一読、再読、三読、四読…、積ん読

一読、再読、三読、四読…、積ん読
教育学部教授(前附属図書館副館長)
亀 山 朗
私の専門は中国古典文学。職業柄、大学入学以来半
すさと関係しています。確かに現在の図書館(もちろん
世紀近く、書物に囲まれて過ごしてきました。読書家と
その中に滋賀大学教育学部分館が含まれます)は、私
はとても言えないのですが、読書愛好家と名乗ることは
の学生時代にくらべて格段に利用しやすくなっていて、
できるように思います。また普通の人からすれば随分た
もし私がいま学生だったなら、もっと図書館を利用した
くさんの書物を所有しています。それらの書物とどのよ
に違いありません。
うに付き合ってきたかというと、一読、再読、三読、四読
新入生の皆さん、これから四年間、おおいに図書館を
…、積ん読です。
利用してください。まずは図書館の、どこに、どんな、興
一読は、始めから終わりまで、いちおう読み通した本。
味を惹かれる本がならんでいるか、自分にとっての積ん
もちろん読後感はさまざまです。この本にめぐり会えて
読図書館を、頭の中に作り上げてください。
よかった、自分にとって大きな収穫だった、と読後の充
さて、再読、三読、四読…です。ゴールが見えてきた私
実感にひたれる場合もあれば、苦労して読み通したけれ
の読書生活において、その重要度が年々高まっていま
ど、結局は時間の浪費だった、とがっかりすることもあ
す。ずっと以前に読んで印象深かった本や、これまでに
ります。最近はあきらめがよくなって、この本は自分には
も何遍か読んだ本を、数年前から、じっくり時間をかけ
合わない、と早々に見切りをつけて積ん読にまわすもの
て読み返しています。何度目であっても新しい発見があ
が多くなりました。老化現象ですね。
り、回を重ねるたびに読みは深まっていくようです。読
それにしても、なんと積ん読が多いことでしょう。い
書を中心にしたさまざまな経験の積み重ねのおかげで
ずれ読みたいと思いつつ積み上げたままの本が増え続
しょう。自分もいたずらに年を重ねてきたのではないと、
けています。でも、大部分の積ん読書は、中国古典文学
ちょっと安心できます。愛読書があるということは、まこ
研究に不可欠だと思われた書物群です。それらは概ね
とに大きな財産で、何よりも自信になります。私の愛読
大学の図書館でも見ることができるのですが、やはり手
書コーナーには、まだかなりの余裕がありますから、今
元に置いておいて必要な時に直ちに繙けないと仕事に
後さらに充実させたいと願っています。
ならない、と考えて買い込んだ書物です。無駄になるも
のが多いのですが、いつ役に立つかわからない、必要な
無駄と観念して、五十歳頃までは本の購入に相当な資金
を注入していました。しかし、所有する書物が増え出す
と、所有すること自体が目的化していったのも事実で
す。ほとんど中毒でした。若い頃は、スチール書架の数
が年々増加して下宿の壁を埋め尽くすと、それだけで自
分がすこし偉くなったような錯覚に襲われ、えも言われ
ぬ満足感を覚えたものです。その報いとして、あふれか
える書物を定年後どう処分するか、いま悩んでいます。
でも私はあまり後悔していません。私の世代は、どれだ
け本をもっているかが、一つのステイタスシンボルでし
た。今の皆さんの場合はどうなんでしょう。
書物は、それを所有して読むか、図書館から借り出し
て読むか。私の学生(院生)時代は、圧倒的に前者が多
かったと思います。それはおそらく図書館の利用のしや
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