2016年、ミシュランは二輪ロードレースの最高峰であるMotoGPに 復帰します。 そこで年内は、着々と進行しているミシュランの新世代MotoGPタイヤ の開発や二輪ロードレースにおいて長年にわたって活動してきた ミシュランの歴史・成功などをお伝えしていくウェブマガジンを計14 回にわたってお届けしてまいります。 ミシュラン モーターサイクルレーシングディレクター cha ニコラ・グベール agence BACKTOMOTOGP #1 We are back! 「ミシュランがMotoGPに復帰すると いうこの決定を、とてもうれしく、そし て誇りに感じています。私たちミシュ ランにとってMotoGPは、技術的試練 の象徴と言えるモータースポーツカ テゴリーであり、復帰することをずっ と待ち望んできたものでした。ミスは あってはなりません。待ち受けてい る挑戦が極めて難易度の高いもの であることは十分承知しています が、私たちは最大限の努力を傾けな がら参戦再開に向けた準備を進め ています」 February 2015 BACKTOMOTOGP 各二輪メーカーのMotoGPテストライダーが マレーシアのセパン・サーキットに集結し、 ミシュランが開発を進めているMotoGPタイヤ を装着しての実走テストを実施しました。 #1 G N A P E S B E D T U スズキMotoGP テストライダー ランディ・ドゥ・プニエ BACKTOMOTOGP 「やらなくてはならない仕事 の達成率は現段階では70% ほどと言うべきだね…… 何より心強いのは、まだ1年 近くの開発期間があるとい うことだよ」 #1 BACKTOMOTOGP モーターサイクリストの 幅広い要求に応え得る技術 #1 MotoGPのタイヤがワンメイクとなった2009 年以来、ミシュランはこの二輪ロードレースの 最高峰クラスへの復帰に備え続けてきました。 スリックタイヤ、ラジアルタイヤ、1本のタイ ヤのトレッドを異なる2種類のコンパウンドか ら構成するデュアルコンパウンド技術など、現 在の二輪ロードレース用タイヤにおいて重要な 技術の多くはミシュランによって確立されてき たものです。そして、MotoGPのタイヤサプラ イヤー契約が新たに結ばれることになった 際、MotoGPのプロモーターであるドルナ・ス ポーツ社がミシュランを新たなサプライヤーと して指名してきたことは極めて理に適ったこと でした。 ミシュランのモーターサイクルレーシングディ レクターで、ミシュランが開発するすべての モータースポーツタイヤの技術責任者でもある ニコラ・グベールは次のように述べています。 「現在のMotoGPはタイヤがワンメイクです が、それでも一般走行用のタイヤの開発に役立 つ技術を磨くことはできます。そのことを私た ちは、直接的な競争相手がいないWRC(FIA世 界ラリー選手権。四輪ラリー競技の最高峰シ リーズ)への参加を通して学んできました。 今年までMotoGPでは16.5インチのタイヤが 使用されていますが、来年からは17インチとな ります。これは耐久レースや各国内選手権にお いてすでに見られてきた動きです。一般走行用 のタイヤに16.5インチはほとんどありません。 そこでMotoGPのレギュレーションが変わって 17インチのタイヤが使われることにより、モー ターサイクリストの幅広い要求に応え得る技術 を磨くことが可能となったのです。これこそが ミシュランにMotoGP復帰を決断させた一番の 要因です」 2000年と2002年にスーパーバイク世界選手権でシリーズ チャンピオンを獲得し、2003年から昨年までの12年にわたっ てMotoGPで活躍したコーリン・エドワーズ。 40歳を迎えた昨シーズン、彼は現役レーシングライダーとし ての活動にピリオドを打ちました。しかし、ヘルメットやレ ザースーツを完全に置いてしまったわけではありません。 ヤマハ、そしてミシュランからの要請により、今年もエドワー ズはヤマハの最新鋭MotoGPマシンであるYZR-M1に乗り、ミ シュランのMotoGPタイヤの開発テストを行っているのです。 「僕がMotoGPにデビューしたのは29歳のときなんだ。マル ク・マルケス(2013年、20歳でMotoGPチャンピオン に。2014年も戴冠、シリーズ2連覇を達成)が今やっているこ とを見ると、MotoGPに来たときの自分は少し年を取りすぎて いたなと思わざるを得ないね。 