復刻版 - 東京無線支部

復刻版
bababababababababab
本復刻版は会報「むせん」第 11 号
(原本)をスキャナーで読み取り、テキ
スト化して再構成しました。
テキスト化の時、誤変換が発生する
ため校正は慎重に行いましたが、校正
漏れがあるかも知れません。その場合
はあしからずご了承ください。
また、なるべく原本に忠実を心がけ
ましたが、ソフトウェアの関係で一部
異なっている場合もあります。併せて
ご了承ください。
目次
特別寄稿 東京無線通信部長 あいさつ
1
関東電電旧友会東京無線支部長 あいさつ
3
昭和 56 年度事業実施概要
5
1. 事業実施概要報告 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
5
2. 昭和 56 年度収支決算報告 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
10
3. 役員会及び常任幹事会概要
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
10
4. 受彰、余栄等 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
12
昭和 57 年度事業計画及び実施概要
13
1. 昭和 57 年度事業計画及び収支予算 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
13
2. 昭和 57 年度支部総会 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
14
3. 会員証の発行 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
16
4. お見舞 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
16
5. 敬弔 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
16
6. サークル活動 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
16
7. 役員会及び常任幹事会 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
17
恩給・年金情報
19
1. 恩給 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
19
2. 年金 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
19
3. 大蔵省の「共済年金合併化」による国鉄共済年金救済案について . . . . . . . . .
20
旧友会本部理事会報告
22
1. 58 年度、恩給、共済年金受給者の処遇等に関する陳情 . . . . . . . . . . . . . . .
22
2. 昭和 57 年度の公社に対する要望事項 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
22
一寸お知らせ
23
◎厚生年金保険に関する相談 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
23
◎電気通信比島派遣戦死者慰霊碑建立 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
23
○ 旧友会員の年令構成 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
24
○ 検見川送信所跡地の記念碑建立計画について . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
24
○ 老人保健法の成立 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
24
○ 健康維持のためビタミンに注意しましょう。 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
26
新入会員の紹介
27
地区だより
30
会員だより
32
追憶
36
有賀正男さんを偲ぶ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
36
小原儀助さんの一年忌を前にして
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
37
堀政男氏を偲んで . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
38
田中信義君を偲んで . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
39
松浦一郎氏を偲んで . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
40
関根裕さんの追憶 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
42
大島孝良君を偲ぶ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
44
随想
45
支部よりのお知らせ
52
東京無線ニュースの寄贈
52
電話順送の訂正
52
編集後記
53
ご あ い さ つ
東京無線通信部長 佐々木敏夫
関東電電旧友会東京無線支部の皆様方には、日頃からなにかとご縁が深く、お元気でご活躍
のご様子に接して喜んでおります。
昨今は異常気象もさることながら、電電公社を取りまく経営形態問題の大波にもまれ、かつ
て経験したことのない程の事態に遭遇しております。
先輩諸氏におかれましても大変に気掛りなこととご推察申し上げます。
しかしながら本問題はすぐれて高度かつ全国民的な課題でありまして、私達といたしまして
は、より役に立つ電信電話、働き甲斐のある職場づくりを目指して、努力している所でありま
す。幸いなことに電気通信事業は、これからの社会にとって、ますます重要性を増すととも
に、サービスの多様化が求められております。
電電公社は、このため世界に先がけて高度情報通信システム (INS) の構築を指向して、各種
施策を推進しているところであります。
東京無線管内におきましては、ディジタル無線方式の長距離幹線になります準ミリ波
(20GHz 帯)回線につきまして、昨年東京∼宇都宮間の工事を完了し、良好なサービスを提供
しております。引き続き宇都宮∼郡山間の工事が本年夏完成し、現在東京から西方向について
鋭意工事中であります。
マイクロ波帯を使用したディジタル無線方式として、16QAM(16 値直交振幅変調)による
4/5/6L-D1 方式(電話換算 2,880 チャンネル/システム、ルート当り約 5 万チャンネル)が開
発され、中野∼犬石(衛星通信地上局)間、また短距離用として 11GHz 帯を使用した 11S-D3
方式(電話換算 192 チャンネル/システム、ルート当り 576 チャンネル)を大月∼都留間、銚
子∼常世田間において商用試験を実施する予定であります。
6GHz 帯 SSB―AM(単側波帯振幅変調)による、5,400 チャンネル/システム、ルート当り
37,800 チャンネルで、必要によりディジタル無線方式 (16QAM) に変更できる 6L-A1 方式が
開発され、中野∼名古屋間(第 6 東名ルート)で商用試験を予定しております。
一方、自動車電話は本年 7 月、管内で 1 万加入を突破しさらに順調な発展をとげておりま
す。今後はさらに、サービス地域を拡大するため前橋、宇都宮、水戸、甲府に導入する計画で
あります。
ポケットベルは、管内で約 40 万加入に達しており、250MHz 帯によるディジタル信号方式
が、およそ 70% になりました。
船舶電話は横浜西局 1 局で全国の交換業務を行っていましたが、船舶電話網の経済化並びに
信頼性向上等を図るため、船舶電話交換局を横浜西、神戸、北九州に分割し、電子交換機相互
を共通線信号方式により結合し、サービスを提供する工事を進め、本年 7 月に切替えを完了し
ました。この技術は、自動車電話の全国サービスに生かされることになっております。
衛星通信は災害対策や離島間通信等を目的として明年 2 月、CS-2a を打上げるべく準備を進
めております。我国初の国内通信衛星による実用回線として東京∼小笠原間市外伝送路を作成
すべく、中野、犬石(館山市)
、小笠原父島で工事を進めており、商用試験を予定しております。
1
以上、近況についてご披露させていただきました。いずれにしても良い仕事をし、より良い
サービスを目指して、東京無線職員一同頑張っております。
先輩諸兄におかれましても、ますますご壮健でご活躍されることを念じ、われわれ後輩に対
して、一層のご指導ご鞭撻を賜るよう、お願い申し上げる次第であります。
2
転換期をむかえた電電公社
野口 謙也
関東電電旧友会無線支部の総会は去る 6 月 26 日に佐々木東京無線部長、現場機関長、通信
部幹部の諸兄をご来客にお迎えして、多数の会員のご参加のもとに盛会のうちに終えることが
出来たことを心から感謝いたします。当支部の行事の実績と計画については別項で各々報告が
行われますが、旧友会の活動には一人でも多くの会員のご参加をいただきたく、グループ活
動、当機関紙の編集、その他について率直なご意見をお願いいたします。
年金問題については別項の坂本副支部長がまとめたものをお読みいただくと現状がお判かり
と思います。要するに今のところ残念ながら楽観出来る材料は乏しく、今後も関係団体と一緒
になって既得権の維持を訴え続けるつもりです。
さて我々が長い間お世話になった日本電信電話公社はいま大きな試練のときをむかえていま
す。多くの関係者の努力と日本経済の急成長にささえられて電電事業は驚異的な発展をとげま
した。その量と質において当初の目標を達成し、次の情報化時代をむかえようとしています。
一方世界経済の現状は自由主義国、社会主義国の別なしに不況の中に喘いでいます。わが日
本は国民の勤勉を土台にしてひとり優等生を誇っていましたが、今はその影響をうけて不況の
陰りが濃くなってきました。政府は対策の一環として臨時行政調査会に官庁、官業のあり方に
ついて諮問を行い、この程その答申案が出されました。その実施のためには政府の事情を含め
た案がつくられ、電電公社がその実施の具体化をするものと思われます。
臨時行政調査会の答申の電電公社の項を見ますと、
⃝
1 電話事業の収支差額の縮小傾向、
⃝
2 人件費の増大、
⃝
3 労使関係、
⃝
4 独占の弊害
等がその再編を必要とする理由としてあげられています。細かい議論は別として一応納得出来
るところです。しかしその対案として、経営形態を会社組織とし、中央と地方に分割し、ま
た競争企業も認めるという構想が出されています。これは相当に問題があると私には思われ
ます。
どうもこの案は同時に出された国鉄改組案におつきあいをさせられているような気がしま
す。国民一人あたり 16 万円ずつの累積赤字を負い、更に年毎にそれに赤字を加え続けている
国鉄と電電とは大分事情が違うことはご承知の通りです。
⃝
1 貨客の輸送手段は自動車、航空機に急速に移っていること、
⃝
2 永年にわたった政治的赤字路線の布設、
⃝
3 荒廃した労使関係など、
今の国鉄の再建には分割、民営しかないのかも知れません。
電気通信の場合は従来の一般通信が減少するなぞということが起こるわけはなく、更に新し
3
い技術による情報システム、宇宙衛星システムなどによる従来にないサービスが社会からも期
待されています。新しい技術研究に総力をあげなければならぬ時に電電の技術陣が解体される
ことはあまりに犠牲が大きいと思います。企業分割成功の例としては電力会社の場合があげら
れることがあります。しかし新しい将来にむかっての研究は「電力中央研究所」が総括的にや
ることになっていた筈ですが技術的には見るべき成果は無いと言ってもよいでしょう。エネル
ギー問題などを抱えている業界なのにという気がいたします。
電電公社の場合にも臨時行政調査会の指摘の通り民間企業に比べれば数多くの官業的短所を
いまだに持っています。これからは全面的に官民格差の問題が大きく取上げられて論議される
ことは必至でしょうから電電公社も新しい経営形態に変わって、心機一転して効率的運営によ
り、国民に奉仕し、一方エレクトロニクス産業界にも従来に増した技術的貢献を続けてほしい
ものです。一部の欠陥のみにこだわらないバランスの取れた形態の出発が期待されます。
(9 月末記)
(関東電電旧友会東京無線支部長)
4
昭和 56 年度事業実施概要
(坂本、鈴木)
1. 事業実施概要報告
(1) 昭和 56 年度支部定期総会(詳細は会報第 10 号に掲載)
昭和 56 年 6 月 13 日(土)、芝公園、日本女子会館において会員 128 名、顧問、参与
28 名が出席して盛大に開催されました。
先ず共済会、関東支部の御協力による文化映画の上映があり、引き続いて総会に入り
ました。
議事は、ア、昭和 55 年度事業報告及び決算報告
イ、昭和 56 年度事業計画及び収支予算案
ウ、旧友会本部の会則改正とこれに伴う無線支部運営細則の一部改正
について報告審議があり、いずれも異議なく可決されました。
会則ならびに運営細則改正の主な点は次のとおりです。
(i) 名誉会員の資格は、10 年以上本会の会員であり、且つ 80 才の高齢に達した会員と
する。(改正前は 2 年以上本会会員であり、且つ 77 才以上)
(ii) 高齢者への祝状と記念品は喜寿(77 才)、傘寿(80 才)、米寿(88 才)を迎えた会
員に贈呈する。(改正前は古希(70 才)を迎えた会員にも贈呈)
