永代経法要 - 無量寿山 淨覚寺(浄覚寺)

 門徒総会に先立ちまして『物故者追
悼法要』を午前10時より勤修いたし
ます。過去一ヶ年にお亡くなりになら
れた門徒会員(1 6名)の追悼法要で
ございます。御門徒の皆様もどうぞご
参詣ください。
※物故者のお名前は
2012(平成24)年度
門 徒 総 会
物故者追悼法要
2面に掲載しております。
追悼法要に引き続きまして、午前
4月29日 ( 日 )
11時より恒例の『門徒総会』が勤ま
ります。皆様どうぞご予定下さい。
※門徒総会後は懇親会が予定されています。
お酒が用意されますので、車でのご参詣は
ご遠慮下さい。
物故者追悼法要 午前10時より
門 徒 総 会 午前11時より
永代経法要
大分県日出町 正善寺 本願寺派布教使 ご講師
藤井 邦麿 師
5月26日 ( 土 )
午後一時半∼
5月27日 ( 日 )
午後一時半∼
夜座は『仏教壮年会総会』です。壮年会の皆様にはご予定を下さい。
先だって NHK のテレビ番組で「今、お説教がブーム」と、特集が放映されました。それぞれ
の地域、それぞれの宗派でお釈迦さまの説法が取りつがれています。私どもの永代経法要。永代
経の「経」とは「お経」のこと。ご先祖がたが慶ばれた他力の「成仏道」、
「阿弥陀如来の御法義」
をイヨイヨ【私】がお聴聞する頃のようです。【今】がちょうどよい頃合です。どうぞお参りを。
真宗のお念佛は﹁必ず救う。われにまかせよ。﹂
の阿弥陀仏の︿こころ﹀の全表現を聞くことに尽
きる。
震災の瓦礫撤去中、ある親子の遺体にそこにい
た隊員の皆が泣いたという。そこには震災から必
死にわが子を守ろうと胸の中にしっかりと抱いた
ままの母親の姿。母親の全表現を見て涙したのだ。
前
( 住職
無常の厳しさからいのちの温もりが聞こえてく
る。
)
二〇一二︵平成二十四︶年度
物故者追悼法要
︽敬称略︾
過 去 一 ヶ 年 に お 亡 く な り に な ら れ た 門 徒 会 員 の 皆 様 は、 左
記の十六名の方々であります。当山にご縁の深い方々でした。
岩永
信恵
�長崎�
井上
唯士
�福 岡 市 �
渡邉
芳子
�福 岡 市 �
井上
隆雄
� 長 谷山 �
久家
桂二
� 三 箇山 �
井上
啓輔
� 長 谷山 �
菊竹
康幸
�甘木�
田中
イ セヨ
�古 毛 �
高山
光雄
�甘木�
熊本
俊司
� 野鳥 �
篠田
光子
� 今小 路 �
田中
陽子
�古 毛 �
益田
タマ 子
�杷木�
篠田
麗子
� 上秋月 �
高倉
寿
�甘木�
熊谷
シヅ 子
�福 岡 市 �
-2-
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ご法話�仏さまのこころ�
る。通りがかりにこの言葉に気づいた知人が
﹁まっ
たくそうですね!﹂だからこの言葉を職場の朝礼
で使わせていただきました。と言われた。
自分にも他人にも︿こころ﹀は見えない
けれど
ほんとうに見えないのであろうか
確かに︿こころ﹀はだれにも見えない
けれど︿こころづかい﹀は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の︿思い﹀は見えない
けれど︿思いやり﹀はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
︽行為の意味︾宮澤章二著
東 日 本 大 震 災 前 年 の 十 月 に 制 作 さ れ たC M だ そ
うだ。それにしても未曾有の大震災に、一年を経
ても遅々として進まぬ復興作業に遠くから心を痛
めるばかりである。
それにまた、奇しくも三月十一日はその宮澤氏
いやり﹂はだれにでも見える。
の命日でもあったという。
淨覚寺前の掲示板には二月からの言葉として
﹁こころ﹂はだれにも見えないけれど、﹁こころ
