花に想う 今朝は机の上に白の百合の花を飾っ た。やはり白は清楚なだけ

花に想う
H27.8.10
第205号
今朝は机の上に白の百合の花を飾っ
た。やはり白は清楚なだけでなく、こ
ちらの心をちょぴり爽やかにしてくれ
る。
白といえば昔一緒だった M 校長先
生と同級生だったという女性が、こん
なことを話していた。「M さんは、子
供のころから本当に白の似合う人でし
た。何といっても、白のハンケチね。
お母さんがきっといつもアイロンをか
けられていたのだと思うんだけど、ピ
シッといつもきちんと折り目の付いた
ハンケチをポケットに入れてたわね」
白を観るとき、今は亡き M 校長先生のそのエピソードを懐かしさをもって
思い出す。その何だか「ハンカチ」ではなく、「ハンケチ」との音の響きもと
ってもステキで思い出に音も付いてくるのだ。
人は言葉だけで愛情を語ろうとすると限界があるように思う。世の中では「愛
情のこもった弁当」などもよく話題になるが、何気ないハンケチの折り目や、
カッターシャツの眩しい白さにも親の愛情に気付けるのであってほしい。そん
な感情が薄れて来ているとしたら、きっと世の中は世知辛い。
白い百合の花の白さに「愛情」を感
じると同じように、まだまだアジサイ
の花にも「最後の力」を感じている。
このアジサイにはあれだけ鮮やかだっ
た紫色が、いよいよ色褪せ薄い紫色か
ら少し茶色ぽっくなって来ている。花
だけではない、よくよく見ると葉っぱ
の緑色もすでに随分と色が褪せて来て
いる。
だが、こうやって壁際に飾ると何と
もいえず味があるのだ。最初に飾った
日からもう一月以上経っている。その
色は、ときを経たからこその色なのだ
と感じる。そこには生き生きとこれから勢いを持って生きるぞという決意の鮮
やかさとは違った美しさがある。
朽ちて行くものの覚悟というか、決意のようなものを感じる。一つの美のス
テージから去り、自らを違うステージに立たせようとするとき、そこには随分
とストレスや葛藤があるに違いない。そこを突き抜けたときの覚悟にも似た美
しさを、このアジサイの花から感じるといったら大袈裟すぎるだろうか。
今朝は白い百合の花と、色褪せ少し茶色っぽくなったアジサイの花の二つを
眺めながら、何となくこんなことを思っていた。話を聴こうとすると、色々な
ものたちがこうやって語りかけてくる。もっともっと自分自身の心を素にして、
身の回りの様々なものたちの声を聴きたい。
もっともっと勉強せねばならない。ありがたい。
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