(iii) 慶弔については従来、本部と支部で重複して贈呈していたが、これを 1 本化して、
支部が実施する。これに伴って会員が逝去した場合、支部よりの弔慰金は 10,000
円とする。(改正前は本部から 5,000 円、支部から 5,000 円の贈呈)
(2) 役員の異動
杉本久雄氏の逝去、広谷正人氏、和田藤秋氏、相曽新一氏、岡田幸内氏の辞任に伴い、
次の役員が新任されました。
常任幹事
鈴木 秀明
神奈川地区
(56. 2)
幹
山田 篤雄
東京地区
(56. 2)
斉藤 俊隆
仝上
(56. 6)
石井 親良
神奈川地区
(56. 6)
名雲 理武
埼玉地区
(55.12)
中村 恒男
仝上
(56. 6)
事
(3) 慶弔
ア、長寿会員のお祝
長寿の記念を迎えられた米寿 1 名、傘寿 5 名、喜寿 7 名、古希 7 名、の会員に対
し、総会当日支部長から記念品が贈られました。(氏名等は会報第 10 号に掲載)な
お、支部運営細則の改正により、古希の会員へのお祝は今回限りとなりました。
5
イ、お見舞
病気で長期間入院された次の会員にそれぞれお見舞を行いました。
東京地区
川原千代子 様
昭和 57. 2.11
大桃 松夫 様
〃 57. 3. 4
鈴木隆之介 様
〃 57. 3.30
小島 徳寧 様
〃 56.10. 6
川本 治雄 様
〃 56.12.30
埼玉地区
関根 裕 様
〃 57. 3. 4
千葉地区
田久保耕作 様
〃 56. 8.20
野本 たけ 様
〃 56. 8.25
神奈川地区
ウ、敬弔
56 年度において、次の方々が逝去されました。役員及び故人にゆかりのある会
員が葬儀に参列して弔慰金をお贈りし、ご冥福をお祈りしました。
勝田 秀雄 様 (77 才)
心筋こう塞 昭和56. 4.18
大矢治郎作氏夫人ミヤ子 様
脳出血
〃 56. 4.23
前田 栄吉 様 (71 才)
くも膜出血
〃 56. 8. 2
田久保耕作 様 (79 才)
脳こう塞
〃 56. 8.24
千野 雅司 様 (71 才)
尿毒症
〃 56. 8.25
有賀 正男 様 (54 才)
脳内出血
〃 56. 9. 1
小原 儀助 様 (67 才)
胃がん
〃 56. 9. 4
堀 政男 様 (71 才)
心臓麻痺
〃 56.10. 6
田中 信義 様 (55 才)
脳出血
〃 57. 1.25
松浦 一郎 様 (67 才)
脳内出血
〃 57. 2.13
関根 裕 様 (61 才)
心不全
〃 57. 3.21
(4) 支部会報発行
支部会報第 10 号を 10 月発行、全会員に配布。
(5) 会員名簿の配布
本部発行の 56 年度版、会員名簿を 10 月全会員に配付。
(6) 本部会報の配付
本部会報第 22 号、第 23 号を 6 月、12 月全会員に配付。
(7) 地区懇談会の開催
各地区において次のように地区懇談会を開催。
(それぞれの懇談会状況は地区だより欄をご覧ください。)
6
地区名
開催月日
開催場所
出席会員数
東京地区
昭和 57. 3.27
蔵前いがらし
30 名
神奈川地区
〃 57. 3.20
横浜重慶飯店
42 名
埼玉地区
〃 57. 3. 6
埼玉県労働会館
22 名
千葉地区
〃 57. 3.20
千葉市畑町コミュニティセンター
21 名
(8) サークル活動
支部主催のサークル活動は 56 年度より本格的実施に入りました。
各部の実施状況は次のとおりです。
ア、釣
とき……昭和 56 年 9 月 13 日(日)
ところ……江の島沖
当初参加希望者は 6 名でしたが出船時間が早朝のため 2 名欠席となり、4 名で日
本船舶通信(株)のグループと合同で船を借りきり、江の島沖に向いました。最初
はアジをねらいましたが、思わしくないので場所を変えたところ、サバの入れ食い
となり、船はたちまち戦場のような騒ぎとなりました。その後、もとのアジ場へ戻
りましたが、やはりアジは駄目で時々形の良いイナダ、ボラが釣れ、結構楽しみな
がら秋の 1 日を過しました。
(加藤)
イ、ゴルフ
第 1 回コンペ(56.5.2) については、会報第 9 号に報告いたしましたが、第 2 回
コンペを昭和 56 年 10 月 10 日(祝)、前回と同じ東雲カントリーで開催しました。
会員 15 名、現役機関長 4 名が参加して、秋晴れのもと、楽しい 1 日を過しました。
緑の彼方へ飛ばすナイスショット、現役を含めての和やかなパーティは旧友会ゴル
フの醍醐味です。
(坂本)
なお当日の成績は次のとおりでした。
優
勝
富塚 一朗
2
位
鈴木 秀明
3
位
高久 三好
4
位
木村 正道
5
位
梶原 明
ウ、マージャン
珍らしく初雪のチラツク昭和 57 年 1 月 16 日、会員 12 名が参加して第 1 回マー
ジャン大会を開催しました。場所は坂本副支部長宅。
午前 11 時から始めて夕方 5 時迄に互いに舌戦を交えながら腕を競いました。成
績は次のとおりです。
終了後、賞品授与式を兼ねて歓談の一刻を過しました。
優
勝
鈴木 邑長
4
位
斉藤 俊隆
2
位
野川 忠一
5
位
坂本 忠勝
3
位
山岸友三郎
7
(野川)
エ、旅行
第 1 回の雲取山 1 泊ハイク (56.8.1) については前号に報告いたしましたが、第 2
回は昭和 56 年 11 月 8 日(日)、紅葉の東海道自然歩道(高尾、城山)ハイキング
を行いました。参加者は会員以外の同行者 2 名を含め 6 名でした。薄曇りの天候
でしたが落葉を踏みながらの峯歩き、それぞれ持参の豪華(?)な弁当をひろげて
の昼食パーティはなかなか楽しい思い出です。
(山田)
オ、観劇
上野の森に紅葉が鮮やかに映える昭和 56 年 11 月 14 日、第 1 回のサークル活動
として、鈴本演芸場での寄席見物を行いました。
当日は土曜日とあって団体客も多く相当混みましたが、先着した会員の方々の応
援をいたゞき連係プレイで全員の座席を確保できました。
TV で馴染のタレントによる落語、万才、奇術等賑やかな演しものをみながら、
コップ酒を口にして懐しい寄席の雰囲気を楽しみました。
当日の参加者は 14 名で、奥さんを同伴された方、両親が参加された方もあり、
まずまずのスタートだったと思います。このサークルは寄席、観劇のグループです
が、芝居はそれぞれの好みもあって実施方法がむずかしいため、一般的に参加し易
い寄席でスタートしました。
今後のすすめ方について皆さんの御意見をお寄せいただければ幸いです。(鈴木)
カ、園芸
第 1 回の活動を昭和 56 年 11 月 29 日(日)、安行の埼玉県植物見本園で実施し
ました。奥さんを同伴された会員もあり、合計 9 名で、見本園の代表的な樹木につ
いて、三々五々見学を楽しみながらの散策でした。
また近くにある植木センターに寄って鉢植の花木、苗木等の展示を見物しました
が、皆さん好みの花や鉢を購入したり結構楽しい一日でした。
(橋本)
キ、囲碁・将棋
囲碁の愛好者は 56 年度現在 40 名程度で、日本棋院、電電東京無線支部の行事に
参加させていただいております。旧友会からの参加は多い時で 10 名位ですが、初
心者も大いに歓迎いたしますので、御希望の方は是非出席してくださるようお願い
します。
56 年度の実施状況は次のとおりです。
56. 3.28
第 21 回定期大会(青山電電ビル)
出席会員
10 名
56. 5.17
第 13 回オール官公庁大会
仝上
5〃
56. 7.25
第 22 回定期大会 (TRC)
仝上
6〃
56.10. 3
創立 5 周年記念大会(青山電電ビル)
仝上
7〃
56.11. 7
電電退職者囲碁大会(主催共済会)
仝上
5〃
56.12. 5
第 23 回定期大会 (TRC)
仝上
5〃
将棋については愛好者が少いため、共済会主催の電電退職者将棋大会に参加する
ことにしております。56 年度大会の出席者は 3 名でした。
8
(野川)
ク、絵画
昭和 56 年 10 月 12 日∼16 日、共済会主催の展覧会が主婦の友文化会館において
開催され、当サークルから次の会員が出品しました。
風
景 …… 川原田安夫
山
八甲田の秋 …… 和田 藤秋
新
百
合 …… 渡辺 審也
月 …… 鈴木隆之介
また、昭和 56 年 11 月 14 日(土)
、奥多摩へ一泊スケッチ旅行を行いました。参
加会員は 8 名で、めいめい自分のテーマを選んでスケッチブックを広げ、時間の経
過も忘れて深まりゆく秋を惜しみました。
(和田)
(9) 名崎送信所施設見学
第 32 回電信電話記念日と名崎送信所第 2 局舎の竣工を機に、東京無線通信部の御招
待で名崎送信所の施設見学が昭和 56 年 10 月 27 日、会員 27 名が参加して行われまし
た。通信部の御配慮で大変楽しい有意義な見学会でした。これにつきまして、11 月 5
日、野口支部長から佐々木東京無線通信部長あて感謝状を送付しました。以下はその見
学記です。
名崎送信所施設見学記
定刻 9 時、会員の明るい笑顔が、案内してくださる東京無線通信部の職員と和やかな
あいさつを交しながら、次々と大型バスに吸い込まれる。
佐々木通信部長の丁重なあいさつをいただいて通信部を出発する。車中、関通、確井
調査役の懇切な説明をきゝながら、爽やかな秋晴れの関東平野をひた走ること 3 時間
半、緑に包まれた名崎に到着する。50 万 m2 の広大な敷地に整然と林立する鉄塔群、そ
して瀟洒な局舎は、かつての公社短波局の印象からはまさに目を見張る一瞬だった。先
ず第 2 局舎で青木古河統制無線中継所長から設備のあらましについて説明があり、昼食
をはさんで施設の見学に入る。
送信機はセラミック管の採用と、低段部のトランジスター化により、かっての大型と
は全く一変して、コンパクトな姿に変っている。
予備空中線は、広帯域のモノコーン型となって、送信機と一連の系としての予備切
替方式に変り、また同軸ケーブルの地下埋設により、過去の短波局にみられた 2 線式
フィーダー、ジャングルと呼ばれた空中線切替装置は全くその姿を消している。
電力室に入れば 1,000KVA ガスタービンエンジンの高速回転音が近代化を象徴する
ようにキーンと鳴り響き、600m 離れた第 1、第 2 局舎間の非常電源相互応援も可能と
のことである。
これだけの大規模な設備を無駐在化することができたのは、監視制御システムの革新
的飛躍と相まって、それぞれの機器が高度化、安定化されたことが大きな要素となって
いるのであろう。
公社組織の偉大な底力と技術陣の層の厚さ、設計、工事関係者のみならずその背後に
あって指揮をとられた上層部の方々の御努力をしみじみかみしめる思いであった。
屋上から眺めると、かっての黒々とした松林、遙かに続いていた田園が整然とした送
信所に一変し、遠く筑波の山なみだけが昔と変らず端麗な姿を秋空に浮べていた。
9
見学を終って、一同局舎前で記念撮影をする。
ホットした帰りの車中は心のこもった接待に思わず顔もほころび、楽しい思い出話に
花が咲いた。
かつての公社で短波近代化を夢みた人だけでなく、無線マンとしての会員すべてに
とってまことに充実した一日であった。
この見学に御配慮いただいた無線通信部長はじめ、通信局、通信部、現局の皆様に厚
く感謝の意を表する次第である。
(鈴木)
2. 昭和 56 年度収支決算報告
収入の部
項目
支出の部
金額(円)
項目
金額(円)
前年度よりの繰越
260,522
総会開催費
732,600
会費
684,000
記念品代
79,000
入会金
31,000
交通費
103,850
総会懇談会費
508,000
通信費
93,760
寄付金
689,000
見舞金
24,000
貯金利子
14,686
弔慰金
105,000
広告料
6,000
本部費
167,500
その他
64,951
本部入会金
15,500
会報発行代
190,000
サークル活動費
48,920
地区懇談会費
94,400
電話順送表印刷代
62,000
雑費
110,240
支出合計
合計
1,826,770
※別途積立金へ繰入
200,000
57 年度へ繰越
231,389
合計
2,258,159
2,258,159
※別途積立金は 55 年度末の 700,000 円と合わせて計 900,000 円となりました。
(倉井)
3. 役員会及び常任幹事会概要
役員会
(1) 第 1 回 56. 4. 9 於 無線通信部
10
本部理事会、常任幹事会報告
支部関係報告及び協議
• 55 年度決算報告、56 年度予算案審議、支部総会議事及び役員担務打合、幹事任期
及び新入会員勧誘等打合
(2) 第 2 回 56. 5.26 於 無線通信部
本部常任幹事会及び総会報告
支部関係報告及び協議
• 総会案内状回答中間集計、総会議事内容及び事前準備打合、電信電話記念日関東電
気通信局長表彰候補に小島相談役を推せん。
(3) 第 3 回 56. 7.10 於 無線通信部
本部理事会報告
支部関係報告及び協議
• 第 1· 四半期決算報告、サークル活動実施報告、会員名簿の修正、新入会員追加によ
る電話順送修正、支部会報第 10 号発行について編集方針打合、新役員の分担事項決定。
(4) 第 4 回 56.10. 6 於 無線通信部
本部常任幹事会報告
支部関係報告及び協議
• 第 2· 四半期決算報告、電話順送及び支部会報第 10 号の発行準備
(5) 第 5 回 57. 2. 3 於 無線通信部
本部常任委員会報告
支部関係報告及び協議
• 第 3· 四半期決算報告、地区懇談会実施計画打合、サークル活動状況報告
常任幹事会
(1) 第 1 回 56. 5.12 於 無線通信部
支部総会開催案内状発送処理、本部総会出席者の人選
(2) 第 2 回 56. 7.18
支部会員名簿追加修正作業
(3) 第 3 回 56. 8.25 於 無線通信部
支部会報第 10 号及び会員名簿編集審議
(4) 第 4 回 56.10.20 於 無線通信部
支部会報第 10 号発送処理
11
4. 受彰、余栄等
(1) 受彰
ご栄誉をお祝い申し上げます。
