逓信 院に出された。このため約 20 名位の工事要員が現場に出向、主として短波送信機出力最大 5kW の整備工事をした。この時の工事長は現在八峯テレビにおられる杉山義一通信技手と記憶して いる。 当時は終戦の荒廃時で資材もなく試験器具はメガーだけと云う惨状で作業は難航を極めた。特 に地下壕に在る機械を動作するまでには容易なことではなく可成りの苦労をした。おそらく経験 者でなければ短日時に整備は出来なかったろう。 工事中短波送信機を中波送信機として一週間内に改造し、使用可能にせよ、と命令を受けたと きは驚いた。米軍監視下昼夜不眠不休で作業をさせられたが、幸い旧海軍の残材があったため見 事完成させた。これには米軍も驚いたようだった。後で聞いた話しだが、米艦隊がグアム島から 横須賀に入港するための連絡用に使用したとのことで、シンプ中佐と云う米軍の技術者から感謝 され、日本の技術水準の高さがほめられたことを今なお覚えている。この工事が終ってから彼も 私もここの保守勤務となった。 戸塚無線送信所は最初地上局を米海軍が、地下施設を米陸軍が使用しており、地上局の保守責 任者は深田技官、地下施設の保守責任者は私であった。その後間もなく全施設は米海軍の専用無 線送信所となり逓信院からも初代局長として、故人となった石井伝さんが着任してきた。 当時勝者は米軍で敗者は吾々であるが、技術面では一歩もひけを取らないと云う自信の様なも のがあった。 その後私は 5 年後に東京国内無線管理所の短波保全課に配置換えになり、彼は昭和 29 年初代 の大楠無線中継所所長となり、32 年には横浜統制無線中継所長に転出、その後 34 年から 36 年 まで座間特別無線中継所の庶務課長となり、3 6 年には横浜特別統制無線中継所の所長となった。 彼は卓越した手腕で後輩の教育に当ると共に堅実な無線保守のため、常に努力していたが、不幸 にして退職間際に病を得、54 年 10 月、71 才で不帰の人となり、私にとっては最も親しい友の一 32 人を失ったことになった。 高橋寛一さんを弔う 細谷 清二 寛一さん、私は同僚として君の霊前に弔辞をささげねばならぬ運命となった。なぜ君は死んだ のだ。 貴方は永い間公社の技術者として、特に無線部門における機器の足もと云える電力部門の蓄電 池関係について、専門的に貢献され、今永眠されました。 唯々静かに眠れと合掌するのみ。 思へば無線が 60MC の揺らん時代、或は 250MC と飛躍した時代に大島、三宅島、八丈島と伊 豆七島の電池工事を、又筑波、那須、双子無線の電池工事を一手に引受け、初充電、容量試験等 には徹夜に次ぐ徹夜の作業を黙々としてやってのけ、公社マンとして当然の事とケロリとした姿 には、ほんとうに頭が下がったのでした。 又、部下とのコミュニケーションの場をもつ事も決して忘れず、折にふれては「焼き鳥屋」の のれんをくぐり、仕事を完成してホッとした一時、そしてその出来ばえと改善点を語り合い、人 情の結びつきを一層深めて行ったのです。 退職後、間もなく健康を損ね、入退院を繰り返し、遂に不帰の客となられた。 残された奥様はじめ御遺族の悲しみはいかばかり、想像にあまりあるものがあります。しかし 貴方の意志を引き継がれ、息子さん二人とも電電公社で斯道に精進して居られる。 貴兄の功績はひろく世の認める処となり、此の度当局より、 従七位勲七等瑞宝章 を贈られた。 心からお目出度うと叫び、亡き友よ、安らかにお眠り下さい、と祈るのみ。 33 − − −支部よりのお願い−−− 1. サークル活動について 会報第 8 号にてお知らせしました通り、囲碁将棋、絵画、釣、園芸の四部門に責任役 員を指名し活動を開始することとしましたが役員の活動不足によるものとか、会員の皆 様のご参加者が予想を遙かに下廻っております。 55 年度もそれぞれの部門で計画しておりますので是非ご参加下さいますことをお願 い致します。 2. 電話順送表について 会報の最後に順送表が添付してあります。