定期的な運動は、PTEN 欠損肝細胞マウスにおける肝細胞癌の発生を

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定期的な運動は、PTEN 欠損肝細胞マウスにおける肝細胞癌の発生を、
脂肪肝の改善とは別の機序で減少させる
Regular exercise decreases liver tumors development in
hepatocyte-specific PTEN-deficient mice independently of
steatosis
J Hepatol 2015; 62; 1296–1303
研究の背景と目的
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不健康なライフスタイルは非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)の素因となり、さら
に肝細胞癌(HCC)が発生することがある。定期的な運動によって NASH の病変は
改善するが、肝細胞癌の発症リスクまで低下するかは判っていない。そこで我々は、
定期的に運動することで肝細胞癌の発生が抑制されるかどうか、検討した。材料は
PTEN#1を肝細胞特異的に欠損させた雄のマウス(AlbCrePtenflox/flox)である。この
マウスは自然に脂肪性肝炎と肝細胞癌を発症する。
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方法
マウスには規格化された 10%脂肪食を与え、運動(+)群と運動(-)群にランダムに分
けた。運動(+)群は 32 週間、60 分/日、5 日/週、電動トレッドミルを走らせた。
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結果
15mm3 以上の大きさの肝細胞癌が生じたのは、運動(-)群の 100%に対して、32 週
間の定期的な運動(+)群は 71%だった。個体あたりの癌の平均個数だけでなく、癌
の総体積も、運動によって減少した。運動によって、癌細胞の増殖も低下した。脂肪
肝の程度や非アルコール性脂肪性肝疾患の活動性スコア(NAS#2)は、運動の影響
を受けなかった。この結果の機序として、運動が AMPK#3およびその基質である
raptor のリン酸化を刺激し、それが mTOR#4のキナーゼ活性を低下させた、と考え
られた。
結論
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今回の研究から、NASH の実験モデルにおける肝細胞癌の発生に、定期的な運動
は有益な予防効果を示すと考えられた。これは、肝細胞癌の予防のために、患者に
運動を増やすように指導する、理論的根拠になる。
#1 phosphatase and tensin homolog
#2 Nonalcoholic fatty liver disease Activity Score
#3 AMP-activated protein kinase
#4 mammalian target of rapamycin
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解説
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運動することで、癌の発生率、また癌に罹患した時の生存率が改善することは、こ
れまでにも判っていた。
乳癌および結腸癌の 5%から 12%に運動不足が関与していることが、最近実証さ
れた。さらに乳癌患者において、運動が再発および死亡のリスクを低減することが示
された。結腸・直腸癌の患者においても同様に、運動によって再発リスクが低減し、生
存率が改善することが観察された。肝細胞癌と運動に関する研究は少ないが、ある
研究によると、低強度の運動で肝細胞癌発生のリスクが減少し、強い運動ではさらに
そのリスクが低下すると報告された。
今回我々が用意した雄の AlbCrePtenflox/flox マウスは、肝細胞が Pten を欠損して
おり、mTOR が過剰に活性化することで、NASH を発症して肝細胞癌が発生する特
徴がある。実験では運動(+)群マウスの癌の個数と大きさが減少することが観察され
た。つまり、運動は NAFLD#5モデルにおける肝発癌過程の進行を遅らせる効果を示
した。
定期的な運動により運動(+)群マウス群の代謝や生理学的な指標は僅かに改善し
たが、脂肪肝や NASH が組織学的に改善した訳ではない。運動による癌増殖抑制の
メカニズムとして注目されるのは、NASH 改善効果ではなく、mTOR-Raptor の複雑な
活性化経路を阻害するのがその 1 つだと考えられる。
水泳が癌増殖の抑制に効果的なことは、すでにいくつかの研究で実証されている。
運動は、例えば前立腺、乳房、腸など、他臓器の癌の自然経過に影響することも実
証されている。
肝臓は筋肉作業時における代謝需要に非常に敏感であり、短時間の運動でも、
肝臓の AMPK 活性が亢進することが実証されている。AMPK-mTORC1 シグナル伝
達経路#6は、肝発癌と増殖抑制に関与しており、mTORC1 シグナル伝達経路の抑制
により細胞周期停止およびアポトーシスが誘導される。AMPK は癌抑制遺伝子であ
る TSC2#7を直接リン酸化して、Rheb#8に対する TSC2 の GTPase 活性を増強し、
Rheb を不活性化して mTORC1#6 シグナルを抑制する。更に AMPK は、mTORC1