﹃心は行いによって初めて見える﹄と書かれてい
づかい﹂は見える。﹁思い﹂は見えないけれど﹁思
� � � � � � 見 � �� � �
� � � � � �� � � 見 � �
■ 浄覚寺寺報 no.27 ■ 2012 春
2012 春 ■ 浄覚寺寺報 no.27 ■
ご正忌
報恩講
12 月 10 日 ( 土 )・11 日 ( 日 )
左上:沢山のお同行の皆さまが御参詣
下・・この度の報恩講から、高座にてのお説教
要ですか?ってお尋ねになることがあ
をお願いしました。ご講師は基山町善覚寺ご
ります。御開山親鸞聖人のご命日法要
住職、正木隆真師。何度聞いても尊いお話で
を「報恩講」といいます。「おとりこ
す。阿弥陀さまいっぱいの二日間でした。
し」「ごしょうき」とも申しますが、当
流浄土真宗の要の法要です。阿弥陀さ
ま、親鸞さまの前に座して、古より続く、
この法要を楽しみます。
一月十日︵日︶
写真を撮りそこなっておりますお許しくださいませ。
二月二十六日︵日︶午後十六時∼
壮年会冬�研修会
ご先祖を偲び、お浄土を思う。とっても
下:写真が一枚しかなくてすいません。賑わった
除夜会
三月二十日︵火︶午前十時∼
仏婦����日�総会
法満ち満ちて、あっという間の一時間。
恒例の新春法座。子どもたちも沢山参ってくれま
した。高座からのお説教。楽しい中に仏
し た。
﹁ く じ 引 き ﹂ に﹁ ぜ ん ざ い ﹂。 新 年 早 々 に、
宗教的楽しみ。崇高な遊びです。
おわび
海徳寺副住職、松月英淳師をお迎えしま
新春法座
前二時くらいです。翌朝の元日は午前九時から﹁元旦会﹂
右 : 大 晦 日 の 除 夜 会 を 終 え て、 皆 さ ま 帰 宅 な さ る の が 午
を お 勤 め し ま す。 十 数 年 前 ま で は、 寺 族 の み で 勤 め て お
り ま し た が、 せ っ か く だ か ら と ご 門 徒 の 皆 さ ま に も ご 案
くださいました。
『報恩講』って何の法
内 し て お り ま す。 元 日 に お 寺 で﹁ 仏 さ ま ﹂ に 参 る。 よ う
下:午後 1 時より、春季彼岸会を勤めま
した。午前中の仏教婦人会の「ダーナの
日(清掃ご報謝)」「総会」に引き続いて
の開座でした。この度はご講師に糸島は
さまで竹を切り出し、淨覚寺にて制作作業です。この度は甘木の教法寺さま仏
り仕切ってくださいました。十二月二十五日︵日︶早朝より、ご近所の西念寺
左③:参道には竹燈籠はもちろん、竹をアレンジしての境内と結界までこしら
教壮年会の皆様もご一緒に準備です。賑やかでした。
左下・下:当日、午後十時くらいには点燭です。写真でも綺麗ですが、実際に
えてくださいました。
目の当たりにすると凄いです。道行く人々をこの灯火が誘い、沢山のご参詣です。
恐らく二百人ほどの方が除夜の鐘を撞かれました。
③
元日 午前9時~
こそお参りでした。
春季彼岸会
左 ① ② : 仏 教 壮 年 会 に 皆 さ ま 方 が、 竹 燈 籠 の ご 用 意 か ら 当 日 の 点 燭 ま で 全 て 取
沢山のご参詣でした。
②
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3月20 日(火)
①
元旦会
御開山親鸞聖人の御法事
■ 浄覚寺寺報 no.27 ■ 2012 春
�������
子守歌
親
おうた
参 式。 去 る 十 二 月 四 日、 仏 教 壮 年 会 長 の 篠 田 勝 之
進 さ ん ご 夫 妻、 お 嬢 様 ご 夫 妻 が、
﹁央 太 く ん ﹂ と 御
一 緒 に ご 参 詣 に な ら れ ま し た。 人
身 受 け が た し、 今 す で に 受 く。 尊
い ご 縁 に よ り 生 命 を 受 け、 仏 縁 に