小島 徳寧 氏
56.10.23
関東電気通信局長より感謝状受賞
石関 満 氏
56.11.23
第 14 回電気通信産業功労賞受賞
(2) 余栄
次の方々は生前のご功績により、余栄が授けられました。
前田 栄吉 様
正五位勲五等瑞宝章
56. 8. 2
千野 雅司 様
正五位勲五等瑞宝章
56. 8.25
小原 儀助 様
正七位勲六等瑞宝章
56. 9. 4
堀 政男 様
従六位勲五等瑞宝章
56.10. 6
関根 裕 様
正七位勲六等瑞宝章
57. 3.21
12
昭和 57 年度事業計画及び実施概要
(坂本、鈴木)
1. 昭和 57 年度事業計画及び収支予算
(1) 事業計画
無線支部総会
年 1 回開催する。(昭和 57 年 6 月 26 日実施)
迎寿会員への記念品贈呈
傘寿(80 才)3 名、喜寿(77 才)6 名
見舞、弔慰等
支部運営細則により実施
無線支部会報
年 1 回発行、全会員に配付する。
会員名簿
年 1 回発行、全会員に配付する。
役員会、常任幹事会
地区懇談会
役員会は 4 月 20 日第 1 回を開催、以後数回を予定する。
常任理事会は年間数回を予定する。
年 1 回、4 地区でそれぞれ実施する。
昨年度に引き続き支部主催のサークル活動を
次の 9 部門につき実施する。
サークル活動
(ア) 釣 (イ) ゴルフ (ウ) マージャン
(エ) 旅行 (オ) 観劇(寄席) (カ) 園芸
(キ) 囲碁将棋 (ク) 絵画
その他共済会の文化活動に参加協力する。
13
(2) 昭和 57 年度収支予算
収入の部
項目
支出の部
金額(円)
項目
金額(円)
56 年度より繰越
231,389
総会開催費
800,000
会費
706,000
記念品代
45,000
入会金
25,000
交通費
160,000
総会懇談会費
520,000
通信費
130,000
寄付金
500,000
見舞金
40,000
雑収入
40,000
弔慰金
50,000
本部費
186,500
本部入会金
12,500
会報発行費
190,000
サークル活動費
100,000
地区懇談会費
100,000
雑費
100,000
別途積立金
50,000
予備費
58,389
合計
2,022,389
合計
2,022,389
(倉井)
2. 昭和 57 年度支部総会
57 年度(第 15 回)東京無線支部総会は 6 月 26 日(土)、例年通り日本女子会館で開催され
た。梅雨空が低く垂れこめ、芝公園の緑がくすんだ影を落していた。定刻近く、次々と姿をあ
らわす会員達が顔を合わせては久濶を叙す光景が印象的だ。
総会に先立って共済会の御協力により「かけめぐる電波」「大江戸の春」の 2 本の文化映画
が上映され、定刻午後 2 時総会が開かれた。
開会のことばに続いて、逝去された会員の方々に対する敬けんな黙とうが捧げられ、一瞬物
故されたあの方、この方の顔を思い浮べる。
先ず野口支部長のあいさつ。通信部はじめ現場機関の御協力に対する感謝のことばに続い
て、検見川跡地の記念碑建設計画と最近話題の公社の組織問題について力をこめて述べられ
た。議事は、支部運営細則により支部長が議長席につき、次の内容によりすヽめられた。
ア、56 年度事業報告及び決算報告
イ、56 年度会計監査報告
ウ、57 年度事業計画及び収支予算案
エ、役員の改選
14
56 年度及び 57 年度の事業内容、決算、予算については坂本副支部長より資料にもとづいて
具体的説明があり、また会計監査報告は野本監事から行われたが、いずれも異議なく可決さ
れた。
また役員の任期満了に伴う改選については、支部長、副支部長は満場の支持により再選され
たが、野本監事は健康上の理由により辞任の申し出があったため、後任に松井泰助氏が選出さ
れた。
次に新役員の指名が披露され議事は順調裡に終了した。
続いて迎寿会員へのお祝贈呈に移り、支部長より傘寿会員 3 名。喜寿会員 6 名の方に記念品
が贈られた。
来賓の祝辞は、先ず佐々木東京無線通信部長が公社最近の動向として犬石−東京間 5GHz 方
式、自動車無線のサービスエリヤ拡大等、活気に溢れた無線部門の活動状況を述べられ、また
旧友会本部の能専務理事は我々にとって最も関心の深い年金問題、公社の組織改革に対する最
近の動き等を話されて一同熱心に聴き入った。
最後に上村搬送支部長代理の祝辞をもって行事をすべて終了した。
小憩の後、誰もが楽しみにしている懇親会が開かれた。
三浦前支部長の音頭で乾盃が終ると、皆懐しい顔を搜しては楽しそうに近況を語り合い、懐
旧談に花が咲く。アルコールが回るにつれ、ボルテージもますます上って、広い会場に熱気が
ムンムンする。新人も老年も、遠い昔の生き生きした顔に還ったようである。頃をみて十一
家東京統制無線中継所長の音頭で万才を三唱し、尽きぬ語らいの名残りを惜しみながら散会
した。
当日の出席会員は 147 名、年と共に盛会の度を増しつつあるのはまことに喜ばしいことであ
り、今後なお一層充実した集いに発展することを願うものである。
(1) 長寿お祝い贈呈
次の 9 名の迎寿会員に対し、支部長から記念品が贈られました。
傘寿(80 才)
早原 明男 様
近藤喜三郎 様
久保田栄次郎 様
喜寿(77 才)
宮本 辛一 様
川崎 昌一 様
三浦 一郎 様
増田 忠男 様
倉井 正治 様
小林 逸正 様
(2) 昭和 57 年度役員異動
野川忠一氏、大桃松夫氏、大場清次氏の辞任に伴って 57 年度の役員は次のメンバー
となりました。(敬称略)
支部長
野口 謙也(55.6)
幹事 (東京)
石毛 光郎(57.6)
副支部長
坂本 忠勝(55.6)
仝上(神奈川)
加藤 太郎(50.5)
監事
松井 泰助(57.6)
仝上 (仝上)
西坂 敏治(55.6)
倉井 正治(47.6)
仝上 (仝上)
石井 親良(56.6)
常任幹事 (会計)
仝上
(東京)
飯田 耕造(57.6)
仝上 (千葉)
河村 倉六(49.10)
仝上
(神奈川)
鈴木 秀明(56.2)
仝上 (仝上)
岡本 信幸(55.6)
仝上
(千葉)
池田 嘉文(57.6)
仝上 (仝上)
吉沢 大蔵(55.6)
仝上
(埼玉)
橋本 章三(54.6)
仝上 (埼玉)
名雲 理武(55.12)
15
幹事(東京)
山田 篤雄(56.2)
仝上(仝上)
斉藤 俊隆(56.6)
幹事(埼玉)
中村 恒男(56.6)
3. 会員証の発行
昭和 57 年 4 月 1 日に旧友会会員証が本部で新たに発行されましたので、支部は 5 月全会員
に送付しました。その利用方法は次のとおりです。
(1) 公社機関への入門
会員証を受付に提示すれば、身分証明書または入門証と同様に扱われます。
(2) 公社保養所の利用
利用券に会員証番号を記載することにより共済事務担当者印は不要です。なお利用当日
は利用券に添え会員証を提示してください。公社の会館、クラブも同様です。
(3) 電気通信科学館への入場
会員証を入口で提示すれば無料で入場できます。
4. お見舞
病気のため長期にわたって入院された次の会員にお見舞をお送りしました。
神奈川地区
埼玉地区
小島 徳寧
様
昭和 57. 4.20
浦井 武
様
〃 57. 6.15
川本 治雄
様
〃 57. 7.27
岡 正尊
様
〃 57. 4.20
5. 敬弔
次の方が逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
大島 孝良 様 (53 才)
肺 気 腫
昭和 57.4.2
鈴木隆之介 様 (58 才)
胃かいよう
昭和 57.9.4
6. サークル活動
57 年度においては旅行サークル、ゴルフサークルは既に実施しておりますが、他の園芸、観
劇(寄席)、囲碁(将棋)、マージャン、絵画、釣部門も実施を計画しております。
それぞれの部門の実施については、皆さんからのアンケートにもとづいたサークル会員にそ
の都度連絡しておりますが、これからも新しく参加希望の方がありましたら、次のそれぞれの
部門の幹事へお申し出でください。
また御意見についても遠慮なくお寄せください。
サークル部門
幹事
サークル部門
幹事
旅行
山田 篤雄
マージャン
鈴木日出夫、鈴木 邑長
園芸
橋本 章三
絵画
和田 藤秋
16
サークル部門
幹事
サークル部門
幹事
ゴルフ
坂本 忠勝、富塚 一朗
釣
加藤 太郎
観劇(寄席)
鈴木 秀明、木谷 保雄
写真
加香 辰雄
囲碁(将棋)
野川 忠一
実施したサークル活動の状況は次のとおりです。
• 旅行サークル
7 月 17 日∼18 日に那須縦走、三斗小屋温泉へのハイキングを行いました。前日から
の雨がやまず生憎の天気でしたが 7 名の会員が参加しました。霧と雨の中をロープウェ
イ山麓駅から峯の峠、隠居倉を経由して 16 時頃、三斗小屋温泉へ到着、自家発電の山
の一軒宿で楽しい一夜を過しました。翌日は板室温泉から黒磯へ出て帰京しましたが 2
日間の走行距離 21k、いさゝか疲れましたが、無事完走の満足感は歩いた者でなければ
味えない喜びです。
(この紀行の詳細は随想欄をごらんください。)
• ゴルフサークル
5 月 8 日(土)、第 3 回コンペを昭和パブリックで行いました。参加者は会員 15 名。
現役機関長 5 名で五月晴のもと、新緑のじゅうたんを踏んで現役との交流を楽しみま
した。
また第 4 回コンペを 8 月 4 日(火)、本厚木カントリーで開きましたが台風 10 号の
去った真夏の炎天下とあって昼のビールのうまかったこと。深いラフに食われて苦戦す
る人が多かったですが、優勝者はなかなかの好スコアでした。なお成績は次のとおりで
した。
第 3 回コンペ
第 4 回コンペ
(昭和パブリック)
(本厚木)
優勝
高久 三好
坂本 忠勝
2 位
佐々木敏夫
飯田 耕造
3 位
野口 謙也
木口今朝満
4 位
栗原 喜一
十一家洋一
5 位
渡辺 淳
高橋定三郎
7. 役員会及び常任幹事会
役員会
(1) 第 1 回 57.4.20 於 無線通信部
本部理事会、常任幹事会報告
支部関係報告及び協議
17
• 年金情報、会員証の発行
56 年度決算報告、57 年度予算、支部総会開催計画
(2) 第 2 回 57.6.15 於 無線通信部
本部理事会報告
支部関係報告及び協議
• 57 年度電信電話記念日通信局長表彰候補に和田元役員を推せん。
支部総会準備打合、新入会員報告及びこれに伴う電話順送表改訂の件
(3) 第 3 回 57.7.13 於 無線通信部
本部理事会報告
支部関係報告及び協議
• 電信電話記念日通信局長表彰候補の選考結果報告、支部総会の結果に対する反省点
検討、電話順送表改訂版発送、支部会報作成方針打合
常任理事会
(1) 第 1 回 57.5.4 於 無線通信部
本部会の発送処理、会員証の配布、支部総会案内状発送準備
(2) 第 2 回 57.7.27 於 無線通信部
57 年度会員名簿の修正作業、支部会報作成準備
(3) 第 3 回 57.8.30 於 無線通信部
57 年度会員名簿校正作業
支部会報(第 11 号)編集作業
18
恩給・年金情報
(坂本)
1. 恩給
57 年度の恩給法の 1 部改正は去る 4 月 27 日法律第 35 号をもって公布されました。その概
要は次のとおりです。
• 恩給年額の増額
(1) 仮定俸給の引上げ
57 年 5 月以後恩給の仮定俸給を次のように増額となりました。
仮定俸給年額
引上げ率
128 万円以上
4.5%+12,800 円
128 万円未満
5.5%
(21 号俸 5.5%、47 号俸 5.1%、79 号俸 4.0%)
なお 66 号俸(4,162,400 円)以上の者に対する改定年金額の増額分(老令加算その他
加算額を含む)の 1/3 が昭和 58 年 3 月まで支給停止される。
(2) 最低保障額等の引上げ
省略
2. 年金
57 年度の共済年金額の改定等に関する改正法は去る 5 月 25 日、法律第 57 号をもって公布
されました。その概要は次のとおりです。
(1) 改善の実施時期は例年より 1 ヶ月遅れの 5 月からです。
(2) 昭和 56 年 3 月 31 日以前の退職者については、年金額算定の基礎となっている仮定俸
給が 57 年 5 月以後次のように引上げとなりました。
56 年度における仮定俸給年額
引上率(または額)
1,280,000 円未満
5.5%
1,280,000 円以上
4.5%+12,800 円
4,622,223 円以上
220,800 円
5,061,539 円以上
−2.6%+352,400 円
13,553,847 円以上
アップなし
(3) 引上げ後の仮定俸給年額が 4,162,400 円以上の方に対する改定年金額の増額分の 1 / 3
が 58 年 3 月まで支給停止されます。
(4) 高額所得者に対する共済年金の支給停止
年金額が 120 万円を超え、かつ年金外の課税給与所得が、年額 600 万円を超える場合
は、年金額 120 万円を超える 1/2 の額を満 70 才に達するまで支給停止されることにな
19
りました。
但し 57 年 5 月 31 日における受給額は確保されます。
3. 大蔵省の「共済年金合併化」による国鉄共済年金救済案
わが国の公的年金制度は厚生年金、国民年金、共済年金等の制度に分立しているが、いずれ
も将来財政危機に陥ることが予想されている。
政府は臨調や各種審議会等において提案されている、公的年金制度を統合一元化し、年金財
政を安定化して、国民の老後生活に不安をなくすことが極めて重要な課題と考えている。
(1) これに関し大蔵省より研究委嘱を受けていた共済年金制度基本問題研究会は去る 7 月
14 日研究結果を意見書として大蔵省に提出した。この意見書の中で電電共済年金受給
者である我々にとって特に注目すべき点は国鉄共済年金対策を中心とした緊急対策によ
る電電共済年金の既得権益が大いに侵害されることです。
要点を次表に示しました。
国鉄共済年金救済緊急対策
電電共済年金への影響
1. 三公社共済と国家公務員共済を合併し