BACKTOMOTOGP COLIN EDWARDS, STILL GOING STRONG #1 12年にもわたって最高峰クラスを戦ったわけだけど、長くやったわりに 実りは多くはなかったなという思いがあるんだ。何しろチャンピオンは獲 れなかったわけだからね。ただ、ホンダ・グレシーニの時代(2004 年)、ヤマハファクトリーチームの時代(2005~2007年)、そして テック3・ヤマハの時代(2008~2011年)の僕はコンスタントに 5位以内でフィニッシュし、何度も表彰台に上ることができて いたんだ。 これまでに僕は本当にいろんなバイクに乗ってきた。そうし た経験から、ミシュランのタイヤ開発において確かな役割 を果たせるという自信はあるよ」 ミシュランのモーターサイクルレーシングディレクターで あるニコラ・グベールはエドワーズについて次のよう に述べています。 「コーリンの存在はとても重要です。特に私たち ミシュランがスーパーバイク世界選手権のために タイヤを開発していたときに彼が果たしてくれた 貢献は本当に大きなものでした」 BACKTOMOTOGP レギュレーションの改訂によって現在 MotoGPに参戦しているライダーたちもミ シュランのタイヤテストに参加することがで きるようになったことにより、ミシュランは 2016年シーズンに向けた準備を一段と加速 させました。 今年2月の初頭、ミシュランはマレーシアの セパン・サーキットに7種類のフロントタイ ヤと5種類のリアタイヤを持ち込みました。 各二輪メーカーのMotoGPテストライダーに よる評価テストを実施するためでした。 そして、そのテストから3週間後の同じセパ ン・サーキットで、今度は今シーズンの MotoGPに参戦する24名のライダーたちによ るミシュランのMotoGPタイヤテストが初め て行われました。ここで彼らが試したの は、2月初頭のテストでそれぞれ3種類に絞り 込まれていたフロントタイヤとリアタイヤで した。 ミシュラン・モータースポーツの二 輪プログラムマネージャーであるピエロ・タ ラマッソは次のように語っています。 「11月にスペインのバレンシア・サーキット でMotoGPの今シーズンの最終戦が行われま すが、その決勝レースが終わった次の日から 来シーズンに向けたテストが実施されます。 そこで各車が履くのはもちろんミシュランタ イヤです。今回のセパンテストにおける私た ちの目的は、その11月のバレンシアテストに 向けてタイヤの構造やプロファイルの在り方 を明確にしていくことです。 準備は予定どおりに進んでいます。6月から は特定のコンパウンドの開発に集中していく ことができるはずです。様々なサーキットに 対応し、そしてすべてのマシンやライダーに 合う“懐の深い”タイヤを私たちは提供したい と思っています」 ただし、それは簡単なこと ではありません。ひとつのメーカーのタイヤ によるワンメイクを7年も経験してきた MotoGPの各エントラントは、新たに履くミ シュランタイヤになにがしかの驚きを抱くこ とになるでしょう。 「ミシュランタイヤのフィーリングは、ライ ダーたちにとっては従来のタイヤとは明らか に違うものです」と、ミシュランのモーター サイクルレーシングディレクターであるニコ ラ・グベールは言います。「そのことは彼ら がよく承知しています。大切なのは、エント ラントと私たちミシュランが一緒になって、 世界最高峰の二輪ロードレースの高度な要求 を満たす一連のMotoGPタイヤをしっかりと 作り上げることです。当面は私たちの頑張り にかかっています。しかし、計画はこれまで 順調に進んできており、私たちは必ずや目標 に達することができると確信しています」 #1 「私たちの目的は、11月 のバレンシアテストに向 けてタイヤの構造やプロ ファイルの在り方を明確 にしていくことです。」 ミシュラン・モータースポーツの二輪プログラムマネージャー ピエロ・タラマッソ ONE YEAR TO BE READY A BIG STOCK BACKTOMOTOGP 2月初頭のセパン・サーキット。 ここにミシュランは7種類のフロ ントタイヤと5種類のリアタイヤ を持ち込み、それぞれ3種類ずつ に絞り込みました。 その3週間後、今度は24名の現 役MotoGPライダーたちがフロ ント、リアともに3種類に絞り込 まれたタイヤをテストし、ミ シュランタイヤを自分のものに するために走り込みました。 #1 「現在の16.5インチに対して、ミシュランの MotoGPタイヤは17インチであるというところが大 きなポイントです。ライダーや各チームのエンジニ アたちはとにかく17インチに適応していかなければ なりません。