Vol.17 命と幸せを守ることにつながると信じて

聖隷学園の歴史
Vol.17
命と幸せを守ることにつながると信じて
(日野原先生による開学記念講演)
(初代学長 吉田時子)
1992(平成 4)年聖隷クリストファー看護大学
「クリストファー」はライン川周辺で今も語り継がれている半伝説的殉教者の名前です。
ある嵐の夜、クリストファーは川を渡れなくて困っている少年を背負って渡り始めました。
ところが一歩一歩進むたびに、まるで大きな岩がのしかかってくるように少年は重くなって
いきました。あやうく沈みそうになりながら、ようやく向こう岸に着いてみると、その少年
こそがイエス・キリストでした。
聖隷学園の看護大学構想は、1980 年代半ばに聖隷学園の建学の精神と看護教育の歴史の中
から生まれました。これからの看護職の基礎教育は 4 年制大学において行われるのが最善の
方法であると考えていた聖隷学園は、聖隷学園浜松衛生短期大学教員によるプロジェクトチ
ームを編成し、看護大学の構想を練る一方、長谷川保理事長(当時)は聖路加看護大学の日野
原重明先生らに相談し、学長予定者として同大学の吉田時子教授を招聘。吉田教授は短期大
学学長に就任します。
1989 年、東京海上火災保険㈱(当時)から同社の 110 周年記念事業として 30 億円の寄付申
し出があり、大学構想が現実化しました。その年以降、吉田短期大学長は大学設置準備室長
を兼任します。設置認可申請の教学担当として吉田室長の片腕となり教育目的・目標の設定、
教育課程の編成、実習計画、教員人事、学則等の準備に奮闘したのは、丸川和子教授(初代
看護学部長)でした。学園の総力を挙げた努力の末、1992(平成 4)年に全国で 12 番目の看護
大学として「聖隷クリストファー看護大学」が誕生しました。
聖隷学園創立者である長谷川保は、クリストファーがキリストを背負ったように、病気や
障がいを持った人やお年寄りの不安や苦痛、悲しみを理解し、一人ひとりを大事にケアする
看護者がこの大学から育ってほしいとの願いをこめて、聖隷クリストファー看護大学と命名
しました。