1. 国鉄年金財政破綻は国鉄と国の責任で
て先ず地ならしする。
あるのに、電電共済が無理心中の犠牲
にされる。
2. 国家助成は行わない。
2. 電電共済年金の給付水準が国家公務員
のそれに引下げられる。
3. 合併は 59 年度実施を目標とす。
3. 将来財政ひっ迫から保険料が引上げら
れる。
4. 三公社経営形態の変更如何にかかわら
4. 既得権益が浸される。
ず共済年金制度適用。
5. 経営形態が変れば厚生年金移行が有利
とも考えられる。
(2) 電電公社は真向から反対
この共済年金制度基本問題研究会の意見にたいし、電電公社は真向から強く反対の立
場を明かにし各方面に働きかけています。
また箕輪郵政大臣もこれを受け 7 月 16 日の閣議で強硬に反対されました。今后郵政
省と大蔵省との間で話し合いに入ることになることでしょうが、電電公社は当事者交渉
の段階では交渉のテーブルにはつくが、この案に応じる考えは毛頭なく、取引きにもし
ないと防戦に必至の意気込みを示しているとのことで、我々としてはまことに心強く今
后の推移を見守って行きましょう。
しかし大蔵省は公的年金制度の統合一元化への足掛りともなることで、来春の国会に
は公共企業体等職員共済組合法案を提出することにより、統合へ持ち込むことを考えて
いるとのことです。ぜひ電電公社や関係の向きの抵抗を結集して廃案に持込みたいもの
20
です。
(3)公共企業体及び国家共済等の年金財政は現行ですと次表のような見通しです。
21
旧友会本部理事会報告
(坂本)
1. 58 年度、恩給、共済年金受給者の処遇等に関する陳情
共済年金については、国鉄共済年金財政が昭和 60 年度には、破綻する見通しや、行財政改
革と第 2 臨調の論議等もあって、国鉄共済年金財政の救済を緊急の課題として、公的年金制度
の統合、一元化が問題になっています。電電公社退職者団体連合会は 4 月 30 日、公社の総裁、
関係理事、郵政大臣、関係議員に陳情書を提出しました。その要旨は次のとおりです。
恩給、共済年金受給者の処遇等に関する陳情書(要旨)
(1) 年金財政の調整及び公的年金制度の統合等について
公的年金制度についてはその性格、成立、成長ならびに資産の運用に長い歴史があ
びほう
り、現在の制度間の差異が生じている実状を十分考慮し、弥縫的解決策として財政調整
を急ぐことのないよう慎重に検討していただきたい。
また、私ども恩給、共済年金受給者の既得権、期待権が侵害されることのないように
お願いするとともに、施策に受給者の意向が十分反映できるよう、各種審議会、諮問機
関等に退職者団体の代表者を加えるようお願いいたしたい。
(2)昭和 58 年度国家予算等の編成に関連して次のものに御配慮を賜りたい。
ア.恩給、共済年金については実質価値が維持できるよう、自動スライド方式を確立し
ていただきたい。
イ.恩給、共済年金の改定時期はすべて 4 月 1 日とし、現職公務員の給与改定時期から
1 年遅れとなっているので、これを同時期にするよう逐次繰上げていただきたい。
ウ.算定の基礎となっている仮定俸給を点検して格差を是正するほか、退職年次による
格差の一層の是正をはかっていただきたい。
エ.扶助料または遺族年金の算定基準額は恩給共済年金の 80 %に改善していただき
たい。
オ.恩給、共済年金の最低補償額を引き上げていただきたい。
カ.恩給、共済年金受給者に対する老令福祉年金の併給制限を撤廃していただきたい。
キ.高年令者の年金に対する課税については、老令者の年金特別控除を現在の 78 万円
から 100 万円以上としていただきたい。
2. 昭和 57 年度の公社に対する要望事項
昭和 57 年 4 月 22 日付文書をもって旧友会本部から公社厚生局長あてに要望書を提出しま
した。その項目は次のとおりです。
(1)生存者叙勲の範囲拡大
(2)死亡者叙位、叙勲の早期伝達
22
(3)医療関係の共済組合、任意継続期間の延長
(4)医療機関の利用範囲の拡大
(5)共済組合特約保養所の利用
(6)会館、クラブ等に退職者のための談話室付設
(7)共済年金センターの設置
(8)医療福祉施設の拡充(伊豆白寿園)
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
一寸お知らせ
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
◎厚生年金保険に関する相談が便利になりました
(坂本)
社会保険事務所と社会保険所とのオンラインシステムが開始されましたので厚生年金保険の
加入期間や、年金の見込額、受給者の記録、支払額など個別、具体的相談に対し社会保険事務
所でも即時に回答できるようになりました。
(1) オンラインシステムによる相談時間
午前 9 時 15 分∼午后 4 時 30 分(土曜 11 時 30 分まで)
(2) 本人出頭または本人署名捺印の委任状持参
(3) 年金手帳や年金証書を持参する
(4)窓口に用意された「年金相談申出票」に必要事項を記入する。
◎電気通信比島派遣戦死者慰霊碑建立さる
(岡本)
はず
さんがね
昭和 57 年 4 月 29 日愛知県幡豆郡幡豆町三木根観音の敷地内に、元逓信省より比島に派遣
され、現地で戦死された軍政局の方々の慰霊碑が、電気通信比島会の手で建立されました。当
支部からも金一封をご寄付いたしましたことをご報告します。(交通は蒲郡駅からバス 40 分)
23
○ 旧友会員の年令構成
(鈴木)
関東電電旧友会会員の年令構成を次表にまとめてみました。
(但し 57 年 4 月 1 日現在ですので 57 年度新会員は含まれていません。)御参考までに。
上段は人数、下段()内は百分率 (%) 構成比
年令|支部 関通 神奈川 地方
50 才未満
50∼54 才
55∼59 才
60∼64 才
65∼69 才
70∼74 才
75∼79 才
80∼84 才
85∼89 才
90 才以上
合計
3
(0.8)
11
(2.9)
105
(28.0)
74
(19.8)
71
(18.9)
54
(14.4)
33
(8.8)
24
(6.4)
0
(0)
0
(0)
375
(100)
2
(0.3)
16
(2.0)
130
(16.6)
237
(30.2)
161
(20.5)
131
(16.7)
84
(10.7)
20
(2.5)
4
(10.9)
0
(0)
785
(100)
4
(1.4)
14
(4.9)
36
(12.5)
70
(24.4)
71
(24.7)
52
(18.1)
22
(7.7)
12
(4.2)
4
(1.4)
2
(0.7)
287
(100)
千葉
埼玉
茨城
栃木
群馬
山梨
搬送
無線
2
(0.4)
19
(3.8)
103
(20.5)
135
(26.8)
89
(17.7)
83
(16.5)
52
(10.3)
16
(3.2)
3
(0.6)
1
(0.2)
503
(100)
2
(0.6)
11
(3.4)
47
(14.6)
72
(22.4)
65
(20.3)
58
(18.1)
49
(15.3)
12
(3.7)
5
(1.6)
0
(0)
321
(100)
6
(1.8)
32
(9.4)
79
(23.4)
79
(23.4)
65
(19.2)
42
(12.4)
29
(8.6)
5
(1.5)
0
(0)
1
(0.3)
338
(100)
10
(2.9)
38
(11.2)
75
(22.1)
82
(24.2)
57
(16.8)
32
(9.4)
31
(9.2)
11
(3.3)
3
(0.9)
0
(0)
339
(100)
9
(2.4)
24
(6.5)
65
(17.5)
104
(28.0)
67
(18.0)
62
(16.7)
28
(7.5)
11
(2.9)
2
(0.5)
0
(0)
372
(100)
5
(1.8)
24
(8.9)
46
(17.0)
73
(26.9)
51
(18.8)
26
(9.6)
26
(9.6)
17
(6.3)
3
(1.1)
0
(0)
271
(100)
3
(0.9)
15
(4.3)
89
(25.7)
89
(25.7)
67
(19.4)
55
(15.9)
19
(5.5)
9
(3.6)
0
(0)
0
(0)
346
(100)
5
(1.4)
29
(8.3)
87
(24.9)
86
(24.6)
75
(21.5)
39
(11.2)
19
(5.5)
7
(2.0)
2
(0.6)
0
(0)
349
(100)
合計
51
(1.2)
233
(5.4)
862
(20.1)
1,101
(25.7)
839
(19.6)
634
(14.8)
392
(9.1)
144
(3.4)
26
(0.6)
4
(0.1)
4,286
(100)
○ 検見川送信所跡地の記念碑建立計画について
(坂本)
大正 15 年開局以来、約半世紀に亘り、短波無線所技術の開発ならびに多くの技術者を育成
して、我が国無線事業の発展に寄与した検見川無線送信所の業績を永遠に顕彰するため、旧友
会東京無線支部長を中心に有志相はかり、記念碑建立の計画をすすめていることは皆様ご承
知のとおりです。最近に至り関東電気通信局の都合により建立の時期が延びることになりま
した。
皆様のご期待に反して申し訳ございませんが、しばらく情勢が変るまでお待ちください。
○ 老人保健法の成立
(坂本)
24
8 月 10 日の国会で、70 才以上の老人医療を有料化し、受益者負担の考え方を制度化した老
人保健法が成立したことは皆様ご承知のとおりです。
老人医療の無料化制度が導入されたいわゆる“福祉元年”は高度経済成長期の昭和 48 年 1
月でした。あれから 10 年、最近、減速成長が長く続き、国や自治体の財政がきゅう迫して来
たこと、老人医療費が 48 年には約 4,000 億円であったものが、56 年度には 3 兆円にとどこ
うとしたこと、また一方では病院が“老人のサロン”になっていると批判されていることもあ
り、今後益々高齢化社会が進むことを考えれば、例え小額でも受益者負担の制度もやむを得な
いと考えられます。
来年 2 月から実施される新制度では患者の負担額は、外来が月毎に 400 円、入院が 2 ヶ月
に限り 1 日 300 円となっています。
こゝで問題点は、現在実施されている無料化の対象年令(70 才)引き下げの上乗せ福祉措置
をとっている自治体が新老人保健法に対する対応をどうするかであります。
現在対象年令引下げの“上乗せ福祉”実施の自治体は次のとおり 17 都道府県です。
65 才以上無料 …… 東京都、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、 奈良県
67 才以上無料 …… 和歌山県 68 才以上無料 …… 埼玉県、山梨県、長野県、愛知県、三重県、岡山県、広島県、香川県
69 才以上無料 …… 石川県、岐阜県
これらの自治体では国の制度に合わせて、65 才以上の上乗せ分についても患者負担分の一
部を自治体が負担する方法がとられるのではないかとの見方もありますが、厚生省は、上乗せ
福祉廃止を含めた是正措置を要請しており、大半の自治体は他の自治体の動向をみているのが
実状で、新制度発足の 2 月までにどのような対応をとるのか注目されます。
25
○ 健康維持のためビタミンに注意しましょう。
(坂本)
ビタミンは体の抵抗力を強め、若さと健康を保ついわば人体の潤滑油です。何種類もある
ビタミンのうちどれ一つ不足しても特有の欠乏症が現はれることはよく知られているとおり
です。
旧友会会員はご年輩の方々ですから特に大切なビタミンの補給は積極的に心掛ける必要があ
ります。
(1) ビタミンを効率よくとるにはどのような食品からどのようにしてとるか。
ビタミン種類
ビタミン A
多く含まれる食品
食べ方
ヤツメウナギ、ウナギ、 牛、豚、鶏などのレバー
欠乏症
夜盲病、眼球乾
レバー、卵、カボチャ、 は特に豊富。メザシ、 燥症、皮膚がカ
ビタミン B1
ビタミン B2
パセリー、ホウレンソ
イワシは内臓ごと食べ
サカサする。 ウ、シュンギク、ニン
る。野菜は油炒めや精
鼻炎、口内炎、胃
ジン、卵黄
進揚げにするとよい。
炎
胚芽精米、強化米、ダ
胚芽の部分に多いので
脚気、手足しび
イズ、落花生、豚肉、タ
胚芽精米を食べる。ニ
れ、筋力低下、神
ラコ、スジコ、ハム
ンニク、黒砂糖
経障害
脱脂ミルク、牛乳、レ
毎日牛乳 1 本欠かさず
肝臓の働きがに
バー、納豆、チーズ
飲む
ぶる、口内炎、角
膜炎
ビタミン C
ビタミン E
ピーマン、パセリ、ホー
熱に弱いので野菜はゆ
背柱彎曲病、ギ
レン草、コマツ菜、抹
で過ぎないこと、果物
ックリ腰
茶、イチゴ、ミカン
は生で食べるので有利
胚芽精米、ダイズ、落
鉄分の多いホウレンソ
イライラ病、物
花生、エンドウ豆、グ
ウ、ニンジン、レーズ
忘れ、不眠頭痛
リーンピース
ン等はビタミンEと仝
時にとらない。
食事はたん白質(動物性食品やダイズ)とビタミン C(野菜、果物)と繊維の多いも
の(イモ類)の 3 つを十分に食べ、さらに牛乳を毎日 1 本欠かさないようにする。
(2) ビタミン補給は栄養的にバランスのとれた 3 度の食事からだけでも、注意すれば欠乏症
を起さない程度とることは出来ますが、最近では老人や病弱の人には積極的に用いて、
成人病始め多くの病気の予防や治療に、また老化防止やガン患者の延命などにも役立て
ようという考え方に変って参りました。したがって食事からだけでは補給し難いビタミ
ン E や C の補給には錠剤を用いる方が得策です。
ビタミン E には動脈硬化や老化の元凶といわれる過酸化脂質(古い油)の生成を抑え
る働きがあり、脳卒中や老化の予防に役立つことが判明し、その効果が世間で評判です。
26
27
28
29
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
地区だより
