スペクトル法を用いた IEEE802.16 無線通信システムの性能解析

平成 26 年度創成シミュレーション工学専攻修士論文梗概集
計算応用科学分野
スペクトル法を用いた IEEE802.16 無線通信システムの性能解析
学籍番号 25413527 氏名 熊谷 優
指導教員名
1 はじめに
馮
偉
間はコンテンションスロットと呼ばれる固定時間単
IEEE802.16無線通信システムは見通し距離50km内
位のスロットで構成される。帯域幅要求を送信した
で最大通信速度70Mbpsを実現する広域高速の無線通
い端末は、まずバックオフカウントと呼ばれるラン
信規格である。
現在ではIEEE802.16-2004規格に基づ
ダムな整数値を選ぶ。
i回目の再送では0から𝑊𝑖 − 1
いたWiMAXというサービスが行われており、
さらなる
の範囲から選ばれる。𝑊𝑖 はバックオフウィンドウと
高速通信を実現できるIEEE802.16m規格に基づく
呼ばれる値で、バックオフウィンドウの初期値𝑊0を
WiMAX2というサービスへの移行が行われている。
用いて𝑊𝑖 = 2𝑖 𝑊0 で表される。バックオフカウント
IEEE802.16ネットワークに関する研究は、新たな
は 1 スロット経過する毎に 1 つずつカウントダウン
規格の策定と前後して広く行われている。しかし多
され、0 に到達したスロットで端末は帯域幅要求を
くのパラメータや状態推移が複雑に絡み合うシステ
送信する。帯域幅要求を送信した端末は基地局から
ムのため、これらの研究の多くは近似的な計算によ
の帯域幅割り当てを待つ状態となる。利用できる帯
る評価が一般的である。
域幅があれば、
基地局は端末に帯域幅を割り当てる。
そこで、本研究では新たな解析手法としてスペク
𝑇𝑊 フレーム以内に割り当てが行われなければ、端末
トル法をIEEE802.16無線通信システムに適用させる
は帯域幅要求の再送のために再びバックオフを行う。
ことで理論値を求めることを目的とした。スペクト
3 マルコフ連鎖によるモデル化
ル法とは、無限に連なる個々の行列を成分ごとに分
本研究では 1 基の基地局と n 台の端末から構成さ
け、スペクトル領域において母関数を用いて表した
れる IEEE802.16 無線通信システムについて考える。
方程式による解法のことである。この手法は各々の
上田[1]のモデルを基に、マーク端末の状態を 3 次
パラメータから直接解を求められるため、システム
元の離散時間マルコフ連鎖によってモデル化する。
の確率過程の次元が大きい場合に特に有用である。
時間推移はスロット単位で起こるものとする。離散
しかし、母関数についての境界条件が複雑になる場
時刻 t におけるマーク端末のバッファ内のパケット
合が多く、その方程式は簡単には構成できない。そ
数、再送回数、バックオフカウント値もしくは帯域
こで本研究ではスペクトル法において非常に重要と
幅割当要求送信後の経過スロット数を表す確率過程
なるカーネル行列について計算し、求めるべき母関
をそれぞれx(t), s(t), b(t)とする。離散時刻 t におけ
数の存在を仮定ではなく具体的に証明することがで
るマーク端末の状態はX(t) = (x(t), s(t), b(t))と書
きた。
き表せ、X(t)は 3 次元の離散時間マルコフ連鎖とな
2 IEEE802.16 無線通信システムの通信方式
る。この時のマルコフ連鎖の推移確率行列𝑷を求め
IEEE802.16 標準規格では PMP(一対多接続)方式が
想定され、1 つの基地局がカバレッジ内の全端末の
通信制御を行う。ネットワーク中の端末はすべて基
地局から割り当てられた帯域幅を利用してデータ送
ると次のようになる。
𝐶0 𝐴1
𝐶1 𝐵1
𝐶2
𝑷=
信を行うため、まず基地局に帯域幅の割り当てを要
求しなければならない。
[
𝐴2
𝐵2
𝐵1
𝐶2
𝐴3
𝐵3
𝐵2
𝐵1
𝐶2
⋯
⋯
⋯
⋯
⋯
⋱]
帯域幅要求の衝突を回避するため、各端末は帯域
これは M/G/1 型マルコフ連鎖の推移確率行列となっ
幅要求の送信前にバックオフを行う。バックオフは
ている。このとき、(i,j)成分の行列はバッファ内の
コンテンション期間で行われる。コンテンション期
パケット数が i からjへ変化するときの推移確率で
平成 26 年度創成シミュレーション工学専攻修士論文梗概集
計算応用科学分野
ある。
次の方程式が成り立つ。
4 スペクトル法によるモデルの解析
𝐶2𝑉0 = 0
端末の定常状態分布を
{
∑
𝝅 = (𝝅𝟎 , 𝝅𝟏 , 𝝅𝟐 ⋯ )
𝑘
1
1
𝐵𝑙 𝑉𝑘−𝑙 =
𝑉
(𝑘
(𝑘
−
𝑙)!
