異文化の旅 スペイン・コルドバのメスキータ9403-3 a243 スペイン第5日・メスキータ③二重アーチ 125m × 176m のメスキータは外周を堅固 な壁で囲っている。壁の上にはイスラム独 特の胸墻キョウショウと呼ばれる段々の射 撃用立ち上がり壁が設けられていて、要塞 を思わせる 。北西面に設けられた門( 写真 ) は馬蹄形のアーチで縁取られ、門上部にも 細身の柱に馬蹄形アーチを重ねていて、ど こから見てもイスラム建築に見える。この ことは、レコンキスタ後のコルドバの人々 がキリスト教を回復したにもかかわらず国 土を奪い去ったイスラム教のメスキータを 捨てようとしなかったことを意味しよう。 前後するが、カルロス 1 世がメスキータを大改造した大聖堂建設 を認めたとき、コルドバ市民が猛反対をしたそうだ。それほどメス キータの魅力が強いということであろう。 観光客用入口からパティオに入る。オレンジの木がこんもりとし ていて、オレンジのパティオと呼ばれている。イスラム教では礼拝 の前に体を水で清めるため、メスキータ =礼拝堂の前庭には井戸が 備えられた。初期の井戸はメスキータの増築に対応した改修などで 痕跡を失っていて 、現存する井戸はレコンキスタ後の再現だそうだ 。 パティオを過ぎ、メスキータ に踏み込む。外の明るさで目が 慣れない。そのことが、メスキ ータに林立する紅白を交互に繰 り返した二重アーチの荘厳な空 間をいっそう幽玄化している( 写 真 )。横方向 116m に 19 列の石 柱が繰り返し、奥行き 125m 方 向は途中に聖堂の壁面があるものの石柱がパースペクティブに連続 していて、その上を二重アーチが高い天井に向かって伸び上がって いる。カメラは当然ながらその全容をとらえることはできない。た だ目が慣れるのを待つ。 石柱をよく見ると、青みを帯びた大理石の柱や彩りの紋様が浮き 出た大理石、白っぽい花崗岩?、化粧彫りのされた石こう柱、など が混在している 。柱頭のオーダーもおおむねコリント corinth 式( ア カンサスの葉を象った柱頭)だが、それぞれ違った彫刻となってい る。これは、西ゴート王国時代の聖ビセンテ修道院、さらにさかの ぼってヤヌス神殿の石材を再利用しようとし、石柱の高さをそろえ るために組み合わせた結果の不揃いや、増築を重ねて不足した石柱 の一部に彫刻のしやすい近在の炭酸塩岩を使用したための不揃いと 考えられている 。しかし 、石柱の林立( 19 列× 38 段?= 800 本? ) はそうした不揃いを意識させずに見る人を圧倒していて、その不揃 いが圧倒する空間に柔らかさを作りだしている。 二重のアーチはそれぞれ白い石材と赤いレンガが交互に重ねられ て、すばらしい躍動感を見せる。これが単色だと、アーチ構造に用 いる石の一つ一つが台形になっていることに気づきにくい。とくに このメスキータは初期メスキータの作り方を踏襲して増築を重ねて きたため、増築ごとに明かり取りが工夫されたが、 125m × 116m の広さでは明かりが不足し、単色の石組みではアーチの形が判然と しないはずだ。だが白の石と赤のレンガの組み合わせは暗さにもか かわらず、というより暗さでより強調され、上に伸び上がろうとす る躍動感を印象づけている。加えて、柱の間隔に対し、二重アーチ の上への立ち上がりが大きく、これも躍動感を強めている。 イスラム教にとまどいを見せていた元キリスト教の西ゴートの人 々は、このメスキータの圧倒しながら柔らかみのある躍動的な空間 を体感し、イスラム教に心を傾けたのではないだろうか。 初期メスキータの屋根は木造で、 11 の身廊ごとに切妻の屋根を のせている。形は違うが日本の町工場にかけられたノコギリ屋根を 想像するといい。トルコにあるスルタン・アフメッドジャーミ(= ブルーモスク )のような大ドームをは用いられていない 。