その一方で私たちミシュランは、フロ ントタイヤをより許容性の高いものにしていく必要 があると理解しています」 ミシュラン・モータースポーツ MotoGPテクニカルチームアドバイザー パスカル・サッソ あるレースファンの昂ぶり BACKTOMOTOGP シンガポール在住のチン・ユアン・チョ ンは熱烈なMotoGPファンです。仕事は 保険の仲介業で、休日にはバイクに乗る のを楽しみにしている彼は、MotoGPの マレーシアGPを毎年欠かさず観戦してい ます。シンガポールからマレーシアのセ パン・サーキットまでの約300kmを愛車 のホンダCBRに乗ってやって来るのです。 #1 そんな彼ですが、今年は2月の下旬に数 日の休みを取り、MotoGPの公式テスト を見るためにセパンを訪れていました。 「何人かの友達が去年のこのテストを見 に来ていて、バレンティーノ・ロッシや マルク・マルケスに会うことができたと 言っていたんです。それを聞いたらもう ここに来ないわけにはいきませんでし た。僕のヒーローたちを間近で見ること ができる貴重なチャンスですから」 任務は果たされました。見事、チン・ユ アン・チョンは彼のふたりのアイドルの サインが新たに入ったヘルメットを被っ てシンガポールの自宅に帰ることができ たのです。 また、彼にはもうひとつ忘れ難い思い出が できました。ミシュランの技術者のひとり と話をする機会があったのです。 「ミシュランが2016年からMotoGPに復帰 することはもちろん知っていました。僕の 伯父のひとりはフランスのバイク屋さんで 何年も働いたことがあって、僕がまだ子供 だった頃にミシュランマンのステッカーを プレゼントしてくれたんです。そのステッ カーは今でも大切に取っておいてあります よ。エディ・ローソンやウェイン・レイ ニーやケビン・シュワンツをはじめとする 当時のトップライダーたちのバイクを飾っ ていたものと同じステッカーですからね。 僕のようなGPレースファンにとってミシュ ランは伝説的な名前です。そのブランドが MotoGPに復活するのですから、本当に素 晴らしいことですね」 UN PEU D’HISTOIRE THE VERY FIRST VICTORY 二輪ロードレースの最高峰である世界グランプリの500ccクラスにおける ミシュランの最初の勝利は、有名なマン島TTレースにおいて記録されまし た。1973年の世界グランプリロードレース第4戦マン島TT(ツーリスト・ トロフィー)のセニアTTクラス(500ccクラス)において、ミシュランタ イヤを履くスズキTR500-Ⅲで出場したジャック・フィンドレーが優勝。こ のオーストラリア人ライダーにより、ミシュランの人と技術にまつわる長 い物語の最初の一節が紡ぎ出されました。 BACKTOMOTOGP June 1973 Tourist Trophy #1 その昔のマン島TTでは、開催中のレースの途中経過は 大きなボードに人の手で書き出されていました。 ここに掲載した写真を見ると、平均時速100マイル以上 で周回していたことが分かります。 今から40年 も前の時 のマシンでありタイヤである ことを れば、「 る き」と する にない さ がすでに 現されていたのです。 BACKTOMOTOGP mph #1 THE FRENCH NATIONAL ANTHEM PLAYS AT THE TT! マン島TTにフランス国歌が流れた日 BACKTOMOTOGP 1973年世界グランプリロードレース第4戦マン島TTセニアTTクラス決勝。352ccのヤマハで出場し ていたミック・グラントがオイルに乗って転倒を喫しリタイアとなった後、トップ争いはスズキ TR500- Ⅲに乗るジャック・フィンドレーとアーター・マッチレスを駆るピーター・ウィリアムズによ るものとなりました。 常設サーキットではウィリアムズのスピードがいくらか上であったかもしれませんが、マン島のマウ ンテンコースではフィンドレーが速く、1分を超えるリードを築き上げます。そしてフィンドレーは他 のクラスへの出場を含めてマン島で32戦目となったレースでついに優勝を飾り、伝説的な島でのTT レースの勝者となる夢をかなえたのでした。なお、彼のレース中の平均時速は163.39km/hでした。 表彰台で祝杯をあげるオーストラリア人ライダーの栄誉を称えるために流されたのはフランス国歌でし た。なぜなら、フィンドレーはフランスに拠点を置き、フランスのライセンスでレースに出場していた からです。