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
O 東京地区
東京地区懇談会は 57 年 3 月 27 日(土)、蔵前統制無線中継所の施設見学を兼ねて 25 名の
出席者により開催しました。
当日は晴天に恵まれ、定刻午后 2 時、蔵前統無中の会議室に集合して懇談会資料により議事
を進行しました。
先ず物故会員に対する黙とうを行い、野口支部長、坂本副支部長より議事の説明が行われま
した。2 時 30 分より中村所長の案内で施設見学を行った後、屋上で記念撮影、次いで場所を
「いがらし」に移して懇談会に入りました。山田幹事司会、先輩西条会員の発声で乾盃の後、各
会員の自己紹介や近況報告等があり、盛況裡に午后 5 時、村上会員のシメのあいさつで終了し
ました。
(坂本)
O 神奈川地区
神奈川地区懇談会は 3 月 20 日(土)
、昨年と同じ横浜重慶飯店で開催しました。朝から小雨
が降ったりやんだり春近い肌寒さを覚える日でしたが、野口支部長はじめ会員 42 名のほか、
横浜、藤沢、仏向、大楠、双子の各所長が出席され和やかな雰囲気の中ではじまりました。
新入会員の紹介につづいて幹事から年金関係、サークル活動の状況、会員証発行等の情報報
告があり、また新任の椿仏向所長から公社の現況説明を兼ねたあいさつをいたゞきました。
小憩の後、中華料理の卓を囲んで懇談会に移りましたが、佳境に入るにつれ、あちこちの卓
を廻っての歓談となり楽しい一刻を過しました。当日出席の皆さんに厚く御礼を申し上げま
す。
(鈴木)
O 埼玉地区
埼玉地区の懇談会は折悪しく小雨が煙る 3 月 6 日(土)、埼玉県労働会館で開催しました。
出席会員は 20 名、支部より支部長、副支部長が、また現役から浦和、川越、熊谷、久喜の各
所長が出席されました。会はまず地区役員、支部長のあいさつに続き、川越の石原所長から無
線をめぐるサービス、技術、保全体制の動きが詳細に説明され、続いて幹事より年金問題、会
員証、会員名簿の発行、クラブ活動その他の報告があり、自己紹介を交えて盛大に議事の進行
が行われました。
終って懇談会に入りました。久方振りのことで話に花が咲き、旧交を温める立食パーティは
現役、OB のコミュニケーションの場ともなって楽しい土曜の一時を過しましたが、名残り惜
しくも 5 時半頃、盛況裡に散会致しました。
参加者、40 %はいさゝか寂しい感じがいたします。会員皆さんの御出席とご健斗を祈って
おります。
(中村)
30
O 千葉地区
千葉地区懇談会は 3 月 20 日(土)、千葉市畑コミュニティセンターにおいて開催しました。
支部より倉井常任幹事、現役から千葉、成田、臼井、銚送、各所長のご出席をいただきました
が会員は 21 名と一寸淋しい会合となりました。
会は一般経過、会員の住所変更等から始まり、倉井常任幹事から年金関係について詳細な説
明があり、一同熱心に聴き入りました。各所長より県下無線関係の近況説明が行われ、引続い
て懇談会に入りました。飲む程に、昔懐しい話が弾み、お互の旧交を温めましたが、もう一つ
の圧巻は、牛窪氏ごひいきのタレント「大和撫子」の登場で、その美声に皆大いに若返り、も
う一曲、もう一曲と引止めましたが、彼女も今売出しの多忙の身で無理も願えず、彼女を送り
出して、会員一同再会を約して散会しました。
31
(池田)
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
会員だより
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
総会案内の回答から抜萃しました(順不同)
蔵並 菊雄
(神奈川通信部 51 年退職)
1. 健康状態は良好です。
2. 家庭は妻と長男夫婦、孫 1 人(女児 3 才)と同居しています。
3. 就職しておりませんので、家庭菜園の世話や、趣味として鎌倉彫りを月 2 回、グループ
で習っており、年に 2 回程度、妻と 3∼4 泊の旅行を楽しみ、毎日を退屈しないで過し
ております。
住谷嘉太郎
(銚子送受信所 29 年退職)
会員の皆様には永い間御無沙汰いたしまして失礼の段、まことに申訳ございません。小生今
年 9 月 20 日で満 90 才になりますので歩行困難のため総会に出席して皆さんとお会いするこ
とが出来ず残念に存じます。
会員御一同様の御健康と御多幸をお祈り申し上げます。
川原田安夫
(本社 49 年退職)
日頃より旧友会の皆様にはいろいろ御世話になり厚く御礼申し上げます。
野口支部長の御努力で検見川記念碑が出来上るのが楽しみです。30 年前に勤務した検見川
は青春の思い出の一齣です。
高岩さんの「のり」、バケツ一杯の「カニ」皆思い出になってしまいました。
旧友会の絵画同好会をはじめております。同好の皆様の御参加を期待しております。
早原 明男
(検見川送信所 36 年退職)
皆様には益々御活躍のことと存じます。私も老令で段々と体が不自由になって参りました。
毎月 2 回は医師の診断を受け、血圧、糖尿病、便秘、その他の老人病に注意しています。
植木や草花の手入れと、好きな日本画の小品を描くのが何よりの日々の楽しみで、御承知の
ように話の出来ないもので、附近の散歩位で外出は殆んどしません。ただ皆様にお会い出来な
いのが残念です。皆様によろしくお伝えください。皆様の御健康をお祈りいたします。
加香 辰雄
(本社 48 年退職)
54 年末で 41 年間のサラリーマン生活(満鉄、電電公社、富士通、日通建)に決別し。通産
局の認可を得て、加香電気管理事務所を開業し現在に至っています。だが武家の商法は思うに
まかせず顧客獲得に四苦八苦、青色申告の税務計算にまごつき、客先訪問に迷子になりつつ、
月 2,000km の自動車運転等々、老人ボケ防止にはもってこいと元気に楽しくやっています。
32
尾形豊次良
(東京無線部 45 年退職)
45 年に退職以来、同一場所で通信機と取り組んで毎日元気に勤務しています。最近になっ
てパソコンなるものに興味をもちまして老いの身にムチを打ちつゝ勉強をしていますが、オイ
ルが切れて頭の回転が悪く困っています。私は健康法として早寝早起きをモットーとしていま
す故お陰様で元気です。
鮎ヶ瀬栄一
(宇都宮統無中 55 年退職)
公社を退職し、職場の業務を離れてから 2 年が過ぎました。
最近やっと落着いた気持の中で、老後の生活についてあれこれ考えをめぐらせております。
家庭は妻と 2 人、少しばかりの野菜づくり、草花の手入れ、時折訪れる孫達の相手をして過
す平凡な毎日です。
折原 真一
(三宅無中 52 年退職)
遊んでいては経済上も、健康上もよくないので、バイクで 15 分、自転車で 30 分位の区内
でアルバイトをしています。勤務の内容も比較的ハードでもないので好きな剣道も続けていま
す。2 月には風邪を引いて約 3 ヶ月ぐずついていました。そのため剣道の昇段テストも受けら
れずやっと 4 月に 5 段が受かりました。冬は苦手で毎年風邪を引くと長引くようです。今年
は 11 月に居合 4 段受験が目的です。
親しい方が最近亡くなられています。お互に健康に気をつけて、いつまでも元気でありたい
と思います。
竹内 三郎
(関通 49 年退職)
1 年位前からパーキンソン病になり、歩行がやゝ困難になりましたので。毎日家でブラブラ
しています。2 週に一度病院通いをしていますが、手はまだ動きますので軽度の日曜大工をし
て楽しんでいます。皆様によろしくお伝えください。
鈴木隆之介
(本社 51 年退職)
1 月に胃潰瘍の手術をしたあと腸が癒着し易くなったせいか腸閉塞をおこして再入院、再々
入院をくり返しています。
只今入院中で折からの梅雨めいた空模様になおさらいらだたしい毎日です。近日中に癒着
をはがす手術をうけますが、早くサッパリして、快晴の気分を味いたいものと希っています。
(鈴木さんは 57 年 9 月 4 日逝去されました。謹んでご冥福を祈ります)
33
渡部 繁治
(大井報話局 48 年退職)
本年正月より第 2 の勤務も終了。浪人生活に入りました。
午前中は市民体育館へ出かけて卓球トレーニングをやっております。60 才以上の OB も数
名来ており賑やかです。お陰で腰痛もすっかり治って健康状態は極めて良好です。永いこと各
スポーツ団体の役員をやっておりました関係で昨年 10 月 1 日、都民の日に東京都知事賞を受
けました。今後も余生をスポーツ面のボランティア活動に捧げるつもりです。
木目田 元
(東京無線通信部 55 年退職)
56 年 1 月 19 日、公社を退職してスイミングスタールを経営、スイミングスクールも 6 月で
満 1 年を迎え、会員数も 1,900 人となり、やっと軌道に乗っております。コーチは委託会社が
担当していますが、受付業務は会社を設立して私を入れ社員 3 人で運営しています。毎日が忙
しくて大変です。時々公社生活を懐しく思い出します。
弘世 弘信
(関通 50 年退職)
お勤めにサヨナラして無任所大臣に就任。目下のんびりと身辺整理。暇をつくっては高尾山
や秩父に 1 人でハイク。生れてはじめて佐渡へ旅行。また尾瀬沼、尾瀬ヶ原、三条の滝を強行
軍、歩き廻ること 10 時間いさゝか疲れを感じました。7 月 23 日出発で台湾に出かけるのでそ
の準備にかゝっています。
益子 稍
(関通 28 年退職)
健康状態はマアマアというところです。
子供(男子 3 人)は皆独立し、今のところ老妻と 2 人だけの静かな暮しです。趣味の俳句と
日本舞踊にその日、その日を送っています。友人がボツボツ先に逝きまして淋しい限りです。
それにつけても足腰だけは健康でありたいと念じております。
田中完三郎
(岩槻受信所 32 年退職)
明治は遠くなりにけりとか、旧友会無線支部の結成当時は明治生れの会員が 90 名を数えた
が今は 69 名となってしまった。
不肖私も明治 31 年 4 月生れで今年満 84 才ですが、周囲の人達が 1 人逝き、1 人消え去り心
細く感じ淋しくなります。
また私の唯一の生き甲斐である社寺仏閣探訪も遠出は無理となり、今は近距離の日帰り行程
となりました。しかし余暇を有効にと昨年から同好の友 2,3 人と(いずれも初心者)と将棋を
楽しんでいます。健康保持のため毎日散歩は実行しています。皆様の御健康を祈ります。
34
上野 茂敏
(東京無線通信部 41 年退職)
いろいろ御世話になり有難うございます。
何年ぶりかで機会を得て、外来で人間ドック式にいろいろの検査をしてもらっています。自
分ではあまり気にしていないところも年の故か多少いかれているようで、ネジの締め直しが必
要のようです。
眼も白内障があるようで、年末に予定している車の免許更新にパスできるかと心配してい
ます。
皆様の御健康をお祈りいたします。
田中 長吉
(越ヶ谷報話局 56 年退職)
毎日、満員電車で丸の内まで通勤しています。今年はツキがあり、上の娘が春の日本美術院
院展に三度目の入選をし、下の娘は千葉大を卒業して医師の試験に合格しました。
私自身は日電のマイコン (8801) を買って毎日楽しんでおります。先日の会社のコンペで初
めてドラコンとニヤピンをとりました。あと半年このツキが持続するよう願っています。
鈴木 義雄
(本社 51 年退職)
早いもので大阪に来て早くも 1 年を経過いたしました。お陰様で元気に過しております。会
員の皆様とお話する真によい機会に出席できないのが残念です。現在趣味として絵画に力を入
れることにして練習しております。
今迄知らなかったことが判るにつれて絵画の奥深さが今更のように身にせまり、厳しさに耐
えるべく努力しております。この道の先輩の方から何かと御指導いただければ幸いです。
長井淳一部
(港地区管理部 47 年退職)
元気でおりますが、気がついた時には 60 才を越えておりました。
会社(日本無線)に入ってから約 11 年になります。私が入ってからも多くの電電からの後
輩が入り、いつか 11 年になっていたわけです。
今年 6 月 28 日の株主総会で役員を退任し、ひまも多くなっていよいよ人生最後の時期にな
ります。諸先輩に教えていただきながら 21 世紀に向けて有意義な人生にしたいものと考えて
おります。
坂本 忠勝
(本社 35 年退職)
旧友会の役員として 2 年経過、会員の皆さんのご協力を得て旧友会も益々繁栄し感謝にたえ
ません。私も最近は体調も良くなり、ゴルフを楽しんでいます。また 4 月からは狛江市より
レジャー農園を借り受け、暇をみて家庭菜園をつくっています。先日、ナス 3 ケ、キュウリ
5 本の収穫があったのに力を得て、3 日間の雨続きの翌日、私は喜々としてゴルフに、老妻は
食事もとらずに喜び勇んで農園へと出掛けました。明日は野菜の消毒をしてやろうと思ってい
ます。
35
追憶
有賀正男さんを偲ぶ
小泉 和行
(東京電気通信局 45 年退職)
気の優しい奥さんと、よい息子に育った一郎君の二人を、少しまだ心配だなあと思って見て
いるかも知れない。
有賀さんが急逝してから一年が来ようとしている。
今でも彼の席の前を通るとき外の人が坐っているのをみて、おやっと思うことがある。
公社から途中で会社に入った吾々は暗黙のうちにまわりに気を使っている、それで別に用事
がないのに油を売りに彼の席に行った、彼はいわゆる生え抜きの人達がまわりにいても平気で
ずばっと会社及び上司のことをいうので小胆翼々の私などはひやひやしたことが度々あった。
それでも妙に息抜きが出来る不思議な魅力をもっていた。
酒が全くだめで、人づき合いがよく、部下を引っぱってゆける人は先ず居ない。
彼は酒は好きであった、健康のためにも一合位で止めるということはなかったと思う。
公社にいるときは祖師ヶ谷大蔵で、会社に来てからは原町田で、部下を誘って飲んだらしい
が、一緒につき合ったことがないのでその時々のエピソードがあった筈だが分らない。
あるいは、ことによると一人、店で飲むのがなんともたのしみであったのかも知れない。彼
の家に行ったときの奥さんの話で、休のときの夕方近くふと一人で約 20 分歩いて鶴川駅近く