も。おめでとうございます。
鸞 展。 去 る 十 二 月 十 四 日、
当山報恩講法要の余韻を楽
二日市駅か
しみながら、博多駅ビルの大ホー
ル に 参 り ま し た。
らの珍道中。お同行の皆さんと聖人のご一生を感じ、学
び、駅ビルの散策。楽しい一日でした。
▼東日本大震災から一年が過ぎ
ま し た。 被 災 さ れ た 皆 さ ま に は
お見舞いを申し上げるばかりで
す。 ▼ 大 震 災 以 降、 一 つ の 言 葉
がテレビやラジオから消え失せ
ま し た。 ▼﹁ 勝 ち 組・ 負 け 組 ﹂
▼あれほど声高に叫ばれた言葉。
い っ た い、 何 が 勝 ち で、 ど う な
まこと
れ ば 負 け だ っ た の か。 ▼ 時 代 が 移 れ ば 娑 婆 の 価 値 は 変
わります。何が真なのか。娑婆にも変わらぬものがあ
りました。ナマンダブツ﹁あなたが大切﹂と仰せです。
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よ。そんな思いを伝えたくて、この名をつけました。
初
皆 さ ま、 長 男 と も ど も 次 男 も お 世 話 に な る こ と で
しょう。どうぞお育てください。
★前坊守で∼す。
昨年四月、大遠忌法要が皆様のお力
により立派に勤修されました事、本当
にうれしい事でございました。これか
らは、
本格的に若坊守に坊守の座を託し、正真正銘﹁前﹂
坊守となりました。
りき
★坊守です。
力みもなかったはずのこの私、ゆっくりゆっく
何の
一月二日に次男﹁至静﹂
︵しじょう︶を出産しました。
りと気が抜けていく日々を感じます。若住職からお尻
大晦日の朝から元日と、御門徒の皆さまとバタバタと
をたたかれています。
賑やかに動き回ったせいか、赤ちゃんが下へ降りてき
大遠忌の後、気を抜く間もなく若坊守が二人目の孫
たらしく、あっという間の出産でした。長男の恵真と
を妊娠し、出産、授乳。姑は縁の下の石となり、嫁に
はまた雰囲気が違い、若い御院家にそっくりです。
少しでも負担を少なく分かち合おうと、姑の︵浅知恵
きょうぎょうしんしょう
ぎょうかん
教 行 信 証 ﹄ の﹁ 行 巻 ﹂ に
親 鸞 聖 人 の お 書 物﹃
かな?︶手助けをさせてもらったつもりです。おかげ
だいひ
がんせん
こうみょう
こうかい
しとく
﹁大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳
で孫も三ヶ月、すくすくと育っております。ホッと一
しゅか
の風静かに衆禍の波転ず。
﹂とあります。このお言葉
息の今日この頃です。
の中から﹁至﹂と﹁静﹂を名前に頂戴しました。
なんまんだぶつの、ぬくもりのあるおばあちゃんに
。その風はす
︻阿弥陀如来のはたらきは﹁至極の徳﹂
ならねばと元気に成長している孫を眺めております。
べての方に吹いている。その風は決して強く激しい風
そして又、皆さまと過ごした長い長い日々を、これ
ではなく、
﹁静かに﹂
、なんとも心地よく。それは、お
からも共々に手を合わせ手を合わせの法友でいて下さ
念仏という声の姿をとり、ナマンダブツと心に染み渡
い。どうぞ、いつまでもいつまでもよろしくお願い申
苦しみ悲しみ、
る。そして、
そのお徳は﹁衆禍︵つらさ、
します。
︼
涙︶
﹂をつつみこみ、その味わいさえも転じさせる。
�������
�������
︽若い住職の意訳︾
�������
�念仏
この子の人生も悲しみ多く、涙を流し、こらえ、強
�����
�����
�
がっていく日暮しになるのかもしれません。しかし、
�� 大�� �����
忘 それがどんな人生でも、そこには至徳の風が静かに心
���
心�
浮� ���
地よく吹き渡っているんだよ。仏さまがご一緒なんだ
JR