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2015/02/20 発行
「養護学校はあかんねん」上映会報告
一般社団法人埼玉障害者自立生活協会:植田
涼
2015 年 1 月 24 日(土)自立生活協会の新たな試みとして「養護学校はあかんねん」の上映
会が開催された。この映画は、1979(昭和 54)年に養護学校が義務化されるその年 1 月に、
当時の大人の障がい者達が養護学校の義務化に反対を表明して、当時の文部省(現・文部科
学省)と話し合いを持つに至る闘争の記録である。2006(平成 18)年に国連で制定された障が
い者の権利条約を我が国日本は、7 年掛けてようやく 2013(平成 25)年に批准した。残念な
がら、権利条約が批准されても未だ養護学校(現・特別支援学校)へのニーズは拡大を続けて
いるのが我が国の現状。そんな事もあり、この上映会当日は、特に 29 歳で地元の小学校に
入学し直した伝説の人(八木下浩一さん)の若かりし頃の障がい者運動仲間の人達を中心に
120 名もの参加があった。
映画は、文部省前に全国から集結した車椅子の障がい者を中心に様々な障がいを持つ人
とその支援者達が数年来求め続けていた文部省との話し合いに省は何故応じてくれないの
か?という投げかけをする所から始まった。
小学校は、学区の普通学校へ通っていたのに中学に入る時に養護学校へ行かされて、小
学校の時の友達と別れ別れになってしまったと嘆く人、障がい者と健常者が仲良くなって
しまうと権力者にとって脅威となるので障がいのある人は養護学校、障がいのない人は普
通学校という形で別れさせるのだろうと語る人など様々な形で養護学校義務化に対する反
対の思いを語る様々な障がい者の人達のインタビューが続いた。様々な困難を抱えたまま
で居住地域において生活し続ける私たち(当協会関連の団体・個人)が望むのは、障がいを
持つ人と持たない人が分けられることなく小さい頃から共に成長し、共に働くことの出来
る社会である。そういった意味では、この当時の障がいを持つ人たちの思いを受け継いで
いるのだと思った。しかし、映画の中で文部省のお役人目がけて目の前にある柵によじ登
り抗議をしながら突破しようとする元気が現代の我々障がい者にあるだろうかという疑問
も同時に浮かんできた。そう、一般社会から隔絶された特別な空間で育ち、働くことが普
通になっている障がいを持つ人々が増えている中ではこういった行動に出る事が正当化は
おろか思い付かれる事すらないであろう。かと言って、重度の障がいを抱えた障がい者た
ちが、それまでは重い障がいのために学校へ行くことすら許されなかったのが養護学校が
義務化されることで学校へ行くことが出来るようになったことも無視は出来ない。もちろ
ん特別な支援を必要としている重い障がいを持った人達がいる事も分かってはいる。しか
し、上映会の前に行った 29 歳で地元の小学校へ通い直した伝説の人八木下浩一さんの話を
思い浮かべると、やはり特別な環境ではなく、障がいを持たない人達と共に成長をしてい
く、共に働いていく事の大切さを思い知らされる。障がいのあった八木下さんは、幼い頃
小学校へ通う子供たちや町の人たちの往来がよく見える自宅の一角に紐で括り付けられて
いた。その事によって外に出て自由に歩き回りたいという強い思いを抱くようになったと
ご本人は語る。今のご時勢では、障がい者虐待と言われても不思議のないエピソードでは
あるが、障がいを持つ我が子を一般社会の中へ送り出す不安を抱えた母親としては相当な
勇気と決断の要った教育手法だったことだろう。
特別な環境で安心安全な状態で生きてゆくのが良い事なのか?あるいは障がいのない
人々と共に様々な手助けを借りながら、時に迷惑を掛けながら生きてゆくのが良い事なの
か?様々な考え方があるのは当然である。しかし、一部の人々を排除してしまう社会は弱
く崩れやすい社会であるという言葉があるように、障がいを持つ人達も社会の一員として
障がいのない人達と共に社会を構成してゆかなければならない。そんな風に色々と考えさ
せられ、真の共生社会の実現を望む思いを強くした上映会でした。
私たちがこれから進めていくべきこと。
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