のゆきつけの店へ出かけ、軽くやっておみやげを買ってくることがよくあったそうだ。酒は本
当は一人が最高だ。
将来を考えて、会社の地位、仕事の質、さらに家庭に対して私などが見ていると不安も心配
もないように思えた。しかし頭が痛いと云って倒れたからには脳に悪い心配事があったのだ
ろう。
55 才が第一関門、60 才が第二、65 才が第三関門とすると、彼は最も易しい第一の関門を越
えられなかった。さぞかし本人も残念だったでしょう。
しかし、よい家庭を築きあげたので、これから家族ともどもゆっくりしたかったこと。
数年前に綺麗な娘さんを憎き癌で亡くしたこと。この 2 つはなんとも諦らめきれなかっただ
ろうと思うと残念でなりません。心から有賀さんのご冥福を祈ってやみません。
有賀正男氏略歴 : 昭和 23 年 8 月
長津田無線中継所勤務
昭和 26 年 3 月
那須無線中継所
昭和 29 年 2 月
東京統制無線中継所
昭和 35 年 8 月
甲府統制無線中継所
昭和 41 年 1 月
本社技術局仕様課伝送無線係長
昭和 43 年 1 月
松山無線通信部建設課長
昭和 45 年
松山無線通信部退職
36
小原儀助さんの一年忌を前にして
岡本 信幸
(本庄電報電話局 43 年退職)
小原さんが、56 年 9 月 4 日に急逝されてから早くも一年忌を迎えようとしています。
平均寿命がのびた現在では、67 才という歳は壮年期と言ってもおかしくないのに、天命とは
申しながらもまことに残念でたまりません。もっともっと長生して親交を重ね、あなたの東北
訛りを交えた活達な話術を聞かせてもらいたかったと惜しまれてなりません。
56 年 3 月 28 日に、旧友会千葉地区懇親会が送信所で懐かしい臼井駅近くの「ふくべ」で
催されたとき、とても病後とは思えない元気なお姿で出席され、昔話で花を咲かせたのに、あ
の日から僅か 6 ヶ月! この訃報が何と無慈悲な、人の世の儚さを嘆かさせてくれたことで
しょう。
顧みますと、あなたは、昭和 7 年 9 月、札幌逓信講習所を卒業、直ちに真駒内郵便局に勤
務、勤続 6 ヶ年を経過していましたのに心に期するところあり、上京して、電気通信工学校に
学んだのち、昭和 15 年 9 月、東京都市逓信局工務課無線係に採用され、電気通信事業への第
一歩を踏まれました。私とのつきあいは、その時に始まった訳ですが、間もなく大東亜戦争と
いう不幸な事態が勃発したゝめ、多数の先輩が軍属として満州や南方へと従軍したので、あな
たは、通信局無線部の留守部隊長として孤軍奮闘、よく銃後の無線を守られたと聞きおよんで
いました。
24 年から約 6 年は、戸塚特別無線送信所で、電力及び技術の両課長を勤め、駐留米軍通信
に、公社の面目を遺憾なく発揮して大きな実績を残されたようです。
30 年 5 月から約 7 年間は、東京無線電信調整所にあって現在無線通信の花形にのしあがっ
ている移動無線関係の仕事に従事、非常無線通信草創の頃から、技術的に不良個所の改善、
チャンネルの増加等に鋭意研鑚工夫を重ね、大きな改善をなしとげて移動無線の礎を固められ
ました。
38 年からは約 4 年間、検見川無線送信所にて短波と取り組み、技術課長の要職を無事に勤め
あげ、42 年 9 月から 48 年 3 月公社勇退までは、東京統制無線中継所の電力課長と言う電源の
瞬断も許されない神経をすりへらすような大役を見事勤めあげられた訳です。その間、TRC
各階の独立電源への改造工事も成し遂げられたそうですが、偉大な足跡を残されたものと敬意
を払っております。
公社勇退後は、共済会千葉営業所に勤務して、非常通報装置の仕事に精力をかたむけておら
れましたが、55 年頃から胃の不快を感ずるようになり、佐倉の国立病院に入院、手術後はすっ
かり全快されたやに見受けられ友人一同安堵の胸を撫でおろしたのもつかの間となり、不帰の
客となられたとは、かえすがえすも残念なことでした。
ご遺族は奥様の外に、二男一女あり、子供さんはそれぞれ結婚されて、お倖せな毎日を送っ
ておられますので、故人は極楽浄土でさだめし安心して家族を見守っておられることでしょ
う。ここに謹んで、故人のご冥福と、ご遺族の末永きご多幸をお祈り申し上げます。おって、
故人には、賞勲局より、生前の功績をたゝえて、正七位勲六等を贈られました。
37
私共はひとしく故人の栄与を称えたいと思うのであります。
小原儀助氏略歴 : 昭和 16 年 9 月
東京都市逓信局工務課無線係 奉職
昭和 24 年 7 月
戸塚無線送信所電力課長
昭和 30 年 5 月
東京無線電信調整所牛込分室長
昭和 34 年 2 月
〃 技術課長
昭和 38 年 2 月
検見川無線送信所技術課長
昭和 42 年 9 月
東京統制無線中継所電力課長
昭和 49 年 4 月
退職
堀政男氏を偲んで
斉藤 亮
(川崎電報電話局 49 年退職)
私が東京無線通信部の会計主任として赴任したのは、昭和 33 年 7 月 1 日のことでした。そ
の頃の会計課の空気は、扱局から来た者には、えらい所に来たなと感じたものです。
その時の会計課長が堀政男氏でした。堀課長は、会計関係規程、通達類には滅法に詳しく、
それに長年の経験を積んだ眼は、些細な点も見逃がして呉れませんでした。
私達が慎重に検査した書類等に少しでも不審な点があると、
「係長、これはなんだ。
」
「どこに
根拠がある」と、雷が落ちたものです。私も負けるものかと、規程、通達類に、真剣に取組み、
落雷には、係員と共に立ち向い、課長と渡り合ったものです。いつしか会計課の空気に溶け込
み、張りのある毎日を過ごせたのも、堀課長の厳しい指導のお陰であると感謝しています。
又、課長は、「規程にないから駄目だ」と言うばかりではなく、うまく工事、仕事が進めら
れるような方法等を検討し、適切な指示をされていました。これも、長い多くの経験の積み重
ねあってのことだと、感じいったものでした。
仕事が終って、「今日はやらんかね」と、声がかかると、手際よく酒とつまみが用意される
か、握り寿司を食べながらビールを飲むことが度々で、酒が回ると、課長の豊富な体験話に、
みんな耳をかたむけたものでした。
あの厳しさ、この楽しさ、まさに会計一家の感がありました。
堀氏は公社をお辞めになる頃、神奈川管内の報話局長をされていましたので、神奈川の電信
電話記念日、神奈川旧友会等で、よくお会いしましたが、がっしりとした体躯で、やや赤い顔
をほころばせ、「斉藤、元気でやってるかね」と、目を細めて話かけられた様子が、今も目に
浮びます。いつお会いしても、お元気そうでしたので、まさかこんなに早くと、とても信じら
れませんでした。
当時の会計課の一人一人が、あの時得た、得がたい教訓をもって、立派にしっかりとした仕
事をしていることを、亡くなられた堀氏は目を細めて、見守っておられることでしょう。
堀氏が、昭和 56 年 10 月 6 日亡くなられたことを知ったのは、年があけ大分日がたってから
のことでした。私がこの一文を書くことになっためぐり合せを感謝し、意余って言葉の足りな
いうらみはありますが、思い出の一端を草し、堀政男氏の御冥福を心からお祈りいたします。
38
田中信義君を偲んで
木村 正道
(本社 46 年退職)
本年 1 月 30 日の早朝、田中君は脳血栓にて永眠されました。
行年 55 才、まだまだこれから新らしい仕事に取り組んで成果をあげて行こうという時だっ
ただけに、御本人もさぞかし心残りであったことと思われます。
田中君は、昭和 18 年 4 月に陸軍予科士官学校に入学し、昭和 20 年 8 月に陸軍航空士官学
校(第 59 期)で終戦を迎え、昭和 21 年高等逓信講習所技術科に入学、電電公社生活の第一歩
を踏み出されました。
昭和 23 年 10 月に講習所(無線技術科第 39 期)卒業後は出身地の九州熊本に近い福岡無線
通信部大根地無線中継所において超短波回線の保守に従事いたしました。
その後、昭和 26 年 6 月には、関東管内に転勤となり、長津田統制無線中継所、円海無線中
継所、東京統制無線中継所を歴任して、超短波およびマイクロ回線の建設、保守に従事し、昭
和 37 年からは東京無線通信部建設課の建設主任として活躍、昭和 43 年 1 月に本社技術局無
線部門に転じ、昭和 45 年 3 月に公社を退職後、日本電気株式会社に入社いたしました。
田中君は電電公社の無線部門の輝かしい発展に大いに寄与され、超短波回線からマイクロ回
線の建設、保守に常に先頭に立って活躍されておられたことは、共に力を合せ、仕事をしてき
た方々の誰もが認める所でありましょう。
電電公社における豊富な経験と実績を買われて、日本電気に入社後は、主としてイランおよ
びリビアに輸出したマイクロ回線の建設に従事し、特に置局選定、電波伝播等の技術面のリー
ダーとして大きな成果を残しております。
昭和 56 年 2 月からは、日本電気トランスミッションエンジニアリング株式会社に出向し、
訓練センター長代理として訓練センターの創成期に当ってその基礎作りに精力を傾注し、最近
は海外からの各国研修生に対して英語による講義、実習を担当し、リビヤ、スリランカ、ポー
ランド等の研修生からは極めて高い評価を受けておりました。
田中君の英語力の高さについては、何時どのようにして獲得したのかと、我々は不思議に
思っておりましたが、奥様のお話しで、休みの日は勿論、ふだんの日でも暇があれば、英語の
学習や読書に熱中しておられたとのことで、田中君の日頃の努力に御子様たちの良いお手本と
なっていたとのことに、今更ながら敬服いたしました。
後に残された御家族は奥様と二人の大学生の御子息で、突然の御主人の御他界に一時は茫然
となられたことは無理からぬことでございますが、最近は元気を取り戻され、田中君の日頃の
薫陶を生かして明かるく頑張っておられます。奥様は横浜市のボランティア活動に田中君の
生前から参加しておられましたが、今後も万難を排して御活躍を続けて行く御所存とのこと、
中々できないことと頭が下がります。故人も草葉の蔭から御家族を見守りながらまずは安心し
ておられることと思われます。
こゝに常に皆の先頭に立って仕事に取組んでいた田中君を偲び、心からそのご冥福をお祈り
いたします。
39
田中信義氏略歴 : 昭和 23 年 10 月
福岡無線通信部、大根地無線中継所奉職
昭和 26 年 6 月
東京無線通信部、長津田、円海、東京統制無線中継所
昭和 37 年
東京無線通信部建設課建設主任
昭和 43 年 1 月
本社技術局無線部門
昭和 45 年
退職
松浦一郎氏を偲んで
北爪 重信
(千葉通信部 50 年退職)
2 月 15 日松浦氏 大宮駅にて倒れ大宮日赤病院に入院 人事不省との報を聞き、日頃健康で規
則正しい生活を送っておられた氏を知っている私としては、誠に青天の霹靂でありました。
その後、家族の皆さんの手厚い看護と薬石も効なく 2 月 18 日 67 歳を最後に脳溢血で不帰
の客となりました。
紙上を借りまして、心から哀悼の意を表する次第でございます。
さて、氏と私の出会いでありますが、何の因縁か、昭和 29 年から 2 年間双子無線中継所で、
39 年から 3 年間東京無線通信部労厚課で、52 年から 2 年間共済会関東支部福祉相談所でと 3
回も職場を共にし、公私共にお付合いした仲ですので、その間の氏のプロフィールを少し紹介
してみたいと思います。
先ず最初の出合いですが、私が双子無線中継所在勤当時、米極東空軍大観山通信施設を公社
が保守受託することとなり、そこに勤務して居た氏が公社に採用となった時です。氏は持前の
話し上手、世話好き、円満な人柄で職場のまとめ役となり、又子供さんの関係で箱根小学校の
PTA 役員として公私共に活躍しました。
ただ氏の双子無線中継所在勤中の痛恨時は、子供さんの「のど」にピーナッツがつかえ箱根
町では取り出せず、すぐ中継所の車で小田原の病院に運びましたが間に合わず亡くなられた事
であると思います。誠にかなしい思い出です。
第二回目の出合いは、私が大宮報話局より東京通信部労厚課に転勤して来た時、氏が厚生係
に居り当時ローカルマイクロの開通で、開局が続き大忙しのなかで、氏は能力を十二分に発揮
し職責を果しました。
未だに脳裏に焼きついていることは、課の旅行の際最年長である氏が引率責任者に決定、氏
の発案で迷子にならないよう全員が赤い釣用の帽子をかぶらされ猿ケ京温泉に旅行し、忙中閑
あり童心に返って大いに楽しく遊んだことです。氏には何か、人を楽しませる才能があり得が
たい人材でした。
第三回目は、私が公社を退職し、共済会関東支部福祉相談所に在職当時、既に 47 年公社を
退職し、共済会の先輩としていた氏が同じ職場に配置替で来ました。
福祉相談所は、共済会の社会福祉事業を担当し、退職者や遺族の方々を対象にいろいろなお
世話をする部門で、氏は水を得た魚の如く、持ち味を全て発揮して生き生きと働いておりまし
た。当時の氏は、早寝、早起、朝風呂、早や目の出勤、仕事に生きがいを感じ、ビールは小び
ん一本、マージャンはほどほどに、家庭では良きパパとして家族に囲まれながら誠に充実した
40
ものであったものと信じております。
又氏の業績で忘れてならないものは、48 年 9 月全電通退職者の会が発足と同時に事務局長
に就任、その後 49 年 2 月よりは、同退職者の会関東地方協議会会長を兼任、56 年 9 月共済会
を退職してからは、もっぱら退職者の会ひとすじに、死去される迄、電電退職者の福祉向上に
尽されたことです。
終わりに、氏の人柄等を要約して申しあげますと、明るく社交的、人の世話好き、頼まれれ
ばいやといえない、酒はマイペースでほどほどに、常にマドロスパイプを離さない、早寝早起、
アダ名「PTA 会長」がピッタリな人(無線当時のもの)、誠に有意義な人生を送った人と言え
ます。惜しむべきは平均寿命より 7 年も早くこの世を去られたことです。もっと生きていて欲
しかった人でした。
今頃は、極楽浄土でマドロスパイプをくわえ世話役をやっているのではないかと思います。
