北斎 の 描 い た 花鳥画 の 世界 ∼牡 丹 に胡 蝶 ∼

平成27年
(2015年)3月発行
లඵ਱্࣢
北斎の描いた花鳥画の世界 ∼牡丹に胡蝶∼
「牡丹に胡蝶」
(大判錦絵) 天保初年(1833∼34)頃 ∼ピーター・モース コレクションより∼
咲き誇る大輪の牡丹の花
形のない風というものを、
そ
丹が、
画面を斜めに横切るよ
の風 を受 けたものを描くこ
西 村 屋 与 八という版 元か
うに大きくなびいて描かれて
と、そのまわり を 舞 う 胡 蝶
ら出 版された大 判サイズの
います。花びら一枚一枚がち
とで表現しようとしました。
錦 絵 で、この 時 期 、北 斎 は
ぎれそうに翻り、裏返ったり
を描いた、北 斎 七 十 五 歳 前
西村屋から同様の花鳥画を
しています。
ひらひらと優 雅
ここでは 強い風 を受 けた牡
本図を含めて十点発表して
に舞う胡蝶も、
逆さまになる
後の作品です。
います 。数 え 二 十 歳 で浮 世
ほどあおられています。
の 中 でも 多 色 摺 り 木 版 画
品を発 表した頃は、浮 世 絵
けてきた北斎ですが、
この作
来 、さまざまな 作 品 を手が
できるのです。
きや 強さも 表 現することが
ことができ、
その吹いている向
のを 描 くことで、風 を 表 す
このように、風を受けたも
ひるがえ
絵 師としてデビュー して以
である錦絵を中心に描いてい
牡丹と胡蝶の姿を捉えた北
一瞬の強 風にあおられた
北 斎の作 品としてよく知
斎のまなざしには 現 代のカ
ました。
ら れる 大 作﹁ 冨 嶽 三 十 六
メラマンのようなセンスが感じ
しょ こく たき めぐ
ふ がく さん じゅうろく
景 ﹂シリ ー ズや﹁ 諸 国 滝 廻
られ、黄一色で塗りつぶされ
けい
り﹂
といったシリーズもこの時
た背景も相まって、現代的な
雰囲気を醸し出しています。
かも
期に発表されたものです。
この頃の北斎は、波のよう
に動きのあるものや水のよう
に形を変えるものをどう描
くかに興味を示していたよう
ですが、
それだけにとどまり
ませんでした。本図では風と
いう目に見えないものを絵に
描こうとしています。
全国に広がる
北斎の弟子へ
∼﹃北斎漫画﹄の出版∼
二百人もの
今回は多くの
弟子に慕われた
人として
紹介します
な画法の解説もあります。
北斎には
知られざる
意外な一面が
ありまし た
図1の
﹃北斎漫画﹄
初編
︵文化
図2は﹃画本彩色通﹄初編
当 時 、油 絵 具 を
使った画法は最先
端の技術でした。
こ の よ う に 、北
斎 は 、初 心 者 か ら
本格的な絵師まで
幅広い弟子に慕わ
れたと考えられま
す。
打ったことはもちろんのこ
表現したといいます。
このエ
県を流れる竜田川の風景を
たつ た がわ
皆に行きわたらな
と、
派手なパフォーマンスで
ピソードが評判になり、
北斎
その時、
北斎はまず花鳥山
して北斎の絵を学んだ人が
た地でも北斎の絵手本を通
図2 『画本彩色通』初編
に慕われた人
九年
︿一八一二﹀
刊︶
を名古屋
︵弘化五年
︿一八四八﹀
刊︶
に記
え ほん さい しき つう
にいる弟子・牧墨僊の家に滞
された油絵具の作り方の解
説です。
①鉛の鉄砲玉を削り
まき ぼくせん
在中に制作します。
本作は全十五編まで続々
②削った鉄砲玉と油を七十
北斎に多数の弟子がいた
この鶏の足跡をもみじに
おう い
近年、
娘の応為など北斎の
と出版されますが、四編︵文
日、
土の中に埋め③それを紙
理由は複数考えられます。
見立てて、
紅葉で有名な奈良
派手なパフォー
マンスで 弟 子 が
急増!