今年も 39 名の方が新加入致しましたので 順送順位が若干変更になります。表を御覧になり御間違えのないよう願います。 3. 会報への御投稿について 会員の皆様の御投稿を御待ち申し上げております。随想、感想、詩、俳句、なんでも 結構です。但し長編ものは、多くの皆さんに参加して戴く意味でカットする場合があり ますが其の節は悪しからず。 4. 名簿、電話順送表について 名簿、電話順送表等に誤植に御気付きの場合、役員までご連絡下さい。又、住居、電 話番号等変更された場合も同様、速に役員に是非ご連絡下さい。 5. 加入者会費の未納について 会費の未納の方には関係役員から督促しておりますが、なお納入下さらない方があり ます。手数や余分な出費を重ねさせぬようお願いします。 編集後記 会報 9 号は支部総会の当日にお手渡し出来ることを念頭にしておりましたが、御承知 の通り支部長さん、副支部長さんの交代があり、又幹事の交代がありました関係で延々に なりました。 毎回のことですが東京無線通信部長さんにはご寄稿賜り有難う御座います。厚く御礼 申し上げます。 会員のご投稿も増えて来ておりすが、未だ十分では御座いません。もっと、どしどしご 寄稿下さいますことをお願い致します。別つに規定も制限も御座いませんから、御気軽に 何時でも受け付けも致しますのでよろしく。まあ出来れば長編のもだけは避けたいと思 います。一人でも多くの方々の御参加出来ることが最も望ましいことでありますから。 又会報につきましてのご意見、ご希望等ご座いましたら是非御聞かせ下さい。 34 関東電電旧友会東京無線支部 電話順送系統図 1. 従来の順送系は昭和 55 年 9 月末日で廃止します。 2. 順送には御家族の方の御協力を願って下さい。 3. 順送に不都合がありましたら役員に御一報下さい。 4. 電話番号は上段自宅、下段勤務場所です。 5. 電話順送表の御利用には工夫をして 100% 活用出来るようにして下さい。 6. 電電旧友会電話順送ですとことわって流して下さい。 35 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 役員氏名 ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ 東京無線支部長 野口 謙也 副支部長 野本 忠勝 常任幹事 和田 藤秋 〃 倉井 正治 〃 杉本 久雄 (神奈川地区担当) 〃 野川 忠一 (千葉地区担当) 〃 橋本 章三 (埼玉地区担当) 幹 事 大桃 松夫 (東京地区) 〃 大場 清次 ( 〃 ) 〃 相曽 新一 ( 〃 ) 〃 広谷 正人 (神奈川地区) 〃 加藤 太郎 ( 〃 ) 〃 西坂 敏治 ( 〃 ) 〃 河村 倉六 (千葉地区) 〃 岡本 信幸 ( 〃 ) 〃 吉沢 大蔵 ( 〃 ) 〃 岡田 幸内 (埼玉・茨城地区) 監 事 野本 清 36 (東京地区担当) 37 ∼ 38 39 ∼ 40 41 ∼ 42 43 ∼ 44 45 ∼ 46 47 ∼ 48 49 ∼ 50 退職者の皆様のための 共済会の社会福祉事業 • 生活にお困りの場合の見舞金、または生業・医療・住宅・技術習得の資金の貸付 • 伊豆リハピリテーションセンターへ入所斡旋 • 特別養護老人ホーム伊豆白寿園へ入所斡旋 • 退職者の医療共済 • 退職者文化活動の援助 • 重症心身障害児へ見舞金 • 中度・重度障害者(児)へ見舞金 • 特定疾患者(児)へ見舞金 • 生活にお困りの母子世帯の高校生へ奨学補給費 • 生活にお困りの方のお子様へ小学校または中学校入学支度金 • 葬祭施設の特別価格による斡旋 • その他上記以外の生活相談 くわしいことは下記へおたずねください。 共済会関東支部 福祉相談所 〒151 東京都渋谷区千駄ヶ谷 5-14-9 電話 (03) 341-6211(代) (03) 341-6592(直)
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