氏のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族のご多幸をお祈りする次第であります。
松浦一郎氏略歴 : 昭和 29 年 2 月
双子無線中継所
昭和 36 年 3 月
東京無線通信部労厚課
昭和 47 年 8 月
退職
41
関根裕さんの追憶
木谷 保雄
(東京無線通信部 53 年退職)
3 月 21 日関根さんの訃報をうかがいお葬式に参列して永のお別れをしてから早いもので 4
か月たったのですが、末だ亡くなったことが信じられません。
私は吉田局から宇都宮局へ転勤して家族を呼ぶまで 1 か月余り単身暮しでしたが、その折り
整備課長だった関根さんには公私にわたり大変お世話になりました。
関根さんとの初めての出会いは、私が横浜局から東京無線通信部にかわったばかりで仕事に
慣れずマゴマゴしていた頃、検見川局に居られ何かと援助して戴いた良い先輩でした。
転勤して行く先ざきで丁度開局なん周年目という局が多く、宇都宮局も 10 年目で前任の沼
尾所長肝煎りの記念行事が計画されており、施設公開・記念しおりの刊行・方位盤の設置など
の準備が進んでおりました。
その年の 2 月末タイミングよく組織整備で庶務課が誕生し殿塚さんが初代課長として発令さ
れ、関根さんは施設部門の仕事に専念することが出来るようになったのですが、その頃から管
内で始めての無線通信部直営のマイクロ工事が宇都宮・羽黒・大田原の 3 局で施工されること
になり、忙しい日が続きました。
また私は着任早そうで余りよくわからなかったのですが、前年末宇都宮局の電力工事として
エンジンの取替工事が実施され、附帯の同期切替試験中に予期せぬ横流やハンチングが発生し
円滑に渉らなかったので急遽メーカー等の関係者が大勢みえて調整修理などが繰返され徹夜に
及ぶことが多かったようです。
まかり間違うと大障害になるので、何時も関根さんは神軽をピリッと集中して指揮をとって
いました。
最後の日は意外に時間がかかり終わったのは東の空が白む頃で、休憩室でビールで軽く乾盃
をしたのですが、さすが連夜の疲れで目も凹んでおりました。
責任を果たし満足したのでしょう、喉をならして美味そうに飲んでいた姿が今も目に浮かび
ます。何ごとも控えめ、目だったことを余り好まなく物静かだったのですが、内に秘めたファ
イトは人並以上でした。
関根さんが宇都宮局に在籍中の 41 年には業務成績優良局として総裁表彰の栄に浴す機会に
恵まれたのも、宇都宮局という良い素地の局所だっただけのわけでなく、課長として充分責任
を果たされ部下を導いたからです。
地方の局の勤めでは社宅などの関係で家族を含めた付き合いなので親爺連の悪企みもヒョン
な事から奥方に露見することがあり、マジメな関根さんから漏れたと、あらぬ濡れ衣を着せら
れ、酒が入るとこぼされましたが、今は酒を酌み交わすこともできなくなりました。
大正 9 年生まれ還暦を越えたばかり、日本人の平均年令にほど遠く、惜しい人を亡くしま
した。
42
故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
関根裕氏略歴 : 昭和 41 年 2 月
宇都宮統制無線中継所整備課長
昭和 44 年 2 月
双子無線中継所整備課長
昭和 46 年 2 月
東京統制無線中継所無線中継部保全主幹
昭和 48 年 2 月
甲府統制無線中継所整備課長
昭和 50 年 2 月
関東電気通信局局長室調査員無線通信部兼務
昭和 54 年 3 月
退職
43
大島孝良君を偲ぶ
牛島 義男
(本社 46 年退職)
桜の満開もあと数日という 4 月 2 日、大島孝良君は、大久保の中央病院の一室で急逝されま
した。まだ、53 才という働き盛りでした。
私共の会社(日本電業工作株式会社)の営業部長として縦横に活躍したあの姿は、も早見る
ことができなくなってしまいました。私共の会社にとっても、社会にとっても、誠に惜しい人
材を失ってしまいました。
大島君と私とは、かって、共に、東京統制無線中継所いわゆる東端に勤務した時代がありま
したが、その後は、互いに、職場も離ればなれになっておりました。
昭和 46 年早々、私は、公社を退職し、上司のお世話でこの会社に就職しましたが、間も無
く、引続いて大島君も入社して参り、予期しなかったこととて、その奇偶に驚いた次第でし
た。後で会社の関係者に聞いたところでは、大島君は、東端に来る前に居た資材局機材課の頃
から、若手の人材として、当社の営業幹部が惚れ込んでいた人で、今度ようやく会社に来てい
ただいたとのことでした。
果して、大島君は、入社後ぐんぐんその力量を発揮して期待に応え、間も無く営業課長、次
いで営業部長と累進し、常に、満々たるファイトと営業センスをもって活躍し、会社の業績に
大きく貢献してきました。
私は、ずっと生産関係に従事してきたので、大島君と部門は違いますが、入社以来今日まで
の十年余をふり返れば、陰に陽に、数限りない大島君の助けにあずかってきました。私にとっ
て、得難いパートナーを失い、誠に淋しい限りです。
・・・・
3 年前、大島君は、ぜんそくの疑いで短期間入院したことがあり、次の年にも同様症状で再
入院をしました。その頃から好きなビールもだんだん量が減り、身体の不調があらわれてきま
した。根本の病名が判然としないまま時日がたって行くことに、周囲が心配し、早く徹底した
入院治療をと再三強く勧めましたが、仕事熱心からとかく治療が遅れ勝ちでした。本年正月頃
から健康状態がさらに思わしくなく本格的治療をと本人も思っていたところに肺炎にかゝり急
遽入院しましたが、不幸にも肺気腫を並発し、遂に、不帰の客となってしまいました。
人生 70 数年とも言われる昨今に、あたかもそれを 50 年に圧縮したが如く力いっぱい生き抜
いて卒然として去った忘れ難い人を想うとき誠に哀惜の念を禁じ得ません。
大島君と共にした日々を偲びつゝ切に同君の御冥福をお祈りする次第です。
大島孝良氏略歴 : 昭和 25 年 2 月
関東電気通信局資材配給部奉職
昭和 35 年 9 月
本社資材局機材課
昭和 41 年 2 月
東京統制無線中継所 TV 課係長
昭和 45 年 2 月
東京無線通信部第二工事課極超短波係長
昭和 46 年 4 月
退職
44
随想
短 歌
はちす
杉 山 花 風
彼の旅の木槿の花の庭に咲けり
妻と遊びし天城空高く
かば
黄と樺色の落花凋ぼれて地にありき
仰ぎし空にノーゼンカツラ咲く
妻よ見よノーゼンカツラ咲きにけり
凋ぼれし落花の地上に高く
茅の葉のヒコーキ飛べり孫達と
浅川の土堤陽は沈みつつ
詩
むら
蛙の奏鳴曲
杉 山 花 風
一叢の水田に
一群の蛙が
夕べを鳴き出す
コトコトコト コトコトコト
さなえ
早苗の風が吹いて来て
と、その奏鳴が止まったら
又あちらの水田に
遥かなる蛙の合唱が
コトコトコト コトコトコト
田圃は新しい黒い土
並んだ子供のコーラスのように
あちらの蛙こちらの蛙
鳴きっこしては響かせて
コトコトコト コトコトコト
水田一面に蛙の声
なや
野良より帰った農夫の家に
あかり
車は納屋にしまわれて
白い障子に 灯 がさして
外は蛙の奏鳴曲
果てしない蛙の世界の合唱曲
会員杉山義一︵花風︶氏
は 今 回、 詩 集 ﹁こ の 太 陽﹂
を出版され旧友会にご寄贈
くださいました。
この詩はこの詩集の中か
らとらせていただきまし
た。
45
!!
!!
私の健康法
相川 春雄
(東京無線通信部 48 年退職)
健康は命の宝で、健康ほど人間に大切なことはない、だれでもが年を取るとそれぞれ自分な
りに健康に留意し、老化現象防止策と精神的と肉体的鍛練等を考慮し乍ら、いつも心豊かにし
且つ若々しい気を持つ事が肝要です。
老化現象防止策は何時も心を若くし、現状に合った軽い運動を毎日実施する。くよくよしな
い。一般社会の情勢等の動きに乗り遅れぬよう努力し、又健忘症の防止として頭の回転を考
へ、肉体的には通勤時には駅の階段を駆上り駈下りして、日常の足腰を鍛練し乍ら生活習慣と
しての私の健康法です。
1 日を大切にする事、先ずその一日の例は朝 5 時にラジオの時報と共に目を醒し、床の上で
自己流の柔軟体操で首、腕、足腰等の関節運動を重点的に、最も自分に適した方法で継続的に
実施し、常にその日を快適に過せる様、健康保持に効果あると信じて、再び床の上に大の字に
なり、二階の窓一杯に開け朝の雲の流れを見詰め、雲の流れの速さとその変化、東の空に太陽
の昇る前の朝やけ、全く言語に絶する瞬間の素晴しさ、刻々と変る峰の輝色彩、やがて薄れる
と淡いこけら雲になり、高い青空となる。
夜ともなれば床の上で夜空を眺めるのが日課で、遠い宇宙の彼方の一つ星を見詰めている
と、その周囲に無数の星が輝いているのが肉眼でも発見することが出来る。澄んだ夜空を見て
いると、老境に入っても目が良くなると信じ、自己判断し毎日の訓練の成果が今でも尚老眼鏡
は必要なく自慢の一つです。夜空を眺め乍ら人間の生命も、無人局のマイクロ電源の 3EG の
様に停電と同時に自動的に切替が出来、再度長生が出来たらばと暫し空想に耽る年になりま
した。
頭脳はできるだけ働かせる様に留意している、公社発行の電話帳のデザイン前の原稿版下の
検査を担当し、専ら頭を使うので、気力体力共に神経を尖らせる厳しい毎日で、既に老境にあ
る身も暫し忘れます。或る学者の説によれば、発達心理学の研究者の発表によれば、若い人と
同じ様に知力は発達するものだとのこと、この様な説は我々大いに感銘を受け、健康で働く者
の喜びの再発見と云う所です。老人は発達どころか停滞してしまうと考えられがちですが、そ
うでなく自ら努力すれば知力も発達すると云う事で嬉しいことです。
健康を維持するに最も食事が大切の要素で、私は一日に牛乳は 500cc 飲み、野菜は繊維質の
多く含んだもので良質の蛋白質を常に摂り、バランスのとれた食事を必要度に摂取を留意し、
又土日の休みは土に親んだり、余暇には芙蓉のスケッチにせいを出しています。
46
旧友会へ新しくはいって
塩沢 惇隆
(関東電気通信局 57 年退職)
はじめに
まず旧友会東京無線支部の諸先輩に、新入会員としてご挨拶申し上げます。私はここ十数年
間無線部門の仕事から離れておりましたので、お目にかかる機会がなかったのですが、このた
び幸いにも当支部に入会させて頂くことができました。公社在職中、ご指導を仰いだ大勢の先
輩が在籍される当会にはいれて、本当に心強く、嬉しく思っております。
回顧と心境について
在職 38 年で退職した現在、私の心を過ぎるものは、月並みですが時の経過の速さであり、
次いで日本の激動の時代と軌を一にして生起した仕事にまつわる数々の出来事であります。そ
れら個々については他日に譲るとしまして、さらに思いを致しますと、私の半生を形造った底
流に、目に見えない因縁の絆を感ぜずには居れません。
今このように皆様と同じ支部会員として親しくさせて頂けるのも、次のような因果が作用し
た結果であります。
まず若い時、逓信畑を志望した裏には、当時郵便局勤めの伯父の官練推奨の一言が影響して
います。さらに入学当時、電信コースをとらずに無線を選んだのは、南方の戦況を花々しく報
じた新聞の力もありましたが、先輩である教官の示唆が効きました。
下って新潟工事局から東京へ参りましたのは、終戦を迎え、もう一度勉強し直そうと当時の
東村山の高逓にはいり、そこから無線の大先輩にあたる教官のご配慮により再配属されたから
です。
本田、江古田、那須、通信部、通信局、本社と一貫して無線畑で勤務できたのは、一重に上
司、先輩のお力によるものでありました。夢のような 3 年間のメキシコ勤務経験ができました
のも全く同様です。
十数年前、本社海外連からデータ部門へ転勤になり、根を下してしっかりやってくれとの号
令のままに努力しておりましたが、オイルショックを境に情勢が急に厳しくなり、結局廻り道
した形で関通へ帰って参りました。
最後は計らずも経調室へ席を置きました。
ここでまたもや縁あって、先輩から第二の職場へのご斡旋を頂き、すべてお委せし、今日に
至った次第です。
人生は、その人の意志と客観情勢が関わり合って形造られてゆく、その曲り角には、時の力
と、組織の場合に特に人の力が大きく作用すると考えられます。今日、私自身が幸福であると
思う限り、私の歩んできた道程の節々で、力を与えて下さった諸先輩に心から感謝しなくては
ならないと思っている次第です。
おわりに
私は、現在人生の大きな山を登りつめ、折返し点にいるのですが、今後第二の人生を開拓す
るに当っては、自分本位ではなく、何等かの形で、後輩、ひいては世の中に還元する時代とし
47
たいと考えております。未熟者でありますので、今後ともども先輩のご鞭撻を賜わればこの上
ない幸いと存じております。
(日本通信サービス K·K 勤務)
笑い三題
野川 忠一
(銚子無線送受信所 48 年退職)
私は 1 年半程前から「パーキンソン氏病」になった。老人性動脈硬化から来たものらしい。
治療はむつかしい。投薬によって治すようだが眩惑症を副作用として発生するらしいので医者
も投薬を避けている。
病気は治したし副作用は恐し、で我慢出来る間は無手当に近い。症状はと云うと、歩き出す
時の第一歩が出ない。出し難い、歩く時に重心が爪先にかゝる、文字を書く時次第に細字にな
る、自分でも読めない字を書く、手足がアル中のように震える。
外出すると時々前かゞみに歩いている人を見かける、あゝ同病者よと声をかけたくもなる。
僕の親友の一人、竹内三郎君も同病である、半年程前 彼の家を訪問した時の事であるが「木
暮実千代」によく似た美しい奥さんが「野川さん」と云って一本の杖を差し出した。見れば、
たたいたように傷だらけである。杖を頼りに外出して転倒した歴然とした痛痛しい跡である。
私は声には出ず、二度、三度頷くのみだったが、まだまだ私の方が軽度であると思った。
其の一
或る日友人の告別式に出向いた時のことである。記帳が出来ない、パーキンソン氏病は手が
ふるえる、やっと氏名だけ書いた、ほっとして歩き出した時、後に居た後輩氏がささやいた
「野川さんともなれば住所は書かないのですか」には一言弁明をと思ったが其の場は私の苦笑
