「労働安全衛生研究」, Vol. 4, No.2, p.61, (2011) 巻 頭 言 リスク管理研究についての期待 櫻 井 治 彦 中央労働災害防止協会労働衛生調査分析センター 技術顧問 産業医学振興財団 理事長 労働衛生に関する重要な研究課題の一,二について所感を述べたい. 一つは,化学物質管理におけるリスク評価についてである.化学物質によるリスクを予 防の立場から合理的に管理するためには,ばく露限界値とばく露の測定値を比較してリス クを評価する標準的な方法が最も適切である.ばく露限界値に依存しない簡易なリスク評 価も,暫定的に又はスクリーニングとして適宜利用されるべきであるが,標準的な方法の 重要性はゆるがない. 今後,膨大な数の化学物質についてばく露限界値を設定し,また見直しに努めて,信頼 性と精度を維持,改善していく必要がある.ヒトについての量‐影響関係の情報は貴重で あるが,今後は動物実験によるデータが主な有害性情報源とならざるを得ないであろう. 動物実験のデータからばく露限界値を設定する方法は農薬などから始まり,一般環境や 労働環境における吸入ばく露が問題となる物質を対象としても,広く応用されるように なった.しかし様々の不確実性があるために, 動物実験で明らかになった閾値の推定値 ( 無 毒性量 ) を不確実性係数で除して,安全側に寄った数値を限界値として採用するのが現在 の標準法である. 不確実性があるということは,まさに研究課題そのものがそこにあることを意味する. 不確実性を減少させれば,リスクを余りにも過大に評価したり,ときに過小評価したりす る不都合を減らすことができる.それにもかかわらず,正面からこの課題に取り組み,不 確実性を減少させようとする研究が,世界的に見ても少ないことは残念である.化学物質 の毒性に関心を持つ研究者は,新しい毒性の発見やそのメカニズムの研究に興味を抱きが ちである.それらの意義を否定はしないが,リスク評価の現場での有用性からはかけ離れ ていることが多い.ばく露限界値の設定に経験を積むなどして,研究のニーズがどこにあ るかをより正しく認識して欲しいと感じている. 次に,リスク評価,リスク管理,リスクコミュニケーションなどの実務を進める上で, 大いに役立つガイドラインやツールの開発について述べたい.現場では,これらのうちか ら適切なものを選び,うまく使いこなすことで効果が得られる局面は非常に多い.ガイド ラインは包括的な指針として進むべき道筋を明らかにしているが,細部の実行段階では, かなり自由度が高いままになっている.そこでより具体的な個別のツールの役割がクロー ズアップされる.現にメンタルヘルス対策などに関する多くのツールが開発されつつある のは有難いことである.その他にもツール類の開発が望まれる領域は多い.ただし同種の ものが乱立しても選択に困るので,関連する研究者の衆知を集める研究体制により,標準 的なツールが確立されることが望ましいと思われる.労働安全衛生総合研究所はそのよう な研究の中核としての役割を果たし得る立場にあるのではないかと期待している.
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