2015年4月12日礼拝週報

めぐみイエス・キリスト教会
2015年4月12日(日)《午後6:00~7:00》
礼拝週報「通算第253号」
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
(ヨハネの福音書3章16節)
住所
千葉市稲毛区宮野木町835-78
電話 043-256-0488
主日礼拝 毎週日曜日 午後6時~7時
聖書研究・祈祷会 毎週木曜日 午後6時~7時
牧師
鈴
木
竜 実
ますみ
※当教会は、モルモン教、エホバの証人(ものみの塔)、統一教会
(原理福音)とは、一切関わりがありません。
◎2015年標題聖句『ヘブル人への手紙13章8節』
《イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。》
◎今月のみ言葉『ルカの福音書24章5節~7節』
《恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう
言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜す
のですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだ
ガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさ
い。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけら
れ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょ
う。」》
◎お知らせ
1.次回の祈祷会は、4月16日(木)午後6時~7時となります。4月23日
(木)の祈祷会は、鈴木牧師が、「江古田グレースチャペル」において
行なわれる関東コーチングに出席するためお休みとなります。
2.4月13日(月)ITCNは、午前は中野雄一郎先生、午後はルガーノ
所先生、夜は田島児二(田島建設会社社長)さんが担当します。鈴木
師は午後集会において奏楽の奉仕です。お祈り下さい。
3.4月9日(木)聖書キリスト教会牧師会・長老会において、個人会員の
牧師先生も、分担金(1ヵ月千円)を治めることが、決議されました。ま
たオリジナルCD17枚を、尾山先生と各ブランチ教会に贈呈しました。
4.タイ(チェンライ)から、報告レポート№29が届いています。
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◇◆◇2015年4月12日(第二主日礼拝)
午後6時00分~7時00分
司会 鈴木 ますみさん 奏楽 佐野 みゆきさん
◎礼拝プログラム
【賛 美Ⅰ】
①すべての名にまさる御名
②静まって知れ
③御手の中で
④復活の日の朝
【使徒信条】
【主の祈り】
【賛 美Ⅱ】
⑤ホザナ
⑥主イエスをほめよ
⑦主イエスを礼拝するため
【メッセージ】《主イエス・キリストの復活の意義》
鈴木 竜実 牧師
【聖 餐 式】
【賛 美Ⅲ】
⑧聖歌442「罪の深みに」
⑨神のみわざ
【 祝 祷 】
⑩友よまた会う日まで
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◎本日のメッセージ【主イエス・キリストの復活の意義】
◎聖書箇所
【第一コリント15章20節~23節】
15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえ
られました。
15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとり
の人を通して来たからです。
15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストに
よってすべての人が生かされるからです。
15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次
にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
●ポイント1「死がひとりの人を通して来た」とは?
※創世記2章16節~17節【神様のたった一つのご命令とは?】(旧約p.3上段)
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思
いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならな
い。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
※創世記3章17節~19節【神様の最初の人アダムへの宣言】(旧約p.5上段)
●ポイント2 第一の復活と、第二の復活とは
※第一テサロニケ4章13節~17節【第一の復活について】 (新約p.366下段)
※黙示録20章5節~6節
【第二の復活について】 (新約p.458下段)
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一
の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。
この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリ
ストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
●ポイント3 「白い御座」の裁きと、「第二の死」について
※黙示録20章11節~15節
【行ないの書といのちの書】(新約p.458下段)
※ヘブル人への手紙9章27節~28節【主を待ち望む人々】(新約p.399下段)
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まってい
るように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられまし
たが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いの
ために来られるのです。
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