700 年代 、 まだイベリア半島のイスラム教徒がドームの技術を習得していなか ったこともあろうし、このメスキータが聖ビサンテ修道院を再利用 したことにもよろう。資料には聖ビサンテ修道院についてほとんど 触れていないが、おそらくバシリカ basilica 式で、列柱を並べた長 -1- -2- 方形平面だったと思う。その列柱を再利用して 11 列の身廊をもつ 70m × 72m の礼拝堂にしたが、 70m × 72m の広さをカバーする明 かりを採り、天井の圧迫感をなくすため、石柱を縦に 2 本重ねた高 さの屋根をかけようとしたのではないか。ところが、 2 本積み重ね ただけの石柱の上にアーチをかければ、少しの不均衡でも上段と下 段の柱のつなぎ目がずれる。そこで、下段の石柱の上にもアーチを かける二重アーチになった、と考えられるが、いかがだろうか。 最終的には 125m × 116m の広さにまで初期メスキータの作り方 を踏襲し、増築ごとに 2 本重ねの石柱を加工しているのだから、初 期モスクをつくるときに 1 本半~ 2 本の高さの石柱を最初から加工 していれば二重アーチの難題を考える必要はなかったことになる。 が、もしそうしていれば、この幻想的な二重アーチを人類は目にす ることができなかったのだから、その当時、この難題に取り組んだ イスラムの技術者に感謝しなければならない。 二重アーチの幻想的な空間は見飽きない。初期メスキータから第 4 期メスキータ、そして第 3 期メスキータへと歩く。第 3 期にはミ ヒラブが設けてあり、その手前はマクスラと呼ばれる支配者の礼拝 の場となっているが、その上部は明かり取りのために一段と高くな っていてそこに小さなドーム(=キューポラ、イタリア語の cupola に類似 、写真右: web より )がのせられている 。このキューポラは 、3 本分の石柱の柱頭をつないだ正 方形の梁の上に 45 °振れたアー チをかけて正八角形の支点をつ くり、その上に交差アーチをか けて形づくられている。だから まだ大ドームの技術は未熟であ ったといえるし、一方、教会堂 によく使われるリブボールトに 近似するともいえる。それ以上の断定をする資料は手元にないが、 キューポラに仕上げされた金色の装飾は立ち上がりから入る明かり に燦然と輝き、マクスラを華やいだ空間に仕立て上げている。 さらにマクスラを象徴化するためと思えるが、下段アーチの頂点 に上段アーチの支点をのせたアクロバットなアーチをつくっている ( 写 真 )。 こ の 二 段 重 ね の ア ー チはきわめて不安定であり、加 重のわずかな不均衡で崩れてし まう。当時の技術者は下段アー チの頂点をつなぐ梁を入れてこ れを解決しようとし、水平の梁 が大きすぎると二段重ねのアー チの軽やかさが失われるので細 身の梁で処理をしたようだ。キューポラから入る明かりで映し出さ れた影は、オアシスのほとりで風に揺れるヤシを連想させる。どこ を見ても足を止めたくなる演出の連続である。 マクスラの奥がミヒラブになる(写真 )。 ミヒラブに面してマクスラが配置されてい るといった方が正しい。ミヒラブはメッカ =カアバを示す窪みであって信仰の対象で はない 。しかしこの窪みは 、敬虔な信者が 1 日に 5 回の祈りを捧げるメッカ=カアバの しるしであり、死後の楽園への入口として 象徴されよう。であるから、窪みを形づく る馬蹄形アーチの石はアッラーの光を連想 させるような放射状を強調し、その周りを 植物紋様、幾何学紋様、コーラン文様で埋 め尽くして華麗に仕上げている。ここも目 が離せない 。( 9403 現地 1006 記) -3- -4-
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