の成分である raptor を直接リン酸化し#9、raptor の 14-3-3 結合を誘導して mTORC1
活性を阻害し、細胞周期の停止をもたらす。今回の研究では、運動後すぐに AMPK
活性が亢進し、raptor の AMPK 標的部位#3 がリン酸化されて、mTORC1 活性が低
下した。この mTORC1 活性の低下は、下流の S6 リボソームタンパク質のリン酸化の
#5
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#8
#9
Nonalcoholic fatty liver disease
mTORC1: mammalian target ofrapamycin complex 1
tuberous sclerosis complex 2。Thr1227 および Ser345 で作用する。
Ras homolog enriched in brain
Ser722 および Ser792
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減少によって確認された。これらのデータは、メトホルミン等#10が AMPK シグナル伝
達を薬理学的に活性化して、細胞周期の停止と細胞増殖の減少を起こし、癌細胞の
増殖を抑制した、他の癌モデルにおける以前の研究結果とも合致する。これらの研究
のいずれにおいても、細胞周期の停止は p21 の細胞周期阻害因子の発現増加と関
連していた。
また Ddit4#11の発現も運動直後に増加した。Ddit4 は REDD1#12としても知られて
いる mTORC1 シグナル伝達の負の調節因子であり、低酸素、DNA 損傷、酸化的スト
レスなど、多くのストレスに応答して誘導される。mTORC1 は細胞周期停止とアポト
ーシスに関与する他に、オートファジーの調節にも重要な複合体である。mTORC1
が活性化するとオートファジーが阻害される。AMPK の活性化は mTORC1 活性を阻
害してオートファジーを促進することにより、癌の成長を防止する。ただし、今回の
AlbCrePtenflox/flox マウスで観察された運動の肝細胞癌抑制効果に、AMPKα の活性
化と mTORC1 の阻害は関与したが、オートファジーは影響しなかった。
運動中の筋肉からは数種類の myokines(筋肉分泌因子)が分泌され、色々な器
官にパラクラインあるいは内分泌的に作用する。Myokines は肝臓および癌組織にお
いて観察された細胞増殖の低下に関係した可能性がある。実際、これらの myokines
のいくつかは癌細胞の増殖を阻害することが示されており、運動により分泌される
myokines が癌の防御に役立つと示唆される。また myokines は直接、肝臓に抗炎症
性に作用し、これも癌防御に貢献している。
定期的な運動が癌発生を抑制する効果は、脂肪肝や NASH の改善とは無関係で
あった。運動の終了直後から脂肪酸代謝の改善が見られたが、肝臓の中性脂肪含
有量や脂肪性肝障害の長期的な改善は、今回の運動では見られなかった。脂肪肝
スコアと NAS は運動前の値から変化しなかったが、Pten 遺伝子欠損によって引き起
こされた脂肪肝と NASH を改善させるのに、今回の研究の運動強度では十分でなか
った可能性がある。本研究のトレッドミル運動は最大有酸素能の 70%に相当し、血中
の乳酸値は安静時の 1.5mM から運動 1 時間後の 3mM にわずかに増加した。これ
は運動強度としては、低ないし中等度と考えられた。ラット乳癌モデルでは、低強度の
走行運動は発癌率に影響せず、強い運動強度において発癌率が低下した。ブドウ糖
負荷試験や血糖値を測定して、運動の糖代謝に与える効果も調べた。運動によって
マウスの体重はわずかに改善したが、糖代謝(耐糖能およびインスリン感受性)は改
善しなかった。
肝細胞癌の発生を予防するために、脂肪性肝疾患の患者に運動量を増やすよう
に促すことは理にかなっている。しかしながら、脂肪性肝疾患の患者が、高強度の運
動を定期的に継続することは容易ではない。
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#10 ほかに AICAR(5-アミノイミダゾール-4-カルボキシアミドリボヌクレオチド)とフェンホルミン
#11 DNA-damage-inducible transcript 4
#12 Regulated in development and DNA damage response 1
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マウス NASH モデル
運動群マウス
安静群マウス
NASH の発症
NASH の発症
mTORC1
阻害
Raptor
リン酸化
mTORC1 阻害
mTORC1 阻害
mTORC1 阻害
低酸素、DNA 損傷、ROS
運動群
安静群
S6K リン酸化の低下
S6K リン酸化
研究報告のサマリー
レセプター
チロシンキ
ナーゼ
肝細胞
メトホルミン
肝細胞の
エネルギー状態
細胞の生存、成長と増殖
脂質、タンパク質、グリコーゲンの合成
リボゾーム生合成
ミトコンドリアにおける代謝
癌化
肝臓の mTOR 経路
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インスリン
正常因子
成長因子
受容体
栄養素
ストレス/低酸素
タンパク合成
代謝
アクチン合成
転写
オートファジー
細胞分裂と生存
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