で終った。何にかいい表示方法があるといいなと思う。
其の二
或る日、友人五、六人と落ち合って目的の場所に一緒に歩き出した時、パーキンソン氏病者
は体重を爪先にかけ小巾にせかせかと歩き出した。
A君「そんなに急ぐのか、時間はまだあるだろう」僕はその時、こんな歩き方しか出来ない
のだ、この薄情者と云いたかったが、努めて遅く歩くようにした。目的地は近いのだが一汗か
いた。
其の三
人の寄り合いのあった或る春先きの日、人前でスピーチする事になった、手が小きざみに震
える、ズボンのポケットに手を入れたり、服を握りしめたわして人目につかぬよう懸命に努力
したのだが近くの B 氏には分ったのでしょう。
B 氏「お寒いですか」と云って暖房を強めてくれたので室内の温度は鰻登りに上昇した。背
筋を汗がたらたら流れた。その日、終に風邪にかかってしまった。
終
48
『第 3 回青山旅行ハイキングクラブ奥那須縦走コース』
山田 篤雄
(熊谷統制無線中継所 52 年退職)
入梅明けを見込んで 7 月 17 日(土)、7 月 18 日(日)に那須縦走三斗小屋温泉を計画した
が、昨夜来の雨が止まず降りしきる雨にも拘らず予定通り 7 名の参加者を得たので、予定通り
上野発 7 時 13 分黒磯行のグリーン車に全員集合した。車中で自己紹介を交換し、昨夜来の静
かな雨が車窓をたゝいている。天気予報では午后から曇りを期待しながら、早朝のため全員静
かにスタミナを蓄えての寝についている。やがて 9 時 45 分やはり黒磯駅は雨が降っていた。
10 時 10 分発の空席の目立つ那須山麓ロープウェイ駅行バスに乗込んだ。久し振りに那須の風
景を眺め乍ら、バスは小雨の中をひたすら登っていく。11 時 10 分予定通り霧と雨の山麓駅に
到着する。
早速雨仕度も用意万端、一路霧の峯の峠へ向って歩き始める。若干風が出てきたので雨もや
がてあがる事を予想しながら、一歩ずつ高度を上げていく。風雨の中なので全身汗となりなが
ら、かなり歩行はきつい様子、それでも予定通りの時間に無事「峯の茶屋」に到着する。雨は
相変らず降っている、雨を避け乍ら狭い小屋の中で立ったまゝ、天候もやがて快復する感じも
するので、全員の希望にまかせれば、2 名は一路「三斗小屋」へ、5 名は危険な場合は引返へ
す条件でいける処まで行く事に決めた。
朝日岳へのガレ場はぬれているが、鎖りをたよりに一歩ずつ注意しながら歩いた。風がだん
だん強くなり雨は止んだので、この天気なら大丈夫と一路朝日岳へ向った。やがて 40 分朝日
岳の分岐点に到着する。相変らず風が強いが雲と霧の流れが速い。時折茶臼岳、朝日岳、三本
槍が姿を見せてきた。朝日岳への登山は強風のため断念して、一路次の目標地「隠居倉」へと
降り初めた。岩のゴロゴロした非常に歩きにくい山道だ。やがて隠居倉への昇りにかゝる。か
なり急な登り約 40 分やっと隠居倉の頂上に立った。展望はすばらしい。関東、東北の山々が
はっきりと見えてきた。一同やはり登った甲斐があったので大喜び。雨の心配は全くない。明
日の天気を保証できる程。
小憩の后、一路「三斗小屋温泉」へと降り初めた。悪路は続く。雨ですっかりぬれた熊笹を
分け乍ら注意深く降っていった。やがて目の下に湯煙りが見えて来た。約 40 分后 16 時頃ど
ろんこになり乍ら、無事三斗小屋温泉の大黒屋に到着した。先発の 2 名が窓から迎えてくれ
た。旅装を脱いで早速温泉に浸かる。やっぱりすばらしい、山の湯に全身をしたる昔の大黒屋
を思い出した。宿は全く昔の姿だった。たゞ自家発電が薄い明りをつけた頃、各自持寄りのウ
イスキー、八丈酒等が大量に出され車座になって、夜のとばりが深くなる頃まで、大パーティ
が始まった。山岸氏の名司会よろしく新しい歌、古い歌が飛出し大合唱の中に宴は最高潮に
達した。9 時消灯、明日の天気を案じ乍ら、携帯ラジオで巨人の快勝を聞き乍ら早々に寝につ
いた。
早朝 5 時起床、早速風呂に入り天気はまず大丈夫。7 時朝食后記念撮影を終え予定より遅れ
て 7 時 50 分に宿を出発する。落合氏は社用のため帰路につく。宿の裏から降り初め、三斗小
屋宿跡までの一時間の降りコースは元気よく歩いた。さわやかな朝の樹林の中をひたすら降
49
る。赤トンボの飛び交う秋の気配を感じながら歩く。やがて沢に出た。吊橋を渡った処で廃屋
がポツンポツンと繁茂する樹の中に 5 軒程建っている。ゴーストタウンの様子はひっそりとし
て寂しい感じだ。
小憩の后、次の目標「沼原」へ向って歩く。全員の快調な様子、平坦な道をひたすら歩き続
ける。道標がしっかりしているので助かる。
やがて分岐点につき、旧会津街道だ。左折して山の中へ入っていく。一旦降って激しい流れ
の一本吊橋を渡って、山道を登り出す沼原まで 5.1km の行程、道標をたよりにひたすら登る。
だんだんと高度を上げて行く。今朝の降った分だけ登る計算になる、0.5k 毎に道標があるので
助かる。かなり高度を上げた処で小休止する。昨晩たっぷり飲んだアルコール分もすでに発散
した様子、息使いも荒くなってきた、本日のコースのハイライトと云った感じ、全員もくもく
と頑張っている。
やがて野猿の姿を見つけた頃、やがて雑木林のゆるやかな勾配になってきた。後 1.1k の地
点を通過する頃、あたりが青葉の明るさが一段とあざやかに浮んできた。
やっと難所を通過した感じ。沼原の貯水池が見えてきた。明るい子供達の声に迎えられて沼
原に到着した。苦闘 2 時間やっと沼原の見晴しのよい処で早速昼食をとる。お湯割りのウイス
キーがうまい。12 時 30 分最終コースに出発する。
一路枝室温泉ヘドライブコースを避け乍ら、最短コースの山道を降る。熊笹の中の細い道を
ひたすら歩く。約 6km コースなので若干バスの時間を気にかけ乍ら、ピッチを上げて降って
いく。休憩なしで一気に降る。途中土砂崩壊でこわされた吊板をさけて、遠巻きしながらなお
もノーストップで降っていく。やっと 2 時 5 分無事枝室温泉口に到着する。牛乳の飲んだ味
は一同すばらしくおいしかった。無事完走した本日の行程約 15k。バスは 2 時丁度に出発した
ので次の 2 時 30 分の予定。
これでは 3 時の始発急行に乗れないので、相談の結果、ハイヤーをチャーターする。すべり
込みで列車に飛び乗る。車中で早速缶ビールの乾杯が初まる。無事全員完走の安心感と満足感
を祝う。とにかく悪天候とは云いながら、予定通りのコースを消化した意義は大きい。やはり
歩いた者でなければわからない心境だ。次回は紅葉の頃、大菩薩峠の予定をたて、再会を約し
て別れた。
第一日目約 6km、第二日目約 15km、計 21km の完走記録。
50
運
和田 藤秋
東京無線通信部 42 年退職)
1. 自ら選んだ不運
私が満州チチハル管理局(今の通信局)に勤務していた頃、ノモハンヘの要路に在る
興安市に放送局を建設する事になり、工事担当は私の部下の渡辺君が任命されました。
やがて建設も完成に近づき興安放送局の技術課長の人選として、私の案は北安放送局の
田村技術課長が放送局の格からしても適任と考へておりました。ところが渡辺君は興安
局の建設担当であったことを理由に、度々夜間私宅を訪問して、興安放送局技術課長に
推せんして貰いたいと熱望して参りました。ついに私も彼の熱意にほだされて、私案を
とりさげ彼を技術課長に発令して貰いました。
任命を受けるや彼は喜び勇んで任地に赴任して行きました。数ヶ月たった昭和 20 年
8 月ソ連軍が突如として参戦し、なんと興安市に第一番に浸入して行きました。決気盛
んであった興安放送局長を先頭に、不幸にも渡辺君は妻子共々その日の内に惨殺されま
した。何んという運命のいたずらでしょう、想うだに痛ましい限りです。
一方私が勤務していたチチハル市にソ連軍が侵入してきた頃は、日ソ間で和議交渉が
進んでおり、日本側も無抵抗で、被害をできるだけ少くする様に努めていましたし、私
達は寮に避難していましたので、ヒドイ目には会いませんでした。それでも夜間煙草を
吸っているとその火をねらって銃弾が飛んで来ることも度々でした。
2. 私の選んだ不運
私が満州の或る放送局の技術課を預っていた昭和 17 年頃、私に東京丸ビル内の東京
支社へ転勤するよう話しがあったが、私はまだ大陸での活躍を希望していましたので、
即座に断わりました。代りに昔銚子無線受信所におられた小林君が東京支社へ赴任して
行きました。今から思うと、私があの時あっさりと東京支社に転勤していたら、30 代
の働き盛りの昭和 20 年から昭和 28 年迄の 8 年間、日本とも便りもできぬ辛い抑留生
活を送ることもなかったのにと、残念でなりません。これも自分が選んだ運命であり誰
を怨むものでもありません。
終戦時私が管轄していた放送局はチチハル・ハイラル・黒河・孫呉・北安・興安・満州
里無線等がありました。不幸にして不慮の事故で斃れた社員等の死体を、ハルビン郊外
遠く離れた道端で荼毘にふし、拾った遺骨を遺族にお渡しする苦しい事が度々でした。
終戦の処理を終え、いよいよ日本へ引揚げるにあたり、技術指導で誰が残るかという
交渉が大変でした。私は自分の直属の部下は何んとか都合をつけて全部帰国させ、私が
犠牲になって残りました。私の留用も一年でよいからといっていましたが、勿論全面的
には信用しませんでしたが、なんと八年間も抑留されるとは考へもしませんでした。
この抑留期間が自分の生涯で一番辛かった想い出です。
51
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
支部よりのお知らせ
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
会費の納入について
総会に御出席できなかった方々の会費納入については前号で振替送金の方法をお知らせしま
したが、なお高い手数料を払って現金書留で送ってくださる方がございます。
支部では下記の振替口座に加入しておりますので、総会に出席できない方は、この振替によ
る送金をご利用くだされば安い手数料で払込ができます。(2,000 円送金の場合振替手数料 50
円)振替用紙は郵便局にあります。
なお振替送金の場合、支部より受領証はお送りしませんので郵便局の領収証をご保存くだ
さい。
記
振替口座番号
東京 3 − 104786
加入者名義
関東電電旧友会 東京無線支部
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
東京無線ニュースの寄贈
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
東京無線通信部発行の「東京無線ニュース」を全会員に毎号送付していただいております。
これは無線通信部のご好意によるもので、私達 OB にとりましても、公社無線部門の新しい動
きを身近に知ることができ、深く感謝しております。
本誌上をかりて厚く御礼申し上げます。
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
電話順送の訂正
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
関要 氏 勤務先 (0492) ∗ ∗ − ∗ ∗ ∗∗、渡辺万寿治 氏 勤務先 (03)3 ∗ ∗ ∗ − ∗ ∗ ∗ ∗ に夫々訂正し
て下さい。
友田五郎 氏 東京地区、第 12 班、関政雄 氏 と田辺謙介 氏 の間に挿入してください。
吉田弘 氏 神奈川地区、横浜第 4 班、折原正 氏 と木谷保雄 氏 の間に挿入してください。
なお友田五郎 氏 と吉田弘 氏 の電話番号(自宅、勤務先とも)は 27 頁「新入会員の紹介」
をご覧ください。
東京地区第 1 班、鈴木隆之介 氏 は、ご逝去されましたので、抹消して繰り上げての順送を
お願いします。
52
編集後記
(坂本)
△ 東京無線通信部のご高庇と会員の皆様のご協力により東京無線支部は順調な発展をつづ
け、57 年度の新入会員は 8 月末現在 34 名で、会員総数は 380 名となりました。
まことにご同慶のいたりです。
△ 東京無線通信部長の玉稿を巻頭に毎回掲載させていただいています。我々 OB にとり
無線通信部の益々発展の情況を伺い知ることができ、まことに心強い限りです。
△ 会員の皆様最近の関心事は電電公社経営形態改革案や各種年金統合一元化問題にあると
考へまして、特に編集に一考を加えましたが、ページ数の関係で要点のみとなりました。
△ 随想・追憶の原稿をお寄せいただいた会員の方々に誌上より心から感謝申し上げます。
△ 会員だよりには、都合により総会をご欠席した方々のたよりを主として掲載いたしまし
た。今后も皆様のご協力を心からお願いいたします。
△ 東京無線通信部長が去る 9 月 21 日付発令にて交替いたしました。
佐々木敏夫 氏 命、九州電気通信局局長室調査役
岡田 秀夫 氏 命、東京無線通信部長
佐々木敏夫前無線通信部長にはご在任中旧友会に寄せられたご援助にたいし心から感
謝申し上げると共に今後益々ご健勝にてご発展されることをお祈りいたします。
岡田秀夫新無線通信部長ご栄転お目出度うございます。旧友会の運営につき温かいご
理解とご指導の程引き続きよろしくお願い申し上げます。
53
退職者の皆様のための
共済会の社会福祉事業
• 生活にお困りの場合の見舞金、または生業・医療・住宅・技術習得の資金の貸付
• 伊豆リハビリテーションセンターへ入所斡旋
• 特別養護老人ホーム伊豆白寿園へ入所斡旋
• 退職者の医療共済
• 退職者文化活動の援助
• 中度、重度障害者(児)へ見舞金
• 重症障害者等家庭援護費
• 老人家庭援護
• 生活にお困りの母子世帯の高校生へ奨学補給費
• 生活にお困りの方のお子様へ小学校または中学校入学支度金
• 葬祭施設の特別価格による斡旋
• その他上記以外の生活相談
くわしいことは下記へおたずねください。
共済会関東支部 福祉相談所
〒151 東京都渋谷区千駄ヶ谷 5-14-9
電話
(03) 341-6211(代)
(03) 341-6592(直)
54