そして、彼の足元を支えていたのもフランス製のタイヤだったのです。 #1 世界グランプリロードレースがまだ 「コンチネンタル・サーカス」と呼ば れていた時代、それに20年にもわ たって出場し続けた有力ライダーが ジャック・フィンドレーでした。彼が 最も成功を収めたシーズンは1968年 で、最高峰の500ccクラスにおいて 当時無敵を誇ったジャコモ・アゴス チーニに次ぐランキング2位を獲得し ました。それでも彼はファクトリーマ シンに乗る機会には恵まれず、レース キャリアのほとんどをプライベーター として送りました。 しかし、フィンドレーのフランスで の人気は特に高いものがありました。 その一番の理由は、彼が1969年に 送ったシーズンを題材に、プライベー ターとしてレースを転戦するレーシン グライダーの日々を映し出した「コン チネンタル・サーカス」(監督ジェ ローム・ラペロウサ、1971年公開) という映画が作られていたからです。 フィンドレーはミシュランタイヤの 愛用者でした。そして500ccクラス では3勝を挙げ、1975年にはF750世 界選手権でチャンピオンを獲得しまし た。その後、彼は大きな事故に見舞わ れて1978年にはライダー生活に終止 符を打つことになりましたが、1990 年代に入ってFIM(国際モーターサイ クル連盟)のグランプリテクニカル ディレクターに就任し、世界グランプ リの現場にその姿を見せ続けました。 Jack Findlay A hero of the sport (1935-2007) 「高速コーナーこそ、そいつが “男”か“子供”かを分けるのさ」 1973年、その体制は本当に小さなものでしたが、 ミシュランは大きな仕事をやってのけました。 TECHNICIAN’S CORNER レーシングタイヤも一般走行用タイヤも本質的には変わりないのです。 「1973年に私たちが提供できたレーシングタイヤは、望むならだれでも買えるタイヤしかありませんでした」 そう語るのは、1973年の世界グランプリロードレースにおけるミシュランの現場責任者であったクロード・ドゥコッティニーです。“だれでも買える”ものではありま したが、そのタイヤはケント・アンダーソンが乗ったヤマハのワークスマシンYZR125にも装着され、同年のチャンピオンを獲得。これがミシュランにとって世界グラ ンプリロードレースで初めてのタイトルとなったのでした。 ドゥコッティニーは続けます。「レースがあったおかげで私はヨーロッパの各地に行きました。シトロエンのタイプHというトラックに、ホイールバランサーや工 具、窒素ガスボンベを積み、それで走り回ったんです。タイヤは70本ほど持っていきました。125cc用には2.75インチ×18インチのM38 PZ2、250ccと350cc用に は3.25インチ×18インチのS41 PZ2と3.50インチ×18インチのS41 PZ2、そして500ccと750cc用には4.25インチ×18インチのM45がありましたね。もちろん当時 はチューブ入りでしたからそれも用意していました」 ジャック・フィンドレーはとりわけマン島TTレースを楽しんでいたとドゥコッティニーは回想します。「排水溝の蓋や溝が道を横切っているようなところが特に腕の 見せどころだ」とフィンドレーは語っていたそうです。 1974年になると専用設計のレーシングタイヤが初めて登場し、ミシュランは各クラスにおいて勝利を重ねていくことになりました。 そのお話はまた次回に……。 BACKTOMOTOGP “だれでも買えるタイヤ” の延長線上に #1 cha agence BACKTOMOTOGP #1 Barry Sheene in 1977 Freddie Spencer in 1985 A MAGNIFICENT RECORD OF SUCCESS 世界グランプリロードレース 通算360勝/チャンピオン獲得12回 スーパーバイク世界選手権 通算269勝 世界耐久選手権 チャンピオン獲得14回 そして世界各国の国内選手権における成功の数々…… 安定性、耐久性、パフォーマンス、そして幅広い条件への適応能力といった様々な 要求性能をすべてハイレベルで実現させた妥協なきパフォーマンスパッケージ。 ミシュランが二輪ロードレースで長年にわたって示してきた高性能はすべて のミシュランタイヤでお使いいただくことができます。 Kewin Schwantz in 1993 Valentino Rossi in 2002
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