中国経済論 東京女子大学2015年 第10回 丸川知雄 第5章 技術ーーキャッチアップ とキャッチダウン 4.西側からの技術導入によるキャッチアップ • 炭酸水素アンモニウムの自主開発では国内の肥料需要を賄 うのに到底足りなかった。やはり先進国から技術や製品を導 入するほうが効率的。 • 1962-66年、72年以降と断続的に西側からの技術導入が行 われた。工場一式の設備を購入。 • 特に重点は石油化学。1959年に大慶油田が発見された。そ こから化学肥料と合成繊維を生産して農業と繊維産業に力 を入れ、国民の衣食レベルを上げることが狙い。 • 鉄鋼業も重点。1978年に上海宝山製鉄所を新日鐵からの技 術導入で建設。4063立方メートルの高炉、連続鋳造、熱間圧 延、冷間圧延などを含む。 • 当時の輸出規模に比べ巨額の買い物だったため、78年末に 外貨準備が15.57億ドル(輸入額の1.7ヶ月分)まで減った。 • この苦境に際して、外国から直接投資、借款、援助を受け入 れる対外開放政策が打ち出された。 5.外資導入によるキャッチアップ • 1978年末から改革開放政策 が始まり、技術導入の方法は 工場の購入以外に、外国企 業の直接投資も行われるよう になった。 • 外資導入によって顕著な技術 的キャッチアップを成し遂げた のが乗用車産業 • 中国が独力で開発した乗用 車。「紅旗」(クライスラーC69、 1955年を模倣)は1959年に生 産開始、1987年まで累計 2000台(年平均80台)を生産。 乗用車の技術レベル • 中級幹部用車の「上 海」(ベンツ220S、1956 年を模倣)は1964年に 生産開始。 「上海」は 年6000台の生産規模 だったが、大したモデル チェンジもないまま 1990年頃まで生産継続 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 中国の乗用車の技術レベル 図5-2 中国の乗用車産業の技術レベルの変遷 2010 2000 1990 1980 技術レベル 1970 (年) 先進国 1960 中国 1950 1940 1930 (出所)中国汽車工業史編審委員会(1996)、許進禄編(2002)をもとに筆者作成 外国乗用車メーカーとの合弁による乗用車生 産 • 1984年にアメリカのAMC との合弁で「チェロキー」 を生産 • 1985年に上海フォルクス ワーゲン(VW)成立。「サ ンタナ」の生産開始。サン タナは1981年欧州で発 売 • 部品の国産化を重視し、 新モデルは1994年まで 導入されず。ただ、部品 産業のレベルで格段の 進歩が起きていた。 先端が世界と同期している中国の自動車 市場 • 1999年に広州ホンダ が前年にアメリカで発 売されたばかりの「ア コード」の生産を開始。 • 販売でも「4S店」のフ ランチャイズを展開 • 北京現代は2010年8 月に世界で最も早く Vernaを中国で生産開 始 外資導入によるキャッチアップの是非 • 世界の自動車メーカーが中国に最新のモデルを投入する理 由、それは成長する中国市場をライバルメーカーにとられな いようにするためである。中国側からいえば「市場(開放)と 引き換えに技術を獲得する」戦略であるが、実際には中国は 多国籍企業の下請に甘んじているにすぎない、自国企業の 自主開発を推進すべきだ、という批判が2000年代後半ぐら いから高まっている。 • しかし、外資導入は、自国企業によるキャッチアップの失敗 の結果、実施されたことを忘れてはならない。 • また、自動車については、外国企業は中国側と50:50での進 出のみ認められており、技術移転を促進する「仕掛け」に なっていた。 予期せぬ自国企業の成長 • 以上のように、中国は自国企業の 育成を怠っていたとはいえず、そう した努力にも関わらず、期待したよ うな形では自国企業が成長しなかっ ただけだ。 • 実は政府が期待していなかったよう な形で自国企業の成長がみられた。 • 地方国有企業の「奇瑞」、民間企業 の吉利、BYDが政府の参入規制の 抜け穴をついて乗用車を生産しはじ め、安さを武器に市場シェアを拡大 している。 表5-1 乗用車生産のブランド国籍別内訳 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 乗用車生産台数(万台) 77.2 123.0 218.9 248.3 311.8 うち中国ブランド(万台) 10.4 21.2 44.2 49.6 74.1 比率(%) 13.5 17.2 20.2 20.0 23.8 2006年 386.9 103.6 26.8 2007年 479.8 130.6 27.2 2008年 504.7 130.8 25.9 データ更新済み。本掲載の数字とところどころ異なります。 2009年 747.3 221.7 29.7% 2010年 2011年 949.4 1012.27 293.3 294.64 30.9% 29.1% 2012年 1074.5 305.0 28.4% 2013年 1201.0 330.6 27.5% 2014年 1237.7 277.4 22.4% 6.比較優位の形成 • リカードの比較優位の原理 • 比較優位は何によって決まるのか。「ヘク シャー・オリーン定理」によれば各国の資源賦存 によって決まるというが技術も資源賦存に乗算 するように意味を持つ。 • 技術×資本・労働の相対的賦存→比較優位 • 例えばインドと中国は資源賦存は似ているが、 中国は「玩具、ゲーム、運動用品」に極めて強い 比較優位を持っているのに対してインドは全く もっていない。 中国の比較優位の変化 • 1980年の中国の最大の輸出品は繊維品 (27%)、鉱物燃料(24%)。繊維品の比較優位 は人為的に作られたものだった。 • 中国が労働集約的工業製品における比較優 位を獲得したのは為替レートを切り下げ、外 国直接投資導入や委託加工が盛んになった 1987年以降。 • 世界の繊維輸出に占める割合も1980年3.4%、 87年5.9%、95年11.9%、09年31.7%。 •RCA指数(i国j産業の 輸出額/世界のj産業 の輸出額)/(i国の総 輸出額/世界の総輸 出額)によって中国の 比較優位を見ると: 機械関連では比較優 位を強め、衣類、履き 物、玩具等、革製品等 では弱めている。 表5-2 中国の主要な輸出品とRCA指数 品目 HS 85 1995年 2000年 2005年 2008年 2011年 12.7% 18.5% 22.6% 22.7% 23.5% 電気電子機器 1.0 1.2 1.6 1.8 2.0 衣類(ニット以 62 9.6% 7.6% 4.6% 3.7% 3.3% 外) 5.5 5.1 3.3 3.3 3.2 84 5.8% 10.8% 19.6% 20.0% 18.6% 一般機械 0.4 0.7 1.4 1.5 1.6 61 4.7% 5.4% 4.1% 4.3% 4.2% 衣類(ニット) 4.1 4.6 3.4 3.9 3.8 64 4.5% 4.0% 2.5% 2.1% 2.2% 履き物 5.6 6.2 3.8 3.7 3.6 玩具・ゲーム・運 95 3.6% 3.7% 2.5% 2.3% 1.8% 動用品 6.4 6.7 4.1 3.5 3.5 27 3.6% 3.2% 2.3% 2.2% 1.7% 鉱物燃料 0.7 0.3 0.2 0.2 0.1 革製品・旅行用 42 3.3% 2.6% 1.5% 1.2% 1.4% 品 9.5 8.4 4.3 3.6 3.8 72 3.2% 1.4% 2.0% 3.7% 2.1% 鉄鋼 1.2 0.7 0.7 1.1 0.8 52 2.6% 1.5% 1.0% 0.7% 0.8% 綿・綿織物 4.0 3.2 2.2 2.3 2.1 94 2.0% 2.8% 2.9% 3.0% 3.1% 家具 1.7 2.2 2.4 2.6 2.9 73 1.9% 2.2% 2.5% 3.4% 2.7% 鉄鋼製品 1.1 1.5 1.5 1.7 1.6 90 1.6% 2.5% 3.3% 3.0% 3.2% 精密機械 0.6 0.8 1.0 1.0 1.1 87 1.1% 1.8% 2.2% 2.7% 2.6% 自動車・二輪車 0.1 0.2 0.2 0.3 0.4 (注)数字は上段が中国の輸出全体に占める割合、下段がRCA指数 HSはHS分類番号 7.中国企業によるキャッチアップ • 外資導入によるキャッチアップだけでは物足 りない、と政府や経済界が思い始めた。 • 2004年に公布された自動車産業政策のなか で「自主的知的財産権を持つ製品を積極的 に開発することを奨励する」という文言が初め て登場。 • 2006年からの第11次5カ年計画のなかで「自 主イノベーション能力の向上」が重要課題と なる。 • どこまでが「自主」に含まれるのかは曖昧。 研究開発費と特許出願数は急増 表5-3 研究開発費の対GDP比率 (%) 年 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 中国 0.70 0.83 1.00 0.95 1.07 1.13 1.23 1.32 1.39 1.40 日本 3.21 3.21 3.23 3.35 3.40 3.40 3.40 3.55 3.61 3.67 (出所)中国:中国統計年鑑 日本:総務省統計局『統計でみる日本の科学技術研究』 図5-2 中国と日本の特許出願件数 2008 1.47 3.80 2009 1.70 3.62 2010 1.76 3.57 2011 1.84 3.67 900000 800000 700000 600000 件 500000 中国・発明特許の出願(国外) 中国・発明特許の出願(国内) 400000 日本・発明特許の出願 300000 200000 100000 0 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 (出所)中国:国家知識産権局、日本:特許庁「特許行政年次報告書」 2012 1.98 3.67 2013 2.08 特許の国際出願においても中国の台頭が 著しい • • アメリカ、日本に次いで多い。 2008年には中国の通信機器メーカー、華為技術が世界で最も多 かった。2013年は中興通訊が第2位、華為が第3位。 