弟子が話題になっています
化十三年刊︶の序文には、北
で濾 して絵具とするよう示
北斎の絵が多くの人の心を
した。
が、
北斎には孫弟子まで含め
斎に多くの人がお手本を描
されています。
江戸時代に記された浮世
いので、
それを憐れ
名を轟かせたことも理由の
に弟子入りを請う多くの人
あわ
絵師の伝記
﹃浮世絵類考﹄
も、
ん だ 北 斎が 絵 手 本
一つです。
とどろ
﹁門人枚挙スベカラズ﹂と北
を出版して弟子達
まい きょ
斎に数多くの弟子がいたこ
北斎は将軍家斉公に召さ
北斎の絵手本の多くは、
現
でん ぼういん
水を描いて賞賛を得ました。
いたように、
時空をこえて現
す。当時、江戸から遠く離れ
次に長い紙に、
藍色の線を刷
代に北斎の新たな弟子が誕
は
毛で長く引いた後、
その上に
生するかもしれません。
け
足に朱を塗った鶏を放しま
ます。
がかけつけたそうです。
に授けたと、
出版の
れ、
浅草伝法院で絵を披露し
北斎の絵手本
北
には、
本紙
﹁ Let's
斎 ﹂で も お な じ み
いえ なり
とを伝えています。
北斎の弟
いきさつが記され
ぶ
在も目にすることができま
お
子は、江戸のみならず、小布
たという逸話が伝わってい
せ
ています。
こ
ると約二百人もの弟子がい
いてもらいたがっているが、
こう よう
たとされています。
図1 『北斎漫画』初編
施や名古屋、大坂など、全国
にいました。
として多くの絵手本を描い
の初心者の手本に
北斎は、﹃北斎漫画﹄
を始め
ており、
これらは全国にいる
り ま す が 、本 格 的
もなるものもあ
北斎は数え五十三歳の時、
弟子の手本になりました。
ඵ
こん かい
ひ
つづ
ほく さい
や じるし
そ
てん
①の矢印に沿って線を
あお
なぞってみてね。青の点が
していましたが、北 斎はこ
しゅんろ う
北 斎 は 春 朗 と 名 乗っ
みどり
スタート、緑の点がゴール
をよく表しています。
白猿の肖像画は顔の特徴
とりわけ、北斎が描いた
を描いています。
弟 子たちとともに挿 絵
︵左図参照︶
に、北 斎は
仏百首追善数珠親玉﹄
ぶつひゃくしゅついぜんじゅずのおやだま
句 集の﹃ 市 川 白 猿 念
いち かわ はく えん ねん
刊 行 さ れた 白 猿 追 悼
つい とう
七 ︶烏 亭 焉 馬によって
う てい えん ば
文 化 四 年︵ 一 八 〇
まで続いたようです。
交流は白猿が亡くなる
すり もの
の 年の 前 後から 、白 猿の
さい ご
と
はい かい
さし え
ていた 頃に、役 者 絵 など
た
で す 。ま ず は 鶴 か ら 。最 後
に ほん つ
依 頼 で 摺 物や 狂 歌 本の
あし
ゆかり
だん じゅうろう
縁の 人といえ ば 、市 川
團 十 郎がいます 。歌 舞
伎界の名門、市川團十
きょうか
郎 家の五 代 目は、名 優
でもあり、狂 歌や 俳 諧
の才能もありました。
享和二年
︵一八〇二︶
に舞 台から完 全に引 退
はく えん
し 、白 猿と名 乗って現 在
の 秋 葉 神 社︵ 墨 田 区 向
︶辺りにあっ
市川團十郎との交流
に足を二本付け足すと飛
た
むずか
び立つ鶴になります。
すこ
役 者の中 で、すみだ
も 描いていたことがあ り
ゴール
挿 絵 を描くなど、二 人の
スタート
ます 。
2
1
次は亀。少し難しいです
が 、筆 を
ひと ふで
今 回 も 引 き 続 き 、北 斎
ふ
使って描
いっ ぴつ が
の﹃ 一 筆 画 譜 ﹄と い う 一 筆
え ほん
の
いてみて
が
書きの絵本に載ってい
ね。
北斎先
る 、お め で た い 鶴 と 亀 を
か
描いてみましょう。
かみ
いっ ぽん
生の②の
はな
一 筆 書 き と は 、紙 か ら
いち ど
ように、
島4 9
たという向 島 庵 崎に隠 居
むこう じ まいお ざ き
−
13
ふで
筆 を 一 度 も 離 さ ず 、一 本
最後に太
ふと
の線で絵を描くことで
めの点で
せん
す。
足を付け
北斎が描いた市川團十郎(白猿)
足せば完
す
成です。
ぬ
好きな
いろ
色を塗っ
て自分な
りの鶴亀
にしてみ
てね!
−
२
অ
2億円を超える寄付金が集まりました!
昨年7月より開始した「墨田区北斎基金」寄付キャンペーン
は、皆様からの多大なるご協力により、2億円を超える寄付金
が集まりました。
ご寄付をいただいた方につきましては、重ねてお礼申し上
げます。
なお、現在公開中の寄付キャンペーンのホームページで
は、寄付いただいた方のお名前を公表させていただいている
ほか、応援メンバー登録(メルマガ登録)等のメニューもご
用意しておりますので、是非ご覧ください。
寄付金額(平成27年2月末現在)
206,972,210円
株式会社
ジャパン・スリーブ
写真立て
ができ、表紙の絵柄は家紋になっており
インテリアとしても最適な
〝すみだ〟
の新
商品です。
なお、
現在区内事業者を対象に、
北斎作
品画像の無料貸し出しをしております。
までお問い合わせください。
墨田区では、区内でものづくり
となるように、すみだ北斎美術館
︻商品に関する問い合わせ︼
詳しくは、︵公財︶墨田区文化振興財団
に収蔵する北斎作品を商用目的
に携わる方々の開発商品の一助
でご利用いただく事業を行って
います。
株式会社ジャパン・スリーブ
03 5625 2158
︻画像利用に関する問い合わせ︼
がい ふう かいせい
今回紹介するのは、北斎の代表
−
作﹁冨嶽三十六景﹂より﹁凱風快晴﹂を使用した写真
−
︵公財︶
墨田区文化振興財団北斎事業課
03 3829 4122
03︲5608︲6500
墨田区産業観光部観光課
下 記ホームページでは、すみだ北 斎
美術館のダイジェスト映像や、無料でダ
ウンロードできるスクリーンセーバーなども
ご用意しております。是非、
ご覧ください。
立てです。
お気に入りの写真と北斎作品を観ること
−
−
︻案内板に関する問い合わせ︼
飾北斎ゆかりの案内板を設置します
〝すみだ〟で生まれた世界的絵師・
飾北斎は生涯のほとんどを区内で過ご
し、多くの作品を描きました。
北 斎が隅田
川 沿いの 両 国
地 域を中 心に
描いた 浮 世 絵
を用いて、見て
歩いて楽しむこ
とができる 案
内板を3月末
http://hokusai-museum.jp
7
に8基 設 置 し
ます。
案内板
設置場所
/ 個人 391件
法人・団体 72件