−
1)! 𝑘−1
𝑙=0
特異点z = 0及びz = 1において、この係数行列と式
𝝅𝒌 = lim 𝑷(𝑥(𝑡) = 𝑘)
𝑡→∞
(2)を用いて𝝅𝟎 及び𝝅𝟏 についてのW個の方程式を得
ることができた。したがってこれらのW + 1個の方
= (𝜋𝑘,0,0 , ⋯ , 𝜋𝑘,𝑚,𝑊𝑚 +𝑀−1 )
と定義したとき、推移確率行列𝑷との間に𝝅 = 𝝅𝑷と
程式より𝝅𝟎 及び𝝅𝟏 を定めることで、𝝅(z)を導出す
いう関係式が成り立つ。この式について各成分行列
ることができる。また、定常状態分布𝝅𝒌 の定義から
1 𝑑𝑘
𝝅𝒌 =
𝝅(𝑧)|
𝑘! 𝑑𝑧𝑘
𝑧=0
をまとめると、次の式が得られる。
𝝅𝟎 = 𝝅𝟎 𝐶0 + 𝝅𝟏 𝐶1
𝑘
{
𝝅𝒌 = 𝝅𝟎 𝐴𝑘 + ∑ 𝝅𝒍 𝐵𝑘−𝑙 + 𝝅𝒌+𝟏 𝐶2
(1)
ることができる。
𝑙=1
また、次のようにそれぞれの母関数を定義する。
∞
A(z) = 𝐶0 + ∑
B(z) = 𝐶2 + ∑
∞
𝝅(z) = ∑
によって𝝅(z)を再変換することで、𝜋𝑘 をすべて求め
5 まとめ
本研究ではIEEE802.16無線通信システムについて
𝑧 𝑘 𝐴𝑘
𝑘=1
スペクトル法を用いた性能解析を行った。従来の研
∞
究ではカーネル行列の存在は仮定されることが多い
𝑧 𝑘 𝐵𝑘
が、
本論文ではその証明をすることができた。
また、
𝑘=1
解析を行っていく中で必要な式や計算はとても煩雑
𝑧 𝑘 𝝅𝒌
𝑘=0
なものが多く、式の導出だけで多くの時間がかかっ
式(1)についてこの変換を行うと以下のように書き
てしまった。そのため様々なパラメータについてこ
直すことができる。
の解法による𝝅𝒌 の値を十分に数値シミュレーショ
ンすることはできなかった。一方で比較のために、
𝝅(z)(zI − B(z))
近似的にマトリクス法を用いた性能解析は行った。
= 𝝅𝟎 (𝑧𝐴(𝑧) − 𝐵(𝑧)) + 𝑧𝝅𝟏 (𝐶1 − 𝐶2 )
𝝅(z) =
[𝝅𝟎 (𝑧𝐴(𝑧) − 𝐵(𝑧)) + 𝑧𝝅𝟏 (𝐶1 − 𝐶2 )]𝑎𝑑𝑗∆(z)
𝑑𝑒𝑡∆(z)
しかしシステムの状態数が膨大であるため、マトリ
(2)
クス法では計算量を抑制したシミュレーションしか
このとき∆(z) = (zI − B(z))と置き、これをカーネ
行うことができず、やはり十分なシステムパフォー
ル行列とした。det∆(z)が存在する場合、𝝅𝟎 および
マンスの評価は結論付けられなかった。今後の課題
𝝅𝟏 から𝝅(z)を導出することができる。本論文ではこ
としては、高次の複数階微分を必要とする𝝅(z)の再
の行列式を以下に示すように具体的に導出し、
2つの
変換におけるアルゴリズムの導出が挙げられる。そ
特異点が存在することを証明することができた。
れによって、マトリクス法では扱うことのできない
det(zI − B(z)) =
ような高次元のパラメータも扱えるようになり、定
𝑧
z
∑𝑚
𝑖=0 𝑊𝑖 +(𝑚+1)(𝑀−1)−1
𝑝
𝑊𝑚
[𝑧 − 𝑧𝑃𝑚
𝑄 𝑀−3 (𝑄 2
+𝑄+
1)∆∗𝑊𝑚
−
𝑊𝑚 −1 𝑛
∏𝑗=1 𝑞𝑗𝑚 ) − (ℎ𝑚,𝑚 (𝑎) +
𝑎𝑚𝑐 (𝑧)(1 + ∑𝑛=1
量的なシステムパフォーマンスの評価が可能になる
と考えられる。
𝑊𝑚 −1 𝑛
∏𝑗=1 𝑞𝑗𝑚 )]
ℎ𝑚,𝑚 (𝑏) ∑𝑛=1
6 参考文献
この式から、
z = 1はシンプルな特異点であり、
z=0
[1]上田 晋大: “非飽和状態における IEEE802.16 無
は多重特異点であることがわかる。また、𝝅𝟎 及び𝝅𝟏
線通信ネットワークの性能解析”平成 24 年 修士論文
を求めるためにはその未知数であるW + 1個の方程
[2] Wei Feng : “Spectral analysis of IEEE802.11 queueing
式が必要であり、一つは式(1)の上式である。
networks”, Proceedings of Symposium on Stochastic Models
ここで、カーネル行列の余因子行列を求める。係
𝑘
数行列母関数V(z)を用いて、V(z) = ∑∞
𝑘=0 𝑧 𝑉𝑘 =
2014, pp.267-276, (2014)
adj∆(z)と置いたとき、k = 1,2, ⋯ , W − 2において