表5-5 特許の国際出願件数(主要企業・国別件数) 2007 2008 2009 2010 2011 2012 年 企業名 件数 順位 件数 順位 件数 順位 件数 順位 件数 順位 件数 順位 2,951 パナソニック(日本) 2,100 1 1,729 2 1,891 1 2,154 1 2463 2 3,906 中興通訊 (中国) 329 38 517 22 1,863 2 2826 1 1,801 華為技術(中国) 1,365 4 1,737 1,528 1 1,847 2 4 1831 3 1,305 クアルコム(アメリカ) 974 7 907 11 1,280 5 1,677 3 1494 6 インテル(アメリカ) シャープ(日本) ボッシュ(ドイツ) トヨタ(日本) エリクソン(スウェーデン) フィリップス(オランダ) シーメンス(ドイツ) LG 電子(韓国) NEC(日本) アメリカ 日本 ドイツ 中国 176 702 1,146 997 2,041 719 626 54,042 27,743 17,821 5,455 15 5 6 2 814 1,273 1,364 984 1,551 13 992 16 825 51,642 1 2 28,760 3 18,855 7 6,120 (出所)WIPO, PCT Yearly Reviewより筆者作成 13 5 4 9 3 997 1,588 1,068 1,241 1,295 10 3 9 6 4 932 11 8 1,090 12 1,069 1 45,627 2 29,802 3 16,797 6 7,900 7 8 1 2 3 5 201 1,286 8 1,301 6 1,095 11 1,149 9 1,435 5 12 833 1,298 7 1,106 10 45,008 1 32,150 2 17,568 3 12,296 4 件数 2 1 4 6 309 43 640 20 1755 1518 1417 1116 1148 4 5 7 10 9 2,001 1,230 3 5 7 10 9 1,039 12 1,272 8 1336 1056 8 11 1 2 3 4 1,094 11 13 1 2 3 4 48,596 38,888 18,568 16,406 1,775 1,652 1,197 999 51,207 43,660 18,855 18,627 2013 順位 2,881 2,309 2,094 2,036 1,852 1,840 1,786 1,696 1,467 1,423 1,323 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 57,239 43,918 17,927 1 2 4 21,516 3 「自主イノベーション」で世界の先端に立っ た事例:移動通信 • 中国は移動通信技術はもっぱら先進国に依存し ていた。 • 1999年に国際電気通信連盟(ITU)が第3世代移 動通信技術のグローバルスタンダードに関する 提案を公募し、中国が提案したTD-SCDMAは5つ のスタンダードの一つに採用された。 • W-CDMAとCDMA2000のサービスは世界で20012002年に始まったが、TD-SCDMAのサービスは 中国でようやく2009年に始まった。 • 第3世代のTD-SCDMAは失敗したが、その発展 形の第4世代のTD-LTEはスマホ普及もあり、他国 でも採用されている。 8.盛んになるキャッチダウン ゲリラ携帯電話産業 深圳に1500社の中小零細携帯電話メーカー 18 ゲリラ携帯電話の生産台数は2億台近く、 輸出が多い。 山寨移動手機出貨量 200,000 180,000 160,000 140,000 千部 120,000 海外市場 100,000 國內市場 80,000 60,000 40,000 20,000 0 2005 2006 2007 2008 19 2009 2010 2011 ゲリラ携帯電話のイノベーション • 1台1000円程度という安さ • 世界の低所得者に合わせた機能:懐中電 灯つき、礼拝機能、SIMカード2-3枚搭載 など。 • 「リンゴの皮」=iPod Touchにかぶせる と、iPhoneに変身 • 従業員20名以下ぐらいの零細企業にも携 帯電話が作れるようになったというのが 何よりものイノベーション 20 電動自転車 • 日本のヤマハ発動機などが 開発した電動アシスト自転車 をヒントにして誕生した。 • しかし電動アシスト自転車の ハイテク機構を省略している ため、電動アシスト自転車は 10万円するところ、電動自 転車は3万円ほどである。 • 電動アシスト自転車は年間 販売38万台なのに対し、電 動自転車は年3000万台以上 売られ、一般の自転車を上 回っている。 21 中国アニメのキャッチダウン型イ ノベーション • 政府のアニメ奨励策 • 日本、アメリカ等のアニメの下請で技術習得 • しかしテレビの放映料が低すぎて産業として 成り立たない。 • あるアニメメーカーがAdobe Flashを利用した アニメを作って商業的に成功。 • 中国ではflashアニメが一つのジャンルとして 確立した。 9.おわりに • キャッチアップとキャッチダウンは二者択一の 選択ではなく、両者は併存しうる。キャッチ アップが盛んにおこなわれている環境だから こそ、キャッチダウンも起きやすいといえる。 • キャッチダウンは発展途上国の国民生活を 豊かにするのに貢献している。 • 人類が限られた資源を有効活用するために は技術の選択肢を多く持つことが重要である。
© Copyright 2024 ExpyDoc