一学期も残り1ヶ月

穂
学
平成27年度
広州日本人学校学校便り
[No.3]
平 成 27年 6月 23日(火 )
発行責任者
◇◆◇◆◇ 一学期も残り1ヶ月◇◆◇◆◇◆◇
教頭
校長
高橋秀之
小幡
満明
5 月 3 0 日に広州日本人学校の大きな行事である運動会が盛況のうちに終わり ま
した。運 動会は,本校 伝 統 の 特 色 あ る 教 育 活 動 で あ り ,中 学 部 生 徒 が 小 学 部 児 童 に
優しく教える姿が見られるなど,小中一貫校のよさを実感できる行事です。中学部
全 体 が ,ま た 小 学 部 高 学 年 児 童 が ,後 輩 を 指 導 し て 先 輩 か ら 引 き 継 い だ 伝 統 の バ ト
ン を 力 強 く 繋 い で い ま し た 。学 校 で も ,子 ど も た ち 全 員 が 本 校 の 児 童 生 徒 で あ る こ
と に 誇 り を も ち,運 動 会 の 取 組 全 体 を 通 じ て 大 き く 成 長 す る こ と が で き る よ う に 全
教 職 員 で 精 い っ ぱ い 指 導 ・ 支 援 に 努 め て ま い り ま し た 。こ れ も 保 護 者 の 皆 様 の 温 か
いお力添えがあったからと感謝しております。
一 学 期 も 残 り 1 ヶ 月 ほ ど に な り ま し た 。 明 日 か ら の 6 月 24 日 ~ 6 月 26 日 は 、
小 学 部 6 年 生 が 西 安 市 へ 。6 月 30 日 ~ 7 月 3 日 は 、 中 学 部 2 年 生 が 北 京 市 へ と 、
それぞれの学年が楽しみにしている修学旅行があります。そして、夏休み前には、7
月 11 日 ( 土 ) PTA 夏 祭り、 7 月 14 日 か ら の 三 者 面 談 と 続 き ま す の で ご 参 加 よ ろ
し く お 願 い た します。
6 月は、小学部と東風東路小学、中学部とカレン大
学とのそれぞれ学校交流がありました。
東風東路小学からは各学年を代表する学級が一クラスずつ大型バスに乗って来校し
てきました。子どもたちは各学年で企画した、ゲームや踊りで歓迎しました。
カレン大学との交
流は中学生が大学
を訪問しました。
変面作りなどを教
えてもらいました
英語中国語日本語
を織り交ぜての交
流です。有意義な
時間となったでし
ょ う か 。 次 回 は 11
月です。
広州日本人学校
~校歌の由来~
小幡満明
○校歌とは
広 州 日 本 人 学 校 創 立 2 0 週 年 に 思 い を め ぐ ら せ 、校 歌 に つ い て 調 べ て み ま し た 。
学校行事の中では校歌をよく歌います。運動会、入学式、卒業式、始業式、終業式
など、その他校歌を歌う機会がたくさんあります。
校 歌 と は 、 辞 書 に よ る と 「そ の 学 校 を 象 徴 す る も の と し て 制 定 さ れ た 歌 。 建 学 の
精 神 や 理 想 とする校風などを表し、そ の 学 校 の 一 員 で あ る と い う 自 覚 を 高 め る な ど
の 目 的 で 、 式典のときなどに歌われる。」と 書いてありました。
日本初の校歌は明治11年(1878)10月に制定された東京女子師範学校
(現・お茶の水女子大学)校歌「みがかずば」と言われています。
○ 広 州 日 本 人学校歌制定までの経緯
広 州 日 本 人 学 校 の 校 歌 は 1 9 8 9 年 か ら 1 9 9 2 年 ま で の 3 年 間 で 、当時の広 州
補 習 授 業 校 で教鞭を執られていた〔 山登靖〕先生が作詞・作曲をされました。そ の
頃の児童・生徒数は20名程度でした。複 式 学 級 の 授 業 で ガ ー デ ン ホ テ ル の 一 室 で
授 業 が 行 わ れ て い ま し た 。山 登 靖 先 生 の 当 時 の 思 い 出 を 綴 っ た 文 章 を 紹 介 し ま す 。
広州日本人学校との関わりの中で大変光栄なことは、私が補習授業校時代に作った校歌
が 正 式 に 認可 され 歌 い 継が れて い る こ と に 尽 き ま す 。 当時 、 補習 授 業 校 10 周 年 式典 に向 け て
校 歌 の 話 が 持 ち 上 が り 、 い ざ 誰 が 担 当 す る か で 二 転 三 転 し ま し た が、 オ リ ジ ナ ル 曲 を 作 っ た り
し て 多 少 な りとも 音 楽 を や っ て い た 手 前 、 最 終 的 に 私 が 引 き 受 ける こ と に な り ま した 。 し か し、
校 歌 と い う 全 く 未 経 験 の ジ ャン ル と い う こ と で 、 冷 静 に 考 え る と 正 直 大 変 な こ と を 引 き 受 け て
し ま っ た な と い う 思 い も あ り 、 い ざ 制 作 に 取 り掛 か る と 歌 詞に 苦 労 し た 記 憶 が あ りま す。 結 局
の と こ ろ は 、 子 ど も 達 へ の 願 い を 歌 詞 の 中 に 込 め て 作 詞 し、 メ ロ デ ィー に 関 し て は 、 一 般 的 な 校
歌 調 の メ ロ デ ィ ー で は な い 感 じ にし て 欲 し い と い う 子 ど も 達 の リ ク エ ス トも あ り、 私 が 普 段 使 っ
て い る ギ タ ー で 感 性 の 趣 く ま ま に作 曲し ま し た 。
広 州 日 本 人 学 校 の 子 ど も 達 に は 、 今 体 験 し て い る 国 際 的 な 環 境 を 糧 に 国 際 感覚 を 養 い 、 大 き
な 夢 を抱 い て国 際 舞台 に 羽 ば た いて 行って 欲 しい と願 っ ていま す。最 後に 、 広州 日本 人 学校 の
今 後 の 更 な る 発 展 を 心 よ り お 祈 り 申 し 上げ ま す 。
広 州 日 本 人 学 校 の 校 歌 は 、オ リ ジ ナ リ テ ィ の あ る 歌 詞 で あ り 、子 ど も 達 が 好 む よ
う な 旋 律 で す 。山 登 先 生 は 自 分 の「 な す べ き こ と に 自 信 を も ち 、そ れ を 自 慢 に し て
も ら い た い 」という心で書かれたと思います。これからも広州日本人学校の児 童 生
徒 と し て 誇 りを持ち、日本人学校設 立に尽力された方々の思いを受け、広州日 本 人
学校の文化の一つとして校歌を歌い続けていきたいと思います。
5月16日~6月15日の転出入情報
転入4
転出0
在籍数397名